第七章
月城秘輝
 明美と岩村父子が同時に驚いた。まさか本当に生きていたとはつゆ思わなかったし、このようなかたちで再会することになるとも思わないでいたのだ。鮫吉にいたってはご指名を受けて対話まで成立している。
 死者の霊や魂に語りかけられるのは祈祷師(きとうし)霊媒師(れいばいし)ぐらいだと、いままでは思っていたが、龍星の波導によって道が切り拓かれたとなると、より厄介な仕事が舞い込んでくるようになるのではないかと、明美は心配になった。
 『まずは龍星くんに謝るといい。たしかに私はここに在ってないものだが、弟のように接してきた彼を狼少年のように見てとった君に非があるのは自明ではないかな』
 姿かたちは波紋ポケモン・リオルで、中身は旧友の父親・月城秘輝。実際年齢と精神年齢の差が大きすぎるような組み合わせだった。
 「龍星、すまないな」と鮫吉。
 「気にしないでくれ」と龍星。
 仲直りが速くて雑な感じがしたのは岩村枹大であったが、父親の冬瓜に肩をぽんとたたかれ、「あれぐらいがちょうどいいんだ」とアイコンタクトで諭した。
 ルナの身体を借りた秘輝が前に出てきた。まずは岩村冬瓜氏と握手を交わす。
 『冬瓜さん、こちらこそ世話になった』
 「秘輝さん、まさかあんたとこういった場面で最期を見送ることになるとはな」
 『まったくだ。私がもう少ししっかりしていたらこんな無様なことにならずにすんだのだろうが……』
 すると岩村冬瓜氏が秘輝の右手――ルナの右前肢を両の手でとり、念を込めるように握りしめた。
 「わしはあんたと出会えてよかった。こうして語らうことができなくなるのは至極残念だが、わしはけっしてあんたと酒杯(さかずき)を酌み合った日々を忘れねえ」
 『私もだ』
 ふたたび握手が交わされた。1回めより固かったと誰もが感じた。
 次に秘輝は息子の方を向く。
 『枹大くんは吹っ切れたようだね』
 「おじさん、僕も悪夢から醒めた気分でいるのです」
 『ほう、どうしてだい』
 「僕はそちらの海魔鮫吉さんに負けたくなくて、別の分野で煌良を振り向かせようと躍起になっていました。孤軍奮闘といえばいいのでしょうか、僕は戦ったつもりでいたんのです。
 ところが、天ノ川さんが煌良と知り合ったという事実を知り、煌良のためにできることをしようとしている現実を知り、僕は思いました。僕はただ逃げていただけだ。煌良を振り向かせる前に振られることを怖れて、そんな現実に直面するくらいならと気を紛らわせていただけなんだと気づいたのです」
 『…………』
 クロガネシティのポケモンセンターの2階で、抽象的で根拠のない現実の話を枹大(かれ)に聞かせたことで口論になった。短時間で真実を受けとめられるわけがなかろうと、龍星が軽蔑の瞳で見やってから部屋を出ていったあと、枹大のなかでどういう心境の変化があったのか。どうして急に自転車を貸す気になったのか。当時の龍星はほとんど気にしていなかったのだが、こうして彼の独白を聞くことができて、あの感情的な議論は無駄ではなかったと勝手な解釈をして終わらせられたのであった。
 「煌良は天ノ川さんをえらびました。あとは僕がどうするか。(いえ)、どうしていきたいか。それを決めて、具体的に動くことでしょうね」
 『……そうか。枹大くんがそうしていくというなら、そうするといい。本来、自分のやることは自分で決めるのが自然なのだからね。オトナが知ったふうな口を利くものではないのさ』
 秘輝がルナの右前肢の中指で鼻の下をこすりながら、オトナっぽい口ぶりで告げた。死ぬ間際だからか、怪気炎(かいきえん)をあげて講義口調になっている。しかし、誰もがそのようすに水を差さないのはご愛嬌というもののおかげなのかもしれない。
 「いえ、おじさんには本当にお世話になりました。結果的に僕の恋は終わりましたが、煌良(かのじょ)がいなかったら、僕は次の出会いに向けての下準備がないまま、無謀に突っ込んで散るだけの日々を送ってしまうところでしたから」
 『ふっ、そうだね』
 「ありがとうございました」
 枹大は握手を交わしたあと、深々と頭を下げた。
 『こちらこそありがとう。枹大くんのこれからの出会いに、幸あれ!』
 見た目がルナである秘輝の応援(エール(を最後まで聞き、顔を上げた岩村枹大が決意表明を終えたような晴れやかな表情で、「はい!」と元気よく答えた。
 さらに、秘輝は明美と鮫吉の間に立ち、左前肢をぐっと握りしめて突き上げた。
 『驚かせてすまなかった』
 「ごめんなさい。秘輝おじさんを亡霊呼ばわりしてしまって…………」
 鮫吉が巨躯を縮こませていう。そんな彼のようすを見て、秘輝はおかしそうに笑った。
 『(いやいや)、私が未練がましく生き延びているのがよくないのだ。そう呼ばれてしまっても文句は言えないよ』
 「そんな未練がましくだなんて…………!」
 明美がひざを突いて秘輝に抗議めいた視線を向ける。それ以上の卑下をしないでほしいという無言のメッセージが伝わってきた。
 『あなたが鮫吉くんの幼なじみだという…………』
 「はい、天ノ川明美です」
 『天ノ川……? では龍星くんのお姉さんか』
 「その節は愚弟がたいへんお世話になりました」
 愚弟の意味はわかっているつもりだが、心配かけてばかりの世話が焼ける弟という含みがあるような気がして、枕を背もたれにしてベッドの上に座している龍星は複雑な気持ちになっていた。ルナの姿をした秘輝と目が合うと苦笑いを向けた。
 『(いやいやいや)、龍星くんはできた(ひと)だ。煌良(むすめ)のために東奔西走駆けずりまわってくれたのだ。これで安心してまかせられるというものだよ』
 「まかせるって、何をですか…………?」
 と明美が尋ねようとしたところ、またもや「わーわー!!」と叫ばれた。今回にかんしてはTPOをわきまえなかった自分に非があったなと苦笑したが、いまだに正直な気持ちとまともに向き合えていないらしい。いいかげんすなおになるべきであろうに!
 「どうしたの、龍星?」
 「な、なんでもないよ」
 「なんでもないわけねえだろう。煌良ちゃんをまかせるということは…………?」
 いまこの瞬間が人生において最大のいやな瞬間であったかもしれない。鮫吉も明美も、はては岩村父子も、自分がどれだけ煌良(かのじょ)のことを想っているのかを知っていて、わざと公開処刑にもっていこうとしている。
 その場のノリは大事だと煽る者がいるが、あくまで自分は第三者であると安全地帯から離れようとせずに傍観を決め込む無責任な愚者の思惑に乗っかってやる義理はない。だます奴よりだまされた奴のほうが悪いという、低次元なレベルの思想の毒の息にかかっては生命(いのち)がいくつあっても足りないであろう。
 こういうとき、当人たちは、「冗談を本気にしやがって」と反省の色を見せないことが多々ある。だが、そういう輩こそ、危地に立ったときにつるんでいた者たちに裏切られるのである。自分可愛さゆえに乗り換えることなど、彼らにとっては造作のないものなのだ。
 1対4という圧倒的不利のなか、秘輝は、
 『オトナげないことはよしなさい。いい年齢(とし)して、困っているところが可愛いだなんてサディスティックなことをしてどうするのです』
 とたしなめてくれ、龍星は安堵のため息をついた。味方になってくれたというより、秘輝の価値観でかたづけられたのであろう。多数派が、「あはは、冗談だよ」といった笑声を投げかけてくる。
 と、ルナの身体が淡く輝き出した。
 『私がルナの身体を借りたのは、君たちと最期に話がしたかったからだけではないんだ』
 「では他に目的があったのですか」
 鮫吉が代表となって尋ねる。
 『そうだ。いま、ルナには眠ってもらっている。ルナはまだ波導をコントロールできない。制御のしかたはあとでしっかりやってもらうとして、私はこのルナに波導を明け渡して現世を去ろうと思っていた』
 「えっ!?」
 「で、では、一刻も早く煌良を目覚めさせないと!!」
 岩村父子が焦り出す。とっくに死んだと思っていた人が成仏せずにここにいて、やり残していたことをやりたいといきなり告げてきたのだ。てんやわんやとならないほうが不自然であった。
 「龍星、お前は立て……ないよな?」
 「ああ、悪いがおぶってくれないか」
 約3日寝込んでいたおかげでできた褥瘡(とこずれ)、体力の低下、筋肉の弛緩(しかん)などのせいで思うように動けないことは、目覚めたときに気づいていた。

野村煌星 ( 2015/04/04(土) 16:37 )