第三十話:カズキ逃走
俺はメールに気付かなかった振りをして、そっと携帯電話を閉じる。震えそうになる体を必死で抑えて部屋に戻ると、ボールに入っていたはずのコロモがモンスターボールから出てきた。
「な、なに……どうしたの、コロモ?」
俺が尋ね、戸惑うのも構わずに、コロモは俺のほうを凝視する。
「カズキ、またコロモが……」
そこまで言いかけて、キズナの声が止まる。コロモは俺の手を掴み、そのまま震える手で俺を抱き寄せる。彼は怯えたような目を俺に向けていて、しかし俺を落ち着かせなければいけないと悟ったらしい。コロモが俺を抱きしめる……抱擁というには強すぎる力で、ものすごく強い力で抱きしめる。俺を絶対に放しちゃいけないと、コロモにはそう思われているのか。
「どうした、コロモ。というか、カズキ……カズキ!! お前どうしたんだよ!?」
死んだんだ。死んだ母親たちがユウジさんあたりに発見されたんだ……どうしてこんな夜に発見されたのかはよく分からないけれど、そうに違いない。コロモの手に力がこもり、俺の息が荒くなる。死んでしまいそうなくらいに、呼吸が速かった。
「なんでもない……なんでもないから」
「それは、ありえないでしょ……コロモがそんなに取り乱すなんて、ありえないし……大体、お前目を見て話せよ!」
「お前、先日クラインがやけにお前を気にかけてたけれど……なんか関係あるのか?」
俺がごまかそうとしても、キズナとアオイさんは、絶対に何かあると感づいてしまったらしい。
「なぁ、カズキ……なにがあったんだ? コロモがそんな風に取り乱すなんて尋常じゃねーぞ?」
いや、俺はとんでもない間違いを犯してしまった。明日からはもう絶対にのんびりなんてしていられないから、今日だけは楽しく過ごしたいと思ってユウジさんを無視したけれど……ユウジさんになにがあったのかを聞いた後だったら、これだけ動揺していてもまぁ、ありえない話ではないけれど。俺は、知っているはずの無い両親が死んでいる事実を知っている。事故のはずだけれど、事件だと知っているから……
きちんとユウジさんに話を聞いた後なら、こんな動揺も当然の出来事として、同情してもらえただろうけれど……いま、話したら……ごまかせるのか? それとも、ごまかせないだろうか?
どうすればいい……俺は?
気が付けば俺は、コロモの手から開放され、無我夢中で逃げていた。追っ手を振り切るためにゼロを出して、荷物を入れていたリュックを引ったくり、リュックに入っていた鍵を取って、自転車で逃げ出した。幸いにも月明かりは出ていたので電気をつけなくとも何とか走ることができた。車も少ない時間だから、夕方に比べればライトなしでもずっと安全であった。
そのうち、ゼロも追いついてくれたのでそれをボールにしまい、俺はどうすればいいのかも分からずに、とにかく自転車を走らせた。流石に、ブラックシティにこの時間うろつく勇気は無いので、ホワイトフォレストの道端にあった、ボックス型のコイン精米所の中に丸くなって一夜を明かした。蚊をはじめとする虫に刺されたくはないけれど、コンビニエンスストアに行って補導されるわけにもいかない……苦肉の策であった。
◇
「カズキ……お前、どうしたんだよ」
ゼロは、自転車というものをよく理解していた。あの時、自転車の鍵を持って追いかけようとした俺の手を、ゼロは容赦なく弾き飛ばした。その時持っていた自転車の鍵を飛ばしてしまい、家の明かりをつけて鍵を発見し追いかけようとした頃には、もうカズキは遠くへといってしまった。ゼロは、俺の手から鍵を弾き飛ばしたらすぐにカズキを追って走って行った。全力で走れば20秒ほどしか持たないあいつだけれど、多分スタミナを節約して走れば追いつくことも出来るだろう。
そして、カズキも護身術を心得ていた。羽交い絞めにされた時は、足が自由ならば後ろにいる人間の足を攻撃しておけというセオリーをきちんと実行して、コロモを攻撃していた。素人でも簡単確実に出来るから、その体制から投げ技や関節技が出来ないうちは、とりあえず一つの手段にしておけと、俺もそういう風に習った覚えがある。
カズキは素足でコロモの足を踏みつけて、痛みでカズキを掴む力が弱まった隙に逃げ出していた。骨とかにはダメージはなさそうだけれど、コロモの足の甲はすっかり腫れてしまっている。俺のほうはゼロに弾かれた手首が赤くなってしまった。この程度の腫れならば、俺もコロモもすぐに治るだろうが……しかし、コロモの様子がどうにもおかしかった。
アレは一体……
「コロモ……」
応急処置を終えて、話しかける。コロモは自分の無力さに打ちひしがれているのだろうか、壁際にもたれかかり怪我した足を投げ出してうなだれている。明日になれば治っているだろうから、ポケモンセンターへと連れて行くほどでもなかったが……その痛みよりも、心の痛みにコロモは憔悴しているようだ。
「コロモ、カズキは……どうしたんだ? どうしてあんなことをしたんだ?」
俺が尋ねると、コロモはゆっくりと顔を上げる。コロモは、三本指のうち、親指と中指の二つをくっつけ、左右にぶれさせながら下に移動させる。
「『悲しい』……って意味だよな。カズキは、『悲しい』って思ってたのか、コロモ?」
おずおずとコロモが頷く。彼は、『すごく』『かなしい』と付け加えた。
「……なにがあったんだ、あいつ」
「カズキ君……何か隠しているんじゃ……」
「隠してるさ。俺はそれを、あえて聞かないようにしてたけれど……でも、さっき問いただそうとしてしまった……そんなことをしたら、ああなるのは分かっていたはずなのに……くっそ、俺は大馬鹿者だ。結局……コロモのあれで、ばれてしまうと感じたらしい。だから、カズキは問い詰められる前に逃げたんじゃないかな……」
コロモはこっちを見ていた。俺がコロモのほうへ視線を向けると、彼はあわてて眼をそらした。
「お前のせいじゃない……悲しみを癒してやろうとしたんだろ? カズキの……な? なら、いい事じゃないか。あの様子じゃ、コロモが何も言わないでもいずればれている……問題は、その時にカズキにどう接してやるのかだ」
「で、どうするの、キズナは?」
「メールを打つさ。けれど、なにがあったのかは聞かない。元気にしてるか? とか……そういうことだけでいい。あいつが話すまで待つさ……助けを求めるなら……力を貸すし……」
とはいえ、あいつがこれから、どんな風に振舞うのか、予想も付かない。それでも、どうあってもカズキは……元気でいて欲しい。
「私も、出来る限り協力する。カズキ君、いい子だしね……助けなかったらバチが当たるわ」
だけれど、結局待つしか出来ないのだ。1日1回はメールを送るにしても、それ以外はあまり行動しすぎても逆効果だろう。……あいつから、心を開かせる必要があるんだ。結局、その日は眠るしかなかった。眠れなかったけれど、強引に眼を閉じるしかなかった。
◇
8月24日 早朝
狭いところ、暑いところ、寒いところ。そんなところで眠るのは初めてではなかった。だから、コイン精米所の中で蚊の侵入を退けながら、体育座りの姿勢で眠るのもそれほど苦ではなかった。虐待されていた日々に比べれば、ずっと。
一夜明けたが、時刻を確認する限りではまだ6時半であった。早く寝すぎた分、早起きになってしまったようだ。流石に、今電話をかけても迷惑だろうと思いつつ、俺は自分の家へとむかう。どうすればいいのか分からなかったけれど、とりあえず自分の家がどうなっているのか見たかった。
すると、俺が暮らしていたアパートの一室は、立ち入り禁止の黄色と黒のテープが貼られていた。警察とかが、俺の親の死体をもって行って、色々調べたのかもしれないし、現場検証などもしているのだろう……事件の時、特に大きな物音は立てなかったはず。草笛の音色は、ユウジさんとは逆隣の家にも聞こえていたかもしれないが、その時にはもうあっちのほうは電気が消えていた。ユウジさんはカジノの営業時間である午前2時まで働いて、後片付けもあるから帰ってくるのは3時以降になる。
だから、俺が部屋に忍び込んでママンに吹かせた草笛の音なんて誰かが聞いているわけでもないし、聞いてたとしてもかすかな音量だろうし、気にも留めないだろう。……検出されるのは酒というかアルコールといけないお薬のみ。睡眠薬だって使っていない。完全犯罪かどうかは知らないけれど、きちんと手袋もしたし、指紋だって出来るだけ工作した。あとは警察がどこまで本気で捜査するかだけれど……スバルさんの言うとおり、適当であって欲しい。適当に、事故であると断じて欲しい……
俺は自分の家を見上げる。人だかりこそ出来ていないが、まわりの人も、その光景に目を止めるくらいの事はしているようだ。人々が行き交うその通りで、俺はおもむろに携帯電話を取り出す。時刻は七時半……ユウジさんのシフトは知らないが、この時間に連絡をしたら迷惑かもしれない。
けれど、かまわず俺は電話をかけた7コールほどして、ユウジさんが電話に出る。
「カズキか……」
重い声だった。部屋の様子から見ても、親が死んでいることは確実だろう。
「ユウジさん……母さんが死んでるんでしょ?」
唐突に俺がそう尋ねると、驚嘆して声にならない声がユウジさんから漏れる。
「ど、ど、どうして……どうして、知ってるんだ?」
「……ユウジさんこそ、やけに早く知っていたよね。どうして? 臭いにおいが漂っていた?」
「隣の家から物音がしないから、お前が帰ってきても大丈夫そうだと思って様子をうかがったんだ……アイルと。そしたらアイルが変な匂いがするって言うから、ダメもとでドアノブ捻ったら……鍵があいていて……お前の言うようなことになってたんだ……それで……」
「俺がやったから……殺したの、俺だから……」
電話の向こうで、ユウジさんが絶句していた。
「どういう意味だ……」
「ママンに草笛を演奏させて、深い眠りにつかせたあと……強引に酒を飲ませたんだ……致死量になるように」
なかなか返答が帰ってこない。言葉を選んでいるのだろう……ある意味当然のことだった。
「そんなに憎かったのか? 母親が……」
「うん……憎かったし、あのままじゃ、いつ第二の俺が生まれるか分からなかったから……中絶になったところで、それも嫌だし、見たくない。殺さなきゃ、ダメだった「」
母親が、また過ちを繰り返してもなんら不思議じゃない。おれは、少なくともそう思ってる。
「そっか……なぁ、カズキ。警察は、事故だと思っているらしい……衣服とかに乱れが無いから直前に争った形跡も特に無いからって。ただ、男のほうが結構酷い怪我をしていたらしくってさ……そのあたり、原因を調査しているんだけれど」
「怪我は俺がさせた。金玉蹴り飛ばして、フライパンで滅多打ちにしたから……」
「そうか……第一発見者の俺は、いろいろと、根掘り葉掘り聞かれたよ……すべて正直に話しておいた。お前が虐待されていたこととか、もろもろを。それで、カズキ。どうするんだ? 俺は、お前を殺人犯に仕立て上げる意味もないし、そのつもりも無いけれど……どうするんだ?」
「分からない……」
俺を、庇うのか。ユウジさんは……それは自分に被害が及ばないからなのか、それとも俺が悪くないと思っているのか、それとも俺の事が好きだからつかまって欲しくないだけなのか……全部ありえるし、そうじゃないかもしれない。
「怪我のことは、俺が適当に説明しておく。お前が殴られたとかで、反撃した時に付いた傷だって……。だから、お前はお泊りの続きを……やって来いよ。呼び戻すのも、悪い気がする」
「ユウジさん……それ、優先順位間違ってる……」
「いいんだよ。それを言うなら、お前は生まれてくる親を間違えたんだ……そんな間違いに比べたら、少しくらい間違ったってたいした事はないさ」
「でもね、もう無理だよ……」
話している内に涙が出てきた。鼻水まで一緒に出てきて、もう止め処ない。
「キズナに、いろいろと様子がおかしいことがばれてね……家から逃げ出して、外で一夜明かしたんだ……もう、どんな顔をしてキズナにあえばいいのか、分からないよ……ユウジさんにだって……俺……」
「お前が人殺しなのは、もう分かってる。いまさら、1人が3人になった所で驚きやしないさ……だから、カズキ……よく聞いてくれ。お前が帰る場所なら、俺が作ってやれる……だから、やけっぱちになるなよ?」
ユウジさんの優しい言葉に、俺は何も言えなかった。俺は黙ってアパートの階段を登る。ここは、人を一人殺した階段だったな……そして、自分の部屋の前を横切る。俺の家なのに、俺まで立ち入り禁止だってのは……笑えない冗談だ。
「ユウジさん……」
俺は、ユウジさんの家の前まで行くと、ようやく口を開く。
「あぁ、何だ」
「俺ね……今、ユウジさんの家の前にいるんだ……俺、待ってるから……」
「カズキ?」
携帯電話の電源を切り、ユウジさんの部屋のポストにそれを突っ込む。そして、逃げた。自転車で力の限り逃げて、森の中へ逃げ込んだ。ホワイトブッシュ……ヌシやヨツギのいるあの森へ。
◇
「もう、まだ日も昇っていないか……」
本当なら今日もカズキと遊んでいたかったけれど、カズキはもういない。そのまま眠れずに明け方に起きてしまった俺は、淡々と腕立て伏せや腹筋、背筋運動をこなす。
気が乗らないままに、身の入らないトレーニングをして過ごしていたら、背筋運動の最中に母親が朝食を作る音が聞こえた。もうそんな時間かと思いながらのっそりと起き上がって、俺はメールをチェックする。音量は最大にしていたから、よもや聞き逃すことはないと思っていたが、やっぱり着信があった様子もない。
「カズキ……」
「メールも電話も来ないわね……心配だわ……」
眠っていた姉が目を開ける。狸寝入りだったのだろうか、それとも俺のつぶやきで起きたのだろうか。
「うん、心配だ……」
それっきり無言で、俺はメールを送る。『大丈夫か?』とだけ、簡潔に。どこにいるかとかは聞かない、帰って来いとか、無理強いもしない。
「せめて、俺たちを頼ってくれれば……」
カズキは、明らかに助けを求めていた。それに対して手を差し伸べていたつもりだったけれど、あいつはそれを拒否したのか、それとも差し伸べた手を、いつかどこかで離されると思ったのか。あいつの真意は分からないけれど、なんにせよ力不足だと思われているようで、それが悲しい。
「俺はお前に助けてもらっているのに……なんでお前は助けてもらおうとしないんだ……不公平だろ」
確かに、子供である俺たちには経済的な援助は何一つ出来ないかもしれないけれど、それでも何か出来ることはあっただろうに。歯がゆいし、無力感に苛まれる。
最悪な気分だ……
「メールだ……」
悔しさに歯軋りをしていると、メール受信中の画面が流れる。完全に受信し終わるまでの間の数秒が、待ち遠しくなるほど興奮して、俺は画面を見る。
「本当に? なんて書いてある?」
俺の言葉に期待を寄せて、ねーちゃんが近寄ってくる。今は普通の車椅子に乗っていてコシは睡眠中だから、人力で。
「……『すまない、俺はカズキじゃない。なぜか、カズキに携帯電話を預けられたんだけれど……その様子じゃ、そっちも、カズキ君を探しているのかな? ちょっと話をしたいことがあるから、こっちの電話番号に電話して欲しい』だって」
「……つまり、どういうこと?」
「分からない……けれど、電話をかけてみるしかないと思う」
指定された電話番号に電話をかける。たいしたことじゃないはずのその行為のために、唾を飲んだり心臓が高鳴ったり、やけに苦労した。姉にも聞こえるように、俺はスピーカーをオンにする。
「こんにちは……ミカワ、キズナと申します」
電話の向こうの誰かに、俺は語りかける。
「……こんにちは。キズナさん……サイジョウ ユウジです」
電話の向こうにいたのは、大分疲れた声の青年だった。そして、この名前は聞き覚えがある。
「貴方が……カズキの隣に住んでいるっていう……」
カズキが、よく話していた男だ……この男なら、安心できるかもしれない。
「うん、君にはよく話していたのか……こっちも、君の事を知っている。ローテーションバトルをするもの同士の、友達らしいね……カズキ君とはずいぶん仲が良いみたいだから、君の存在に俺まで感謝してたくらいだよ」
「はい……どうも」
嬉しいことなのに、今は手放しで喜べる気分にはならなかった。
「今、カズキ君は行方不明なんだけれど……君の家に泊まりに行くとか、君の家から逃げてきたとか、カズキから聞いたからさ……もう少し時間が経ってから連絡をしようとしたんだけれど……眠れなかったんだね。夏休みって、もっと遅くまで眠っていると思っていたんだけれど」
「そうだけれど……そんなのどうでも良いだろ? カズキから電話を預けられたってどういうことだよ?」
「『待っているから』って言われて、一方的に携帯電話を預けられた。どこで待っているのか、見当が付くのは大体2つ……ホワイトブッシュと、育て屋の二つだけれど……君達は、心当たりはあるかい?」
あるにはある、けれど……カズキとユウジさんがどれほどの親交があるかは知らないが、ユウジさんとやらにも待ってますと伝えた以上は、俺たちにしか心当たりのない場所ということもないだろう。少なくともユウジさんとやらに心当たりのある場所……となれば。
「……俺たちに心当たりがあって、ユウジさんに心当たりがない場所で待っているって事はないと思います。その携帯電話、ユウジさんに預けたわけですし……」
「となると……育て屋か、森かの二択になるわけだけれど……」
「一応、俺が育て屋に電話かけてみます。多分、育て屋にカズキはいないと思うけれど。一応電話帳には登録しているから、俺のほうが早く連絡も取れるし……。ですので、すみません……一回切ります」
「分かった」
電話を終えて、俺はため息を付く。
「そういうことだ、ねーちゃん」
最近はあまり交流していないけれど、一度は見学に行ったのだから、きっと忘れてはいないだろう。カズキもよくユウジさんに俺のことを話していたらしいし、スバルさんにも俺のことを話していたかもしれない。
「分かった、聞いてみる……」
育て屋の主、白森スバル……個性的な人だけれど、カズキ君が自慢話のように語る彼女の人物像を聞く限りじゃ、頼れない人物ではなさそうだ。ねーちゃんは、ポケモンに手話を教えるのも面白そうだからという理由で、まだ中学生だというのに就職を勧められていた。カズキと同じく、ポケモンソムリエの資格を取って育て屋に就職しないかといわれているらしく、そのおかげなのかねーちゃんはシラモリさんのプライベート用の携帯電話番号を教えてもらっているとか。
スバルさんが起きているかどうかは分からないが、すぐに答えてくれることを祈りつつ、ねーちゃんは最後のキーを押す。
「カズキはいないぞ? というかなんだ、カズキはお前の家に遊びに行くといって喜んでいたはずだが……」
カズキ君がそこに来ていませんかと尋ねてみれば、帰ってきた答えはそんなものだった。無駄足だったとも思ったが、こちらの事情を説明してみると、状況は変わる。
「なるほど、失踪か……分かった、何か出来ることがあれば手伝う……というか、探す当ては……?」
「育て屋以外となると、一箇所だけ……いえ、二箇所あるにはありますが、そちらのほうは確率が低いと思うので、多分ホワイトブッシュにいるんじゃないかと……」
「カズキが狩りに行っていたって場所か……」
「はい」
と、ねーちゃんが頷く。
「私たちも朝食を適当に済ませたら、すぐに向おうかと……」
「分かった。育て屋の場所は覚えているな? そこで待っている……お前らが着き次第、私も向かう」
「分かりました……では、近くまで行ったら電話します……」
結局、こんな感じで話は進んでゆく。俺達は、ユウジさんに連絡して一緒にホワイトブッシュまで向う旨を伝えると、母さんが作る朝ごはんは断った。アジの開きを焼いていたけれど、それは食べずにタマゴかけご飯だけ食べて、家を出る。母さんも、昨日の出来事を知っているから、何か事情があるのだろうと、急ぐ俺たちに余計な詮索をして時間をかけさせることはしなかった。
ねーちゃんはコロモい手伝わせて手早く着替えさせた。それが終わるとねーちゃんは早速電動車椅子に乗り、朝ごはんをたっぷり食べさせたコシを撫でたりキスしたりというスキンシップをしてから、大急ぎでお願いと声をかける。
コロモあたりを通じて、事情を知っているのか、たたき起こしてしまった割には、あまり不機嫌にもならずに承諾してくれた。毎日餌を食べられる生活が気に入っているのもあるのだろうが、なんだかんだでコシもかなりねーちゃんいなついてくれているみたいだ。こんなこと考えている場合じゃないんだけれどな。
着替えも食事もかなりの急ぎ足で終えて、外に出る。自分でも速いと思う自転車の走行の横で、ねーちゃんが地形無視の浮遊する車椅子で走行する様子は相変わらず気味が悪い。きちんと舗装された道ならば地に足を付けていることから、流石に人一人浮かせるのは結構大変なようだ。
いつも以上に俺が汗だくだというのに、ねーちゃんがあまり汗をかいていないのがちょっとうらやましかったが、そんな事は今はどうでもいい。あせりすぎなのか、いつも以上に苦しい気分だ。ペダルをこぐ足が重く感じる。
そんな事を思っていると、どうやらコシも疲れているようだ。急ぎすぎたかな……休む必要はなさそうだが、流石にペースを落とさないとまずいだろう。まだ育て屋にもついていないのにこの調子じゃ、先が思いやられてしまう。
意識してペースを落とす。流石にコシの呼吸もましになってきて、コシのほうも舗装が不十分な道路を浮遊している時にふらふらすることがなくなった。この調子を維持していくべきか。後ろを振り返るのをやめて、俺達は荒れたアスファルトの上を走る。
「スバルさん、お久しぶりです」
ねーちゃんに電話で呼び出してもらうと、スバルさんはゼブライカに乗っていた。それを移動手段にするつもりらしい……いいな、アレのほうが楽そうだ。というか、この人、車持っていないのだろうか……いや、俺の父さんももってないからゴルーグで出勤しているわけだけれどさ。一応、育て屋には軽トラがあるようだが、荷物を運ぶのでなければサザンドラとかに乗っていったほうが早いのかもしれない。
「久しぶりですね、アオイさん」
カズキいわく、この人はメガネをかけると性格が変わるらしい。さきほど電話に出た時は丁寧とはかけ離れた口調であったが、今はメガネをかけているせいか口調は丁寧だ。
「本来なら、ここでスカウトの話の1つや2つしたいところですが……そんな場合でもないようですね。道すがら、なにがあったかを詳しく説明してもらいたいのですが……アオイさん、まったく息を切らしていないようなので、説明を出来ますか?」
スバルさんは、目に見えて疲れている俺ではなく、言い方は悪いが楽をしているねーちゃんのほうを向く。まぁ、そうなるよな。
道中で、いろんなことを話した。泊まりにきたきっかけとなるカズキの母親の帰宅とか、何かを隠しているような様子だったけれど、詮索をしなかったこと。そして、昨夜の様子が明らかにおかしかったことや、今回の『待っている』という台詞。特にいろいろ考えることもなく、真っ先に思いついた場所が育て屋と森であったこと。
それ以外の場所に、カズキを連れて一緒に行ったことはないため、森という目論見が外れれば、もはや当てずっぽうで探すしかない。と、言うよりは警察に捜索願を出すしかない。それらを説明すると、スバルさんは一言、俺たちに聞く。
「カズキの事、心配か?」
乗馬中はメガネがいつ外れてもおかしくないのだろう、彼女はメガネを外して尋ねる。
「当たり前だろ!!」
普通ならば丁寧語で話すはずのスバルさんに、俺は思わず暴言を吐いた。スバルさんは笑っていた。
「当たり前? あいつにとっては、当たり前じゃなかったんだ」
そう言って、スバルさんは笑う。俺は、何も言い返すことが出来なかった。
「だからな、多分……そういうことなんだと思うぞ。お前なら分かるんじゃないか? アオイ」
「私、ですか…・…?」
「皆が当たり前にやっていることを、自分だけ出来なかったらどう思う? お前なら、分かるんじゃないか……アオイ」
それを、ねーちゃんに質問するのは無神経じゃないかと思ったけれど……スバルさんが一人納得している理由が今分かった。ねーちゃんが歩きたいと思うように、カズキは、誰かに心配してもらいたいと、思っているんじゃないだろうか? あいつの家族は、なにやらまともな感じでもなさそうだし……
「そりゃ、歩きたいですよ。自分の足で……」
「だろうな。お前にとっては当たり前のことじゃないように」
スバルさんがねーちゃんの言葉に頷く。だとしたら、今のこの展開は、カズキの望みどおりに進んでいる……? 誰にも心配してもらえたことがないから、心配してもらいたいって……
「全部、私の想像だがな……あいつは心配されたいんだ。構ってちゃんなんだ」
スバルさんはそう付け加えてため息をつく。スバルさんはそういったけれど、俺もそうなんじゃないかと思う……そうじゃなきゃ、わざわざ『待ってる』なんていわないだろうし。
「カズキは……あいつ、お母さんの気を引くために、万引きしたり、わざとテストで0点取ったり……挙句の果てには、よその子に石油をぶっかけて火をつけるって脅したことがあるんだって……これも。同じことなのかな」
「キズナ、多分そうだろうな……私は、精一杯かまってやったつもりなんだが」
と、スバルさんが悔しげに言う。
「俺もです……俺は、いつでも頼ってよかったのに……なんで、試すような真似なんてするんだよ、馬鹿野郎」
自転車に乗っている間、気持ちが逸った。父さんが出勤に使うゴルーグのアキツには乗っていけないし、こういうときに自分用の騎乗できるドラゴンを持っていればとつくづく思う。たくましければ二人乗りも余裕だし……今考えても仕方のないことか。
そうこうしているうちに。俺達はブラックシティに到着。法律上はゼブライカも軽車両なので、車道を走って俺たちに追従する。道をきちんと覚えていた俺は、道中迷うことなく、カズキの家へ。北東アブソルリップアパートにある彼の家は、立ち入り禁止になっていた。
「ここが……カズキ君の家?」
と、ねーちゃんが尋ねる。
「あぁ……あの、立ち入り禁止になっているとこ」
「アパート住まいと聞いていたけれど、こんなところに住んでいたのね」
俺が指座している方向を見ながら、ねーちゃんは早速電話をかけていた。すると、電話に応対しながらドアを開ける男の姿。ねーちゃんは、車椅子と自転車とゼブライカに乗っている女三人ですと伝え、当然見間違いようもないため俺達はすぐに合流した。
思えば、不思議なものだった。みんなカズキとは親交が深いけれど、お互いのことはそこまで詳しいわけでもない。まぁ、スバルさんと俺達は知り合いだったけれど……カズキ越しに聞いていた、男の人。この人が、ユウジさんか……ゾロアークのような赤黒い髪型。しかし、料理人というだけあって坊主とは行かないまでも、野球帽の中に納まりそうなくらいにしっかり短く刈りそろえている。隣のゾロアークを連れているが、なんというか長髪にしたほうが2人並んでいる時に似合う気がする。
「こんにちは。いつも、カズキ君から話は聞いています……キズナ、アオイさん。そして、スバルさんですね。疲れているところ申し訳ないですが……今から、森へはいけますか?
この子……アイルならば、匂いをたどっていけると思いますので……」
「俺、疲れていないからすぐにでもいけるぜ」
「あのねぇ……まぁ、私も疲れちゃいないけれどさ……コシは結構息切れしてるのから、少しは休ませないと……」
そういえばコシは……流石に酷使させすぎたか……この子は表意能力以外はからっきしだし、もっといたわってあげなきゃなぁ。
「電気なら、私の子は有り余っているが、分けてやろうか?」
なんてことを思っていると、スバルさんがそんな事を提案する。
「ロトムは蓄電とかの特性じゃないけれど大丈夫なのですか?」
「ゆっくりと放電すればな……電気タイプのポケモンは大抵元気になる。そうだ、ユウジと言ったな……準備をしてもらっておいて悪いが、少し休憩しよう。ポケモンを休ませたい」
流石に、育て屋だけあってスバルさんはポケモンに詳しいようだ。しかし、メガネをかけていないと本当にこんな口調が変わらないんだなぁ……ずっとメガネかけていたほうが良いんじゃ。
「……分かりました」
とりあえず、ユウジさんも納得したところで、俺達は休憩に入る。まず、ねーちゃんはコシを車椅子から開放させ、イカズチと言う名前らしいゼブライカに、電気を分けてもらっている。お菓子を与えたり、水を飲ませたり、暑くなった体を濡らしたタオルで拭いてあげることで少しでも涼しくしてあげるなど、コシをいたわっている。
ねーちゃんはコシがいなきゃ生活が出来ないとは言わないが、依存しているくらいには頼りにしている。そのためだろう、ねーちゃんの手つきは非常にきびきびとして真剣なものである。俺は、ここまで完全に人力できたから、いたわるものなんて自分の体くらいなものだ。
「となり、いいかい?」
ゆっくり休んでいようと思ったが、隣には、俺の了承を得る前にユウジさんが座り込んだ。