第二章
第二関門
 さて、どうしよう。
 ダイニングルームに導かれてはいったものの、なんとなく重苦しい空気が(ただよ)っている気がして、龍星はダイニングテーブルに置かれた土鍋の内容物に感動の声を挙げるのははばかった。煌良(かのじょ)のほうでも、初対面のときの笑顔にはない疑念めいたものを貼りつけており、たった30分ほどの短い時間で早くも崩壊の序曲が鳴り響きそうな予感がした。
 「お待たせいたしました。どうぞおかけください」
 「ど、どうも…………」
 ぎこちない口調で言われ、疑惑の急行列車はさらに速度を上げた。鍋から沸き立つ湯気の流れは速度を安定させていて、煌良の手料理による旨味(うまみ)は深みを増すいっぽうではあるが、龍星の腹の虫が鳴りをひそめられそうにない。
 自分の椅子を引いてくれ、龍星はおずおずと座った。向かいに煌良が、はす向かいにルナが席につく。ということは、自分のとなりは彼女の父親がいつも座る席なのだろう。これから手をつける食べ物は温かいのに、それを食す人々にまとう空気は()てついていた。
 「お、おいしそうですね」
 なんとしてもこの冷たい空間を解凍させないと味覚も将来もまずくなると思った龍星は、無難なつなげかたを試みたが、うわずったうえに白い吐息のように凍った言葉が出てしまった。
 いっぽうで、煌良は気にしていなそうにおたまをとって、龍星の容器に鍋の具をすくっていく。そして、
 「これが普通ですから」
 さっきまでの親しげな波長はいったいどこへ飛んでいってしまったのか。破滅の足音が近づいてくる気配が止まず、龍星の背中に冷や汗がじっとりと噴き出てきた。姉が怒った場合は、台風一過のごとく、すぐに止むのだが、煌良はちがう怒りの表しかたであった。右手のおたまが小刻みにふるえているような気がした。
 「…………」
 何かを言おうとして口をぱくぱくさせるだけしかできなかった。相当にお怒りのようだ。となりに座るルナがそんな育て親を見て呆然としている。専用の容器に山盛りにしてあるボケモンフードは束の間の休息をえているが、気休めにはならない。
 「こんな状態で月城秘輝さんが帰ってきてしまったら、あまりの異様さに牙を()くかもしれない」
 悩んだところで杞憂に終わる。それは相手が快くしてくれているのに無用なことを考えたときに適用される励ましであって、すでに騒然としたなかで通用するたぐいのものではなかった。
 ましてや、自分の娘が暗い表情でいて、その正面には旧いお友達のご友人≠ェ気まずそうにしているのだから、そのような男に疑いの目と罵詈雑言(ばりぞうごん)の息吹が向かないわけがない。無意識のうちに龍星の呼吸は荒くなっていた。
 「ただいま、煌良」
 玄関のほうで力強い男声がこだました。ついに帰ってきてしまった。空気の流れは確実に変わるであろうが、それがどの方角へ向かうかまでは見当がつきそうにない。
 普段なら出迎えに行っているのかもしれない。一瞬だけ身体が動いて、その場で持ちこたえた。あえて動かずに父親の判断に従うことにしたのだろう。こんなときまで冷静に状況を把握しようとする自分がなんだか可笑(おか)しかったが、顔には出さなかった。
 「どうしたんだ、煌良…………!?」
 扉の開く音がダイニングルーム全体にひろがった。それほどまでに静寂さが支配していたのである。
 龍星の予想したとおりの地獄絵図が、煌良の父親の視界にはいった。うつむき加減になって膝小僧(ひざこぞう)をぎゅっとつかんでいる愛娘、その前で恐怖という色の絵の具で顔面を塗りつぶした旧いお友達のご友人=Aそんな2人になすすべもなくポケモンフードをひたすら見つめつづけるルナ。
 「!!」
 煌良の父・月城秘輝の行動は疾風迅雷(じっぷうじんらい)のごとし、であった。まっすぐに突き進んで、龍星の両肩を捕らえたのである。逃げる気は毛頭(もうとう)なかったが、この時点でもう逃げることは不可能になった。
 「……………………!!」
 「……………………!?」
 「……………………!!」
 「……………………!?」
 この時よ、早く過ぎ去れ!! どこにいるのかもわからない時間の神にとりすがったが、言いかたに尊敬の念がちりひとつふくまれていなかったせいか、龍星の願いはかなわなかった。両肩の骨が(きし)んだ音が聞こえたようなきがしたが、折れていなかったとしても秘輝の握力が半端ではなかったので、それなりに激痛が走ってはいた。
 「……………………!!」
 「……………………!?」
 「……………………!!」
 「……………………!?」
 昨夜のテレビ電話での緊迫感と同様の、短いようで長い時間が過ぎていく。歯を剥き出しにしてはいないにせよ、それで補ったように目力(めぢから)が鋭かった。龍星は視線すらずらせてもらえなかった。
 「……………………!!」
 「……………………!?」
 「…………煌良、彼は慚愧の念に駆られているようだ」
 「…………ザンキ??」
 秘輝は急に力を弱めて龍星の両肩から手を放した。
 「よからぬことをした事実は認めているし、何よりそのおこないを恥ずかしく思っていた。だから、心配しなくていい」
 父親が安心させるようにいうと、娘の煌良は緊張を解いたようで、膝小僧から手を離したかわりに両頬にふれはじめた。彼女はまたもや顔色を赤くしていたのである。その横でルナもほっとしていた。
 「きみが鮫蔵のせがれの友達だという、天ノ川龍星くんだな?」
 鮫蔵とは鮫吉の父親のこと、せがれはその息子・鮫吉、友達は言わずもがな。その友達は首がもげそうになるくらい上下に激しく振った。そのおこないは恐怖からくるものではなく、信じてほしいという懇願そのものであった。
 「よろしい。君の仕事のフォローはわれわれに任せなさい」
 「……ありがとうございます!」
 龍星は、いちど煌良に勧められた席を立って頭を思い切り下げた。が、上のほうから失笑が聞こえてきた。
 「そうかしこまらなくてもいい。たとえ生まれ育った場所がちがっていても、われわれは困った人やポケモンに、できるかぎりの協力を惜しまないつもりだ。大船に乗った気でいてほしい」
 末恐ろしくなるほど親切な父親がいるものか。最初こそ龍星は疑っていたが、目と目を見つめ合っただけで直感した洞察力と、仮に自分自身が心にまで嘘のもやで覆っていたとしても、それを払拭(ふっしょく)するのではなく包容する器のでかさが彼にはある。あらためて父親の偉大さを龍星は知った。
 「あ、天ノ川さん…………!」
 今度は煌良(むすめ)の番か。龍星が首を水平に右に60度傾けると、なんと涙を流しているではないか!
 「あの、その…………!!」
 なんて声をかければいいのか。とりあえず謝罪の言葉を吐き出せばいい、という、やや投げやりな思いでいたわけではないが、それを言うことすらままならない状況になってしまい、龍星はふたたび口をぱくぱくさせるしかなかった。いつの世にも、女の涙にとまどう男はいるものだ。
 「煌良、やはり彼のことを赦せないでい…………!!」
 「ちがう!!」
 秘輝の大きな身体に負けないくらいの、大きくて高い声で、煌良が否定する。
 「ちがうの、お父さん!! わたしは、いちどは信じた天ノ川さんのことを…………!!」
 そうして煌良は泣き崩れてしまった。大粒の涙が真っ赤な頬の上を流れて、手前のテーブルの下にある食器の中にしたたり落ちていく。そこには龍星のためにすくった分があった。
 「あっさり疑ってしまった自分が、赦せなかったの…………!!」
 「……………………!!」
 この女性(ひと)は、健気な心そのものに生命(いのち)が宿っているような、稀少な存在(ひと)なのかもしれない。純粋で、混じりけがなくて、自分よりも他者をたいせつに想うような、そんな女性(ひと)なのかもしれない。そう思うと、龍星は、自分がやらかしたばかな真似について、よりいっそう恥じた。
 「ごめんなさい…………ごめんなさい…………!!」
 いよいよ両手で顔全体をかぶせるように泣いてしまい、龍星は何もできなくなってしまった。代わりにルナが身を乗り出した。クゥン、と弱々しそうに啼きながら、隙間から漏れて流れていく悔恨(かいこん)の結晶を舐めていく。
 だが何もしないまま時を過ごすわけにもいかない。龍星は秘輝のほうに向き直る。
 「月城秘輝さん」
 「?」
 「申し訳、ございません…………!!」
 「…………」
 彼も何も言わなかったが、全面的に赦すわけにもいくまいという顔つきではあった。 協力はする。だから全力で事をなせ。龍星にはそう読みとれた。
 「ルナ……」
 「アンアン」
 泣かないで。人語に直訳すればそうであったにちがいない。
 もしも自分にもあの青白い光を宿わせていたら、ルナの激励の声が聴けたであろうに。自分(わたし)にはなくて、龍星(かれ)には備わっていて。煌良は、単純に、龍星の波導(ちから)をうらやましく思った。
 「ありがとう…………!!」
 「アン」
 ルナは小さき身で煌良を抱きしめようとした。だが、結果的には煌良に抱かれるかたちとなった。腕の中に収まっても、ルナは煌良をなぐさめるのをやめなかった。
 「ルナ、ルナ、もう大丈夫……、ふふふふふ」
 ルナはひたすら舐めまわしつづけた。煌良の悲しげな表情を消すために。龍星とはじめて会話を交えたときと同じ笑顔が見られるようにするために。
 「あははははは!!」
 彼女の声に明るさが灯った瞬間、ルナは舌を引っ込めた。そして、それとは別に頬ずりを開始した。
 「ルナ、ありがとう!! 本当に、ありがとう!!」
 「アン!!」
 煌良はふたたびルナをめいっぱい抱きしめた。ルナの啼き声もうれしそうだった。
 「これにて一件落着かな」
 「月城秘輝さん……、その、なんというか…………」
 煌良は元気を取り戻したが、龍星がいまだに立ち直れずにいた。宿泊の許可をえて、協力の要請をえて、でも信頼を失って。自分が犯した罪はそれ相応(そうおう)の罰を受けなければなるまい。仕事をまじめに遂行するのは大前提であって、それ以上の償いをせねば気がすまなかった。
 しかし、龍星のそういった責任感にたいして、煌良の父親はまた失笑した。
 「きみは実直な男だな。もう赦したんだ。そんなに気負わなくていい」
 ですが、と言いそうになったのをこらえて、龍星はふと煌良のほうを見た。すっかり泣きはらした顔と化していたが、さんざんにぬらしつくした涙がきらりと光ってきれいに見えた。さらに彼女の笑顔が相乗効果となって、龍星の顔全体を熱くさせたのであった。
 「わっはっはっは!! お前たちはとてもよい関係になりそうだ!!」
 最後に、父親のよけいな一言で、龍星・煌良の両者が臨界点を突破するほどの赤みを発生させた。まるでりんご病でも発症したかのようなありさまである。しかし、すさまじいできばえになった互いの顔があまりにも可笑しくて、しまいには3人とも大口を開けて笑っていた。ルナも、両手全体に波導を展開させて喜びを(あら)わにしていた。

野村煌星 ( 2015/02/28(土) 20:32 )