BCローテーションバトル奮闘記





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第一章:初心者編
第十九話:母親について


7月23日

 その日唐突に、呼び鈴がなった。
「ねぇ、大沢さん」
「は、はい……なんでしょう」
 扉の向こうにいたのは大家さんであった。
「あれ、お子さんだけ? お母さんはいないのかしら?」
「母親は、ずっと……来ていないです。それで、その……今日の用件は……」
「そっかぁ、カズキ母さん……まだ帰っていないのね」
「どうかしたんですか?」
 また母さんが何かしでかしたのだろうか……?
「いや、ね。今月の家賃、まだ振り込まれていないのよ……」
 なんだそれ、初耳だ。というか、そういえば今月はまだ仕送りも届いていない……一応、節約して貯めた分が残っているけれど。お金……無いのかな?
「そうなんですか……母親に……伝えられたら伝えておきます」
「頼むわよ? と言うか、『伝えられたら』って言うのは?」
「恥ずかしい話ですが、母は俺のメール……読んでいるのかどうか分からないんです。なにぶん、もう半年以上も俺が一方的に送り続けているだけでして……最近は料理もすっかり上手くなっちゃいましたよ……」
 まったく、溜息が出る。
「あら……大変ねぇ……カズキ君は1人で大丈夫? 辛くない?」
「慣れましたよ。今の方が気楽ですし、それに……隣のお兄さんがいい人なので、母親よりもずっと助かってます」
「あら、隣のお兄さんと言えば、1人暮らしのお兄さんよね?」
「えぇ、とっても親切な人なんですが……まだ恩返しの1つもできなくって……心苦しいくらいですよ」
「恩返しだなんて……子供にそんな事を考えさせるなんて……ろくでもないわね。貴方のお母さんも」
「まったくですよ」
 俺は溜息をついた。
「……少し、空しくなってきました。あの、本当にすみません」
「いいのよ、子供は気を使わないでも」
 そうは言われても……母さんがストーカー被害にあって引っ越してきたこのアパートだけれど、お金を払っていないのであればこのアパートには居辛い……まったく、母さんは何を考えているのやら。


7月29日 日曜日
 それから、その日の旨を母さんにメールを打ってみたが、返信がくる気配すらなし。あっという間に6日たって、今日は7月29日。メールを覗いてみると、スバルさんの浮かれたメールが届いていた。
 どうにもスバルさんは、作業着で遊園地に行ったらしく、写真を見るとお洒落な人たちに混じって遊具やアトラクションの点検にでも着たのかと思うような真っ赤な作業着。正気を疑いたくもなるが、彼女曰く男が脱がせたくなるような服らしい。脱がせたいの意味が違うような気がする。
 そして、オリザさんと一緒にカミツレさんと戦ったりなんかしたらしく、それについても勝利を自慢していた。満喫してきたんだなと思うと、なんだかすごくうらやましいし、幸せそうなスバルさんを見ていると、俺までほっこりする。
 俺もキズナあたりと一緒に遊園地とか行ってみたいなぁ……遊園地自体一度も行ったことないから、なおさら行ってみたい。きっと楽しいんだろうなぁ……はぁ。
「無理だけれど……」
 行けるわけが無い。今の俺の経済状況じゃ……分かってる、分かっているんだ。他の人は行っているのだと思うと、少し悲しくなってくる。スバルさんあたり連れてってくれないかな。
 妬んでいても仕方が無いので、俺は残り物の料理を電子レンジで温めなおして、食事の準備をする。硬くなった米の食感に、空しさを感じつつ空虚な時間を過ごしていると、不意に鳴り響くのは呼び鈴の音。
「……なんだよ、食事中に」
 といっても、現在時刻は午前10時。尋ねてくるなら常識的な時間であるから、この時間まで起きなかった自分が悪い。悪いのは分かっているが、誰かに毒づかずにはいられない。
「はい……」
 不機嫌な気分を前面に押し出しつつ、俺はインターフォンから応対する。
「すみません、こちらブラック金融の前田という者ですが」
「金融? 金貸し……ですかね?」
「えぇ、はい……お客様へのご融資の件で伺いました。まずはドアを開けてお話をしたいのですが……」
 なんだか、いやな予感がする。けれど、応対しないわけにも行かないので、俺はドアを開ける。

「こんにちは……今日は親御さんは?」
「いません。というか、半年以上帰ってきていません……なので、こちらとしても初耳なのですが……」
「チッ」
 俺の耳は、相手が舌打ちするのを聞いた。
「あの糞野郎……ばっくれやがったか?」
 前田とかいう人の態度を見る限りは、どうにも良い状況ではないらしい。
「母さんが、どうしたんでしょうか?」
「どうもこうもねぇ。お前の母さんはな、俺らから借りた金をまだ返していないんだ……ほれ、借用書のコピー。電話もしたしメールも送ったってのに、無視しやがって……」
 苛立たしげに言って、男は借用書を俺に突きつける。なるほど、確かに母親の署名と印鑑がある。やっぱりお金に困っていたのか……男とままごとをすれば1回2万ももらえるくせに、何に使っているのやら。
「そうですか……申し訳ありません」
 何で自分が謝らなくちゃいけないんだと思いつつも、謝っておかなければならないのだろう。母親のせいでいい迷惑である。
「申し訳ありませんじゃねーんだよ……約束の期限、十日以上も過ぎているんだ」
 それで、こうやって家に押しかけるようなことはどうなのだろうか? 俺に言われても困る。
「それは確かに問題ですが、書面での催促とかは……俺はまだ一度もそういうの受け取っていませんよ?」
「あ?」
 家に押しかける前にやることがあるだろうと、確認のために尋ねただけだと言うのに、俺は威圧された。なんなんだよ、まったく。
「借りた立場の癖に、そんな事言える訳?」
 俺は借りてねーし、そもそも貸す立場だって法律をきちんと守らなきゃいけない気がする。そこんところを分かっていないのか此奴は。
「だから、その取り立て方は正しいのかって聞いているんだけれど……正しいのならば胸を張って『正しい!』と言えばいいじゃないですか。言えないんですか?」
 まぁ、このブラックシティで金融業なんてやっているのなら、まともな商売をやっている事を期待するほうがおかしいのかもしれないけれど。
「知らねーよ。は、何? お前、何調子に乗ってるの? 自分が借りたくせに態度でかくない?」
「借りた本人に言ってよ……俺は借りてねーし」
「は、そうしたいのは山々なんだけれどよ。生憎それができないからこうして家に尋ねて来ているんだ」
「……いくら」
「16万と1,000だ」
 足りない。一応、お金は取っておいているけれど、それでも手持ちは4万ほどだ……家賃にすら足りない。だけれど、今ここで払っておかないとさらに利息もかさみそうだし……。
「せめて利息の6万1000円だけでも払ってもらえませんかね?」
「どういう計算ですかそれ……?」
「10万から10日で1割かけることの5回。たった10万を、50日掛けても払えていないんだよ」
 一割を5回……つまりそれって、トイチってやつじゃないか。明らかに違法……まぁ、ブラックシティじゃこんなものなんだろうけれど。
「とにかく、俺に言われても困ります。俺の母さんを探してくださいよ……」
 俺に、どうしろって言うんだ。何で母親の尻拭いを子供がしなきゃ……。
 まぁいい……とにかく相手を観察してみよう。スーツを身に纏っているし、革靴……モンスターボールは見えないが、どこかにしまってあると考えるべきだろう。さて、そのポケモンのレベルだけれど……匂いから察するに、獣の匂い。
 肉食の匂いだ……こういう人種は威圧のためにグラエナとかヘルガーを用いることが多いけれど……うん、この匂いはグラエナだな。グラエナって、毒タイプでもないのに結構体臭がきついから分かりやすい。野生ほど臭くもないがきちんと洗ってあげていないあたり、トレーナーとしては二流もいいところだ。

「あぁん? お前自分の立場分かっているの?」
 そのレベルはどれほどのものか分からないけれど、俺達のポケモンならばそう問題もあるまい。あとは、この人間自身の強さも気になるところだけれど……まぁ、それについては見てみないと分からないかな。
「まず、貴方が自分の立場を認識していないのでは? 法律のことは良く知りませんが、俺に対して請求する権利を所有しているのでしょうか……貴方は?」
 見る限り、前田の目線が目移りしているし、スバルさんと違って集中力に難がある……どこを狙っているかバレバレだし、目線をはずされた瞬間に攻撃すれば一撃じゃないかな。それがブラフなら中々のやり手だけれど。多分、そこまで強くはなさそうだ。
「てめぇ……あんまり舐めた態度とっていると、痛い目見ても知らないぜ?」
「俺は、筋を通して欲しいだけです……貴方のしていることが、法的に正しいことならば……構いませんよ。何をしようと。法にのっとっているなら従います」」
 男は、青筋を立ててポケットに手を突っ込み、中からグラエナを出す。分かりやすいな……ポケモンの匂いは洗っておくか何かしないと何を出すかバレバレだぞ。スバルさんの場合は匂いが混ざりすぎて何を出すか分からないけれど、こいつは雑魚過ぎる。
「おい!」
「なんですか?」
 このグラエナは……威嚇が怖くないな。恐らく特性は早足。厄介な特性ではあるけれど、その特性が相手ならば、イッカクの火炎珠投げも選択肢に入るかな? 早くなられたところで、このアパートの廊下という閉所ならばその足も活かせないし、火傷にさせて攻撃力を下げる効果は美味しいし。
 体つきを見る限りじゃ、グラエナの強さはバッジは4つから5つ程度と言ったところか……とはいえ、俺のポケモンは虫タイプが多い関係上相性問題もあるから、それより難易度は少しだけ下がりそうだ。
「もういい、お前の家の家具、リサイクルショップに売っぱらえ。それで金を作らせてやる」
「だから……」
 俺も、そろそろ腸が煮えくり返ってきたので、ポケモンを繰り出す。ハハコモリのママンだが、まぁ……いざとなればグラエナ程度どうとでもなる。
「それが法的に正しいことかって聞いているんです!」
「しらねえよ。おい、遊んでやれ、クイーン」
 男は、クイーンという名前らしいグラエナにそう指示を下した。

「うざったい……」
 グラエナが飛び掛ってくる。ここはアパートの2階。狭い階段から、グラエナは助走もなしに飛び掛ってくる。ポケモンの力で押し倒されたならば、俺も倒れるしかないのが普通だけれど……
「ギャワン!」
 他愛もない。内開きのドアを少しでも閉めてやれば、鼻面を叩いてしまった上げくに、首を捻って痛いだろう。そのまま、俺はドアを蹴り飛ばしてグラエナの顔をドアとドア枠の間に挟み込む。顔の骨が砕けたって構うものか。
「ママン、シザークロスだ」
 まぁ、相手は腐ってもポケモン……俺の力で挟み込んだところですぐに抜け出してしまうだろうが、一瞬だけでも時間稼ぎができれば、ポケモンには十分だ。
 クイーンが抜け出る前に、ママンが首を挟まれたままの彼女に対して無慈悲なまでに鋭くカマを叩き付けた。効果は抜群な上に急所に当たった……まぁ、文句無しの一撃必殺である。人間の子供にやられるグラエナなんて、脅しの価値の価値すらない。出直して来いって気分だ。
「で、俺が今やったような行動を、人は正当防衛と呼ぶんだ。法的に認められた行為だよ……お兄さん? 俺も、事情を知りたいから書類を置いてとっとと帰りなよ。俺だって、母親が情けなくて仕方ない気分だけれど、どうしようもないんだ……俺には。
 だから、申し訳ありません。私ではなく、親に申し付けてください。もしくは、法的な手段に則って取立てを行ってください。お願いします」
 俺は頭を下げる。土下座だった。どう見ても自分の立場が上の状態での土下座……奴にとってはプライドもズタズタだろうが……逆に、傍から見れば俺をこの男が脅しているようにしか見えない。世間様に借金取りが悪いと言うイメージを植えつけるには、俺から土下座する方が効果的だ(多分)。
 スバルさんも、多分こうする。スバルさんなら、挑発のために土下座だってする。そして、この土下座は挑発のためのみならず、一種の脅しでもある。この衆目に触れる状態で土下座をさせると言うのは相当異常なこと。注目度も高く、実際に大きな音を立ててしまったせいで通行人がこの光景を見ている。
 その異常な事を、ブラック金融がやったと言う事実を、まことしやかに広めてやれば……俺の身に何かあったときに警察が疑いやすくなる。となれば、ブラック金融も迂闊なことはしにくくなる。もちろん、このブラックシティじゃ疑われたところで、逮捕に至るまで捜査されるような事はないと思われるが。
 さて、ここで男が取れる選択肢は……怒って俺の頭を踏み潰すかもしれないが……今現在、人が見ている状況でそんなことはしないだろう。そんな事をしたら、警察を呼ばれる。

「……くそ、このまま終わると思っているんじゃないぞ。丁度いい、お前もそのポケモンも、ウチのルートで売っ払ってやる!!」
 目を回しているグラエナをボールにしまって、男は言った。さっきは家電を売り払うとか言っていたが、売り払う以外の選択肢はないのか、こいつ……。
 すごすごと帰ってゆくブラック金融の男……前田だっけかな? 多分、今度来る奴は俺のポケモンでは対応しきれないと思うけれど……どうしようかな。頼れそうな大人は……ユウジさんかスバルさんくらいなんだよな。だけれど、こういうのにユウジさんは耐性なさそうだし……。
 そうなると、スバルさんに相談するっきゃないよなぁ。今日は午後から仕事のお手伝いの予定だけれど、その時に相談でもしてみるか。



「と、言うわけでして……」
 育て屋での休憩時間、昼にあった事を話してみる。
「くふふ……反骨精神があるのはいいことだが、あまり反発しすぎると長生きできないぞ?」
 すると、スバルさんは大笑いしながら俺の事を褒めていた。怒らないあたり……なんというかこの人もすごい。メガネを着用していないから、言葉が乱暴になりそうだ。
「だが、まぁ。確かにそれは由々しき問題だな。お前のポケモンは結構な強さになってきたし、闇ルートでもそれなりの値段はつくだろう。それにゼロがいなくなると、とても困る。私が育てたいポケモンだし……」
「そう言っていただけると嬉しいのですが……」
「あぁ、そうだな。だからと言って、お前のポケモンのために金を払うのも癪だ……例えば、誰かがお前の母親のために金を払えば、母親も増長するぞ。だから、私がやれるのは……お前に取立てが行かないようにするだけだ」
「そうなりますよね。母さん、もういっそのこと死んでくれないかな……」
 ため息混じりに俺が言うと、スバルさんは俺の頭を撫でて笑う。
「過激な事を言うな、お前は。親に感謝は出来ないのか?」
 力なく微笑みながら、スバルさんが尋ねる。『色々あるだろうけれど、親は大事にしたほうがいいぞ?』とでも言いたげだ。
「この育て屋で、タマゴから生まれたポケモンを渡すときに……」
「ん?」
「『ありがとう』って職員へお礼を言えるような人なら、あるいは……俺からもありがとうございましたって親に言えるかもね。むしろ、親となったポケモンや子供にも『ありがとう』言えるような人なら、ね。
 母親は、感謝しないもの。俺が生まれたときに、俺が生きていることそのものに、感謝しない……自分が感謝しない人は、誰にも感謝なんてされないものだよ」
「なるほど……」
 スバルさんは納得したのか、微笑んだ。
「お前は、バルチャイを育てる際に、わざわざ体重を毎日計ってレポートに記入をしていたな? バルチャイ……トリだったかな? いま、体重はどうなっている?」
「はい、トリでしたら……その、体重は、もう平均体重に乗って横ばいです。進化するまでは微小な変化はあってもこのままだと思いますよ」
「そうか……まぁ、それならばもう体重測定は打ち切っても大丈夫だな」
 そう言って、スバルさんはコホンと咳払い。
「お前は、生まれてきたポケモンに感謝している……生まれてきてありがとうと言える精神の持ち主だ。確かに、親がお前のような奴だったら、私も……親に感謝できたかもな。私の親も、私の事を疎ましく思っていたよ」
「ですよね……俺、生まれてきた事に感謝されていないんですもの。感謝出来るわけが無い」
 俺がそういうと、向き合う位置にいたスバルさんが、俺の顔を胸に押し付けた。脂肪が全て筋肉に吸い取られたせいか貧乳だし、そのくせ胸板も女性としてはありえないくらいに厚い。
「ま、それは私も同じだよ。何であれ、一方的に愛情を向けるなんてことは難しいものさ。だからまぁ、気にするなよ。出来れば、親は大事にした方がいいけれどな」
「はい……」
「それで、だ。これからどうするか? 一応、私も協力してやらんことはないが……この距離でも音速で飛ばせば、5分もかからないかな? 困ったことがあったら連絡してくれれば、音速で駆けつけて何とかする」
「お、お願いします……」
 音速で飛ばす、か。ピジョットとか、カイリューとか、それができるポケモンは何種もいるが、スバルさんは一体何で来るのだろうか? サザンドラも結構速かったと思うけれど……まぁ、それはどうでもいいか。


 その夜、家に帰るとそのタイミングを見計らったかのように呼び鈴がなる。ドアに付いた覗き穴から覗いてみれば、そこには2人ほど怖いお兄さんが。
 さて、スバルさんを呼んでおこう。タイミングを見計らってやってきただけあって、俺が中にいるのを分かっているのだろう。怖いお兄さん達はピンポンピンポンと呼び鈴を連打してくる。近所迷惑な……
 連絡を入れたと思えば、すぐさまスバルさんからメールが帰ってくる。タイトルに一言だけ、『すぐ行く』。多分言葉通りすぐ来るのだろう。
「はい」
 取りあえず、スバルさんにすぐ来ると言われたので、それを信じて俺は顔を出した。ドアのすぐ前に陣取って、チェーンロックをきちんと装着しつつ俺は外を覗く。
「ブラック金融のものですが……おう、お前か?」
「……何がでしょうか? お前かと聞かれましても」
 まぁ、分かっている。先程暴力を振るったのが俺じゃないか? と言っているんだろう。
「さっきこいつのポケモンに大怪我させたのがお前かどうかって聞いているんだよ」
「大怪我? ポケモンセンターに行けば無料で直してもらえる程度の傷しか与えていないと思いますし、正当防衛の範囲内だとは思いますが? 被害者は俺です」
「ふーん……そういう態度で来ちゃうんだぁ」
 上司なのだろうか、先程の前田とか言う男よりも格上っぽい男は、俺を見て値踏みするように言う。
「舐めてるわけ?」
「というか、こいつ舐めきってますよ、木村さん。ポケモンがいれば大人も怖くないと思ってやがる」
 そうは思っていない。強い大人はポケモンがいても怖いし。スバルさんとかオリザさんが相手なら、例え相手が裸でこちらがポケモンを所持していても、怖くて喧嘩を売れない。
「ふん……舐め腐った餓鬼にはお灸を据えてやらんとな」
 上司らしい男……木村さん? は、ワルビアルを繰り出した。だからどうして虫に弱いポケモンを出すかね、この人は。と思ったが、その他にブーバーンも繰り出した。こっちは結構きついかな? 強そうだし……それに暑いな。
「舐め腐ったっていうのも変な話ですね。私は法律に則っているかどうかの話をしたいのに、貴方達はまったくそういう話に耳を貸さない。
 ……これじゃどちらが舐めているのか、分かったもんじゃない。貴方達こそ、世間を、そして法律を舐めているんじゃなりませんか?」
「知らないな。法律よりも、借りたものは返す。これが常識でしょうが? なに、その程度の常識も持ち合わせていないのに、君は法律とか語っちゃっているわけ?」
「だから、俺は借りていないし、返す義務もないはずなのですけれど。義務があるのならば、払ってもよろしいのですが……」
「じゃあ、今からその義務課すわ。はい、返す義務出来た」
「ん……小学生ですか、貴方は? そんな一言だけで義務ができるのなら、この世界に法も秩序もありませんよ?」
 まったく、こんな大人にはなりたくないな。昔だったら、こんな奴らが来たら怯えて縮こまっていただろうなぁ……けれど、今はもう大丈夫だ。
「この糞がk……ぐぁ」
 ところで、俺はドアの前に陣取っていたけれど、チェーンロックのせいで僅かな隙間しかない状態では胸倉を捕まれたりすることはわかっている。ドアの隙間から殴ってくる奴はそうそういないだろうが、胸倉をつかまれたまま引っ張られて、ドアに鼻面をぶつけるなんて事はご勘弁願いたい。
 そのため、きちんと対策はしてあって、作業着の襟には、切れ味が悪くなって折ったカッターの刃をたくさん貼り付けてある。スバルさんが、ダンボールで届く資材を開けるときに使っているカッターの刃。俺た刃は半分に切ったペットボトルの中に入れて保管されているのだが、今回それを使わせてもらった形である。
 スバルさんも考えることがえぐい……まぁ、その考えに乗った俺も俺だけれど。
「いっつ……つつつぁ……てめぇ、この餓鬼……」
「いやいや、いきなり襟掴まないでくださいよ……びっくりするじゃないですか? そんなことするから、金運が上がるおまじないのためのカッターの刃で指を切るんです」
 まぁ、びっくりどころか予定調和だったわけだし、そんなおまじないもないけれど。
「ともかく、何でもいいから帰ってくれませんか? 俺、夕食作りたいんですけれど」
「そんなに夕食作りたいなら、火を貸してやってもいいんだぞ?」
「どうぞ……」
 言いながら、俺は母親のサンダルで扉を閉められないようにしつつ携帯電話で写真を撮る。
「あ、ちょ……」
「この顔写真、信用出来る人に送っておきますから。料理の時に火を貸してくれた親切な人だってね」
 携帯電話を取り出されたらすぐに顔を隠すなり、サンダルを蹴り飛ばしてドアを閉めるなりすればいいというのに、鈍い奴だ。木村とか言う男は実際に顔を隠していたのに、前田とか言う奴は使えないな。

「どうしましょうか……?」
 前田さん、小学生に手玉に取られているよ、あんた。
「どうもこうも……このまま舐められて引き下がれるかよ……」
 そんな、前田と木村の会話。そして、それを切り裂くのが……
 ドガァァァァァン! 一瞬、何があったのか分からなかった。そんな音が聞こえたんだ……馬鹿みたいにでかい破裂音が。
「な、なんだ、この音?」
 このアパートにつく直前に減速してきたため、音速によって生じた衝撃波の爆音に遅れて現れる。サザンドラを駆り、爆音による耳鳴りも一緒に連れてきたその女の威風堂々たる立ち居振る舞いは、まさしく強者の風格。
 城の最深部にある玉座に佇む魔王の如く、優雅に降りてきたサザンドラ――トリニティの背中から、彼女は着地を経ることなくそのままジャンプして2階の廊下に飛び乗った。
「こんばんは、カズキ君」
「こんばんは、スバルさん」
 そんな挨拶。何も状況を知らずに見ても、怖いお兄さんがいる前でそんな落ち着いた会話をするのは異様だろう。
「き、木村さん……」
 さて、目の前には強大な力を持ったサザンドラ。借金取りの2人はどう出るのか?
「お、落ち着け……おい、女。お前何者だ?」
「おっと、これは失礼。名乗り遅れました……私、ここブラックシティの隣町にあるホワイトフォレストにて育て屋を営んでおります、シラモリ スバルと申します。どうぞ、これは名刺です」
 落ち着き払った態度でスバルさんは名刺を渡す。しかし、前田とか言う男は……
「そういう事を聞いているんじゃねえんだ!! お前がこいつとどういう関係なのかってことだよ!!」
 スバルさんの名刺をひったくって、それを地面に捨てる。うわぁ、怒るぞスバルさん。
「この子は、社会見学という名目で、我が育て屋でお手伝いをしてくれている男の子です。ゆえに、この子のポケモンが売られてしまうというような事を聞きましてね。こちらとしては非常に困るというわけです。ですので……私のほうからも、支払い義務のないこの子への取立てをやめていただけるように頼みに来た次第であります」
「はぁぁぁぁぁ?」
 そんなに伸ばさなくてもいいじゃないかと思えるくらいに語尾を延ばして、前田は言う。上司らしき木村は、何か引っかかるのか成り行きを見守っていた。
「何言っているんだお前? 部外者がしゃしゃり出て……」
「部外者とは失礼な。それなら、この子もまた部外者のはずでは? この子だって、法に則った取立てならば応じると言っているではありませんか? もしかして、利子が半端じゃないから法的な取立てが不可能だとか?」
 いや、本当にごもっとも。というか、10日で1割増しだから、完全にアウトです。
「黙って聞いてりゃぺらぺらと……」
 と、言って前田はスバルさんの襟を掴もうとするが、先程上司がそれで手の平を傷つけられたのを思い出して寸前で止める。
「おら、聞いてんのか!?」
 そう言って、スバルさんの手首を掴む。
「聞いてますよ」
 スバルさんは負けじと、掴まれていない方の手で相手の耳を掴んだ。素早い……手の動きがまるで見えなかった。
「貴方こそ、きちんと聞いておりますか? 聞かない耳ならいりませんかね?」
 スバルさんは冷めた目で見据えながら、耳を掴む手に力を込める。
「や、やれるものならやってみろ……」
 前田お兄さん、声が震えていますよ。というか、スバルさんはやる……絶対にやる。
「おや、言いましたね? やってもいいのですね? 後になって慰謝料や治療費の請求はいたしませんね?」
 スバルさんは自身のポケットを見下ろしつつ尋ねる。ボイスレコーダーでも入っているのだろうか?
「お、おい……前田、思い出した。この女に逆らうのはやめとけ……手も離せ」
 おや、木村さんは何かに気付いた様子。
「な、何でですか? こんなくそ生意気な女……」
「この女、ポケモンレンジャーの中隊に匹敵するっていう戦力を持つ育て屋のオーナー……シラモリスバルだ」
 それ、世間様でも噂になっているんだ。
「暴走族の覇闘暴(ハトーボー)を1人で壊滅させたのもこいつだ……」
 へぇ……スバルさんそんなこともやっていたのか。

「ん? あ、お前……覇闘暴(ハトーボー)の副総長だろう? まともな職に就けなかったのかお前? 私の育て屋の塀に落書きした時、あの時真面目に働けといっておいたのに……また慰謝料を請求されたいのか? 法にのっとった請求を」
「す、すみません」
 木村さん謝ったし。木村さん、スバルさんと戦って負けたの……? というか、知り合い?
「まあいい、副総長。今日はさっさと帰れ。でないと、うちの子が容赦しないぞ?」
 ともかく、木村さんはお気の毒に。
「わ、分かったろう前田? この女は桁違いに強いし。それにこいつのポケモン、どう見ても俺のブーバーンより強いだろうがよぉ!!」
 いやぁ、うん……あのブーバーン、トリニティすくみあがっているものね。木村さんも懸命である。
「だから、悪いことは言わないから止めとけって……それに、このガキも何かおかしいだろ。関わらない方がいい」
 前田さんに説得する木村さんは賢明だな。この木村って人、多分長生きするな。
「そ、そんなの……ここまでコケにされてそりゃあないっすよ! おら、こっち来い!」
 前田とか言う男は、多分掴んでいるスバルさんの腕を引っ張ったつもりなのだろうけれど、逆に彼はスバルさんに引き寄せられて、見事な膝蹴りを顔面に食らっている。汚らしい断末魔の声をあげ、地面に転がったその男は、押さえた顔面から鼻血を噴水のように吹き出していた。
「あ、すみませ。引っ張られてバランスを崩してしまいました……」
 前田さん、痛みに呻きながら顔を押さえているが……痛そうだな。
「ほ、ほら言ったとおりだ。この家はなんかおかしい……帰るぞ!!」
 木村とやらが、前田とやらを担ぎ上げる。あれだけの血まみれ……無事に帰れるといいけれど。

 ◇

「母親以外の女性を家に上げるの、初めてです……」
 一悶着合ったあと、カズキが『お茶でも飲んでいって下さい』と言うので成り行きで家に入って休む事になったが、入ってみたカズキの家は、何もなかった。
「あまり生活感のない家だな……綺麗だし、さっぱりとしている」
「良く言えばそうですが、彩りが少ないです」
 カズキが謙遜する。実際、見た感じはそんなものだから、謙遜とはまた違うのかもしれないが。しかし、この感じ……散らばったままの化粧品の棚とか、掛けっぱなしのコートやらバッグやらにはやたら高級品が揃っている割には、対照的に家は質素だ。見栄っ張りなのか?
「お前の母さん、なんと言うか悪い奴らからお金を借りているみたいだな……何をやっている人なんだ?」
 服などを見る限り……なんというか、夜の女という感じだ。しかも、レベルが比較的低い方の
「おままごと。新婚夫婦のおままごとをやって、お金を稼ぐの」
 つまり、売春か。
「なるほど……」
「あとね、お医者さんごっこもやってるよ……ほら、これ」
 言いながら、カズキは使用済みの注射器と、粉とスプーンとロウソクを取り出す。よく分からないがあれは……覚せい剤……じゃないか?
「情けない親だよね……」
「だろうな、意味がわかると悲しくなる」
 言葉をぼかしてこそいるが、カズキは注射器の意味も、売春の意味も言葉も恐らく知っている。それを『ままごと』や『お医者さんごっこ』と表現して濁すあたりが、なんともかわいそうだ。

「それで、ままごとをした見返りのお金で、今度は自分が男に貢ぐんです……まったく、訳がわかりませんよ」
 ため息混じりにカズキが口にした。
「お前の母親……自分が必要とされたいんじゃないのか? お前と、根っこの部分は同じだぞ」
 意味がわからないとでも言いたげなカズキに、私はそれを口にしてみる。
「どういうこと?」
 カズキはお茶を入れる作業に入る。まずはやかんに水を入れ、火にかけた。
「男に貢ぐということはだ。男としては、お前の母さん……の、『金』が必要ということ。ひいては『お前の母さん』が必要にされているという事だ」
「なにそれ、それって……男にとっては結局はお金があれば誰でもいいって事じゃない?」
「男にとってはそうでも、たまにいるんだ。お金でしか男を繋げなくても、男に必要とされたい女が。でも、お前も誰かに必要とされたかったんじゃないのか?」
「そう?」
 と、カズキが返す自覚していないのか、それとも私の単なる見当はずれなのか。
「ポケモンに懐かれるお前の姿を見ていると、なんとなくそう思ってしまうんだよ。カズキ」
「なるほど……俺が、ポケモンに必要とされたいから……ポケモンを大事にするってことなのか……な?」
「本当のところはどうかは分からないがな。今はまだわからなくてもいいし、別に無理に決めつける必要もないがな。ただな、気をつけなければいけないことがある……」
 それは何? という風にカズキがこちらを見る。
「お前の母親がどうなのかは知らないが……『必要とされるために金を払う』というのは、順序が逆なんだ。『必要だから、金を払う』ことはあっても、必要とされるために金を払うことは……あっちゃいけないよ。
 必要とされるために金を払うことは、それ男の操り人形のヒモに成り下がるというもっとも卑しい行為だ。ギブアンドテイクならぬテイクアンドテイク、ギブアンドギブの関係になってしまう。それは無理のある行為だからな……いずれ破綻する、というより、借金もあるという事は……これはすでに……」
「破綻している、か。そうだよね」
 覚せい剤やら、殺風景な部屋やらを見て、カズキは呟いた。その時、カズキは自分の背中をさすっていたが……チラッと火傷の跡が見えたような気がした。虐待でも受けていたのだろうか? 私と同じか……。
 しかし、だとしたらカズキの母親は酷い。あいつの母親のことはよく知らんが、誰かに必要とされたいなら、最も必要としてくれる男がここにいるというのにな。カズキの母親と言うのも残念な奴だ。
「そうなってしまうと、もう一種の病気だよ。誰かに必要とされていないと、自己が保てなくなる……操り人形は、ヒモが無いと立てないからな。男が紐なんだ……お前の母親に繋がっているヒモはガーディなどを御するリードのように見えて、その実操られているのは女の方という」
「……俺の母さんは、操り人形なのかな?」
「ままごとの見返りで得たお金を男に貢いでいるとかいう、お前が言っていることが事実ならな。だが、お前は違うぞ……操り人形じゃない。お前は、ポケモンとも、私とも、ギブアンドテイクの関係でなり立っている。どうか、お前は落ちるな。そのままでいるんだ。ギブアンドテイクの関係でいろ……命令だ」
「スバルさんは、俺の事を心配してくれるんだね?」
 改めて言われると、ちょっとむずがゆいが……そうだな。
「まぁな。私は、お前の将来に期待しているから……そりゃ気にも掛けるさ。お前は、私が腹を痛めて生んだ子ではないから……親子の義理も情もない。だから、お前が将来有望でもなければ、どこの馬の骨とも知れないお前の面倒なんぞ見ないよ」
「……将来有望、か」
 実際、才能あるよ、お前は。
「今回の件は、貸しだからな……これからしっかりと働けよ。今はそれほどでもないが、お前がいずれこの育て屋に欠かせない人材となる日が来る。それが恩返しになる日が来る」
「分かってます、怠けたりなんてしませんよ」
 カズキはティーバッグを取り出し、カップにセットする。
「そんでもって、カズキ。私はお前を必要としているからな? お前は、決して操り人形じゃないし、そうはさせない。だから胸を張って生きていろよ? お前は私に労働力を与えろ。私はそれに応えてやるから」
 一瞬、カズキの顔が微笑んだ。
「ありがとうございます……」
 その時、カズキは泣いていた。静かに泣いて、それを悟られないようにずっとキッチンへ向かっていた。可愛いやつだ。からかってやりたいけれど、気付かないフリをしてやるかな。こいつには甘えさせてやった方がいいだろう。



■筆者メッセージ
スバルさん、上から目線だけれど結構いい人だよ
Ring ( 2013/09/16(月) 00:31 )