第四章
0番めのR
 実際に会ったことはないが、もし拝眉(はいび)することがかなったらユキノオーのような顔つきをしているにちがいない。
 キッサキシティのポケモンジムのリーダー・氷上菘と、そのエースポケモン・ユキノオーに見送られて、ホウエン地方から参上したポケモンレンジャー・天ノ川龍星は、そんなことを考えながら1日と半日の時を経て任地(にんち)にたどりついた。開放された古い神殿の中にはいると、何千年もの時間をかけて生成(せいせい)された氷の芸術作品がそこにあった。また屋外で息を殺しているかのように降る雪も、水蒸気が空中で昇華(しょうか)して結晶になったものなので、それと合わせて観ると幻想的に()えるであろう。目線(めせん)の高さ、もしくはそこから45度上方の視界にはいるきらびやかなものを見て、たいていの女子はうっとりするにちがいない。が、残念ながら、龍星は自分を抱きしめるように左右の二の腕をさすってばかりいる。とてもロマンチックな気分に浸れそうな状況ではなかった。
 「内部はそんなに広くないのな」
 いたるところに大きな氷の結晶が点在しているモデルハウス並の広さを有した空間。若い女性のジムリーダーに連れてこられたときには、青紫色と藍色が混じり合ったような色合いの冷厳とした大神殿という圧迫感があった。しかし、いざはいってみるとこじんまりとしていて、龍星は拍子抜けしてしまった。
 ポケモンジムのようにていねいな作りで氷の床が張られてはいなかったが、ちゃんとバランスをとらないと転倒するおそれがある。龍星のはいているブーツで氷上を渡っていけるかというと、できないことはないかもしれないが、渡り切った頃には青痣(あおあざ)がいくつかできあがっていることだろう。刃のない靴裏(くつうら)を気にしながら、龍星は、おそるおそる踏み出そうとする自分の情けないありさまを氷の床で視認した。次に片足を着けた。もう片方の足ももっていく。と、
 「うおっと!?」
 スケート選手の華麗な足さばき、というレベルにはいかずとも、好調のすべり出しができたらいいなと思ったのも(つか)()、龍星の両脚は120度ほど開脚し止まった。右と左の足の前後間にはひっかき傷のような跡ができている。
 「ちょ、ま、えっ!?」
 どうして傷跡ができあがる。直線状の刃なんてなかったのに。龍星は何がなんだかわからなくなった。
 「と、とりあえず体勢をととのえないと…………!」
 こういうときに自分の身体が柔らかくてよかったと思えるものだ。ただ意識してやったわけではないから、急激な股の開きは健康的にはよくないのかもしれないが。
 意図せずに伸びてしまった右脚を左足のもとにもどし、その場で直立してみせる。と、氷上でできた右足の跡地(あとち)に奇妙な紋様(もんよう)が浮かび上がっていた。点と点を線でつなげてかたち作る遊びを、少年時代にしたことのある龍星は目で作ってみた。二等辺三角形(にとうへんさんかくけい)ができた。
 「まさか、これ…………!」
 直感してすぐに右足を上げる。ジッパーを開けてブーツを脱ぎ、右足を浮かせた状態でその靴裏をのぞき込んでみた。
 「完成度の高い一式だ」
 オンラインショップで目をつけ購入(こうにゅう)したバシャーモスタイルのコスチュームをまとっておきながら、龍星はいまさらその実用性の高さを目の当たりにしたのである。
 ブーツの靴裏には3つの突起(とっき)がついていた。普段は隠されているみたいで、白の水玉模様(みずたまもよう)となって底面のデザインになじんでいるが、雪原や舗装(ほそう)されていない道路、氷でできた床など、足もとが大変危険な仕様になっていた場合のみ、自動的に丸みを帯びた先端(せんたん)が露わになって踏み心地を快適なものにしてくれる。靴底に厚みがあったのはそういう秘密があったからか。龍星はその金属部分に左の人差し指でふれてみた。
 「熱っ!?」
 肉の焼ける音が空気の張りつめた神殿内に響いた。龍星は手近(てぢか)な氷のブロックにふれて熱を冷ました。数分ほどおいてどうなったか確認する。あやうく(ただ)れずにすんだものの、赤くはなっていた。
 「……踏みしめただけであんな跡ができるわけがないとは思ったが」
 結果、そういうわけであったのだった。靴下に包まれた足をブーツに収め、ジッパーを閉める。
 「スケートの初心者にはぴったりな品というわけか。これはお得だな」
 スケートは氷上をすべって楽しむものであって、そこに3つの穴を開け、しかも溶かしてしまう時点で初心者を名乗る資格などなかった。それに、異性をデートに誘ってもさまざまな亀裂が走ることは疑いなかった。
 「謎がひとつ解けたことだし、これで安心して奥地へとはいってゆける」
 彼が闊歩(かっぽ)するたびに氷の床に奇抜(きばつ)な足跡と水たまりが誕生していく事実を、彼が帰り道で気づくのはだいぶあとのこととなった。10メートルほど歩いて見覚えのある石像を発見したからである。
 「レジロックか?」
 その名はホウエン地方の砂漠遺跡≠ノ封印されている伝説ポケモンのことで、全身が石ころや岩石でできている不可思議な存在だった。顔らしき顔がなければ、脳や心臓も見当たらない。せいぜい注目できるとしたら、顔があるところに点字みたいな意匠(いしょう)があることぐらいだ。
 龍星は実際に対峙(たいじ)したことがない。故に過去の研究者の論文などを見て知ったのだが、戦闘が終わると傷ついた身体――当然岩だらけのものに新しい岩をくっつけていくらしい。そして最近の研究結果では、全身の岩はすべてちがう土地でとれたものであると判明した。ただし、いちど身体にくっつけてしまえば気配や感覚が宿(やど)るわけで、それに敏感な存在にとってはひとつひとつの石や岩が信号のような役割をはたすのである。
 その伝説級のポケモンをかたどった石像を前に、ポケモンレンジャーである龍星はもの思いに(ふけ)りはじめた。
 ……オダマキ博士よりあずかった3つのサンプルが意味するものは何か。このレジロックの像を見て、思った。いまいるここから右手奥に地下に通ずる階段があるということは、階下にこれと同じ石像があと2つある可能性が高い。(いや)、確実にあるはずだ。そうして進んだ最深部に何があるか。バシャーモスタイルの防寒服のおかげで耐性はついているものの、氷点下の世界で自分の実力がどれほど試されるか。いざゆかん!
 それから、龍星の予想は当たりに当たった。地下1階にはレジアイスの像、地下2階にはレジスチルの像が堂々と立てられていたのである。ほかには天井や壁面の氷の色が濃くなったり、その硬度が増していったりと、最奥に待つ何かへの期待が良くも悪くも高まった。
 「ここを下りれば終点かな」
 慎重な足どりで階段を下っていく。と、いままででいちばんひろい部屋にたどりついた。そこは1階と地下1階と地下2階の総面積を足したほどで、一見無駄なスペースだと思ったが、部屋の中心部に超巨大な石像があるのを見つけた。だが、龍星の見える位置からは背中のようだった。すべり止めはおろか、氷の床を踏み荒らすにはもってこいのブーツで正面にまわってみる。
 「……………………!?」
 龍星の顔面の筋肉はしだいにこわばっていった。表情も硬くなる。意識せずに口も開いた。
 彼が見たのは、レジロックでも、レジアイスでも、レジスチルでもない、謎のポケモンの巨像であった。体長はどれほどのものなのだろう。少なくとも3R(レジロック・レジアイス・レジスチル)の倍近くはあった。体育座りをしているように固まっており、右手でふれたり押したりしてみても反応らしい反応は返ってこない。
 「どうやってDNAを採取するんだよ、博士…………!」
 その方法を考えるのがポケモンレンジャーの仕事である。手がかりはオダマキ博士に託された3つのサンプル。レジロックの身体よりいでし石、レジアイスの身体よりいでし氷、レジスチルの身体よりいでし貴金属(ききんぞく)。いずれも本物かどうかはさだかではない。
 「これらをこの石像の前にかざせば……、とかか?」
 C2から出したサンプルを左の手のひらにのせ、可愛らしく(?)座る巨大ポケモンに見せるようにささげてみた。
 そのとき、何かが光ったような気がした。
 「!?」
 龍星は目の前にある石像が小刻みに震えだしたのを悟った。まさかいまのやりかたで封印が解けたのか。まあ、これまでの道中に大いなる謎解きの要素があったわけでもなかったが。
 「……………………」
 「…………え、何かいって…………!?」
 地響きと地鳴りがするなか、龍星の身体は一瞬のうちに真左へと吹っ飛び、コンクリート並の氷の膜に覆われた神殿の壁に激突した。両腕を交差(クロス)しながら左右にひろげ、機械仕掛けの人形のごとく立ちあがった巨大ポケモンの、右腕による()ぎはらいが直撃したのである。
 「…………我の(つく)りし者たちの気を感じた。我を目醒(めざ)めさせた者よ、感謝する」
 「…………そりゃどうも」
 巨大ポケモンは声のするほうを剥いた。そこでは、自分の両腕の伸長による被害を受けた桜色の髪の人間が、氷でできた分厚い壁に人型の穴を作ってへたり込んでいた。ついでに全身に軽い打撲傷(だぼくしょう)も作ったが、たいしたことはなかった。
 「……へ、せっかくの一張羅(せいふく)がさっそく破れちまったよ」
 右肩あたりと左わき腹の生地の穴を埋めるようにさわりながら、龍星はけっこう気にいっていた一張羅の雰囲気を台無しにしてくれたポケモンを睨んだ。
 「……バシャーモ、ではないな。貴様は人間か」
 「人間の言葉を話すあんたが言うのか」
 「ふふふ、たしかにな…………」
 4メートル以下の巨躯が龍星のことを見下すように立ちはだかった。でかい。あまりにもでかすぎる。図鑑に記載されている数字が正確であるなら、レジロックは龍星と同程度の体長なのだが、それに2メートルほど追加したような圧倒感があった。
 「人間よ。我はかつて我と似た存在を創り、とある地に封印を施した。ある地には祭壇(さいだん)となる塔を(なわ)で引っぱって運んだ」
 「…………」
 「だが、人間は我の行動が気になったがゆえに、すべての生き物の活動が停止してしまうであろう極寒な大陸の地下に我を封じたのだ。真意をたしかめようともせずに」
 昔の人々に封印されしポケモン、か。人間の想像をはるかに超える動きのできる存在が、何の目的があって3体のポケモンを創り、祭壇となる塔とやらを引っぱって移したのか。おそらく当時の人間の立場からすれば、そんなことは歯牙にもかけず、ただ脅威となるであろう存在を遠き大地に追いやっただけなのだろう。
 人間とポケモンのコミュニケーションのしかたが同一であったなら、このポケモンのいう真意を理解できたかもしれない。だが、いまとなってはどうにもならないし、その時代の人間ではない自分に愚痴をこぼしたところで何の意味もない。さしあたり、龍星はオダマキ博士の依頼をはたせればいいのだ。仕事の勧誘なら他をあたってほしい。
 「貴様は知りたくないか」
 「どうでもいいね」
 興味なし、とストレートに流すと、巨大ポケモンはとくにつっかかるような言動はとらなかった。
 「そうか、では何を望んでいるのだ」
 「それを聞いたらあんたは喜んで差しだしてくれるのか」
 「ふふふ、それはそのとおりだな」
 巨大ポケモンは大股を開いた。ぶっとくて長い腕をしなやかな(むち)のように動かしてファイティングポーズをとる。戦闘態勢のようだ。
 「貴様の要求はわかっているつもりだ。だが易々(やすやす)()られてもおもしろくない。この我を倒してみるがいい」
 「へ、話がわかりやすくていいや」
 龍星も等しく戦闘態勢をとった。全身を青白く光でまとう。波導の出力を50パーセント上げたのである。
 「わが名はレジギガス。我が分身を(つく)りし者なり」
 「オレは天ノ川龍星。あんたの個人情報(DNA)を手にいれるために参上したポケモンレンジャーだ」
 1人の人間と1体のポケモンが相対(あいたい)し、いっせいに飛びかかった。
 現在の室内の温度は−24℃。むろん風は吹いていない。冷気のするどさは常軌(じょうき)(いっ)している。天井・壁面・床の氷はいずれも硬く、透明色と雪の色の中間をなぞるように浸食(しんしょく)していた。これならば銀世界の中にいるほうが暖かく感ぜられたが、そういう文句はこの戦いが終わってからにしよう。

野村煌星 ( 2015/03/07(土) 16:54 )