第八章
待っている
 龍星と煌良の状態がよくなり、自由に外を歩きまわることを許されたのは、事件が解決してから2週間後だった。背中や尻の褥瘡(とこずれ)は消え、体調も万全で、ミオシティの町医者から退院の許可がえられたのである。
 龍星は日頃から身体を鍛えているせいか、驚異的なスピードで回復していった。松葉杖や手すりで平衡感覚を養い、徐々にそれらを使わずして歩いたり走ったりできるまでに至った。しかし、煌良はもともと細身であったため、四肢の筋力がさらに落ちてしまって、ベッドから上体を起こすだけで一苦労の日々がつづいた。
 診療所の前で龍星と煌良はほぼ同じタイミングで息を吸い込んだ。涼しくてちょっぴり切ない潮のにおいがした。いつもと変わらない景色であるはずなのに、どこかすっきりしない。とくに煌良は、自宅のある方を向くと表情を曇らせた。
 『煌良』
 ポケモンセンターのある方角から名前を呼ばれ、視線をそちらに移すと、すっかり大人びたゆいいつの家族が心配そうな顔つきで窺っていた。あとから鮫吉と明美がやってきた。
 「よう、ふたりとも、いま出てきたのか」
 「退院おめでとう」
 「ああ、サンキュー」
 年長者の呼びかけに応えたのは龍星ひとりで、煌良は依然として悲しそうな表情を振り払えないでいた。もうこの世のどこにも両親はいない。ポケモンセンターの2階で横たわっていたときからずっと思っていたことだ。両親の死に目に遭っていないし、龍星たちから話を聞いても実感がわかない。むろん彼らが嘘をついているとは思わないが、誤りであってほしいと願ってはいた。
 『煌良?』
 もういちど名前を呼ばれ、反射的にその声を発した者と対する。
 『ぼーっとしているみたいだけれど、大丈夫?』
 人間年齢でいえば10代後半くらいだろうか、ルナは容姿だけでなく声調も大人っぽくなった。亡き父の波導のおかげで進化できたとはいえ、あの頃のルナとかけはなれすぎているせいか、自然な対応ができない。
 「あ、うん、大丈夫だよ…………」
 言葉とは裏腹に元気がないのは誰もが気づいている。おそらく暗いままでいるのはよくないと煌良本人もわかっているであろう。彼女のなかで心の整理がつくまではこのままでいるしかなかった。
 「これからどうする?」
 鮫吉が話を切り出した。
 煌良の両親の葬儀は終わり、龍星の現地での任務も終えたいま、ホウエン地方に帰って報告をすませるのが筋であった。シンオウ地方に未練も愛着もないわけではないが、長居する必要もなかった。
 ただし、それは龍星の都合であり、生活が劇的に変化してしまった煌良(かのじょ)のことを思うと即断即決は危ぶまれた。
 「そのうち帰路につくさ」
 とりあえず龍星はそう返答した。
 じつのところ、診療所で煌良とリハビリをしていたとき、レンジャーベースやオダマキ博士に電話で事情を説明し、まだしばらくシンオウ地方に居座る旨を伝えていた。だいいち、煌良(かのじょ)をひとりにさせるわけにはいかなかった。たとえルナがたくましくなったとしても、煌良(かのじょ)は人間であり、人間の両親は死去してしまった以上、同じ人間である自分が支えにならなければ立ち直れなくなってしまうにちがいないのだ。
 まだ帰らないという龍星の返事を聞いた煌良は、驚いたように彼の横顔を見てうれしそうに顔をほころばせた。
 「そうか。ならば俺たちは先に帰るが、何か頼みたいことがあれば今のうちに言ってくれ」
 粋なことを言う鮫吉に、龍星は煌良のそばから離れ、鮫吉にそっと耳打ちした。聞き終えた鮫吉は得心したように頷き、つづいて明美に耳打ちする。
 「頼むよ」
 「任せておけ」
 内緒話を進める龍星たちの様子を見て、煌良はおそらく今後の自分の在りかたについて協議してくれたのだと悟った。ルカリオに進化したルナを見やると、首を縦に振って安心させてくれた。
 「おふたりとも、今日までいろいろとありがとうございました」
 左右の手を前に添え、煌良は深々と一礼した。すると左右の肩にそれぞれ違う手がかけられた。左肩には明美が、右肩には鮫吉が。
 「煌良ちゃんが元気でいてくれてよかったよ」
 「またあとで会いましょう」
 (こうべ)を垂れたまま煌良は静かに涙を流した。むろん感激して、である。
 それから鮫吉と明美はルナにも声をかけた。いまだに人語を流暢に使いこなす事実に驚きを隠せないでいるが、しばらくすればそれも日常的なものになるのだろう。ルナの首から下のあたりを適度になでまわすと、ふたりの年長者は姿勢を整え、こちらに手を振りながら港へとむかっていった。
 彼らの後ろ姿が見えなくなったところで、煌良はルナと龍星を連れて自宅に戻った。人の気配がない。かろうじて生活臭は残っているが、自分たち以外の住人がいない現状においては空き家に近い印象である。
 あのとき、父親はこう言って意識を閉じていった。
 『煌良の部屋で待っているよ』
 と。この世界での意識を保たせていられるところが自室であったというのか。いずれ思い出の中の世界で生きつづけるのだとしても、まだコミュニケーションがとれる以上、希望を捨てるわけにはいかない。2階へ上がって、部屋の扉を開けてみた。
 そこには黄金色の光で構成された肉親の姿があった。
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野村煌星 ( 2015/06/01(月) 15:27 )