第三章
キッサキシティ
 しんしんと冷えるキッサキシティの現在の気温は−3℃。クルーザーでの移動中には粉雪が舞っていたような気がするが、村のポケモンセンターに飛び込むようにはいったとき、龍星の頭やら肩やらに雪が乗っかっていた。全身を震わせてそれを払い落とす。すると、
 「お客様、せめて外で払い落としてください。床がぬれますし、すべりでもしたら大変なことになりますので」
 と言われ、龍星は憮然(ぶぜん)とした表情になった。外に出たらよけいにやられるではないか。まるで、はいってくるなと言わんばかりの警告だ。
 それに、ポケモンセンターにしては閑散(かんさん)としすぎている。よく見まわしてみるとポケモントレーナーが一人もいなかった。目につくのはせいぜいジョーイさんくらいだ。
 「こんな辺鄙(へんぴ)なところにポケモンジムがあるんだから驚きだよ」
 龍星は雪の重みで故障していないか、左腕に装備してあるキャプチャ・スタイラーを起動してみた。ホーム画面が現れた。どうやら無事のようだ。
 「マップナビは、と…………」
 すばやく指を動かして周辺の地図を表示させる。村の中央にポケモンジム。現在いるポケモンセンターはその南東にあった。ジムの南西にはフレンドリィショップ、北西および北東にはいくつかの民家が建ちならんでいるらしい。規模(きぼ)だけで比較(ひかく)するなら、ホウエン地方のムロタウンよりもせまかった。
 過疎化(かそか)も進んでいるようで、ここで暮らす人の約8割が更年期(こうねんき)だという。若者はみな、生まれ育った場所を()って、人やポケモン、ものが集まる都会へと進出するわけだ。ということは、住民は雪かきに追われる毎日を過ごすのだろうから、若い人間がたくさん残ってくれればゆっくりと過ごす時間が設けられるのではないか。暖炉(だんろ)のある部屋で読書に集中したり、チェスやトランプゲームで勝敗を競ったり、それぞれの楽しみかたがあるはずだ。
 また、足腰の悪い人が屋根の上に行って雪かきをはじめたものの、足をすべらせて落下、そのまま死亡するという、なんともいたたまれないニュースが連日(れんじつ)流れるのが北国のよくあることだそうだ。「よくあること」ですませるあたり、死者が出るのはあたりまえと捉え、自分さえ無事であればいいという独善主義(どくぜんしゅぎ)的な人々が多いということになるのか。
 ムロタウンの住民がこのことを知ったら怒り狂うのではないか。義理人情なくして人は務まらぬ。過酷な環境に身を置くことを選んだのは誰か。選んだ者同士で協力しないのか。ひとりが(こご)え死にそうなのを、もうひとりは静観(せいかん)して待てるというのか。キッサキシティが酷寒(こっかん)の地である客観的事実は受けいれるしかないが、住民の心まで冷たくする必要はなかろう。いす取りゲームじゃあるまいし、生き残ることを競い合ったところで何の得にもならぬ。
 ムロタウンの住民からしてみればあるまじき考えかたである。ただキッサキシティで暮らす人々の言を借りるのならば、「関係が暑苦しくてかなわん」となるであろう。人情家(にんじょうか)巣窟(そうくつ)といえなくもないムロタウンに住む人の大半が、やはり更年期のおやじであり、酒があればいくらでも生きのびていられる自信があった。
 今日はよくても、明日はどうなっているか知れたものではない。冷血(れいけつ)であるが現実的な意見をもつ人々の暮らす村・キッサキシティ。そのポケモンセンターで仕事の準備を終えたポケモンレンジャーの龍星は、ポケモンジムの裏手(うらて)にある神殿を目指すため、まずはジムリーダー・氷上菘のもとを訪問することにした。
 「な、何だ、ここは…………!?」
 ポケモンジムを訪れてみると、透明なタイルでできた床がびっしりと張られていて、掘り炬燵のように下へ下へと進んでいく順路(ルート)であるらしかった。だが、入口から見てまっすぐの奥まったところに、信じがたい恰好の女性が不敵な笑みをしながらたたずんでいた。なんと袖をまくって腕を露出させ、その下はミニスカートだったのである。
 「おいおい……」
 女性にとって冷えは大敵であるはずなのだが、その事実を真っ向から否定するような彼女の服装は、なかなか寒さに慣れぬ龍星の(きも)に冷水を浴びせた。屋内はかなり冷えているはずなのに、彼女からは、「こんなの寒いうちにはいらないわよ」と一蹴されるにちがいない。北国育ちのたくましさを痛感する思いが出てきた。
 龍星は、近くのスキーヤーに声をかけた。キャプチャ・スタイラーで身分証明をおこなう。スキーヤーはゴーグルをはずそうとしなかったが、すぐにリーダーに伝えると取りはからってはくれた。どうやら視界が悪くなることは問題にしておらず、ゴーグルをつけたままでいるほうが熱を保っていられるという理由ではずさなかったようだった。
 もうすこし注意深く見てみると、ポケモンジムの入口から遠ざかっていったら肌の露出を激しくする方針であるらしかった。むしろ肌を出していないと熱気でのぼせてしまうポケモンジムがホウエン地方にあるが、どちらにしてもジムトレーナーとして所属しようと思う気持ちが、龍星には思い至りそうになかった。
 「お待たせしました」
 電話の内線で事情を聞いたのだろう、半袖でミニスカートのジムリーダーが龍星のところまで走ってきた。足もとがフローリング床に変わっている。挑戦者(チャレンジャー)が来場しないときのスタイルのようだった。
 「私がジムリーダーの氷上菘です」
 「ホウエン地方からまいりました、ホウエン地方西部レンジャーベース所属のA級レンジャー・天ノ川龍星です」
 自分でも長ったらしい自己申告だとは思うが、舌をかまずに伝えられるのだからまだましなのかもしれない。
 「本日はオダマキ博士による調査の依頼を遂行させていただくため、神殿の出入りを許可していただきたく参上しました」
 「わかりました。ご案内いたします」
 年齢は20才を超えていないであろうか。学校の制服のようなファッションが、年相応(としそうおう)な女の子を彷彿とさせる。見ているだけで寒い思いをしたのははじめてだった。
 「失礼ですが、そのような薄着で体調を崩されるようなことはないのですか」
 他人様の流儀(りゅうぎ)にあまり口をはさむものではないが、ちがいのない世界なんてありえないと豪語する人間ですら、さすがに遠慮したくなるものが彼女にはあった。質問された氷上菘は、というと、
 「お気遣い、感謝します。ですが、私はこの村で生まれ、育ちました。異郷(いきょう)のかたがたには異様に思われるかと存じます。目に毒かもしれません」
 眉を下げ、残念そうな表情(かお)でいう。「ああ、やっぱり変だよね……」という内心の声が聞こえてきそうだ。龍星はよけいなことを聞いてしまったと思った。
 「でも、私はこの村が大好きなんです。私の(あやつ)る氷タイプの仲間(ポケモン)たちも、一面の銀世界で暮らすことを選んだ村の人たちも」
 明るい。そして、とても情熱的なジムリーダーだ。強いな、と、龍星は安心した。
 風評(ふうひょう)被害に遭う人々は世間の身勝手な言い分に心を痛め、人によっては腹を立てて反論する。その地に住む者たちの心に寄り添おうとしないから、知らないでいようとするから、主観的な思いをたいせつにしたいから、たとえ悪気がなくても傷つけてしまうのだ。相手を思いやる気持ちがたいせつだと他人に説くからには、みずからが率先しておこなっているのかというと、案外そうではなかったりする。では建前でいっているのかといえば、そうでもなかったりする。境界線がどのあたりにあるのか、人それぞれちがうようだが、つい曖昧にしてしまいがちなものは白黒はっきりさせておいたほうがいいのかもしれない。優柔不断な性格の人を嫌う者にかぎって、その者自身が優柔不断であったりするのだから。
 若い女性のジムリーダーは同じく若いポケモンレンジャーを、荘厳(そうごん)な神殿の前まで連れていった。定期的に神殿の頭に積もった雪を地面におろすのだが、たった一日で1メートル前後は山積(さんせき)してしまい、日ごとに交代して雪かきに明け暮れるのだそうだ。ゆいいつ雪が降らない夏は、太陽熱で地面のものが少し溶けるという。
 神殿の扉の(かんぬき)をはずす。鉄製のようで、女ひとりの力で開けるのは難しかった。龍星が加勢しても開かなかった。
 「お願い、ユキノオー」
 菘はモンスターボールを抛り投げた。中から、樹氷ポケモン・ユキノオーが現れた。
 「ユキノオー、私といっしょに神殿の扉を開けて」
 彼女の手持ちではエース的存在なのだろう。ユキノオーは両腕をかかげて力こぶを見せつけると――真っ白な毛皮でよく見えなかったが、女主人とともに左右に開く鉄製のいかつい扉の前に立った。そして力いっぱいこじ開けようとする。
 「く、おかしいな……、たしかに重たくて開けにくい扉だけれど、ユキノオーと協力しても開かないなんて…………!」
 氷タイプのポケモンの使い手が、この環境に合わぬ水滴(すいてき)を作った。さいわい風は吹いていなかったが、冷蔵庫の中にいるような冷気が、彼女の露出している箇所(かしょ)をなでた。さすがにまずいと思ったのか、腰にまいてあるミントブルーのパーカーをすばやく羽織る。
 「あなたたちも手伝って」
 協力を要請したのが複数だとわかったとき、菘は数個のモンスターボールを手もとから放していた。出現したのは2匹のユキカブリだ。
 「しばらくお待ちください」
 このような地に男ひとりで足を運んできたからには相当の実力者なのだろうと、菘は見解していた。ただ、龍星の手伝おうとしない姿勢が彼女に赤ペンチェックを強いらせた。男のほうが物理的な力がそなわっているのだから、「私がやります」と進言するのがカッコイイ男ではないか。それを女にやらせるなんて。
 そんな彼女の心情のことなど知らずに、龍星は神殿での調査にむけて精神統一(せいしんとういつ)をおこなっていた。あのオダマキ博士が自分を頼ってこんなところに向かわせたのは何故か。デスクワークより野外に飛び出して野生ポケモンの実態をレポートすることに生きがいを感じる、フィールドワークの達人が、である。呼吸する研究資料の意図は何なのか。それらを知るには、この時点で、力をむやみに使いまわすわけにはいかなかった。いざというときに発揮できなければ、生まれ故郷に生きて帰ることはできない。
 彼女には悪いが、男の男による男らしさを(おが)みたいのであれば、ホウエン地方にいる海魔鮫吉なる者を訪ねてほしい。傍らにいる恋人が納得しがたい視線をむけるであろうが、男らしいしぐさを見たいという願いをかなえるためなら、地の果てまでもついてゆく。その(てい)をつらぬいてもらおう。
 双方ともに都合のいい展開(ストーリー)を望み、自分好みの脚本(シナリオ)を作って事実をねじ曲げようとしている。別な表現(いいかた)をするなら現実逃避であろう。ありもしないことを空想し、悦にいる。それが楽しいという人があれば、もしも話に意味などないと言い捨てる者もいる。現実を見るのが嫌なのならおとなしくベッドの中にもぐりこんでいればいい。無意識の世界に旅立てばいい。さすれば何者にも邪魔されずにすむ。だが、両人ともに、現実世界での生活をやめたいと強く願ってはいなかった。
 ギイと、錆びた金属のこすれる音が鼓膜にふれた。ついに禁断の神殿の扉が開いたようだ。2メートルを超す巨体を揺らして、菘のエースポケモン・ユキノオーが汗に似たできたてのつららを両腕の裏側に生産していた。後援で出たユキカブリ2匹がその場をうれしそうにくるくるとスキップする。
 「大変お待たせしました」
 「お疲れさまです」
 まずはねぎらいの言葉をかけた。ひとまわりサイズが大きいらしいパーカーの袖で額の汗をぬぐいながら、キッサキシティの女ジムリーダーがしたり顔で返した。
 「足もとがすべりやすくなっております。私も最深部までは下ったことがないので、心もとなくて申し訳ないのですが…………」
 シンオウ地方での重要文化財であろう、この神殿の内部にはいることを許されているだけで充分な気もするが、龍星はあえてそのことを口にしなかった。
 「いえ、そのお言葉だけで結構です。ここからはポケモンレンジャーである私の仕事ですので、どうかお気になさらず」
 「恐れいります」
 かさねがさね礼をいうと、2匹のユキカブリをモンスターボールにもどし、菘の頼れる相棒を門番に置かせるという話になった。まあ、体長が2メートルを超えるポケモンがじっと神殿の周辺を見張っていようものなら、危なっかしくて近寄りがたくなるであろう。
 「それにしても、いままでそのようなはでな恰好でいて平気だったのですか」
 ミオシティ到着直後の自分と同じような恰好(ふくそう)をした菘に指摘され、龍星は力なく笑った。それをあなたが言うか。できたらそっくりそのまま返してやりたかったが、飾り気のないボケにツッコミをいれる意識はすでに神殿内部に踏みいれていた。龍星は最敬礼を(ほどこ)した。
 「お気をつけて」
 「ありがとう」
 こうして、龍星は目的地であるキッサキ神殿の中にはいったのであった。鉄の扉は開けはなしにしておくという。単純にまた開けるのが面倒なのだろうと思ったが、せっかくに地上に戻ったというのに扉が閉まった状態では、任務を終えた際の達成感があとかたもなく燃えつきてしまうにちがいなかった。
 両手にライトブラウンのオープンフィンガーグローブを装着している以外は、全身がバシャーモの衣装(コスチューム)に覆われたポケモンレンジャー・天ノ川龍星は、リストバンドの発熱作用ですっかり身体が温まっていた。地下深くへと進んでいくたびに、建物内の温度が−5℃ずつ低下するこの場には、いったい何が待ち受けているのか。
 拳と拳を打ちつけ、龍星は「よし」と気合いをいれた。

野村煌星 ( 2015/03/07(土) 01:13 )