防人、アオ - 本編
第七話:森林火災とゼクロム
火災

 ゼクロム派の軍は、アオ達の鬼神の如き活躍を目の当たりにして雪花の制圧を完全に放棄し、雪花では小競り合いすら起こらない日々が続いた。ミズキも主にヒスイのおかげですんなりと森に受け入れられ、森は平和そのものである。
 しかし、双龍の支配は依然譲る気はなく、いまだ双龍は雪花からのレシラム派による進軍を防いでいる。レシラム派の者達にとっては、双龍の奪還はかつての国を二分する場所として象徴的な意味合いも大きく、西にずれた勢力線を東に押し戻したくてたまらない場所である。
 しかし、双龍は一度レシラム派が奪取されて以降、そこへ投入された兵器も増え、兵隊も増え、難攻不落の要塞と化している。弓矢が雨霰と飛びかい、敵に対しては高低差故に威力の落ちた矢しかお見舞い出来ない。ここ数年で試験的に投入された超獣達が鉄球を投げつけたり石をばらまくだけでも、攻めこむ側は相応の被害を受けるであろう。
 どちらも簡単には手出し出来ない冷戦状態。アオ達が双龍から雪花に対する侵攻の抑止力となったおかげで、雪花の森や雪花の湿原は平和なまま時が過ぎていた。戦争に使われる木々が森から奪われる事もなく、また周囲の村で徴兵される事もなく、そのおかげで人間の生活の方もうまく安定しているようである。
 ミドリと意見を違えなければ、この平和の中にミドリもいたのかと思うと少し心が痛むが、その分ヒスイやミカゲ、そしてミソギといった次の世代にあの森を残せてやれたら、それで罪が償えると信じてアオは戦争が終わるのをひたすら待つ。今は小競り合いすらないから、アーロンの言う火責めや焼き討ちも起こるはずはないと、そう思っていた。

 それは、乾燥した風の吹く冬の日の事。冬でも元気に青い葉を茂らせる針葉樹と、季節に応じて葉を落とす落葉樹の混ざるこの森で、長い事雨の無い日が続いていた。今年の冬はそれほど寒くもなく飢え死にする個体も少なそうな穏やかな冬。
 当然、本能的な危機感を覚える事もなく、発情期も訪れないアオとミズキは身軽な腹のままで針葉樹の木に登ってその葉を食べる。高いところから森を見下ろすと、雪帽子をかぶった森の針葉樹は夜になると周囲を明るく照らして幻想的な風景を作り出してくれる。
 この平和がいつまでも続くと、そんな風に思っていた矢先の出来事である。

 ケンホロウ達が慌ただしく飛び回る。カイジではない別のケンホロウがわざわざ起こしてきてくれるほどの緊急事態に、何事かと思えば森が燃えているのだという。
 最初は意味が分からなかった。普通の火事ではなく、ところどころから火の手が上がり、炎に囲まれているような状況だとわけのわからない事を告げられたのだ。人間の道具の一つ、時計と呼ばれる時間を図る道具で正確に同じ時間に攻撃したのかもしれない。
 だからどうしたというわけではない。言われるがまま樹の上に登って空を見れば、人間が炎のついた松明を森に投げ込み、ところどころに火事を起こしている。
「なんだあれは……」
 わけがわからなかった。アーロンは人間は手段を選ばない的な事を言っていたが、これがそういう事なのか。これが人間のやり方なのか。
「敵ですよ。森中が火事なんです!! 早くどこかに逃げないと……」
「逃げろったって、どこに……そうだ、湿原だ。湿原まで逃げれば、あそこならば燃える物よりも水の力が勝るはずだ。お前、名前はよく知らんがとにかく湿原まで逃げろと伝えるんだ。全力で、今すぐ!!」
「は、はい!!」
 アオに凄まれ、名も知らぬケンホロウは慌てて飛び上がり、空を飛ぶ仲間に呼びかける。それを見送るよりも先に、アオは大地を揺るがすような雄叫びを聞いた。レンガの声であった。その声に呼応して、防人達が一斉に集まった。集まった後は全員で一斉に吠え、大声で湿原まで逃げると伝えるのだが、すでに湿原にも炎が回っている。
 いや、むしろ湿原にも同時に炎を放ったというべきか、逃げるべき場所からも炎が迫ってくるこの状況でどうすればいいというのか。
「道を切り開くしかあるまい……ヒスイ、お前は集まった超獣達に、集まる途中の超獣達に光の壁を貼りまくれ。
 出来る限り、限界まで……レンガとミカゲは切り開くべき道を案内代わりに木を切り倒すんだ……食料のなる木の実でも何でも、躊躇する事はない、全部倒せ……ミズキとミソギはその道しるべに水を撒くんだ……私は、他の超獣をその道に案内する。全員、良いな!?」
 アオが出した指示に、全員が了解と頷くレンガはまず、娘を引き連れてシザークロスで木々をなぎ倒す。途中出会ったレパルダスの協力も得て、正義の心の特性で以って規格外の攻撃力を得た二人は、太い木々でさえもまるで枯れた葦のごとく破壊してく。木々が倒れる音、倒す際、稲妻のように轟く衝撃音があたりに轟き、それがレンガの存在をアピールした。逃げ場を失い右往左往する超獣は、それを頼りに作られた道を目指す。
 そして見通しの良くなったその道は、足の遅い超獣達を導く巨大な(わだち)となって、迫りくる炎を拒む水をまんべんなく流し込むのに絶好の場所。まだ幼いミソギはおまけ程度に、集まったヒヤッキー達と共にその道標となる倒木を燃えないように濡らす。
 ヒスイとアオは別行動をして、アオはとにかく迅速に超獣を集めるため、持ち前の鋼タイプの煙に対する耐性の高さを生かし、深い煙の中でもしっかりと目を開けて安全なルートを確認する。
 助けを求める声で超獣を発見してからは、薄目を開けているだけでも見えるように、ボルトチェンジの光で導き、足の遅い超獣をレンガ達が作った道へと案内した。
 ヒスイは、自身を神秘の守りで煙の毒から身を守りつつ、逃げ場を失っている超獣達の元に風のごとき俊足で駆け抜けては、火の粉に身を焦がされないよう光の壁を張って炎の中を風よりも速く突破する。
 小さい超獣であれば背中に乗せて一気に飛び越えるという荒業も行いながら、出来る限り多くの超獣を助けようと奮闘する。防人ばかりにいいかっこはさせないと、炎に強いバオッキーが炎の中に飛び込んで、胸の中に抱えて炎から守ったり、ヒヤッキーやガマガルも水を吐いたり雨乞いを起こしたりで、すべての超獣が必死で炎に抗った。

覚悟の姿

 度重なる波乗りで疲れ果てながらたどり着いた湿原の中で、ミズキは体に光を纏わせる。夜でも周囲の様子が簡単にわかるほどに美しい白光と共にミズキは姿を変える。それは、普通のポケモン達が行う進化の現象にも似ていた。
 まず、側頭部についてる、青く大きな、そして大きく反り返った角が萎縮して、小さなヒレのように小さく収まる。首周りの鬣もわずかに伸び、特徴的な鼻先の白い角は、側頭部の角の養分を吸収したかのように肥大化した。
 美しい鬣は、先端が重力に逆らってふわりと浮き上がる。その鬣の中に混じる青、橙、緑の飾り毛は、指揮官のつるぎとして他の三つのつるぎを統べる証となる姿であった。
「覚悟を決めるか……」
 ゆっくり息を吐いて瞑想してから、ミズキは大量の水を自分自身の体に集める。ほかの数多の超獣達が行う雨乞いは、周囲の数十メートルほどにしか効果のないものだが、戦いを終わらせるためのつるぎにして指揮官のつるぎである彼女は、戦場一つ、街一つを覆うだけの雨雲を発生させる事だって不可能ではない。
 アオに言われた通り、湿原までの安全な道を確保したミズキは、自分達が来た方向の反対側の超獣も助けて欲しいとレンガに言い、自分は疲れてもう動けないと嘘をついてここに残っていた。

「ミソギ、ワシのやる事をよく見ておくのじゃ」
 余力を残したミズキと違い、ミソギは本当に疲れて動けなくなっていたが、ミズキに鼻先で尻を持ち上げられ強引に立たされる。力尽きていたミソギは、うつろな目でミズキを見た。
「よし、そのまま見ておれ。そして出来れば、限界までワシに手助けをして……森のみんなの安全を祈りながら……少しでも消火を手伝うのじゃ」
「て、手助けって。まだワシはその技は上手く使えんぞ? それに、その姿……」
「出来ればで良い。失敗したらそれはそれでやりようはいくらでもあるのじゃ。ただ、ヌシも森を救ったと胸を張って言える思い出を作れるよう、頑張れと言っておるのじゃ……出来るな? 何があっても、手助けをするのじゃ」
 いつになく真剣なまなざしで母親に見つめられ、目を逸らす事も出来ずにミソギは頷く。木が燃えて爆ぜる音、苦悶の声、レンガ達が木々をなぎ倒す音。それらの音を右から左へ受け流し、炎の放射熱を全身に浴びながらミズキは深呼吸。
 足元は、砂で山を作ったように緩やかな円錐状の水が集まっており、それは見る見るうちに彼女の膝より上に胴より上に、やがて先端に行くほど急な角度となって、首から上に至っては水の柱が出来る。
 鍾乳洞の柱のように伸びた水の柱は、雲の高さまだ立ち上ると、拡散し、天を覆いつくし、やがては分厚い雨雲を作り出す。湿原の泥交じりの水は、泥が乾燥してひび割れるほどに乾燥し、それが雨として降り注いで還元されても、元のぬかるみに戻るには時間がかかりそうだ。
 湿原のオタマロは水がなくなったおかげでビチビちと跳ね回り、チョボマキもカブルモもいきなり水がなくなってどういう事かと泡を食う。その答えは星の光を隠して居座る雲を見れば明らかなのだが、明らかになったその状況がどのように引き起されたかがまた次の謎として提示される事だろう。

 とにもかくにも、すべての水を吸い上げて成長した雨雲は、ミズキの祈り一つで雫となってたぎり落ちる。雪花の森と湿原を覆うほどの分厚い雨雲は、荒ぶる炎の暴走を平伏させてその勢いを一気に弱めてゆく。
 そんな中でも防人達は動きをとめず、この雨がいつやんでもいいようにと超獣達の退路を確保し、また退路へと案内する。やがて、人口の雨のみならず森の煙が雨の核となって自然の雨を呼んできたころ、森の炎もあらかた消えて、疲れ果てた防人達は熱く火照った体をその場に這いつくばらせて休息に入る。
 冬の季節、この季節に浴びる雨は冷たくて凍え死んでしまいそうであったが、今はもうそんな事など何も考えずにただ眠っていたかった。人間に対する憎しみも怒りも明日に持ち越した、防人達の休息の夜。
 一世一代の雨を降らせて、覚悟を決めた姿のまま眠るように死んだ母親の死を理解出来ずに、ミソギは冷たくなっている母親の懐に寄り添ってすやすやと眠りにつくのであった。

 ◇

「この季節じゃ、死体はなかなか腐らないだろうな……モエギのときと違って、それも逆に酷な話だな」
 レンガが言う。今年生まれたばかりのミソギには、まだ死というものが理解出来ていない。目を閉じたままピクリとも動かないミズキのそばで、ずっと目覚めを待っている姿は見ていて心が痛む。
「あぁ、私達も一歳の時にそれを体験したが……彼女はそれよりも幼い……どこまで死を理解出来るのだろうか」
「そばに居て……あげる誰かが必要ですね。母上は……ミソギさんの代わりに……成れるでしょうか?」
 ヒスイが俯いて首を振る。悔しそうに涙を流しながら、声を押し殺して歯を食いしばる。
「クソ野郎!! 人間の奴ら……ミズキを……」
 下心が大半とはいえ、相当ミズキへ入れ込んでいたヒスイは、やり場のない怒りをあらわにして地面へ八つ当たりをするように大地を踏みにじる。
「ヒスイ……気を病まないでくれ」
 アオもまた、悔しさを押し殺して言う。
「わかってます……大人がしっかりしないと……だからこそ、母上。ミソギを、どうするか決めないと……」
 ミズキの子として最後のつるぎとして即位しなければならないミソギをこれからどうするのか。そんな事を取り留めもなく話しながら、三人は人間達が残した痕跡を探る。

 探索の果てに見つかったのは、ゼクロム派の軍隊である事を示す、白い旗に黒い鳩の紋様。
 模様こそ部隊によって細かく分けられているが、白い旗に黒の紋様という事だけは、すべてのゼクロム派に共通している特徴であり、傭兵であってもデザインは白い旗に黒枠が義務付けられているので、間違うはずもない。良く使いこまれたそれは、兵士達が吸っていたのであろうか、アヘンの匂い。朽ち果てた返り血の匂いに、土の匂いと蟲の匂い。いろんな匂いが染みついたこの旗は間違いなくゼクロム派のベテラン傭兵が使っていた物であろう。
(それがお前らの敵だ)
(ゼクロム派の奴らの仕業だ)
 天の声が語りかけたような気がした。
「これが……」
 アオに怒りが心頭する。
「これが貴様らのやり方かぁぁぁ!!」
 森を切り裂くような金切声だった。
(ゼクロム派の奴らを殺せ)
(問答無用だ!!)
「人間どもめ、覚悟しろ!!」
 逃げ遅れて焼け焦げた死体をいくつも見つけて、悲しさばかりがこみあげていたアオであったが、その旗を見たとき、すべての悲しみがそのままそっくり怒りへとすり替わる。その怒りを全て、声にして表したかったが、それでは到底足りない。
 山が崩れそうなほどの振動を伴うの大声を発しても、表しきれないほどの怒りが彼女を支配する。アオの声に振るいたてられるように、レンガとヒスイに憎しみは伝播する。争いを終わらせるためのつるぎ、時に鞘ともなる指揮官のつるぎも帯刀しないままに、アオと、レンガと、ヒスイは最低限の挨拶だけを済ませて森を後にする。
「よくやったぞ、ナッシュ」
 防人達の気配が消えたその後ろで、ゴチルゼルとウルガモスを抱いて、燃えずに残った木の上に佇む人間がほくそ笑んでいた。

殲滅

 森で起こった火災は、幸いにも辛うじてほとんどの超獣が無事生き永らえた。季節が冬なだけあって、ほとんどの鳥は飛べるし、小さな超獣も歩けるくらいには余裕で成長していたおかげだ。これが春ならばそうも行かなかっただろう。だがそれは、逆に不運でさえあった。多くの者が生き残ってしまったがゆえに、この冬に多くの超獣が飢えて死ぬ事は免れない。
 そして、飢えて死んでゆくであろう超獣達の恨みを代表するように、憎しみをたぎらせた三つのつるぎの歩みはもう止まる事はない。進路は双龍。拾った旗に描かれた隊証を手掛かりに、しらみつぶしに実行犯を探して殺すという、計画ともいえない計画を携えての進軍だ。
 話し合いの必要もほとんどなしに決まったその虐殺に同伴するのは、数頭のムーランド。アオ達の足についてゆくのは到底不可能なので、アオ達が彼らに合わせて歩く形となったが、それでも旅にかかった日数は2日半。人間の足ではまだ4分の1さえ踏破しきれない距離であろうが、放火してきた奴らは多くの鳥型の超獣を従えている集団だ。今頃双龍にたどり着いていてもおかしくはない。
 それに、今の彼らにとって、放火した者達がこの場に居ようがいまいがもうどちらでもよかった。とにかく、人間に対する強い憎悪はとめどなく、一般人もまた兵隊達からの被害者であるという事も忘れて、ゼクロム派の人間を殺せるならばそれでいい気がした。

 城門を前にして、まずはアオが自身の体にムーランドを噛みつかせると、それによって底上げされたアオの膂力をレンガ達は自己暗示で自分達に移す。アオのリフレクターとヒスイの光の壁を受けて一足先に飛び出したレンガは、見張り番の兵隊が味方に偶蹄の死神の到来を大声で告げている間に城壁へと突進。
 掘りに架かる跳ね橋を上げる間もなく、すさまじい轟音と共に城壁に風穴をあけたかと思えば、素早く後ろから追いかけてきたヒスイはレンガに手助けを送る。
 ヒスイから受け取った力も加わり、無尽蔵の力を体内に宿したレンガは、振り上げた前足を思いっきり地面に叩きつけて、周囲を揺るがす巨大な地震を巻き起こす。城壁の裏にある民家を区画ごと巻き込んだ地震は、もはや超獣の技という範疇をはるかに超えて、天災としか表現のしようもない

 城壁はフォークにつつかれたパイ生地ように脆く崩れ、足場を失って落ちた人間、崩れた壁に押しつぶされた者は一瞬で生物から肉塊に変わる。運よく街を取り囲む掘りに落ちても、見上げるような高さから水面に叩きつけられてしまえば大怪我は免れず、そのまま寒さと怪我で泳ぐ事も出来ずに溺死する。
 アオとヒスイは崩れた城壁を駆けあがり、小高い丘に作られた宮殿と、その近くにある正方形の壁に囲まれた広場に目をつける。町を囲む城壁の中に作られたもう一つの小さな城壁。街のどこにいても見えそうなほど高いその施設は、大層重要なものを守っているのだろうと目星をつけて、ヒスイとアオは、頷きあってそこを目指すよう意志を伝え合う。

 どうせ他にめぼしい物もないのだからと、レンガにも手短に伝えた後は、通りを突っ切るのに邪魔で目障りな人間を踏み荒らしながら小さな城壁を目指して進む。叫び声をあげる暇もなくヒスイの角に切り裂かれたり、子供が踏み潰されたりもするが、防人達はそれを意に介す事もしない。
 正方形に囲まれたその空間には兵士達の演習場兼宿営地。今は宿営用の天幕は片付けられ、槍を振るったり弓矢の的当てをしている最中であった。ここら辺の部隊は正規兵で、王都を始めとする大きな街より集められた者と、普段からこの双龍に在中する身分の確かな兵隊の集まりである。森を焼くような特殊な任務に従事するような工作員ではないのだが、そんな事を知らないレンガは怒りに任せて扇状に岩雪崩を仕掛ける。
 冷静でいられない兵士はそれだけで岩の濁流にのまれて身体をすり潰されてしまい、その岩雪崩に背を向ける事もなく冷静に岩を見据えて避ける小賢しい人間は、岩の濁流の上を軽業師のように歩むヒスイが、縫うように首を切り裂いて、簡単に人間を死体に変えてゆく。
 演習場は一瞬にして処刑場となり、我先にと逃げだすうちに転んで将棋倒し、まとまったところをレンガに一網打尽にされ、城壁に囲まれた広場から人間がいなくなるまでその殺戮は続く。

「お目当ての隊証旗はない……か」
 そもそも、正規兵の隊証旗だけでもその数はごまんとある。それに加え、数多ある傭兵の隊証まで探すとなれば、話し合いを一切する気のないアオ達にはそう簡単なものではない。情報が伝わり切っていない今の時点では、兵隊達はなぜアオ達がこうまで怒っているのかすら理解出来ていないだろう。
 血だまりの中、返り血で白い旗が真っ赤に染まったところで、アオ達の気分も粗方おさまり、闇雲に探すよりも聞き込みをした方がいいかと気持ちを切り替える。ここまで暴れておけば、正義の心の特性の効果が切れた今でも、そうむやみに立ち向かったり攻撃してくる者はいなかろう。
 アオ達は悔しさごと吐き出すように反芻動物特有の匂いのきつい唾を吐き捨てると、次は宮殿に移動する。城門など無視して壁を破壊して内部に入ると、そこに住む領主を護る近衛兵を締め上げ、持ち寄った隊証に見覚えがないかどうかをテレパシーで尋ねる。殺す事にも疲れ果てたのか、不思議と殺そうという気力がわいてこなかった。

大きな誤解

 そうしているうちにお偉いさんなのだろうか、偶蹄の悪魔が人探しをしていると聞いて、白髪交じりの初老の男性が防人達の前に現れる。傭兵についてもかなりの数を網羅していると語るその男は、血まみれになった旗に描かれる黒い鳩を見て、テレパシーで問いかけるアオの質問に答えた。
「その隊証なら知っている……戦鳩(いくさばと)という傭兵部隊だ」
 これで、もしかしたら偶蹄の悪魔の怒りも収まるかもしれないと、淡い期待を抱きながら答えた。
『本当か?』
 怒気を交えた声を漏らしながら、アオは相手の首に捻じれた角を当てる。
「本当だ……一度、ある戦の総大将として、その戦鳩という傭兵を雇い、遊撃にあたらせた事がある……だが、その隊はもう、数か月前の戦闘で全滅しているはずの傭兵部隊だぞ……? そんな隊の旗を…… 火事があった場所にそんなものが捨てられているなんて、亡霊でも見たか……いや、本当に火事の現場にそんなものが落ちていたのか?」
 首に突き付けられた殺意に身を竦め、荒い息を付きながら男は尋ねる。
『確かに落ちていた。風で吹き飛ばされたにしては風化していないからな……火事の際に、誰かが置き忘れて行ったもので間違いない』
「そいつらは、ただ放火して帰ったのか……そのわりにはずいぶんと行儀が、良いんじゃないのか? 誰にも見せないならば旗を掲げる意味もないし……むしろ、その旗にたいまつの火が燃え移ったらどうする?」
『何が言いたい? 回りくどい事を言っていないで、さっさと結論を言え……この旗の持ち主は何者なんだ?』
 アオが更に角を強く押し付ける。初老の男は怖気づきながらも数秒で考えをまとめ、口を開く。
「まず、どこかの誰かがお前を嵌めようとしたんじゃないかという事だ。新品の旗だと怪しまれるだろうからと、わざわざ……こんな使いこまれた旗を落として……しかもこの旗、狂争薬の匂いが微かにする……血の匂いに隠されてもうほとんど匂いはしないが……」
『狂争、薬……なんだそれは!?』
「一部の超獣から採取出来る、戦意向上のための秘薬だ。殺意や敵意が極限まで高まって、恐怖や痛みを感じにくくなる代物だ。反面、冷静な判断も出来なくなるし、撤退命令も聞いてもらえない。さらには民間人が相手でも容赦せずに殺してく事から、禁薬とされ恐れられてさえいる代物だ。

 丘の下にある広場から、この宮殿まで聞こえるくらいの叫び声……お前らが相当暴れ回っていた事は手に取るようにわかったよ。それほど怒り狂っていた理由は、放火だけじゃなかったわけだ。
  しかもこれを使用したものは心を惑わす術に弱くなる……催眠術か何かで標的を変えれば、愛国心の塊のようなやつでさえクーデターに加担させる事が出来る……つまり、お前達の怒りは……誰かに作られたものだった可能性が高いんだ」
 初老の男は、そう言ってかぶりを振った。
『それはつまり、結論から言えば……放火したのは、ゼクロム派の者ではないという事か?』
 アオがゴクリとつばを飲み込み、目を泳がせながら尋ねる。
「そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない……それは可能性の一つでしかないが……今となっては、過去視の出来る超獣でもいなければ調べようもない……くっそ、レシラム派の者が森の神まで弄んだとしても調べようもないとは……」
 初老の男が悔しげにそういったところで、アオは目を泳がせる。激しく動揺した彼女に、いつもの威厳は微塵もない。
『なぁ、レンガ……私達は、利用されたのか……?』
 アオの体が震えている。ヒスイもレンガも、動揺しすぎて目の焦点が合っていない。『狂争薬を浴びて冷静な思考が出来なかった』という言い訳がかろうじてあるにせよ、ここまでひどい虐殺をしてしまったのでは流石にまともな気分ではいられない。
『わからん……だが……だが、いや……』
 そういえば、旗を見たときの自分達の怒り方があまりにも異常だった事に、レンガはいまさら気が付いた。
『そうなのかもしれないし……いや、そうなのかもしれない……』
 何も言う事が出来ず、レンガも言動がおかしくなるほどの動揺を見せる。認めたくはない事だが、ただの勘違いであそこまでの虐殺をしてしまったとあれば、制裁という大義名分でまだ正当化出来た地図から消えたあの村の虐殺よりもむごい事をしてしまった事になる。

「そういえば、森は……私達が留守にしている間、森は大丈夫なのか……」
 ヒスイが思い出したように口にする。本当に、今の今まで忘れていたが、それ以上に今この宮殿から抜け出して、いたたまれない気分に浸るのを避けたかった。ミドリのように相手の事を気遣いすぎるような事こそしないが、アオもレンガもいくら敵対する人間とはいえとばっちりでここまでの虐殺をしてしまった事はあまりにも申し訳ない。
 謝っても謝り切れないのは目に見えていて、いたたまれないから謝るよりも先にともかくこの場を去りたい。殺してしまった者の家族に罵られたくない、『家族を返して』なんて言われたくない。冷たくなった死体が凍り付いたまま霜に覆われるのを見たくない。
 三人は、互いが互いを見回す。それでどうやって意志を伝え合ったのか、恐慌に駆られるままに防人達は逃げた。街の外まで逃げて、ムーランドを引き連れて逃げて、途中でムーランドを置き去りにして全速力で森まで逃げ帰った。

帰還報告

「ミカゲ……ロゼ。森のみんなは、平穏に暮らしているようだが……特に変わりはないか?」
「あ、母さん……父さんと兄さんも……。いつの間に戻ってきていたの?」
 すっかり角も立派になり、テラキオン特有の恰幅の良い体つきにも箔がついてきたミカゲは、すっかり兄であるヒスイよりも低くなった声でアオに尋ねる。
「帰ってきたのはついさっきだよ、ミカゲ」
 父親違いの妹であるミカゲにヒスイは笑いかけてみせるが、翳った笑顔には余裕が一切感じられない。ミカゲは母親達に何があったかを知りたいところだが、好奇心よりも労わる気持ちを優先して何も聞かない事にする。
「防人様。火事を起こした人間への報復に向かったと聞いておりましたが、無事なのですか?」
「大丈夫だロゼ……見ての通り、体には傷一つ無いだろ?」
 と、ロゼの言葉に対してレンガは自身の巨躯を見せて無事をアピールする。

「そうですか……防人さん達がいない間、ミカゲさんと一緒に森を見まわっておりましたが、森には幸いなにも起こっていないから安心してくさい」
「ほう、わざわざ街から戻ってきて娘をサポートしてくれたのか?」
「そりゃもう。私は正義の心の始動役のみならず、幻影で人間を惑わすのは得意中の得意。私は防人様の強さとは別次元の強さを持ってますからね……物理的な強さの防人様と搦め手の強さのこの私、ロゼ。合わせて最強です。なにも起こるわけありませんよ」
「その搦め手の中でも最強たる幻影を一瞬で私に見破られたのもお前だがな」
 アオは初めてロゼにあった時、すぐさま骨を折ってやったのを思い起こして笑う。
「あれはアオさんの警戒心がむちゃくちゃ強かったからでしょうに。それに私はあの時よりも成長しておるのです、鼻の悪い人間じゃ、油断していなくとも見破る事なんざ出来ませんよ」
「わかったわかった」
 口の減らないロゼのまくしたてに苦笑して、アオは話を切り上げた。
「ところで、皆疲れているようだですし、なんなら今から私が番をしておきましょうか?」
 アオが話を切り上げると、今度はロゼが話題を上げる。ロゼ自身、アオ達が抜けた状態では何が起こるかもわからず、対応が遅れないように集中して警戒を行っており精神的にも疲れているのだが、肉体的にも精神的にも疲れて居そうな三人を見ていると、疲れたから休みたいとは言えなかった。
 むしろ、自分が率先して働いてやらなければとさえロゼは思う。
「そうだな、ロゼ……お前と私でいつでも動けるようにしよう。他の防人達は私達に任せて、お前らは寝ておけ。私が眠るのはそのあとでいい」
 だからと言って、防人でもないロゼに一人で番をさせるわけにもいかず、アオは率先してロゼの手助けを申し出る。ヒスイとレンガ、男二人は先手を取られて、アオの命令には逆らえないからとその場に腰を下ろす。
「それじゃあ、お言葉に甘えて私達は眠るが……アオもロゼも疲れたらいつでも起こしてくれて構わないからな?」
「大丈夫ですよ。防人のお付きをやってれば体力なんて自然につきますよ。レンガさんもヒスイさんもゆっくり休んでいてくださいよ。もちろん、ミカゲさんも」
 にっこりと笑いかけてロゼは安心しろとアピールをする。
「了解。それじゃあ、母さんには悪いけれど、私も寝らせてもらいます」
「ご苦労様、ミカゲさん」
 ロゼがミカゲをねぎらう声をかけて、三人が目を閉じたのを確認してからアオとロゼの二人はその場を離れる。なんだかんだで腐れ縁のようになったアオとロゼは、しずしずと森の周りを始める。
「ロゼ……火事の事で飛んできたのだろうが……挨拶も出来ずにいきなり森を抜けて、済まなかった。心配かけたな……」
「何を言っているのですか、アオさん。任せられた以上、防人の期待を裏切るような事もしないし、きちんとこの森は平穏無事ですよ。正義の心がある限り、私の悪の波導が、防人をサポートいたします」
 ロゼの言うとおり森は平穏だった。すでにミズキの死体もカイジが連れてきたバルジーナにより片付けられているらしく、なんだかんだで皆火事の後片付けはきちんとやっているようである。あとで掃除屋を呼んでくれたカイジにも感謝せねばなるまい。

「ミソギはどうなった?」
 人間に騙されて、無意味に大虐殺をしてしまったかもしれない。それを話しておかなければならないが、現実逃避したくなるような内容を後回しにしようとアオは別の事を考え、別の事を質問する。そうして、自分が犯してしまった事から目をそむけていたかった。
「彼女は……バルジーナに母親が喰われていく事を見て、泣いていたよ」
「そうか……そうだろうな」
「でも、目をそらしませんでした。泣いた目を(しばた)きながら……必死で今の状況を理解しようとしていてね。死ぬっていう事がどういう事かをきちんと受け止めていました」
 ロゼはため息をつく。
「いっぱいお話もしてあげたましたさ……お母さんには二度と会えない事を説明したし、お母さんは立派に務めを果たして死んだという事も説明しました」
「彼女は何か言っていたか?」
「『みんなのために頑張ったから疲れて眠っちゃったんだよね?』って……聞いてきましたよ。だから俺は、『永い眠りについたんだ』って言っておいた。そしたら、なんというか納得しましてね……吹っ切れたのかどうかは知らないですけれど、ミソギの奴、きちんとバルジーナに対してお礼も言っていたし、賢い子だと思いますよ、あの子は。
 バルジーナに甘えて泣く事もあるし、ミソギや俺の胸で泣く事もあるけれど……みんなの前では泣かないから、気丈なもんですよ。ちゃんと甘えるべき相手、弱みを見せられる相手もわかっているから、将来は本当に良い指揮官に成長するかもしれないですね」
「そっか。ミソギは……賢い子だな」
「うん。ミカゲさんもあの年齢だったら、アオさんが死んだらあんな風に振舞えるかどうか……ケルディオは指揮官のつるぎだって言われているそうだけれど、ああやって冷静に受け止められるところが、そういう資質なのかな?」
「なんだかんだで、種族で性格がある程度傾向があるものだ。ロゼの言うとおり、ミソギは生まれついての指揮官なのかもしれんな」
 そう言ってから、アオは一度ため息をつく。
「そうか、ミソギは……そうか。そばにいてやらなかった事を帰り道で後悔したが、気丈な子でよかった……」
 言いかけた言葉をアオは飲み込んで、別の言葉を言ってしまう。言いたい事はそんな事じゃないのにと、思っているのに口に出来ない。

赦す

「私達が、報復をしに遠征に出ていた時の話だがな……」
 この話をするとき、愚痴をぶちまけてしまいたいと思ったが、決して愚痴は言わないと心に決め、意を決してアオは告白する。
「何があったんだ、アオさん?」
「人間の残した隊証入りの旗を見つけた時、私達は怒りに任せて人間を殺しに双龍まで出かけた……」
「知っております。その時のアオさん達はすごく怖かったってミソギが言っていました……」
「双龍についたら、我を忘れて殺しまくった……たぶん、千や二千は軽く超えていると思う……」
「私達が初めて戦争に参加した時よりもですか?」
「あぁ、殺した。一般人も容赦なく。しかもな……私達はとてつもない勘違いをしていたかもしれないんだ」
 『それは何でしょうか?』と言いたげな視線でロゼはアオを見上げる。
「あの旗は、レシラム派の奴らが用意した自作自演の道具なのかもしれないと……言われたんだ。ゼクロム派の人間に。名前も身分も知らないが、屈強な軍人だったよ……もしかしたら有名な将軍かもしれないな。たくさんの傭兵部隊の旗の紋様を網羅しているらしくて……森に落ちていたあの旗なんだがな。もう誰も使ってないはずの旗だったのだと」
「え? どういう事ですか、アオさん?」
 アオの説明が要領を得ず、ロゼは詳しく話せとつっこみを入れる。
「もう、戦争に負けた時に全滅したはずの傭兵達が使っていた旗が落ちていた……という事らしい。だから、その旗はもう使われていないはず。そのはずなのに、どうして森に落ちていたかなんだけれど……一つは、私達にゼクロム派の仕業だと思わせるため。
 もう一つは、あまりに新品過ぎるとばれるから。もう一つは、もう存在しない、傭兵部隊のそれを使う事で、余計な情報を得させないため……そんなところだと思う」
「それに、まんまと引っかかっちゃったの? 防人達は……ヒスイと、レンガは止めなかったのでしょうか?」
「耳が痛いな……その旗には、怒りの粉とかいうものがたっぷりとついていたらしい。これは、匂いを嗅ぐだけで怒りを刺激する粉でな……冷静な判断が出来なくなるなって、しかも性格も狂暴になるらしい。さらに、催眠術の類にもかかりやすくなるらしく……我らは術に掛けられていた可能性が高い」
「つまり、全員でその効果を存分に浴びてしまったと?」
「そんなところだよ。それで、私達は……誤解でゼクロム派の者達を殺してしまったのかもしれないんだ……双龍の街は、軍も民間人ももはや壊滅状態だよ……」
 アオが涙ぐんでいた。鼻をぐずらせながら、顔の周りの体毛を濡らしている。
「でも、これで森は平和になるんじゃないですかね? 火事になったのは、確かに胸糞悪い事ですが……これで、レシラム派の者が双龍に一気攻勢に出たら、きっとこの辺は戦争とはしばらく無縁になる。
 まぁ、徴兵や食料を税として納める必要性はなくならないでしょうが、この森には関係ない事でしょう? 森の食料危機はすぐそこに迫っていますが、それならいっそ人間達に責任を取らせればいい。
 雪花のような拠点として重要な街は、敵の侵攻に対して籠城出来るように街には巨大な食糧庫があると言います。もう、双龍からの侵攻におびえて籠城する必要もなくなるんです。英雄として崇められているうちに、我が物顔して奪っちゃいましょう。幸い、ミズキさんのおかげで死者を少なく防げたのです。後継者のミソギちゃんも気丈な子ですし、ここから立て直していきましょう。
 未来は子供のためにあるんですから」
 励ますつもりで言ったロゼの言葉。アオは励まそうとしてくれる事自体はありがたいのだけれど、励まされれば励まされるほど辛くてたまらない。
「でも、私はその未来を奪ってしまったんだ……しかも、不本意な方法で。復讐心を正義感と勘違いして村を一つ壊滅させた時よりも、ずっとずっと罪深い。そんな私に、幸福な未来なんて赦されるのか?」
「私が赦しますよ。アオさんはいっぱい頑張って生きて来たんです。幸福になったっていいじゃないですか。それとも、アオさんが不幸になればなるほど被害にあった人は幸福になるのですか? そんな事はないですよね?」
 自分の言葉で悲しんでいる事を忘れられればいい。そう願って、ロゼはアオを励まそうと口を休めない。
「幸せになる権利ってなんなんですかね。罪を償う義務は、言い換えると幸せを捨てる義務なんですかね? アオさんってば、人間みたいに難しい事に悩んじゃってまぁ……貴方を利用した誰かがどこかでほくそ笑んでいるかもしれないのに」
「誰かがほくそ笑んでいるか……それでも、私は自分がした事が申し訳ない気分だよ」
「意味のない殺害は嫌いですか? 殺しには意味がないと嫌ですか?」
 ロゼは問答のように言葉をかけるが、アオの返答を待つ気もなく早口に話を進める。

「だったら、今から意味を持たせればいいじゃないですか。戦争が終わる。それが大きな意味になるように、胸を張って殺した事を誇れるよう、これからに備えればいいじゃないですか。どうしてそう卑屈になるのです? 確かに、無意味に殺したという事実だけを聞けば、貴方の事を軽蔑する人もいるでしょうが、貴方は……もしかしたら戦争を終わらせて森を守る事に繋げたのかもしれませんよ?
 確かに、この前の火事で食料不足は確実。でも、シキジカは3年もあれば世代交代出来ますし、木々もまた五年もたてば回復しますよ。でも、何十年も続きかねない国を二分する対立に終止符を打った事……これは評価されるべきでは? 今はまだ確定していませんが……アオさんがそんな憂鬱な気分になるのならばいっその事、本当に終止符を打ってしまいましょうや。
 開き直ればいいんです……今度は、誰かの策略に嵌められるのではなく、自分の意志で戦争を終わらせるために」
「……考えておくよ」
 ロゼが熱弁を振るう間に止まっていた涙を瞼から絞り出して、アオはそう告げる。
「それよりも、聞かせてくれ……ロゼ。お前はどうして、私をこんなにも気にかけるんだ? お前は、ただ幻影の能力が使えそうだったから……悪タイプの技が使えるから傍に置いているだけで……私にとってはただの部下の一人。カイジとなんら変わらないつもりで接してきたのだぞ?」

ロゼの励まし

「確かに、変わらずに接してきたかもしれませんね……最初は。でも私は、カイジさん達ケンホロウとは違って、超獣使いの一族の手先として働いていた敵だったにもかかわらず、拾ってもらった恩があります。まぁ、それだけじゃアオさんはきっと納得しないので、加えて言うのならば……私がアオさんを利用したかったのかもしれません。アオさんは行動力がありますから……人間との関係を変えられると思ったのです。ご主人は、超獣使いの一族……超獣たる私達を無碍には扱いませんが、大抵の人間達は私達の事なんてどこ吹く風だ」
 ロゼは拳を強く握りしめる代りに、指に長い髪をこれでもかというほどを絡ませて、熱弁を始める。
「いま、人間との関係は悪い方に転がったぞ?」
「この程度で諦めるのですか? まだ、いくらでもやりようはあります。このまま人間に、悪魔だなんだと罵られて終わるか、それとも……英雄として称えられるか。
 それを決定させるのはアオさんですよ。そして、アオさん一人が不幸になるくらいならどうでもいいかもしれませんが……この森も、そして後世の子供達もそれに関わるのです。
 確かに、超獣をこき使うような人間や、超獣の暮しを脅かすような人間は嫌いですわ。でも、そういうやつですら被害者である事もあるんです。それなら……加者者だけを狙ってもらいたいって、私がアオさんに頼んだ事は覚えていますよね?
 兵士なんてのは大半が民衆への加害者ですよ。生産活動は鈍るし、戦争のために山の岩が切り崩されたり木を切り倒されたり、たまったもんじゃない。国を守るために兵士が必要だというのなら、攻めてくる相手国が一番悪い。
 今の戦争だってもとはゼクロム派が引き起こした戦争なんだから、アオさんはただ森が荒らされる原因の一つをブッ飛ばしただけ。アオさんが倒したのはそんな加害者ですよ、罪に思うのは兵士の方で、アオさんじゃない。正当防衛、当然の権利だ。
 そもそも、山を守るという大義名分がありながら、それをアオさん個人の感情で立ち止まってどうするというのですか? 防人なら防人らしく、最後まで責任果たしましょうや……私に、軽蔑されたくはないでしょう? 私は今までアオさんを軽蔑した事なんて一度もないんですから」

 ロゼは熱弁が終わると、ため息をついて深紅の髪をいじる。髪を梳くように指を通すそのさまは髪の手入れをしているようだが、興奮して頭皮がぞわぞわとした感覚を無意識に防ごうとした結果であった。
「ならば、ロゼ。私は何をすればいい? 謝るとか、罪を償うとかそういう事ではなく、具体的に何をすれば防人の責任を果たしたと言えるのだ?」
「それは……検討中ですね。雪花で情報を集めて、それから決めますよ……だから待っていてくださいな。必ずアオさんの道を開いてやりますよ!!」
「どうにもお前は頼もしくないな」
「なら、ご自分で考えてみますか?」
 鬼の首をとったようにロゼはアオに尋ねる。
「そうだな……私はそれ以上に頼もしくない……偉そうな事を言って済まなかったよ」
 ロゼの言葉に反論する言葉もなく、アオはそう言って笑う。
「では、明日には雪花に向かいます。それまでは、ミソギさんのためにも一緒に居てあげてくださいな……母親の代わりになってあげたら、もしかしたら喜ぶかもしれません」
「了解したよ、ロゼ。いい報告を頼むぞ」

 ◇

 ロゼと話しているうちに鬱屈した気持ちも少しずつ晴れていったアオはせわしなく動き回っていた。道しるべを作るためとはいえ、レンガとミカゲが思いっきり木を切り倒して回ったり焼けてしまったりで今は食料がまるで足りない。
 そのため、いつもは食べないような高所にある枝葉を切る事で、何とか補おうとするために奔走しているのだ。メブキジカ達は、木の上に生えた枝葉なんて食べられないから、そういった作業はアオ達がやるしかない。
 木の生長を良くするために人間は剪定などという事をしているが、そうやって枝を切っても一応木は成長を続ける。だから、上手く木を切ってそれを食料として振舞いつつ、来年もまた食料に出来ますように――なんて、人間の真似事というのは少し浅はかかもしれないが、とりあえずアオも今出来る最善の事をするしかないのだ。
 ヒスイもレンガもミカゲもそうして人間の真似事をしており、身軽で木の上にも楽々登れる防人達は大忙しだ。アオはミソギを連れまわし、自分の真似が出来るようにと彼に色々と跳び方のコツを教えている。
 悲しみを紛らわそうと、優しく教えてあげようなどと思っていたアオだけれど、ミソギはアオの思惑以上にがむしゃらに練習に励んでいる。それはまるで、アオに言われるまでもなく悲しみを紛らわそうとしているような。
 だけれど、自分達も食事にしようなんて言って休む時は、さりげなくアオに肩を寄せて甘えてくる。やっぱり、母親のぬくもりが恋しくて、防人の女性であるアオにそれを求めてしまうのだ。そんなミソギをアオは受け入れ、自分の子供と同じように愛してあげる。
 かつて自分達の教育役であったモエギが出来なかった事をしてあげられる事が嬉しくて。こんな自分でも誰かに必要とされるのが嬉しくて、また一つアオの癒しが増えた。
 ロゼの報告が『もう戦わなくてもいい』というものならいいのにと、これからこの幸福がずっと続けばいいのにと、アオは願う。

 そして、その無邪気なアオの願いは、彼女が決して望まない形で叶う事となる。

黒陰

 空がおかしいと思ったのが気付いたきっかけだ。分厚く黒い雲。それは積乱雲のように見えたが、その割には非常に大きく広範囲にわたる、化け物のような大きさに成長する。
 そのまま成長していった雷雲が地表を覆う様は、地平線の先まで夜になったようだ。台風とか、そんな物とは次元が違う天変地異だ。幼いころに見たトルネロスなんて比べ物にならないくらいの災厄が、イッシュに迫ってきている気がする。
 たまらず、レンガやヒスイを集めると、その雲の中枢へ向かって異変の原因を調べるべくアオ達は駆け出した。雪花の森の外、草原を抜けた先にある雪花の街。そこには、数えきれないほどの雷が束になったような膨大な電力が、黒い龍を中心に渦巻き、街を蹂躙していた。
 巨大な龍の体当たりは、城壁を薄氷のごとく崩壊させ、雷を纏ったまま地表を割り砕き、削り取り、そこに生きる生物を無慈悲に消し炭に変える。自分達がどうこう言える立場ではないが、あれは酷い。アオ達防人でさえもあれほどの大虐殺はしていない。
 雷雲が黒い塊となって押し寄せる。その塊からは雨のごとく光の矢が降り注ぐ。焼かれ、潰され、人の命は抗う事も出来ずに死に呑まれて消えていった。その殺戮の暴風の中心には、赤い眼光を携えたゼクロムが、膨大な怒りを湛えていまだ残る獲物を探している。
 殺気に塗れたあの龍から、運よく逃げ延びられるものがどれほどいるものか。
「あの街に……ロゼは? 助けなきゃ!!」
 あまりの光景に我を失っていたアオが、そう呟いて走ろうとするのをレンガが止める。
「よせ、アオ! お前も死ぬ気か!?」
「でも、ロゼが……ロゼが……」
 ロゼが危ないと言おうとして、言っているうちに冷静になったアオは歯を食いしばって地面に根を張ったように足を動かさない。
「レンガ……私達、何も出来ないの……?」
「見ればわかるだろ……もうどうしようもない……スターあたりが助けてくれる事を祈るしかないが……この状況ではスターも……」
 半ば絶望しながらアオ達は燃え上がる街を見ていた。火の手が上がった街からは人間が逃げていく。アオ達偶蹄の英雄の姿に気づき。助けの懇願をする人間の声もあったのだが、アオ達はあんな龍相手に無茶言うなと首を横に振り、ただ茫然と見守る事しか出来なかった。
 悪タイプの超獣の補助がなければ、あの龍に比べてしまうと自分達は非力なものだ。弱いものいじめしか出来ない自分の力に歯噛みしながらアオ達が立ち尽くしていると、前方で突如閃光が走る。視界が一瞬真っ白に染まるが、不思議と目を瞑るような眩しさはなく、何事かと前方を見てみれば、そこには小脇に幼児を抱えたロゼが、正体を晒したままこちらへ向かって歩いてくる。
「皆さんおそろいのようで……」
「ロゼ!! 生きてて……生きてて、良かった……」
 甲高い感嘆の声を上げながらすぐさまロゼの元に駆け寄ったアオ達に、今しがた救助された子供は怯えてしまった。人間には、興奮した巨大な超獣が大急ぎで迫ってくるようにしか見えないのだ。子供に配慮しない防人達に苦笑しながらロゼは言う。
「遅くなりましたが、何とか生き残ってきました……子供を助けてたら遅くなっちゃいましたけれど……」
「よかった……ところで、その子供は……?」
「さあ? 名前も知りませんよ。しがみついてきたから仕方なく……ほっとけなくってね。この後どうやって生きていくのか知りませんけれど」
 肩を竦めてロゼは笑う。そうして、手慣れた様子で聴覚に作用する幻影を用い、『お別れだ』と突き放し、軽く子供の尻を蹴る。痛くはなかったろうが、もう面倒を見るつもりはないという意思は伝わったらしい。縋るような視線を向けても、ロゼはそれに目もくれずに、アオと人間にはわからない言葉で会話しているので諦めるのは早かった。
「あの子……親とはぐれて、このまま浮浪児ですかね。生きられるかどうかも分からないし、下手に助けないほうが幸せだったかも」
「助けないほうが良かった……か。ここまで来ると、その通りかもしれないだけに……なんといってよいのやらな……」
 周りの人間は、まだアオ達の周りに群がっていた。偶蹄の英雄が、あのゼクロムを蹴散らしてくれるのを望んでいるらしい。確かに、ロゼが来てくれた今ならばそれも可能だろう。ゼクロムはまだ散り散りになった人間を殺して回っている。もしもこっちに来るならば迎え打つ事も可能だろう。
「アオさん……どうします? 私の方は準備出来ておりますよ?」
「どちらでもいい。人間を助けてやりたいなら、やってくれ……」
 アオに言われた内容を聞いてロゼは悩む。あの火事については、ロゼとて怒りのやり場もなく、憤懣やるかたない思いでいっぱいである。
 いまさら、人間を助けて何の意味があるのかと。見捨ててしまっても、どうせ何も変わらないだろう。むしろ、人間の数が減ってくれるのならば、そっちの方が喜ばしい事なのかもしれない。
 だが、ここでゼクロムを倒しアオ達がさらに英雄として持て囃されるのならば、それの方が森を守る手段になるのかもしれない。それが必ずしも良い結果につながるとは限らないのが難点ではあるが。
 助けるべきか、見捨てるべきか。助けるという事は、防人達がゼクロムへと立ち向かう事を意味している。そして、助けたところでかつてのミドリのように裏切られる可能性もある。
「アオさん。逃げましょうや」
 結局、ロゼが出した結論はそうなってしまった。

反撃

「なぁ……ロゼよ。我らが死んでしまう事を懸念しているのか?」
 レンガに図星をつかれ、ロゼがびくりと体を震わせる。
「バレておりますね……ですが、レンガさん。私の判断は間違っていると思いますか? あんたら防人が死んでどうするんです? 森を守るのは貴方達でしょう?」
「ロゼ……お前は間違ってはいないさ。だが……私……テラキオンは、もうミカゲという後継ぎがいる。だから私は死んでも問題ないという事になる……後継ぎが必要なのは、もうコバルオンだけだからな……だからロゼ、すまない。私に乗ってくれ……絶対に攻撃を当てないようにするから……乗ったまま私の援護をするんだ」
「レンガさん。人間を助けるのですよ……良いんですか? 貴方達は何度も言っていたじゃないですか……ミドリさんが、人間を助けた恩を仇で返されたと……今回はそうはならなくとも……無駄足になる可能性だって……」
 ヒスイとアオは代わりがいないから、今出撃出来るのはレンガだけ。ロゼもそれは分かっているが、一人だけを死地に送り出すなんて正気の沙汰ではない。
「ロゼ、その通りだ。確かに、このまま仇で返される事もありえない話じゃないし、そもそもゼクロムを相手に勝てる保証はない。だが、我は何も死にに行くわけではない……生きて帰るつもりだし、死んだとしても人間のために戦ったという言い訳程度にはなる。お前も、我らが人間にとっての英雄であれば、人間は我らを尊敬し、森に手を出さないでくれると思っているのだろう?」
「ええ、まぁ……ですが、それも確実ではありませんよ? 何度も言うように、逆になる可能性すらある」
 ロゼは力なく答えるが、そのロゼに話しかけるレンガの目は力強い。
「大丈夫。言い訳程度には活躍して、雪花の人間には危害を加えないようにとアピールするさ……それで、ダメだったら逃げる」
 その力強い笑みに諭されては、ロゼはもう何も言えなかった。
「了解です……意見を変えないのはわかりました、レンガさん。じゃあ、貴方の背中に乗り込んだら攻撃しますので歯を食いしばってください」
「あぁ、やってくれ、ロゼ」
 ロゼがレンガの上に乗り、肩にある橙色の飾り毛をつかみ、股はしっかりとレンガの腹を抱きこむ。
「叔父さん……ご武運を」
 ヒスイがレンガに光の壁を張りだす。
「レンガ、死ぬなよ」
 アオもリフレクターを張り、最後にアオとヒスイの親子でレンガに対して手助けの技を行い、初っ端の一撃を強化してもらうと、走り出した。ロゼは走り出したレンガの背中に、行動に支障をきたさないように満遍なく悪の波導を流し込んでダメージを与える。それを受けるレンガは少々痛いが、体の底から熱い力が沸きあがって来るのを感じ、レンガは次第に負ける気がしなくなった。
 考えられる限りの補助を受けたレンガは、いまだ自分達を見ている人間達に道を開けるよう咆哮で命じ手道を作る。街から逃げる人間を襲い続けるゼクロムへと向かって走り出すと、一歩踏み出すごとに大地が割れるような衝撃と地響きが巻き起こった。攻城塔も投石器(カタパルト)も城壁すらも一撃のもとに粉砕する力を伴い、レンガはゼクロムの元に駆ける。正義の心を限界まで積む事により、膨れ上がり高ぶった気分は悪鬼羅刹すら震え上がる。
 いち早くそれを察知したゼクロムは、あのテラキオンと戦えば、もしかしなくても殺されるとすぐに理解した。それどころか、少し遠くに目をやればもう一つ同程度の威圧感を放つ何者かの姿――アオの気配を感知する。アオは、遠く離れたレンガの姿に自己を重ねて自己暗示をしていたようだ。

 あんな二人と戦うだなんて冗談ではないとばかりに、ゼクロムは尻尾を巻いてその場を逃げ去り、降り注ぐ雨はそのまま放置され、火事だけを鎮静化させて行方をくらませた。
 結局レンガを始めとする防人は、「なんだよ……ゼクロムが帰って行く頃にようやく飛び出しやがって……」とか「助けに来るのが遅すぎるよ……」とか、人間からはこんな評価しか与えられない。
 超獣にとってみれば、たとえ味方であるとわかっていても、精神が強くなければ正面に立つ事すら出来ないほどの威圧感がレンガからは漏れだしていたというのに。何度も防人を間近で見て来たロゼでさえ、跨るレンガには竦み上がっていたというのに、人間達はそれに気付けない。人間を必要以上に怯えさせ、避難の妨げにならないようにと、レンガが湧き上がる殺意を振りまかないようを抑え込んでいたおかげもあるが、それにしたって鈍感な人間には嫌気がさす。
 暗いからゼクロムの表情の変化も読み取れず、レンガとアオを恐れて逃げたゼクロムは『レンガから逃げた』のではなく『飽きて帰って行った』と認識されてしまう。
 そうして、レンガ達防人は、ゼクロムが帰ったころにようやく動き出した間抜けだと。そんな不名誉なそしりを受けてしまう事になる。最悪な結果としか言いようがなかった。

 結局、防人達は何も得られないまま。むしろせっかくの評価すら失って、その場を後にする事となる。
 意気消沈する防人達に何か声をかけてあげたかったが、ロゼは言葉が見つかる事もなく、彼らは無言のまま、失意のままに住処の森へと帰って行った。



Ring ( 2013/07/01(月) 11:19 )