第一話:俺の名前はゼロ
俺の名前はゼロ。とある虫取り少年に、数字を入れるのが俺のポケモンの証だからとつけられた名前だ。
「よっしゃー!! ストラーイック! ってか、ストライクだけに!!」
ある日眠っている最中に撃ち落とす攻撃を喰らう所から自分の最悪な一日は始まった。気持ちよく眠っているところへの不意打ち。それだけでもう、岩タイプに弱い俺は動けなくなった。寒いダジャレと共に為すすべなく捕まって、それから飼いポケ生活が始まった。
◇
6月17日
「あぁっ! ゼロ……またやられちゃったよ……全く、本当にお前は役目ゼロだなぁ……」
あいにく俺にはスタミナがない。ご主人には俺のスタミナが減ってきたら交換して欲しいものだが、ポケモンバトルは交換の際にすきが生じてしまい、その間に剣の舞などを行われることを嫌うご主人は、俺に疲れが襲いかかったところで、俺を交換してくれず、スタミナ切れで動きの鈍った俺は蹴散らされるのが恒例だ。
俺の名はゼロ、今年10歳になる虫取り少年の手持ちとして戦うのはいいのだが、この少年はいささか腕が悪いように思えてならない。同族の中でも、俺はスタミナが持たない方だと言うのに、ご主人はと言えばごり押しを命じるばかり。
俺だって素早さだけは同族どころか、主人の友人が持っているアギルダーや、これから迎える夏に五月蠅いテッカニンにも負けるつもりは無いのだが、俺は本当にそれだけなのだ。力押し一辺倒の子供が指揮では、俺の能力は存分に生かせない。
戦いに駆り出されてからというもの負けが込んでしまって、役立たずのお前には『役割ゼロ』というあだ名がちょうどいいと罵られてしまっている。全く、役立たずなのはどっちだと、俺は言いたい。
場当たり的な指示しか出せないトレーナーには酷く失望して、俺に本気で戦う気が起きないのは誰のせいだというのだ。もちろん飼い主、
一輝のせいである。一度くらい自由に本気で戦ってみたいと、そんな思いを抱いて命令にそぐわない動きをすれば、主人は怒ってむくれてしまったこともある。
その日は餌が目に見えて貧層だったので、俺はそんな主人に呆れ、その呆れを今も保ち続けながら俺日々を過ごしていた。
退屈な日々。毎日勝った負けたを繰り返しているご主人は、無能だとは思いつつも同年代の中ではいたって普通の腕前のようだ。
内心、自分の好きなように戦いたいと思いつつも、緑色の保護色で草原に身を隠し、かくれんぼと奇襲を繰り返す俺の得意な戦いは人間たちのシングルバトルではありえないらしい。
そんな事を言われても、俺は野生の時はそうやって狩って食って生きて来たのだ。今更戦闘スタイルは変えられない。
今度ポケモンバトルに新しいルールが出来るならかくれんぼバトルなんてモノがあったっていいじゃないかと思うんだ。
そんなモノはきっと一生出来ないのであろうが。
あんまり主人の命令には従いたくないが、命令に従わないと露骨に悪い扱いをされるので(餌はきちんとくれるけれど)、今日も『従ってやるか、仕方ない』と思っていた。
そんな、蝉もテッカニンも元気に鳴く日を待つ今日この頃。
思いがけず一度だけ、たった一度だけトレーナーの命令を無視して戦っても褒められるであろうチャンスが来た。
「なぁ、君の財布見せてくれない? 何、まずは見せるだけでいいさ。そこから先はあとで考える」
「え、あ……あの……」
敵は、近所では有名な性質の悪いトレーナーだ。
ポケモンを育てることはあまりしないが、公式ルールでは扱わない6匹以上のポケモンを繰り出し、物量で相手を脅して金をせびる。
俗に言う、カツアゲと言う奴だ。敵は大量のポケモンをだして、遠くから主人に声をかける。
どう見ても勝てるメンバーではないので、ご主人は黙って財布を差し出してしまった。
それを、エアームドが足爪で掴んで敵の元へ。
「ふーん……名前はオオサワ カズキ君ねぇ」
トレーナーカードを見ながら敵はニヤついていた。主人の今にも泣きそうな顔、敵の虫酸が走る顔だ。切り刻んでやろうか、糞野郎。敵と飼い主、その2つを見た時、俺は思わずモンスターボールから出た。自身も怖気づいてここから逃げるわけではない。ロクでもない主人だけれど、野生の時よりもいい餌が毎日食えるのだから、仕える事に文句は言えないさ。
そうじゃなかったら曲がりなりにも主人の命令に従う事なんてしないからな。例え、役割ゼロと罵られても、なんだかんだ言ってこういう時くらいは恩返しをしないと、俺も罰が当たるってものさ。
「ぜ、ゼロ? お前の適う相手じゃないよ」
主人が言うが、俺は問題ないと俺は首を振る。こういう命令違反なら主人も嫌な顔はしないはず。それに何より、こういうポケモンを持っただけで強くなったと思いこむ勘違い野郎を叩きのめしてやりたいのだ。俺は敵の大将首を取るために走り出した。それはそれは一瞬のこと。
噛みつこうとしたポチエナの額にすれ違いざまのシザークロス。万が一目に当たっても失明しない程度には手加減している。大きく振りかぶったアサナンのパンチは、左鎌で円を描いて受け流しつつ、無視して突き進む。イジツブテが投げ付けて来た石は、大きな鎌で滑らせいなす。
滑るようにいなされた石が横目を通り、背景へ変わった刹那の後、俺は飛び蹴りで顔面を強かに叩きつぶし、イシツブテを玉突き。浮遊していたイシツブテが吹っ飛ばされて、ボウリングのようにうしろのバタフリーに当たる。その程度では流石にバタフリーも落ちないが、銀色の風などを放とうにも味方が邪魔で撃てなそうだ。
こうやって味方を盾にするのも、遠距離攻撃使いの役割破壊にはちょうどいい。そんな事よりも、イシツブテを蹴り飛ばすと同時に、俺は動きが一瞬だが止まってしまった。これ幸いと後ろから俺へ真っ直ぐに向かってきたアサナンに、鎌を地面に突き立て軸足代わりに逆立ちし、ギャロップやゼブライカの使う馬蹴りの要領で彼奴の鼻面を叩く。
向かって来る勢いと蹴りの威力が合わさって、アサナンは綺麗に崩れ落ちた。このままじゃ負けるとでも思ったのか、相手は新たにフローゼルとコリンクを出して、フローゼルにアクアジェットを命じる。
雑魚め!
アクアジェットは全身が水流に包まれているゆえ、迎え撃って攻撃してもこちらから一方的にダメージを与えるのは難しい。まずは、バタフリーの影。直線的な軌道を持つアクアジェットなら、味方の影に隠れればまず当たらない。と言うより同士打ちを恐れて当てられない。
斜めにステップを踏んで僅かに軸をずらせば、ほら素通りだ。斜め右前に居たのはバタフリー。味方への誤射を恐れて、未だに特殊系の技は放てないようなので、攻めあぐねてボーっとしている間に、力一杯鎌を振り下ろして叩き伏せる。
自身の翅と脚と、そしてバタフリー叩き伏せた鎌を足がかりに俺は大きくジャンプ。アームドの顔を鎌で峰打ち気味に切り上げて、その頭上を飛び越えるのかもしくは跳び越えたというべきか。その先、エアームドの後ろにいた、コリンクのスパークは無視して飛び越えてやった。
さて、最後の番人コリンクを越えれば邪魔者はいない。誰にも止められる事無く走り抜け、俺はついに相手トレーナーへ肉薄。トレーナーに体ごと飛びかかってを押し倒した後は、俺の自慢の巨大な鎌を首に押し当てて、有無を言わせない態度で降伏を命じた。
振り返ってみれば、こいつのポケモンはまだ全員がピンピンしていて、誰ひとりとして倒れちゃいない。俺の無敵気分もどうやらここまでだ。
実は俺、攻撃力も極端に弱い。攻撃したところで体勢を崩れさせることは出来ても、普通に威力が弱くって敵は立ちあがって来てしまうのだ。
そして、俺はスタミナもない。今こうして人間の首に鎌を当てているが、こんなノンストップの無酸素運動はこの程度の時間で限界だ。
実際に戦ってみると分かるのだが、雑魚の雑魚には通じるがある程度強い相手には話にならないのだ。
普通に(というよりは主人にとっての普通に)戦えば、最初優勢に見えてもその内にスタミナが切れて押し負ける。
俺は一人じゃあんまり役に立たない役割ゼロかもしれないけれど、せめてもう少し良い名前で呼んで欲しいものである。
ね、今日は多少荒っぽいやり方だけれどカツアゲを阻止してあげたんだからさ?
◇
「お前、実はすげぇ奴なんだな……俺の指示がない方が強いじゃんか」
カズキは先程とは逆に、相手のトレーナーカードを財布から(金も)奪い、警察にカツアゲ被害を訴えた。その後で主人はそう言ったが、強いかと言えばそうでもない。まぎれも無く俺は弱い。攻撃力も防御力も紙のようなものだ。全力で動けるのも数十秒が限界だろう。
その間にどれだけ敵を倒す事が出来るかと聞かれれば、あまり倒せるものではない。一応、主の言う通りシングルバトルではめっぽう役立たずなのは事実7だ。だから、弱い物を倒すだけの狩りしか出来ない。
まぁ、強いて言うなら主人の指示が無い方が強いのは正解だけれど。
「首なんか振っちゃって……照れるなよ、お前は強いよ……いや、確かに1匹も倒せてなかったけれど、あの素早さ。俺、最高にドキドキしたたからさ……役割ゼロなんて呼んで悪かったよ」
驚いた。主人は初めて俺のことを認めてくれた。そうして、小さな体でしっかりと俺を抱きしめてくれる。少し照れくさいけれど、頼られていると思うとなんだか嬉しかった。
「お前が居てくれなかったら、俺はなけなしの小遣い奪われていたし……本当にありがとう」
そして、そのまま頬擦りまでされては、同じ雄としてどう反応すればいいのやら。
「でさ、思ったんだけれどさ……お前もっと強くなりたいだろ?」
ひとしきり甘えられたあと、主人は俺に対してそう話しかける。当たり前だが、俺だって強くなりたい。俺は、場を掻き乱して、雑魚の雑魚のそのまた雑魚の、ポケモンを持って強くなったと思い込んでいる馬鹿な人間を脅すくらいしか出来なかったのだから。
出来れば、強大な力を持ったポケモンをもっと豪快に倒してみたいものだ。それが現実になれば……嬉しいんだけれどね、無理なものは無理だ。
確かに今の主人のやり方だと、どうしても自分の良さを活かせない気がする。野生じゃ強さよりも速さの方が重要だったからこれでもなんとかやっていけたけれど、バトルではダメダメなんだよね。バトルの強さと狩りの強さの違いが身にしみるなぁ。だからと言って、俺は自分がどういう風に振る舞えばいいかも分からないからどうしようもない。
「なら、来週の日水曜日にさ……近くのショッピングモールにポケモンソムリエが来るんだ。お前をどう育てるべきか、ちょっとアドバイスを貰おうかなって思うんだ……」
はぁ、と生返事の代わりに俺は肩をすくめた。
6月20日
そうして、話は妙な方向へ進んでいった。訪れた水曜にはショッピングモール利用者専用駐車場の近くに、ポケモンソムリエやら仮設バトルフィールドやら作られており、なんでもそれは興業の一種らしい。
モンスターボールやら、ミュージカルやコンテスト用のグッズやら、ポケモン用のトレーニング用品やら、育て方の指南書やら。色々な物が野外の仮設テントの下で所狭しと販売されている。近くのホワイトフォレストからジムリーダーやジョーイさんも来ているらしく、さながらお祭り騒ぎと言うが正しいか。
そんなショッピングモールに訪れていたのは、ささやかな化粧を施したディナードレス姿の女性。黒を基調とした彼女の姿は、ブースの中で椅子にたたずみ客を待つ姿、テイスティングに入る前に立ちあがり、歩く動作。その両方がポケモンである俺にも分かるほど無駄がなく、気品にあふれている。
「それではカズキさんとポケモンのゼロ君、よろしくお願いします」
主人の元で屈みこんで挨拶をした後、こちらに笑顔と視線を向けられた時は、不覚にも人間に倣って会釈を返してしまう。ソムリエだとかソムリエールとかいうものがよく分からない俺だが、主人はこの人をSランクだとか最高位のソムリエールだと言っていた。
何を以って最高位というのは分からないが、この立ち居振る舞いがそういうことなのか。彼女は、俺の体を隅々まで調べた。鎌の様子や、全身の骨格。コツコツと指で叩いてその音に耳を傾けたり、翅の様子を見たり。
「うーん……この子からは
疾風の如き素早いテイストを感じるわ……その代わり、腕も脚も細いのね。これはね、この子の全身の外骨格が極端に薄い証拠だわ。遺伝子の病気といっても差し支えないくらい……」
「が、外骨格?」
「うん、私たち人間なんかは筋肉が骨を包み込んでいるけれど、虫タイプのポケモンは多くが骨の代わりになるこの堅い表皮の鎧が筋肉を包み込んでいるの。
その鎧が、この子は生まれつき極端に薄いのね……筋肉の量は標準的にあるんだけれど、この薄い骨格で本気で殴ったらきっと彼の腕は壊れちゃうわ。
ほら、細い木の棒で岩とかを殴ったりすると木の棒が折れちゃうでしょう? それとおんなじ……」
「う、うん……」
「だから、この子は知らず知らずのうちに本気で攻撃を繰り出すことを躊躇していると思うの……だから、きっと攻撃力はかなり低いはず。その証拠に、カマの傷やゆがみも無くとっても綺麗なの……人間の手が使い続けるとごつごつするけれど、この子にはそういうのが全くないわ。
それにカマ自体が軽いから、風船と石が同じスピードで向かってきても風船は痛くないように……体が軽いこの子の攻撃はきっと本気で放っても威力が低いわ。
その分スピードは優れていると思うけれど……それがどれほどのものなのかは、貴方が一番知っているんじゃないかしら?」
「た、確かにそうです……こいつ、加速する前のテッカニンよりも速くって……でも、攻撃に威力は足りないし、戦っていると最初っから全力で飛ばして、すぐにばてちゃうんだ」
「ふむ……この子は野生出身かしら?」
うん、と主人が頷いた。
「では、生きるためには弱い相手だけを倒せば十分に食事を得られるわけですもんね。そのためには全速力で不意打ちして、畳みかけるのが一番なの。
つがいをめぐって、向きあいながら戦う時には困るかもしれないのだけれど、こうやって相手を逃がさない草原の狩人というのも非常に理にかなっているわ。この素早さに特化したあっさりとした癖のないテイスト、ピリリと辛いが、一過性で爽やかだが、刺激的な後味。
料理に用いるのであればそう、例えるのなら香り高いワサビのような。脂の乗った刺身や脂っこい肉へのしつこい味をさわやかにするべく掛けるソースに、アクセントをつける香辛料として最適な……そう、この子には絡み合わせる食材一つでその表情を大きく変えるわ。
君たちくらいの年代だとシングルバトルが主流だろうけれど……ズバリ、この子はローテーションバトル向きよ!!」
「えぇ、アレですかぁ!?」
どれだよ、俺は突っ込みたい。というか、この女は何を言っているのかよく分からない。カマでちょんちょんとつついて、どれだよ!? と答えを求めてみる。
するとにっこりと笑ったソムリエールは、鑑定時間の関係もあってか、端折って教えてくれる。
「基本的にはシングルと同じだけれど、交代する際の隙が極限まで排除された、ポケモン同士のタッチで交代を行う新しいタイプのシングルバトルよ。う〜ん……なんというのかしら、プロレスのタッグマッチなんかに似ているのだけれどね……」
「その……ローテーションバトルなら……ゼロは活躍できるのでしょうか?」
「そう思いますが、やってみなければ分からないというのが、一応の答えです。プティングの味は食べてみないと分からない。何事も、やってみないと分からないものなのですよ。だから案ずるより産むが易し、杏より梅が安し。仮設のバトルフィールドにはローテーションバトル専門の指導員もいるから、覗いてみるといいわ」
ふーむ……よくわからないが、俺が活躍できるならもう何でもいいや。
「俺さ……ソムリエールさんの言う通りで、シングルバトルでこいつを使っていたんだけれどさ。こいつ……全然活躍できないから、役立たずの役目ゼロって罵っちゃったんだよな……」
あらあら、とソムリエールは顔を曇らせる。
「それなら、なおさら活躍の場を与えて、褒めてあげませんと。そんな言い方をするとこの子じゃなくっても拗ねちゃいますよ? ポケモンは……愛情を持って育ててあげませんと。人間と同じですよ」
そう言って、ソムリエールが俺を撫でる手つきが主人よりもよっぽど優しい。それに、ソムリエールっていい匂いだ。主人も見習えばいいのに。つっても、主人は愛情なんか貰わずに生きているから……人間と同じと言われてもピンとくるのかどうか?
「はい……なので……俺、こいつのことをもっとよく知りたいんです……ソムリエールさんのテイスティングを信じて、これからローテーションバトルに向かってきます」
「頑張ってください! 貴方が良きトレーナーになりますよう、我らポケモンソムリエ協会一同、お祈りしております」
こうして、『ともかく、やってみれば分かる』ということで、仮設バトルフィールドへ俺達は向かうことになったのだ。先客の戦いを観察してみると、ローテーションバトルというものは確かにソムリエールが説明した通り、タッチで交代できるというシステムである。
ポケモン達が賢ければ主人の指示に頼らずとも交換でき、また交換する際に積み技などを詰まれたり、交代の隙を狙われるようなディスアドバンテージも発生しないので、交換によるリスクは少ない。
今まで、素早く掻きまわしてすぐにバテてしまう俺は、交換ペナルティを恐れる主人に助け船を出してもらうことは叶わなかった。だけれど、これなら好きな時に休めて好きな時に出陣できる。あのソムリエール、なんと理にかなったテイスティングだろうか。
街中で行われるバトルはシングルが主流。ローテーションバトルの試合なんて初体験である主人はジムリーダーや師範代の指導するローテーションバトルを見て戸惑っているが、俺は俄然やる気が出た。
順番が回ってくる。制限時間は3分。特に勝敗はつけずに、体験することとジム教員の指導を受けることを重視している。こちらはヘラクロスのイッカクとハハコモリのママンが控えている。本当は4体使うのがローテーションバトルの公式ルールなのだが、ここはお遊びと言うこともあって3体のみ。
相手は、ハーデリアに、イワークにズバットといった比較的簡単に手に入るポケモンを連れている。あまり相性は良くないが、なんとかなるといいのだが。
ともかく先発は、俺が強く希望して俺という事に。仲間達もそれを了承してくれたので、深呼吸と共に精神を落ち着ける。このバトルで、俺はどれだけ頑張れるのか……主人がやりたいようにやってくれと言ってくれたんだ。こんなにワクワクすることは無い。
試合開始の合図を聞いて、俺は一気に駆けだした。相手のポケモンはイワーク。ただでさえ俺には苦手な岩タイプの攻撃だ、しかも俺が得意とする物理攻撃にはめっぽう強いと来ている。難敵、としか言いようがない。しかし、動きが鈍いという弱点もある。その弱点を突くのは、やっぱり俺しかいないだろう。
駆けだしたその瞬間から眼にもとまらない速度で、俺はイワークの関節を狙う。
岩塊を繋ぎ合わせたような姿のイワークは、柔軟性を維持するために関節があり、そこだけは岩に守られていない。すれ違いざまに、大きく開いている関節を斬る。風のように速く、剃刀のように鋭く。
鋸を引くように、スライドさせた刃は一本の細い線を描く。遅れて払ってきた尻尾の攻撃を飛び越え、今度はさっきと違う関節が開いているので、下に構えた鎌で切り上げそこを切る。
うっすらとした線しか描けないが、しかしながらそれは戦意を削ぐと同時に痛みで動きを鈍らせる。徐々にだが確実に戦力を奪うと言うのは快感だが、スタミナ不足で相手の戦力を奪い続けることが出来ない自分は散々煮え湯を飲まされたものだ。
噛みつこうと迫って来た顎を蹴り飛ばし、翅による推進力も加えて高速で敵の間合いから離脱。虚空に形成された岩を落とす攻撃は、避けに徹して相手に突撃し、避けようもない小さな岩塊のみを鎌で滑らし直撃を防ぐ。
俺が懐に入り込むと、近距離過ぎて自身もダメージを受けると判断したイワークが岩落しを中断したその隙に、シザークロスを関節に。今回は2回切りつけたので傷は合計4本か。
しかしながら、そろそろ呼吸が辛くなってきた。こういう時は、剣の舞から伝家の宝刀バトンタッチで後続、ママンに繋いでやろう。
相手のイワークは自身の体から絞り出すように岩塊を雪崩の如く押し流す。当たれば大ダメージは必至だが、大丈夫。俺の方が遥かに速い。筋肉の脱力を意識して、翅をフル稼働させて俺は飛ぶ。
脚ががくりと下がりそうなくらいの脱力から、一気に力を込めての跳躍。岩雪崩を避けながら、すれ違いざまの鋼の翼。鋼の刃となった翅で関節を切りつけた。
まだ不完全だが、こちらは脱力からの攻撃で高い威力を叩きだすことのできる技、剣の舞を使っている。痛かろう。しかし、こっちの疲れも限界だ。俺は視界がぼやける直前の疲労を感じながら、俺は待ちかまえていたママンに鎌を触れ合わせた。
まだ制限時間は2分40秒残っている。自分はの無呼吸運動では20秒しか持たないのかと思うと少し情けないが、イワークは明らかに動きが鈍っている。
そんなイワークをママンがリーフブレードで料理するのは楽な仕事だ。イワークもまた、耐えかねじりじりと後退するのだが。
「おい、ママン!! 交代だ、退くんだ!!」
ご主人が突然叫んだ。何事かと思って見てみれば、じりじりと下がったイワークはその巨体で長い尻尾を巧妙に隠しつつ、他のポケモンでは到底届かない距離から控えのズバットにタッチを、してしまった。
ハハコモリは飛行タイプにめっぽう弱い。如何に彼が最終進化系であろうと、ズバットを相手にしては勝てる気がしなかった。
「あぁ……くそ、ここはゼロに任せろ」
と、ご主人が言うが、それは正直なところ無理である。まだ、こっちは呼吸が整っていない。
首を振ってダメだと伝えると、ご主人はママンに向き直って指示を飛ばす。
「今はまだダメみたいだ。ママン、ゼロが息を整えるまでなんとか耐えてくれ!!」
ママン、振り向かずに頷いた。相手の挙動からは逐一目を離さず、攻撃を避けに徹しようと、前後左右に動きやすい重心の低い姿勢。放たれた相手の技は風起こし。飛行タイプの中では初歩の初歩の技であるが、油断は出来ない。
ママンが纏った葉っぱの端っこが千切れる。頬を掠める風の刃が恐怖を誘う。まずい、ママンは完全に引け腰だ。だからと言って、同じく飛行に極めて弱いイッカクに任せるわけにもいかない。
攻めあぐねるママン。迂闊に攻撃を支持しても、ズバットが使う風起こしのような範囲の広い攻撃は、その隙間をかいくぐりにくい。経験の豊富なポケモンならば、攻撃と攻撃の合間に攻める技や攻める技術の一つや二つ持っているが、しかして未熟なママンでは技も技術も基礎体力も、相性という壁を突破するには頼りない。
「頑張れ、耐えてくれ!! ママン!!」
ご主人の声援も、具体的な指示は出せない。無論、彼の実力では出過ぎた真似をしない方がよっぽど助かると言うのが本音だが。あぁ、だが……ママンはよく頑張ってくれた。結局、風起こしのごり押しにやられてママンは目を回している。
残り時間は1:36……十分に休ませてもらった。確かルール上交代したポケモンは10秒のホイッスルが鳴るまで交代してはいけないのだと言う。
もしも、俺が相手するときにズバットが引くなら俺もすぐに退いてハーデリアをイッカクに任せるか、それともそのまま戦ってしまうか。
否、その時になったらご主人と俺が考えればいいことだ。俺はゼロ。戦いの最中は止まりなんかしない、呼吸も停止も、油断も隙もゼロを目指してやればいいさ。ノンストップで戦って、バテても仲間のフォローがシングルバトルよりも期待できる。
こんな俺向きのバトルなら、勝ってこないと示しがつかない。ご主人からいい餌貰う為に、俺がやらずに誰がやるんだ! ご主人の命令よりも先に、ズバットが交代するよりも先に俺は飛び出した。
「ズバット、下がりながら超音波!!」
音による攻撃、これは流石に俺よりも速いぞ!! しかも、、超音波で攻撃しながら下がるなんて非効率的じゃないか。
翅、脚、そして地面につくほど長い鎌。全てを総動員して駆け抜けるならば、俺のスピードはズバットの方向転換よりも、エコロケーションよりも速い。
ズバットが俺を見失う。ズバットの聴覚が視覚代わりになるのは、あくまで超音波に対してのみ。ただの足音と翅音では、正確に位置を掴むことは難しいようだ。ズバットがようやく主人の命令を無視して退くことを意識し出した時にはもう遅い。
奴が逃げるよりも俺が近づく方が早い、俺の脚のが速い、そして攻撃だって誰よりも迅い!!
まずは右腕で彼奴を叩き落とす、相手のバランスが崩れたところで、左腕の鎌を地面に突き立てバランスをとり、返した右腕で切り上げる。完全に吹っ飛んだズバットが空中で体勢を立て直す前に、飛び上がりから翅で羽ばたき風を起こして、俺の味方側に吹き飛ばした。
体制を立て直したズバットは、交代するために相手の主人の元へ向かってこようと羽ばたくが、そこは俺の飛び蹴りの前に阻止されてもらおう。飛び蹴りはかすった程度だ。しかし、上々だ。そろそろ息が苦しくなってきた俺だけれど、交換のタイミングはトレーナーの任意だけじゃない。
俺たちの任意でだって交代可能なローテーションバトル、この自由な交換という感覚が楽しくてニヤニヤが止まらない。飛び蹴りの勢いそのままに、俺はイッカクとタッチ。さぁ、トドメは刺せなかったけれど、獲物は疲れているぞ。
圧倒していた俺の方が若干疲れているけれど、そんな事はノープロブレムだ。
「え、えっと……イッカク、撃ちおとせ!!」
主人がそう叫ぶ。だが、言われなくとも、イッカクはそうしていた。飛んで行った飛礫は、ズバットの翼に当たって落ちる。
起きあがる前にイッカクは地面を思いっきり殴りつけて地震を起こした。効果は抜群、一撃KOだ。
「す、すごい……ゼロ、お前すごい!! すごいよ!!」
トドメを差したのはイッカクだけれど、褒められたのは俺。やっぱり認めてもらえると言うのは嬉しいものだ。
だが、もっとだ。そうまで褒められたからには期待に応えてやらねば!!
「本当によくやったね、ゼロ……」
主人は俺の鎌を両手で掴んでブンブンと上下に振る。うん、俺もやれば出来るって事が分かって嬉しかったよ。
「でも、まだ戦いは終わっていないから油断は出来ないね……もしもの時は頼むよ、ゼロ」
分かっている。でも今回の戦いはもう全部イッカクの独壇場だろう。相手はハーデリア。
彼女だって、得意なノーマルタイプにみすみす負けるような事はしないだろうから、見守るのは楽な仕事だ。
結局、イッカクは勝ち残った。ハーデリアの仇打ちの威力に一瞬負けるかと思ったものの、彼女はなんとかこらえた。
ヘラクロスはこらえてからが強いのだ。瀕死の状態からメガホーンがハーデリアに突き刺さると、相手はあえなく崩れ落ちる。
全く、いつ見てもほれぼれする女じゃないか。残ったイワークも起死回生のストレートパンチで見事に叩きのめしていた。
「よっしゃあ!! みんな最高だ!! 今日はここの即売会で良いポケフーズ買ってやるからな!! おやつの時間になったらみんなで一緒に食おうな!」
そうして、主人も順当に機嫌がよくなり今日は上手い飯にありつくことになるのであった。
同年代は、みんながみんなシングルバトルを主流に楽しんでいる。これからローテーションバトルをやる事があるのならあまり学校の友達は期待できないのかもしれない。でも、シングルバトルじゃあ、結局俺は役割ゼロで、役立たずのゼロのまま。
今回、ローテーションバトルを見守っていた忍者道場兼ジムの師範代からは、色んなアドバイスを受けたものだ。イワークのタッチをみすみす見逃したのはいただけないから気をつけるように、だとか。
ポケモンを休ませる役が必要ならば、『守る』を覚えた丈夫な壁役のポケモンがいた方がいいだとか。それらがあれば俺は活躍できるのだろうか? うん、出来ると信じよう。そのためにも、ご主人には俺に相応しいパートナーを捕まえてほしいものだ。
そんなことを考えながらポケフーズを食べている間、ご主人が言ってくれたことが胸に響く。
「ゼロ、お前は……確かにシングルバトルじゃ対して役割を持てない、役立たずかもしれないけれど……考えてみりゃ『0』って数は、数字の最後につけるとその数を10倍にしてくれるんだよな。
お前はさ、1人じゃ役に立たなくとも、使いようによっては仲間を10倍にだってしてやれるんだ……なぁ、ゼロ?
ローテーションバトルは出来る機会が少ないけれどさ、これからは、お前のゼロって名前を誇りに思えるくらい俺も作戦立てるの頑張ってみる。今更、虫が良いかもしれないけれどよろしくな……ゼロ」
餌もくれる、褒めてくれる。こんなご主人によろしくされて、応えないなんて選択肢は無い。
「ん?」
分かってる、と伝えたくって俺は肩を寄せて頷いて見せた。
「そう、ありがとう」
その仕草できちんと理解してくれたのか、主人は俺に微笑んだ。よし、これからも頑張ろう。
「よし、それじゃあ次はあの人と戦ってみよう」
ご主人が指さす方向を見て、俺も仲間もうんと頷いた。
「今日の内に、俺もある程度指示出せるくらいにはローテーションを頑張らなくっちゃな。みんなで頑張ろう!!」
真っ黒い作業着にオレンジ色の上着。緑色の目は綺麗で、茶色い短髪も整っている。顔は悪くないのに、オシャレに気遣っていないトレーナーと、俺はバトルをする事となった。彼女は恐らく格闘タイプのポケモンを使って来るのだろう。岩タイプの攻撃には気をつけなければならないが、俺の燕返しがよく刺さる相手だ。
相性は悪くない。さぁ、バトル開始だ。
相手はダゲキ、コジョフー、リオル……よし、全員格闘タイプ。岩攻撃さえ喰らわなければ楽勝だ。
「よし、先発頑張れゼロ!! 相手を蹴散らしてやれ」
おう、ご主人!! 俺は試合開始の合図とともに早速駆けだし、相手の手前で鎌に空を切らせることで相手の攻撃を誘う。
相手が攻撃を誘われた所で、素早く切り返して敵の胴を切り上げる。さぁ、燕返しは見事に決まった!! ここで更なる追撃を……
「グハァッ!!」
コジョフーは燕返しを意にも介さず怯む事無く踏み込んで、腹と胸の継ぎ目を蹴り、そこを踏み台に胸と顔を蹴られ、宙返りから距離をとる。
汚らしい奇声を上げながら、俺は吹っ飛んだ。
「コジョフーのアクロバットか」
ご主人が呟く声が遠くに聞こえる。コジョフーの見事なアクロバット……こうかはばつぐんだ。
「そう言えばコジョフーの特性、精神力だったな……あちゃー……」
俺はゼロ。精神力の特性の前には、素早い攻撃でも怯ませる事は出来なかった。ご主人、もう一つ分かった事がある。俺はローテーションバトルは強いですが、怯まない相手はどんなバトルでもひたすら苦手だ……何も出来ない。