第三十九話:ギーマとの対戦
9月20日
「あ、おはようございます、ギーマさん」
「お、はよう……」
祭りを終えた後、俺達の家に泊まったギーマさんは、ダイニングで横になって一夜を明かしていた。野宿用の寝袋を着用して就寝している姿は、いつもの優雅なギーマさんからは想像もできないような生活感があり、悪い意味で新鮮だ。そんな彼の横で眠っているのは、雄のズルズキン、バカラである。
この育て屋には、イッシュ最強のトレーナーの一角であるNというトレーナーに敗北した際、ギーマさんが戦力外通告をしたズルズキンの雄がいる。スバルさんはそれを引き取って、ポケモン指導用の教官にしていたのだが、彼は今年の初めあたりに腰を痛めてしまい、今はほとんどの時間を寝て過ごしながら、余生をのんびりと過ごす毎日である。ギーマさんも、バカラの件がなかったらブラックシティの家に泊まっていたそうだが、昨夜はバカラとの再開を存分に懐かしんだようである。
起こしちゃ悪いとは思いつつも、ダイニングと一つなぎの台所で、俺はスバルさんと客人のための朝ごはんを作りに来たが……まさかギーマさんがポケモンと添い寝をしているとは、イメージにはなかったが微笑ましいものだ。ギーマさんは雄のポケモンでもきちんと愛情を割いているんだなぁ。だからと言って同性愛を進めてくるのはどうかと思うけれど……まぁ、いいよね。キズナは一応女の子だし。
今日はスバルさんが朝番は入っていないから早起きする必要は特にないけれど、そんな日でもスバルさんは8時には出社するから、現在7時……後20分で食事の用意は終えなければならない。
「朝から、ご苦労だね」
俺が朝食を用意する姿を見て、ギーマさんは笑う。
「スバルさんに育ててもらっている恩返しですから」
眠そうに目をこすりながら、ギーマさんは苦笑する。10歳の子供が家政婦の真似事なんてのは、やっぱり奇異に映るものなんだろうか?
「なるほど、そういう子ならスバルが引き取るわけだ……」
そう言ってギーマさんはかすかに笑う。
「スバルさん、別に家事が苦手ってわけでもないんですがね……」
「面倒くさいものは面倒くさいものだよ、カズキ君。朝、もうちょっと寝ていたいなんてときに、君みたいな子が居てくれたらそりゃ大助かりだろうさ」
「そうですか……スバルさんも、俺に対してそんな風に思っていてくれるといいのですがね……」
俺がそう言っている間に、ギーマさんは俺の後ろに回りこむ。
「ベーコンエッグかい?」
「あ、はい……トマトにモッツァレラチーズとオリーブオイルとバジルを和えたものと、ベーコンエッグと、トーストです……バターとガーリックバター。あと、シナモンシュガーがありますので、何か塗りたければ自由に使ってください。あと、リンゴを剥きますね。朝なので、時間も限られていますし、あまり豪華なものは出せませんが」
「十分だよ。私もコーンフレークとかで済ませちゃうことが良くあるし、そうでなければホテルでバイキングって感じだから」
「あー……1人暮らしだと、そうなっちゃいますか」
「1人暮らしというか、さ……面倒だと、家族と暮らしていてもそうなるんじゃないかな?」
「そうですね。俺なんて、親は何も作ってくれませんでしたし」
「大変だったんだね、君も」
ギーマさんはそう言って、まだ眠っているズルズキンの元へと舞い戻った。
「えぇ、大変でした」
ギーマさんの言葉にそう答えると、彼は一度だけ振り返って微笑んでくれた。
スバルさんも合流しての朝食を終えると、スバルさんはすぐに歯磨きをして、身だしなみを整えると育て屋へと出社していった。俺は9時に育て屋に行けばいいわけだけれど……ギーマさんとバトル出来るとしたら、いつもの出社時間の前かな。
「あの、ギーマさん……」
「なんだい?」
「昨日言っていたバトルですけれど……」
「あぁ、あれね……どうする? 朝からやっちゃうかい?」
ギーマさんはささやくように俺に語りかける。
「あ、はい……出来れば、ふじこあたりに撮影も頼んで……」
「おや、自信満々だね。無様に負けても知らないよ?」
「それでも、記録する価値はあると思いますので……」
「ほう……負けにも、負けた原因を知るという価値を見出すか……」
感心したような声で、ギーマさんは言う。ギーマさん、昔は負けることに価値はないと思っていたみたいだけれど、こんな風に考えを買えたそうだ。負けることは、いろいろためになることも多いと思う事に気付くのが遅くても、強い人は強いものだ。きっとこの人は、勝とうという気迫が尋常じゃなかったのだろう。
「それじゃあ、バトルの形式だけれどね……私は2体のポケモンを1体ずつ繰り出す。君は2体のポケモンを同時に繰り出す……どちらも倒れたほうが負け……それだけ」
「変則的なバトル……ですね」
「うん。でも、それくらいがちょうどいいんじゃないかな……昨日の戦いを見る限り、それくらいなら一方的な戦いにはならなそうだ」
これは、舐められているわけではない……といいのだけれど。
「これから、育て屋に行くんだろう? それまでの間に、パーティを考えておくんだ……僕も考えておくから、さ」
「は、はい……」
ギーマさんは、俺の事をどう思っているのだろうか……ポケモンバトルの強さというのは、ポケモンの強さはもちろん、それを運用するトレーナーの頭脳がものを言う。ギーマさんもスバルさんも言っていたけれど俺のポケモンはまだ体が完成しきっていない。その差を、2人掛りというハンデでどれほど生めることが出来るのだろうか……?
俺は作業着に着替え、ギーマさんは紺色のスーツに着替える。あれ、普段着なのか……? ズルズキンのバカラをボールに仕舞い込み、準備が出来たら2人揃って家をでて、育て屋に向かう。
さて、色々考えた結果だけれど……こちらとしては格闘タイプもしくは虫タイプでギーマさんを攻めたい。だからといってイッカクのようなポケモンを出せば、ドンカラスを出して簡単に葬られてしまうのが目に浮かぶようだ。
それを考えると、まず最初にギーマさんがどんなポケモンを出しても対応できるような子を考えなくてはならないわけで……ギーマさん、サボネアが余っていると言っていたが、それはつまりノクタスを育てようとしているということだろう(バンギラスのサポートかな?)。
だけれど、サボネアが余っているということは……も1個体いたとして、まだそれほどの強さでもないはず。なら、サミダレは出しても大丈夫そうだ……あいつなら天候も変えられるから、ギーマさんがバンギラスを出してきても問題ない。
そして、もう1体出すとすれば……ゼロ、かな。虫タイプだし、いざとなれば瓦割くらいは使える。あの2人は素早いし、パワーの乏しさも2人という数で補えるだろう。そうしよう……
俺と、ギーマさんは一足先に出社していたスバルさんから、ふじことスマートフォンを借りて録画を頼む。ふじこにダウンロードされたこのアプリは、ふじこの目が捉えた映像を、そのまま映像ファイルとして保存できるという代物だ。
やはり、生きたポケモンの目が映像を追ってくれるというのはとても臨場感があってありがたいもので、それゆえにスバルさんはこのアプリを好んで使う。審判と観客は無し、俺達2人はふじこに見守られながら構える。
「では、お互いポケモンを構えようか……準備は出来ているかい?」
「出来ています……一応、勝てるように考えた編成で……」
ギーマさんの口の端がつりあがる。笑っている……
「期待してるよ……では。いっせーの……」
ギーマさんが出したのは……ドラピオン。弱点を少なめにして、汎用性を高めるということか……俺が出したサミダレとの相性は抜群……いやぁ、しかし格好いいなぁドラピオン。首から提げた紐にシュカの実をつけているあたり、ガチだな……
「なるほど、そうきたか……いい子を選んだね。では……クラップス、岩雪崩……」
「ゼロ、前へ!! サミダレは雨乞い」
岩雪崩……ゼロが食らったら一撃でやられるだろうけれど……ゼロならば大丈夫だ。
◇
ボールからでてみると、向こう側には紫色のお姉さん、ドラピオンが……なんて美しい。
『うわぁ……なんか強そうなのが……』
ものすごい美人だな……交尾したい。なんというか、甲殻は傷だらけだけれど、その分だけ分厚くなっているし、よく磨かれているのか艶やかだし……二股の爪もピカピカじゃないか。それにあの大きな口……二股の尻尾の爪に貫かれながら食われてぇ!!
『2人掛りでやれってご主人いっていたけれど、オイラ達だけで勝てるのかねー?』
サミダレの言うとおりだ。相手のドラピオン……体格はかなりがっしりとしているし、その構えも威風堂々たるもの。美人じゃなければ逃げたいくらいだ……俺達で勝てるのかどうか……やってみるしかないか。
「クラップス、岩雪崩……」
気合いを入れなおす間も無く、ギーマとか言う男の命令が下される。来る……いきなり岩タイプっていうのも、俺を狙ってのことだろう。
「ゼロ、前へ!! サミダレは雨乞い」
はいはい……いつもどおり、俺は前衛と。岩は、雨あられと降り注いでくる。ただ足元を流れるのみならず、俺という飛行も出来る要因にまで配慮して、ご丁寧に壁が迫ってくるかのような高さにまで及んでいる。
だけれど、その分密度は薄い。だから簡単に間をすり抜け、いなし、身を低くして駆け抜けて肉薄するのは難しくない。まずはすれ違いざまにカマを振るう。後ろで岩雪崩がサミダレにヒットした音が聞こえたが……まぁ、あいつは地面タイプだし大丈夫だろう。
「クロスポイズン」
ギーマの命令の声が届くが速いか、一撃目はUの字の爪にそれを防がれた。瞬時に後ろに回りこみ、がら空きの背中を蹴り飛ばそうとしたのだが……
「そのまま毒突き」
それよりも先に、首から上がくるりと反転。顔についている腕が毒を伴った爪を振りぬいた。
どっしりとした下半身だけに、旋回スピードは遅いだろうと高をくくっていたのが仇となった。首から上があんなに回るだなんて予想できるもんじゃない。幸いにもかすっただけだし、毒もこの程度……雨に流せるだろうが。攻撃のチャンスを逃したのは痛い。
そして、次にやってくるのは毒突き……なに、あいつの爪なんて軽く避けられ……いや、あいつは爪だけじゃなく尻尾も……
「あぶなっ……サミダレは大地の力、ゼロは虫食い!!」
突然肩から衝撃が駆け抜ける。カズキの警告の声が遠くに響き、俺は思わず大きく飛びのき距離をとった。
『腕ばかり見ていて尻尾を忘れたかしら、ストライクの坊や……? 戦いでは気を抜いちゃダメよ』
『うっせぇ!!』
くそ、一言多い女だ。
『だいじょぶかー?』
サミダレが俺に問いかけながら、大地の力を繰り出した。いや、呼びかけた頃にはもう技を出していたが、さすがに雨状態だとあいつは素早い……。俺のほうを向いていたクラップスは見事にそれを喰らってしまうが、耐え抜く。
大地の力ならば、俺も誤射を恐れる必要はない。地面から吹き上がる力の奔流が収まりきらず、それに巻き込まれても飛行タイプの俺には関係ない。クラップスの首元に下げたシュカの実ごと彼女に噛み付き、引きちぎる。堅い甲殻の一部が剥がれ、緑色の血が飛び散る……。
「止まるな、もう一度大地の力! ゼロは適当に攻撃だ」
て、適当……まぁ、指示をしようとしても俺が速すぎて追いつかないんだろうけれど
『いったーい…俺の虫喰いに痛みに顔をしかめているが……
『それは……』
こっちも、尻尾の毒のせいで傷口がうずきやがる。アンタのせいだぜ、お仕置きだ"
『こっちの台詞だっての!!』
俺はクラップスの綺麗な顔にとび蹴りを食らわせ、今度は頭上から相手の前方に回りこむ。顔をやられてフラッシュ((目をつむってしまったりすること))している間に、後方へと退避。降り注いでいる雨に傷口を晒して、少しでも肩の毒が抜けるようにと祈る。こちらへ向き直ったクラップスは、岩雪崩を放ってくる。
少し、クラクラするが、今回もあまり避けるのは難しくない。しかし、そろそろ疲れてきた……俺の持久力が低すぎるのは重々承知しているが相手が固すぎるな。
『ゼロ、行くぞー!』
だが、サミダレ2回めの大地の力を発動する。俺のほうに目を向けていたクラップスは大地の力をくらい、上半身を支えきれず地面に手を付いた。
「貰った!!」
ご主人が実況する声に合わせ、俺は息切れしながら相手の口元にカマを突きたてる。ちょんと先っぽが触れる程度だったが、きちんと脅しの効果はあったらしい。
『私の負けよ……だから、そのカマは下ろしなさい、ね?』
『……勝った気がしねえな』
相手が強すぎて、勝ってもなんと言うか無様な気分だ……クラップスは、すごすごとバトルフィールドからどいて、大回りして主人の元へと帰る。2対1でこのざまとは、情けないな……もっと強くならねば。
『まぁまぁ、ゼロ。そういわずに、次に備えて頑張ろうよー』
そうなんだよな。このまま間髪居れずにもう一匹との戦いが待っているんだ……勝てるかな?
「クラップスは戦意喪失だね……じゃあ、次の子、行こうか」
ギーマとか言う野郎は、そう言ってもうひとつのボールに手をかけた。次は何だ……? できることなら休みたいから早く出さないで欲しいような気もするし、毒が回るから速く出して欲しい気もする……くそ、悩ましい!!
二番手は……バンギラス。砂嵐と共に現れたそいつは……木の実が付いた首輪をかけている。ヨプの実だろうか?
「キノ、焦る必要はない。ゆっくり待つんだ」
「えーと……取り合えず、木の実をつけていることだし……相手が攻めてくるまで、ばらけつつゼロは待機。サミダレは雨乞い」
「そうか、ならば波乗り」
「ゼロ、突撃!!」
待機という命令が下ったと思いきや間髪いれずに突撃の命令。バンギラスが相手となると、俺ができることといえば瓦割くらいしかない。
しかし、主人には流石に波乗りという命令は聞こえないはずだが……カズキには分かるのか?
『おい、若いの』
バンギラスが水を纏いながら俺に語りかける。気付けば雨も降っていて、バンギラスの周りには水の防壁が……くそっ、アレじゃ勢いが殺される。だが、勢いづいた体はもう止められない。
俺は水の中に飛び込み、カマの刃の峰で、瓦割を打ちつける。膨大な量の水の防壁に阻まれ、しかも首にかけていた実が光を花って消滅したところを見ると、やはりヨプの実だったらしい。水の奔流に巻き込まれ、上下左右天地のすべてが分からないくらいに揉まれ流され、気付けば岩の刃を手に持ったバンギラスに首根っこをつかまれ、顔に岩の刃を突きつけられていた。
『毒を浴びているんだ、無茶すんなや。寿命が縮まるぞ?』
『この状況で無茶なんて出来るわけ……くそ、優しいやつだな』
キノとか言うバンギラスがその気になっていれば、俺の顔面は容易に潰されていた事だろう。それをしないバンギラスは優しいといっていいのかどうかはわからないが、負けを認めなければ死ぬから、死なないようにしてやるというありがたすぎる提案……断れるわけもない。
「ふふ、ゼロ君だっけかな? あの子も戦意喪失か……強い子だけれど、どうにも決め手がないね」
ち、相手のトレーナー。ギーマとか言ったか? 決め手がないとか好き勝手言いやがって。
「ゼロ……今まで、めったなことじゃ攻撃を当ててくるやつなんていなかったのに……強い相手は、違いますね…・・・」
「……まあね。本当に防御が上手ければ、それだけで相手のスタミナを削れるってことさ。それはポケモンでも人間でも同じ。ゼロ君が今以上に強くなったら分からない……私は虫ポケモンの事はよくわからないけれど、あの子は強くていい子だね。大事にしなよ」
『ほう、ご主人がお褒めになるとはな。若いの、お前才能があるんじゃないのか?』
流石に岩の刃を突きつけるのはやめてもらっているが、俺は今だ圧し掛かられたまま。
『そりゃ、どーも……そんなことより、重い』
あのギーマとか言う男……どうやらトレーナーとして一流のようだし、多分それにほめられることは、トレーナーとして名誉なことなのだろう。
あー……でもなぁ。どうせ同じ体勢になるならあのドラピオンのほうが……なんだってこんな大きな怪獣の男にのしかかられなきゃならないんだ。
「さぁ、試合を再開しようか。このまま、雨を終わらすのはもったいないしね」
「は、はい……」
『そういうわけだ。若いの、大人になったらまた対戦しようぜぇ?』
『その時は乗らないでくれ……頼むから』
重いんだよ、こいつ。やっとどいてくれたよ、畜生……
『うわぁぁ……1人になっちゃった』
確かに、1人になってしまったが……俺の瓦割りは少なからずダメージを与えたし、お前さんが波乗りの最中にさりげなく大地の力を当てていたのはなんとなくわかる。キノとかいうバンギラスは、しきりに下半身を気にしていたからダメージを負っているのは間違いなかろう。この雨の状態で、どれだけ頑張れるかだ。
「ゼロ、これ食べてて」
俺が立ち上がると、カズキはそう言って俺にモモンの実を寄越す。ありがたい。
『あの状態でなら、飛行タイプのこいつごと巻き込んで、大地の力も放てたろうに』
俺がバトルフィールドから出てゆくと、二人は向き合いながら語り合う。
『それをやると、逆にゼロの顔をストーンエッジで潰すことも許されちゃうからなぁ……オイラ、勝利のために仲間は見捨てらんねーだ』
どちらも、隙を伺いながら力を溜めている……何で行く? それにしても、このモモンちょっと古いな、しなびている。
「悪の波導!」
カズキが息を吸った瞬間に、ギーマの指示。もしかして、ギーマとやらは呼吸まで見ているのか?
「地ならし!」
雨も、もうすぐ止んでしまう。恐らく、カズキはそのギリギリのタイミングで地ならしをして、そこから熱湯か何かをするつもりだろう。
力を溜め込んでいたバンギラスの、渾身の悪の波導が叩き込まれる。勢いよく踏み込んで、やはり声を掛けられてからの素早さはサミダレのほうが上。先手を取って地面を揺らした瞬間、キノから放たれ叩き込まれる悪の波導。サミダレは今までノーダメージだったはずだがサミダレは……避けきれずに喰らって地面を転がりながらも、歯を食いしばって耐えていた。
「耐えるか……!」
ギーマが楽しそうに叫ぶ。地面が揺れた頃にはもう波導は叩き込まれていた。地ならしと悪の波導が交差したその一瞬後、互いに喰らい、一方は吹っ飛ぶことで、一方はバランスを取れなくなって体勢を崩す。
「とどめ!!」
「避けろ!」
ギーマはキノへ避けろとのお達しだが、そりゃ無理だ。地ならしでバランスを崩している今、雨の下で行われる高速なサミダレの切り替えし。カズキは『とどめ』と言うだけで具体的な指示は下さなかったが……あいつお得意の、熱湯が。
バランスを崩していたキノは、顔を守ろうと十字に手を組んで凌いだが、その水圧、温度にやられて尻餅をつき、火傷のせいで起き上がるのもひと苦労な様子。当然、野生下では捕食者であるサミダレがその隙を逃すほど甘くはない。キノの脇腹に水鉄砲が掠めていった。
「僕の負け。前にも言ったとおり、ハンデは与えるけれど手加減をしたつもりはなかったというのに……やるね」
ギーマは静かに負けを認める。しかし、恐ろしい強さだな……こいつのポケモンたち。
「勝っちゃった……」
ご主人を見る限りじゃ、勝ったことが半ば信じられないようだし、人間の間じゃ相当名の知れたトレーナーなのだろう。
「ありがとう、ゼロ、サミダレ……何とか勝てたよ」
サミダレと一緒にご主人に駆け寄ると、カズキは俺達の事を撫でてくれた。ほれ、もっと撫でろと体を寄せると、サミダレも負けじと体を寄せる。
「あのね、二人とも……分かったからもう少し仲良くしてよ……」
ご主人は困り顔で、俺達の事を撫でてくれた。何歩も後ずさっていたのが、なんだか申し訳ない。ギーマのほうはといえば……。ポケモンがしょげているな。なんだか大変そうだ。
◇
「今回は、私も相手の力を見誤った……まぁ、なれない2対1の戦い……難しかったとは思うし、私達の土俵であるシングルバトルの実力には影響しない。けれど、負けは負け……食事は、ワンランク下げるからよろしくね」
ポケモン達を抱擁しながら聞き耳を立てると、ギーマさんの方からはそんな声が聞こえた。サミダレとゼロがじゃれ合いに満足したところで、俺はオレンの実を2人にあげる。ギーマさんも、なんだかんだで体力を消耗した2人にはきちんとオレンの実を差し出している。食事をワンランク下げることはあっても、体調管理はきちんとやるんだな。
「さて、と……勝利、おめでとう」
「いやぁ……なんだか、全然勝った気がしないですよ……」
実際、相手が圧倒的に強すぎて、まともにやっていたらとても勝てなかっただろうし……。
「そんな事、言うもんじゃないよ。どんなに美しくても負けは負け。どんなに無様でも勝ちは勝ちだ。負けたら、次勝つために出来る事をする。それが勝負師さ」
「俺、勝負師になった覚えは……」
「ポケモントレーナーはみんな勝負師さ。全力を尽くそうと、運があろうとなかろうと、負けは負け。だからこそ、勝者は、光り輝く。弱すぎて負け続けだと、ファイトマネーも出ないからね」
「……でも、俺は育て屋になろうかと思っていて……」
「一緒だよ。バトルで強くない人が育て屋をやっていても、誰も信用しない。分かるだろ? スバル君は、良いところもあるけれど、人格にいろいろ問題もある……そんな彼女が、ここまで育て屋を大きく出来たのも、彼女がポケモンを。そして人を育てるのが得意だからに他ならない。
君はまだ、幼いポケモンの相手やポケモンへ与える餌の準備がせいぜいだろうけれど……ポケモンへの指導という実務に携わっている人たちは、バイトであろうと正社員であろうと……スバル君はきちんと教育するはずだ」
「懇切丁寧に、指導されています。確かに、そうです。スバルさん、俺にもよくポケモンの育て方のアドバイスをしてくれるし」
そうじゃなきゃ、多分こんな形とはいえギーマさんに勝つことは不可能だっただろう。
「そう。だから、職員も君も強くなる……そして、強いから勝つし、評価される。時に、運で勝つこともあるだろうが、しかし……その運をつかみとるのもまた実力。運があっても、実力がなければ勝てないさ。運で勝ったとしても、ハンデがあったとしても、私に勝つというのは、それなりの実力を有していることに他ならない。
だから君はもっと強くなれ。強くなれば、君には相応しい評価が付く。それが例えトレーナーであろうと、ブリーダーであろうと、だ」
「は、はい……」
「スバル君はいいものを拾ったものだ……君を見ていると、そう思うよ」
俺、そんなにすごいのだろうか? 多分、すごいのかもしれないけれど……でも、ここで伸び悩むことだってありえるだろうし。
「そんな顔しない。君のポケモンはまだまだきっと強くなる……君がもし伸び悩んだとしても、きっとポケモンがフォローしてくれる。君のポケモン、君が大好きなようだからね。
ポケモンを甘やかすこと無く好かれている人の子は、伸びるよ。四天王のみんなも、チャンピオンも、伝説のトレーナーもみんな同じ。スバル君、私が彼女を拾った時に何を思っていたのかを、君を育てることで感じてみたいって言っていたけれど、うん、大丈夫。
私は野垂れ死にそうだったスバル君が、どんどんと逞しく育っていくことが嬉しかったよ。だから君も、スバル君に同じ思いをさせてあげるといい。君が成長するたびに、彼女は嬉しく思うはずだ」
「強くなれって事ですね」
「もちろん。でも、それだけじゃないからね」
そういって、ギーマさんはニッコリと笑ってくれた。なんだか、性にだらしないんじゃないかと疑う一面もあったけれど、なかなかどうしていい人じゃないか……ギーマさん。
その日、ギーマさんは似合わない作業着を着用し、日中は悪タイプのポケモンの指導に回っていた。慣れない作業なもので、『毎日やっている君達はすごいね』と、スバルさんや俺達に向けて冗談交じりに言っていた。
そして、その夜。祭りの2日目であり、最終日の今日。ギーマさんは、ホワイトフォレストとブラックシティのちょうど中間に立てられた社の中にて、自身のポケモンであるカットに黒い服。ポーカーに白い服を着せられてゆくのを見守っている。
この後、服を着せられたポケモンたちは、それぞれ白装束の集団に連れられブラックシティのホワイトブッシュにあるビリジオンの社へ。黒装束の集団に連れられ、ホワイトフォレストのブラックモールにあるダークライの社へと向かってゆく。その社で、ポケモンたちは御神体を各々の得意技でぶっ壊すのだ。
ギーマさんは、儀式が終わるまで特に拘束されることもなく自由に過ごすことが出来、商品としてブラックシティの酒とホワイトフォレストの酒は飲み放題、そして大量にお持ち帰りできるという。
ギーマさんはひとまず、ポケモンと一緒に祭りを満喫するそうである。
スバルさんは、オリザさんとデートするらしく、俺達の事は俺達に任せるのだという。肝心の俺達はという、今日もキズナ達と一緒に花火を見ることに。俺はキズナが来るまで祭りを1人で回り、その雰囲気を楽しんだ。
その嬉しい気分はキズナと一緒になってからも持続し、アオイさんも合わせて三人で祭りの雰囲気を楽しんでいる時は、終始笑顔だった気がする。花火が始まると、外に出していたポケモンたちは、いくらか怖がっている。まず、俺のミロク……まじめな性格だと聞いていたけれど、サンダースになってから臆病になってしまったというわけでもあるまいが。座っている俺のふくらはぎの間にもぐりこんで震えている。花火怖いんだなぁ……。
キズナのほうはというと、セナがふわふわな綿毛を震わせながら怯えている。臆病な性格の子だと思っていたから、まぁ……仕方がないか。他の子たちは落ち着いたもので、新入りのゴンゲンも含めて色鮮やかに夜空を飾るその光に酔いしれているようだ。
アオイさんの方は、全員まったく怯える様子はない。特に、コロモについては周囲の人間の感情がよっぽど良い具合に染まっているのだろう、いつもよりもずっとよい表情で、白い肌がほんのりと花火の色に染まっている。
キズナは今日も俺の手の甲に手の平を添えている。なんというか……キズナ、完全に俺に惚れているよね……それは、いいんだけれど……どういう風にすればいいのかな。俺の母さん、人にどう愛されたいのか、どういう風に愛せばいいのか、まったく分かっていなかったような人だから……というか、俺自身キズナを男としてキズナを愛すればいいのか、女として愛すればいいのかわからないし。どうすりゃいいのさ。
色々まともじゃないスバルさんだけれど、恋愛に関してはスバルさんのほうがずっとまともなんじゃないかと思うくらいに。ギーマさんに冷やかされた後、俺がキズナの事を大切にするといった時……アレがきっかけなのだろう。キズナは多分、『カズキは奥手っぽいから、こっちがその気にしてやろう』とか『片思いだけれど、押しの一手で靡くだろう』くらいに考えているのかもしれないし……実際は、両思いなんだけれど。
キズナは一体どんな気持ちでこんな風に肩を寄せているのやら。まるで、恋人じゃないか。
「なぁ、カズキ……」
「ん、何?」
花火に横顔を照らさせて、キズナは問いかける。
「最近はダブルバトルで遊んでいたけれど、また明日からローテーションバトルで頑張ろうな」
「うん……一緒に頑張ろう」
「ありがとな」
そう言って、キズナが俺の腕を抱いて、肩を寄せてきた。
「あ、あー……私、ちょっとトイレに行ってくるわね」
完全にアオイさんが引いているし……そして、コロモを連れて行かずさりげなく残したあたり、トイレに行くというのが嘘なのは確実だし……コロモがニヤニヤしているのがすごく気になる。
そして、ポケモンたちも一部こっちを期待の眼差しで見ている奴らがいるような気がするのが気になる……こら、ゼロ! 俺のこと、『ご主人はその雌に食われるのか?』って目で見るな。俺はストライクじゃないんだから……メスと番っても食われたりしない!
「カズキ。この花火が見終わったらさ……ご神体の奉納を見に行こうぜ。ギーマさんのポケモンの勇姿を見守ったりしてさ」
「うーん……今からブラックモールかぁ……遅くなっちゃいそう」
「また俺んちに、泊まりにこいよ」
もう、確定的だな……キズナ積極的過ぎない?
「いいよ、そこまで遅い時間なら。キズナの家から俺の家までの時間をプラスしても、大して変わらないから」
アオイさんと相部屋だから、キズナとはめったなことにはならないと思いつつも、姉のいない場所に連れ出されて何かされるというのは正直困る。キズナのこと、好きだけれど。でも俺は、人をどんな風に愛すればいいのかわからないし。
「そっか……まぁ、お前は深夜の時間帯でも余裕で外出するような奴だもんな」
はぁ……これから、キズナとどういう風に向き合っていけばいいんだろ。
「いやまぁ、ブラックシティで家から追い出されたときとか、悪い人にさらわれるんじゃないかとか怯えっぱなしだったし……そういう経験あるから、ホワイトフォレストくらいじゃあね……」
「逞しいやつだな、お前。流石の俺でも、ブラックシティの夜道は怖いぜ?」
「はは、ちょっとブラックシティの夜道歩かせてみてくなっちゃうじゃない。キズナがおびえるところを見てみたいよ」
「お前それは酷いぞ、カズキ? 」
「いいじゃん、キズナがおびえているところなんてそうそうみられるもんじゃないから、たまには見てみたいし。女の子みたいにおびえるキズナもいいんじゃないかな?」
なんだか自分、ものすごく恥ずかしいことを言っているような気がした。周囲では。タイショウとコロモとママンが気を利かして、こちらを凝視しているポケモンたちの視線を、花火が踊る空へ逸らしてゆく。その気遣い、逆に恥ずかしいのだけれど……というか、コロモ賢くなってない?
そのポケモンたちの期待に応えるように、キズナは俺の下あごを指一本で固定し、俺の頬を唇で軽く触れる。
「これでいいか? 女の子らしかったろ? 男にキスを望むなんて、変態さんだな、カズキは」
悪戯っぽく微笑んだキズナの表情がいつまでも変わらない。
「う、うん……」
実際は、女の子らしいというよりはむしろ、異性をもて遊びそうなところがギーマさんっぽかったが(完全な偏見だけれど)。だからって、よりにもよってキスだなんて。キズナは、口に出さないだけで告白したのと同義じゃないか……これじゃ。っていうか、キズナ……君は男なのか女なのかはっきりして。
その後、戻ってきたアオイさんと一緒に花火を最後まで見終えた後は、ブラックモールに向かって、ギーマさんのポケモンの勇姿を見届ける。キリキザンのカットが御神体を壊す様は、そりゃもう圧巻だ。腕の刃で鋭く切り刻むものだから、切り裂かれた御神体ですらそのまま武器に出来そうなくらいに鋭利な切り口となっている。木で出来た御神体を鱗のように薄く剥いでいって、質量が減ってきたところで、最後にカットは縦に一刀両断。
フィニッシュを終えると、盛大な拍手が巻き上がった。
それを終えると、キズナは――
「カズキ……いつか、あの舞台に立ってみたいな」
なんて俺に声を掛けてきて……。
「強くなろうよ、一緒に」
俺は思わずそう答えるしかなかった。キズナの家を経由してスバルさんの家に戻ったら、時間はもう11時……すっかり遅くなっちゃったし、レポートは明日書くことにして今日は寝よう。
しかし、なんだろう……御神体を壊す際に、何か周りで気になる会話が為されていたような。なんでも、友達の近所の人が突然性格が変わってしまっただとかどうとかで。うそ臭い話だけれど、それってダークライやビリジオンがこの街に来る前の状況に戻ったって事だよな……それをなくしてくれたことに感謝する祭りなのに、そんな現象が起きたら祭りの意味がなくなっちゃうじゃないか。
◇
「よお、ギーマ。電話をしてくれだなんて、今日はどうかしたのか?」
オリザとのデートが終わって、私はトリニティに乗っての帰り道でギーマに電話をかける。ギーマは、今日は自分の家に帰るとか言っていたはずだが、何の用だろうか?
『いや、ね。カットを迎えに行くために、久しぶりにブラックモールへと飛んでいったんだけれどね……僕のジンクス……って名前のアブソルが、妙にソワソワしていたんだ。何か、心当たりは無いかい?』
「ブラックモールには、ダークライが住んでいるが……正直災害が起こる事への心当たりだなんて聞かれても、私にはわからんぞ?」
『分かった。だろうね……私もブラックモールには警戒しておく……』
電話が切れた。アブソルがソワソワするとは……何か、起こるのだろうか? 去年も、この街は夢の世界につながるハイリンクに最も近い場所だとかで、ダークライを誘い出して支配しようという謎の集団がいたが……心当たりといえば、それくらいか。
だが、前回現れた奴らは、何の前触れも無くこの街を蹂躙していった。今回も、何の前触れも無く襲撃するとしたら……大惨事になりかねんぞ。