エピローグ
10月1日 カロス地方とイッシュ地方間で、ポケモンの輸出入の法規制が解禁される日である。
「チェックリストは全て万全、抜かりなし」
この日のために色々と準備をしてきたのだ。パスポートやら、テントやら、食料やら狩猟具やら。最終確認もばっちり済ませた俺は、あとは朝食を食べてキズナの家へ迎えに行くだけ。直職はいつも通りシンプルに、オリーブオイルで作ったドレッシングを和えたサラダと、べ―コンエッグと食パン。あとはインスタントのスープである。
「お前と朝食を食べるのも、しばらくは無くなると思うと少し寂しいな」
「何言ってるの自分からカロスへの旅を勧めた癖に」
寝起きの母さんは、朝食を食べながら女々しいことを言う。
「お前がいる事がいつの間にか当たり前になってしまったんだよ。お前が私の事を母さんと呼ぶように、私にとってお前は息子なんだ。なくなると、寂しい」
そう言った母さんは、少しばかりしおらしく見えた。
「早くオリザさんと結婚しなよ。まだデートとかしているんでしょ?」
「まあな、今のうちに既成事実でも作っておくのも悪くないかもしれなんな」
母さんは不穏なことを不敵な笑みを浮かべて言う。
「具体的にどうしたいの化は利かないことにするよ」
「ふふ、そうしておけ。子供は知らないほうがいいことだ」
こういうセリフが普通に出てくるあたり、やっぱり母さんは普通じゃないのだろう。だけれど、だからと言って母さんの魅力が損なわれるわけでもない。こういう、ひょうひょうとした性格がいいところなんだ。
「そうだ、カズキ」
食事の最中、不意にスバルさんが俺に語り掛ける。
「何、母さん?」
「当日になって悪いがお前に渡したいものがある。食事が終わった後、少しだけ時間を貰うぞ」
「うん、いいよ。何をくれるの?」
「秘密だ」
それだけ言って、母さんは笑みを浮かべる。以前はバレンタインデーにマスターボールをくれたりもしたし、きっと悪い物は私て来たりしないだろう。
「期待しているよ」
だから俺は心のままに母さんへ言う。母さんは少し嬉しそうにはにかんでいた。
そうして、俺が皿洗いを終えると、後ろで椅子に座りながら待ち構えていた。
「おお、終わったのか、カズキ。ほら、受け取れ」
母さんは、そう言って裸のままのプレゼントを無造作に投げ渡す。投げ渡されたのは、革で出来た首輪である。これは、ムーランドやヘルガーに付ける類のものでは……
「これ、首輪?」
「チョーカーと呼べ。それ、キーストーンとドッグタグがついている。旅をするなら、万が一の時に必要なものと……お前への選別だ」
「キーストーンって……それ、メガシンカできるようになるってこと?」
「そうだよ」
どうだ、嬉しいだろとばかりに母さんは笑う。
「で、でも……メガストーンがないと」
「そういうと思って、用意してある。キーストーンもメガストーンも、ホウエン地方の元チャンピオンから貰ったものでな。ガブリアスナイトと、ルカリオナイトだ」
言われて、手渡されるが、俺はこれを有効活用出来る気がしない。
「あの、ヘラクロスナイトとかないのかな……」
「すまん、チャンピオンは砂パで活躍できるタイプにしか興味がないんだ……ハッサムナイトならあるが……」
「キズナしか使えないじゃん……」
「あれだ、しばらくは交代で使って行け。今はキズナしか使えないが……」
「はいはい……」
期待しておけと言われた割には、絶妙に期待外れなもので、俺は苦笑する。まぁ、でも……旅先で見つける機会があったら使わせてもらうとしよう。
「でも、ありがとう。旅先でヘラクロスナイトを見つけたら、自慢するよ」
「そうだな。頑張れよ、カズキ」
言うなり、母さんが俺の事を抱きしめる。
「期待しているからな、我が子よ」
本当に、本当にこの人の子供になって良かったと、心から思う。俺はこの人の子供になってから、ようく生きることが出来たのだと思うほどに。
◇
「それでは、行って来ます」
出発の時間が近づいてきたので、俺は大量の荷物を背負って玄関をくぐる。
「キズナー! 行こうよ!」
待ちきれないのか、カズキが俺に手を振って急かしていた。
「OK! じゃ、母さん元気でなー!!」
「元気でねー!!」
母親の声が届く。この声も、しばらく聞けなくなると思うと感慨深いな……。けれど、その代わりに、明日からは目覚めればすぐそばにカズキがいる。寂しくなることはないだろう。
ねーちゃんはすでに、夏休み初日からホウエン地方に旅立っており、そのままジムに挑戦しつつゆっくりと旅を続けているようだ。何でも、現行チャンピオンの切り札であり、もっとも付き合いの長いポケモンがサーナイトであるために、そいつに会って手話で話をしたいのだと。そのためにバッジを集めてリーグにて対面するとか考えているわけではなく、ジムバッジ集めはついでらしいが、ジムめぐりも満喫しているらしい。
デンジさんから譲ってもらった新型の電動車いすを用いた旅は案外快適であるらしく、その性能のレポートも兼ねているようだ。ポケモンの宣伝のみならず、ロトム専用の車いすの宣伝までするとは、ねーちゃんの旅は中々重要な意味を持っているものだ。
コロモやアクスウェルが戦力としては非常に強力なので、ねーちゃんはつつがなくジムを制覇しては、各地の観光名所を巡っているようである。そんな風に旅を満喫しているねーちゃんの話を聞いていると、俺も今すぐにでも旅に出たくてうずうずしたものである。
俺達もジム巡りのために、シングルバトルを鍛えたし、カズキもローテーションバトルでしか使えないと言われたゼロを、バトンタッチを用いたサポーターに転向して使用可能にしている。
それが、今日。ようやく出発だ。こんなに嬉しい事は無い。いつもは自転車に乗って走る道のりを、今日はポケモンに乗って行く。この日のためにビリジオン用に仕立てた馬具も購入し、乗馬の練習もしてきた。これから先に渡る地方に向けての予行練習のように、座らせたトウショウに最低限の馬具を乗せ、そこに飛び乗った。レース用ではないので少し貧相な馬具ではあるが、あんまりガチャガチャつけてもかさばるので、これでいい。
乗られるトウショウも慣れたもので、最初こそ着心地の悪い馬具を嫌がっていたものの、きちんとお礼をしたり毛並みの手入れをしてあげれば、馬具をつけたり口に棒を噛ませる不快感にも慣れて、騎乗を受け入れてくれるようになった。
一応、道具がなくっても騎乗は出来るけれど、滑るように走るビリジオンのトウショウでさえも、長時間乗っていると尻が痛いからね。それを理解してくれたらしい。俺に仕えると決めた以上は、忠誠心を欠くことは無いようだ。
「カズキ! お待たせ!」
家から出発した連絡をしてからというもの、俺の到来を今か今かと待ちわびていたカズキが育て屋の受付の前にいる。俺が来るであろう方向をちらちらと伺いながら、これまた騎乗用に調教を施していたハクを撫でている。こいつは地を駆けるように空を飛ぶから、振動しなくって腰に優しいポケモンだ。
カズキは俺の存在を確認すると、黙って手を挙げて俺に存在をアピールしてきた。その動作があまりに嬉しいので、もっとスピードを上げたい衝動に駆られるが、それは自重することにする。
近くにトウショウを止めさせて飛び降り、小走りでカズキの元に駆け寄った俺は、掬い取るようにカズキの手をとり、そっと握る。
「行こっか……カズキ」
「うん、行こうか、キズナ……ハク、お願い!」
「トウショウ、頼むぜ!」
俺達2人は、いまやすっかり騎乗要因となっているポケモンに乗り。それぞれのポケモンに乗って、舗装されたアスファルトの道をかける。このまま、近郊にある駅へ向かい、そこからフキヨセシティ行きの電車へと乗るのだ。その間に、俺達はこれからの旅路に想いを馳せて、もう何度したのかもわからないような話をする。
あっちへ行ったらどんなポケモンをゲットしようかとか、ジムはどうやって回るのかとか。観光名所はどこを回ろうかとか。夏休みには姉と同時期にイッシュ地方へ旅に出たりもしたが、その際は全然計画を立てていなかったために、最後の方はポケモンに乗っての高速移動がメインになって、股ずれを起こしてしまったものだ。
今回はその反省も踏まえて、馬具の使用という事である。
話の内容は少しずつ移り変わり、俺達はめまぐるしかった一年半の事を振り返り、思う。確かに俺達のポケモンバトルの腕前がある程度のレベルまで行ったのは、間違いなくお互いのおかげだけれど……やっぱり、一番の功労者はポケモン達なのだ。それに、俺達の出会いはポケモン達によってもたらされたのだから、本当に感謝しなきゃいけないと。俺達はそういうニュアンスの話をしていた。
俺にはアサヒやタイショウ。カズキには、ママンやゼロ……それぞれ、信頼できるポケモン達と、絆を育み合って、強くなれたのだ。いま、股の間にいるこのトウショウやハクとも、今までよりもずっと長い付き合いをして、そして互いに絆を育み合うのだろう。カロス地方でも、いろんな面で助けてもらう事になるはずだ。
そうして絆が深まって行く嬉しさを俺は知っている。絆を育み合うことの嬉しさは、何ものにも変えられないものだって知っている。これからも、ポケットの中やベルトにはめられたボールの中にいる仲間達と、宝石のように輝く思い出を、きっと紡げる事だろう。
そんな会話をしていると、何度も何度も自分の名前を不可抗力で呼ばれてしまう。それがちょっとだけ恥ずかしいけれど、改めて思うこともある。
「俺の名前は、キズナ、か……。いい、名前だなぁ」
「突然どうしたの、キズナ?」
「お前が俺の名前を連呼するからだよ。改めていい名前だって思ったんだ」
「ふふ、そっか……そう言えばさ、キズナ、この首輪なんだけれどさ、気付いた?」
「何に?」
その後、俺はカズキからメガシンカを今すぐにでも可能になっているということを、教えられる。これはカロス地方への期待がより一層高まるってものだ。そうこうしているうちに、駅も見えてきた。さぁ、冒険の始まりはもうすぐだ。