BCローテーションバトル奮闘記





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第一章:初心者編
第二十八話:自分の居場所
 男子トイレから出てくると、キズナは『さ、行こうぜ』と何の気なしに言って、外に止めてある自転車のもとへと向かう。その途中、俺は話しかけるのがはばかられてしまった。

「なぁ、カズキ」
 自転車に乗りながら、キズナが俺に語りかけてくる。
「何?」
「俺が男子トイレに入ったこと、どう思った?」
「何かの間違いだと、最初は思ったから止めた……けれど……止めちゃいけないんだって思った」
「だよな。さすがに風呂では女のほうに入ろうと思うけれど……でも、やっぱり、俺としちゃあんな感じで生きていきたいんだ。あの日の狩りの時、俺はお前にいろいろ愚痴ったけれど……それからもずっと考えていた、生き方を変えたいって」
 そう言って、キズナは自転車を走らせ続ける。しばらく無言だった。
「俺さ……」
 そして、思わせぶりに口を開く。
「俺は男のような女だとか言われながら育ってきた。実際、俺も男に生まれてきたかったし。何故って女の体ってのは不便だろ? 筋肉はつきにくいし、それに、なんというか女同士の集団は肌に合わない。なんていうかさ……なれ合いが嫌いなんだ。かわいくもないのに『かわいい』とか、面白くもないのに『ウケる』とかって言いたくなくってさ。先日の狩りの初体験の日には……その、初めての生理がまだ続いていたんだけれどさ。本当に……ショックだったさ。おまえのセリフで、俺も女なんだなって自覚させられた」
「そ、それは……ごめん」
「ううん、謝る必要はないよ。怒っていないし、お前に対する評価は下がっていないから」
 そういってキズナは首を振り、続ける。
「けれど、俺が男みたいな性格であることを良く思わないやつがいて、それをネタに性別を確認しようぜなどといって服を脱がせようとされたこともある。俺は男扱いされるのは好きだけれど、からかわれるのは不愉快で、そういった輩とは距離をとって暮らしてきたんだけれどさ」
「よせばいいのに、からかうやつがいるんだよね、そういうの」
 うん、と言ってキズナがうなずいた。
「あまりに俺が無視し続けたことが面白くなかったらしくってさ……『こいつ、本当にちんこついてないのか確かめようぜー!!』とかって羽交い絞めにされたんだ。二人に両腕を掴まれ、ズボンにも手をかけられていた俺は、『やめてくれない?』と、イエローカードを出してさ。
 でも男たちは、『嫌がるってことは、本当は付いているんだろ? そうじゃないなら女らしい悲鳴の一つでも上げてみろよ』なんて、下品な言葉をかけてくるもんで。どうやら奴らは俺のプライドを折りたくて仕方がなかったみたいでさ。
 レッドカードで退場を出す前に、俺は一言だけ『殺されたいの?』と一喝したけれど。『殺してみろよ。出来るもんならな』と、おどけてきた男子を見て、俺は一切容赦する気をなくしたんだ。たぶん、押さえた状態で負けるとは思っていなかったんだろうな」
「その状態になったら、後頭部を鼻面にたたきつけるとか、足を踏むとかあるけれど……」
「はは、お前の言うとおりだよ」
 と、キズナは笑う。
「まず、流石に両腕で俺の腕を掴まれている以上、いくら俺が数多の男子より力が強い俺でも振り払うのは不可能だからな。まず俺は右腕を掴んでいた男の足の甲を思いっきり踏みつけたんだ。後で聞いた話じゃ、それだけで全治1ヶ月だったらしい。その男は腕を放して、その場にうずくまったから、蹴りやすい位置にある顔面を一蹴した。左腕を掴まれていたから踏み込めなかったからか威力は低いけれど、十分だったよ。
 もう一人の左耳を右手で掴んで、引き寄せるように地面へ投げつけようとしたが、その前に耳がちぎれちゃったもんでさ、投げ出されるように倒れるばかりだった。そのままうつぶせの体勢で耳を押さえて痛みに苦しむそいつの横っ面を蹴り飛ばしたりもした。踏み潰しても良かったけれど、流石に死ぬから、情けをかけてやめておいたところで騒ぎが大きくなってきてさ。
 最後に、俺の腰に手を回していたやつは、しゃがんだ体制からしりもちをついていたらしく、怯えた視線でこちらを見つめているんだよ。『や、やめて……』なんて命乞いしてさ、女の子みたいにヒステリックな声を上げて言ってやったね。『殺してみろって言ったくせに!』ってさ。そんでもって前蹴りでかかとを鼻面にぶち当てて顔面を叩き潰した。脆いもんだよ。
 『最近見たニュースに女性が暴行を加えられたようなニュースはあふれ返っているから……そのせいで怖くなった』と大人たちに言えば許された。パニックで冗談が通じなくなれば正気を失うこともあるだろうと思われたのだろうね。俺に喧嘩を売った男子たちに、『もしも余計なことを言ったら夜道に気をつけろよ』と釘を刺していおいて、自分たちが全面的に悪いことを認めさせたのも大きかったのだと思う。
 結局、俺は厳重注意。治療費は過剰防衛すれすれの正当防衛ということで、一切支払うことはなくてさ。それは男子たちが必死で両親を説得したからなのだろうけれど、説得の裏には自分が悪いという認識以上に、俺への恐怖だろうね。引きちぎられた耳、何倍にも腫れた鼻や、奥歯が根こそぎ歯が折れた顎、そして見るも無残な足の怪我。まぁ、そんな怪我をさせた奴に『夜道に気をつけろ』なんて言われたら、そりゃあ怖くもなるよな」
「キズナが今学校で独りぼっちなのって……」
「うん、それが原因。俺の行動が周りの子には恐怖の対象でしかなくなったらしく、翌日からは俺への無視もなくなった。けれど、どう見ても態度がよそよそしいもんでさ……俺からもめったなことじゃ話しかけないから、結局普段はほとんど無視されるのと変わらないよ。ただまぁ、授業中に騒いでも、俺が一喝すればすぐに黙るからさ。俺の教室は授業態度だけはいいんだ、俺のクラス。逆らえば殺されるとでも思っていたのかもしれない。
 両親やねーちゃんだけは俺の味方だったから、何とか家に居場所は求められたし、その事件を知らない忍者道場にも居場所はあった……けれど、それでも、どこに行っても、女らしさを求められてしまう。ねーちゃんも悪気はないんだろうけれどさ……」
「それで、男子トイレに?」
「うん、お前がやったように、入ろうとしたら一度止めるのは仕方がない。当然のことだ……けれど、二度は止めなかったのが、嬉しかった」
「それは、どういたしましてなんだけれどさ……その、アオイさんにはまだ話していないの? その、男子トイレに入ることとか……」
「おまえ以外には怖い……話せないんだ」
 キズナが不安げに語っている。
「けれど、お前に、あの日……俺が男であっても友達だって言われてから……少し、俺自身考えたんだ。自分がどうしたいか、どうありたいかを……。お前とは性別を気にしないで生きていたい。だからな……実はもう、買ってあるんだ、男性用の下着」
「パンツ、だよね?」
「そうだ。最初はこう、なんというかぴっちりしていないからさ。履いているのに履いていない気分っていうの? 少しだけ不安な感じがしたけれど。三日も履き続けると、慣れるもんだな……自分で洗って、親にはばれないように普通の下着を洗濯物に出しているけれど……」
「それを……その男性用の下着をいつか、自分の洗濯物に出すの?」
「うん、そうしようと思う……お前が、味方してくれるなら」
「するよ」
 俺は即答する。
「キズナは、俺の味方だもの。逆に俺も、君の味方でありありたい……俺は、自分の家には居場所がなかったけれど、居場所を作ってもらえた場所が三箇所ほどあるの……育て屋と、ユウジさんの部屋と……君達姉妹。君そのものが、俺の落ち着ける場所だと思う……」
「ふふ、そりゃ嬉しいことをいってくれるな。そっか、俺が居場所か……でもそれは、お前も同じだぜ? お前も、俺の居場所だよ……たとえ、他のだれがどんな風に敵になったとしても、お前だけはきっと、そばにいてくれるんだろう?」
「うん、ずっと……一緒にいたい。キズナと」
 ぽつりと口にする、キズナから『あぁ』という声が吐息のように漏れた。

 ◇

 道のりの途中で、森にて休憩をとる。俺のいい気分に呼応するかのように、森にさわやかな風が一陣吹いた。
「お前も家は大変みたいだし、なんだか家に帰さなくてもいい気になってきたなー……」
 カズキは、親のために食事の準備をしたというのに、それを一口も食べてもらえなかったらしい。ひどい母親だと、それしか思い浮かばない。
「キズナの家にいられるなら、お手伝いでも何でもするよ……それくらいには、俺もそう思う」
「そんなにか?」
 カズキの言葉に機嫌を良くしながら、俺は携帯電話を取り出し、メールを打ち始める。
「どうする、カズキ……ここで、俺のポケモンたちと一緒に、挨拶の練習でもしてみるか?」
 カズキがメールを打っている俺の携帯電話を覗く。ねーちゃん宛てのメールが『悪い、遊んでくるから帰るの遅くなる』とだけ打って、送信されないままになっているのをわざわざ見せつける。カズキがどうしようかと考えあぐねているうちに、俺は送信してしまっていた。迷うくらいなら、長い時間二人きりでいたいのだろうと勝手に判断しての行動だけれど、カズキは何も言わなかった。
 じっとしていても汗が流れていく。暑い空気だった。風は吹いているけれど、気持ちのよいそよ風が吹く時間はいちいち一瞬で、長続きしない。
「アサヒ……タイショウ」
 そんな中で俺はアサヒとタイショウを出す。
「カズキに、手話を教えてあげたいんだ……あと、イッカクやサミダレにも」
 そう言って、カズキを見る。思い出したようにカズキは雌のヘラクロスを出し、たどたどしい口調で『よろしくお願いします』と一言。
「よし、それじゃあカズキ。まずはいまの台詞を手話で表現するぞ」
アサヒとタイショウは小さく鳴いて、俺と一緒に挨拶の仕方を教えてあげた。
「『よろしく』」
 手をグーにして鼻のところから斜め下へと突き出す。『良い』という意味の手話をつかい、よろしくと表現する。
「『お願いします』」
 指をそろえて手刀を作り、拝むように額の前から、斜め下へチョップをする。わずかに顔も一緒に下げて、礼をする。
「これで、『よろしくお願いします』だ」
 息をのむようにしてカズキが見守っていた。それをイッカクやカズキに真似させて、いろんな言葉を覚えさせる。ありがとうとかおはようとか、そういう基本的なことを重点的に。やっぱり、挨拶が出来るだけで大分変わると思ったから、俺はそれを大事にした。

 手話を覚えさせる際に苦労したことなどの思い出話を交えながら、少しずつ教えていると、サミダレは喉が渇いたのか、田んぼに突っ込んで水分補給を始める。飽きたわけではなかったようで、それが終わるとまた付き合ってくれた。
 メールで会話できる俺たちと違って、会話するには直接顔を合わせるしかないポケモンたち……いま外に出ているタイショウやサミダレなどはこの機会に仲良くなっている節がある。それを見た俺たちは、もうどうせだからと全員を繰り出した。クラインがなぜだか異様なほどカズキに対し擦り寄っていくのがなんだか気になったが、見た感じではみんな良好な関係を築いているようだ。
 カズキの育て方がいいのだろう、凶暴な振る舞いをする子は一人もいない。セイイチの悪戯にも、ゼロはその素早さでもってして柔軟に対応していた。

 ゆっくりと時間が流れていた。どちらとも無く手話の練習をやめると、やがてどちらとも無く木陰に座してポケモンを見守るようになる。イッカクはアサヒやタイショウと一緒に格闘の練習に興じ、サミダレは田んぼの中でくつろいでいる。
 トリはセイイチとごっこ遊びのように気ままな喧嘩の練習をしており、ゼロがそれを見守っている。セナとママンは一緒に田んぼに足を漬けながら光合成。光合成によって失った水分は、足から取り込んでいるのであろうか。
 クラインは相変わらずカズキの周りをぐるぐると回っていた。
「なぁ、カズキ? お前、狩りでもしてきたのか?」
「え、なんで? 狩りは19日にしたのが最後だけれど……」
「じゃあ、何でクラインはこんなにお前を気にかけて……こいつは死の匂いに惹かれるからさ」
「……知らない」
「そうか……こんなに興味を示すなんて今までになかったことだからさ……どこかで、何か大物を殺したのかと思って……なぁ、クライン。どうなんだ? 死者の匂いとかそういうのを感じるのか? それとも、別の理由か?」
 カズキから習った質問方法を俺も使ってみる。まず、『死者の匂い』という言葉と共に左手を差し出し、『別の理由』というところで右手を差し出す。クラインは迷わず左手を選んだ。ヨマワルは、死に敏感なポケモンだ……それが死者の匂いを感じたということは、それはつまりそういうことなんだろうけれど……
 あの日、狩りをした時は特にそこまで死者の匂いを嗅ぎまわることもしなかった。だから、今回殺したのはミネズミやミルホッグのような小物ではなく、大物……もちろん、ヨツギやヌシではないと思うけれど、それだと……人間?
 いや、考えすぎか。多分、狩りの獲物が関係しているのだろう。
「そっか……カズキ、お前きちんと供養しているのか? きちんと供養しないと化けて出るぜ?」
「供養といえるかどうかは微妙だけれど、きちんと……お祈りも、声かけもしているつもりだよ。ヨツギやヌシだって納得しているんだ、だから……大丈夫なはずだよ」
「ふーむ……じゃあ、化けて出るとかじゃなくっても、クラインは反応するのかなぁ?」
「そ、そうじゃないかな? でも、あんまりまとわり付いてると食べちゃうぞ、クライン?」
 そう言って、カズキはヨマワルの体を掴もうとするが、それは見事にかわされてしまった。
「お、食われると思った途端逃げるのか? すばしっこいやつめ」
「ふふ、ヨマワルって美味しいのか?」
 そんな2人の様子がおかしくて、俺は思わず笑ってしまった。笑いながら見守っているとカズキは立ち上がってクラインを追いかけ始める。クラインもなんだか活き活きとしていて、楽しそうで何よりだ。
「ふー……」
 カズキのやつも、ちょっとは元気になったみたいでよかった。でも、これからあいつ本当にどうするんだろうな……親には頼らないって言っても、まだお金だって十分に稼げる年齢じゃない。最低でも高校生の年齢にならなければ、仕事には就けないわけだし……祖父がいるとかの話は聞かないけれど、親戚に預かって貰うのか、どこかの児童相談を受けて、施設にでも暮らすのか、それとも、自分の居場所だといっていた隣のお兄さんやら、育て屋やらを頼るのであろうか。
 あの育て屋はカズキのことをものすごく気に入っている様子ではあったけれど、それでも養えとなればいろいろな問題はあるだろう。

「……俺が、カズキを養えるくらい大人だったらなぁ」
「その時は俺も大人だよ」
 なんてつぶやいてみたが、カズキの隣に住んでいる人が大人になった俺と大体同じ立場だった。じゃあ、結局頼れるのは仲良くさせてもらっている大人なのか。結局、子供は何も出来ないということになる……歯がゆいなぁ。
 ふとカズキのほうを見てみると、クラインが捕まっていて、カズキにガブガブと噛み付かれていた。カズキはまだ一般人で何も修行していないだろうから。俺の師匠のように悪タイプが付加されるとか言うわけではなさそうだ……。もともと耐久性能はずば抜けて高いヨマワルである。カズキ自身も本気で噛み付くわけが無いので、じゃれあう2人はなかなか楽しそうであった。
「美味しい?」
「うーん……汗拭きタオルを噛んだような味。美味しくないよ」
 口を離して、カズキが笑う。
「どれどれ!?」
 おどけて、俺も噛み付いて見せた。クラインは嫌がっているようなそぶりも見せるが、まんざらでもない様子。嫌だったらもう少し激しく抵抗していることだろうしね。
「ほんとだ、美味しくない」
 カズキみたいに俺も笑ってみせる。二人の笑い声が交差した。

 そうして、いつの間にか夕暮れになっていた。持ってきた飲み物は底を付きかけ、そろそろ帰らないと脱水症状で死にかねないんじゃないかと、二人で冗談を漏らす。
「そろそろ、帰ろうか……俺の家、こっちだから」
「うん……」
 自転車のライトをつけて、俺たち二人は歩き出す。カズキは10mほど離れたところを、自転車で付いて行った。家に付く頃には、日は沈みかけで、左手にある西の空は真っ赤に色づいている。
「なぁ、カズキ……俺のこと、信頼してくれてありがとうな」
 後姿を見せながらカズキに話しかけると、カズキは自転車を加速させて俺に並ぶ。
「君なら、どんなことでも引くことなく受け入れてくれると思ってたから……ま、その逆もしかりみたいだけれど」
「そっか。まぁ、俺自身が自分で言うのもなんだけれど、男になりたいなんて思っていること、気持ち悪いだろうからな」
「そっちのほうが自分らしいと思うのなら、そうしたほうがいいよ……キズナは」
 話の脈絡を若干無視して口に出すと、カズキはなんだろうとばかりにこっちを見る。
「二人で、秘密を共有しあっているんだ……俺達、仲良いよな」
 友達だとか、仲間だとかは言わなかった。ましてや、好きとも。
「そうだね……俺はキズナのこと、誰よりも……信頼してるよ」
 そんな言葉を返してくれたカズキの顔は、逆光に阻まれよく見えない。けれど、嬉しくて顔が緩んだのがはっきりと分かった。

 ◇

「ここ、俺の家……」
「いいな……広い……」
「4人で暮らしてるからな」
 ゴルーグのおかげで使われていない駐車スペースに自転車を置き、キズナは慣れた手つきでドアを開ける。まず、家の中に入ると匂いが違った。住んでいるポケモンが違うせいだろうか……陸上グループのポケモンが一匹もいない俺の家と違って、獣のにおいが強く感じる。ここら辺はユウジさんの家と同じだな。
「ただいまー!!」
「……お邪魔します」
 思えば、他人の家にお邪魔するのはユウジさんの家以来一度も無かったことだ。
「あら、キズナお帰りなさい……その子がカズキ君ね。ようこそ、何も無い家だけれどいらっしゃい」
「今日は……その、お世話になります。よろしくお願いします」
 緊張しながら、俺は頭を下げる。
「こちらこそよろしく。うちの子、男の子みたいなじゃじゃ馬だけれど、仲良くしてやってね」
「もう、仲良くなってるよな、俺たち?」
 キズナが俺の肩を、自分の肩で小突く。
「そういう感じです……キズナさん、凄くいい子だから……」
「あら、嬉しい。育て方がよかったのかしらね?」
「きっとそうですよ」
 とりあえず、当たり障りないように俺は答える。
「カズキ、母さん褒めても何もでないぜ?」
「あらぁ、褒めてくれたら美味しい料理出してあげるわ」
「あらら……出ちゃった」
 キズナは笑っていた。
「で、ねーちゃんは?」
「貴方がなかなか帰ってこないから、勉強とかゲームやってるわよ……イッシュ無双でもやっているんじゃないの?」
「あー……悪いことしたかも。カズキ、行こうぜ」
 キズナが案内した部屋に行ってみると、アオイさんはイッシュ無双なるゲームをプレイしている。どうやらゾロアークを背中に乗せたコバルオンのキャラを動かしているらしく、群がる人間たちをザクザクとなぎ倒している。座っている椅子はロトム、車椅子フォルムのようだ。
「あー、キズナ……遅いよ」
 アオイさんはため息をつき、ゲームをポーズにする。振り返った時に見えた形相は、一目で怒っているのがわかる。
「ねーちゃん、ごめん……」
「まったく、私だってカズキ君を家に呼ぶの楽しみにしてたんだから……ちょっと待ってて。5分でステージクリアする」
 ため息混じりにアオイさんはゲームを再開する。
「というか、ねーちゃんまたアオのレベル上げてるのか?」
「いいじゃん、好きなキャラなんだし」
「なにこのゲーム……」
 俺、家にテレビが無いからそもそもゲームをやったこと無いな……
「あぁ、これはイッシュ無双……イッシュ地方の歴史にあるレシラムとゼクロムがイッシュを焦土にした時代の前後の作品だよ」
「へー……俺ゲームとかやったこと無いから、うらやましいな……」
「後でなんかパーティーゲームでもやろうぜ」
 パーティーゲーム……か。どんなゲームだろう。待っている間、ゲームを見ていてもなんだと思ったのか、キズナは俺を案内してくれた。家の中はアオイさんのために見事にバリアフリーになっていて、所々に手すりが付いている。これなら老後もお母さんたちが使っていけそうだ。
 二階は夫婦の寝室となっているらしく、俺には用が無い場所。ダイニングに行くと、母親が揚げ物を作っていた。自分はあまり揚げ物をしないから、久しぶりに揚げ物が食べられると思うと心が躍った。

 そうこうしているうちに、アオイさんがセーブを終えて、ゲームを終了したらしい。彼女は車椅子に乗ったまま(というか車椅子が浮いている)机を漁るとトランプを取り出しやろうと誘う。食事に呼ばれるまで大富豪やらポーカーやらをして遊ぶ。
 ゴルーグに乗った父親が帰ってきて家族で一斉に食べた食事を取ろうとしたのだが、しかし……
「コロモ、どうした?」
 クラインに続き、サーナイトのコロモもまた俺の異変を察知したらしい。コロモは、旨にある赤い角をさすりながら、しきりに俺のほうを気にしている。
「コロモ……カズキの事が気になるのか?」
「いや、ほら……俺は家がアレな状態だからさ」
「アレな状態?」
 キズナに言い訳してごまかそうとしたところで、アオイさんが食いつく。とりあえず俺は、家出していた母親が帰ってきたことを簡潔に告げる。今度は自分が家出する番だと。
 そう説明すると、アオイさんもキズナも納得したが、コロモは嘘をついていることの後ろめたい気持ちや、何よりも人を殺してしまった罪悪感も含めて感知しているのかもしれない。ある意味、詮索されやすいという意味では最悪の家だったかも……。
 キズナたちも手話でいろいろ聞き出すことは出来ただろうけれど、コロモに対しても俺に対しても、それ以上詮索することはなかった。こういうところは、本当にありがたい……いい家族だと思う。

 食事の際には、手話で挨拶をして、早速昼間に習った手話が役に立った同様に三人揃ってゲームに興じた。トランプゲームが飽きてくると、某配管工のパーティーゲームを始めて、お互い小突いたり茶化したり、野次を入れたりしてちょっかいを出し合いながらゲームを進める。
 やっぱり俺はゲームが初体験なわけで、負け越した俺はアオイさんの命令によりキズナの服を着せられることに。キズナいわくアオイさんのお古だけれど、汚すのは気が引けるからまったく着ていないとのこと。だからといって男に着せるのもどうかと思うが、半ば強引に着替えさせられた挙句に写真まで取られて、恥ずかしいことこの上ない思いをさせられた。
 けれども、ユウジさんはテレビこそ持っていたけれどゲーム持っていなかったし、トランプもリバーシも持っていなかったから、こんな風にゲームを通じて遊ぶことが出来るはずもなく、今日の出来事は本当に新鮮だった。虫の声は五月蝿いくらいだし、風通しがいいから夜はクーラーが要らないくらいに涼しい。

8月22日

 布団を並べて川の字になって一夜空けると、車の音ではなく鳥の声で眼が覚めるのも、嬉しかった。次の日は、あの日ピクニックに赴いた川までつき合い、山の上にある湖へ行くことに。高性能すぎるコシの憑依した電動車椅子に苦笑いしながら、俺はずいずいと先へ進む二人の後ろを息切れしながら付いてゆくのがやっとであった。前回もこんな調子で山に登っていたのだろうか?

 ただ、その際に問題が生じて。
「キズナ、何それ……?」
 キズナは、この日から男物のパンツを履いて、着替えをしていた。それをアオイさんが見て、驚いているのだろう、話し声が聞こえる程度の薄い壁ごしに見えなくても状況は分かりやすく伝わってきた。
「……俺は、男として生きたいんだ」
「で、でもねぇ……」
 アオイさんが口ごもる。
「……さすがに胸は隠すけれどさ。カズキは、それでもいいって言ってくれた」
「そう、なの……」
 アオイさんが静かになった。それから、二人が出てくるまで待っていると、キズナ濡れてもいいような無地のTシャツを上に羽織り、下のほうは明らかに男性向けの海パン。まぁ、女の子だとはまず思えないような見た目をしている。
「カズキ、お待たせ」
「う、うん……」
 キズナは、俺に対していつもと変わらない様子で話しかける。
「アオイさんにも、話したんだ……」
「うん、そうしないとけじめがつかない気がしたから」
 キズナは小さく頷いてアオイさんを見る。
「カズキ君。キズナは……その」
「女の子らしくいることが、嫌なんだって、キズナは。だから、俺がさ……その、キズナが男の子でも、俺は友達だって言ってあげたんだ。まぁ、それがここまで極端な方向に進むのは意外だったけれどさ」
 それを聞いて、アオイさんは難しい顔をする。
「そうだ、コロモ……」
 どうすればいいか決めあぐねていたのだろうアオイさんは、急にコロモのことを思い出して、後ろに控えている彼の名を呼ぶ。
「キズナは……迷っていないのね?」
 コロモに問いかけてから、アオイさんがキズナを見る。キズナは自身の姉とコロモ、両方に目をやった後、コロモのほうをじっと見る。コロモは戸惑い、何度もアオイさんのほうを見る。コロモの視線は、キズナに迷いが一切ないことを伝えていた。
「もういいわ、コロモ。私もわかっていたし……キズナは、そうよね。迷わないわよね……あんたら、出会って二ヶ月しか経っていないのに、仲がいいわね」
 はぁ、とため息をついてアオイは言う。
「憧れていたドラマのような素敵な恋が、こんなに近くにあったなんてね……」
「なぁ、姉ちゃん。有名なラブロマンスは、一日だったり一週間だったりの出来事なんだぜ? 沈没船のお話も、心中のお話も、王女様の休日のお話も。二ヶ月なんて……まぁ、再開してからが物語だとすれば、一か月半……くらいだったかな。短いものさ」
 得意げにキズナが言う。それらの作品が何を指しているのかは知らないうけれど、キズナはよくいろんな作品を読んでいるものだと、どうでもいい感想が浮かんできてしまう。
「それで、キズナ。あなたにとって、男として生きるというのは、具体的にどういうことなの? 体をいじるようなら、さすがに私が泣くわよ」
「そ、それはしないよ。ひげが伸びてこなくても、生理が毎月来ても、それは諦めるさ。でも……俺は、その……俺として、扱ってほしいんだ」
「うーん……意味が分からない」
 キズナの言葉に、アオイさんも首をかしげる。確かに、言いたいことがよくわからないといえばそうかもしれない。
「あの、さ、アオイさん。キズナは、その……区別はしてもいいけれど、差別はされたくないって言っているんだと思うの。だから、まぁ……文字通り女だけにしかありえないことは女でいいけれど、男にも女にもあり得ることならば、男も女もなく扱ってほしいというか……そんな感じ、でしょ?」
「そう、それ……俺は、着たくない服があるし、したくない動作もある。例えば、子供を産めって言われたら仕方ねーよ、やるしかないけれど……でも、女だからって理由で、女の子らしくっていうのはごめんだ。それだけの話なんだ……」
「私が、少しは女の子らしくしなさいって言ったのが……あなたには」
「うん、嫌だった。ねーちゃんが俺のために言ってくれているのは理解できても、受け付けなかった。だから、ねーちゃんのことは嫌いじゃないけれどさ……本心じゃ憧れもある。自然に女の子らしく振舞える女の子って、俺からしちゃ自分が自転車に乗れない時に自転車目の前で乗りこなしているくらい……きっと、それくらいうらやましいことなんだ。
 けれどそれと、女性らしくいたいという事は違う……自然にいることが、自然ってことに憧れていたんだって最近気づいたんだ。あぁ、普通っていいなって……それはつまり、俺がねーちゃんにとって弟だったら良かったなってさ。今、ねーちゃんへ不満があるとしたら、それくらいだし……女の子らしくしなさいって言われることくらい」
「……弟、ね。私も、それだったらどれだけよかったことかって、何回も思った。カズキ君は、どう?」
「どうって……まぁ、男の子っぽいよなとは前々から思っていたけれど……別に、友達として付き合うなら、男でも女でもどっちでもいいから、キズナがそうしてほしいっていうなら。例え、ポケモン扱いしてほしいって言われても、そうするよ」
 俺は、ポケモンたちを見渡した。コロモは、ただならぬ感情の応酬にどぎまぎしながらその成り行きを見守っているものの、他のポケモンたちはキズナの格好を気にする様子はない。単純に興味がないのだろう、アサヒなんかは遊びたそうにキズナの足を小突くも、それは無駄だとわかってか、今はイッカクと遊んでいる。
 ポケモンたちにとっては、キズナがイメチェンしたところで、キズナはキズナなのだ。キズナが突然ポケモンに対して横暴にでもなれば、ポケモンたちも問題視するだろうが、しかしキズナがそんなことをするはずもなく。無論、人間はポケモンよりもはるかに複雑な事情を抱えて生きる生物だから、そのまま当てはめることはどうしてもできないのは分かっている。それでも、ポケモンのように受け入れてあげればいいんじゃないかと、俺は思う。
 たとえばそう、キズナの外見の変化なんて、ポケモンにとってみれば進化とそう変わったものじゃない。その進化で大幅に性格が変わってしまうポケモン……たとえばセイイチなんてそんな感じだろうけれど、そういうのとキズナは違うはず。アオイさんも同じく、俺とポケモンと、キズナを見る。

「悪い姉だったとは思わないわ。私は、あなたのためを思って女の子らしく振舞いなさいと言っていたわけだし。でも、あなたが弟だっていうなら、宣言するなら……私は今のままでいいと思う。でも、後悔しても知らないからね」
「それは自己責任だって、分かってる。カズキが、いてくれるから……」
 いつの間にか重要な役になっているけれど、俺も後悔はしていない。キズナも、俺のことを何も聞かずに受け入れてくれているんだ、その恩に報いたいし、何より……キズナが嬉しいならば、俺も嬉しい。
「今日、いっぱい遊んで……そしたらね、母さんが洗濯物の中に、俺の女性用の下着がないことに気付くと思う。それで、何もかもバラしちゃおうと思っている」
「わかった、味方させてもらうわ、キズナ。例え弟になろうとも、あなたは私の大事な家族だし……ルリリみたいなものよね」
 そこまで言って、アオイさんは気の抜けたため息を漏らす。
「私としちゃ、本当にあなたが弟なら……楽なんだけれどね、どうなることやら」
「きっと、最初は苦労するけれど、そこまで問題じゃないさ。両親がどうしても反対するならば……俺は、15歳で家を出るし」
「俺と同じこと、言っているね」
 いや、言っていた、か。俺にはもう、帰る家もないわけだし……。
「何、お前もそんなことを思っていたのか? 親に問題があるとは聞いたけれど、過酷な生活しているんだな……いいぜ、もしその時は、一緒にどこにでも行こうか」
「ふふ、いいねそれ」
「あんたら……その年で……」
 羨ましいのか呆れているのか、それともその両方か、アオイさんは大きくため息をついた。
「世の中そんなに甘くないわよー、たぶん」
 そして、負け惜しみのように吐き出されるこの言葉。祝福と冷やかしと、言葉通りに心配しているのだろうという事がよく伝わってきた。
「ま、どうせ何をやっていても辛い時間は来るわけだし……たとえ夜に修羅場になったとしても、今だけは楽しみましょう、キズナ、カズキ君」
 そういえば、夜に修羅場になったとしたら、俺はどこに泊まればいいのだろうか? 最初こそそんなことを考えていたのだが、キズナに手を引っ張られて川に引きずり込まれると、何だかそんなこともどうでもよくなってきた。キズナは、前回この川に来たときはほとんどボディタッチをしなかったが、今日は水中で羽交い絞めにされたり、ちょうど膝ほどの水深の場所で相撲を取らされたり『あぁ、自分は男の子と遊んでいるんだな』と実感させられた。
 どうしても、本当の性別は男だとわかっていても、意識してしまう気持ちがわいてしまうが、キズナはイッカクやサミダレと遊ぶ時もこんな感じだった。前回来た時もそうだった。と、なれば……本当はあの時も、そうしたかったのかもしれない。それでも、男女が組み合うようなことはさすがに自重したのだろう、今の解放されたキズナを見ていると、本当に楽しそうで、こちらとしても心が躍った。
 キズナは、怪力で名高いへラクロスのイッカクにも、果敢に相撲で挑んだ。下は水、流れは泳ぎで逆らえるくらいに緩やかだが、川上に立てば優位につけるのは見ての通り。俺は川上に立っても救い上げられた転がされたが、イッカクはポケモンなだけあって、そんなキズナよりもさらに実力は上。足が短い文足を救い上げるのがキズナには難しいらしく何度も何度も転がされている。
 それでもあきらめなかったキズナは、水の浮力で体を支えてもらうことで、低く相手に当たりに行き、そのまま肩口で掬い上げるように体当たり。見事空中に打ち上げられたイッカクのほうへ跳躍すると頭を抑え込んでそのまま水面に叩き付けた。
「やった、勝ったぞ!」
 小学生のころから、すでにこの超人ぶり。さすがキズナ。ポケモンレンジャーを目指しているだけのことはある。歓喜に打ち震えるキズナを見ていると、心が和むというか、乾いた笑いが漏れるというか。スバルさんもものすごく強いけれど、キズナならばあの領域すらも追い越してしまう気がする。将来は……いくら男だといっても、ゴリラみたいな女にはならないでほしいかな、なんて。そういえばボクシングの筋肉は着痩せするんだっけ? そっちのほうが見栄えはよさそうだなぁ。レスリングよりかは。


 その後キズナはサミダレにも挑んでいたが、さすがに彼は打ち崩せなかった。まずアイツはガマゲロゲだから体重が全然違うし、攻撃力はともかく単純な腕力であればへラクロスのイッカクですら及ばない。相撲はそりゃ技術も必要なことにに間違いはないが、その体重差はさすがに厳しかったらしい。何度もいどんなキズナだけれど、たとえ川上に立っても一度も勝利を得ることはかなわなかった。
 おれもまぁ、キズナに勝てたのは何回もやって、たった二回だけなんだけれど、さすがに強い……忍者道場ってすごいね。

 そうして楽しい時間が過ぎれば、次はいよいよ修羅場かもしれない場所へと向かうことになる。気分は否が応なしに重くなるけれど、ここにいる3人とも、怯む気はなかった。キズナの父親もそろって、5人での食事が終わると、母親がキズナ一人だけを呼び出して何事かを尋ねに行ったようである。
 あぁ、始まったのだな。うまくまとまればいいけれど

 ◇

「キズナ、タンスにあんたの下着がないようだけれど……脱衣籠にも入っていなくって……それどころか、これは、何?」
 2階、夫婦の寝室で母さんが差し出したのは、男物の下着。いわゆるトランクスと言うやつで、ギンガムチェックの白と黒のシンプルな柄物だ。
「すみません、母さん。母さんのお金で買ったものだけれど……あれ、女性ものの下着は、俺はいらない」
「いらないって?」
「……男でありたいんだ、俺」
 すぐに何か言い返してくるかと思ったが、母さんは割かし冷静で。しかし混乱してはいるのだろう、じっと黙ったまま状況を整理しようとしていた。
「ゆっくり話して。どうするかは、私も一緒に考えるから」
「うん……あのな、俺、口調もこんなだし、服装だって行動だって、言っちゃなんだが、男にしか見えなかっただろ?」
「そこらへんの男の子よりもずっとね」
 うなずきながら母さんが言う。
「体の性別はどんなにあがいても変えられない。だから、先日生理が来ちゃったとき……初潮を迎えたときは、実は本当に悲しかったんだ。辛かった……それで、その日からずっと考えていた。俺はどうすりゃいいんだってさ……自分が満足する道はどこにあるんだって。
 結局、それらしい答えのようなものは、それ……気持ちだけでも、男になりたかった」
 男性用の下着を指さして俺は言う。
「ふうん……」
 わかったのかわかっていないのか、母さんはあいまいにうなずいた。
「俺さ、ねーちゃんがお風呂に入るとき、その世話を頼まれたりすると……下半身の感覚がないのをいいことに、尻とか、触りまくってて……そんなことをしている女とか、変態だろ? 男ならある意味、普通なのかもしれないけれど……俺は女なのに、女の体に興味持ったりとか。自分が自分で分からなくなったりするときもある。普段の言動も、こういう衝動も、自分が男だったら、すべての問題が解決するのにって……何回も思ってさ。
 もしかしたら、男になりたいとか、男として生きたいとか、それはただ楽な道を選んでいるだけなのかもしれない。それに、どちらにしても茨の道になることは分かっている。けれど、それでも……俺は男として生きたい。それを、認めてくれる人もいたんだ」
「このタイミングで話すってことは……誰かに、そんな貴方を受け入れてもらったのね。カズキ君? それとも、アオイ?」
「どちらも。でも、カズキだけしか認めてくれなくとも、話すつもりだった。俺を分かってくれる人なんて1人いてくれればいい……。そう思って、話したから」
「はぁ……これはまた、難儀な話ねぇ……」
 先ほどまで立っていた母さんが、ベッドの縁に座る。
「あんたも座りなさい」
 立ちっぱなしだった俺のほうを見て母さんが促す。おずおずと俺も座った。
「あなたのこと、どこで育て方を間違っちゃったんだか……それとも、間違っていないのか。わからないわね、将来大人になるまでは」
「自分は、不幸にはならないつもり」
「うん、それならいいの。『キズナが男になっちゃって、近所に顔向けできないわー』なんて言うつもりはないから。むしろ、自分の幸せのためにガンガン突き進める、それそのものは誇らしいくらいだわ。そして、それを支えてくれる人がいることも……あなた、いい子だもんね。勉強もきちんとするし、体の鍛錬は怠らないし、自分から暴力をふるうこともない。
 自分は自分だっていう境界線というか結界というか、触れられたくない点をはっきりさせている分、なんというか気軽に友達になれるような感じじゃなかったけれど……その分、うまく付き合えれば貴方はどこまでも深い関係になれる。昔占い師に言われたんだ……あなたは、友達は出来ないけれど親友は出来るって。
 そう思って、あなたをキズナなんて名前にしたんだけれどね……いいわ、その絆、見せてもらう。どうせ今更、あなたが男の格好をしたところで、恐怖を植え付けられている学校の生徒は誰も何も言わないでしょ。その下着で学校に行って、恥ずかしくないならそうしなさい」
「……うん、分かった」
「なんかなぁ、私もあなたのことを心配してはいたけれど。ここまで思い詰めていたとはねぇ。あぁ、やっぱり育て方は間違っていなかったわ。親を信頼して、かといって依存はしていないのだものね」
 母さんがふぅ、とため息をつく。
「父さんにはいつ話す?」
「気づいたら話そうかと思ってる。たぶん、いずれ気づくけれど」
「そう。アオイとお友達も呼んできなさい。ひとこと言いたいことがあるの。『キズナをよろしく』って」
 母さんが笑っていた。俺の問題が解決して安心したような、そんな表情であった。



Ring ( 2013/09/23(月) 22:51 )