本編
最終話:旅立ち
春の訪れ

 冬眠から覚めたミルホッグが自身の影を見なければ、それは春の到来と古くより言い伝えられている。
「おぉ……影が見えないぞ」
 そして、春と冬の狭間のこの時期。シキジカやメブキジカのフォルムも、白から徐々に桜色の混じり始めるこの時期に、ミルホッグは巣穴からはい出た際に、冬眠から覚めて初めて自分の影を見なかった。見上げると、空は曇っていた。
「俺の影が見えない……春の到来だ……」
 感慨深げにつぶやいたミルホッグの言葉は、、春の到来を喜ぶ言葉。風のように早く伝わったその言葉は、当然のようにアオの耳にも伝わった。
 超獣達に正確な暦はないから、こうやって春という季節を断定する。今日は春、ロゼとアオの子供、(サン)が1歳の誕生日を迎えたことになる日である。
「そろそろ来るとは思っていたが……」
「これでもう、この森ともお別れですね、アオさん……」
 感慨深く話す話す二人の下で、サンの目が不安げに揺れている。
「母さん、これでお別れって本当なの?」
「うん、ごめんね。私もっと一緒に居たかったけれど……」
 まだ角も生えていない彼の頭を舌で繕い、アオ励ますための笑みを浮かべる
「もっと一緒に居たいよ……」
 見上げたサンの目は潤んでいる。アオは目をそらさない。
「私もよ、サン。母さんが春が来なければいいなんて思ったのも、1歳の時以来よ……。私もあなたと同じように、泣きながら両親と別れたのよ」
「でも……」
「わかってる。寂しいのよね? でも、寂しくならないように私は、ヒスイお兄ちゃんやミカゲお姉ちゃんに遊んでもらうように頼んでいたの……」
 そう言って、アオはサンの目元を舐める。
「サンは強い子なんでしょう? お兄ちゃん達がいても寂しいの?」
「……寂しいよ」
「困ったな……」
 アオが肩を竦めて笑う。
「お母さんも、旅立たなきゃいけないんだけれどなー……」
 わざとらしく言って、アオはロゼに目配せをする。

「なぁ、サン。母さんを困らせてはいけないだろう? この森を去ることは、ずっと前から決まっていたことなんですから……何も今日、今すぐにいなくなってしまうわけじゃないか。明日の夕方、日が沈むまで……いっぱい話したいことを話せばいい……お母さんを喜ばせたいなら、そうするべきだ」
 なんて、ロゼは言って、子供を諌める。母親が大好きなサンだからこそ、『お母さんを困らせるのか?』という言葉に弱いのを良くわかっている。

 サンを諌めたロゼは、自分もヒスイ達に挨拶をしなければならないと考える。それに、旅立つ時こそ同じタイミングだが、レンガとは別行動をしなければならないと考えると、レンガともいろいろ話をしておかねばならないわけだ。
 話すことは別に義務でも何でもないが、必要なことだ。
「サンは、お父さんとお母さん、どっちと話していたい? お母さんかい? それともお父さんかい?」
 ロゼは諭すように語りかける。もちろん、サンの答えはどちらもである。
「そっか。じゃあ、いっぱい話そうか……一緒に歩きながら」
 なんて、アオは言ってみるが、もう話すことなんて尽きている。これからどうするべきか、防人として自分は何をするべきか。サンが話すのは、母親と父親の好きなところを延々と語り、そして逆に母親と父親に自分の好きなところを言ってもらうこと。
 まだ語彙の少ないサンは必死で言葉をつくろい、拾い、理解しようとする。アオ達から意味の分からない言葉が漏れたときはそれはどういう意味だと聞き返し。いつしか合流した兄や姉、義理の姉も交えて『誰のどんなところが好きか』を言いあう会合となった。
 必死に涙をこらえても、サンは結局涙を流してしまい、大好きなお母さんだから行って欲しくないという心情を痛いほど伝えてくれる。派手な泣き声や表情が崩れるような無様な泣き顔こそさらさないが、ヒスイもミカゲもミソギも、子供は全員涙を流しているし、それは大人も例外ではない。
 静かに涙を流しているアオは、苦楽を共にしたレンガの好きなところを特に多く上げて、色んなことがあったものだと昔を懐かしむ。ロゼに対する言葉も数多くあったが、幼少期の貴重な思い出や、長い時間で培った思い出には勝てなかったようだ。
 そうして深夜になるころには、サンのうわ言のようだった返答もやがて寝言になり、完全に潰れてしまう。年上の者達は、それでも話を続けては夜を明かした。
 涙を流しつくした目には、朝日が痛いほど眩しく、元気にあいさつを交わす鳥達の声が聞こえたころには、すべての防人が申し合わせたように眠りについていた。
 いつもは見張りで森の広範囲をカバーするために、散開して眠る防人達。しかし、今日だけは大小合わせ、ロゼも含めて七人が一堂に会して眠る。
 そんな光景などめったに見られるものでもない。ましてや、目に涙の跡が残る防人達の満足そうな顔まで拝めるとあっては、その寝姿は森中の話題になった。
 起こしては悪いからと、遠巻きに見守ってその顔をはっきりと視認できるのは、視力の良い鳥型の超獣くらいで、メブキジカ達は大して表情もつかめないままにその場を去るしかなった。

旅立ち

 そうして、誰が最初となるでもなく防人は起きだして、草を食む。
 制限時間は日が沈むまでではあるが、あまり長いをしていると決心が鈍ってしまうからと、全員が起き始めたころにレンガが言った。
 いまだ眠そうなサンを起こし、改めて伝えるのは『そろそろお別れだ』の一言。
 起きぬけに告げられたその言葉に、起きたばかりだというのにサンは身を縮ませて、歯を食いしばる。怒っているのか、悲しいのか、悔しいのか、感情の整理がつけられない子供らしい、率直なありのままのぐしゃぐしゃな表情。『行かないで』と口にするのは簡単だったが、サンは喉まで出かかったその言葉を飲み込んだ。
「偉いぞ、サン。お母さんを困らせなくなったな」
 ロゼのそんな言葉が欲しくて、褒められたくて。そして、最後に母親を安心させるために。はたしてサンの目論見は叶い、褒められたいサンの意を汲み取れたロゼも、気丈な子だなと安心する。
「うん、強い子だ」
 サンの様子を見て満足げにアオが言う。ほかの防人達も、サンの態度に満足げにうなずき、これからの成長を期待して笑みを浮かべていた。
 そうして、しばしの沈黙。アオとレンガは無言のままに皆と見つめあい、視線が交差すると申し合わせたように頷きあう。
「ヒスイ。お前は年長者として、しばらくの間皆を導いてくれ」
「我らの後は、しばらく戦争もなく、人間の活動も穏やかになるであろうが、だからと言って油断はするな?」
「はい、母上」
 アオとレンガをまっすぐに見つめ、ヒスイは頷く。
「ミカゲ。長女のお前は、私と同じように子を残すことを強いられる……妊娠に出産に子育てに……きっと苦しい事や、辛い事もあるだろうけれど、頑張って次の世代を産み残してくれ。母乳を与えるのは、結構楽しいから」
「出産の辛さは男にはわからないが……頼むぞ」
「かしこまりました」
 アオとレンガの言葉に、ミカゲは素直に頷き笑う。

「そして、それはお前もだ、ミソギ。お前も新たな防人を産まねばならないし……それに、指揮官のつるぎと銘打たれているのだからな。子供が埋める年齢になるころには、ヒスイから指揮官の座を奪い取ってやれ」
「出来るな?」
 アオの言葉を補足するようにレンガが問う。
「当然じゃ、アオおばさん、レンガおじさん。ヌシらに負けぬような指揮官に大成して見せようぞ」
 ずいぶんと余裕のある態度で、ミソギはアオとレンガに傲慢な笑みを見せる。半分は虚勢に近いとわかるミソギの言葉も、今のアオには頼もしく思えた。
「それで、最後にサン。お前は、とりあえずどんな子になるのかわからない……まだまだ子供だからな。これから先、お兄ちゃんやお姉ちゃんのようになれというわけではないが……目標にするなり、見習うなりの必要性は出てくると思う。
 そうして学んだら、次は自分で考えて自分のあるべき姿を思い浮かべろ。そうすればきっと立派になれるよ」
 アオがサンに微笑み、諭す。
「うん、母さん」
 頷くサンに目の高さを合わせ、アオはサンと首を絡める。そっと首を離して、アオは微笑み、角を叩き合わせる。
「サン、お前は誰かを真似しようとしても、絶対にどこかで無理が生じてくるだろうからな。だから、自分が出来る事、自分のやり方を発見して、それを信じて進め。今はこの言葉、難しいかもしれないけれど……覚えておいてくれ」
「はい、おじさん」
 レンガの言葉にもサンは頷いた。

「さて、皆。色々と言いたいことはあるが……やはり、上手くまとまらないな……だが、これだけはずっと言いたかったことだ。
 私は、防人の掟として、今日この森を出たらそれっきりここには二度と帰らないし、レンガとも分かれる。旅先で偶然にレンガと鉢合わせることもありえない話ではないが、そうして再会してもすぐに別れなければならない。
 時には前触れもなくあふれ出る寂しさに涙することもあるだろう。だが、そんなときにこの故郷を思いおこしたとき……私はここへ生まれて幸せだったと伝えてゆけるように生きて来たつもりだ。たとえ体が帰れる場所でなくとも、心の舞い戻る場所でありたいし、お前達もまたここへ生まれて幸せだったと、誇り、伝えられる存在となって欲しい。

 だから、私がここを想うとき、お前達が私の心の中にある美しいこの森を、美しいままにしておいてくれることを願う。そのために、人間と仲良くすることも、逆に殺しあう必要も出てくると思う。
 我らの時代は、人間は敵であった。ゆえに、その姿を見てきたお前たちは、人間は敵であると勘違いしてしまうかもしれない。だが、人間は敵であるだけではない。我らが世界の一部であるように、人間もまた世界の一部であり、だからこそ人間は緩やかなつながりで見れば敵でもあり、味方でもある。
 肉食の超獣が草食の超獣にとって、いつもは敵であろうとも、時と場合によってそれが味方へと転じるように。この森に住むものが、肉食や草食を問わず仲間であるように……人間もまたそうなのだ。かつては、我ら防人が人間と共に食事を取る機会すらあったとも聞く。
 だから、お前らは……そしてお前らの子達に、語り継いで欲しい。人間は敵でもあり、味方でもあるということを。そして、見極めて欲しい……お前たちや、その子供たち……子々孫々に当たる者達が生きる時代に共に暮らす人間が、味方であるか、敵であるかを。そして、それに対してどのように動くかを。

 その過程でどんな道を選び、失敗しようと後悔はするな。成功しようともきちんと反省はしろ。そして、後悔しないために、慎重な判断をしろ。正しいと思う事も、一度止まって考え、見直してみて欲しい……私が出来なかったそれを、お前達に強いるのはわがままで自分勝手かもしれないが、私の子供だからこそ、同じ間違いを犯さないで欲しいのだ。
 そのためには、指揮官のつるぎが一歩退いた場所で物を見て考えることが最も大事なことは言うまでもないが、それ以上に、他のつるぎ達も自分なりの意見を出し合い、沢山の意見を取り入れることが大事だ。
 私は、それをできなかった。自分の独り善がりな意見を貫いて、大切な兄弟を追いつめてしまった。お前らには決してそうならないようにしてほしい。

 さて、ここまで『相談は大事』と言っておいてなんだが……皆で決めた案でさえ、この森を燃やす結果につながったこともある。そんな風に、どれだけ気遣っていても。不幸は黙っていても、やってくるものだ。そうなっても、くじけるな、抗え、力の限り(たたか)え、防人にはそれだけの力がある。レンガが真の力を発揮した際はゼクロムですら尻尾を巻いて逃げるだけの力がある。
 その力を信じて、強く生きろ。我が子達よ……そうすれば開かれる道もあるだろう、解決できる問題もあるだろう。そして、防人だけでどうにも出来ない時は、頼れ。恥じる必要はない。
 なぜならば、我らは1人ではないからだ。3人でも4人でもない……この森が、『我ら』だ。私がロゼを頼ったように……ケンホロウやアイアントやエモンガやメブキジカやムーランドや……他数え切れない者達に私達は支えられてきた。頼るという事は、『我ら』が1人ではなく『我ら』であるがゆえに、出来る事だ。
 確かに防人は皆を纏める役割がある……だが、防人もまた森の一部。だからこそ防人以外の力も借りて、森を護るのだ。お前たちがこれから護るこの森は、お前たちのものではなく、『我ら』のものであるのだからな」
 長い言葉を言い終えて、アオは大きく深呼吸を挟む。
 泣くまいと思っていても、涙はこらえきれない。しかし、言葉を詰まらせることなく、言い終えることが出来たのは彼女の心の強さゆえか。
「お前達、理解できるな? 我もまた、この森が美しくあることを望む……そのために、強く生きてくれ」
 レンガもまた涙を流して、皆に訴えかけた。拒む者は誰もおらず、サンも意味が分からないながらに、必死に理解しようと努めている。
「母上、レンガおじさん……了解です」
 子の世代を代表して答えるのは、ビリジオンのヒスイ。彼は深々と頭を上げ、水を飲むような体勢で跪き、目を瞑る。他の子もそれに倣い頭を下げると、アオは柔らかな笑みを浮かべて一言。
「頼むぞ」
「それでは、我らは行く……」
 アオとレンガは、お互いに言いたいことを言い終えた後、二人で視線を交わしあい、タイミングを計って口にする。
「行き先は告げずにな……」
 最後に二人は、角を叩きあって友愛の感情を示しあう。
「さあロゼ、乗るんだ!!」
 跪くことなく、目を開いたままそのやり取りを見守っていたロゼに、アオは声をかける。
「了解です!」
 と、歯切れよく答え、ロゼはアオの背中にまたがり、肩の金色の体毛につかまる。
「……それでは!!」
 アオが向かった方向とは逆にレンガも走り出す。二人は振り返らない。
 ただひたすらに、前だけを見据えて、この森には帰らないのだ。子供達は、そうして旅立つ親の防人達の旅立ちからは目を背け、追わないようにする。
 たとえ、匂いや足音でどこに向かったかが丸わかりであろうとも、決して覗き見ることなく、見送りを終えるのである。

 瞑った瞼の中であふれる涙を押さえつけていた防人達は、足音が聞こえなくなって数秒すると、別れの余韻も冷めやまぬうちにまた涙を流しつつも日常へと戻る。幼い防人を守るべく、育てるべく、ヒスイは泣きじゃくるサンの涙を舐めて、早く彼が日常へ戻れるように一杯甘えさせて、涙させることを許してあげた。
 そうして、本格的に日が暮れ、夜になったころに防人達は気付く。
「なぁ、ミカゲ……ミソギはどうした? 夕方から見かけないし、森の住人に聞いても誰も知らないそうなのだが……」
「え? 私、何も聞いていないわよ?」
 ヒスイが尋ねた質問に、ミカゲは首をかしげた。指揮官のつるぎ、若駒のミソギの行方はミカゲも知らなかった。
「もしかして……ヒスイの視線がいやらしいから、逃げた?」
「いやらしくない!! 断じて!! いや、そりゃ成長するのが楽しみだとは思ってけれどさ……」
 ミカゲの言葉を断固として否定しつつ、ヒスイは萎れる。
「神秘のつるぎの使い方、ミズキさんから教わっていたのに……もしいなくなっていたら、どうすりゃいいのさ……」

若駒

「どこに行きますかね、アオさん」
「さあな、どこでもいいさ」
 走り続けで脚も疲れたアオは、ロゼを背中から降ろして歩きに切り替えていた。
「このままどこへでも体一つで練り歩いて、人間と超獣を見て回ろう。そこでトラブルでもあれば、人間を助けるでも、超獣を助けるでも、身の振り方はそれなりに考えればいいさ」
 アオは星を見ながら、そう答えた。夜空に上る満天の星は子供達やレンガも一緒に見ているのかなどと、どうでもよいことを考えながら、いつでも自分達は繋がっていると信じてため息をつく。
「その旅、ワシも混ぜちゃあくれませんかね」
「ぬおぅ!?」
 そんな時に、肉食獣も驚くほどの息のひそめ方で、風下から音も立てずに現れたのは――
「ミソギ!?」
 である。アオとロゼが声を上げて驚くと、彼女は悪戯っぽく笑った。
「なな、なんでここにいるんだお前は? 森はどうした?」
 動転したアオは至極まともなことしか質問も出来ず、気の利いた冗談も言えずにミソギに尋ねた。
「指揮官たる者、敵の気持ち、民の気持ち、第三者の気持ち、すべてわからなきゃあいかんのじゃ。じゃからのう、ヌシら二人がこれからどうするかをよく話し合っていたのを盗み聞きしておったから、ついていこうとワシは密かに決めたのじゃ」
「密かにって……いやいや、防人の決まりを守りましょうよ、ミソギさん……」
 しれっと言い放つミソギを諌めようとロゼは言うが、ミソギは眉一つ動かすことなく動じない。
「ほっほ、ダメと言われてもワシはついてゆくぞ。わしの決心はそう簡単に揺らがせるつもりはないでのう」
「頭が痛い指揮官さんですね……こりゃ」
 ロゼは肩を竦め苦笑する。しかし、アオはミソギと同じく動揺せず、真顔でミソギを見つめている。
「ミソギ。ヒスイは、お前の母親から一つ技を受け継いでいる。神秘のつるぎという技だそうだ。お前が成人した時に受け継がせるつもりだったそうだからな……その好意を無にするのは、許されないことだ」
 改まってアオは語る。
「だから五歳になったら、技を受け継ぐためにも帰れ。わかったな」
「おぅ、了解じゃ」
 ついてゆくと決めたミソギに対して、アオが課した条件は驚くほど簡単なもの。
「そんなんでいいんですか? アオさん」
 それにロゼは疑問を持つが、アオは首を振って微笑む。
「時代は変わる。我々が黙っていても人間が変ってゆくのならば……防人もまた、それに合わせなければならぬだろう。心配するな……今までも三人の防人だけで森はやってこれたのだ……サンが三つの年の頃になるときに、満を持してミソギが森に加わる。
 それでいいじゃないか、ロゼ」
「……まぁ、アオさんがそう言うのであれば」
 何か問題はないのだろうかと思いつつも、そう言ってロゼは認めてしまう。せっかくの想い人との2人旅、邪魔されたくなかったというのにミソギが来ては台無しだ。ロゼもそれなりの年なもので、残された時間はあまり多くないから、残された余生を2人きりで過ごせるチャンスだったのに。しかし、引退したとはいえ防人、アオの命令とあらば聞かないわけにもいかず、不満を押し込めてロゼは何も言わなかった。
「アオさん、恩に切ります。よろしくお願いします」
 そんなロゼの気持ちを知ってか知らずか、ミソギはこうべを垂れて畏まるばかり。
「その代り、何か働く機会があればきちんと働けよ? 怠けたら速攻ではじき出すからな」
「わかっておる。ワシは怠け者ではないぞ……母親を亡くしたワシを今まで育ててもらった恩もある……」
 顔を上げてそう言うと、ミソギは厚かましくアオの隣を陣取る。しかし、ロゼがそこはアオを独占できる自分の席なのだと、ロゼはアオとミソギの真ん中を陣取った。
「ダメです、せっかくの二人旅を邪魔されたんですからね。隣を歩く特権までは与えませんよ」
「おいおい、照れるじゃないか、ロゼ」
 全く照れていない、冗談めかしたアオの言葉は今の状況を笑っていた。二人旅を邪魔されたと思っているロゼとは対照に、アオは三人の旅も賑やかそうで悪くはないとむしろ喜びの笑みを浮かべている。
 ミズキが死んでからしばらく母親代わりをしていたミソギが傍にいることだし、もう少しくらいは母親気分でいるのも悪くはない。
 たとえ自分の子供ではなくとも、自分を慕い、ついてきてくれる子供がそばにいる事は尊いものだ。


 夜も深まり、傍らで眠っているミソギを見ていると、アオは不意にアーロンととも交わした会話の一説が蘇る。2年前、おそらく今生の別れになるであろう、旅立ちの前日に行われた会話で出された話題であった。
『あぁ、戦争は変わると、以前言ったけれどね……もしかしたら、と思うところはあるんだ。ホウエンでは、人間の下で超獣を管理する場合、重要なこととしてあることを教えるんだ……それはね、超獣に「感謝する」事だ。もちろん、それはイッシュの者達にも伝えた……超獣は感謝によって、人間に心を開くとね。
 このイッシュでは、超獣は人間の手足の延長なんだ。超獣自体は感謝すべき対象ではなく、超獣を与えてくれた神に対してばかり感謝を注いでいたんだ。
 でも……もしも、このイッシュの軍人や政治家たちが、超獣に感謝することを覚えたならば……その状況もきっと変わるんじゃないかな? 少なくとも、ホウエンは戦争に超獣を使うことはあっても……森を、山を、川を……敬うことは忘れていない。まぁ、敬いすぎて海をないがしろにする紅の宗派や、逆に陸をないがしろにする藍の宗派なんてのもいるのだけれどね。
 けれど、そんな者達も自分が愛する陸や海に対しては、熱心だ。だからこそ、同じように野も山も海も敬えば、自然と超獣は協力を惜しまなくなるはずだって……ここの人たちに、理解してもらえるかどうか、分からないけれど言っておいたんだ。
 もしも私の言葉が届くのであれば、きっとこのイッシュも……自然を敬うようになるかもしれない。付き合ってゆけるようになるかもしれない。その時は、アオ……いや、アオは数年でこの森を去ってしまうのか。いや、それでもだ……みんな、人間を嫌わないでやって欲しい。人間が自然を踏み荒らすのではなく、歩み寄る立場を取るのならば、仲間として認めてあげて欲しいと思う。
 特にヒスイ……我々の故郷、豊縁では、(みどり)色は争いを止める者の象徴なんだ。次世代の中では最年長である君が、そうあれるように頑張って欲しい』
 その時、ヒスイは力強く『はい』と答えた。これからは、超獣が戦争に参加して我々防人でも危ないかもしれないと子供たちを脅してみたりもしたけれど、アーロンの言葉通りの未来がやってくるのであれば、こんなに嬉しいことはない。そうなればきっと、ミソギにも、ヒスイにも、ミカゲにも、サンにも、幸多い未来がやってくるだろう。
『もしも、我らの故郷が紅と藍に飲み込まれた時は……私も、翠色に……例え、この身が石になろうとも……』
 最後に、そう言ってヒスイに微笑んだアーロンを見たときは、ホウエンもきっと戦のない平和な世界が作られる。そんな気がした。
「ミソギ……貴方は――」
 自分は、子供に平和な森を残してやれなかった。今は平穏かもしれないけれど、いつか必ず崩れるような危うい平穏しか残せなかった。あるいは、何もしないでも、アーロンが言うように人が森や川を人敬うかもしれないけれど、そうじゃないかもしれない。
 そして、この先イッシュがアーロンの言うとおりになったとして、ここの先住民が駆逐されたように、再びこのどこかの誰かにイッシュが危機にさらされるかもしれない。先行きの不安は、これからもてんこ盛りだ。

 どうすれば悠久に続く平和な世の中を残せたのか見当もつかないけれど、この子達ならば、平和な未来を作ることも出来るかもしれないと期待を込めて。
「――貴方は……どんな未来を創るのかな?」
 指揮官のつるぎに問いかけるでもなく口に出し、答えは聞かない。
 アオは春の夜風を頬に感じて、あと2年はこの子の母親でいられる、これからの道のりを想う。




(完)






■筆者メッセージ
後書きに続きます
Ring ( 2013/07/01(月) 11:22 )