BCローテーションバトル奮闘記





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第一章:初心者編
第二十六話:一緒にハンティング
8月12日
 10日の夜、キズナは『14日に狩りに行かないか?』とカズキに誘われ、昨夜のキズナはウキウキ気分で嬉々として棒手裏剣やナイフ、スリングといった武器の手入れをしていたのだけれど……
「ねーちゃん……オムツ貸してくれ」
「あ、いいわ……」
 いいわよ、と言おうとして私は口ごもる。
「な、何故に? まさかカズキ君と大人のおままごとでもする仲になってたの!? オムツまで使うなんて変態プレイは大人になってからにしなさい」
 大声で突っ込みたくもなったが、まずは私も冷静かつ穏便に尋ねる。
「どういう発想だ……違うよ」
 キズナは力なく笑う。
「どうやら俺も女の子だったみたいだ……ショックだ」
「あぁ、なるほど。その口ぶりだと生理ね……うん、その年齢なら仕方ないわね……というか、そこでショックを受けるな!」
「俺は男に生まれたかったし……」
 私の言葉に、キズナは珍しくむきになって反論する。
「生理が来るまで信じたくなかったんだ。やっぱり、俺って女の子なんだよなって思うとさ。なんか、辛い」
 と、思えば今度はしおらしい声でキズナは言う。
「……ごめん」
 意外にも、本気で悩んでいた……のかしら?
「本気で悩んでいたのね」
「うん……結構、気にしている……小さい頃に、強く体がぶつかっちゃって、魂が入れ替わったと思いたいくらいだよ」
「キズナはキズナよ。ほかの誰でもないわ」
「わかってるさ。でも、なんていうかさ……もう女にならなきゃいけないって思うとさ。子供なら、男も女も関係ないのに、難儀なことだよ」
 はぁっ、とキズナが深くため息をついた。
「自分の体なんだから、自分が好きにならなくっちゃ……」
「こんな体を?」
 キズナは、ズボンの中に手を突っ込んで、赤く濡れた指を見せつける。確かにそれはすべての女性の悩みだけれど……キズナは大胆すぎる。
「いや、ごめん。ねーちゃんや母さんが普通なんだよな、うん……俺がおかしいだけで。女は女として生きるべきだよな……うん」
 キズナが再びため息をつく。悔しそうに歯を食いしばっているのだろう、こめかみがぴくぴくと動いている。

「まぁ、それはいいとしてね」
 どう声をかければいいのかもわからず、私はキズナに先ほどの話題を蒸し返す。
「それでも、オムツってその発想はおかしい……そこらへんはもう、突っ込みきれない」
 そういえば、保健体育の教科書には生理用品の使い方なんて載っていなかったか……コンドームの使い方は載っているのに何でなんだか。じゃあ、キズナが知らないのも無理はないけれど。
「あのね、キズナ。そういうのは、オムツじゃなくって専用のナプキンとか色々なものがあるからさ……トイレに置いてあるから、それを使いなさい……っていうか、パンツ大丈夫? ちょっと見せなさい」
「やだよ、いくらなんでも恥ずかしいし……っていうかパンツがダメだからオムツ貸してほしいんだけれどな。はぁ、パンツ換えなきゃ」
 そう、恥ずかしいのよねぇ。パンツが血まみれになるから……だからって、オムツ貸してくれはないと思うんだけれどなぁ……我が妹よ、もう少し恥じらいを持ってよ。というか、コンドームを知っていてなぜそれを知らないのやら……全く、妹は訳が分からない。
「うーん……分かった」
 当然かもしれないが、なんだかキズナの調子は悪そうだ。キズナ自身が言っていたけれど、やっぱり一人称が俺だったり、喧嘩っ早かったり、男みたいなところもあるけれど、一応体は女の子なのよね。いやぁ、女の子の日があのピクニックの日じゃなくってよかった。澄んだ水にほんのりと赤い血が流れていたら気まずいじゃすまなかったわ。
「キズナ、何か辛いところはない? 私が出来ることなら何でもするわよ」
「そだな……ちょっと頭が痛いし、熱もあるから……熱さましの何かを持ってきてくれると嬉しいかな……あー……あらゆることにやる気が起きない」
「分かった。もうお母さんには言った?」
「まだ……何でも話せるのってねーちゃんだけだし」
 あら、嬉しい事を言ってくれるわね、キズナってば。本当に何をやっても私の上を行く妹だけれど、こんな風に弱みを見せてくれたのは嬉しいな。確か薬の棚に熱を冷ますシートがあったはずだし、持ってきてあげようかしら。
 コシがお休みしているため、今はごく普通の電動車椅子を操り、私は自分たちの部屋を出る。いつも頼んでばかりの妹にこんなことが出来るなんて貴重な日だから、今日は甘えさせてあげよう。後で、カモミールティーでも淹れてあげるのもいいかもしれないな。

 ◇

8月14

「じゃ、行って来ます……」
「だ、大丈夫? 顔色悪いけれど……」
「大丈夫。ちゃんと飯も食ったし、水も飲んでる……」
 とはいったものの、体がだるくなっているのは事実だ。ねーちゃんいわく、こういうときは貧血を起こしやすいからあんまり出かけないほうがよいとの事だけれど……せっかくカズキに誘ってもらったのに行かないのは非常にばつが悪い。
 誘われたときからずっと楽しみにしてたんだから、インフルエンザでもない限りは行くべきってもんだ。
「キズナ、貧血気味なんだからりも水分補給はこまめに。体調が悪くなったら、カズキ君に言って休ませてもらいなさい。塩分もきちんととること」
「りょーかい」
 そんなわけで、ねーちゃんの心配の声も大げさなくらいだ。まぁ、心配してくれているってのは嬉しいことだし、うっとうしいけれど無碍には出来ない。ねーちゃんの言葉を胸にとどめて、俺は自転車を走らせた。
 この2日、眠さやけだるさのせいであんまり外に出る気も起きず、久しぶりにジムを休んだりもしたおかげか、大分体は楽になった。体の各所に力が入らないような倦怠感は残っているし、立ち上がるときに目の前が暗くなることはあっても、基本的に動く分には問題もなさそうだ。
 一応今日の朝も棒手裏剣の練習はしたけれど、特に狙いも問題なし。ちょっとした距離に居る相手に当てるくらいならば、普段どおりだろう。森へ出かけるにあたって黒いの作業着とオレンジの上着もばっちり着込んで、ナイフよし、吹き矢よし、棒手裏剣よし、スコップを背中に背負い、準備は万端だ。暑いけれど。

 自転車を走らせる間、当然夏の日差しと気温と運動の三拍子によって、汗はあふれ出る。のどが渇く前に水分補給という鉄則をきちんと守り、姉の言うとおりいつも以上に水分補給には気を使う。運動していることや、まだ生理の症状が残っているせいで軽い頭痛もするから、意識を失ったりしないように注意しないと。
 こんなホワイトフォレストの田舎道で倒れたりでもしたら、最悪野垂れ死にもありうるし。
 そうして自転車を走らせること、一時間ほど。カズキの家にたどり着く。南ブラックシティ・アブソルリップアパートの二階にあるカズキの家の呼び鈴をならし、カズキを呼ぶ。
「あ、キズナ? 来てくれたんだ……ようこそ、何もないけれど入っていってよ」
 当然っちゃ当然だが、カズキは私の体調が悪いことなんて知らずに、いつもどおりに対応する。何も知らないカズキに案内されて家の中に入ると、本当に何にもない。テレビもないし、ちゃぶ台の上には調味料がちょこんと置かれているだけで、外は整然と片付けられている。
 それが、俺が来るから片付けたのか、それともいつもどおりなのかは分からないけれど、テレビがないのか……この年齢だと、みんなの話題に乗れなくって大変そうだな。
「ふぅ……」
 とにもかくにも、疲れた俺はダイニングにあるちゃぶ台のクッションに腰を落ち着ける。
「ごめんね。今回は俺の都合に合わせて場所選んじゃって……」
 と、カズキが言う。確かに、この体調不良の状態で自転車を走らせるのはきつかった。
「いいよいいよ。お前がいつも行っている場所のほうが勝手も分かっているだろうしさ」
 カズキは言いながら、慣れた手つきで氷を取り出し、ラベルがはずされたペットボトルに湛えられたスポーツドリンクらしき濁り方をした液体を注ぎ、すぐにでも結露して机をぬらしそうな冷え方のコップをちゃぶ台に置く。
「まぁ、飲んでよ。のども渇いているだろうしさ」
 正直なところ、のどは渇いていないけれど、体が熱くなっていたところだから、こういう冷たい飲み物が出てくるのは助かる。いや、ちょっと冷えすぎかな?
「まぁ、今日は約束どおりホワイトブッシュに行くわけなんだけれど……なんというか、長袖、暑かったでしょ?」
「あー、大丈夫。うちのジム、近くにある竹やぶで訓練するときとかは長袖の作業着を着せられるから、暑いのにはなれてるよ。そんな事を気遣うなんて、忍者を舐めちゃだめだぜ、カズキ」
「ふふ、そうだね。そういえば忍者装束も長袖だし」
 見直さなきゃ、とばかりにカズキは笑う。
「ところで、キズナ」
「なんだ?」
「少し休んだら出発ってことにしているから、充分休めたら言ってね」
「おう。これ全部飲んだら行くよ」
「いやいや、飲み終えたらじゃなくって、きちんと休まないと。というか、顔色悪いけれど大丈夫? 匂いも変……」
 なんだ、分かるのか? 顔色を伺うなんていうけれど、本当に顔色って見られているもんなのかな。
「ちょっと貧血気味でね」
 でも、いつもと顔色が違うことを気遣ってくれるなんて、ちょっと嬉しいな。っていうか、匂い分かるのか?
「そっか……それでも来たって事は、そこまで酷くないって事なんだろうけれど……今日は、その……栄養のある部分を食べさせてあげるね」
「お、そういえばピクニックのときもお客様には美味しい部分を食べさせてあげてたっけ……今日は俺が主賓か、嬉しいな」
「ふふ、そう言ってもらえると料理のし甲斐があるな。任せて、貧血しらずの美味しい料理作るから」
 しかし、こいつ料理もきちんと出来るんだな。なんというか、感心だけれど……親はどうしているんだろ?
「貧血しないって言ったらやっぱりレバーとか?」
「そうそう、心臓も料理できるけれど、ハツは食べられる?」
「あんまり……好きじゃないかな。でも食わず嫌いはよくないし、ごちになっちゃおうかな」
 以前、親が頼りないとかなんだかで、『お手伝い』と言う名目で育て屋のバイトをやっていたのを聞いたけれど……ふむ。本当に親がいないのかもな。
「よし、それじゃあ俺頑張って腕振るっちゃうからね」
「おう、カズキ。期待してるぜ」
 そういえばさっき帰ってきたときは女物の靴はなかったし……部屋に干してある洗濯物にも女物は一つもない。母親は本当にいないのか?
「あっと、それとすまんカズキ。ちょっとお腹いたくってさ……トイレ貸してくれないか?」
「いいよ、そっちにあるから使ってよ」
 言われるがままにトイレにむかうと、やっぱりこういう小さなアパートらしく、風呂の隣にトイレがある。そして脱衣かごを見る限りじゃ、女性物の下着も、成人男性用の下着もない。化粧用のコンパクトは薄く埃がかぶっている。やっぱりだ……親……いないのか。
 とりあえず、軽い下痢気味なので、耐えられないほどではないがトイレに行きたかったのは本音だ。軽く用を足してから、俺はカズキが待っているダイニングルームへ。
「おまたせ」
「体のほうは大丈夫?」
「大丈夫だって。この日を楽しみにしてたんだ……この程度じゃやめらんねーよ」
「そっか、ならいいんだ」
 当たり前のことかもしれないけれど、カズキは俺の体を気遣ってくれる。いいやつだよな……
「ところでさ、お前さ……親はどうしたんだ? 洗濯物、見た感じお前のだけだったけれど」
「俺のパンツとか漁ったの? 女の子なのに積極的だね」
「ばっ、お前……流石にそこまではしてねーよ!!」
 こんな言葉を返してくるとは完全に予想外で、俺は向きになって反論する。カズキは面白そうに笑っていた。
「ふふ、キズナもそんな表情が出来るんだね。新鮮」
 語尾に音符マークでもつきそうな、そんな声でカズキは言ってくる。なんて男だ、まったく……ひとしきり笑い終えたカズキは、困ったように頭を掻いていた。
「んー……さっきの質問だけれど、俺の親……家出しているんだ」
「家出……?」
 オウム返しに尋ねる俺に、カズキはうんと頷いた。
「俺ね、母さんが連れてきた男に虐待って言うのかなー……暴力を振るわれていてさ。少しでも気に障ると殴られたり蹴られたりするから、ずっと押入れの中に隠れていたんだ……あっちの部屋にある押入れにさ」
 そう言って、カズキは引き戸の向こう側を指差した。

「事が起こったのは、冬の日でね、その日は風邪で体調を崩していたってのに、咳もくしゃみも我慢しなきゃいけなかった……その上、下痢まで発祥しててさ。その男と母さんが仲良くしているところを邪魔したら、俺蹴られちゃってね。漏らしてしまったんだ……その、大を」
「あちゃー……そんな状態で蹴るとか、アホだろ。漏れちゃうって」
「でしょ? で、自分が悪いのになぜか怒られるのは俺なわけ……そこを隣の人が助けに来てくれたんだ。ゾロアークの幻影を使って驚かせて、俺を担いで自分の部屋まで連れて行ってくれてさ。汚れた服の処理もしてくれたし、火傷の治療もしてくれた。美味しいご飯を作ってくれたりで至れり尽くせりでね……今度は自分で身を守れるようにって、ママンを貰った……
 そのポケモンを使って、俺は身を守ったんだ……」
 カズキが目を伏せる。
「後日、怒り心頭って感じで俺に詰め寄ったその男に、俺はママンの糸で縛らせてから、ビール瓶を割って太ももに突き刺した。二度と来るなって啖呵切ったら、すごすごと帰っていったけれど……俺、急に怖くなっちゃってさ。次は何か強力なポケモンを連れてくるんじゃないかとかさ……」
 カズキは聞かれてもいないことを喋っていた。饒舌だけれど、どこか悲しそうだ。
「だから、階段から突き落として、二度と家にこれないようにしてさ……その日から、母さんは俺を避けるようになったんだ。俺のことが嫌いになったのかどうかは知らないけれどさ……」
「そう、なのか……」
 かける言葉が見つからず、俺は口篭る。
「あるいはね、母さん俺が怖かったのかも。俺さ、体についた火傷とか傷跡を見せたくなくって水泳の授業で休んだり、ピクニックの時みたいに上半身にも水着を着るようにしてたんだ……まぁ、それで女みたいだって苛められてたんだけれどさー……俺も頭にきたから、相手の頭に灯油をぶっかけて、『今後学校で俺に一度でも話しかけたら火をつけるぞ』って脅して土下座させたら苛めはぱったりやんだんだ。そいつは不登校の末に天候しちゃったけれど……。
 俺は、いじめを止めさせるかどうかよりも、母さんを困らせて、母さんに心配して欲しかったんだけれどね……結局は、同級生にも母さんにも、俺は『怒るとなにをしでかすか分からない』って言う印象をつけちゃっただけのかもしれないな」
 とりとめもなく話を続けるカズキに、俺はただ頷くしかできなかった。
「……俺、どうすればよかったのかって、いまだに考えるんだ。別の選択肢をとれば誰かと仲良くできたのかなって」
 ようやく、俺はカズキが色々聞いて欲しかったのだと言うことに気付く。二人っきりだし、誰かに漏れる恐れもない。そして、カズキが寂しいのだと言うこともなんとなく理解できた。
「俺は、分かんないかな……でも、カズキ。俺、お前のことは好きだよ?」
 愛の告白ではないけれど、少々唐突過ぎたかもしれない。けれど、さびしがっているようならば、こういうことを言ってあげれば喜んでくれる……そんな気がした。カズキは、意外そうに口を開いて、一秒だけ俺を見つめる。
「ありがとう」
 なにがありがたいのか、よく分からなかったけれど、悪い気はしなかった。というか、やっぱりカズキって、寂しいんじゃ……
「ありがとうって……好きじゃなきゃこんな誘いになんてわざわざ乗らないだろ? それに、俺だってわざわざ好きでもない男を遊びになんて誘わないよ」
「そう……だよね」
 伏し目がちにカズキは言う。一瞬だけ口が動こうとしたようだが、声は発せられなかった。
「でもキズナは女の子と遊ぶより男と遊んだほうが楽しそう。キズナの場合、わざわざ好きでもないのを誘わないのは女なんじゃない?」
 カズキはそう、冗談でごまかす。
「あはは、ばれた?」
 俺はごまかしに乗ってやることにした。

「……えと、体のほうはどう? もう疲れは取れてる?」
 さらにごまかすために、カズキは尋ねる。こいつも色々大変そうだな……。
「大丈夫。俺は鍛えてるから、これくらいなんでもないし」
「よし、じゃあ行こう」
 なんか、色々話してくれたけれど……俺の答えでカズキは納得してくれたのだろうか。納得はしていなくても、胸のつっかえが取れてくれると嬉しいんだけれど……なんだかんだで、こいつも俺の大切な友達だし、な。
 俺たち二人は、早速森まで自転車を走らせる。肉食のポケモンがいない森、ホワイトブッシュへ。自転車で入れるところまではいってゆくと、そのままカズキは自転車を乗り捨て、道なき道をずんずんと突き進む。ポケモンはゼロだけを出して、他は必要ないとでも言いたげだ。と、いうのも、普段はママンやイッカクも外に出すのだが、あまり大人数で動くとばれやすいし、そもそも俺やそのポケモンを頼りにしているから大丈夫との事らしい。
 棒手裏剣や吹き矢の腕ならば、確かにそれなりの実力があるから戦力にはなるかもしれないけれど……素人同然の俺に期待しすぎじゃなかろうか。
「ところで、カズキ。一体どこに向かっているんだ?」
「森の中心部の近く……運がよければ、禁猟区域の近くでビリジオンに会えると思うからさ」
「マジか?」
「ゲットしちゃだめだよ? 無理だと思うけれどさ」
 俺の問いに、そう言って笑うカズキは、なんだかさっき部屋で見たときよりも大きく見えた。こうやって、先輩風を吹かせることも出来るんだな……ちょっと安心した。

「でさ、その時に俺に狩りのやり方を色々教えてくれたのが、オオツキ マコトって人と、イマガワ ヨシオって人でさ」
「え、イマガワ……それ、俺の隣に住んでる人だわ。足技が達者で、蹴りだけで人間ボーリングができるとか」
 なんとまぁ、世界は狭いものだ。まぁ、この近くで仕事していると言っていたからありえない話じゃないのだけれど。
「そ、そうなの? そんなすごい人だったんだ」
「おう。レンジャースクール時代から格好良かった人でさ……俺、イマガワさんにあこがれてポケモンレンジャー目指しているんだ」
 そんな取り止めのないことを話しながら十数分。
「いたよ、ミルホッグだ……」
 見張りが得意なポケモンと言えど、これだけ遠くでは発見も難しいのか。問題は、こっちもこの距離じゃ吹き矢も当たらないということだが。
「あんな遠くにいるのをどうするんだ?」
「いつもなら、ゾロアークに頼んで幻影を使って陽動するんだけれどね。今はいないからそれは無理だから……匍匐前進なり、身を低くして出来る限り近くまで寄ってから、見つかる前に攻撃だね。巣穴にもぐられたら、ハイパーボイスとかで穴から追い出すのが定石だけれど……」 
「あいにく、俺のポケモンにはそんな技を使えるやつは……カズキはどうだ?」
「ママンが虫のさざめきを使えるよ。それで巣穴から出てくるけれど、巣穴の入り口はいくつかあるからね。出来る限りそれを抑えておいて、狩らなきゃだめなんだ」
「なるほど、ディグダ叩きの要領ってわけだな」
「うん、穴をどれだけ探せるかで成功率も違うから、そこらへんは頑張って探すべきだね。じゃ、行こう」
「おう」
 カズキに言われるがまま、俺たちは木の根っこに紛れながら、匍匐前進でミルホッグの巣穴に近づく。しかし、下草もあまり生えておらず、木の根っこくらいしか実を隠すものがなくては、見つかるのも時間の問題であった。わざわざ回り道をして、ミルホッグに見られないように木の死角から忍び寄ったと言うのに、敵はなかなか手ごわいようで、こちらの確認をしたらさっさと巣穴に隠れてしまっていた。
「あちゃー……」
「こんなもんだよ。とりあえず、次は第二段階……音で敵を追い込むわけだけれど……巣穴への出入り口はいくつかあるから、そのどれかに待ち伏せするんだ。とりあえず、さっき入っていったところは確実として……さて、いくつあるだろうかな。見つけたところから待ち伏せして、一匹でもいいから確実に狩るんだ。全部逃がしたら諦めよう」
 俺にミルホッグの借り方を教えようとしてくれるカズキの顔は活き活きとしていた。
 ミルホッグの巣穴と思しき穴を見つけては、得意げにそれを発見して笑っている。俺やセイイチも頑張って発見したが、狩りの経験なんて僅かだろうに、カズキはこういうのにすでに慣れているおかげか、彼と比べれば見つけた数は少なかった。
 とりあえず、巣穴をふさぐために、すべてのポケモンを出して身構える。俺は、タイショウ、アサヒ、セイイチ、セナ、クラインを。カズキはママン、イッカク、ゼロ、トリ、サミダレを。それぞれ一つの穴につき一人から二人で見張り、全員がスタンバイしたところで、ママンが虫のさざめきをした。
 ママンは特殊技はほとんど鍛えていないが、巣穴の中という密閉した空間へと音が届けられるのだ。そこらじゅうへ反響するから、開放的な空間に比べれば何倍も五月蝿い。当然、巣穴の中にいるミルホッグ達は大騒ぎ。あわてて出てきたところを、素早く抑えるのだ。
 出てきたのは、イッカクの前とセイイチ、クラインの前。イッカクは、現れたミルホッグに対して研ぎ澄ませた気合を開放するように、地面に向かって渾身の下段突き。当たったら骨まで粉々に砕けていたことだろうが、毛皮を切り裂くほどのスピードと地面をえぐる重さはあっても、当たらなければ意味がない。少々タイミングを読み間違えてしまったのか、それとも見切られてしまったのか。気合パンチを放った後の一息の間にミルホッグには逃げられてしまった。
 セイイチのほうには、ミネズミが3匹ほど逃げていた。親子だったのであろうか、ともかくこれは都合がよかった。セイイチはそのうちの一匹に飛び掛り、しがみつきながら噛み付いた。何とか振り払おうとしてひた走るミネズミだが、そこに待ち構えるのは俺だ。俺はおもむろにミネズミの首から下を抑えつつ顔を掴むと、抱くようにその顔を支えて一思いに首を捻り壊す。
 師匠いわく、この首折りの技は絶対に日常や試合で使ってはいけない技だといわれたが、なるほど。小さいやつが相手とはいえ、こんなに簡単に首が折れるのであれば納得だ。クラインは律儀に、ヨマワルの代表技の一つである黒い眼差しをかけてくれていたようだが、その必要もなかったみたいだ。
「うわぁ……ためらいがないね」
 カズキが俺を見て感心した様子で言う。
「当たり前だろ? ためらったりなんかしたら、長く苦しんでミネズミがかわいそうだ」
 ……と、言うとなんか俺が変なやつに思われることがあるけれど、多分カズキなら大丈夫だろう。
「そこまで割り切れる子って少ないからねー。俺、狩りをやったってことを知られたら悪者扱いされたこともあるし……おっと、その子貸して」
「OK、この死体はまずどうするんだ? っと……こらこら、セイイチ。ちょっと待ってろ」
 自分でしとめた獲物である。真っ先に食べてやりたいと思っていたことだろうが、セイイチは取り上げられてむっとしていた。『酷いよ』と手話で抗議していたが、まぁしかたないわな。
「まずは血抜きだね。こうやって、頚動脈をナイフで切り裂いて……あー、骨が酷い壊れ方」
 カズキは苦笑する。あぁいう殺しかたはしたことがないのだろうか……カズキの面子を見る限りじゃ、首をひねって殺すことはないのか。カズキは手早く軽度脈を切り裂くと、ママンの糸を使ってその死体を吊り上げる。背負ったリュックサックからステンレスの皿を出したカズキは、その皿の中に滴る血液を溜め始めた。
「まだ心臓が動いているうちは、こうやって血が流れやすくなっているの。こうやって血を抜いておけば生臭くない肉が食べられるからさ」
「ほー……」
 何回もやっているのだろう。カズキはとても得意げだ。
「と言っても、俺もまだ初心者なんだけれどね。これくらいならばキズナもきっとすぐ出来るようになるから、これからは一緒に出来るように頑張ろうね」
「おうよ、色々教えてくれよなー」
 そんな会話をしている間にも、流れ落ちてくる血液は溜まってゆく。まだまだぽたぽたと流れてはいるが、幾分かその流れも緩やかになったことろで、カズキはその皿をセイイチに差し出した。

「どうぞ、セイイチ。今回は頑張ったね」
 笑顔で言って、地面に置くと、セイイチは早速飛びついた。遅れてアサヒやトリも一緒にその血を飲み、年上と言うわけでもないのにゼロは体格の関係で大人っぽく見えるおかげでお預けになりそうだ。と、思ったら、ゼロはちゃっかりま立ちが滴っているミネズミの死体から直接血液を舐めていた。クラインは魂でも食べているのか、本当にそんなものがあるのかは分からないが、なんだか上機嫌そうに口をもごもごさせている。
 しかし、セイイチの嬉しそうなこと。尻尾なんか振っちゃって、鼻先を血液で赤く染めながら嬉々として血を舐めている。こんなに夢中で何かをのんだことは今までなかったっけか……牛乳を与えたときよりもよっぽど喜んでいる。
「しかし、ミネズミの肉って美味しいのか?」
「美味しいよ。小さいポケモンだけあって癖が少ない味だね……まぁ、野生のポケモンだからちょっと臭みは強いけれど、そこらへんは匂いを消す料理法を使えば何とでもなるしね」
「そういうの、どこで学ぶんだか……」
「隣のお兄さん……」
「へ?」
「さっき話した、ゾロアークを持っている隣のお兄さん。母さんが帰ってこなくなって以来、世話をしてくれているの」
 まるで自分のことのように誇らしげに、カズキが語る。ポケモンを褒めるときもそうだけれど、カズキって、こういうところがあるから好きだ。
「その人料理上手いのか?」
「上手い上手い。っていうか、ブラックシティのカジノで、調理スタッフやっているからね。一応プロの料理人なんだよ」
「へー、そんなやつに教えてもらっているんだ。そりゃ、ピクニックのときにあんな料理持ってくるわけだ」
「あの人は教えるのが上手いから……だから、尊敬できる人だよ」
 そんな風に、カズキは謙遜する。こんなやつになら、教えるほうも嬉しかろう。
「今日の獲物はこれで足りるかな……やっぱり人数が多いとそれだけ出来ることも増えるね」
「運がよかっただけじゃねーの? セイイチが失敗してたらだめだったわけだし」
「運も数で補えるさ……だから、大丈夫」
 そう言ってカズキはアサヒとセイイチを見る。すっかり飲み終えたアサヒは『美味しい』と言っていた。セイイチはのどが渇いているのか、まだのんでいるようだけれど。
「ま、数で補った分、消費も激しいのが難点だけれどね」
 カズキはそう言って苦笑した。確かに、人数が多ければ狩りの成功率は上がるけれど、その分消費も増えるんだよな。
「ともかくさ、命を貰ったわけだし……ありがとうって、ミネズミに言っておこう」
「お、おう……ありがとう……」
「ありがとうございます……」
 死体にむかってありがとうと言うのはなんだか変な感じがしたが、カズキはもう慣れ切っている様子。……そうだな、きちんと感謝しなきゃいけないことだ、こういうのは。
「こうやって感謝するのはね。成仏させるためとか、そういう意味合いもあるんだけれど、何よりも……死体をぞんざいに扱うことで、獲物の枯渇を防ぐためなんだ」
「と、いうと?」
「食糧に感謝していれば、食糧を無駄遣いすることもないってこと。そして、食糧を無駄にして、無計画に乱獲をすれば、そのせいで獲物が枯渇、絶滅してしまう。そういうこと」
「なるほど……」
「だから、食材には感謝しないといけないんだ。よくわかる理論だね」

 そんな会話をつづけながら、しばらくして、完全に血抜きを終えると、カズキはその場で解体を始めて、調理しづらい臓器をゼロやアサヒたちに与え、肉や調理しやすい部位は切って持って帰る。
「よし、こんなもんかな」
「結構あっさりと終わるもんだなー」
「今日は偶然上手くいった感じだよ。セイイチが頑張ってくれたからね」
「そっかー……しかし、セイイチのやつ、野生を取り戻したって感じの動きだったなー……とびついて、ガブリ!! だぜ!?」
「いいんじゃないかな。ポケモンだって、毎日人間に合わせて生活してたら息が詰まるだろうし、たまには野生らしく自由気ままに振舞ってみるのも……」
「ところで、今日はもう帰るのか?」
「いや、次は案内したい場所があるんだ。草食のポケモンたちにも餌を取ってもらわないといけないし……少し歩こうか」
 そう言ってカズキはママンやサミダレを出す。ママンはともかく、サミダレはガマゲロゲ……草食ではないんじゃないかと思ったが、彼は木についている虫を、下を伸ばして取って食べ始めた。なるほど、そういうことか……こうやって道すがら食べ漁るんだな。
「ところでさ、あのヨマワル……あの子が、先日言っていた、新しくゲットした子? 名前、クラインっていうんだ」
「うん……あいつはねーちゃんの手持ち。サマヨールになるまではとりあえず俺が育てることになったの」
「そりゃまたどうして?」
「手がないと、手話も出来ないだろ?」
 だから、手話を教えるために進化させるのだと教えると、カズキも納得してくれた。


「で、今度はどこに向かっているの?」
「そりゃ、キズナが以前から会いたがっていたビリジオンのところだよ」
「お、マジか!? でも、ビリジオンのいる場所なんて分かるのか?」
「夜は禁猟区にある住処に戻っちゃうけれど、昼はよく中層のほうにも来ているみたい。最近、この森のヌシやヨツギがよくいる場所をなんとなく把握してきたんだ……ここら辺には水のみ場と、木が倒れたおかげで日光浴が出来るようになった場所があってね。目立つからメブキジカとかはあんまり来ないんだけれど……あ」
 話している間に、突然カズキが何かに気付く。
「どうした?」
「気付かない? セイイチはなかなか感覚が鋭いみたいだね」
 カズキに言われてみてセイイチの目線を追って見ると、そこには若草色の巨大がこっちに歩いてくる姿が確認できる。
「すげぇ……ビリジオンだ……初めて見た」
「会いに行ったら向こうから来てくれるとは……きっと血の匂いに引かれてきたんだろうね。誰か人間が狩りをしたってことで、見回りに……あ、アレはヨツギだ。あいつが次世代のビリジオン……この森を守っているヌシの子供のことをそう呼んでいるのはもう言ったよね?」
「うん、覚えている……」
「来年行われる捕獲祭りでゲットできるのは、この子じゃなくってヌシのほうなんだけれど……それでも大きいでしょ?」
「なるほど、こいつ子供なのか……そうは思えないほどでかいけれど」
「でかいのはビリジオンだからね……こんにちは、ヨツギさん」
 喋っているうちにこちらからも接近し、俺たちはビリジオンと対面する。間近で見ると、本当に大きい……あの後ろ足で蹴られたりでもしたら即死だろうな。
「今日は……見てのとおり、友達を連れてきたんです」
 カズキとヨツギの視線が俺を射抜く。
「ほら、命を貰ったんだから感謝しなきゃ」
「お、おう」
 カズキのアドバイスを受け、俺は戸惑いながらも頷いた。
「よろしく、お願いします……あの、狩りをしにきたのですが……まぁ、この血の匂いで分かるとおり、狩らせてもらいました。いつも、ありがとうございます」

「ありがとうございます」
 俺とカズキで一緒に頭を下げる。頭を上げると、すでにセイイチがヨツギにじゃれ付いていて、足にまとわり付いて匂いを嗅いでいる。
「ちょ、セイイチ……お前何やっているんだ!?」
 前足にまとわり付くセイイチのことをどう思っていたのか定かではないが、ヨツギは特に嫌がる様子もなかった。だからと言って、このままじゃれ付かせていいわけもなく、自分も飛びつこうかどうか迷っているアサヒのことをほうっておいて、セイイチを引き剥がす。
「こら、セイイチ。初対面の相手にそんな風にじゃれ付くもんじゃないだろ」
 首の皮を持って引き剥がす。体がだるいと言うのにこんな面倒かけさせやがって、セイイチのやつ。セイイチは、首の皮をもたれたままと言うのがいやらしく、ばたばたと暴れて開放されようと抵抗するが、尻に向けて軽く膝蹴りを加えてやると、おとなしくなった。
「すみません、ヨツギさん……」
 俺が謝ると、ヨツギは気にするなとばかりにあごをしゃくりあげる。
「いやまぁ、そうですけれど、あんまり甘やかさないほうがいいと思いますし……」
 ジェスチャーだけなので、なにを言っているのか俺には分からない……のだけれど、カズキは分かっているかのようにヨツギに言う。どういうことだよ……

「言葉、分かるの?」
「なんとなくね。とりあえず、ヨツギさんいわく、『人間も含めて子供は好きだから、そのままでいい』ってさ。自分も4歳の子供の癖に……」
「え……アサヒ。どう? ヨツギさん、なんて言ってる?」
 突然話を振ってみたが、アサヒは戸惑うことなく冷静に手を動かす。
「『子供』『好き』『セイイチ』『問題ない』」
 アサヒが手話でそう訳すのを聞いて、俺はカズキの才能を理解する。
「そ、そうか……なるほど。カズキ、お前凄いなぁ……」
「この程度、慣れればキズナも分かるよ」
「お前よりずっとポケモンと長く暮らしてても慣れないよ」
 カズキは自分がいつの間にか出来るようになったんだから、簡単そうに言ってくれやがる。でもま、それだけ純粋ってことかな。
 なんか、今日はカズキのいいところをたくさん発見できたかも。伝説のポケモンとも軽く交流してるし、狩りも上手いし生理のせいで元気がないことを察してくれたり。ねーちゃんも見た目が格好いい人を追うよりかは、カズキみたいな男に惚れたほうがいいと思うけれどなぁ。あぁ、でも最近はコロモに惚れているんだっけか。
「さて、他のやつらにも挨拶させなきゃな……タイショウ、セナ。出て来いよ」
 タイショウとセナを出す。タイショウはまず最初にヨツギを見上げると、只者ではないと判断したのか恭しく礼をする。きっと、モンスターボールの中で会話も聞いていたのだろう、なかなか空気を読んだ立ち振る舞いだ。クラインは、ヨツギの体ではなく、ヨツギの周りを見ていた。こんなポケモンなだけに、ヨツギには先祖の霊でも憑いているのだろうか……?
 セナはといえばヨツギの巨体に見とれて、彼女を見上げている。するとヨツギはおもむろに首を下げて、セナを食べた。
「ピギィィィィィ!!」
「うわぁ!!」
「なっ!?」
 絹を切り裂くような金切り声が上がり、それに追従するようにカズキと俺の声が上がる。背中の綿をむしられたセナは、すぐさまヨツギを振り払ってタイショウの陰に隠れていた。あちゃー……酷いやられ方だ。ごっそり食われている。
「ヨ、ヨツギさん……エルフーンの綿を食べちゃだめでしょ……」
 若干カズキが呆れ気味に話しかけている最中も、ヨツギはふてぶてしく綿を租借している。顎をしゃくりあげた動作を見て、カズキとアサヒが同時に反応する。
「お腹すいていたみたい」
「『お腹』『すくない』」
 人間に分かる言葉と手話で、同時に同じようなことを伝えられる。なるほど、カズキってば本物なのかもな。
「だからって、食べないで欲しいけれどなぁ、セナ?」
 すでにして泣きそうな顔になりながら、セナは頷く。そこに慰めるようにセイイチがぽんぽんと綿を叩くが、その綿に手を突っ込んだかと思うと、ブチィッと千切る。
「ピギャァァァァ!!」
 再度セナから金切り声が上がり、その間にセイイチはヨツギに綿を渡している。
「あらら……セイイチ、セナにそんなことして大丈夫なの?」
 カズキの危惧するとおりで、もちろん大丈夫じゃない。流石のヨツギも苦笑しながら綿を受け取るばかりで、逆にセイイチは悪戯が成功して喜んでいるようだ。その様子を見て、とうとうセナはタイショウにすがり付いて泣き出してしまった。
「あー……どうするのさこれ」
 カズキが言うが、俺が知りたいよ。
「とりあえずもう、セナはボールにしまおう。そんで、ここから離脱だ」
「それしかないね」
 しぶしぶながらカズキも納得した。もうちょっとヨツギと一緒にいたかったのだろうけれど……はぁ、悪戯心のリオルはこういうところで最悪の面を発揮しやがるなぁ……

「それでは、ヨツギさん……今日は挨拶に来ただけですので……ヌシ様によろしくお願いします」
 礼をして、カズキが俺のほうを見る。
「えっと、よろしくお願いします」
 ヨツギはその長い首を傾けて、こちらこそよろしくといっているように見えた。去っていくビリジオンの美尻を見つめながら、俺は先程までの出来事を反芻する。セイイチがじゃれ付いたり、ビリジオンと会話のようなものをしたり……ねーちゃんが聞いたらなんていうだろうか。
 なんだかあっという間だったから実感がないけれど、本来ならばきっと夢のようなひと時だったのだろうけれど、そんな事を考える暇もなかった。それはカズキがあまりにも自然に接していたからなのかな……何と言うか特別に感じなかった。
「さて、帰ろうか……なんか、体調悪いのに連れまわしてごめんね」
「大丈夫、やわな鍛え方はしていないさ」
 まぁ、結構だるいけれど、めまいや吐き気は大丈夫。とはいえ、連れまわされた埋め合わせはしてもらわなきゃ。
「喰って寝てりゃ、これくらいどうともなるって」
 だから飯を食わせろと暗に言っておく。
「はいはい、とびっきり美味しいの用意するから、待っててよね」
 子供をあやすような口調でカズキが返す。足元を見れば、アサヒやセイイチも美味しい食事を食えるだろうと喜んでいた。残念ながらお前たちの分はさっき食べさせたやつだけなんだけれどね……。

 さて、そういえば俺はセイイチに対してさっきの件のお灸をすえていなかったな。
「ちょっと待ってて、カズキ」
「うん? どうしたの?」
「いや、セイイチを叱っておかないといけないと思ってさ。な?」
 俺はセイイチの首根っこを左手一本で掴み、持ち上げる。ただならない殺気に気付いたのかセイイチは首を掴んだ手から逃れようと暴れてもがくが、そんなのはもちろん無視だ。そして、そのままセイイチの体を木の幹に押し付ける。セイイチはものすごく怯え切った眼でこっちを見ており、俺は右手で取り出した棒手裏剣をちらつかせ、セイイチの顔の横の部分を少々離れた距離に突き刺す。
「なぁ、セイイチ」
 そして、その刃を一度抜くと、次は先程よりもわずかに近い場所に突き刺す。
「セナを、苛めちゃ、だめだろ?」
 カツン、カツン、と小気味よい音を立てながら、ミシンのように棒手裏剣の刃がセイイチの首に迫ってゆく。セイイチはすっかりおとなしくなってしまった。しつけと言うよりは脅しだが、こいつの悪戯心はこれぐらいでもしないと収まりはしないだろう。
「今度あんなことやったら、刺すからね?」
 木の幹に刺して抜いて刺して抜いて。刺すたびに首筋に近くなる位置を狙い、首に触れる寸前のところで俺は棒手裏剣を木の幹に刺すのをやめる。
「分かったか、セイイチ?」
 にこやかに話しかけると、セイイチは首が壊れるんじゃないかと思うほど勢いよく頷いた。
「すまん、待たせたな……カズキ」
「あ、うん……行こっか」
 あーあ、カズキもドン引きだ……これもセイイチのせいだな。

 ◇

 キズナは、料理をすると材料を焦がしたり、逆に生焼けだったりすることばかりでいつも失敗してばかりだと言う。『その点、お前は凄いよな』といってくれたことが嬉しかった。今日はミネズミを狩れたので、それを素材に使う。熟成させていない肉は固いけれど、キズナは顎くらい鍛えられているだろうから大丈夫だろう。
 いくつかのハーブと一緒に、ブランデーでフランベ((調理の最後にアルコール度数の高い酒をフライパンの中に落とし、一気にアルコール分を飛ばす調理法。最後の香り付けのために使用される))したミネズミの肉。顎が死なないように、そして野生のポケモンなのでよく焼かないと怖いのもあって、肉は賽の目切りにして火の通りも早くしている。ホースラディッシュと醤油で味付けすれば、完成だ。
 帰る途中にスーパーで買い求めた男爵芋を使って作った粉吹き芋を添えると、料理としてさまになった気がする。レバーのほうは、趣向を変えて味噌ダレと一緒に焦げ目が付くまで焼いて、唐辛子の調味料と絡めて出す。狩りの後だけあって、流石に肉中心のメニューだけれど、キズナはどういう反応をしてくれるだろうか。
 キズナはと言えば、アパートの外でイッカクとの格闘に興じている。ポケモンと戦っているのが普通とでもいいいたげなその振る舞いは、やはりいつ見ても驚嘆に値する。俺もスバルさんやキズナのように強くなりたくて、サミダレに戦いを挑んだりもしたけれど、一人で挑む勇気は流石にないなぁ。
 イッカクはといえば、流石に火炎珠は使わず、自分の体一つで戦いを挑んでいる。キズナは彼女のパンチをいなし、接近されれば膝蹴りを叩き込み、頭突きをされれば深く懐に潜り込んで足に体当たりを加えているし、プロレス技で真っ向から勝負することもある。美しいくらいに相手の攻撃をつぶしているようだ。その光景を、アサヒとセイイチ、タイショウなど格闘タイプのポケモンは感心するような眼差しで見ている。格闘タイプを育てるのには、キズナみたいな技術が必要なのかなぁ……

「キズナ、ごはん出来たよ」
 声をかけると、キズナは手話でアサヒやタイショウに話しかけ、イッカクの角を撫でてこちらを向く。
「おう、もう腹ペコだよ」
 先程の狩りの際に食べてないポケモンを連れて、キズナは俺の家へと上がる。しかし、ここまで体当たりの交流方法……俺には真似できないな。
 2人分の食器を隣り合わせに並べて食事を始めると、その怒涛の勢いたるやとても女性には見えない食べっぷり。しかし、しきりに味を褒めてくれることもあって、作ったかいがあると言うのはこのこと。空腹なだけでなく、のども渇いていたようで、氷を入れた麦茶を出してやると、次から次へと継ぎ足して飲んでいた。
 蜜を舐めるイッカクや、俺たちと同じものを食べるタイショウ。サミダレは、なんだかんだで虫をたくさん食べていたし、変温動物なので餌もそこまで多くはいらないから、今はお預けだ。そういうわけで、この食事を楽しむのは、タイショウと俺と、キズナとイッカク。なんだか、4人も食卓を囲むと結構にぎやかで楽しい気分になってくるな。
 食べ終えたキズナは、ちゃぶ台の舌で胡坐をかいていた足を伸ばして、そのまま後ろに倒れこむ。お腹いっぱいであることをアピールするためなのか、お腹をぽんぽんと叩いたりなんかして、自分が言うことじゃないと思うけれど、結構はしたない。
「キズナ。流石にもうちょっと女の子らしく振舞おうよ」
「あ……そういえばねーちゃんにこういうしぐさはやめろって言われているんだ……」
「そりゃそうでしょ……」
「でも、こんなに夢中で食べたの久しぶりだ。貧血の最中だとレバーが美味しく感じるなんてことあるのかねー」
「お腹がすいているからだよ、きっと」
 空腹は最高のスパイスとも言うし、きっとそういうことだ。
「それだそれ! 最近はなんだかんだで規則正しく飯を食っていたのが原因だ」
 そう言って笑うキズナとの時間が惜しくって、俺はいつまでも会話を絶やさないよう頑張っていた。この前のピクニックの時に聞いていた、キズナが学校で独りぼっちな理由を聞いてみると、それもまた面白いエピソードであった。キズナは、同級生がスマートフォンのデコレーションを自慢してきたときに、あまりに無造作に、そして隙間なくストーンが敷き詰められただけのデコを見て、思わず『うわぁ、虫の卵みたい。おまえらこんなのがかわいいなら、キャベツに植え付けられた蛾の卵でもかわいいんじゃね?』と言ってしまい、周囲を凍りつかせたのだとか。
 ほかの女の子たちはお世辞交じりに『かわいい』と褒め合っていたので、キズナは集中攻撃を受け、その見せびらかした女の子は泣き出してしまったとか。結局、キズナは『このデコどうかな?』と聞かれたのだから正直に答えただけだと、絶対に謝らず、『褒めてほしいなら「褒めて」と言えばいいんだ。甘えるな』と、頑として主張。それ以降、皆に無視されて独りぼっちになってしまったそうで。ひどいときはいじめにまでも発展したらしい。全部返り討ちにしたそうだけれど。
 うーん……男同士だったら、そういうタイミングでも褒めなくって大丈夫だったかもね、本当に。
 こんなんが嫌だから、男に生まれてきたかったなとキズナは語る。
「でも、キズナはきちんと生理が来ているんでしょ?」
「う、うん……そうだけれど、もう少しオブラートに包め。っていうか、察知するな……一応女なんだから、生理とか恥ずかしいんだ」
 キズナは照れ臭そうに顔をそむける。
「いやだって、キズナの匂いが鉄の匂いするし、スバルさんのそういう時と同じ匂いだから……そっか、恥ずかしいのか」
「そりゃ、恥ずかしいよ……お前だって、男子便所でたちしょんの最中に血尿が出たらどうよ?」
「血尿って、血が混じったおしっこのこと? あぁ、確かに……それはちょっと恥ずかしいかも」
 汚い話だけれど、納得だ
「それにしてもおまえ、鼻がいいんだな?」
 恥ずかしそうに苦笑しながらキズナが言う。
「育て屋では、鼻がよくないとポケモンの体調に気付けないことがあるから……」
「そうかい。いい才能じゃないか」
「へへ……」
 キズナに褒められちゃったな。なんかすごく嬉しいかも。
「でもさ、キズナ。どうあがいても、女に生まれちゃったものは仕方ないさ……女に生まれてよかったって、思える何かを見つけなきゃ。俺としては、キズナは性格も含めて可愛いから……女の子でよかったと思うけれどな。別に、いいじゃん……セックスとジェンダーは別だよ」
「男みたいな言動が、いじめを受けた一つの原因なんだがな……それでも同じことを言えるかな?」
 確かに男みたいだけれど、なんでそれでいじめたくなるのか、俺には不思議だった。むしろ、それも個性だし……例えば食べ放題のお店ならば、似たような料理ばっかり並んでいるお店より、俺はキズナみたいな変り種がいてもいいと思う。別に、悪臭で他の料理を台無しにするわけでもあるまいし。変な料理があるからあの料理店は糞まずいって評価が下るわけでもあるまいし。
「キズナは、自然なままのほうがいいよ。こうやって遊んでいると楽しいし、アオイさんもいい人だけれど、違う良さがあるよ、キズナには」
 そう声をかけてあげると、一瞬キズナの方がこわばったような気がした。
「ありがとう、カズキ……俺、このままでいいんだな?」
 キズナの手がおもむろに俺の手を握る。あまりに意外な行動に、しばらく声が出なかったけれど、不快ではなくむしろ心地よくって嬉しい。
「……ん。どういたしまして。もっと女の子らしくしなさいとか、皆に言われているの? 必要ないと思うよ、俺は……あぁ、まぁ、確かに女の子らしくしたほうがいいと思うときもあるけれどさ。血尿とか、人前で言っちゃさすがに、ね。それにあまりはしたない姿は……いっぱいになったおなかをポンポン叩くとか男でもなんというか、アレだし。
 でも、無理して見るアニメやアイドルの趣味をほかに合わせる必要はないし、かわいい服やぬいぐるみで着飾る必要もないし、それに……無理して男を好きになる必要もないしさ」
「そっか……」
 キズナが俯く。
「お察しの通り……なのかな。俺、ねーちゃんが好きなんだ」
「うん、知ってる……いや、どういう風に好きなのか、までは把握していないけれど」
 どこからどう見ても仲のいい姉妹だし。まぁ、姉を異性として好きだといわれると、なんというか少し意外かもしれないけれど。
「ねーちゃんは、俺のことを思って『女の子らしくしなさい』って言ってくるのは鬱陶しいけれど……もしも俺が男だったらそれもなくって、理想の姉だったんだろうなーって……そう思ってる。そんなねーちゃんが背骨を折ったとき、悲しかったけれど……その半面で嬉しかった。男の子なら、同じことを思うもんなのかな、ねーちゃんが頼ってくれて、好き放題体を触る事が出来てさ。
 ねーちゃんの下半身に感覚がないのをいいことに、尻とか、必要以上に触りまくってる。血行が悪くなったらいけないからって、太ももとかを揉んだりもしている。いけないことだってわかっていても、たまに頼まれると……その度にそうしてた。それを知ってか知らずか、ねーちゃんは最近ポケモンに風呂の世話はまかせっきりだけれどさ……でも、俺は女なんだ。男なのか女なのか、分からなくなるし、男になりたい……」
「えーと……キズナが男の子でも、俺は友達だから。今から服を脱いでみて、股の間にぶら下がっていようと、なかろうと……変わらないつもり」
「畜生……カズキにしか。こんなこと話せねぇよ……だから、そう言ってくれる人なんて、お前だけだ……」
 キズナが悔しげに毒づく。キズナは、そのままずっと俯いたまま手を握っていた。しばらくすると、キズナはまたいつも通りにしゃべりだす。自分のポケモンがどうとか、街で出会ったトレーナーがどうとか。
 それは夢のように楽しい時間で、ずっとこのまま時が止まってしまえばいいのにと思うほどだったけれど、別れの時間は必ず来てしまうものだ。

「そんじゃ、またなー!」
 手を振って、キズナは太陽の位置も低くなってきた空の下、北東の方向へと向けて自転車を走らせた。送って行こうかと声をかけたけれど、『まだ明るいし、俺にはこいつらもいるし、それに俺がそんじょそこいらの男に負けると思うか?』と、返された。
 結局、もっと長い時間一緒に居ることは叶わなかった。それどころか、今日こうやって家に呼んだ目的を、まだ達成していない。
「待って……」
 自分でも、泣きそうな声だと思った。
「どした、カズキ?」
 その声のただならない様子気付いたのか、キズナが振り返って疑問符を掲げる。
「来週の21日……キズナの家に、泊まりに行ってもいいかな? お泊りしたいなぁ……なんて……」
 心臓が恐ろしいほど脈打っていた、西日のおかげで逆光になっていたから涙目は見られなかっただろうけれど、鼻水まで出てきて、凄くみっともなかった。

「いいよ……相談してみるから。ねーちゃんにも、母さんにも」
 少しためらいがちにキズナは言う。そのためらいが、男を泊めることへの抵抗感なのか、俺のただならない様子を心配してのことなのか、それとも単なる驚きだったのかは分からない。
「だから、そんな声を出すなよ」
 気付けばキズナは俺の手を握っている。この距離じゃ、確実に涙を……見られたな。
「……りがとう」
 最初、声にならなかった。
「ありがとう……」
 二回目でやっと声になる。
「こちらこそ。今日は遊びに誘ってくれて、ありがとうな。また、遊ぼうぜ」
 キズナは、昼間こそ詮索してきたものの、今回は深くは詮索しなかった。俺が話したくなったら、話せばいいということだろうか……? 母親が家に帰ってくるから家にいたくないという本当のことを話しちゃうと、いろいろいらないことも心配されちゃいそうで悪いけれど、話したほうがいいのだろうか?
 俺には、分からなかった。

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レポートを……書く気がしない。
いやだ、母さんとなんて会いたくない……キズナと一緒にいたい。
あんな女、いやだ……俺の親だなんて認めたくない。

8月14日
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Ring ( 2013/09/21(土) 23:49 )