ちょっと現実逃避をさせてくれ
誰かが泣いている。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
何をそんなに謝っているんだろう。誰に謝っているんだろう。
ねえ、泣かないで。
あなたが泣いていると、何故かわたしまで悲しくなるの。
だから泣かないで、笑って?
わたしはルナ、あなたは?
――うう……、あれ、わたしどうしちゃったんだっけ……?
こういう時って、天井を見ながら言うべきセリフがあるような気がするけど気のせいだろう。
今回は天井がないからどっちにしろ言えない。
「青い月」
辺りはすっかり夜になっている。長い間気を失っていたようだ。
近くに動物たちの姿はない。放置されたみたいだ。酷いなあ。
起き上がってスクールバッグの中を探る。とにかく時間を確認しよう。
ついでにネットも見ておかなきゃ。今朝見たとき国がポケモンに関する重要なニュースを流すって気になる話があったし。あ、SNSで今起こっていることをネタしてもいいな。両親への言い訳を募集しても面白いかもしれない。
スマートフォンを取り出すと現在の時刻は、26時72分。表示がおかしい。
「壊れた?」
うそー? こんな壊れ方ってあるのー? 仕方が無い、帰るか。今何時なのかわからないけど、母さんにさえ見つかりさえしなければ怒られることも無いだろう。
何となく辺りを見渡すと、ある違和感を感じた。
綺麗すぎる。
周りの木々は手入れされ多過ぎす少な過ぎすちょうど良いのを保っている。
なかったはずの紙垂がつけられてた祠は真新しいとは言えないが、わたしが知っている状態よりも何倍も良い。同じ物のはずだが、心なしか立派に見える。
美しい花までお供えされていて……
「花?」
ちょっと待って、わたし今日は花はお供えしてない、他の誰かが持って来たっていうの?
ていうか、その人わたしのこと無視したってこと? 声かけてよ、こんな真夜中まで外に子供を放置するんじゃない。
全くヒドい人もいたものだ。
誰かが駆けてくる音がする。この足音は動物だ。
『あ、気がついたんだ! よかったー!』
なにこの生き物。
月の光に照らされ銀色に輝く体毛、首回りのふわふわした白い毛、フサフサの尻尾、長い耳。クリクリとした大きな瞳は無邪気に笑っていた。
仮にウサギもどきと呼ぶことにしよう。
でもなんか見たことあるシルエットだな。たしか、何かの資料で。
『目ぇ覚まさないから心配してたんだよ?』
「ありがとうね、ウサギもどきくん」
『ぼくウサギじゃない!』
すると遠くからまた足音が聞こえた。今度は人間の物だ。
「おーい、待たんか! 年寄りを走らせるんではない!」
「博士ー! 待ってくださいよー」
声に釣られて見てみると、町の方から白衣のお爺さんと頭に赤いバンダナを付けたお兄さんが走って来た。この辺であんな人たち居たっけ?
「この辺じゃ見かけない顔じゃな。大丈夫か?なにがあった?」
見かけないって、それはこっちのセリフだ。
わたしは立ち上がろうとしたが、そのままめまいに襲われる。
あれ、何でこんなに体がダルいの?
「む、いかん! ケンジ、この娘を研究所に運べ!」
「は、はい!」
『ねえ、ねえ! しっかりしてえ!!!』
研究所? そんなのあったかな……?
わたしはそこで意識を手放した。
――本日二度目の気絶から覚めた。どうやらソファに寝かされていたらしい。
「知らな……やっぱやめとこ」
「なにがやめとこうなんじゃ?」
あ、さっきのお爺さん。わたしが起き上がると、その人は近くにいたお兄さんに声をかけて急須を持ってこさせた。
飲みなさいと渡された湯のみから緑茶のいい香りがする。
「ありがとうございます」
まだ体はダルいままだが、少し元気が出た。
「いいんじゃよ。そうじゃ、君の名前を教えてくれないかのう?」
「あ、はい。ルナ、楠木ルナです」
「ルナ君か。儂はオーキド、皆にはポケモン博士と親しまれておる」
ポケモン博士? ああ、この人もポケモンの謎に惹かれたのか。
でも珍しいな、ポケモンの研究は国が取り締まり始めて結構立つのに。
「しかしこのイーブイは頭のいい子じゃのう。君があそこで倒れているとわざわざ儂らを呼びにきたんじゃ、よっぽど君の育てがいいんじゃな」
「イーブイ?」
イーブイ、ノーマルタイプのポケモン…と、センに教えてもらった知識が蘇る。
でも、育てるって?
するとお兄さんが足元から何かを持ち上げた。
さっきのウサギもどき?
『起きた? 良かった!』
「ほら、この子だよこの子。君のポケモンじゃないのか?」
この子が、イーブイ? ああそうか、なんか見たことあるなって思ったらあの図鑑で見たんだ。
でも、わたしの記憶にある図鑑の絵とは色が違うな。
「違うみたいじゃな」
「そっかあ。もしかして、色違いは初めて見た?不思議な色をしているよね」
これが、色違い。すっごい珍しいってセンが言ってた。って、そういうことじゃない。
「いえ、そうではなくて…」
そうだよ。セン以外のポケモンがいるのはおかしい。
「ポケモンは、500年も前に絶滅したって習いましたよ?」
「君は何を言っているんじゃ?儂らの周りにはこんなにたくさんのポケモンが生活しておるのに」
『ルナ、ぼくここにいるよー?』
たくさんのポケモンが生活している? このイーブイみたいに?
もしかして、多くの人が気が付かないだけでポケモンは今も生きているってこと?
「マサラタウンにはどうやってきたんじゃ? この町じゃその制服は見たことがないが、君は何処かのスクールに通っているんじゃろう?」
「え、マサラタウン? ここって真白町ですよね?」
「マシロ町? 聞いたことがないのう」
「僕もないですね、地図持ってきましょうか?」
「ああ、頼む」
真白町じゃない?
じゃあここは何処なの?
どういうことなの?
何が起こっているの?
頭を抱え込んで縮こまって、必死に答えを探す。
わからないことだらけでおかしくなりそうだ。
「ルナ君、大丈夫、大丈夫じゃ。君に何があったか儂らも一緒に考えるから」
『ルナ、ルナ! 泣かないで! ね? ね?』
「は、はい……イーブイもありがとね」
ちょっと深呼吸しよう。吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー。
お茶も一口飲んで。
よし。頭の中がだいぶクリアになった。
「すみません、取り乱しました……」
「落ち着いたようじゃのう。よかったよかった。で、君の中ではポケモンは既に絶滅しているんじゃな?」
「はい」
正確にいえば、センがいる。
でも、セン自身が最後のポケモンだと言っていたから、たぶん、そうなんだろう。
「わかった、その前提で話を進めよう」
「博士!? 信じるんですか?」
黙っておれとお兄さんを睨みつけると、博士は質問を続けた。
「地図は?」
「あ、はい。ここに」
その地図はわたしが知っているものと形はだいたい同じものだったが、知っている地名はほとんどなかった。
「どうかね? 君の知っているところはあるかのう?」
「地名が違う。合っているのは白銀山だけです。あ、でもこのヤマブキとタマムシはあります」
首都の区の名前として。
よく見てみると、他の町も真白町とマサラタウンのようにどことなく似ている名前だ。
「では次じゃ。マサラタウンという町に聞き覚えは?」
「えっと、小学生の頃、真白町の旧名がマサラタウンだと習いました」
なぜタウンから町に変えたのか当時の役人に聞いてみたいが、それはとりあえず置いておこう。
「ふむ。それじゃあ、君がここに来るまでの経緯を教えてくれるかの?」
「町の外れの森の中にある、祠の掃除をしていたんです。外が終わったので中の掃除をしようとしたら、光に包まれて、気を失いました」
「で、気がついたらあそこにいたと」
「はい」
言葉にしてみると、なんだか現実じゃないみたい。
まるで、物語を読んでいるような感覚。
「そろそろ質問を変えよう。ポケモンのことはどれくらい知っておる?」
「えっと、ポケモンは全部で600種以上が確認されていて、人や動物とはまた違う進化を遂げた生き物であること。人型や植物型、動物型などの姿をしていて、姿形とは別にタイプという概念があること。種類によっては進化、正確には変態があること。ポケモンはタマゴから生まれること。そしてある時を境に急激に数を減らして絶滅したこと、です」
学校で習ったこととセンの話を思い出しながら話す。確か、こんな感じだったよね?
それにしても、どう見てもほ乳類にしか見えないポケモンさえタマゴから生まれるのって変な感じ。
「それなりには知っているようじゃのう。知っているポケモンは?」
「知っている、というだけならだいたいは」
「ほう、どこで知った?」
なんかどんどん博士の視線が怖くなる。
やめてください、なんでそんなに好奇の目で見るんですか。
「本で見たことがあって。その本を見ながら詳しい人が教えてくれたんです」
「本か。ならその本に、セレビィというポケモンは載っていたかな?」
載っていた。しかも今日センが話していたポケモンだ。
これから大切な話を知るぞと前置きされ、わたしも真剣に話を聞く。
「セレビィは時渡りポケモン……つまり、様々な時間を飛び回ることのできるポケモンじゃ」
それは知っている。でもそれが今回とどう繋がるんだろう。
ううん、なんとなく予想はついてる。
オーキド博士はお茶を啜り、認めたくない事実を告げた。
「ルナ君、君は時渡りに巻き込まれ、過去に来てしまったんじゃ。それも、最低でも500年以上昔に」
なんですか。つまりあれですか。
わたし、タイムトラベラーになったわけですか。
予想は出来ていたとはいえ、お願い、ちょっと現実逃避させてくれ。