第七章
バトンタッチ
 「煌良さん」
 自分と同じくやせ細った身体になった龍星の顔を見つめて、煌良はうれしそうににこっと微笑んだ。呼びかけた龍星が頬を赤らめる。
 「秘輝さんを助けられなくて、その…………」
 「ありがとうございました」
 たったいま鮫吉と明美に注意されたことを思い、申し訳なさそうにいう龍星の言葉をかぶせるように煌良が礼をいった。
 「天ノ川さんがわたしの夢の中にあらわれて、お父さんと、お母さんと、クレセリアと、ダークライを助けようとしてくれていたところを、ずっと見ていました。お父さんとお母さんはもう手の打ちようがなかったけれど、でも、でも…………!!」
 新しい涙が目もとにたまり、あふれた。龍星(かれ)真摯(しんし)な姿勢は認めたい。できるならそのやさしさに包まれたい。だが、父と母に逢えなくなる現実を受けいれることだけは容易ではなかった。
 現実の世界にもどってきても、なお悪夢を見ることになるなんて、なんて悲しい結末なのだろう。長い事件は終幕を迎えた。ダークライの暴走も止んだ。のに、失ったものも大きく、よりよって自分の家族が崩壊してしまった。
 「お父さん…………、お母さん…………!!」
 『煌良、私はまだここにいるよ』
 「えっ…………!?」
 どういうわけか、煌良は秘輝(ちちおや)の居所がすぐにわかった。やはり家族だからなのだろうか。ただ、父親の姿ではなくルナであった現実(じじつ)には驚いていた。
 『煌良、よく聴いてほしい』
 「お父さん…………?」
 間髪いれずに父親が話を進めようとしたので、煌良はぽかんとしてしまった。
 『私たちにはもう時間がない。もっと話したいことがたくさんあったが、中途で終わってしまう前にやるべきことをすませておきたいんだ』
 死期が近いのか、秘輝の口調がかなり速い。聞き取れないことはなかったが、焦りまくっていることがよくわかり、こちら側もならって胸の鼓動が大きくなった。
 「お父さん、それってわたしにもできること?」
 『……(いや)、お父さんたちにしかできないことなんだ』
 父娘での共同作業でないと告げられ、煌良はしゅんとした表情を作った。どうにもならないことなのだろうと、無理やり自分自身に言いきかせ納得しようとする。が、それができなくてより悲しい瞳になってしまう。
 とりあえずいまは自分のしたいことを優先したいのか、さみしそうにする煌良をおいて秘輝が進行させた。
 『まずは、ルナを進化させる』
 「進化……」
 煌良がぽつりとつぶやく。鮫吉は腕を組み、明美はやや心配そうな顔をする。若干の間を切り裂いたのは岩村冬瓜氏だった。
 「ちょ、ちょっと待ってくれ。進化させるというのに異論はないが、肝腎のルナは進化したいと思っているのか」
 煌良ひとりが首を傾げるなか、その他の者が「うんうん」と頷きながら秘輝の返答(こたえ)を待つ。いっぽう、唐突な発表を促した当人はあっさりと首を縦に振った。
 『すでに心えている』
 「そ、そうか……」
 波導の使い手同士、自分たちの知らないところで密談でも交わして決めたことなのだろう。当事者が決断したのだというなら部外者が介入してはならなかった。
 「あの、秘輝さん……」
 そこへ、鮫吉が躊躇しながら尋ねた。
 『なんだい、鮫吉くん』
 「煌良ちゃんが置いてけぼりをくらっているような気がするんですが…………」
 『ピンときていないのだと思うよ』
 「いえ、たぶんルナちゃんが進化することを知らないのでは…………?」
 明美も加勢して、秘輝の焦りをなだめにかかる。
 すると、明美の「進化することを知らない」というのを聞いて、はっとなった。
 「どうしたのです」
 鮫吉が慎重に()いた。秘輝の残念そうな表情と答えづらそうに口をぱくぱくさせているのに気づき、明美はすぐに悟った。
 「もしかして、煌良ちゃんは…………?」
 『うん、明美くんの想像は私の答えと合致(がっち)していると思う』
 ふたりの想像(こたえ)。それは、煌良にはポケモンの素養(そよう)がほとんどないということだ。弟のように育てたとはいうが、人間(ヒト)とポケモンはそもそも生態型がちがう。
 人間は長いこと自然から離れていても社会さえ築かれていれば生きられないことはない。たとえお情けていどの緑や水たまりであっても風景の一部として満足できてしまうものだ。
 ところが、ポケモンの場合、自然での生活があたりまえの種属(しゅぞく)である。五感をフルに活用させ、全身を動かすのがつねであるから、人間社会に身をおいてばかりいるとポケモンとしての生態機能が欠如してしまう可能性があった。
 煌良(かのじょ)がそういうところを意識していればよかったのだが、いなくなってしまった母親の代わりにルナが寄越され、寂しさを埋めるべく溺愛(できあい)してきたわけである。いちどもポケモン勝負(バトル)をしたことがないのでは、あのような反応が出てしまっても不思議ではなかった。
 「トレーナーズスクールには通わせなかったんですね」
 鮫吉のもっともな指摘を受けて、秘輝が左前肢を額にあて困惑のポージングをとった。
 『当時の煌良はポケモントレーナーには興味がなかったのでね……』
 「煌良ちゃんの自由を尊重した結果、裏目に出てしまったわけですか……」
 と、男ふたりで頭を抱えるいっぽうで、煌良がそのぐらいの年頃にして興味があったのは鮫吉だったのではないかと、明美は推測していた。
 『それはともかく、私はもてる波導(ちから)を尽くしてルナを進化させようと思うのだ』
 「……お父さん、ひとつ尋いてもいい?」
 そのとき、煌良がいまにも泣きそうな表情で質問してきた。秘輝は下唇をきゅっと結んだ。
 「ルナが、その……、進化(シンカ)をすると、お父さんはどうなっちゃうの…………?」
 部屋中がしんと静まり返った。予想どおりといえばそうなのだが、いざ真実を告げるとなると対応に困る。
 「お父さん…………」
 間が長くなればなるほど伝えにくくなっていく。口を動かそうにもかなしばりに遭ったかのごとく、発音がままならない。
 「秘輝さん、お伝えできないのなら、オレが…………」
 『よけいなことはしないでいてもらおう』
 龍星の膝もとを中心に、波導がずしりと鉛のようにのしかかるような感覚に見舞われた。もう残り少ないはずなのに、どこからいまのような質量の波導を発動させたのか。月城秘輝の底力が知れたような気がした。
 『煌良』
 「…………」
 『煌良、お父さんはね…………』

 「お父さんもいなくなっちゃうの?」

 煌良がうつむき加減にいう。そのさまは、まさにルナが孵ったたまごを持ち帰ったときと同じしぐさであった。
 煌良(むすめ)にはわかっていたのだ。どのあたりで悟られていたか、いまとなってはたしかめようがないが、知らなくてもいいことを知ってしまったときの絶望ほど息苦しいものはなかった。
 「いやだよ、お父さんもいなくなっちゃうなんて、わたし…………!」
 だめだ。何も言えない。
 これから死ぬ。この一言が喉に詰まっている。簡単なようでいて、困難をきわめていた。
 秘輝は最後の最後で抜かった。自己を犠牲にしてえられる幸福(しあわせ)などありはしない。とんだ自己満足でしかない。煌良が嫌がるのは常識的な範囲だったからいいとして、何故あのとき龍星(かれ)があそこまで激昂したのか。

 「どうして煌良(むすめ)のために生きようとしない!!」

 死ぬ前に気づいてよかった。(いや)、もっと速く知っていれば別の方法で煌良を救うことができたかもしれない。(いやいや)、螢のときからか。(いやいやいや)、そこに私もいないとだめだったのだ。
 まったく、取り返しのつかなくなった頃に気づくとは。きれいな死にかたなんてするものではないな。もういちどトライできる余裕なんてないが。
 ルナの身体が本格的に光り出した。もう後戻りできないところまできたようだった。
 「お父さんっ!!」
 煌良が手をのばす。と、秘輝みずからが煌良の腕の中に収まった。
 「「「秘輝さん!」」」
 「秘輝おじさん!」
 波導と進化の光に溶けて消えていく。
 「お父さん、いやっ、逝かないでーーーーーー!!」
 『―――――――――――!!』

 ……光が集束(しゅうそく)しルナの全身を変形させた。
 煌良がおそるおそる瞳を開けたとき、そこにはあどけない顔つきのルナはいなかった。正確にいうと、波紋ポケモン・リオルではないポケモンが腕の中にいたのである。
 後頭部に4つの黒い房、左右の前肢の甲と胸に突起物、シャープな耳と鼻の先、リオルの約2倍の体長。この姿が進化したルナなのか。
 「おとう……さん……、……ルナ……?」
 どちらともつかぬ曖昧な呼びかたで目の前のポケモンの反応(うごき)を見極めようとする。そのポケモンの両瞳が開いた。はたしてどうなるか。
 『…………お父さん?』
 「!?」
 『お父さん……、お父さんっ! 本当にいなくなっちゃった…………!』
 「……ルナ、なの……!?」
 煌良はもういちど呼んでみた。まだ確信がもてないのが残念なところだが、正体不明のポケモンである以上、慎重にコンタクトをとらねば危険であった。
 ルナらしきポケモンがこちらを振り向いた。突然目が合ったので、おたがいに、「わっ!?」と叫んでしまう。さらにポケモンは勢いをつけて後退(バック・ステップ)し、龍星の腕の中に飛び込んでいった。すると反動で椅子の背もたれに褥瘡が当たり、龍星は「ぎゃっ!」と短い悲鳴をあげた。
 『ああっ! ご、ごめんなさい、天ノ川さんっ!』
 「いててて…………!?」
 龍星は妙な違和感を覚えた。今度はルナの声が頭の中に響いてくるのである。秘輝の声はもう聞こえない。ということは…………!?
 「ルナ、お前、しゃべれるのか!?」
 「えっ、やっぱり龍星もそうなの!?」
 「明美、お前もか!?」
 「なるほど、わしだけではなかったようだな!?」
 皆で似たり寄ったりな反応を示している。間違いない。このポケモン――波導ポケモン・ルカリオは、月城秘輝の手によって人語を話せるようになったのである。もちろん、ルナという名前の月城家の一員だ。
 『ボクも天ノ川さんたちのいっていることがわかります!』
 「そ、そうか!!」
 「こいつはすげえ!! 奇跡が起こったぞ!!」
 夜8時にせまい部屋の中で歓声が起こった。龍星はその場で拍手し、鮫吉と明美は抱き合い、ルナと岩村冬瓜氏が喜びのハイタッチを交わす。ただひとり状況を飲み込めないでいる煌良が、ルカリオに進化したルナを見て驚喜の表情を露わにし、遅れて両手をひろげた。
 「ルナ!」
 『煌良!』
 ルナは煌良の腕の中にふたたび飛び込んでいった。いとおしそうに抱きしめ、煌良はルナの頭を何度もなでてやる。
 「ルナ、大きくなったねえ!」
 『お父さんのおかげなんだよ!」
 「!!」
 ルナに悪気はなかったが、いまの無邪気な言種(いいぐさ)で煌良の表情は曇天(どんてん)に戻ってしまった。母親は7年前、父親はたったいま、自分たちの前からいなくなった。こんなに厳しすぎる現実を受けいれなければならないのか。
 「ルナ……、ルナ…………!!」
 『き、煌良…………!?』
 煌良のようすがおかしくなり、龍星たちは騒ぎ立てるのをやめた。よくよく考えてみると、ここは病室ではないが、ルナを除いた者は成年をすぎた人間であり、せまい部屋の中で騒ぎを起こすのは非常識的だった。
 それに、煌良の父親がこちらの世界でも意識を閉じたのだ。あまりにも不謹慎な在りようであった。
 「……………………」
 『……………………』
 煌良が小声でルナに何かを伝えているらしい。
 『皆さん、煌良はしばらくひとりになりたいそうです』
 ルナが伝言役として龍星たちに真剣な目つきで申し出た。鮫吉が黙って頷くと、龍星をおぶった。明美は軽い荷物を持ち、岩村冬瓜氏はマントを(ひるがえ)して、各々部屋の外へと出ていく。
 岩村冬瓜氏とは廊下で別れ、鮫吉たちはいったん龍星が眠っていた個室に戻った。鮫吉が買った水を龍星がほしがったからである。そうして紙コップで3杯分も飲み干した。
 階段で1階へ降りると、ジョーイがやや不機嫌そうに、「ほかのお客様のご迷惑になりますので(ry」ときつく注意してきた。あれだけ騒げば外に漏れないはずがない。鮫吉たちはすなおに謝罪してから、ポケモンセンターを発った。

野村煌星 ( 2015/04/05(日) 01:18 )