BCローテーションバトル奮闘記





小説トップ
第一章:初心者編
第三話:入浴も一苦労

6月20日

「うーん……」
 入院生活から帰って来た時、家はすっかりバリアフリーとなっていた。段差にはきちんとなだらかな坂がつくようになったため、室内でも車椅子を走らせるのに苦労せず、壁のいたるところに取っ手が取り付けられて、移動に不自由することは少ない。どうしても困った時は、母さんや妹、そしてポケモンたちに世話してもらえた。
 1階に移された私達の部屋は、以前は和室だったけれど、車椅子でも傷付かないようにフローリングにリフォームされていたのは少しばかり寂しかったが、その気遣いはとても嬉しかった。
 家族が暖かく迎え入れてくれたので、そういう意味では心も温まったけれど、最近は心が冷たくなるような現実を突きつけられている。
「はぁ……」
 原因は携帯電話を開いた時に訪れる虚無感だ。昔は気を使っていたオシャレだが、それをする意味の一つである外に出る機会が、最近極端に減っている。今まで友達だった女の子たちは、目に見えて私を避けるようになってしまった。
 そりゃ、面倒なのだろう。私のせいで行動範囲が限られたり、階段を上るにも苦労したりと、私を遊びに連れて行くメリットは他の子と比べてそこまで多くなく、デメリットばかりが目立つ。私自身、持ち前のノリの良さは失っていないつもりだが、それでも面倒という偏見はなくなることが無いらしい。休日遊びに誘われることがなくなり、今では休日と言えば家に引きこもる日になっている。
 外に出かける機会が減って、オシャレする気力が起きなくなった。クローゼットの隙間から覗いている、紺色の縦筋が入ったセルリアンブルーのワンピース。素肌を晒す春も、日除けの黒いレオタードをインナーに据える夏も、寒さをしのぐためにインナーで厚着をする冬でも重宝したゆったりデザインのワンピースだったのだが、外に出る気が起こらないから今年はあまり着る機会もなさそうだ。
 自分で言うのもなんだけれど、せっかく買った服がかわいそうな気がしてくる。
「どしたー、ねーちゃん? ため息なんて吐いて?」
 自分の勉強机に座りながら、携帯電話を見てため息を吐いたのだ。少しは察してほしいものだというのに、妹はそんなの気にせずに私に話しかけてくる。悪い子じゃないんだけれど、正直鬱陶しい。ブラックモールまで徒歩で行って帰ってきたらそれだけでも疲れているだろうに、眠ってりゃあいいものを。
「メールが今日も0件なのよ。家族を除いてね」
「あー、なるほど。ねーちゃん以前は睡眠時間を削る勢いで友達とメールしてたもんなー。で、体が悪くなったら捨てられたってわけか?」
「そうでしょうね……」
 ほっといてくれれば良いのに、妹はこうして構おうとしてくる。
「まー、いいんじゃねーの?」
「何言ってんのよ、あんた!?」
 流石に、聞き流せない。何よ、あんたは私の友達が減って嬉しいって言うの?
「お、怒んなよ……俺はただ、メールを送ってた友達がねーちゃんの魅力というか、いいところを全然理解していないと思っただけで……歩けなくなった程度で見捨てるような薄情者だったって言いたかっただけだよ……」
「その言い方が気に障るのよ!! もう出てって!! この部屋から!!」
「俺は、ねーちゃんのいいところを知ってるって……」
「いいから出てって!! あんたの戯言は聞き飽きたの!」
 私は机の上にあるペン立てを引っつかみ、いつでも投げられるんだぞとばかりに威嚇する。まだ言いたいことがありそうな様子の妹であったが、こっちの表情を見てようやく怒りを察したらしい。気まずそうに目を逸らすと、そのまま何も言わずに立ち去っていった。

 ばたん、と扉が閉まる。私は無言でペン立てを置いてため息を吐いた。
「なんなのよ……あいつは……」
 そして机に突っ伏して大きくため息をついた。
 妹は、文武両道だ。ちょうど小学二年生の頃、旧プラズマ団に続いて出現した悪の組織(小物だったけど)の鎮圧に当たったポケモンレンジャーの強さにほれ込んでからというもの、隣に住んでいるレンジャーの今川さんに惚れ込んだり(一時は今川さんと結婚したいとすら口走っていた)母親に頼み込んで忍術の道場に通い、小学五年生になってからは正式に格闘タイプのジムとして認められたその道場でポケモン使役術も同時に学んでいる。
 無論、憧れたポケモンレンジャーになるためである。
 妹は勉強はほとんどしていないが、学校の授業だけで難なく100点を量産するし、武術もポケモンに負けず劣らずの実力だ。

 挫折を知らないくらい良く出来た妹は、心が傷付くということが分からないのだろうか。だから、さっきのように人が傷付く事を簡単に言ってのける。空気が全く読めないのだ。そりゃ、妹が言っている事は分かる。私の取りえなんて、その場のノリにあわせて叫ぶ塩梅が上手いくらいだ。その程度の認識しかされていないから、連れまわすのも面倒な私は友達の輪から外されるのだろう。
「私のいいところってなんなんだろ……」
 ついつい感情的になってしまったけれど、妹はそれをきちんと私に伝えようとしていた。妹は、空気が読めない奴だけれど、決して悪い子ではないから。だから、私を貶す言葉の後には、きっと褒める言葉も用意していたことだろう。
 それなのに、感情的になって突っぱねてしまった私は、勿体無い事をしたのだろうか……? あぁ、そういえばもうすぐ生理だったわね……女ってこれだから。
「後で謝らなきゃな……」
 自分は今、足が動かない車椅子生活だ。夫婦の部屋だった場所に子供部屋が移され、逆に夫婦の部屋は2階に移った。気遣われていることが嫌でも分かるその気遣いはありがたいのだけれど、それで自身の体に対する苛立ちは消えない。
 まだ車椅子の生活にも慣れていないから、苛立ちが消えない事はきっと変なことじゃないんだろうけれど、それに甘えて当たり散らしていいことなんて無いはずだ。具体的にどうすれば良いのか分からないけれど、とにかくそういう苛立ちを我慢出来る大人にならなきゃ。
「なんだけれど、あいつもあいつであの空気の読めなさはどうにかしなくっちゃね……」
 責任転嫁するわけじゃないけれど、あいつのあの言い分は多分私以外の誰かも傷つけると思うし……それでも、大人になれない私のほうが悪いんだから次に顔を合わせた時はごめんと言って謝ろう。

 そう思いながら、窓の外から聞こえてくる声に耳を傾ける。結局妹はショッピングモールから帰ってきたばかりだというのに、また庭でトレーニングを開始していたようだ。私の部屋からはどうやっても見えない位置だけれど、『やー!』とか『ハッ!!』とか、気合を入れて殴りかかる声が聞こえる。
 キズナが直接ボコボコにしてゲットした幼いダゲキのタイショウも、今ではすっかりキズナと互角の腕前になっている。人間は成長が遅いから、このままだといずれタイショウに追い抜かれるだろうが、その時でも忠誠心は残るのだろうか?
 アキツは、以前私の事を『家族』と言ってくれた。家族を助けるのに理由は要らないというニュアンスで、私が迷子になった時の事を振り返ってくれたりもして、その時はものすごく嬉しかったのを覚えている。
 では、タイショウはどうなのだろう。タイショウは野生出身で、キズナに対して無鉄砲に勝負を挑んだ(子供同士の遊びのつもりだったのだろう)際に捕まえられたわけだ。その時『これ以上戦ったらナゲキになっちまうぞ?』と言い放ったキズナに対して抱いたのは、恐れと尊敬だと手話で言っていた。
 このまま成長していけば、キズナはきっと強くなるが、その成長スピードも決して速いものではないだろうから、追い抜かれた時にまだ恐れや尊敬は残るのであろうか? それとも、そんなものが無くても、家族の絆があれば、キズナに従ったりするのかしら。
 そして、目も開いていない状態で育児放棄され、衰弱していたところを母親のコジョンドから(主にシャベルを用いた力ずくで)奪って救われた恩があるとはいえ、それはアサヒにも同じことが言える。野性の世界では強さこそ序列の基準となりやすいから、主従が逆転したりしないか心配だ。
「本意を聞いてみるかしらね。ポケモンブリーダーを目指すなら、そういうこともきちんと聞いておかないと……」
 悔しいことに、友達と遊べなくなったおかげで時間はたくさんある。本でも読んで、ポケモンと触れ合って、少しでも時間を潰すとしよう。


 食事が始まる前に、私は玄関で妹を待って謝罪を入れた。『さっきは怒ってごめんなさい』と第一声で話しかけると、妹はそんなに気にしていないさと言う。コイツは空気は読めないけれど、こういうところで余裕があるから、人間が出来ている。
 食事が終わると、2人の部屋に戻って2人きり。先ほどは感情的になってしまったが、今度は落ち着いて聞こうと思う。
「そういや、さっきはねーちゃんが先に謝っちゃったけれど、俺のほうもごめんな。もう少し言い方を考えるべきだったよ」
「それは善処してねとしか言えないわ」
 気にしていないという言葉で取り繕えるようなものではないからね、我が妹、キズナの場合は。
「まぁ、なんだ。俺が言いたかったのはさ、ねーちゃんはいいところがあるんだよ、実際。ポケモンが大好きなんてありきたりな個性だけれど、それが高じてポケモンに手話を教えたり、ポケモンブリーダーになろうと思ったり。
 中学生ってのがどんなもんか分からないけれど、そういう風にまじめに考えている中学生がどれだけ居るのかって感じだし……」
「うんうん」
 なかなか嬉しい事を言ってくれる。確かに、私が誇れることなんて、ポケモンに手話を教えたことくらいだ。ポケモンと話してみたいというのがあったし、キズナに対して何をやっても負けてしまう自分がキズナより優位に立てる唯一つの手段だったから頑張れたことだ。
「ねーちゃんのことを本当に友達だと思えるなら、そういうところも見てくれなきゃダメだよ。……俺は、ねーちゃんのいいところを知っているから、それをなくさない限りはねーちゃんの味方だよ」
 最初っから、こんな風に言えればいいんだけれどな。キズナは変なところで要領が悪いから、私の神経を逆撫でるような事を先に言う。それを許さないのは私が悪かったけれど、傷付くのが私だけであるうちに、なんとかしてもらえないかなぁ。
「ありがとう……」
「それにねーちゃんさ。俺より頭が悪いとかなんとか言っているけれど、それって学校の授業で眠くて集中出来ないからだろ? 俺は、家で勉強するのが嫌だから学校で全部覚えちゃうけれど、メールしなくなったんならチャンスじゃん?
 夜更かししないで済むんだから、俺も同級生も親も、見返してやろうぜ? 俺と同じ親から生まれて、同じ遺伝子持ってんだ、ねーちゃんが出来ないわけ無いじゃん?」
 というか、貴方みたいに毎日鍛錬だか修行だかをするわけでもないから、私のほうが勉強出来なきゃ本当に役立たずになっちゃうわよね。
「分かったわ。頑張る。これから成績上げる」
「そうだろ? ねーちゃん、手話を覚えるのも一番早かったし、馬鹿じゃないんだ。出来るよ」
 それは暗に手話以外の時は馬鹿だったって言われているような気がするのだけれど……いや、言うまい。良くも悪くも正直な妹の、率直な意見だ。尊重しよう。
「分かった分かった。だから私の心をこれ以上えぐらないで……」
「ん? 褒めているつもりだったけれど、何か変なこと言ったか?」
 自覚、なしか……わが妹よ。
「貴方は失言をもう少しなくすように心がけましょうね……」
 目下の目標ね、ホント。

「ところでさ、ねーちゃん。聴導ポケモン育てるんだったらあんまり必要ないけれど、やっぱり介助ポケモン育てるとなると、いろんな世話が出来ないとならないよな?」
「ん? あぁ、確かにそうねぇ……」
 確かにそうだけれど、そんな心配するまでも無くタイショウは良くやってくれている。ベッドから寝返りだけで車椅子に移る時はきちんと見守ってくれるし、言えば手伝ってくれる。何か物を落とした時は拾ってくれるし(よくキズナが連れて行ってしまうからいない時が多いけれど)必要とあらば坂道で車椅子を押してくれたりもするし、持ち前の体力で階段をお姫様抱っこで上ってくれたりもする。
「でも、タイショウは頼めばきちんとやってくれるわよ?」
 バスの上り下りだって、頼めばやってくれるだろうし、現状不満な所なんて無いんだけれど……
「ありゃ、じゃあトイレとか風呂も大丈夫なのか?」
 キズナ……我が妹ながら、コイツは何を言い出すのか……
「トイレは……その、いつ漏らすかわからないからオムツはまだ外せないけれど、何とか一人で出来るようになったし……風呂はほら、キズナやお母さんに頼めるでしょ?」
「あぁ、まぁそうだけれど……もしかしてねーちゃん、タイショウが雄だから嫌とか? いいぜ、ねーちゃんなら俺がいくらでも風呂に入れてやるよ」
 当たり前でしょ!! アサヒみたいにケモケモしい見た目ならともかくとして、タイショウは肌が青いこと以外は完全に人間。キズナは平然と裸でタイショウやアサヒと入浴しているが、それは私には無理である。
「そりゃそうでしょうに! お父さんに世話になるのだって嫌なのに……ダゲキじゃあちょっと……」
 何が無理って、胴着のせいだ。エルフーンはバッフロンやメブキジカのような草食の特性を持つポケモンから身を守りたいがためにダゲキやナゲキと共生し、エルフーンは草食のポケモンから格闘技で守ってもらう代わりに、ダゲキやナゲキに胴着の材料となる綿を差し出すのだ。あの胴着のせいで、ダゲキナゲキは私達人間と同じく体毛が極端に薄くなってしまったんだ。
「えー、ポケモンなんだし関係ねーじゃん」
「いや、セイイチみたいに体毛に覆われているならいいけれどさ……」
 ダゲキナゲキが風呂に入るためにと胴着を脱げば、そりゃもうブランブランとぶら下がっているアレが。
 正直、私は正視に堪えなかった。でも、セイイチが成長してルカリオになればきっと大丈夫な気がするから、やっぱりケモケモしいポケモンならば大丈夫なのかもしれない。
「ふーむ……なるほど。そうなるとやっぱり、雌の介助ポケモンの需要ってのも考えないといけないなぁ……」
「じゅ、需要って何?」
 難しい言葉を使われると私分からないんだけれど……
「需要ってのは……あれだ。買おうとか、欲しいって気持ちだな。例えば、男が女の子を惚れさせる薬とかだったら、誰かが欲しがるだろうから、需要があるって表現するんだ。でも、男が男を惚れさせる薬とかだったら、誰も欲しがらないだろ?」
「え、あ、うん」
「いや、その反応はなんだよ?」
 妹の年齢ではまだ早いわね。妹もよく知っている『駆けろ! ポケスロン』と言う漫画の男子同士をくっつけようとしている女子が私のクラスにいるだとか、男が男を惚れさせる薬に『じゅよう』とやらがある事は知らなくてもいいわね。
「いや、ごめん聞き間違い。女が男を惚れさせる薬じゃなくって、男が男を惚れさせる薬、ね」
「そうそう、たとえばそういう商品は需要がないって言うんだ。で、さっきの話の続きだけれど……やっぱねーちゃんみたいにポケモンの性別とかを気にする人も居ると思うんだ。
 もしもタイショウが介助ポケモン申請で合格印を出されたとして、そしたら師匠が俺たちにサーナイトのコロモをくれるわけだけれど……コロモは雄だから……」
 あぁ、サーナイトはそういえば雄なのよね。エルレイドに進化させるつもりだったから……でも、サーナイトならなんか紳士的なイメージだし、一緒にお風呂というのも……いやいやいや、でもどっちにしろ、サーナイトは脚にあのスカート状の保温膜があるから、中身は体毛が薄そうだし……そう考えるとやっぱり躊躇しちゃうなぁ。
「たしかに、そうなると雌のポケモンが必要よね……」
「それと、アレルギーの問題もある。陸上グループのポケモンは体毛のせいで衛生的にも問題があるポケモンが多いから、そういう点でもタイショウやコロモは最適だけれど……同じように何かプラスの要素を持たせた方がいいと思う」
「でも、体毛があるポケモンの方が可愛いのも事実よね? アサヒは成長すればそれなりの大きさになるし、可能ならゾロアークやバシャーモなんかもありだとは思うけれど……」
「うーん……ねーちゃんの見立ては悪くないと思うんだけれど、実際の需要とかはどうなってんのかなー? 見た目の面でもサーナイトは優秀だと思うけれど……」
「そうね……とはいえ、ポケモンを取り寄せるのもタダじゃない訳だし……明確な欠点があるわけでもないなら、どんなポケモンも育てて慣れるのが一番いいんじゃないかしら?」
「……かもな。でも、衛生的に見てもやっぱり体毛の少ないポケモンが好まれるってのはあると思うから、それを一つ考慮して選んでみよう」
「うん、そうね」
 そういえば、養うポケモンの食事代を払うのはお母さんとお父さんなんだけれど……大丈夫かなぁ、こんな事を勝手に話してて。
 そっか、ここで食事代の問題が出る事を考えると、食事代のかからないポケモンというのも一つの売りになるわね。餌代がかからないとなると、やっぱり草タイプだけれど……条件に合いそうなのジュカインくらいかしらね。
 エルフーンじゃ小さすぎるし、ダーテングやノクタスは手の形がアレだし、ドレディアは手の形がどうのこうの以前に……私が大嫌い。見かけたら吐く。

「まだ何か考えてるのか、ねーちゃん?」
「え、あ、うん」
 私が考え事をしていたのを見ていたのか、話しかけられて私はようやく我に帰る。
「他のポケモンを手に入れるったって、そんなにすぐのことでもないんだし、ゆっくり考えようぜ?」
「そう、ね……」
 今は勉強する方が先かしらね。ポケモンの育て方も、ポケモンの販売に関する法律も。
「でさ、結局どうするの?」
「な、何が? これから飼うポケモンのこと?」
「違う違う、風呂だよ」
 またその話か……いや、季節は夏。汗をたくさんかいたことだし、ひと風呂浴びてさっぱりしたいのは山々なんだけれど……その、やっぱり恥ずかしい。あれ、待てよ?
「え、えーと……じゃあ、タイショウと入ってみることにする」
 私がアサヒをお風呂に入れる時は、腕まくり脚まくりをして服を着たままアサヒを洗っていた。キズナは一緒に裸になってタイショウやアサヒを洗うけれど、別にタイショウは胴着を着たままでもいいじゃない。
「お、やる気になったか。じゃあ、ごゆっくり」
「あんたも汗だくだったんだから、早めに出られるように努力するわよ」
「お、ねーちゃん分かってらっしゃる。親切だな」
「普通よ」
 本当に言葉どおり普通だと思う。
「と、言うわけでキズナ。タイショウを出して頂戴……」
「オッケー」
 私が言うなり、キズナは机の上においていたボールからタイショウを出す。目を見開いた彼は、まずキズナのほうを向く。
「あぁ、タイショウ……『今日』はねーちゃんを『風呂』に入れて『欲しい』んだ」
 と、キズナから手話交じりに言われてタイショウは私を見る。
『からだ、洗う、よろしく』
 彼は私の姿を認めると、手話で訴えた。
「『よろしく』ね、タイショウ」
 それに応えるように、私も手話交じりに話しかける。よし、とりあえずタイショウのお手並み拝見と行こう。
 クローゼットから下着と寝巻きを取り出し、それを膝の上において車椅子を押してたどり着いた脱衣所。上半身の服は簡単に脱げるけれど、下半身の服は寝返りを打ちながら徐々に下ろし、膝を曲げるために引っ張ったり体勢を変えたりと非常に面倒で、あまり1人でやりたくなるものではない。
「タイショウ、『脱ぐ』の『手伝って』もらえるかしら?」
 妹や母親に頼んでいたこれも、タイショウは結構スムーズにやってくれる。力がある分動きもそつがないし、体毛が薄いとかダゲキは雄しかいないとか細かい事を気にしなければやっぱりダゲキという選択は非常によろしいようだ。
 流石にオムツを脱がされるのは非常に恥ずかしいが、そこはぐっと堪えよう。いかに男とはいえ、所詮はポケモン、ポケモンなのだから。家族だけれど、ポケモン……うん、これは差別じゃなくって区別よ。
 一糸纏わぬ姿になったけれど、ほら、あれよ。パ、パンツじゃないから恥ずかしくないもん。
「そ、そう。『ありがとう』。そしたら、えっと、浴場に『下ろして』もらえるかしら?」
 うむ、と頷いてタイショウが私を下ろす。私はお姫様抱っこの体勢で濡れた浴場に尻をつけ、そのまま壁に座らされる。そういえば、キズナも軽々とお姫様抱っこでこれを行うが、母親は私の足をぶら下げたまま、脇を羽交い絞めにしてゆっくりと下し、座らせていた。
 タイショウはポケモンだし、服越しでも感じられた筋肉の逞しさがある。こういう介助に相応の筋肉があるからいいとして、同じ事を軽々とやってしまうとは、改めて我が妹の逞しさが分かるというものだ。そうこう考えているうちに、タイショウは胴着を脱ぎだそうとする。妹と一緒に入る時の癖なのだろうけれど、それは真剣にやめてください!
「あ、あの、タイショウ? 『ズボン』を、『脱ぐ』『必要』は『ない』わ」
 手話で慌てて訴えると、上半身のほうを脱ぎかけていたタイショウはきょとんとしていた。妹よ、このポケモンの裸を前にして、平然としているのはどうなの? とりあえず上半身だけが裸なら耐えられる……水着の男子なら直視出来るし大丈夫。
「『あなた』が『体』を『洗う』のは、キズナと『一緒』の時だけね」
 だから、今は体を洗うために脱ぐ必要はないのよ、ということで伝わるかどうかは不安だったが、どうにかタイショウは納得してくれたようだ。
 そうしてまずは髪を洗うわけだけれど、ピンク色の容器を取ってと言えば彼は迷いなくシャンプーを渡してくれる。よしよし、きちんと理解してくれているようだ。指で髪を掻き分けるように頭皮を爪で撫で、先端の方は指を櫛に見立ててやさしく整える。家に引きこもっていてもバッサバサに広がる髪はいただけないから、枝毛にならないように丁寧に。
 シャワーの栓を開けてもらって、シャンプーの泡をすすぎ落とせば、次は青い容器のコンディショナーも迷い無く取ってくれ、妹や母親に頼む時と同じく不自由を感じない。ポンプを4回ほどプッシュして、それを全体に塗りつける。先端が傷むとはいえ、後に先端となる根元もきちんとコンディショナーを馴染ませて、そのまますすがずにしばらく置く。
 タイショウは首をかしげていたがそれは妹がショートヘアということもあってコンディショナーを使わないせいだろう(そもそも妹は以前まで石鹸で髪を洗うほど馬鹿だったから性質が悪い)。
 髪が洗い終われば、次は顔。洗顔用の泡立てネットに、黄色いチューブ容器の中身を出して泡立てる。毛穴の中まで余計な脂を落とすように。ニキビなんて出来ないように気をつけなきゃね。

 そして、それが終われば今度はいよいよ体を洗うわけだけれど……一応、私一人でも出来るというのに、タイショウは世話を焼きたがりだ。私の胸を支えながら背中を洗ったりしてくれるのは良いのだけれど、胸……触って欲しくないなぁ。
 で、でも、タイショウにとっては親切心のつもりなのよね。こういう時妹に似て空気読めないのはどうにかして欲しいけれど、ポケモンと人間じゃ色々常識が違うし、今まで教えてこなかったから仕方ないのよね、うん。いつか胸を触られるのは恥ずかしいって伝えよう、伝えよう、うん。
「あ、『ありがとう』タイショウ」
 笑顔が引きつっているのが自分自身で分かる。タイショウがそういうつもりじゃないのは重々承知してるのに、なんだってここまで私は緊張しているのか。
 とりあえず、最後に私は動かない足に泡立て用のタオルを走らせる。つま先を洗うために胡坐をかいたりなんてしていると……そこ、凝視しないで。いや、見守ってくれているというのはよく分かるんだけれど、胡坐をかいているところを凝視されると見えちゃいけないもの(女性版)が見えるでしょうに。
 いや、ポケモンにとって本来は見えて然るべきなのかもしれないけれど、人間の私にとっては見られたくないの。理解して……とは思っても、何か危険が無いように見守ってくれるありがたいタイショウの親切心を無碍にするわけにはいかない。
 なんて、思っているとタイショウは何かを察したらしい。下半身の服も脱いでって……何を察しているんだお前は!!
「いやいやいや、タイショウ。『脱がない』で『いい』から」
 ほら、体毛が薄いのにそんな風に脱いでしまったら見えてはいけないもの(男性版)が見えてしまうじゃない。だというのに、タイショウってば『気にするな』と手話で言って、脱ぐの続行だし。けれど、『脱がないで』と強く言うのもどうかと思うし……。
 あまりの恥ずかしさに私は目を逸らすが、そんな事をすれば逆にこのタイショウという男は意外と紳士だから心配して近寄ってくる。いやいやいや、自分が裸の時にポケモンとはいえ裸の男に近寄られるとかねーですから。もう、だめ……

「あ、あのータイショウ。もうお風呂上りましょう?」
 多分、ここ数年の最速の風呂上り時間である。もっと髪にコンディショナーを馴染ませるためにさらに丁寧に髪のマッサージをして、熱いお湯をかぶって汗を流してからもう一度冷たい水をかぶってとか、色々やりたかったんだけれどもう耐えられない。とにかく、コンディショナーを洗い落として退散しよう、退散。
 了解したと手話で言うタイショウは、浴場の中で手際よく私の体を軽く拭いてくれた。こうしないとバスマットがやたら濡れるから必要な配慮である。次はそのままキズナと一緒に入るのだから、きっとそのまま裸でも大丈夫だけれど、うん。直視出来ん。
 ともかく、この明らかに気まずい状況から早く脱出しよう、そうしよう。体に付いた水滴を粗方拭き取った私たちは、脱衣所にあるバスタオルを手に取れ――なかった。
「セイイチ……?」
 先日家族に仲間入りしたリオルのセイイチ。ちなみに特性は悪戯心なのであるが、彼はバスタオルとパジャマに噛みつき、ズタズタに引き裂いている。鋭い犬歯を食い込ませたタオルの先端を床に押さえつけ、背筋と首の筋肉をフル稼働させて、それはもうビリビリと音を立てて。
「この、糞餓鬼がぁぁぁぁ!!」
 思わず乱暴な声を上げた私の元に家族が駆けてくる。胴着を脱いで裸のままリオルを押さえつけるダゲキと、裸の私。どういう構図なのよ。


「はぁ……」
 結局、私は今夜普段着をパジャマ代わりにして眠るしかなくなったようだ。全く、妹もリオルを貰ってくるのはいいけれど、特性が悪戯心なんだからもう少し管理をきちんとしてくれないと困るのよ。しつけはちゃんとしてもらわなきゃ……と思ったら、きっちりと片手で首根っこを掴んで壁に押し付けて『消滅したいのか?』とドスの利いた声で脅すとか、それなりに躾はやっているようだ。
 あの後、タイショウからいろいろ話を聞いたが、タイショウ曰く私は『弱点を晒して緊張している』と思ったらしい。裸になるという事は弱点を晒すこと、無防備であるという事。そこで、タイショウは緊張していることを察した私のために『自分も弱点を晒して同じ状態になればよい』と感じたそうだ。
 私は思った。タイショウは頭がいい。とても頭がいい。だが、人間の情緒や常識というものは、やっぱりポケモンと人間では遠く離れているのだと思う。今回はとりあえず、タイショウも善意でやったことだから、咎めないでおいた。でも、今後あんな状況になって恥ずかしい思いをしたくない私は、とりあえずタイショウに言い聞かせる。「『弱点』は『主人』と『お嫁さん』にしか見せちゃダメ! 人間にとっては『きゅ』『う』『あ』『い』なの」と、指が三本のポケモン用にアレンジされた指文字を使って伝える。
 『お嫁さん』という概念はキズナが教えてくれたらしいから(何をどのように教えたんだ我が妹よ)、つがいになる雌だという事はきっと伝わっているだろう。とりあえず、タイショウはお風呂に入れる事自体は問題ないけれど、もう少し人間世界の常識について教えたほうがいいかもしれないし、今度来るサーナイトにもそこら辺をきちんと教えておくべきだろう。伝わるのかどうかは不明だけれど。
 というか、結局私はタイショウがキズナや私に対してどう思っているのか聞きそびれた……はぁ。
 ともかく、アレね。妹の師匠のオリザさんは、手話を話せるポケモンを介助用に育成した例は少ないようだから……と、私の経験を後続の育成に役立たせるためにと、レポートや日記を書くようにと勧めてきた。
 それ用のノートもないことだし、それは明日に購入するとして……一体何を書けばいいのかしら?

 ◇

「しかしねーちゃん、何を恥ずかしがっているんだろーなー?」
 ポケモンが裸になったって、別にどーってことないような気がするんだけれどなぁ。ヒート((発情期を迎えていること))してるわけでもなけりゃ、身体に危険が及ぶわけもないだろうし、神経質はお肌の敵だと思うんだけれどなー。俺に肌は大事だとか、髪は大事だとかさんざん言っている割にはそういうところで割り切れていないのがねーちゃんの悪いところだな。
 とにもかくにも、俺は汗ばんだタイショウ(俺の手持ちで汗かくのはタイショウだけなんだよな)と一緒に風呂に入る。泡立てた石鹸を体に塗りたくって、一日流し続けた油と塩分を泡と一緒に洗い落とす。
 軽く顔にも石鹸を塗り付けては流し、最後にシャンプーで髪の汗脂と塩分を洗い落として、さっぱりする。ダゲキはシャンプー掛ける必要がないのは便利だけれど、俺はどうしようかなぁ……そこまで女の子は捨てられないかな。
 けれど、男に生まれたかったなー。そうすりゃ、タイショウに対してもう少し力押しで対抗出来るんだろうけれど、世の中上手くいかないもんだよな。
「さて、タイショウ。出ようか」
 小さなタオルであらかじめ水分を拭き取ってから、俺達2人は風呂から出る。セイイチはアサヒとねーちゃんが監視中だから、今度こそパジャマもバスタオルも無事な状態だ。とりあえず、ローテーションバトルが面白いのはよかったが、そんなことよりもセイイチのしつけもきちんと考えておかないとな。
 今日は色々収穫があったが、ねーちゃんとタイショウのことで色々語り合えたことが何よりの収穫かも知れないな。


Ring ( 2013/08/29(木) 21:40 )