第二章
旅立つ理由
 東の空がしらんで薄明るくなってきた頃、龍星は家を出て町の船着場にいた。シンオウ地方行きの乗船券を買い、それなりにできている列に並んで、自分が乗る番になるまで退屈な時を過ごす。
 大きなあくびが出た。あれからまだ5時間しか経っていないし、じつのところ、あまり寝つけなかったのだ。
 「何だったんだ、あの夢は」
 龍星は眠たい目をこすりながら、昨夜(ゆうべ)見た夢を思い返した。その世界の特徴は、闇黒(あんこく)、無臭、無風、そして姿なき声音であった。あの声は男性のものだろうか。聞き覚えはなかったが、ひどくくたびれていて、何者かに狙われているようであった。あと、その男の人の子どもの無事をひたすら祈ってもいた。もともと夢見がいいほうではなく、仮に見たのだとしても内容を鮮明に思い出せることもないので、あまり気にしていなかった。いままでは。
 それがどういうわけか、やけに生々しいストーリーと強烈なインパクトのある弱った声が、耳の奥に染みのようにこびりついている。
 人は精神状態が安定していないと、過去に遭遇したつらいできごとを夢で追体験することがあるという。誰かに追いかけられる夢、足もとが崩れて地の底まで落ちる夢、自分に関係のある人が死んでしまう夢。いずれも、その人自身が病んでいる証拠となりえる。両親を不慮(ふりょ)の事故で亡くしたばかりの頃の龍星は、3番めにあたる夢をほぼ毎日見ていた。まだまだ甘えたい盛りの子どもでしかなかった彼が、現実という名の悪夢をまざまざと見せつけられ、母親の代わりとなった姉の明美に行き場のない怒りや悲しみをぶつけて。でも彼なりに現実と向き合う力をたくわえていって、いま現在、異郷の地であるシンオウ地方を目指そうと乗船の順番を待っていた。
 「いちおうメモしておくか」
 龍星は制服の内ポケットから手帳とボールペンを取り出し、さらさらと書き記した。
 「お客様」

 ・知らない男の人の消えいりそうな声
 ・回避不能な死の宣告
 ・あの子
 ・奴

 とりあえずはこの4つだろう。1番めと2番めはともかく、3番めのあの子≠ヘ何故か近いうちにわかるような気がした。問題は最後の奴≠セ。夢の中で語る声の主といい、あの子≠ニいい、奴≠ノとっては都合のよい存在なのか、悪い存在なのか。現時点では判別がしにくい。そうなると…………
 「お客様!」
 「は、はい!」
 正面からいきなり怒鳴られて、龍星の両肩が跳ね上がった。どうやら自分の番がまわってきたらしい。財布の札入れに保持していた乗船券をあわてて船員に見せる。
 「あ、いえ、乗船券の呈示(ていじ)もお願いしたいことなのですが、お客様の後ろにいらっしゃる方が先ほどからお待ちになられているようでしたので、お声かけしたしだいなのです、はい」
 そんなに読点を連続的に使わなくてもよかろうに、と思うくらい、ものすごい早口で弁明され、龍星は面食らった。そして、自分のことを待っていたという背後の人物をたしかめようと振り返った。するとそこには意外な人物が立っていた。
 「鮫吉!?」
 「俺たちの呼ぶ声に気づかないほど、考え事に没頭していたのか」
 「わ、悪かったよ。で、どうしたんだ、こんな時間に」
 彼も昨夜(ゆうべ)の仕事が終わったばかりのはずだ。いい年齢(とし)した酔漢(おやじ)どもの相手をして疲れているであろうに、わざわざ見送りにきてくれたのか。夜明け前の旅立ちにはちょうどいい感動の思いが湧きおこった。彼の足もとでは店番でおなじみのポチエナ――ヴァンが元気よく「わん」と挨拶した。
 「これを、彼女に渡してもらいたくてな」
 龍星は鮫吉に一通の茶封筒を手渡された。表面には月城煌良様≠ニ書かれてあった。
 「彼女って、テレビ電話に出たあの人のことか?」
 「そうだ。彼女は月城秘輝さんの娘さんだ」
 「へえ……」
 「で、それには俺の熱い想いがしたためられてある。勝手に読むなよ?」
 熱い想いと聞かされて、龍星は思わず吹き出してしまった。だが、さいわい、茶封筒に(つば)は飛ばなかった。
 「読むな、といわれると読みたくなるよな?」
 「もし読んだらさらに宿題を押しつけてやるよ」
 「宿題」というワードを聞いて、とっさにあの男との口約束を思い出した。まさかつながっているのか。
 「あれから雷次の野郎に電話で()かれたんだよ。ツキシロナミキという人に娘さんはいるか、とな」
 そのあたりの行動が迅速(じんそく)であるのが、悪友である五十嵐雷次のなせる(わざ)であった。口説きの技倆(テクニック)も一品であるから、たいていの女子は彼の甘いマスクにやられて容易に落ちる。今回は直接的な面識がなかったので、即応するにしても限界が生じたが、鮫吉とぐるになって存在をほのめかした以上はまた顔を合わせることになりそうであった。
 「……あいつには応えちまったのかよ?」
 「事実だしな」
 「で、結託(けったく)もしたのな?」
 「おもしろくなりそうだったしな」
 どうして観客というものはこうも身勝手なのか。自分でやると決めたことに背をむけるような真似はしないが、お客の(がわ)は、「われわれを楽しませることができなくば消えろ」とまでほざいて自己の優越性に浸ろうとする。もっというと、彼らは出演者が「何をしたか」で価値を判断し、出演者の存在そのものを許容しようとはしないのである。自分がその芝居を観なければいいだけの話であるにもかかわらず。
 兄貴分の鮫吉と悪友の雷次が奇妙な仲間意識をもってしまい、主演俳優の龍星は何も言えなくなってしまった。
 「……やめておく」
 「賢明な判断だ」
 さらにヴァンが「わん」と吠えた。龍星には、「それでよろしい」というふうに聞こえた。
 「それにしても、キッちゃんのボキャブラリーの多さにはびっくりしちゃったよ。熱い想いだなんて」
 そこで、鮫吉の背後からゲスト出演さながらの登場をはたした者が明るい声で語りかけた。龍星の姉・明美である。今朝もスバメのウィンディを肩に乗せていた。
 「姉さんもきていたのか」
 「私とキッちゃんがどういう関係か、あなたが知らないわけないでしょう」
 最初はただの幼なじみであった3人は、10代の後半あたりで2人の男と1人の女になった。だが当然、姉と弟がくっつくことはかなわないので、消去法で収まることになる。したがって、龍星がひとり暮らしをはじめた理由のひとつに、鮫吉と明美が本格的に同棲生活を開始したことがふくまれているのは自明(じめい)なのであった。
 ちなみに、「キッちゃん」とは、明美の鮫吉にたいする呼びかたであるのは言うまでもない。
 「それに、私たちが呼んでも気づかないぐらい考えていたのって、ひょっとしてあの子のことだったんじゃない?」
 「あの子?」
 「とぼけちゃって。いまあなたがもっている、そのお手紙に書いてある名前の人のことよ」
 龍星は茶封筒にある鮫吉の手書きの文字をじっと見つめた。すると、そこまで意識したつもりはなかったのに、顔が非常に熱くなってきて、ついには恥ずかしそうに声を荒げてしまった。
 「そ、そんなんじゃないやい!」
 「ふふふ」
 実姉は20才を過ぎても初心(うぶ)なままの弟を微笑ましく思うだけにすませたが、相方の鮫吉は半ば本気で呆れ返っていた。そして、すぐさま嫌味(いやみ)を言われた。
 「お前は本当にピュア・ボーイだな」
 「悪かったな」
 「この際だから宿題を言いわたした奴の講義を受けてみたらどうだ」
 宿題を言いわたした奴とは、むろん五十嵐雷次のことである。
 「何でオレがあんなプレイ・ボーイの生き様を見習わなきゃならないんだよ」
 「あんな呼ばわりするがな、奴のエスコートのしかたはたいしたもんだ。俺なんかよりよっぽど(ひい)でている」
 「そんなことないよ。キッちゃんのほうが上手だから」
 「はいはい、ごちそうさまです!」
 なんだか面倒なことになってきた。後ろのほうで時間を気にしている船員に乗船券を見せて、さっさと船の中に逃げ込みたくなった。というより、実際、自分のせいでダイヤが乱れているなとも思い、月城秘輝の娘宛ての手紙を制服の内ポケットに突っ込んで、熱すぎて離れたくなる幼なじみカップルを避けるようにして急いだ。
 「わん!」
 ヴァンが大きな声で()いた。いくら船着場のロビーといっても、朝の5時であると雑音よりも静寂のほうがまさる。だがよく通るおかげで、龍星の立ち去ろうとする合図がよくわかった。
 「行ってくる!」
 「おう、手紙はたしかに託したぞ」
 「風邪(かぜ)だけは引かないようにしなさいよ」
 「わんわん!」
 「ピピーッ!」
 それぞれの別れの挨拶を受けて、龍星はようやくシンオウ地方行きの連絡船に乗った。改札係の船員が封鎖する。
 「……うまくいくよね?」
 しばらく会えない弟の身を案じるように明美がつぶやく。
 「あたりまえだ。俺たちがあいつを信じないでどうする」
 それにつづいて、「わん!」と答えるヴァンと、「ピピッ!」とさえずるウィンディ。どちらとも、人間の言葉に翻訳すると、「きっと大丈夫だよ」である。
 「そうだよね。大丈夫だよね」
 「ああ」
 さあ家に帰ろう。そう鮫吉が告げると、2人と2匹はムロタウン行きの船に乗る準備をしはじめた。ロビーの窓から見える太陽がちらりと顔を出していた。

野村煌星 ( 2015/02/25(水) 14:35 )