第七章
ここにいる
 午後5時すぎ、龍星はベッドの上で目覚めた。はじめに視界にはいった天井、次に壁、床、ベッドシーツ、枕カバー。何もかもが白で塗り固められた個室の窓際で横になっていたようだ。窓からはゆいいつ茜色(あかねいろ)の夕日が射し込んでいた。
 龍星は身体を起こそうとして、力がはいらないことに気づいた。妙に背中も痛む。
 「りゅ、龍星っ!?」
 個室の扉が乱暴に開かれた。そこには桃色の髪をした女性が驚愕の瞳で自分を見つめていた。
 「姉さん、どうして」
 ここにいるんだ、とまでいうことができず、龍星は姉に抱きつかれた。やたらと執拗に頬ずりしてくるので、「やめてくれ」と(わめ)きたかった。が、ぼろぼろと涙を流しており、無理やり引き剥がすこともできなかった。
 「ばか!」
 「姉さん…………!」
 「あなたって子は、どうして心配をかけさせるようなことをしでかすの!」
 子といわれるような年齢ではないはずなのだが、自分を除いた家族がいなくて、しかも姉である以上はそういう言いかたが適用されてもおかしくはなかった。
 「ごめん、なさい…………」
 龍星はすなおに謝った。
 「…………本当に、無事で、よかったーーーーっ!!」
 わんわんと泣き崩れる姉の姿を見、龍星も泣きそうになった。と、そこへ、荒々しくのばした黒髪の大男があらわれた。寒いのか、見慣れぬニット帽をかぶっていた。
 「龍星、気がついたか!!」
 「さ、鮫吉も!?」
 むろん彼らだけでない。新月島で別れた五十嵐風太、彼に身柄を引き渡されていたルナ、月城家とは旧い付き合いの岩村父子(おやこ)がせまい個室にぞろぞろと姿をあらわしたのである。この中で最初に声をかけてきたのは風太だった。
 「黒幕との折り合いはついたのかい」
 「ええ、もう大丈夫だと思います」
 彼は黙って頷くと、「あとを頼みます」と抱きかかえていたルナを岩村冬瓜氏に預け、捜査のつづきをおこなうために部屋を出ていった。
 「オレは何日ぐらい眠っていた?」
 「3日かな」
 「……今日はたしか」
 「9月15日だ。といっても、もう夕方なんだけどな」
 鮫吉の口調がいつもよりやさしい。別に病人というわけでもないというのに、こんなところに大所帯で見舞いにきてくれるとは。
 「何かほしいものはない?」
 明美が涙声で尋ねる。
 「……水を」
 「そうね。飲み物がなかったわ。買いに行ってくる」
 「俺が行く」
 すかさず鮫吉は明美にハンカチを手渡した。つらそうな表情(かお)は他人様に見せるものじゃない、といって、鮫吉が代わりに出ていく。
 そんなやりとりを傍で見ていた岩村枹大氏は、自分がいままでしてこなかったことを自然体でこなせる鮫吉が羨ましくてしょうがなかった。
 「天ノ川くん」
 これは岩村冬瓜氏の声である。
 「その……、秘輝さんを助けてくれてありがとう」
 「……その言葉を聞いて、どこかで秘輝さんは喜んでくれていますよ」
 龍星が微笑みながら返答した。闇黒天国(あそこ)≠ナ別れたきり、彼の姿を見てはいないが、案外近くでいまのようすを観察しているかもしれない。龍星はそう思った。
 「僕も……」
 今度は息子の枹大が口を開いた。
 「煌良を助けてくださって、ありがとうございました…………!」
 枹大の謝礼に対しては無言の笑みで応えた。何故かというと、口の中がかわいてしまって、うまく話せそうにないと思ったからである。
 「アンアン!」
 そのとき、岩村冬瓜氏の腕の中からルナが飛び出した。明美のいるところの反対側にまわり込み、青くて短い尻尾を振りながら両手に波導をちらつかせてきた。
 「ルナ」
 「アン!」
 ルナが左前肢を差し出した。意図的に右前肢を表に出さないようにしているのだろうか。風太の部下の不注意で残ってしまった火傷の十字傷を見せたくないのかもしれない。
 龍星はルナの左前肢を握った。心地よい波導の温かさが感じられた。
 「ルナ……」
 突如ルナと龍星の頭の中で聞き覚えのある声が響いた。
 「な、秘輝さん!」
 『お父さん!』
 ふたりが同時に叫んだので、明美と岩村父子は動揺を隠せないリアクションをとらざるをえなかった。
 「ちょ、ちょっとどうしたの!?」
 鮫吉が貸してくれたハンカチで目もとや頬の涙を拭っても依然として顔が赤いままの明美は、身体の前半分を乗り出して龍星の興奮を落ちつかせようとする。
 「姉さん、オレは大丈夫だから!」
 「大丈夫なものですか! ここにいるはずのない人の名前を呼んで!」
 『グルルルルルル…………!!』
 明美の否定的なもの言いが繊細(せんさい)な心を刺激させたのか、ルナが唸り声を出して威嚇(いかく)しはじめた。歯列(しれつ)を剥き出しにして怒る姿を、岩村父子ははじめて見たような気がした。
 「えっ、本当に大丈夫なの?」
 第三者からすれば異常事態であることに変わりはないのだが、波導を操る者たちにとっては常識的なコミュニケーションであり、それを邪魔した明美に怒りの刃を向けるのは至極当然なのであった。
 ということは、自分たちの目には見えていないだけで、月城秘輝はそこらへんにいるのか。岩村父子があたりを見まわす。
 「龍星、いちおう2リットルの水を買ってきたぞ…………って、何だ、これは」
 自分が出ていったときとはあまりの変わりぐあいに、大きめのビニール袋に人数分のソフトドリンクをいれて持ち帰った鮫吉が怪訝そうな表情を装った。部屋の上の方に何かいるのか探している岩村父子、手と手を握って驚いた顔を見合わせているルナと龍星、うるんだ瞳で自分に助けを求める明美。とりあえずゆいいつの良心っぽい明美に()いてみた。
 「あ、キッちゃん、どうしよう!」
 「何があったのか、簡潔に答えてみな」
 「なんか儀式がはじまりそうなの!」
 「…………」
 別にそうでもなかった。よけいに事態がわからなくなっただけだった。500ミリリットルいりのペットボトルの緑茶を明美と岩村父子に渡し、サイドテーブルに2リットルいりのペットボトルの水と紙コップをおき、自分の緑茶を手にとって鮫吉はひと口飲んだ。
 「龍星とルナちゃんが秘輝さんの気配を感じとったみたいなんだ」
 「秘輝さんの?」
 ふだんはムロタウンの駐在として暇をもてあましている五十嵐風太の報せを聞いて、明美とともにシンオウ地方にきたわけだが、その報せの内容というのが秘輝の死亡確認であったから、ますます鮫吉の表情に暗雲がたちこめていった。
 「ルナちゃんが唸るぐらいだし、ただごとではないのかも」
 「……それ、まじで言ってんのか?」
 明美の肩がびくっと震える。恋人(おさななじみ)のいうことが信じられないわけではないが、鮫吉は死者を愚弄するような発言が気にいらなかった。
 「おい龍星、いくらお前が波導の使い手だからといっても、死者の魂の叫びが聞こえるとか抜かすようならただじゃおかねえ」
 「ちょ、キッちゃん!?」
 「黙っていろ、明美」
 鮫吉が両瞳をぎょろりと剥ける。明美は恋人(おさななじみ)が本当に怒っているのを直感し、起きたばかりの弟をかばうタイミングを失した。
 龍星は親の死に目に遭っていない。明美と鮫吉は実際に遭っており、両親に悠久の別離(わかれ)を告げて10年がすぎていた。
 けっして死に目に遭っていないことが悪いのではない。もうこの世にはいないという厳しい現実を受けとめようとしない龍星たちの態度が赦せないのだ。自分たちには聞こえたと主張を変えないというのなら、それ相応の手段に出るしかない。鮫吉はずいと歩み出た。
 「アン、アンアン!」
 ルナが痛切そうに吠える。人語に訳せば、『やめて、鮫吉さん!』となるのだが、人の身であり波導を操れない鮫吉には届かない。岩村父子が援護にはいったが、2メートルを超す巨体に圧倒されてしまった。
 「なあ龍星、いっぱしの漢ってのは、現実(いま)を見て怖気づかない奴のことをいうんだ。だが現実(いま)のお前は、肝腎なところで死者の亡霊にすがりつく弱虫じゃねえか」

 『では、弱虫なのは君のほうじゃないのかな、鮫吉くん?』

 そばに近づいた鮫吉が見下すような瞳で龍星をにらみつけたとき、皮肉るような口調で反論する声がどこからか聞こえてきた。やけに落ちついていて親しげで、ずいぶん前に聞いたことがあるものであった。
 『能ある鷹は爪を隠す≠ニいうことわざを知らない君ではないだろう。一流だの二流だのと語る者は自他ともに格づけをすることで価値の差異を明らかにしようとする。そして、多くの者は他者よりも秀でていると思いたいものだ。平身低頭(へいしんていとう)を志望する者は変人か奇人だと蔑むだろうね』
 龍星以外の人々は声の発信源がどこかを探している。聞き手は鮫吉ひとりという特別待遇だが、耳というより頭の中に直接響いてくるこの声が、誰のもので、どこから流れてくるのか、彼らが知りたいのはさしあたりそのへんのことだった。
 『でも身勝手な話だと思わないかい。ちがう存在(もの)同士が生きるこの世界で、優劣や美醜を競うだなんて。あいつなんかより自分のほうがましだとか、腹黒いことを考えているだなんて』
 「…………そこか!」
 鮫吉は見つけた。ラジオの音のごとく紡ぎ出される言葉の羅列は、ルナの口からあふれかえっていた。もしくは、ルナの身体を借りて別の誰かが雄弁(ゆうべん)をのたまっているのだろう。いずれにせよ、非現実的な現象が起きているのはたしかである。
 『鮫吉くん、たったいま、君は龍星くんに漢の定義を語っていた。そして、現実(いま)を見て怖気づかない奴だといった。私の行方を探していたとき、君に恐怖の(そう)が垣間見えたよ』
 「!!」
 ぽたりと、ひとしずくの汗が床にしたたり落ちた。鮫吉の顔面には大量の冷汗が噴き出していた。誰からも漢らしいといわれてきた漢が臆病風に吹かれて動揺した瞬間であった。
 「キッちゃん…………」
 傍らで、明美が憐れむような瞳で鮫吉の横顔を見つめる。すさまじい怒気を感じたのは一瞬で、あとはひたすらに現実を無視したいという気持ちが鮫吉の黒々とした瞳の奥にあった。死者(なみき)がいるなどと軽々しく吹聴(ふいちょう)した龍星を赦せなかった思いも事実だったのであろうが。
 そんな彼氏(さめきち)に愛想をつかすまでには至らなかったが、一人前の男は怖がったりしないと自分でいっておいて、この場でもっとも恐れてしまったのはまずかったとは思った。
 『ただ、ルナと龍星くんにだけ声を聞かせたのは私が間違っていた。すまない』
 ルナの両瞳が開いた。波導が燃えさかる火炎のごとく揺らめいている。
 『……さて、ここまで話したのだ。私が誰であるか、鮫吉くんならわかるだろう?』
 「……もちろん憶えていますよ、秘輝おじさん」
 「「えっ!?」」

野村煌星 ( 2015/04/04(土) 00:56 )