第二章
ここにて一服
 連絡船の客席はものの見事に空きが多かった。龍星はよさそうな席を見つけて座したとたん、寝つけなかったぶんを取り戻すために無意識の世界へと旅立ってしまった。
 出港の汽笛(きてき)が鳴る。壁のほうに頭をもたげて眠り込むホウエン地方出身のポケモンレンジャーを揺らして、シンオウ地方行きの連絡船は大海原(おおうなばら)を裂くように発進した。





 やれやれ、私たちの願いがやっと届いたようだ。
 ……皮肉なものだ。夢の中に囚われている私たちが、他人(あいて)の夢を(かい)して希望を託しているのだから。さいわいなことに、受取人(あいて)は真剣に私たちの願いの意味を考えだしてくれている。このまま意識することをやめなければ、残りわずかな体力をもってして、彼に真実を伝えられるはずだ。あとは、奴の目をかいくぐるだけだ。

 奴は日に日に力をたくわえていっている。いや、ちがうな。私たちの生活を(おびや)かし、奪っていっているのだ。私にもっと力があれば、と思うのはとんだ自己過信なのかもしれない。そうかもしれないが、私たちに残された時間を踏まえると、そう思わずにはいられない…………!

 どうか急いでほしい!
 その身で空を飛ぶことができたらどんなにいいかと思う。夢と現実をつなぐ架け橋となって生きるのに、この肉体(からだ)ではあと何日もつか知れない。この肉体(からだ)が、この精神(こころ)がなくなってしまったら、私たちは二度とあの子を(まも)れなくなる!!

 どうか届いてほしい!



 どうか、どうか……………………!!





 連絡船の汽笛がけたたましい音をたてて鳴り響いた。龍星はそれで目を覚まし、丸く(ふち)どられた窓から景色を見渡した。ホウエンの空にしては薄暗く、ホウエンの海にしては青黒い。だがどこまでもつづく水平線だけがゆいいつ変わらないものであった。
 よく見ると景色が止まって見えている。船がどこかの港に停泊したのだろうか。そう思っていたら、じきにアナウンスが流れた。それによると、連絡船のスタッフの休憩が終わりしだい再出航するとのことだった。
 しばらく丸い窓からの風景をぼんやりとのぞいたあと、龍星は制服の左の内ポケットからふたたび手帳とペンを取り出し、たったいま見た夢の内容を簡単に写した。

 ・希望
 ・願いの意味
 ・真実
 ・奴
 ・夢と現実をつなぐ架け橋
 ・あの子

 1番めと2番めと3番め、これらはほとんどニュアンスが近いように感じられる。
 4番めの奴≠ヘ声の主たちにとっては危害を被らせる存在、つまり都合のいい存在だというわけだ。力をたくわえていっているというが、具体的には何のことをいっているのかがわからない。いまの龍星が思いつく力はせいぜい波導(はどう)ぐらいだった。
 5番めは新しい手がかりである。現実は意識、夢は無意識と分けて考えてみると、夢の声の主はどちらの世界でも意識をはたらかせていることになる。はたしてそのようなことが可能なのか。全体論的にいえばできなくはないのかもしれないが、それはあくまでひとつの思想(かんがえかた)であり、机上の空論に過ぎない。では彼が口から出まかせをいっているのかというと、そうであると断定できる根拠があるわけでもなかった。
 「架け橋…………」
 橋渡しというように、橋には仲立ちの意味もある。昨夜(ゆうべ)、自分の宿の交渉を買って出てくれた鮫吉がまさにそうであり、彼のおかげで事態は解決したのである。
 ということは、声の主が自分に思念(おもい)を通して伝えているのは、自分を現実の世界から何らかの方法で夢の世界へと連れ出そうとしているのではないか。もしそれが実現できるのだとしたら、彼のいう力とはいったい何なのか。
 「……………………」
 手帳とペンをしまい、龍星は左手を開いてそこに神経を集中させた。すると(あわ)い青白い光がぼんやりと現れた。
 「彼も、波導(はどう)が使えるのかな」
 物心ついたときから、龍星はこの力を使うことができた。しかし、どのように使えばいいのかがわからなかったし、何の得があるのかも不分明であった。それに、自分以外の人間には備わっていなかったようだったので、かるがるしく伝えでもしたらいじめられるのではないかと思い、その力の正体がわかるときがくるまで、ひたすら隠しつづけていたのであった。ポケモントレーナーをやめてポケモンの生態について学んでいた頃、淡い青白い光にはちゃんとした名前があたえられていたことを龍星は知った。
 波導(はどう)。距離の遠近や視界の有無を問わずに物体を感知できたり、発動者自身の身体能力を強化することができたりと、波導を覚醒(かくせい)させた者は、普通の人と比べて、運動神経が鋭かったり運動能力が高かったりするのだそうだ。どういう過程があって覚醒するのかは、かなり謎の多い未知の力であるためか、いまだに原因がきちんと解明されていない。
 ちなみに、生まれつき波導を所有していて、かつ器用にコントロールできるポケモンがシンオウ地方に生息していることも勉学中に知りえた。なんと種別が波導ポケモンという、そのままのネーミングで、正式名称はルカリオ。その前にはリオルという進化前のポケモンがいるが、波導の使いかたが不慣れで、喜びや悲しみといった感情を波導の光の加減で(しら)せることぐらいしかできなかったりする。
 「ふう……」
 龍星は波導を発動させるのをやめ、ゆっくりと座席を立つと、甲板(かんぱん)のほうへと出ていった。





 船上から吹く潮風が気持ちいい。冷房の効いた船内も心地いいが、やはり屋外の空気とは比較にならなかった。潮のにおいもよく、港町で生まれた人間にはとても落ちつく感覚だった。
 手すりの近くでたたずんでいると、キャモメの群れが頭上付近を流れていくさまが見られた。クークーと啼く彼らを目で追う。手すりより30m先の海上で上昇気流に乗り、滑空していた。
 「空を飛べたら、か…………」
 夢の中の声がいうとおり、空を飛ぶことができたら連絡船に乗る必要はないし、あっという間に目的地にたどりつけるだろう。そして、テレビ電話に出た彼女のおもてなしを受けて…………
 「月城キララさん、だったっけ」
 制服の右の内ポケットから例の封筒を出し、もういちど鮫吉の筆跡を凝視(ぎょうし)する。あの強面(こわもて)が書いたとは思えないほどの達筆で記されたそれには、ひと目見たときに感じた彼女のイメージに沿ったものがあった。
 「きれいな人だったな…………」
 そのとき、自分でいったことに多少の恥ずかしさを覚えた。人の名前を(おぼ)えるのが苦手なのはもともとだが、その人にたいする印象はしっかり持っていて、しかも「美人」と評するとは。女性にたいして免疫がないわけではないが、長く深く付き合ったことがあるのは姉の明美くらいで、それ以外はそのときかぎりで終わらせるような、とてもドライな接しかたをしていた。女性がきらいなのかといわれればきらいではない。ただ、生きている世界がちがうとは思っており、ポケモンのように生態を観察するにしても倫理などの問題で調査をすることはできないとあきらめていた。
 「雷次との約束は、どうしようか」
 はっきりとした約束ではないが、楽しみにしていた休暇(きゅうか)のいくらかをなくされたことに不満を覚えた五十嵐雷次が、ある条件を持ちだした。それは月城煌良にたいする客観的な特徴を報告することだった。たったいまつぶやいたのは主観的なものであるし、男ならば似たようなリアクションになるから、報せたところで、「それは女の基本みたいなものだ。プロフィールシートの特技の(らん)に空気を吸うとは書かないだろう?」と返されるのがおちであるにちがいなかった。
 「おや、龍星くんじゃないか」
 聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、そのほうに顔を向けると、雷次によく似た外見の男が人あたりのよさそうな顔つきで立っているのが見えた。むろん、龍星はその人のことを知らないわけがなかった。
 「風太さんじゃないですか」
 「偶然だね。その恰好だとこれから任務なのかな?」
 「ええ。まあ任務というよりは頼み事ですね。オダマキ博士直々の、ね」
 「そうだったのか。それは大変名誉(めいよ)な仕事を預かったわけだ」
 名誉なことなのかどうかは、龍星にはわからなかった。ただ、ポケモン生態学の()であった時期に、博士とともにフィールドワークの助手として野山を駆けずりまわったことはあって、自分が手伝ったおかげでポケモン図鑑の編集作業がはかどったと褒められてうれしかったという記憶は忘れずにいた。
 「風太さんは非番ですか」
 「ん? まあ似たようなものだな」
 「ムロタウンはめったに事件が起こらないですから、捜査とかの腕がなまってしまうのではありませんか」
 「そんなことはないよ。むしろ事件なんて起こらないほうがいいし、腕がなまってくれればとさえ思っているんだ」
 彼は、雷次より10以上も離れた実の兄・五十嵐風太。ムロタウンで駐在として村の平和を守ってはいるが、彼の言うとおり、事件らしい事件は起こらないし、仮に起きたとしても、集会所のはす向かいに住む老夫婦がけんかをしたとか、村のはずれにある石の洞窟の地下で子どもたちが探検ごっこをして遊んでいたら懐中電灯の電池が切れたとか、些細(ささい)で平和なものがほとんどである。公務員としてはたらくには給料分に見合った仕事をしていないのだから、まじめな性格の人からすれば給料泥棒に思われるのを嫌がるかと龍星は思っていたが、どうやらそんなことはないみたいであった。
 「たしかにわれわれはポケモンや人々の安全を守る職に手をつけて、それに従事している。自画自賛するようでなんだが、われわれのしていることはじつに誇らしいことなんだ。しかし安全を守るということは、それを邪魔する存在の行く手を(こば)むことであり、例外的な場合はその者を排除するまでに至る。この国では発砲は許されずとも、拳銃の所持だけは許可されているが、排除するということはその者が善人であろうと悪人であろうと関係なく始末する――つまりは殺すということだ」
 龍星は黙って風太の話を聞いている。
 「生命(いのち)は尊いものだ。だからこそ簡単に奪ってはならないし、奪わせてもいけない。自分の生命を護るのは最優先事項だが、他人の生命なんてどうなってもかまわないと思うことがいちばん危険なことなんだ。己の欲望を満たそうとする殺人者の心理と変わらないのだからね」
 五十嵐風太駐在の主張が終わると、龍星は自然と手と手をたたいていた。その音が気になってほかの乗船客がこちらに注目したが、かまわずつづけた。30代前半の中堅刑事(デカ)が照れくさそうに微笑む。
 「やめてくれ。拍手するようなことではないよ」
 「いえいえ、感動しました。まさに警察官の(かがみ)というべき名演説でしたよ」
 年上の者を褒めるのはあまりよくないが、「純粋な少年のいうような台詞まわしがお好きなんですか」といったような口は利けないし、「ありがとうございました」と終わらせるのも不自然な気がした。
 「それはともかく、おれがこんなことを言うから、大都会ではなく地方に異動命令が下されるんだろうな」
 「それでいいんじゃないですか。どの社会組織にもあてはまることですが、理想ばかり語る人はそれに相応した行動力に自信をもっていませんし、聞く側も浮ついた気持ちで仕事をしてもらいたくはないですから、適当な役職につけて別の部署に追いだすのです。ただし、理想論をひとしきり述べたうえで実践している人もいます。ただならぬ道のりではありますが、それなりの実績を作って市民との信頼関係もえている人がいないことはないのです。風太さんはその一人です。上層部(おえらがた)の思惑と異なろうと、風太さんの信念を貫きつづければいいんですよ」
 新たな社会機構のなかへと飛び込んでいったとき、その組織での規則を遵守(じゅんしゅ)するよう言いつけられることはよくあることだが、その人の指示と価値観を混同させたがる上司が、5人のうち1人はかならずいる。公私の区別がつけられず、仕事での役割を全うするうえでは必要なことでも、酒の席などにまで持ち込んでくるものだから、神経過敏な部下は露骨(ろこつ)な態度をとる。明らかにようすがおかしい若輩者に、上司は、「何だ、その表情(かお)は!」と怒鳴りつけるが、自分がいままでしてきたおこないを棚に上げており、淡い期待を抱いていた部下は後悔して、なお状況を悪化させようとする。ついには上司の堪忍袋の緒が切れ、「お前らなんて解雇(くび)だ! 二度とおれの前に立つな!」といわれて、はじめて部下の精神(こころ)は休まるのである。
 まじめな気質だからこそ、腐臭の湧きやすい権力機関の上にいる者のやりかたに反発し、完膚(かんぷ)なきまでにたたきのめされて辺境に飛ばされる。つらいからこそ楽をして生きたいという人々の考えかたに合わなくて、自分とはちがうといった理由で排除されるのだ。己の居場所をなくされて喜ぶ人はまずいない。だが、「殺されないだけまし」と、そのときの気持ちを喜ぶ者がいれば、「自分と同じく殺された――解雇された人がいるのに、権力の椅子の座り心地を楽しむだけの奴らはのうのうと生き永らえている!」と、ますます奮起して反撃の準備をはじめる者もいる。10年前にムロタウンの駐在として配属された風太はどちらの道も選ばなかったが、本心だけは後者に寄り添っている。
 「ありがとう。やはり龍星くんは気持ちのいい人だ」
 「おだてても何も出ませんよ」
 「いや、きみみたいな人はそういるものではないよ。龍星くんは今年でいくつになる?」
 「21です」
 「そうか。でも21才だって自分の生きる道を決めるのは難しい。そのときは将来を有望視されていても、月日が経つにつれて、「たいしたことはなかった」と一蹴されるかもしれないし、自分の目指したい職業ではなかったのに、就職活動の一環で開花した才能が先方の目に()まって内定が決まることもある」
 「いまといい、将来といい、その人は不安だらけでしょうね」
 「そう、不安だらけにちがいないよね。でもそれが普通なんだ。人は予定を組み立てたり現状を把握したりすることで近い将来のできごとが見えた気になる。だが、見えた気になっただけで、そうなると決まったわけではない。昨日は難なく支払えたクレジットカードが、その日にかぎって署名の記入を命じられたり、青信号になったから渡ったのに右方から大型トラックが信号を無視して突っ込んできたり、何が起こるかを予測できるなんてことは本来なら不可能のはずなんだ」
 風太と話すとどうしても会話が長くなるのだが、意外とためになると思うときもあって、このような会話をされても龍星は平気だった。まだ話はつづいた。
 「ところが、それは簡単なことだといってはばからない人が大勢いる。どうしてだと思う?」
 質問を振られたので、龍星は間髪(かんぱつ)いれずに答えを打ち出した。
 「いま現在の自分のありさまを(あざむ)くためですかね」
 すると、風太が大きく頷いた。どうやら彼のなかでは正解だったらしい。
 「そのとおりだ。これは悲しいかな、われわれ男性に多いことなのだが、自分は素晴らしい存在なのだとアピールするために、地位や権力をもちいて自慢話をする人がいる。彼らは絶対の自信がないから、他人の称賛をえてのしあがろうとする。承認欲求を満たそうとするんだ」
 「しかし、そのやりかたでは持続しない。ことあるごとに信用できる人間――おもにイエスマンを呼び寄せて話を聞いてもらおうとしますが、それでも彼の欲求は満たされない」
 「未来を予知できると自称する人と、自慢話がやめられない人。彼らに共通するのは…………」
 「不安におびえる自分を殺していることです」
 「うんうん」と二度も首を縦に振ったあたり、どうやら自分の答えは風太の結論と等しいものであるらしかった。
 過ごした時間は彼におよばず、しっかりとした下地がととのった人であるのに、自分のことを「気持ちのいい人」と評するのはけっして謙遜の気持ちからではないのだろう。年下だからといってかろんじて見ることはなく、ひとりの人という見方をしてくれているのだろう。龍星はその心意気(こころいき)をうれしく思った。
 「彼らは、気にいらない他人を消す前に、自分を殺しているんだ。リストカットのような物理的な自傷行為とちがって、目に見えないものであるから、見過ごしがちではある」
 「だが男は基本的にプライドが高い。己の弱い一面を他人に知られるのを極度に怖れる生き物ですから、緻密(ちみつ)な偽装工作を(ほどこ)そうとしますが、簡単にばれてしまいます。何故なら、行動があからさまに不自然だから」
 調子づいて龍星も口数を多くしていうようになってきた。風太はそれを生意気だとは思わなかった。
 「男は黙って背中で語るといっていたのは親父たちの世代だったかな。それはすなわち、行動をもって示せということだったのだろうね」
 「でも皮肉ですよね。弱さを晒すくらいなら開き直るほうを選んでしまいますし、堂々とするにしても恰好悪く見せたほうが楽でしょうに」
 「おれたち男はまず世間体(せけんてい)を気にするからね。そういうところが女性には理解されないのさ」
 「恰好悪いことをすると何故だか恰好よく見えて、格好いいと思ってしたことはだいたい恰好悪くなる。そのへんの使い分けができていないと、いくら行動することが第一だと主張しても説得力がないですもんね」
 「そういうことだね」
 ここでいったん話が中断になった。といっても、だいぶ脱線したような気がする。
 まだ再出港の汽笛が鳴らない。ただでさえダイヤが乱れているはずなのに、大丈夫なのだろうか。カイナシティからの出港を遅らせたのは龍星だが。
 風太がたばこをくわえて火をつけた。やや東からの風が吹き、たばこの煙が西のほうへと立ち上っていく。ふう、と口内にたまった紫煙を前方に吐き出すと、風太の口がふたたび動きはじめた。
 「……で、話は最初に戻るけど、龍星くんは21才という年齢にしては確乎たる信念が根づいているんだ」
 「それは過大評価(かいかぶり)ですよ」
 龍星はそれだけは明確に否定しておきたかったが、雷次の兄は引き下がらなかった。
 「そうかな。きみぐらいの年齢の子は自分の考えの甘さに失望して、幼少の頃から温めてきた夢をあきらめることが多いはずだ。男の子だとプロ野球選手だったり、航空機操縦士(パイロット)だったり」
 自分はポケモンに深く関わってきただけあって、それ一択で生きてきた。ほかにも選択肢はあったと思うときがたまに芽生えるのだが、ほんの一瞬ていどしかもたない。自分にとって最善の道はこれだ。ポケモントレーナーになったあのときから、龍星の答えはさだまっていたので、ほかにはどんな職業があるのか、答えられたとしても指で数えられるほどのものしかなかった。
 「まあ、大半の男の子はポケモントレーナーにいちどはなるだろうが、旅がきつくなってきて挫折した人もいるはずなんだ」
 「119番道路なんかがいい例ですね」
 風太は携帯灰皿に長くなった灰を捨てて、一服し、間を置いてから話を再開する。
 「だが龍星くんはちがう。みんなと同じスタートラインに立って旅をはじめたにもかかわらず、あらゆる逆境を乗り越え、ついにはポケモンリーグ出場をはたした」
 「決勝戦前に辞退しましたけどね」
 「やめはしたが、それまでの冒険の旅で培われた経験が、学者時代のときとか、いまの生活に役立てられているじゃないか」
 「ここまで懸命に生きておいて、うまくいかなかったら殺すだなんて、オレには考えられませんよ」
 「……そう、それがきみの強さなんだ」
 風太が(ささや)くようにいうと、連絡船全体が汽笛の鳴る音でかすかに振動した。ようやく船を出すらしい。
 今度はたばこをくわえたまま、風太はしゃべりだした。
 「ここはね、カントー地方最大の港・クチバシティだったんだよ」
 「え、じゃあ風太さんが上京されたときに…………」
 結局ホウエン地方に流された悪友の兄が、悲しい笑みを浮かべながら答えた。
 「そうさ。でもうまく事は運ばなかった。とかくこの世はままならぬというやつだね」
 それ以後、風太は反対側を向いて、カントー地方最大といわれる港町のようすを見つめながらたばこを吹かしつづけた。
 龍星はそこで風太と別れ、船内にある自分の座席に戻ってもういちど目を閉じた。
 そういえば、風太がシンオウ地方に向かう目的は何だったのだろう。()いてもはぐらかされてしまったし、自分にもいえない重要な任務だったのだろうか。
 休憩時間は30分ほどあったというのにしゃべりすぎてまた眠くなってしまった。今日一日は眠ってばかりだ。そう思ったときには、安眠の園へと(いざな)われていた。

野村煌星 ( 2015/02/26(木) 02:42 )