第四話:狩り
6月21日
授業をいつも通り無難に済ませた俺は、預かった合鍵でユウジさんの家からアイルを回収し、自転車と徒歩で並走しながら、アブソルの顔に例えられるこのブラックシティにある『アブソルの牙』、ホワイトブッシュへと向かう。持ち物は、リュックの中に包丁と怪我した時のための携帯用救急セット。水と方角確認のためのコンパスだ。
このホワイトブッシュは、ビルが乱立して開放感のないブラックシティに於いて、数少ないポケモンをのびのびと遊ばせることが出来る。このホワイトブッシュの表層は、警戒心が弱かったり人間に飼われることで安定した生活を望むポケモンが訪れる場所でもあり、コンクリートジャングルのブラックシティでは唯一まともに野性のポケモンと触れ合える場所だ。確かママンは表層の出身らしく、イッカクもこの表層出身だ。
少し奥に行った中層では色んなポケモンをゲットできるが、反面ここら辺のポケモンは警戒心が強く、人間の気配を感じれば即座に逃げるような奴らばっかりだ。だが、その分強いポケモンや危機回避能力の優れたポケモンも多い。ゼロはここの出身だった。
そして最深部は一般人が立ち入り禁止で、禁猟区となっている密林がある。そこにはホワイトフォレストにある多くの禁猟区と同じくポケモンレンジャーが配置され、日々密猟者の警戒を行っているのだとか。
レンジャー隊員はポケモンや格闘術を嗜んでいるのはもちろんの事、銃の携帯も許可されている。そのため、銃を持った密猟者に対して銃で立ち向かうこともいとわないという非常に誇り高く、そして危険を伴う職業なのだ。俺の学校にも憧れている人はたくさんいる。ただ、相手が銃を持っているとなると話は別。マジックルームで銃を仕様不可能にして一方的に攻撃してくることもあり、弓矢を用いて攻撃してくることもあるそうだ、
ともかく、今回は中層で狩りをおこなうというわけだ。木の枝やらなんやらで皮膚を傷付けないように、クソ暑いけれど長袖を着ている。もちろん、家に帰ってから着替えたものだ。道具は……ない。あえて言うならば、ポケモンたちの肉体や能力そのものが武器というべきか。
備えあれば嬉しいなとはよく言うけれど……憂いなしなだけに。しかし、備えられるものがない場合はどうすればいいのやら。
幸いにも、野性であれば狩りを生業とするポケモンは二人いる。ゾロアークのアイルと、ストライクのゼロだ。アイルは生憎野性ではなく飼いポケ出身だが、ゼロは野性出身。一日の長を活かせるといいのだけれど。
取り敢えず、俺達は中層を目指す。ここらへんはまだ禁猟区ではないけれど、この辺になるとたまにポケモンレンジャーが見回りに来る。何でも、禁猟区ではないからと言って、違法な罠を仕掛ける不届き物がいるとかいう話で、それらを取り締まるためにも中層の見回りは欠かせないらしい。
とりあえず、この森で許されているのは、狩猟免許を持っていない俺にはポケモン猟くらいだろうか。この中層に入るまでに何度か見かけた看板を見る限りでは、免許を持っていないため銃も罠も扱えない俺には体当たりで挑むしかないらしい(一応素手や棍棒などで倒すことは認められているが今の俺には無理だ)。
ここら辺の中層地域ともなれば、表層に来るような人間に興味を持ったり、人間に飼われることで安定した生活を望むポケモンとは違って警戒心が強い者が多い。表層に来るものだって、ゲットするならともかく、殺しに掛れば殺気を敏感に察知して逃げてしまう。
ポケモンたちは共通言語を持っているから、銃(弓を持った人間はレンジャーなので安全)を持った人間には決して近づかないのだというし、意外と賢い面もあるのだ。
大体の話は先のブラックモールでの興行に呼ばれたレンジャーが語っていたことの受け売りだが、とりあえず心の隅に置いておこう。
まず、最初にやることは獲物を探すことだ。とりあえずこれが出来ないことには狩りも何もないわけだけれど……アイルの鼻はどこまで信用できるのだろうか。とりあえず、地面の匂いを嗅がせてはいるけれど、アイルはちんぷんかんぷんな模様。こればっかりはベテランのムーランドでも連れてくるか、きちんとしたブリーダーがいないとどうしようもないのかもしれない。
いまさらながら、本当に狩りが成功するのか不安になってきた。大丈夫なのだろうか?
「ん、どうしたゼロ?」
そうこうしているうちに、ゼロはカマで俺をつついてから木の上を指差し、あちら側を向いているエモンガを見つける。とりあえず俺は息をひそめた。
「えと、アイル……」
とにかく、何らかの対策を練った方が良かろう。アイルとゼロと、ママンとイッカク。この4匹で出来ることを考えねば。とりあえず、一番の先手はせっかくゾロアークもいることだし、アイルの幻影だろう。それで注意を引くか、驚かせるかして何とかこっちへ誘導して。
そしたら、ゼロとアイルの攻撃とママンの糸による拘束を仕掛けるなんてどうだろう。成功するかは分からないけれど、何でも試してみるのが大事だと思う。
「アイル……あのエモンガに見えるように、幻影を出してこっちの方に誘導できるか?」
問いかけると、アイルはうんと頷き、髪から垂れ下がる珠に力を込める。どうやら集中力を高めているようだ。
「ゼロは、アイルの幻影の成否にかかわらず相手が動いたらすぐさま追ってくれ。アイルも可能な限り追跡を頼む。それと……」
俺は腰に付けたボールに手をかけ、ママンを出す。
「ママン。お前はチャンスがあったら糸を吐いてあいつの動きを鈍らせてやれ。頼むぞ」
頼むと、ママンは納得したように頷いた。
アイルが幻影を動かすと、エモンガが視線を向けていた方の草むらががさりと揺れる。そこで、エモンガは外敵か何かだと感じてすぐさま逃げるのだが、音がした方向の逆方向とはいかなかった。
エモンガは
真後ろに座していた俺達から見て90度左、
真横に逃げてしまう。残念ながらママンの糸は射程外で、すぐさまゼロは追いかける。
◇
幻影を使って、こちらにおびき寄せての狩り、ご主人は中々面白いことを考えるが、やはりそうそう上手くいくものではないようである。とにかく、気付かれた以上は追いつけようが追いつけまいが明後日の方向に逃げてしまったエモンガを追わなければならない。俺の姿に気付いたエモンガは必死で逃げる。
だが遅い。俺は身体の軽さだけは何よりの自慢だ。初速だけだってお前に負ける道理はないし、空中でも加速できる翅のある俺と、滑空しか出来ないお前じゃ、素早さだって歴然だ。だが、相手も馬鹿じゃない。
「ミー!!」
こちらの姿に気付いた相手の鳴き声と共に放たれる放電。確かに俺は防御能力はカスみたいなもの。だけれど、当たらなければどうという事はないのだ。相手の予備動作で軌道を見切り、カマを振りぬいて自身の周りに
真空を作り出して電気を逸らす。
この
真空波という技、出が速い代わりに連続発射は出来ないが、それはエモンガの電気も同じこと。飛行中の放電で体力を使ったためか、すでに息切れ気味である。奔り、翔け、エモンガを叩き落とそうと俺は迫るがしかし、獲物は俺のカマが届く前に、枝葉が入り組んだ樹幹に潜り込んでしまった。小さな体を活かせるあの場所に入られてしまっては、俺のカマも素早さも形無しだ。
『くっ……ダメか……』
すぐさま逃げていくエモンガを見送って、俺はため息をつく。
『すまない、誘導不全だった。僕のせいだ……』
アイルもため息をついてそんなことを言うが、なに、気にすることはない。
『いや、狩りは初めてだろ? 餌はまだ家にあるから心配しなくていい。失敗も経験だ。狩りなんて大体こんなもんだし』
大体、俺だって野性の時代に百発百中の狩りなんて出来たわけではないのだ。この程度の失敗、日常茶飯事である。
しばらく獲物を探し回っていると、今度は巣穴からわずかに体を出して、周囲を見回しているミルホッグがいた。
「……なぁ、アイル。巣穴の中に幻影を出すことってできるか?」
俺が見張りをしているミルホッグを指(カマ?)差してみると、ご主人はアイルにそう指示する。
『出来るけど……』
と、アイルは控えめに頷く。なんだかもどかしそうにしながら身振り手振りを交えていると、ご主人はアイルが言いたいことを察したのか、言葉を付けたす。
「ミルホッグやミネズミは巣穴に何人かの仲間で暮らしているんだ……だから、驚かせて分断してやれば、後は巣に残ったミネズミ達を一網打尽に出来るかもしれないだろ? 糸で入り口を塞いで……そうだな穴倉に向かって音で攻撃してやれば……ママン、いきなりで悪いけれど、大きな音で攻撃……出来るか?」
『小生、そのような攻撃の経験はないが……1対1の闘争ならともかく、抵抗できない相手に対してならば出来ないことはない』
と言ってママンは頷く。ご主人は言葉をあまり理解していないようだが、雰囲気だけはなんだかんだで伝わっているらしく作戦成功のビジョンは見えているらしい。
早速、アイルが巣穴の中に幻影を作り出す。見張りに出ていたミルホッグは驚いて飛び出し、巣の中にいたミルホッグやミネズミはさらに奥へ引っ込んだことだろう。
ママンがいくつかある入り口に糸を張って塞ぐと、すぐさま巣穴に向かって輪唱を繰り出す。一人でやってもあまり威力のない技だが、音が響く室内に向かってであれば威力は疑うべくもなかろう。なるほど、ご主人も中々考える……
すぐさま近寄ってみると……まだ穴を塞いでいなかった別の場所からミネズミが逃げ去ってしまった。あんなところにも入口があったのか……くそっ。」
「あぁ、逃げられた!!」
奴らは入り口をいくつも用意していたらしい。輪唱で手遅れになる前に、奴らは別の入り口から逃げてしまった。
「あー……上手くいかねぇなぁ……皆、まだ頑張れるか? それとも、もう帰るか?」
心配するなご主人、よくあることだ。この程度でへこたれているようじゃ、とっくに飢え死にだよ。『もう帰るか?』と言うのに合わせて差し出された左手には触れず、俺は『まだ頑張れるか?』に合わせて差し出された右手に触れる。
「そっか、俺のわがままに付き合ってくれてありがとうな」
心配するな、ご主人。俺も狩りは嫌いじゃない。
『あ、アイル……勝手に決めちまったが大丈夫か?』
『問題ないよ。僕もなんだか、2回とも失敗したけれどワクワクしてきたし』
楽しそうに言いやがる。アイル……こいつは飢えるってことを知らない気楽な奴なんだろうなぁ……ま、実際、成功している内は楽しいんだけれどさ。アイルの反応を見た上で、主人は満足して俺とアイルの頬を撫でる。カズキのやつ、おとといまでは俺の事を役立たずとか言っていた割には、やたらと積極的になったよな。
こうやっていい扱いが続くといいんだけれど。
◇
がさがさと、聞こえよがしにこちらに寄ってくる音。走って様子はないので敵意はないのだろうが、何事かと思ってふり返ってみると、そこにいたのはタブンネを連れたポケモンレンジャーのお兄さんが。
「子供か」
「なんだ、子供ですね……」
赤い制服と太ももに取り付けたポケモンと心を通わせる機械、キャプチャスタイラー。明らかに格上そうな方は筋骨の張った逞しそうな肉体。歳は24歳くらいだろうか。ショートカットの赤髪の下にある顔は、外での仕事のためか、夏になり始めのこの季節でも日に焼けている。ポケモンも温厚そうなタブンネながら、俺のポケモンが束になって掛っても簡単に勝てる相手じゃないのを感じる。
部下っぽい方は、アイアントを連れた青年で、なんというか細身である。戦いとなったらあまり頼りになりそうな見た目ではないが、着やせしているだけで、脱いだらすごいのかもしれない。それでも連れているアイアントは中々強そうだ。
「で、子供が何やってるんだ? こんなところで……ポケモンをゲットするなら表層に行ったほうが早いぞ?」
上司らしき男が話しかけてくる。
「いや、あの……ポケモンたちの餌をとるために、狩り……のようなものです」
嘘をついても仕方がないので、ここは正直に言うことにする。
「狩りって……他の……大人は? 付き添いとかは?」
「いえ、いないです……」
やっぱり、子供だけで狩りって変なのかな? 変なんだろうなぁ……この反応を見る限り。
「まーた、一人で狩りとは変った子ですねぇ……別に法律で禁じられているわけじゃないですが……」
部下らしき男がそう言った。変った子なんだなぁ、俺……。
「ふむ……まぁ、このホワイトブッシュには強いポケモンなんてそんなにいないからいいが、好奇心だけでずんずん進むのは危険だぞ? それに、狩りだなんだって、まさかなんかのゲームに影響されたわけじゃあるまいし……遊び感覚で命を奪うんなら、感心しねえぞ?」
上司らしき人の声は怒っているわけではないのを感じるが、どことなく警告交じりの声だった。一応俺は……遊び、ではないと思う。一応。
「好奇心……だけじゃ、ないかな」
こういうと怒られそうな気がしたけれど、一切にそれだけじゃない。
「じゃあ、あれか? 旅の途中……には……見えない、ですね」
服や靴、持ち物のリュックを見てそう判断したのか、部下らしきレンジャーのお兄さんはすぐに俺をここら辺に住んでいるただの事もであることを見抜く。
「ポケモンを鍛えるため……と、食料にするためなんです」
俺がそう告げると、上司らしきレンジャーは考える。
「いや、鍛えるのは構わないが、残念ながら狩りの上手さと戦いの強さは別だぞ? そりゃ、狩りの経験があることが戦いに影響しないなんてことはないだろうけれど。強いポケモンを育てたいなら……ポケモンバトルの経験を積んだ方が無難だと思うがなぁ」
「は、はい……」
よく分からないけれど、ポケモンのプロが言うのならばそうなのだろう。
「じゃあ、もう一つ。食料ってのは? 生活困ってんのか? 親は?」
馴れ馴れしい、というのだろうか。やっぱり、この年齢で、一人で狩りをおこなっているというのは少し奇異な目で見られるようだ。せめて付き添いに親がいれば色々反応も違ったんだろうけれど……
「いる、けれど……でも、世話はしてもらっていないんです。毎月、家賃とお金だけ渡されて、家にも全然帰ってきてもらってなくって……で、最近新しいポケモンが欲しくなったんですが、貰っているお金だけじゃその分の餌代も出せるかどうか不安だから……」
正直なところ、ブラックシティには路上で暮らしているような子もいるから、そうじゃないだけ恵まれてはいるんだけれどね。でも、新しいポケモンが欲しいといったら欲しい。
「ふーん、なるほどねぇ。しかし、それだと狩りが安定して成功するようじゃなきゃ無理だと思うんだがなぁ……」
「そうなんですよね。だから、安定するようにこうして練習に来ているのですが……」
「もし、安定して出来るようならもう1匹をゲットしてみようと?」
「……はい」
もともとそういう予定だったのでそう答えたが、はいと答えるとレンジャーのお兄さんは踵を返して森の奥地へと向かっていく。
「ついて来い。レンジャーは狩りなら得意だぞ」
そしてそう宣言した。何か、色々教えてくれるのだろうか……それなら願ったり叶ったりなのだが。
「ちょ、マコトさん……仕事どうするんですか」
だよな、と思う。色々教えてくれるのはありがたいけれど、仮にも勤務中に子供に構っていていいのだろうか。
「もともと。密猟者なんてめったに来ないんだから仕事なんてないようなものだろ? 仕事なんて獲物探すついでに出来る」
「そうですけれど……」
普段格好いい姿ばっかりのイメージがあるレンジャーだけれど、意外とそういうところもあるんだな……。
「なら問題ないだろ。子供が間違った狩りの知識を身に着ける前に、色々教えておこう」
「はぁ……分かりました」
上司には逆らえないのか、部下の方もそう言って納得したようだ。
「は、はい」
「ついでにいこ紹介しておくが、俺の名前は
大月 真。マコトって呼んでくれ。お前は?」
ユウトさんは背中を見せながら自己紹介を促す。
「えと、俺の名前は……
大沢 一輝です。よろしくお願いします」
「カズキだな、覚えておくよ。お前も自己紹介しろ」
「
今川 義男です……よろしく」
「よろしくお願いします」
自己紹介を終えると、マコトさん達は主に足元を見ながら歩き出す。マコトさんいわく、これは痕跡を探しているらしい。目を凝らさないと分からないような足跡の痕跡、糞の状態や枝葉の状態。マーキングの跡や食べかすなどなど。そんな小さな痕跡からポケモンを探すことが可能なのだという。
本当に、仕事中に俺に構うとかこんなことをしていいのかどうか気になったが、彼らが言うとおり平和な森だからそこまで気にすることもないのかもしれない。
それとも、これを同じく仕事をしている隊員に見られたときは、迷子の子供を発見したとかなんだとか言って仕事をしているふりを決め込むのだろうか……?
しばらく、自分がやっている追跡術の解説をしながら歩いていると、先導するマコトさんが俺を手で制する。
「いたぞ、シキジカとメブキジカの群れだ……雌の大人と、子供たちのようだな」
そこは、小川が流れる場所であった。
「で、あれをどう狩るかだが……俺達なら銃や弓矢を使うが、そういう免許のないお前にはお手本に出来ないし、俺やヨシオのポケモンは狩りには参加させない。お前ならどうする?」
聞かれて、俺はアイルとゼロを見る。一応、俺の手持ちもマコトさんの手持ちも全員紹介済みで、マコトさんはドサイドンとタブンネが手持ちなのだという。どちらも狩りをしないポケモンだから、彼の言うとおり狩りに於いてはあまり戦力には数えられない。
ヨシオさんは雄のアイアントのアリシアと雌のエモンガのアルスを手持ちにしている。名前が性別と逆じゃない?
アイアントは大きなポケモンも群れで狩り殺すとはいえ、今回は手を貸してくれないというし、エモンガも狩りをしないのは分かっている。結局、一人でやるしかなさそうだ。
「アイルの幻影で驚かせて、何とかこっちに誘導出来たらその時、ゼロやアイルで仕留めようかと思います」
「なるほど。いい案だが、それだけじゃダメだな……出来るだけ他のポケモンが遊ばないようにどうにか出来ることを考えるといい」
「例えば?」
遊ばないようにと言われても、具体的にどうすればいいのか。
「そうだな……上手くポケモンをこっちに誘導できたとして、それでも仕留めきれるか分からないだろ? ならば、俺らがサポートできる方法だが……ちょうどハハコモリがいるじゃないか。だからな……」
マコトさんが話してくれたのは足を引っ掛ける糸を用意しておけという事であった。こちら側に誘導できたとき、夢中で逃げて細い糸が見えていないシキジカ達の足を引っ掛け転ばせるための糸。子供の悪戯のような簡単な罠だが、単純なだけにセッティングも簡単で扱いやすい。
取り合えず、俺達は言われた通りにレンジャーの標準装備であるロープと、ママンに急ごしらえで作ってもらったロープを木のと茂みの影に隠れて設置する。見つからないように細心の注意を払いながら、一方を樹の幹にしばりつけもう一方を手に持って準備完了だ。
必ずこちらに誘導できる保証はないが、幻影を出す時も退路を塞ぐように出すことを心掛けろと、アイルがアドバイスをされた。あまり多くの幻影を出すと、それだけ幻影は粗くなって見破られやすくなるが、反射的に逃げようとするシキジカ達が幻影を見破るほど落ち着いた行動は無理だとマコトさんは言う。
結果的には幻影の質こそ劣化したものの、アイルも同時に出せる幻影を増やせたので、何とかなるかもしれない。
ママン、イッカク、ゼロ。俺のポケモンが全員スタンバイを完了したのを確認して、アイルも幻影を作り出す。小川を挟んで向こう側にいたメブキジカ達を囲むように、三つの捕食者の幻影。アイルは自分が化けるくらいならともかく、周囲に幻影を張り巡らすような高度な幻影は出来ないから、これが精いっぱいのようだ。
ともかく、幻影に驚いた獲物に川の中を逃げるという選択肢はないだろうし、こっちに誘導されると踏んだがそのもくろみは間違っていなかったようだ。
その中の一頭がまず茂みを乗り越えようとした際に、イッカクと俺がロープを持ち上げ足を引っ掛ける。思いっきり前に吹っ飛ばされ、俺は体ごと持ってかれそうになったが、何とか一頭のシキジカが転んで投げ出される。
「今だ、糸を吐いて!!」
転がった俺は体勢を立て直す前にママンに指示する。そこから先は、何を言うまでもなくイッカクがメガホーンでシキジカの胴体を穿ち、続いて神速の踏み込みで間合いを詰めたゼロのシザークロスがシキジカの喉を切り裂く。効果は抜群で、いかに攻撃能力にすぐれないゼロと言えど、トドメの一撃となることは免れなかいだろう。
しかし、野性の本能なのだろう。万が一という事を想定したのかアイルも続けて覆いかぶさり、足に噛みつく。かくして、先程まで生きていたシキジカは一瞬にして糸まみれ、血まみれ、傷だらけの死体となっていた。
「どうなったの……」
ロープを引っ張られ、ふっとばされて天地が分からなくなっていた状態から俺は立ち上がり、シキジカの亡骸を見る。先ほど必死で逃げようとしていたシキジカはすでに死んでおり、止まった眼球は宙を捉えている。
「死んでますね」
それを見ていると、しばらく何も考えられなかった。爪よりも小さな蟻を殺して遊んだ思い出はあるが、それとは違って確かに体重や重みを感じる命を奪ってしまったという事実を、なかなか受け入れられない。
「あぁ、そうだな。こいつらはそのまま喰っちまうだろうが、お前は肉を喰ったりしないのか? もしこいつの肉を喰うんなら、早いところ血抜きをした方がいいぞ」
「そうですね。速く血抜きをしないと生臭くなっちゃいますし……」
「そ、そうだ……包丁で……」
マコトさんと、今まで空気だったヨシオさんに言われるがまま、俺はリュックの中から布に巻かれた包丁を取り出す。
「おいおい、そんな包丁でやる気か? もう少しいいものを使え」
「いやいや、この年でいいナイフを持っているというのもどうかと思いますが」
家の中でいつも使っている万能包丁。万能だからと考えたが、やはりレンジャーにとっては貧相らしい。マコトさんとヨシオさんが取り出したナイフは刃も肉厚で、よく研いであるおかげか輝きも違う。二人は、俺の目が泳いでどこを見ればいいのか分からないくらい鮮やかに主だった動脈を切り裂き、ママンと協力して木の枝にシキジカを釣り上げてしまった。アイルは喉が渇いていたのか、血の匂いが気に入ったのか、傷口から流れ出るそれを美味しそうに舐めている。
「こうやってきちんと血抜きをしないと、肉がまずくなる。まぁ、ここまで手際よくってのは無理だろうけれど、ちゃんと血抜きの方法は覚えておくといい……」
「肉の美味しさに関わりますからね。獲物を殺したらすぐ血抜きが基本です」
「ありがとう、ございます……」
マコトさん。ヨシオさんに立て続けに言われて、お礼を言うべき状況だというのは分かっているけれど、なんだか素直にお礼を言える気分じゃない。二人は平然としているけれど……大人ってこうなのだろうか。それとも、ポケモンレンジャーだからこうなのだろうか。
「そうだ、ゼロもアイルも、イッカクもママンも、みんなありがとうな。皆がいなかったらとても狩りなんかできなかったし……協力してくれてありがとう」
忘れていたお礼を言うと、俺のポケモンたちは嬉しそうに鳴き声を上げて応える。もちろんアイルも嬉しそうに吠え、レンジャーの二人はそれをほほえましそうに見ている。ちょっと恥ずかしいんだけれど。
「なぁ、お前さ。今まで料理として出てくる肉がどうやって食卓に上るか考えたことあるか? こういう風に、生きている物を殺して、食料になって行くんだ……」
「考えたことはありましたけれど……」
マコトさんに言われ、俺は記憶の糸を手繰ってみる。考えたことはないわけではなかったけれど、なんだかイメージと違う気はした。
「大方、なんかのゲームみたいに簡単に狩れると思ったが、そうではなかったって感じだろうな」
「ゲームは……正直店頭でテストプレイできる奴ぐらいでしか知りませんが、まぁ……そうです。もっと楽しくってはしゃぐかと思ったんですがね……楽しいとか、悲しいとかじゃなく、可哀想……なのかな?」
「可哀想、ですか」
「可哀想、かぁ」
ヨシオさんとマコトさんが互いに顔を見合わせる。何さ、その反応は……。
「確かにそれはあるわな。で、そんな可哀想なシキジカに対して、何か掛ける言葉はあるか?」
「……なんていうか、ごめんって感じかな。人間の死体なら街で何度か見たけれど……自分で命を奪うのとは、なんか違うなぁ……この死体と俺は関係ないぞって他人事に出来なくなる」
マコトさんの質問には、これ以外で答えられるものなのかな……わざわざ尋ねるってことは、簡単な答えじゃないんだろうけれどさ。
「んー……ありきたりな言葉だけれど、そういうのは違と思いますよ」
と、思ったらヨシオさんからダメ出しを貰った。やっぱり、俺の答えじゃダメなのか。
「は、はぁ……」
「森から動物をいただいたんだから、『いただきます』じゃないかな? 謝るよりも、感謝をした方がって、私は叔父から教えられました。そういうもんだと思いますよ」
「……はい。えと……いただきます」
なんだか、今から食べるわけでもないのにこういうのも変な感じだけれど、これでいいのかな。ヨシオさんの言うことは、分かるような分からないような、少し難しい。
「まぁ、そんなもんだ。ところで、このシキジカはどうするんだ? 全部リュックのビニール袋に入れて帰るのか?」
俺のずぼらな性格が幸いして、捨てられることなく大量に家にあったスーパーのビニール袋。血の滴るこの肉を入れるのかと思うと、なんだか抵抗もあるが、一応はマコトさんの言うとおりの計画だ。
「そ、そうします。もったいないですし、それこそ申し訳なくなるので……」
俺は深呼吸してシキジカの死体を見る。ポタポタと垂れ続ける血はいまだとどまらず、ゼロやアイルのみならずヨシオさんが連れている雄のアイアントのアリシアまで一緒になって舐めている。
「せっかくだから全部喰えよ? 出来れば毛皮もなめして何かに使えと言いたいが……」
「なめす、ですか……」
「まぁ、いきなりやれって言っても無理だろうからな。きちんと方法を調べて次からやればいいんじゃないのか?」
「……えと、分かりました」
この人達はよっぽどポケモンを殺し慣れているのだろうか。全く動じないのはそういう事なのだろうか?
「仕事中にこんなことを子供にさせるのは不思議か?」
「え、あ……はい」
今自分が考えていたこととは全く違うが、マコトさんのいう事は確かにその通りだ。
「一つの理由としては、この仕事は暇だからな。密猟者なんてそうそう現れるもんじゃないから、暇つぶしだなー」
「職務怠慢ですねー」
「うっせぇ、子供の頃はポケモンレンジャーがもっと華やかで格好いいのを想像してたんだよ! アニメの影響で」
ヨシオさんの言葉にむきになっているあたり、マコトさんは自覚があるようだ。
「ここら辺は禁猟区じゃないから、お前みたいな子供だろうと狩りをしても問題ないし……もう一つは、ちょっと面白そうだったからだ」
「面白そう……って言うのは……」
何が、どう面白そうだったのか。
「ポケモンの餌代の代わりに狩りをするなんて言う発想がだ。本当なら今日は収穫なしで帰ってもらって狩りの厳しさを知って欲しかったところだが……まぁ、成功しちまったものは仕方ない」
「はぁ……なんだか、それ酷いですね」
成功しないで欲しかったなんて、なんだかショックなんだけれど……
「命を奪うことを簡単に考えて欲しくないからな。だがまぁ、こうして話が出来るうちに成功してよかったともいえるし……ま、なんにせよ、貴重な体験が出来たな」
「は、はい……でも……殺すって、簡単だけれど……」
「重いか?」
言おうとしたことを先に言われてしまったのだろうか。
「重い……うーん……そうですね、軽く考えてました。なんか、シキジカの死体を高々と掲げて『やったぞー!!』とでも叫びたい気分になるかと思ったんですがね……」
「ふふ、そりゃテレビの世界での話だ」
マコトさんに笑われてしまった。なんか悔しい。
「とはいっても、現実に生きるお前が必ずしも狩りをするごとに重い気分になる必要はない。だがまー……人間に生まれて来たんなら、食料に感謝して生きるといい。あいつらポケモンは無邪気に血を啜ったり、肉を食べたくって今か今かと待ち構えているが……」
そう言ってマコトがつりさげられたシキジカの死体を見ていると、アイルはポニーテールの髪を振って、お座りの姿勢をして待っているし、ゼロは腕組みしながら木にもたれかかって、ずっとシキジカの死体を見ている。
「俺のポケモンが肉食じゃないから忘れてたが……ポケモンは血抜きしないほうが好きだったし、あいつらには早いところ肉を上げときゃよかったかもな……どうせ内臓なんて調理も難しいし、奴らにくれてやっても構わんだろう?」
「は、はい……俺は肉だけあれば」
よしきたと付け加えてマコトさんは内臓を切り裂いてアイルとゼロに渡す。俺はその様子をじっと見る。アイルとゼロは無邪気に肉を食べ、待っている間退屈なママンとイッカクは、それぞれ葉っぱを食べたり木の幹に傷を付けて樹液を舐めている。それにしても、アイルの食べっぷりの豪快なこと。ユウジさんがこいつは大食いだと言っていたが、それがよく分かる。
それにしても……今まで、スーパーマーケットに並んでいる肉がどんなふうに作られているのか見たことはなかったけれど……まぁ、家畜はこんな風に捕まえるのに苦労することはないかもしれないけれど、でも命を奪うとこんな感じなのはきっと変わらないんだろうなぁ。
さっきまで動いていたものがずっしりとした人形みたいになって、こうしてつるし上げて血を抜いて……なんだか、現実の光景じゃないみたいだけれど、こうやって食肉は食卓に上るのかぁ。
「えと、殺した獲物には……ごめんなさいじゃなくってありがとうでしたっけ」
「そうだな。謝るくらいなら狩りなんてするなって話だ。それともう一つ。食材に感謝できない奴は、食材を無駄にする。揚句、狩りのし過ぎで獲物を失ってしまう……かつてホエルオーは体にある油を目的に狩猟され、残りの肉とかその他もろもろ捨てられていた時代があったが、そのせいでホエルオーはだんだん不猟になっていったって話だ。
食材への感謝なんてしても食料になった生き物は救われないとか思うかもしれないが、感謝ってのはそういうお話への戒めでもあるんだ。だから、きちんと感謝しろ?」
「は、はい……」
今更だけれど、誠さんの言葉に鵜アがされるがままに、俺はシキジカに向けて手を合わせる。
狩るという事は殺すという事だなんて、分かりきっている事だ。だからごめんなさいではなく、ありがとうと言うのは頭では分かる。まだ少し違和感があったけれど、俺は手を合わせて心の中でありがとうと声をかけた。
「ポケモンレンジャーなんてやっていると、ポケモンを道具扱いする奴や、家族と思っている奴。心底大切にしすぎて依存しちゃう奴や、人間の敵だと思っているような奴もいる。本当にいろんな例に出会うけれどさ、やっぱりポケモンと協力して仕事をしている身からすると、ポケモンとの付き合いはいいものであってほしいんだよな。
今回はパトロールをさぼってしまったけれど、今日はサボってよかったと思うよ、うん。狩りをするなんて子供がいたら、放っておけないもんなぁ……」
しみじみと言っているけれど、それってどこまで本音なのだろうか。
「さぼりたかっただけじゃ……」
「それも半分だ」
マコトさん、結構正直者かもしれない。
「さて、と……流石にサボりすぎてもまずいから、そろそろ肉を捌いて終わりにしようと思うんだが……その間に何か質問とかあったら答えるぞ」
「えと、それじゃあ……何か連絡取れるものって持っていますか? 俺は、携帯電話がありますが……」
せっかくここまで親切にしてくれたんだし、連絡先ぐらい取り合ってみるのも悪くないかもしれない。そう考えての提案だ。
「そう来たか……どれ、メールアドレスくらいなら交換してやってもいいぞ。だが、それは捌いた後でな」
「そうですね。私も捌いた後で」
なんとまぁ。ダメ元のつもりだったけれど、マコトさんもヨシオさんも了承してくれた。これは嬉しい。
「あ、ありがとうございます……えと、それじゃあ、もう一つ質問いいですか?」
「なんでも」
自信満々にマコトさんは答える。
「ポケモンバトルで強くなるにはどうすればいいでしょうか?」
「そりゃー……実戦経験を積んで、慣れるのが一番だけれど……そうだな。ポケモンではなく、指示を出すトレーナーとして強くなると言う意味でならレンタルポケモンなんかを扱うバトルファクトリーのような施設で強くなるとか……もう一つはこまめにレポートを書くこと、かな」
「はぁ……レポート」
「歴戦のチャンピオンを若年にして破った少年少女なんかがたまにニュースになるが、そういう少年少女は大抵レポートをこまめに書いて、しかもまとめるのが速くて上手かったそうなんだ。たぶん、自分の考えを固めたり、後で見直したりとかそういうのが出来るようになるし……レポートを纏める力がポケモンバトルで戦略を練ったり、パターンや出来事を忘れずに次に生かすことに通じるところもあるんじゃないかと思う」
「なるほど、分かりました……実践してみます……」
俺が納得してそういうと、マコトさんは肩を竦めて笑う。
「確証はないぞ? それに、根性論や精神論も多少は必要だ。やっぱり、ポケモンが尽くしたくなるような主人になって、絆や信頼を深めたり、だからといって甘えさせ過ぎないように。そういう心掛けが一番大事なんじゃないかと思う」
言われて、俺はゼロを見る。アイルは自分の主人であるユウジさんをどう思っているのかは知らないけれど、俺のゼロはどうなのだろう。昨日のブラックモールでの一件で少しは仲良くなれたと信じたいし、今日のように狩りで楽しんだり美味しいものを食べて幸せになって貰ったりすれば、懐いてくれるのだろうか?
主人とかそういうのとはちょっと違うけれど、俺も誰かにほめてもらえると嬉しくなったけれど……そんな風に俺を慕ってくれていればいいんだけれどな。鮮やかに分解されていくシキジカの死体を見ながら、俺はそんなことを考えていた。
やがて、二人が見事に捌いていって、シキジカの体に付いていた肉もほとんどなくなってきた時の事。ハラワタを食べている途中のアイルが森の奥の方にいた何者かに激しく威嚇をした。がさがさと音を立ててこちら側にやってくる獣は、絨毯のように滑らかな、若草色の毛皮を纏う霊獣であった。
「でかっ……」
180センチはありそうなマコトさんと同じくらいという体高と、それに見合った威圧感。ママンもイッカクもゼロも臨戦態勢を取っているが、とても勝てる相手じゃないような気がする。というか、あのV字に後ろへ広がった角。肩や首、尻から伸びる飾り毛。そしてすらりとした細身の体型……間違いない。
「ビリジオン……初めて見た」
その美しさに見とれているうちに、どうやらポケモンたちは相手のビリジオンに殺気がないことに気付いたらしい。タテガミを逆立てて威嚇していたアイルも警戒を解き、腕を構えていた俺のポケモンたちも、カマや角など武器となる部分をおろしている。
「どうした、珍しいなヨツギ?」
マコトさんは親しげにビリジオンに話しかける。もしかして、知り合いなのか?
「このビリジオンと……知り合いなんですか?」
「まぁ、な」
こともなげにマコトさんは答える。
「こいつ、森のヌシの子供でさ。いずれ世代を交代するから世継ぎって呼ばれているんだ。いつもは奥地の禁猟区にしかいないはずなんだけれど……」
「珍しいこともあるもんですね」
ヨシオさんが言っているけれど、やっぱり珍しい事なのか。でも、そんなことよりも何よりも、格好いいなー……
「えっと、ヨツギ……様ですか」
「『様』なんてつけるほど畏まる相手でもないぞ? そいつ5歳だからお前より年下だし……別にヨツギってのは本名じゃないし」
いやいや、年下かもしれないけれど、ここまで神々しいと『様』をつけなきゃ失礼なような気がする。俺に話しかけられたヨツギは、最初から俺に用があったかのように滑らかな動きで俺の前に立つ。その巨体から見下ろされると、自然と背筋が伸びるようだ。
「えっと……この森から、食料として命をいただき、ます……。なんというか、事後報告になってしまいましたが……どうか、その許可を……」
「えー……」
マコトさん、俺が頭を下げている最中に冷やかさないで欲しいんですけれど。
「基本的に、ヌシもヨツギも狩人に対しては寛容だぜ? 乱獲とか、むやみやたらの木の伐採でもしない限りは。だから、そんな風に畏まって許可を取らんでも……」
だから冷やかさないで欲しいんだけれど。そろそろ頭を上げるべきだろうかと思って顔を上げると、驚くほど近くにヨツギの顔があって、気付けば俺は分厚い舌で顔を舐められていた。
「おぉ、プロポーズか? ヨツギは雌なんだよなぁ……年上の男の子に恋をするとはませているねぇ」
「そりゃ違うでしょうマコトさん……」
マコトさんの冷やかしも、ヨシオさんのツッコミも耳に入らない。俺が呆然と見つめていたヨツギの表情は、心なしか微笑んでいるように見えた。で、そのままヨツギは踵を返して森の奥地の方へ引き返していくんだけれど。なにこれ、何しに来たんだろう? 関係ないけれど、それにしてもいいお尻だなぁ……。
「……何しに来たんだあいつ?」
「挨拶、でしょうかね……たまたま来てみたら私達を見つけて、ついでに見かけない少年がいたからって感じで……」
あぁ、レンジャーの二人も何しに来たのか分からないのですね。本当に何しに来たんだか。
「変り者の子供がいたからからかって遊んでみたとか、そんな感じなのかもなー」
「さ、散々な言い方ですね」
マコトさん、結構口が回る人ですよね。それにしても、からかわれた……か。いまだに湿っている頬の感触や匂いを気にしていることをどこかで笑ってみているのだとしたら、あのビリジオン、すごく性格悪くないかな?
「どちらにせよ、貴重な体験が出来て良かったですよ……ビリジオンを見られただけでも満足なのに、からかってもらえたなら、それはそれで……」
「違いないですね。私だって、体に触らせてもらうまでに数日要したというのに、子供は得ですよ」
ポケモンを扱うプロでもそんなもんなんだ。やっぱり貴重な体験だったのかな……。
「ま、嫉妬したって状況は変わりゃしねぇ。こうしてサボり続けるのもなんだし、そろそろ本当に仕事に戻ろうぜ」
「それはこっちのセリフですって。ちゃんと仕事しましょうよマコトさん」
しかし、この二人は仲がいい。マコトさんもヨシオさんも、ポケモンレンジャーのお仕事楽しくやっているんだろうなー。羨ましいってわけじゃないけれど、将来はこうやって楽しく仕事をできる仲間がいるといいんだけれどな……
そんな風に思っているうちに、あっという間に肉を捌いた二人から、俺は肉を貰って、連絡先を交換して帰路についていた。リュックから立ち上る血の匂い。アイルは肝臓と小腸を腹いっぱい食べて満足そうにボールの中で眠り、俺のポケモンたちは血の匂いに惹かれた森のポケモンに襲われないようにと護衛を任せた(まぁ、後で思い出したけれど、この森に捕食者のポケモンはヘイガニやストライクくらいしかいないわけだけれど)。
それにしても……今日の夕食何にしよう? こればっかりはユウジさんに相談したほうがいいかもしれない。あの人料理関係の学校出てるし、カジノに併設されたレストランの調理スタッフだし……料理も上手くやってくれるだろう。
それにしても、レポートか。いったい何を書けばいいのだろうか?