第二十三話:苦い思い出
8月2日
「今日は雨が酷いな……」
俺が帰る時間帯になって、窓のほうを見ながらスバルさんがつぶやく。
「そのおかげで、外が暑くなくって助かりましたけれど、服が重くってもう……」
「ふふ、屋外での仕事というのはこういうときに大変だな。まったく、レインコートもあると言うのに無茶をするやつだ。今日はもう帰れ……風邪を引くなよ? 家に帰ったらすぐに着替えるんだぞ」
「はい、今日もありがとうございました」
突然の土砂降りの日。曇っていたときは涼しくって良かったとさえ思ってしまったが、雨ともなると流石に憂鬱だった。雨に打たれながらの作業が終わって管理等に戻ると、濡れた体に冷房の冷気が寒いこと寒いこと。炎上している(主に熱狂的なカミツレファンによって)ブログに掲載されたバトルの模様を見せるのは、なにもこんな日じゃなくたっていいのに……
くしゃみが出るほどの寒さに、スバルさんの風邪を引くなよという言葉が身にしみた。じゃあもう少しクーラーを弱めてくれとは言えなかった。
スバルさんの育てやから、大雨が降る中での帰り道。まだ青い稲穂が揺れる田園にてガマゲロゲを発見して俺は後を追いかける。ガマゲロゲはガーガーとやかましく鳴きながら、周囲に耳をそばだてている。すると、ガマゲロゲは何かを見かけたようで、一直線に走っていく。
「あれは……雌のガマゲロゲ?」
ガーガーと小うるさく鳴いていた雄のガマゲロゲは、同じく鳴き声をあげていた雌のガマゲロゲを探していたらしい。どうして、二つの個体がどちらの性別か分かったかというと、そういう行為を始めたからに他ならない。田んぼの草にまぎれて詳しくは分からないが、やっていることは想像が付いた。
だめだ、見ちゃだめだ……気分が……
想像すると、それだけで自分の記憶がフラッシュバックする。あの時、冬の日、風邪を引いて熱があるというのに押入れに閉じこもるしかなかった俺が、腹痛でいても立ってもいられずに、トイレへ行きたいがために2人の交わりに水をさしてしまった……それを見逃してくれればよかったんだけれど、『何を見ているんだ!』と蹴られた俺はその時漏らしてしまって……
悪臭で激昂したあいつに押さえつけられて、ストーブの上で暖められていた熱湯をぶっかけられて……背中が……くそ。いまさら、あんなことを思い出すだなんて。なんというか、ついていない。なんで、今更あの時の火傷が痛みだすんだ……畜生。
俺は目をそらしながら、交合が終わるのを待つ。あれを邪魔された雄は、烈火のごとく怒り出してしまいそうな気がして怖いのだ。第三級ポケモントレーナー免許を取得するために、学校の図書室で性教育は一通り学んだけれど((性教育を学ばずにいたため、ビークインやラッタが手に終えないレベルで繁殖してしまった事例があるため、トレーナーには性教育の勉強が義務付けられている。))……あれ、気持ちいいんだってね。だからなのかな……あの男があんなに怒ったのは。
「ハッハァン?」
「シャーッ!」
様子がおかしい俺の事を心配してくれているのだろう。一緒にガマゲロゲを追っていたママンとゼロが俺の顔を覗き込む。
「大丈夫。ただちょっと驚いただけで、特になんともないからさ……だからママン、心配しないでよ」
実際は、心臓がありえないくらいに高鳴って、うずくまってしまうほど苦しかったし、あの時火傷した背中のあとが、ずきずきとうずいていた。ガマゲロゲたちには何の罪もないのだけれど、少しだけ恨みくもなるくらいに苦しかった。
体の中心は解けてしまいそうなくらいに熱いのに、体の表面は雨に打たれて冷え切っている。早く帰って体を拭かないと風邪を引いてしまいそうだ。
「でも、せっかくのチャンスなんだし……ここで逃しちゃ……」
ずっと欲しかったガマゲロゲなんだ。最終進化形ならば即戦力にもなるし、何より弱点の補完にもつながる。交合しているということは、ここで卵を産んでおくのだろう。そうなれば雌もおなかの中は空っぽになるはずだし、雄は今の状態でも捕獲できる。両方をゲットするつもりはないけれど、どちらをゲットしたって大丈夫なはずだ。
「ママン、ゼロ……あいつらの行為が終わったら教えてくれ……邪魔は、したくないから」
本当ならばこの隙に不意打ちするのが得策だ。こんな人里深くまで訪れるということは、あのガマゲロゲ達もそれなりに人間に捕獲されて楽な生活を望んでいる可能性が高い。もしくは肝試しついでのデートなのかもしれないが。
ずっと目を背けたまま、どれほどの時間がたっただろう。寒さと熱さの両方に苛まれ、吐き気や腹痛までよみがえっている中で、俺は熱湯を掛けられた後に助けに来てくれたアイルとユウジさんの勇姿を思い出す。
今でも覚えている……身の丈ほどはあろうかというチェーンソーを二本持って(パニックホラーのキャラだったらしい)乱入してきた巨漢のローブシン。
もちろん幻影だったわけだけれど。そのあとユウジさんが俺を攫ってくれて、しかも料理に使うはずのチーゴの実とラッキーの卵で火傷の治療してくれたこと、今でも覚えている。噛み砕いたチーゴの実を傷口に塗られた瞬間は痛すぎて、食いしばった歯がぐらついたかと思うほど。
そして、空気は通すけれど菌は通さないという、卵の殻の内側にこびりつく白い薄皮を貼り付け、治療してくれたこと。蹴られた拍子に漏らしてしまった排泄物まできちんと処理してくれたし、傷の治療に使った卵で卵粥を作ってくれた。
何から何までお世話になった俺は、アイルとユウジさんに見守られながら眠ってしまった。火傷と風邪にうなされていたし、背中を火傷したからうつ伏せの寝苦しい姿だったけれど、あのときの恩は今でも忘れられない。
そのすぐ後、クリスマスの日にママンを譲ってもらったこと。枕元にモンスターボールが置かれていた事も、全部覚えている。
いまさら思い出したのは、苦い記憶ばかりではなく、ユウジさんの優しさも思い出せてしまった。なんだかすごく嬉しくて、そっちのほうを思い出している間は体のほうも楽になった。やがて体が冷え切ったころに、ゼロがカマで俺の肩を優しく撫でる。
「終わったの?」
うん、とママンとゼロは頷く。
「じゃあ、行こう。一緒に……捕まえよう……って上手いことこっちに来たか」
ガマゲロゲが来た方角にいたからなのだろうか、戻る方向も一緒のようだ。不意打ちで捕まえても良いけれど、そうすると懐くまでにそれなりの時間がかかることはゼロの件で学習済み(あと、キズナもそれで悩んでた)。あの時は、わざと俺たちに近いところにゼロのための餌をおいて、あっちが近づいてくるまで待つようなことを何回も繰り返したものだ。
「待って……」
声が聞こえるところまで来た雄のガマゲロゲを呼び止める。びくりとしてガマゲロゲは動きを止め、こちらを見て警戒する。目を合わせると、交戦体勢に入られかねないから、見るのは胸のあたり。まずは戦うよりも友好的にという意思を見せよう。
リュックサックを自転車の籠に入れて、俺はその中からポケフーズを出す。こんなときのためにと、育て屋からくすねてきた代物だ。
「……俺たちの仲間にならないか?」
餌を差し出されると、ガマゲロゲは当然警戒する。
「大丈夫、安全なものだよ」
ポケフーズを無造作に選んだ俺は、乾燥したその餌を二粒ほど食べる。二粒といっても、一粒がポップコーンの倍くらいの大きさ(体積は6〜8倍といったところか)のその餌ならばそれなりの量だ。乾燥餌特有の粉臭い匂いと、地面のような、干した雑草のような匂いが口に広がる。ガマゲロゲの口に合うかどうかは分からないが、これは比較的多くのポケモンの配合に使われているやつだから、汎用性は強い。
安全性を伝えるためとはいえ、ちょっと口にしたのを後悔したくなる味だった。流石に人間の口には合わない。
「はい」
と言って餌を地面に置く。地面の上に置くのは、人間ならば不快に思うかもしれないが、相手はポケモン。問題ない。
俺は数歩下がって、ガマゲロゲに餌をとらせる。飛び掛られてもよけられるくらいの距離まで下がると、ガマゲロゲはちらちらとこちらのほうを警戒しながらも餌をとる。まずは、小さくかじりつき、味に問題がないことを確認すると舌で巻き取って一気に丸呑みにした。
そのまま、俺たち二人は見つめあう。
「もっと欲しいのか?」
今度は、足元に置いて、俺たちは後ずさりしない。危険を犯す覚悟で取りに来いという意思表示だ。ただし、こちらも敵意がないことはきちんとしめし、ママンとゼロにはカマも構えさせない。だらりと力なく腕を下げていると、どうやらその意思も伝わったらしい。恐る恐る近づきつつ、足元に置いた餌を長い舌で絡め取ると、さっと身を引いて丸呑みにした。
「じゃあ次は、手渡しだ」
ゆっくりと近づいてくるときに見えたが、このガマゲロゲの手は毒手ではないようだ。つまりはすいすいの特性……雨の中でものすごい瞬発力や動体視力を得る特性だ。理想的じゃないか。
掌に載せた餌を見せると、さすがに警戒してなかなか近寄っては来ない。
「こっちの要求は分かっているか? 人間にゲットされれば、こういう餌を毎日食べられるんだ……だから……俺にゲットされないか?」
右手に餌。左手にモンスターボールを持って、俺は要求する。
「欲しければ、ゲットされるか……俺と、ゼロと戦って奪って見せろ。それが嫌なら、今すぐ逃げろ。追いはしないよ」
ポケモンは、弱いトレーナーに仕えようとはせず、だからこそバトルで実力を見極めようとやってくる個体がいる。安定した餌の供給を望むにせよ、戦って主人を選ぶにせよ、餌を食べたければガマゲロゲは二択の選択肢しかない。
言葉を終えた途端、ガマゲロゲは臨戦態勢になった。どうやら、この個体は主人を選ぶために戦うタイプ、当たりを引いたようだ。今日は普段着に着替えずに帰路に着いたので作業着を着っぱなし。家に帰って服を洗うつもりだったが戦いとなるなら好都合だ。この作業着はイトマル製糸工業製品の火に強いキュウコン毛糸と電気に強いライボルト毛糸、そしてすさまじく丈夫なイトマル糸のハイブリッドだから、ちょっとやそっとじゃ傷一つつかない。
「……分かった。負けたら捕まってもいいと、そう言うんだな?」
ガマゲロゲは答えない。だが、答える代わりに威嚇をやめない。
「……ゼロ、行くぞ。ママンはそこで見てて」
俺も、ポケフーズを後ろに投げ捨てて肉を切るためのサバイバルナイフを取り出す。刃渡り30cmもあるポケモンレンジャーの正式採用品だから(持っていると職務質問ものだけれど)、ポケモンの肉だって簡単に切り裂くし、攻撃だって受け止められる。
スバルさん曰く、ポケモンを最も有効になつかせる方法は自分自身で力を見せ付けることだという。また、直接戦うことでその子の長所も短所もよく見えると彼女は熱弁し、そのために俺に自力でポケモンと戦い、ポケモンから身を守る術も教えてくれた。まだまだ未熟だけれど、ナイフの扱い方やポケモンとの戦い方はかなり上達したはずだ。
「足!」
まずはゼロが飛び出し、ガマゲロゲの足にシザークロスを仕掛けさせる。足を狙わせたそれを、ガマゲロゲは当然のようにそれを跳躍して避ける。やはり特性はすいすいのようで、流石に速い……ゼロのスピードについていけるだなんて正直信じがたい。
バックステップをふみながら、ガマゲロゲは地ならしの技。地震と比べ、ダメージを犠牲にして、地面を揺らす時間を長くすることで相手の機動力を奪う技だ。俺までダメージを受けかねないそれを、俺も跳躍して避ける。しかし、ダメージを与えるための最初の大きな揺れこそ避けられたが、揺れのせいで足を取られてしまった。幸い下が砂利の敷かれた場所なのですべりはしなかったが、浮き足立ってしまってまっすぐに立てない。
そんな事をしている間にも、ゼロは翅の羽ばたきも利用して雨の中を駆け抜ける。バックステップした敵に狙いを定め、放たれたハイドロポンプを交わしてすれ違いざまに胴を薙ぐ。ガマゲロゲは腕を差し出して切らせ、振り向きざまに熱湯をぶっかける。高水圧で、それも大量に放たれた熱湯は冷たい雨に熱を奪われることもなくゼロの翅を焼き、ゼロはたまらず田んぼの中に飛び込んで背中を冷やす。
「くそっ!」
地ならしの振動が収まる前に、俺は走り出して肩口から体当たりをガマゲロゲ喰らわせる。しかし、悲しいかな……俺の体重はこいつに比べて軽すぎた。飛びついたはいいが、ガマゲロゲをよろけさせるだけで転ばせるには至らない。しかし、よろけたその隙に、ゼロは火傷で鈍った翅をはためかせて、力いっぱいにカマを振りぬく。柔らかなガマゲロゲの腹に、傷が刻まれた。
俺の存在をうっとおしく思ったのだろう。ガマゲロゲは砂利の敷かれた道を走りながら、俺に向けて熱湯を放つ。喰らってなるものかと、俺は先に田んぼの中に飛び込み、稲と引かれた水で熱湯の攻撃をほぼ無力化した。もちろん、熱水が自分の体にまで到達したが、泥水の障壁と丈夫な作業着で緩衝された威力ならば、火傷はしてしまったがその程度……ゼロの痛みに比べればどうって事ない。
水から上がってみると、ガマゲロゲはゼロの突きを腕でいなして受け止めつつ、熱湯を放つ。ゼロが斜め前に移動してかわし、そのまま体当たり。ゼロのすばやさと体重は俺よりも遥かに上。まともに受け止めたガマゲロゲは滑って転んでしまったので、俺はその追撃に出る。ナイフの切っ先で突くと流石に死にかねないので(それはそれでユウジさんに料理してもらえるけれど)、滑り込むように飛び掛った俺はナイフの柄でもって鼻面をぶっ叩く。
力いっぱい振り下ろしただけに相手の眼前には星が散ったことだろう。そこに、ゼロが軽く跳躍をしてからガマゲロゲの首のすぐ横の地面を貫く。普通に振り下ろしていれば、確実にヒットし、命を絶っていたであろうその一撃を見て、ガマゲロゲは戦意を喪失する。
そのままゼロは動かないが、ガママゲロゲも動けない。
「……ゼロ、そのままだ」
俺はモンスターボールを手に、動かないでいるガマゲロゲに触れる。モンスターボールに収納されたガマゲロゲは、そのまま抵抗することなく、大人しくモンスターボールに入っていった。
危なかった……あと少し時間がかかっていたら、ゼロの短い活動時間を過ぎるところだった。だが、何はともあれ、こいつは雨状態ならばゼロの攻撃にきちんと反応できるほどの逸材というわけだ。即戦力としても申し分ないし、タイプ的にも俺たちのパーティと相性は悪くない。
「よし……」
ずぶぬれの体が寒かったけれど、まずは挨拶をしなければいけない。ボールから赤い光を伴って飛び出したガマゲロゲは、傷に対して痛そうに顔をしかめていたものの、こちらを見る目に敵意や憤りは感じない。
トリとイッカクも繰り出し、見守らせていたママンもこちらに呼ぶと、思えば俺の手持ちももう五匹だ。結構にぎやかになってきた気がする。
「さ、皆挨拶して」
そう促すと、みんな思い思いに声をかけ、ガマゲロゲもきちんと頭を下げて挨拶をした。
「よし、きちんと挨拶できたことだし……お前の名前なんだけれど、
五月雨でどうかなぁ?」
と、聞いてみたものの、ガマゲロゲは何のことだか良く分かっていないみたいだ。まぁ、名前なんてものをつける機会もなかったのだろうし、ゼロたちも基本的に良く分かっていないから、もうサミダレでいいや。
「まぁ、いいか。お前の名前はこれからサミダレな。で、歓迎の証として……食べてくれ」
先ほど、結局あげることが出来なかった餌を差し出す。サミダレは俺のポケモンたちを見て様子を伺ってから、俺の手に舌を絡める勢いでそのポケフーズを口に含んだ。飛び散った唾液が俺の服にかかったが、もう田んぼに突っ込んだおかげでどろどろのずぶぬれなので、気にしないことにする。
「みんな。これから俺の家がさらににぎやかになると思うけれど、よろしくな」
そういってみんなに挨拶すると、俺の手持ちはむしろ仲間が増えて嬉しいようだった。こんな風に、嬉しい感覚を共有できるって言うのはとてもいいことだよな……サミダレも俺も、皆もこんな反応ならばゲットしてよかった。
「……ぃっ」
そういえば、熱湯を喰らったせいで、少しだけれど火傷を負ってしまっている。帰りがけにでも薬を買って、塗っておかないとなぁ……
上機嫌で俺は家に帰りたかったが、心の片隅にはまだあの火傷のことが残っていた。予想外のことにちょっとばかし憂鬱だ。
流石に泥は外で洗い流してきたが、水だけはどうにもならなくって、玄関に入って扉を閉めると、すぐに全裸になって、タオルで体を拭いてからバケツを持ってきてその中に脱いだ作業着をいれ、洗濯機へと放り込んだ。
ついでに風呂にも入ってから、パンツだけ履いていたら、濡れないようにとリュックサックの中に突っ込んで普段着にくるませておいたおいた携帯電話を見る。
「メールだ……」
『よっす、こんにちは、カズキ。そっちは今どんな感じの毎日を過ごしているんだ? 俺は宿題の自由研究を目下進めている最中で、そのために捕まえたポケモンや、その過程で仲良くなったポケモンがいるからさ。
ちょっとだけうちの子自慢したいと思っているところなんだ。でさ、またローテーションバトルで盛り上がりたいのと、お前と遊びたいのもあって、またどっかで会いたいなんて思っているんだけれど、どうかな? 新しくローテーションバトルの仲間も見つけたから、その子も呼んだら来るって言うんだ。
俺の家の近くに、湖があってそこで泳いで遊べるからさ、一緒にあそばねーか? こっちのほうに来てもらう代わりに、俺も昼飯くらい作って持っていくからさ。お前も新しいポケモンの捕まえたりとかしていたら、見せてくれよなー!
じゃ、返事待っているぜ!』
なんとも、タイムリーなメールであった。俺も今日ポケモンを捕まえたばかりだから、うちの子自慢も出来るけれど……でも、水泳か。俺は裸を見せるのは嫌なんだけれどな。でも、新しいローテーションバトルの仲間。会ってみたいとは思うけれど……。
「どうしよっかな……」
やっぱり、上半身を隠せる競技用の水着でも買って着ていくしかないかな。
しかし、今日はもやもやが酷い。サミダレはまったく悪くないけれど、きっとサミダレのせいだろう。あんなものを見せられてしまったせいで……それどころか、背中に火傷を負ってしまった。火傷自体はあの時にやられたのと比べればずいぶんとましだけれど、でも……あの光景が思い浮かぶ。
「ユウジさん……帰ってくるかのはいつになるかな?」
雨の日は、狩りに行く気も起きないので、アイルの散歩もお休みだ。そもそもアイル自身、雨が嫌いだし。まだ色々と整理できないことが多いから、ユウジさんに相談できればいいんだけれど……。
なんで、ポケモンをゲットできためでたい日なのに、こんなことを考えなきゃいけないのやら。
「お前のせいだぞ」
冗談交じりに、俺はサミダレが入ったボールを指ではじく。もちろん、サミダレのせいだけれど、サミダレが悪くないことは分かっている。だから八つ当たりなんて大人気ないことはしないけれど、それでも恨めしい気持ちだけはどうにもならなかった。
昼ごろから深夜までのシフトに入っていたユウジさんを待っていたら、もう夜の11時を回っていた。途中で昼寝もしてしまったから眠くはないが、ここまで起きていたのも久しぶりだ。もう、ポケモンたちは皆眠ってしまっている。こんな時間に訪ねるのは少しばかり迷惑かなとは思ったけれど、迷惑だったら断ってもらおう。
「こんばんは」
インターフォンを押して呼び出すと、チェーンロックを掛けたままユウジさんが顔を出す。
「カズキか……こんな時間にどうした、カズキ?」
「ちょっと、話がありまして……くだらない話かもしれないけれど」
「何でもいいぞ、話してみろ」
……やっぱり、ユウジさんはこういうところで包容力がある。本当に、頼りになる人だと思う。俺は招かれるまま家に入ると、ガラスのテーブルを挟んでユウジさんと対面する。
◇
「今日ですね……ガマゲロゲを捕まえてきたんです。念願だったガマゲロゲを捕まえたんだ」
「ほう、そりゃ良かったじゃないか。後で見せてくれよ」
適当に褒めたが、この顔から察するに、カズキのやつは自慢しに来たわけではなさそうだ。
「は、はい……今はボールの中で眠っているので、また後で……それで、話というのはですね。あの子……サミダレって名付けたんですけれど、彼は雄のガマゲロゲでしてね……その、見てしまったんです。雌のガマゲロゲと交合しているところ……」
交合……つまり、交尾ということか。こいつには……色々トラウマもあるからなぁ。
「そりゃまた、刺激的な……で、それが何か問題だったのか?」
だけれど、言葉を先読みせずに、俺は尋ねる。
「うん……あのときのこと、思い出しちゃって。アイルが、チェーンソーを持ったローブシンに変身して助けてくれたあの日のこと」
「ふむ……」
「……あの時の事は、本当にありがたいと思っています。でも、今回話したいのはそれとは関係なくって……人間も、同じように交合しますよね。でも、あれって……子供が出来るんじゃないんですか?」
「いや、そりゃ出来るけれど……それが何か?」
つまり、あれなのだろうか? カズキは生まれてこなければ良かったとか言われていた子供だから……どうしてあんな行為をしたのか気になるというわけか。
「その……俺、以前も話したと思うのですが……親から『お前なんて生まれてこなきゃ良かった』って言われているんですよ。なのに、母さんがそんな事をする意味がまったく分からなくって……」
「あぁ、なるほど……」
やっぱり、そういう話になるんだな。くそ……どう説明すりゃいいのやら。性的快感がどうのこうのとか言って、そんなな生々しい説明はしたくない。こいつは、多分理解しているだろうけれど。
「んー……この際はっきりと言うとな。お前の母さんは、病気なんだ。心の病気」
「はい……」
カズキが頷くのを見て、俺は続ける。
「お前のポケモン、抱きしめられたら喜んだりするか?」
「あんまりやりすぎてもうっとおしがりますけれど……適度に抱き着くくらいなら喜びますよ」
「うん、そういうもんだ。上手い飯だって、食べ過ぎれば苦痛となるように、抱きしめられすぎてもうざったくなる。だが、基本的に、愛しい者に抱きしめられたりしたら、結構嬉しいもんだ。お前の母さんは、たぶん飢えているんだ……愛にね。
愛に飢えているから、抱きしめてもらいたい……大人になると、抱きしめる方法ってのも変わっていってしまうし、変わった挙句が、あんなふうに子作りの真似事でしか実感を得られないようになってしまう。男のほうは別の楽しみがメインで、遊びのつもりでも、それを都合よく脳内ですり替えて愛されているんだと勘違いしてしまうだと思う。
お前に歩み寄ろうとすれば、お前が一番母親を愛してくれるって事にも気付かずなぁ……」
「病気、なのか……だよね。別の人もそう言っていた」
「ああ、精神病院だとか、カウンセリングを受けても治るかどうかは怪しいがな」
「どうすれば治せるのかな?」
「分からないなぁ……。お前は、母親の気を引くために色々やったんだろ? 慣れない包丁握って夜食を作ってみたり、かと思えばテストでわざと0点を取ってみたり……」
「それに加えて夜に勝手に外へ出て行ったこともあるよ……」
あぁ、そんなことも言っていたな、カズキは。
「だろう? そのサインに気付かない奴に、何をやっても……正直無駄なんじゃないかなって思う。悪いことは言わないから、母親の愛はもう諦めたほうが良いんじゃないかと思う」
「……そう」
すこし、はっきり言い過ぎただろうか。明らかに落ち込んだ様子で、カズキがうな垂れている。
「ちょっと、そっち行くぞ」
このままじゃ、カズキがかわいそうなので、俺も少しばかりサービスをしてみることにする。
「母親じゃなくっていいなら、俺が与えてやれるし、お前のポケモンたちだってお前を愛してくれるはずだ。だから、まぁ、なんだ……我慢しろとは言わない、妥協しろ」
カズキの頭をつかみ、ぐっと引き寄せる。カズキの背中が俺の胸に触れる。
「代わりでよければ、愛とかいうものだって与えてやれるからさ……」
カズキが俺の手を掴み、心臓のほうへ寄せる。そのまま手首をぎゅっと掴まれたが、そのままにさせてあげる。辛いことを思い出したなら、こうやって抱きしめてあげることで楽になってもらえればいいのだけれど。
「誰かに抱きしめてもらえる……寂しいなら、これだけで十分なのにね……どうして母さんは……」
カズキが言う。
「お前は十分なのか?」
「うん……こんな簡単なことでも、誰かに大事にされているって思えるんだ。俺にはポケモンがいるし……だから大丈夫。
また不安になるかもしれないし、悩むこともあるかもしれないけれど、その時は……」
「分かってる。俺はお前の味方をしてやるよ」
「……はい。ありがとうございます」
息を飲み込んで、万感の思いを胸にカズキが返事をする。本当に嬉しそうな表情をする子だ。健気で可愛いやつなのにな……こいつの母親がなんでこいつを愛せないのか、不思議なくらいだ。
「ありがとうございます……ママンのおかげで、俺にも家族が出来たんで……今も、昔も、本当に……ありがとうございます」
「感謝するのは良いが感謝しっぱなしは疲れるぞ?」
俺は苦笑して、カズキの頭に手を置く。
「少しは肩の力抜いて生きろよ、カズキ……子供は子供らしくしていたほうが可愛いぞ」
「でも、言葉にしなきゃ伝わらないものってありますし」
「ま、そういう律儀なところも、好きだよ」
そういうと、カズキは恥ずかしそうにはにかんでいた。まさかこっちの趣味には目覚めないと思うが、少々不安な気分になったのは秘密だ。
「それじゃあ、今日はもう遅いですので……勝手に押しかけてきてすみませんが……」
「いいよ、またいつでも来いよ」
「はい、ありがとうございます」
俺の部屋を出て行くカズキを見送って、俺は眠っているアイルの頬に口付けしてため息を吐く。
「アイルと……男同士、しかもポケモンと子作りの真似事やっているとは……流石に言えないよなぁ」
カズキのやつが女性を信じられなくなったりして、こっちの道に走らなければ良いけれどと、俺は自分を棚に上げてそう思った。
◇
皆が寝静まった俺の部屋に帰り、俺は昨日キズナからされた自慢話へのお返しのように自慢話を送り返し、次いで昼間に書く気が起きなかったレポートを記す。
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今日は、念願のガマゲロゲを手に入れた。なかなか話の分かる奴で、これ以上の餌が欲しければ、俺にゲットされるか俺から奪ってみろと煽ってみれば、上手く食いついてくれた。すいすいの特性を持っているおかげか、雨の状態ならばゼロについてゆけるほど。ものすごいすばやさで、二人で挑んだというのにかなり苦戦してしまった。
俺が育て屋で鍛えられていなかったら、多分ゼロと一緒に負けていただろうと思うと結構怖い。
ともあれ、こいつの名前はサミダレと名付けてうちの家族に仲間入りした。雨状態での強さが申し分ないのは分かったので、これからは普通の状態での強さや、使える技の総点検をしなければならなそうだ。ハイドロポンプと熱湯と地ならし、すべて申し分なく強かったけれど雨状態じゃなきゃ使い物にならないというのであれば意味がないし。
そういえば、俺のパーティーは男の子3人に女の子2人……出来ることなら男女比のバランスが良くなるといいんだけれどなぁ。
8月2日
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レポート帳を閉じる。俺のポケモンは、全員ボールの中で眠っている。アイルなんかは一匹だからそのままの姿で部屋に横たわって眠っているが、うちは結構大所帯だからそういうわけにも行かないのだ。でも、逆に考えればそれは、一匹ずつならば毎日ローテーションを組んで添い寝することも出来るかもしれない。
なんだか、それが素敵なことに感じられた俺は、とりあえずママンのボールを取って、布団の上にそっと繰り出す。一瞬目を開けて起きたママンだけれど、見慣れた柄の天井を見て、起きる必要はないと判断したらしい。
誰かのぬくもりを感じていたいからなんて自分勝手な理由だけれど、これからは甘えさせてもらおう。寂しくても大丈夫なように……自分を見失わないように。
俺とポケモン達とは、ギブアンドテイクの関係だとスバルさんは言った。確かにそうだ……ママンによって俺は安全を手に入れたし、ゼロ達によって戦う力を得ることが出来た。その代りに俺は餌を工面している。紛れもなくギブアンドテイクの関係、だけれど……俺はすでに、それ以上の絆でつながっていると信じたい。
ポケモンたちを抱きしめることで、そしてそれを拒絶されないことで、俺は1人じゃないって自覚したいんだ。