貴方と私で
むかしむかしあるところに、寂しがり屋の神様がいました。
神様は世界を作った一番近い神様から、世界を見守るお仕事を言い渡されました。
そこで寂しがりな神様は時渡りという不思議な力を使って世界を渡り、世界中を見て回りました。
しかしそのせいで、神様は他の神様と会うことがなかなかできなくなりました。
寂しがり屋な神様はお仕事が終わったあと毎日毎日森の奥で泣いて暮らしていました。
あれから三日。アッシュはジム巡りに、リコとカズくんはヤマブキに戻っていった。
わたしはというと、マサラに残り研究所の手伝いや街の子供たちにバトルの指導なんかをしている。今日は久し振りの休みで、明日から再び旅に出ることになっていた。
今は丁度お昼時。わたしは研究所に併設された牧場の一角を陣取り、お弁当を広げていた。軽くピクニック状態である。
みんなは他のトレーナーが預けているポケモンと遊んでいる。ソーヤだけはわたしのそばに残って、しかしつまらなそうにわたしの鞄の飾りにじゃれていた。
『ルナー、何をしているのー?』
「せっかくマサラに帰ってきたからね。ここの風景も描きたいなって思って」
腕に収まっているスケッチブックは、初めて手にしたときより薄汚れている。
それはそれだけ時間が経った証拠であり、それまで歩んできた証でもあった。
遠くの喧噪、傍らの生き物のあたたかさ、草花のにおい。確かにこの世界が存在すると私に教えている。
私は何故戻ってきてしまったんだろう。
こちらにいたらいけないって、わかっているはずなのに。
『ルナ、どうしたの?』
「え、なにが? どうもしてないよ」
『えー? だってルナ、眉間がキューってなってるよ? 悩み事?』
「うーん、なんていうか、わたしがどうしたいのかわからなくなっちゃったんだ」
ここにきたときは、帰りたくて仕方なかった。帰って、センやニーナちゃんのそばに戻りたかった。
でも、今はどっちつかずだ。
『えっとねー、そういうときは、そのとき一番したいことすればいいんだと思う! ルナは今、どうしたいの?』
「どうしたいか……わたし、どうしたいんだろう」
未来であの放送を見たとき、何故か止めなくちゃと思った。
あの人たちは世界のために過去から未来にポケモンを連れて行くと言った。
そもそも、なんで人とポケモンが一緒にいないと世界が終わるのかというのもわからないし、それならポケモンがいなくなった理由を探したほうがいいような気がするんだけれど。
「あーもう。わからないことだらけだ」
『ルナ自身も不思議だもんねー?』
「なーに? わたしが変人だっていうの?」
『リッカがそう言ってたのー!』
よし、夕ご飯はリッカの嫌いな物を出そう。
そういえば、止めなくちゃと思ったことは前にもあったっけ。
あのときは確か……
「トキワの森、だったっけ」
あのときはロケット団を見て、止めなくちゃって思ったんだっけ。悪いことしてる組織だからなのかな? そのときの彼らは何かしていたわけじゃないのに。
でも、未来のあの人たちも、ロケット団も、止めないと悪いことが起きるって確信があった。何故?
考え込んでいると、突如ポケギアが鳴り出した。
着信欄には、こちらでできた友達の名前。
「もしもしルナ? リコよ。今度シオンタウンで会わない?」
「シオンタウン? なんでまた」
「実はあそこでミュウが出たっていう噂を聞いてね。探して見ない?」
「ミュウ? 本当に?」
「だからそれを確かめに行くんじゃない! 三日後に現地集合ね!」
「あ! ちょっと待って! ……切れちゃった」
もう、忙しい子だなあ。
それにしても、ミュウか……! なんだかワクワクするな。
会えたらいろいろ聞いてみたい。もしかすると同じ幻同士、セレビィの情報も知っているかもしれない。
そうだ、一つ思い出した。
トキワの森の長老様が森の民について分かったら来い、みたいなことを言っていた気がする。
「うん、決めた。ソーヤ、リコと会う前に、長老様のところに行こう」
『長老様のところに?』
「うん。今なら……答えてくれる気がする」
『そうだね! 今度はちゃんとセレビィのこと教えてもらおうね!』
セレビィってどんなポケモンなのかなあ、友達になれるかなあ、とソーヤは楽しそうに言う。
可愛いなあ。ソーヤを見てると笑顔になっちゃうよ。
「ルナ! ここにいたんだ!」
「アッシュ! どうしたの?それに持っているのって……タマゴ?」
走ってきた彼が大事そうに抱えているのは、緑の模様がランダムに入っている大きなタマゴだった。
「オムレツどれくらい作れるだろ……?」
『大っきいねー!』
「た、食べたら駄目だよ!? ポケモンのタマゴなんだから!」
「え、これが? 初めて見た……」
言われて、まじまじと見る。ソーヤも、リッカも、センも、同じようにこのタマゴから生まれてきたんだ。
マナフィとかトゲピーっていう例外もあるけど、基本みんな同じようなタマゴから生まれるのでしょう?うーん、不思議だ。
「そうだと思った! さっき育て屋さんで貰ったんだけどさ、何が生まれるかわからないんだ」
「親がわからないってこと?」
「そうなんだ。育て屋さんの前に置いてあったらしくて」
一体誰が置いて行ったのだろう。
ポケモンか、人間か。
親を知らないポケモンって多いのだろうか。
それとも、親とタマゴを引き離すものが多いのか。
「悲しいね、そういうの。親と同じ姿で生まれて、技も使える。一人でも大丈夫かもしれないけれど、やっぱり悲しいよ」
「育て屋さんは、トレーナーが育てられないから置いて行ったのだろうって言っていたよ。そういうことするのって頭にくるね」
タマゴに触れてみる。ここには確かに命がある。
「このタマゴ、どうするの?」
「博士に預けようかとも思ったんだけど……そうだ、ルナが育ててみる? うん、それがいい!」
一人うんうんとうなづいて、アッシュは言う。
わたしが育てる?
出来るだろうか、わたしに。
「ほら、持ってみて」
「うん……」
手渡されたそれを、落とさないように大事に抱える。暖かい。
前にポケモンのタマゴは保育器であるという記事をみたことがある。もう、この中では親と同じ体にまで成長しているのだろうか。
正直に言えば、育ててみたい。でも、生まれてくる子までわたしのわがままに付き合わせることになってしまう。それでいいのかな。
「……アッシュ、もし未来を知って、その未来が良くないものだとしたら、変えることはいけないことだと思う?」
「悪いことだとは思わないよ。だって、僕たちは今を生きてるんだから」
「今、か……わたしにとっての『今』って、どっちなのかな……」
本来産まれた未来世界。今現在立っている過去世界。
わたしの『今』はどこにあるの?
「わたしはここにいる。でも、ここにはいないはずの人間。だって、わたしが産まれたのは未来だから」
「未来……」
「うん。わたしが生まれたのは、ポケモンのいない未来のマサラタウン。わたしの時代じゃ、真白町って呼ばれているけど」
未来を変えようと動いている人たちがいる。
でもその人たちはこの時代で悪いことをしている。
同じ未来人として協力すべきか、それともこの時代の人間として止めるべきか。
わたしの足元はふわふわしている。
「未来にポケモンを連れていく計画がある。でもそれって、突然未来に連れて来られたポケモンたちは怖いと思うんだ。だって、わたしがそうだったから」
知らない土地に放り出されて、周りは知らないことだらけで、家族とも友達とも離れ離れになる。
それは、とても怖いこと。
「だからかな、それを聞いて止めなくちゃって思ったの。でも、それで未来が救われるなら、邪魔したらいけないのかもしれない」
あの時は止めなくちゃ、そう思ったからあの声に従ってここに戻ってきたというのに。
困ったほどに優柔不断だ。
「わたしが止めなくちゃって思うのは、自分勝手だよね。あちらは世界のためって名目があるんだもの。こっちには、感情的な理由しかない」
あのとき、なんでそう思ったんだろう。それをしちゃいけないって、感じたのは何故だろう。
もしかすると、少しだけ時空の叫びの予知能力が残っているのかもしれないな。
それなら、もっとしっかり未来が視えればいいのに。
「あのさ、ごちゃごちゃ考えないで、ルナが思うように動けばいいんじゃないかな?」
黙って聞いていたアッシュが口を開いた。
「ほら、こうやって触れる。この大地に立っている。未来とか過去とか関係ない。ルナは『今』ここにいるんだ」
触られている手から、アッシュの体温が伝わってくる。
風にわたしの髪がなびいた。
わたしは、ここにいる。
「世界がどうとかそんなこと、考える必要はないよ。だって世界を作ってるのは生きている人みんななんだから!」
目から鱗が落ちるというのはこういうことだろう。
当たり前過ぎて忘れていた。わたしが何かしたところで、未来がどう変わるかなんてわからない。
この先、わたしが生まれた時代のようなポケモンがいない世界になるかもしれないし、どこかで歯車が狂ってポケモンがいる未来が作られるかもしれない。
でもそれは、『今このとき』を歩いている人とポケモンたちが選ぶことだ。
「そうだよね、そうだったね! 一人でどうのこうの考えても仕方がないことだね! ……うん、わたしはわたしでやりたいようにしてみる。そうしたらきっと光が見えるはずだもの!」
やるとこは変わらない。
旅をして、世界を見る。それだけだ。
でもそうすればきっといつかは答えにたどり着くんだ。
「ありがとう、アッシュ。おかげでわたしがどうしたいか分かったかもしれない」
「かもしれないなんだ?」
「だって、まだ見てないところがたくさんあるもの! もっと世界をみれば、なんでポケモンがいなくなったのかわかるだろうし、その未来を迎えないための方法もわかるかもしれない!」
未来は未定。
これからどうなるかなんてわからないけど、もしより良い未来が手にはいるなら、それを目指すべきだよね、おばあちゃん。
「よかった、元気になって」
「わたし、元気がなかった?」
「うん。オーキド博士に言われたんだ。ルナがなにか悩んでいるようだって」
「そっか。あとでお礼、言っておかなくちゃ」
未来の象徴とも言える、まだ生まれていない命を抱きしめる。
「この子、わたしに育てられるかな?」
「ルナなら育てられるよ。だって、強いから」
「強い?」
わたしは自分が強いと感じたことはない。
むしろ、弱いと思っている。
「うん、強い。さっきの話が本当なら、いきなり投げ出された場所で、頑張って生きてる。それに優しいからポケモンたちも優しい子に育ってる。きっとそのタマゴから生まれてくる子も、優しくて心の強いポケモンになってくれるよ」
「そうなるといいね……」
早く産まれておいで、一緒に世界を見よう?
もう一度、タマゴに触れる。
この子の両親が大事そうにタマゴを暖めている様子が、視えた。
星の瞬く夜。
祠から出てきたそれは森を抜け、ルナの眠る家に入り込んだ。
それは眠る彼女耳元で囁く。
『貴方にはまず謝らないとね、ごめんなさい』
悲しげに、懺悔をするように。
『でもあのとき、貴方は私の手を取った。歯車は動き出した、もう、後戻りは出来ない』
それは誓い、それは呪い、それは約束、それは契約。
『未来を変えましょう、貴方と私で』
ある日、寂しがり屋な神様に初めての友達が出来ました。
神様はもう寂しくありません。
ですが、それが全ての始まりでした。