第三話:新たな防人、新たな問題
成熟したつるぎ「はーい、一本!!」
いつものように、角に草の帯を巻いて安全策を施したアオは、ミドリを圧倒していた。
「相も変わらず見事なもんだな……私じゃ相手にもならない」
「ミドリはまだまだ伸びるよ。どんどん強くなっているのを感じるから強くなる、強くなれるって信じなさいな」
モエギが死んでからすでに13年の歳月が流れていた。真ん丸なかわいらしい目を輝かせていたアオも、5歳のころにはすっかりその鳴りを潜めて美しい女性として成熟した。メブキジカの雄達の誰もが振り返るような美貌を持ち、その美しさは5歳以降衰える事もしなければ磨かれる事もなく、時を止めたようにアオはその美しさを保ち続けていた。
もちろん、ミドリもレンガもとっくに時間を止めており、こうして成熟した事で防人としての運命を本格的に歩み始めたという事になる。しかし、5歳を超えてからのアオと言えば、その強さはレンガではどうしようもないくらいにまで成長し、ミドリに至っては自分からアオに触れる事すら難しい有様だ。
ミドリはこの森のメブキジカの誰よりも強いというのに、アオはさらにその上をゆく。続けて戦いを挑んだレンガも、ミドリと比べて善戦はするが結果は同じだ。
レンガは力強く、力任せに岩を砕いては飛び散った礫でけん制し、聖なる剣を構えての突進を見舞うのだが、しかしアオの根性は冴えている。
アオは敵の攻撃をよく見て、かわすのではなくダメージを最小限に抑えて、すれ違いざまに頭突きをしてレンガの後ろ脚をよろけさせる。鋼タイプに弱いレンガは、バランスを崩し、転びそうになりながらもなんとか体勢を立て直す。だが、その間にアオは彼の後ろからつるぎを構えて、止まってしまったレンガに向かってものすごい勢いで突進する。
貫くための姿勢ではなく、あくまで頭突きのためのアイアンヘッドの構えだが無防備な尻にそれを当てられれば、大打撃は避けられない。無論の事後ろ蹴りを放ってアオをけん制するレンガだが、アオはレンガの足よりも高く跳び、前足の蹄でレンガを叩きのめす。
背中から強烈な衝撃に押しつぶされ、レンガは地面に転がる。背中の上を弾むように軽やかに跳んで、柔らかに着地したアオは、さらなる追撃のために気合い玉をチャージする。
それを放つ準備が完了しても、レンガはふらりと立ち上がるのがやっとで、避けられるコンディションではなかった。アオはチャージした気合い玉を上空に放って逃がし、実質の勝利宣伝とする。
「すっかり、私が勝つようになってしまったなレンガ」
アオが笑って、レンガに言う。
「我ももうすっかり負け越しだ……アオ、相手にならなくってすまんな」
「いいのさ。まだレンガと戦っていれば鍛錬になる。鍛錬にならないくらい差が離れるまでは、その言葉はお預けにしておいてくれ」
「はは、その言葉じゃむしろ屈辱的だ。だが、追いつきたくなってくるよ」
アオは驕るでもなく、慰めるでもなく率直に自分の意見を口にする。それが屈辱的だとこれまた率直に返すレンガだが、その悔しさはむしろ原動力となるのが、防人の才能だ。
「ミドリ。今度は我ら2人でやろう。実力は近いもの同士の方がいい」
「構わないけれど、背中やられた怪我……大丈夫なのか、レンガ?」
「まぁ、痛みはするが問題ない。この程度でへこたれて居ては、いざというとき強敵に立ち向かう事も出来ないからな……痛みに耐えるのも訓練の内だ」
「尊敬するよ……君のタフさは真似できない」
レンガの言い分に苦笑しながら、ミドリはアオを押し出す形で戦いの場に1歩踏み出す。
「お、ミドリも頑張れよ。今度は草結びを外さないようにな」
「どうせアオは草結びに引っかかってくれませんよ」
アオの冷やかしを浴びながら、ミドリは首を下げてつるぎを構える。そうして風のように、隕石のように、2つのつるぎは森の中で激しく踊った。
この頃は大した外敵の到来もなく、季節はすっかり冬景色となる。クリムガンは冬眠しスワンナは南へと旅立ち、オタマロは卵のまま春を待つ。
食料も少なくなり、皆がひもじい思いをする厳しい季節だが、この季節は腹の中で子供を育てる大切な時期でもある。お腹を大きくした雌のメブキジカが、腹の中の子供を労わるように残された草を食べ、木の皮を食べた。
秋に雌を軟禁してやつれるくらいに体力を消耗した雄のメブキジカは、大急ぎで太り、冬にその脂肪を徐々に消費していく。
そんな季節にあって、ここ防人達は13年間色恋沙汰には無関心だった防人のアオが、最近胸にもやもやを抱えて1人でいる事が多くなっていた。色恋沙汰に興味がないのは、ひとえに防人と呼ばれている三獣士達の寿命の長さと、その体の強靭さゆえであろう。
そういう生態でもなければ、この世界はコバルオン達三獣士に埋め尽くされてしまうから、それを防ぐために発情期はそう簡単に訪れない。
「なぁ、アオ。最近体の調子、おかしくないか?」
性の知識はそれなりにあるアオではあるが、そんな生態のせいで恋心や発情期を自覚するのはまだ経験がない。自分の中のもやもやに整理がつけられず、ミドリやレンガに体をこすりつけたくなってくる衝動をなんだか悪い事のように思えてならない。
なぜって、さりげなくそういう事をするとミドリもレンガもそそくさと離れるのだ。実際のところ、ミドリ達も同じ気持なのである。そのまま、アオに覆いかぶさってしまいたくなるような、そんなむらむらとした衝動が湧き上がる。
しかし、アオは相手がびっくりするだろうし、嫌がるだろうなと思うとなかなか踏み出せない。長い時間を恋愛とは無縁に生きていた防人達は恋心を恋心と。発情期を発情期と理解するのは、なかなか大変な事なのである。
もしもモエギがまだ生きていたのであれば、そういう性知識に関してもレンガに教えられたのであろうが。色恋沙汰を教える前に死んでしまった事は本当に惜しまれるべき事である。他の者にはなんだか教え辛いのだ。
厳格であるべき?「アオさん、最近はなんだか1人でいる事が多いんじゃないのかい?」
そんな折、空の友達が彼女のもとに舞い降りる。防人に代々つかえているケンホロウのレードである。
「わ、わかるか? 最近、なんだか急にひと肌恋しくなってな……あの2人にすり寄りたいんだが、どうもあっちは嫌がっているようで……」
「……やっぱりアオさんはそんな風に思っていたのか」
やれやれ、仕方がない奴だとレードは笑う。アオ達よりも年下である彼が出来の悪い後輩を見るような眼をしているのは如何なものかと思うが、恋愛に関しては彼の方が大先輩である。
「きっと……いや、確実に発情期が来たんだよ。アオさん、もっとよくお2人さんと話し合ったほうがいいですよ」
「は、はぁ……と、いう事はこれが発情というやつなのか……なんというか、よくわからない感情だな」
「初めての時はみんなそんなものなんですかね……防人って立場柄、はっちゃける事が出来ないのはわかりますが……」
レードは、まるでマスクをかぶったような外見によく似合う怪しげな笑みを浮かべた。
「雄と引き合うのなら、求めるままに積極的になってしまえばいいのです。防人は、女性に合わせて男性達も性の衝動に目覚めると言いますからね。
「しかし、奴らはそそくさと体を離すぞ?」
「アオさんに、おいそれと覆いかぶさる事なんて畏れ多くて誰も出来ませんよ。たとえそれが同じ防人だとしてもです。あなた、ただでさえ強くってお2人さんにすら恐れられているんですから……それに、お2人さんも、自分の衝動が悪い事だと思っているんじゃないですか?」
「うーん……」
メブキジカの情事を思い出しながら、アオはミドリやレンガがしたがっている事を考える。
「私の匂いを嗅いでみたり、そういう事をしたくなってくるわけか……」
「あと、口づけしたり、毛づくろいしたり、おしっこをひっかけようとしたがっているのかもしれませんよ? 今までそういう事をした経験がないから……そういう事をするのに気が引けるのかもしれませんね。というより、拒まれるのが怖いんじゃないですか?
メブキジカみたいに気軽にやればいいじゃないですか」
丁寧語を使ってはいても、レードの口調は軽やかだ。難しい事を考える必要はないさと諭しているつもりなわけで、確かに難しく考えがちなアオ達防人にはそういう言葉こそ必要な物。
「怖いが……やっぱり踏み出したい気持ちはある。発情期か……子供も、欲しいし……」
「じゃあ、踏み出しましょう。同じ内容、ミドリさんやレンガさんにも話してきますんで」
「う……うむ。頼むよ……」
「では、待っていてください。甘い夜をプレゼントして差し上げますので」
いまだに恥ずかしそうにしているアオの返答を聞いて、レードは意気揚揚に飛び出した。行く先は、アオの匂いにやられて発情期全開の防人達の元へ。
「ふぅ……しかし、とんでもない仕事だよなぁ。防人さんに性教育だなんて」
快活で積極的な攻めを好むアオではあるが、恋に関しては奥手なようだ。自分からしたい事を言うのも恥ずかしくってレードに頼らざるを得ないとは、また意外な一面を見たものである。まだ年長者のレンガですら子供の時にモエギが逝ってしまったおかげで、こういう時くらいは厳格である必要もないのだと、誰も教えてあげられなくて。
アオが雄を狂わす匂いを放っている事は、メブキジカの雄達の間では有名で、憧れの存在であるアオを狙いたくもあったメブキジカにとっては、まさしく目の毒もしくは鼻の毒以外の何でもなく、早いところその匂いを止めてくれとばかりにみんながみんなドギマギしていた。
今回の顛末は、耐えかねた雄達が一番彼女ら防人と親しいレードに頼んで、匂いの原因である発情期を治まらせようという狙いがあったのだ。本当は防人達に自分らで気付いてもらった方が気まずさも減るだろうとは思ったのだが、このまま発情期が終わるのを待てる理性はメブキジカにはないし、防人の世代交代は早い方がいい。
そうしてレードが受ける形になったのだが、アオの反応を見てみるとレンガやミドリも同じ要領で大丈夫かもしれない。そう思いながら話せば、レードにとっては案の定過ぎるくらいに案の定、レンガもミドリもアオに手を出すと嫌がられるのではないかと心配していたようである。
少しばかり積極的になって、腹を割って話してきましょうとレードが提案すれば、ミドリとレンガは恥ずかしそうに顔を見合わせながらアオにアタックしてみようという結論に至る。
「さあさ、あとは防人さん達でご自由に」
冷やかさないように、しかし固くならないようにと願いを込めた軽口だが、上空に飛び上がって覗いた彼らの表情、口の動きは明らかに緊張で凝り固まっていて。すぐに何かを始める雰囲気ではないらしい。座ったまま、視線を泳がせるばっかりで防人達はちっとも行動しようとしない。
「で、でも俺の知ったこっちゃね―からな……これ以上は。色恋沙汰にはあんまり突っ込むもんじゃねーし」
もう付き合ってはいられないと、そそくさとレードは巣へと飛び去ってゆく。あとに残されたアオ達は、場が凍り付いていた。
「えーと、その……ね。なんというか、最近ボディタッチが多かった理由なんだけれどね……まぁ、レードが軽く説明してくれたと思うけれど……その、私って発情期になっているらしいんだ……」
「ま、まぁな。知ってる……なぁ、ミドリ?」
「匂いが最近ずっといい匂いだったからね……こっちもドキドキしちゃって……」
ミドリもレンガもアオも、3人で正三角形を作っているのだが、誰も目を合わせようとしない。お互い照れあって、恥ずかしくて、メブキジカのように明け透けに発情期らしい事をやればいいのに、そうは出来ないのは防人として厳格であれとモエギに叩き込まれた教育のせいか。こういうときくらいは別に厳格でなくともいいのだが、それを教えるにはまだレンガは幼すぎた。
そのせいだろうか、厳格ではない、というのが恥ずかしくて仕方がないのである。別に性行為がふしだらというわけではないのだが、あの無防備な様や、女性の間の抜けた顔。いつもはきりりと端正な顔立ちを見せている彼女らがそうなってしまうのもどこか恐ろしい。
でも、メブキジカの子作りの光景を見てみれば気持ちよさそうだなぁとか、子供が欲しいなぁとか、普通の憧れだってある。その憧れだけで突っ走ってしまえればいいのにと、防人達は自身が防人に生まれてしまった事が恨めしい気分になってしまう。
雌をめぐって「あ、あのさぁ……」
突然切り出したアオの言葉に、2人はピクリと大げさな反応を見せる。
「な、なんだ?」
「どうしたよ、アオ」
レンガもミドリも、怯えた子供のような反応で聞き返す。それを笑うでも訝しむでもなく、アオは緊張を保ったままの口調で言葉にする。
「えっと、レードは『メブキジカみたいに気軽にやればいいじゃないですか』って言っていたから……その、さ。私達、気軽にやってみないかなーって思って」
その言葉に、気のない生返事で2人は了承する。そんな反応の後に吐き出された彼女の言葉と言えば。
「だから、メブキジカみたいに、私を取り合ってみない……かなーなんて」
言い放たれて、ミドリとレンガは顔を見合わせた。
「私は思ったわけだけれど……あの、やっぱり強い方の子供を残したいなぁ……なんて」
「と、いうわけだがミドリ……我は構わんぞ」
「え、あ、うむ……レンガの言うように戦って決めるというのなら……わかりやすくていいな、うん」
そういって、2人は立ち上がる。首を振って、滞った血流を円滑にめぐらせ、戦闘状態へと移行するのだが、いつもの組手とはどうにも調子が違ってやりにくい。
「2人とも、固くならないでよ!! 私との事なんて考えるよりも、まずはいつものように目の前の敵を倒す事だけを考えて」
「わかった……アオ」
アオの言葉にレンガは答え、深呼吸をしてから相手を睨みつけて自身の士気を高める。遅れてミドリも気合を入れて相手を睨みつけるが、すでに精神状態を出来上がらせているレンガには一歩見劣りする。
「それじゃあ、はじめ!!」
まず最初に攻めだすのはレンガ。彼は大きく前足を踏み鳴らすと、地面に岩の力が奔って、ミドリの足元から突き出る岩の楔。岩石に動きを制限される前に、ミドリは大きく跳ね上がり、空中からの気合い玉。
すぐさま低空サイドステップで飛び退ったレンガは、止まらず着地の予想地点に岩石封じを敷く。着地に一瞬遅れて発動した岩の楔は、ミドリの細い足を削り取る様にして地面から突き出された。吹き上がる岩の間欠泉に足を傷つけられながらも、ミドリは前に駆け出しせいなるつるぎを構える。
V時の角に闘気を纏わせ、すれ違いざまに切り刻もうとミドリは風になる。レンガは対抗して走る事などせず、頭を下げて真っ向からそのつるぎを迎え撃つ。角と角がぶつかり合う瞬間、角の根元に耐え難い衝撃が走り、角を支える頭蓋、それを支える首、それを支える胴体まで痺れと揺れが駈け抜けた。
当然その衝撃の強さは線の細いミドリの方が相対的に大きい。防御も攻撃も劣る分素早さでかき回せるのがミドリの強みだが、レンガに待ちかまえられては絶対に押し返されてしまう。そもそも相手が待ち構える事が容易に出来る状態で突進を選ぶミドリは、その時点で未熟が浮き彫りだ。正義の心や剣の舞を積んだ状態でもなければ、草結びや気合い玉を合わせて攻めるべきだろう。
首に走った衝撃に顔をしかめて目をそむけているものだから、ミドリは足元から吹きあがる岩の間欠泉に気付けない。波導で作られた、ゴツゴツとした仮初めの岩に足を傷つけられ、あまつさえ転んでしまう。
すぐさまレンガが放つのは岩雪崩。岩雪崩は打ち出す際にすさまじい反動があるために狙いを安定させる事が出来ず、時折とんでもない場所に飛んで不発に終わる事すらあるこの技だが、レンガほどどっしりとした体格、そして相手が転んでおり隙だらけならば話は別だ、
岩の鉄砲水になすすべなく飲まれてゆくミドリは、もがけばもがくほどその深みに嵌っていく。反動に逆らってゆったり近づきながらその距離を縮めていったレンガは、最後にボロボロになったミドリに肉薄して、首を踏みつけ気道を圧迫する。
「勝負あり……だな。」
「く……わかった」
言い訳のしようもなく負けを認めたミドリの首から、レンガはそっと足を離す。
「アオ、勝ったぞ」
振り向きざまに満面の笑み。
「さすがはレンガ。強者の貫録だね」
アオはレンガに対して声をかける事もせず、ハイタッチ代わりに角と角を叩き合わせる。コツン、と乾いた音が鳴って角の付け根にジーンと心地よい感触。
「と……いうわけで……ミドリは、今回はお預けって事でいいかなぁ?」
少々気まずそうな表情でアオは言う。雌に炙れて惨めな立場に立たされたミドリは、アオと目を合わせる事も出来ずに後ろに振り返り、アオの視界から消えるまでは無言のまま歩いてその場を去る。アオの視界から消えてしまった事を確信したあたりでミドリは風のように森の中を駈け抜けた
風切る音があまりにうるさいので、昼に寝る夜行性の超獣達はその時無駄に起こされてしまったという。
防人の秘め事「あらら……行ってしまった……ミドリには悪い事をしてしまったな」
「メブキジカのようにって言ったらこんな感じだし……仕方ないんじゃないかしら、レンガ?」
「んまぁ、確かに……溢れた雄の運命はあんなものだが……」
レンガはとっくにミドリが走り去っていった方向をいまさらながらに見やる。
「まぁ、仕方がないか。アオの発情期が終わればいずれやつの未練もなくなるだろ……」
「そうよね……きっと」
言い終えてからため息を挟む。
「……で、どうしましょうか。私達?」
「そ、そうだな……まずは、うんあれだ……アオを、我の物だと主張できるような証が欲しいかな」
「証……と、いうと?」
「毛づくろいをさせてくれ。我の匂いも存分につくし……その、な」
「えーと……良いわよ。というかむしろお願い」
照れた気持ちが抜けないアオは、その言葉1つ言うにも目を合わせる事が出来ない。注意力も散漫になっている。
その行為を行っている際に、外敵こそいなかったのだが、実のところ不届き物はたくさんいた。多数のメブキジカが畏れ多くも美しいアオの艶姿を目に留めたいと、遠くの方から目を凝らして見つめてアオが乱れる様を多くの者が見届けている。森の木々に紛れているメブキジカは防人でもそう簡単には見つからないのに、防人達は周りからよく見える演習場で情事を行っているのだから間抜けなものであった。
レードは付き合ってはいられないと思いつつも放ってはおけず、エアスラッシュで不遜な輩を撃退もしていたし、自分が悪い事をしているのを自覚しているせいか、エアスラッシュを撃たれたメブキジカはそそくさと退散していくのだが、それでも攻撃が間に合わない程度に雄達はお盛んである。
結局、覗き見をしたメブキジカの数は数え切れず、蚊帳の外のミドリは覗き見をしたものがいる事すら知らずに、1人凍りそうな冷たい川で自殺志願のような沐浴をしていた。
◇
「お腹がおっきくなってきたな……どんな子が生まれるのやら」
少しずつ自分の中に新しい命が育つのを感じて、アオは嬉しそうに朝の目覚めを歓迎する。1日ごとに胎内では育まれるそれが、いつ目を覚ますのか。考えるだけでも心が躍るし、皆の賞賛も待ち遠しい。
その一方で、確かな不安も感じている。レード曰く、防人が子供を設けるときは、本能的に食料の危険を予知した時なのだという。知覚できないほど深い場所で確かに感じる危機感が、『子供を作らなければまずい』と脅しかける。そういえばモエギが死ぬ1年前の冬、アオとミドリが生まれた年も、冬はひどい食料危機であった。
防人はその身軽さで以ってして、メブキジカが食べられないところにあるような木の葉なども食す事が出来るので、食料危機の心配は少ない。しかし、メブキジカが飢えてやせ細る光景は少々目に毒で、思わず目を背けたくなってしまう。あまりネガティブな事を考えていると子供の成長に悪いとレンガやミドリに注意をされるが、目に入ってしまうものはどうしようもなかった。
「お、起きたのかアオ?」
「あぁ、ミドリ。警護ありがとう」
結局、最初こそレンガに嫉妬していたミドリも発情期が収まってからは疎遠になっていたレンガ達ともよそよそしいながら交流を再開し、今ではすっかりアオに付きっきり。レンガと交代でアオを見守っては、食料を運んでせっせと世話に時間をかけている。
食料の少ない冬であっても、メブキジカでは及びもつかない身のこなしで木の上まで登っては、常緑樹や針葉樹の葉っぱを千切ってアオに渡すという生活を繰り返す。もともと反芻する超獣なので、消化し掛けのどろどろのそれらに空気を含ませた状態で口移しするのも楽で、アオは母体を労わりながらもそうやって贅沢なほど食料を食べている。
日差しが少なくなった冬の季節であっても一応光合成は行っており、ミドリ自身はあまり食料を必要としないと言い張り、弱い日差しを浴びながら献身的に食料を運ぶその姿は本当の旦那であるレンガよりも旦那らしいと、超獣からは賞賛を受けている。
メブキジカの方はあまり雄が雌の世話をする意義を感じていないのかミドリに対する反応は冷ややかだが、雌のメブキジカからは色々と憧れられている。本当は、レンガへの嫉妬がこの口移しを思いつくきっかけであったのだが、思わぬ方向に評価されて、ミドリもまんざらではなかった。
自己暗示「なぁ、ミドリ」
口移しを終えて、アオが微笑みながらミドリに話しかける。
「なんだ?」
「いや、な。出産の痛みというのが痛い痛いと……メブキジカに脅されているもんでな」
アオの言葉を受けてミドリは笑う。
「いまさらお前は何を言っているんだ。戦うときは肉を切らせて骨を断つような戦法を好んでいるくせに、いまさら痛みなんて何を怖がる必要がある?」
「……今までの人生で一番痛いと口々に言われるからさ」
自嘲気味にアオは笑う。
「それでな、私は自己暗示という技を覚えてみたんだ。後々戦闘にも役立つだろうと考えて……」
「自己暗示?」
「わかるだろう? 我らは正義の心の特性を持っている……悪タイプの攻撃を受けるごとに無尽蔵に高まっていく攻撃力を、我ら防人3つの剣で共有できるのであれば……効率的というほかない。
それで、特に私は悪タイプの攻撃に対して耐性も高いからな……今の身重の体では、激しく体を動かすような事も出来ない。それでも何か鍛錬できないかと思って覚えてみた技なのだが……どうだ? お前らも自己暗示の技を共有してみないかな?
我ら三位一体、3つの剣を持つ者同士。1人は皆のために、皆は1人のために……コバルオンである私が、皆に率先してその力を示せるようになりたいのだ」
冷たい風が流れ、ざわざわと木の葉が揺れる。
「アオ……私はこの冬の間にお前を越えたかったというのに……多分この先一生お前を越えられないのだろうなぁ」
「寂しい事をいうなミドリ。お前は強くなれるさ。その臆病な性格をどうにかすればな……いや、臆病な性格と上手く付き合えば……かな」
「お前は少し勇敢すぎる。おしとやかになれとは言わんが、もう少し体を大事にしろ……」
微笑みながらかがみこんで、ミドリはアオの横腹に耳を当てる。
「まだ、お前は子供を産む体なんだ。もう少し戦いは私に任せてくれたって……」
「任せられる実力ならね」
そんな事は無理だろうとばかりにアオは笑った。
「耳が痛いな」
「そんな事よりも、自己暗示を覚えたいって事はないの?」
「やってみる。正義の心を共有出来るのはありがたいしな」
「よし来た。じゃあ、まずは落ち着ける場所で、一緒に見つめあう事からだな」
アオの言葉を聞いて、ミドリは『え?』と首を傾げる。
「お前はその技を誰からどんなふうに教わったんだ?」
「清水に映った自分の顔を延々と眺めていたんだ。そうして、川に映る自分の顔を眺めながら、その顔に対する変化を思い浮かべる。まずは顔が溶けて世界と一体化するような感覚からだな」
「……気が遠くなりそうだな」
「じきに慣れる。あとでレンガも誘って一緒に覚えればいい」
そう言って、アオはミドリを風一つ吹かない小さな池に案内をする。波風一つ無く、制止した水面を見つめ、その顔に変化が出ると思い込み、それが幻覚として見えるまでやり続けろと言われたミドリはアオの言うとおりにじっと立ち竦んでいた。
やがて、レンガを連れてきて修行に参加させ、2人に技を覚えられるようにアドバイスを始める。リラックス出来るようにぴったりと寄り添って体を撫でたり、アオが言葉で暗示を誘導したりと。まだまだ想像力に乏しい2人は自己暗示を上手く使うのは難しそうだが心ひとつで体に小さな変化を起こすくらいまでは何とか出来ているといった所。
さすがにまだ心ひとつで体を作り替えるレベルでの変化は起きないが、それも時間の問題である。体を動かさない修行であるために、ミドリとレンガはたまに体を動かして体がなまらないように鍛錬を続けた。
◇
やがて実戦で使えるレベルではないが、使用も出来るようになった頃。アオの腹もすっかり目立つようになり、あと2回ほど月が満ち欠けすればその時には子供も生まれるだろうという段階で、いよいよ彼女は無茶出来ない体となった。
「防人の皆さん、人間です!! でも、奴らの持ち物がその……」
レードがあわてた様子で、修行中の3人の元へ降りた。
「斧を持っているんです!! 弓矢とか短剣とか、そういう道具だけじゃなくって……斧を。それも、1人や2人じゃなくってかなりの量です」
「わかった、すぐに行く」
斧、というのは言うまでもなく対人、対獣用の物ではなく、木を切るための斧を指す。季節は冬、人間のみならず、多くの肉食獣が草食獣を間引きしてくれなければ、多くの餓死者が出る季節であり、そのため人間の来訪も防人が無碍に拒む事はしない。
ただし、斧を持ってきたという事になれば話は別である。木を伐られれば、当然その木に成る木の実やボングリ、木の葉に木の皮と、メブキジカをはじめとする超獣達の食糧がなくなってしまう。
もちろん、この寒い季節。人間は火を起こすために薪が必要だというのはわかっているから、鉈で木の枝を刈ってそれを燃料にするくらいなら許容もしよう。
しかして、斧。レードの口ぶりから推測するに、そして修行している場所から出て、並走しながら確認した話を聞く限りでは、立派に育った木を倒しかねない大きな斧であったという。
人間との関係「それで、人間の目的は?」
アオが雷のように蒼く駈け抜けながら問う
「クラボの木です……どんな木を切られても私達の食糧がなくなるのは死活問題には変わりませんが、あの木の実は森の全員の食糧ですし……人間が30はいるっていう数で大規模に切られるとなると……全く、あの村200人くらいしかいない癖に、こんなところまで来て無茶しやがる。
家畜として飼われているムーランドやバッフロンも大量に連れていますから、15本くらいは切って行くつもりでしょうね……」
「そんなにいるのか……くそ、方向はどっちだ?」
レンガが問いかけると、レードが上空に飛び上がってくちばしで方向を指し示す。その方向に本当に人間がいるかどうかを、木の葉のように身軽な跳躍でミドリが確認し、優れた視力で人間らしき影を見つけ、軽やかに着地する。
やがて、レードは追い風を発動して防人達の走りを助け、アオを置いてレンガとミドリの2人は加速して人間達の元まで駈け抜ける。
ミドリは障害物を華麗に避けながら。レンガは蔦草のような多少の障害物を無視して最短距離を突き進み、風と隕石の2つが人間の元へと向かう。途中まではついてきたアオだが、そこからはただ見守るだけしか出来ないのがもどかしくて臍を噛む。その反面、あの2人ならば大丈夫だろうと安心して遠くからその様子を観察した。
人間が切っている木は確かにクラボの木であった。なんでも、自然の恵みを利用した強力な火砲を作る際にあの木の木屑を発酵させたものを使うと優れた威力を発するとの事で、これで火薬を作って街へ売りに行けばそれなりの金になるという話である。出稼ぎ代わりにそういった商売をするという事は、この街もある程度食糧難に困っているのだろう。
最近になってから、危機感の理由はそこにあったのだと、アオもなんとなく納得していた。しかし、人間が食糧難という事はこちら側、超獣達も食料には困っているのだ。防人はほかの超獣と比べて胃袋も体も丈夫だし、メブキジカでは手の届かない場所の食糧も取れるのだが、メブキジカにはすでに子供の餓死者が何匹も出ている。
だからこそ、食料の取り合いを少しでも減らすために、狩りに来るだけの人間は防人も受け入れていた。しかし、斧やそのほか木を切る道具、木を運ぶ道具を持った大人が大人数でこうまで森を明確に荒らそうと思って訪れれば、とても無視なんて出来ない。
人間が本気になれば防人達でさえもかなうかどうかわからないため、人間を敵に回しすぎず、なおかつ木を切る事を未然に防げるよう、まず最初に2人がするのは威嚇である。
ミドリはまず、人間の周りをびゅんびゅんと音を立てて飛び回る。心得の無いものならば影すらとらえられないような速度を以ってして駆け回るそのさまは、威嚇を通り越して脅迫である。そしてレンガは、木を切ろうとしていた人間の前に止まったかと思うとゆっくり近寄る。
近寄る際に、上空から岩を落としたり、わざわざ音が鳴る様に強く地面を踏み込み、地面を凹ませ変形させる。2人ともに、まずは話し合いというか、互いに傷つけあわないようにという心構えでもっと人間に接する。
一瞥したクラボの木はすでに2本ほど切り倒されてしまったが、この程度ならば大勢に影響はなさそうだ。とっととそれを持ち帰って帰れとばかりにレンガは顎をしゃくりあげる。ミドリは周りに目をやって、どこからか弓矢が飛んでこないか警戒していたが、そんな事もなく人間はそそくさと伐った木をソリで引いて山を下って行った。
◇
「で、その後人間が見張っている途中に一人が崖から落ちてしまったわけだが……どうやら途中の草木に引っかかって何度か勢いが弱まったらしく、雪のおかげもあって一命は取り留めているみたいだな」
人間達を尾行し、様子見を任せられたミドリとレードが帰還した際に報告してきたのはそんな事。
「ずいぶんと間抜けな人間だな?」
アオは興味がないといった風にそっけない反応をして、そんな事よりも修行をしようとでも言いたげだ。
「崖崩れがあったんです。まぁ、気付かないのは間抜けですが、事故なので仕方のない事ですよ。人間の足じゃとても降りられるような崖じゃないので、人間達も救助をあきらめてしまったようで……というか、死んだと思われているようですね。
雪って意外と暖かいですから、防寒具のおかげもあってなかなか死ねないようで……なんというか、不憫なもんですよ」
レードはそう言ってフォローするのだが、彼の態度からも間抜けだなと馬鹿にするような雰囲気がにじみ出ている。そんな雰囲気を出していないミドリは、なぜ少々気まずそうに、言おうか言うまいか何かを迷っている様子。
「どうしたのだ、ミドリ?」
「いや、な……確かに、そいつが望むなら楽にしてやる選択肢もなくはないが……そいつ、崖から落ちたまま骨を折って登れないようなんだ……」
ほう、とアオは言う。
「ふむ、レードも救助をあきらめたと言っていたがとどめを刺すかどうかの相談か?」
レンガが問えば、ミドリは重たそうに口を開く。
「そ、その選択肢もないわけではないが……そいつを人間のもとに返してやるかと思ってな」
「正気かお前? 私は反対だな……一撃で楽にしてやってからミネズミの餌にでもしたらどうだ?」
馬鹿にするを通り越して、呆れたような白い目でアオはミドリを見る。
「いや、な……私も、それが正しいとは思ったんだが……腐突こんなお話を思い出したんだよ。昔の人間は我ら防人を恐れ敬っていたって……この森の防人、私達が代々伝えている事だろう?」
「それが、どうかしたのか?」
レンガの問いに、まあ待てとばかりにミドリは続ける。
「……人間の祭りに紛れて、酒なる飲み物を振舞われた事もあったそうだ。その頃の人間は火薬を用いた武器も使わずにな。上手く我らと共生出来ていたのだ。人間も自然の一部であり、大きな意味では人間もまた我らの味方だった。
人間がこの世界の理から大きく外れてから、奴らは防人も他の超獣も敬わなくなったが……大体、白い肌の移民の奴らのせいだと聞いてる」
「まぁ、間違ってはいない。今の人間は、超獣を『人間が家畜にするために神が生んだ存在』だと思っている。そういう屑のような輩だと聞くからな」
「とんでもない話ですよね。超獣は人間の玩具じゃないんですから」
アオは自嘲気味に言って、諦めと怒りをないまぜにした態度をとり、レードもそれに続いた。
昔のように「だが、思ったんだ。私達が、ここで敵意はないという事を伝えておけば……もう少し我らを神聖視してくれるんじゃないかなと」
「逆に舐められるという事もあるぞ? 神聖視されるという事は、我らは『与える』という意思表示をせねばならない。つまり、奴らに『譲られた』という意識を持たせてはならないのだ……」
アオはそう言って、ミドリの体を見る。
「高潔で、絶対に手を出せないくらい強く美しく気高い存在……人間にそう思わせる事が出来るかどうかだ。親が子供に草を与えるように、慈しむ立場であれるか? 強者が弱者に残り物を与えるように、あくまで施しであるという立場を理解させられるか?」
「まぁまぁまぁ、アオ。そんなにまくしたてるように言うもんでもないぞ?」
「だが、レンガ……本当は、人間を全員逃がす事だって私は反対したかったくらいなのだぞ? 奴らも、1人や2人間引きしたところでそんなに実害もないだろう? 人間は男女がほぼ同じ比率で生まれるわけだし、今回木を切りに来たやつらも全員男だったじゃないか。1人殺しても、強い男の取り分が増えるだけで何の影響もないだろう?」
「むぅ……確かに一理あるが……」
レンガが納得しかけたところで、アオは続ける。
「男が死んだところで繁殖に問題はないんじゃないか? むしろ、間引きした分食料が円滑に分けられるものじゃないのか?」
「まぁ、人間にとっては狩りをするのも男だがな。狩る者がいなくなったらよけい苦労しそうだ」
ミドリはそう言って苦笑した。
「あぁ、そういえば人間の女は狩りをあまりしないのか。軟弱な生物だ」
「だけれどアオ。だからこそ、人間の女は私達の行動に喜ぶんじゃないかな? 人間はあの崖を降りて助ける事も出来ないようだが……私達なら出来る」
ミドリが得意げに言うと、アオとレンガは考える。
「まぁ、大した変化があるようには思えないが、やってみろ。それぐらいの価値はあるかもしれない」
本心をそのまま口にしてアオは諦め気味に言う。
「ミドリは人間が好きだからな」
レンガはため息をついて苦笑する。
「まぁ、しかしそれで人間が考えを改めてくれるというのならば儲けものだ……だが、ドジるなよ」
アオもレンガも、おおむね同意という形で納得する。
「よし、それじゃあ谷に落ちたあいつを助けてくる……凍え死んでいないといいが」
「まだ数時間もたっていなかろう? 体力と質の良い毛皮さえあれば生き残れるが……」
「まぁ、ともかく行って来る」
頼もしい笑顔を作ろうと頑張ったミドリは、妙にひきつった笑顔でさっと駈け抜ける。
そうして、人間が1人落ちていった崖にたどり着いた。人間は折れた足を無造作に伸ばし、折れた腕は胸の上において、毛皮にくるまりながら凍えている。このまま放っておけばいずれ凍え死ぬのを待つだけだろう。
ミドリは、壁のような急斜面を苦にもせずに斜面を滑り降りる。ところどころに生える木や、その根っこを足掛かりに、小気味良さすら覚える軽やかさで。
雲の上でさえ歩けそうな見事な足取りで崖下に降り立つと、まずミドリは人間に対して微笑みかける。
『辛そうだな』
非常に狭い範囲にしか通用しないが、テレパシーで語りかけると人間は驚いて目を見開いた
「喋られるのか……」
カチカチと震える体で人間はこちらを見上げる。その目には、恐怖と安堵が同時に映っている。
『まぁな。言葉が通じないほうが都合のいい事もあるから普段は黙っているが……お前は特別だ……1人くらいにならば話しかけても良かろう』
「は、はぁ……」
もう何を言ってよいのかわからない人間は生返事で返すしかなかった。
『ところで……』
人間をその大きな体で包み込むようにミドリは覆いかぶさる。怪我した足と腕を労わりながら覆いかぶさられると、まるで人間が襲われているような格好だが、ミドリは絶妙な力加減で彼に負担をかけさせないよう体重はかけていない。
『ここで死んで楽になるか? それとも、故郷へ帰りたいか?』
「帰れるのか?」
仰向けの人間はそう言って首を持ち上げる。
『返してやってもいい。これからも森を荒らさないと誓うのならば……』
「それは、私達に森に入るなという事でしょうか……?」
『いや』
と、ミドリは首を振る。
『正直、超獣を狩る事くらいは我らも許容出来るのだ……森の超獣達も冬は食料に困っている。肉食獣が間引きするという事は、それを解消する1つの手段でもあるのだ……だが、木を切られるという事は、その食料を奪われるという事だ。
貴様らが木を必要とするのはわからんでもないが……だが、それならそれで節度を守ってもらわねばな。要するに、人里近くの実のならない木でも伐っていろというわけだ。もしくは、クラボの実は自分達で栽培すればいい』
「……約束、出来そうにないな。私達もクラボの実は使うから。それでも足りなくなるから、森にある物を奪いたくなる……」
『私達も使うのだ。約束出来ないのならばそれでいい。せめてもの情けで、苦しんで凍え死ぬ前に首を掻き切って楽にしてやってもいい。お前のように食料を必要とする者が減れば、出稼ぎ代わりに火薬を作る必要もなくなろう?
別に、お前らに死ねと言っているわけじゃない。お前らが木を育てるときも、枝を選定する事などよくあるはずだ……木を1本丸ごと切り落とすのならば感心しないが、枝葉を落としてそれを道具に加工するくらいならなんら構わん。
クラボの木だって、木材として使うために必要なわけではないのだろう? 木の枝を発酵させて使うのであれば、幹ごと切る必要もないはず。お前らだってそれなりに工夫すれば、何とかなるのではないか? それが出来ぬのならば、お前を助ける意味はない』
ミドリは冷ややかに言い放つ。
恩返し「わかった……何とか話してみる」
助かりたい一心で、人間はそう約束した。
『頼んだぞ? 次は助けないからな……』
言いながら、段々ミドリはアオの言ったとおりだと思い始める。このとるに足らない人間が1人助けられたところで、きっと人間は意見を変えはしないだろうと。
『次からは、威嚇ではなく怪我を覚悟しておけ』
自分のしている事が急に無駄に思えてしまったミドリは、自棄になってわかりやすい脅しをかける。あまり自分達が言葉を交わせる事を知らせたくはなかったが、脅す時くらいは仕方がないと諦めた。
『……では、連れて行くぞ』
ミドリはまず、地面から草を生やす。この冬の季節に不釣り合いな青々とした草が地面から芽吹いたと思うと、それは瞬く間に人間の体を包み込むほどに成長する。折れた骨がこれ以上の痛みに苛まれないように、薄氷を割らない力加減で持ち上げると、ミドリはその草に包まれた人間をそっと背中に乗せる。
その草に常に力を送り続ける事でミドリは彼を背中にしばりつけるように固定し、そのまま走り出した。凍った川を、1頭と1人分の体重で駆け抜けても、それをまるで感じさせない速さと足音の静かさでミドリは崖をジグザグに上る。
そうして、信じられない速度と方法で崖の上に上ったかと思うと、彼は足音を頼りに人間達を追跡し始める。そのまま、徐々に真新しい足音になってきたところで、ミドリは人間が住んでいると思しき集落へと舞い戻る。
人間の足で普通に歩けば2時間はかかるであろうその距離を駈け抜けた時間はわずかなものであった。ミドリの体は走る事で十二分に温まり、草の毛布に包まれた人間は風を切る際の凍える空気を全く苦にしない。
『ついたぞ』
背中に乗っけた男を下したのは、ひときわ大きな家のある村の中心部。傍らにある家は家の様子からして、この村の長となる者の家であろう。
ミドリの風切る音で何事かと家の戸を開けた全員があっけにとられていた。その美しい体の上に、繭のような草に包まれた男の姿。繭のような草がミドリから贈られる力を失って霧散すると、怪我をした男性があらわになる。
ミドリはそれを、担ぎ上げたときと同じ要領で地面から伸ばした草に包みこみ、地面に下した。そうして、下された人間の男性に一瞥すると、ミドリは無言のまま踵を返す。周囲から注がれる、好奇と恐怖と畏敬がごちゃ混ぜになった視線を感じて、なぜだかミドリは人間に対して淡い優越感を抱く。
なんだかんだで崇拝されているんじゃないかと優越感に浸りたくなったミドリは、颯爽と立ち去るつもりのところを、わざわざ優雅にゆったりと歩く。余裕を持った気品のある動きを意識する。
「何をやっているんだ、ミドリは?」
しかし、その様子を見ている2人の態度と言えば冷ややかなものだ。
「馬鹿なのか、あいつ?」
レンガとアオはしっかりとミドリの後をついてきており、優れた視力を以ってして人間には存在をとらえる事すら難しい場所からミドリの様子を眺める。
アオに至っては辛らつな言葉を吐いて、ミドリに呆れを抱きため息をつく。
「あのまま何かボロを出さなければいいが……」
「だな。ミドリの奴、人間に対してこれ見よがしに歩いて何をする気なのやら……家畜として飼われているバッフロンにあいさつするでもなく、首を不自然なほど延ばしてすまし顔……アオ、我らも子供のころは格好つけてあんな仕草もしたが……」
「童心思い出して何やっているのかねぇ。ミドリは」
言葉を吐くごとに侮蔑の色が濃くなるアオの言葉をよそに、ゆっくりと歩いているミドリには、さらに多くの目が集まっていく。その間にも、数時間前に木を伐りに来ていた若衆達がいつの間にか集まって話しており、その輪の中から抜け出した初老の男性がミドリの前に立つ。
「もう去られてしまわれるのですか?」
ミドリはしばらく考えてから小さくうなずく。
「そうですか……では、手短に。私は、この村の長、カザルと申します」
初老の男、カザルは会釈して、ミドリを見上げて厳かに語る。
「この旅はわが村の若衆の1人を助けていただいたようで……しかも、私達が死んだと思っていた者をわざわざ助けてくれたななんて……本当になんとお礼を申し上げてよいのやら」
ミドリはカザルの目を見下ろしたまま、微動だにせずに周囲の動きを警戒する。今のところは殺気も敵意も感じないし、嫌な気配も感じない。
「今まで、貴方達の事を、木を切るのに邪魔だからこの地を去ってほしいと思っていましたが……貴方達はこんな我らでも助けてくださり……
そんな貴方達の優しさも知らずに……何度も何度も森を荒らしてしまい、申し訳ありません」
硬い表情でカザルは語る。
「迷惑でなければ、あなた方との関係もどうにか修復したいと思いますし、何かお礼もしたいのですが……」
(なんだか話がうまいような……私をこの場に足止めして何か企んでいるのか?)
ミドリはアオ達がいる方向を一瞥する。ミドリは味方もいるし大丈夫だろうと判断して顔をカザルに戻す。
「あらら、ミドリに見つかってるな」
「あいつは視野が一番広いからな」
アオとレンガはミドリにばれている事がわかってとっさに身を伏せて苦笑しあった。
人間を助けただけでこうして熱い待遇を受けられるとは予想していなかったミドリは、嬉しい反面どうも話がうまくいきすぎている気がしてならない。最初から感謝してもらう事を望みはしたが、こうまで極端だとは、疑りたくもなるというものだ。
(だが……とりあえず仲間の存在は確認出来た事だし)
ミドリはこくりとうなずいて男を見下ろす。
「ありがとうございます。今は見ての通りの冬なのでにっちもさっちもいきませんが……春先、お礼の準備が出来たら追って使いの者をよこしますので、どうかお待ちください」
さすがにそれはおかしいだろうと、2人に楽天的と言われたミドリですら真っ向から疑ってかかる。しかし、ここは誘いに乗ったふりをして波風立てないほうが無難だと、ミドリは初老の男を一瞥してから村を後にするべく駆けはじめた。
招待「ミドリ、何を話していたのだ?」
しばらく駆け足で山を登っている最中、離れたところから見守っていたアオとレンガが合流して、ミドリに人間と話した内容を尋ねる。
「人間に、お礼をしたいと言われてな。計画通りだが、いまさらになって話がうま過ぎるような気がしたな」
「祭りだと? あんな短時間で祭りを行うなどという事が決まるものなのか?」
「いや、決まっていないよレンガ」
レンガの質問に、早くも酒で気分が悪くなり始めたミドリは
頭を振って答える。
「これから祭りをやるかどうか、村の者と話し合うって言っていたな……なんだかあの老いた男……カザルとかいうやつは村一番のお偉いさんらしいのだけれど、ともかくお礼をしたいと言ってきたというわけ。
春先にやるとか言っていたけれど……人間にとっては忙しい時期にお礼の準備なんてできるものなのか、疑問だよ」
「それってつまり、何か企んでいるのか?」
アオが尋ねると、ミドリはさぁな、と気の無い返事。
「奴らの真意は測りかねるが、どうあれ用心しておくに越した事はない。それなりの備えをして、彼奴らの姦計に備えるしかなかろう。ラムの実は……氷室に保管してあるよな?」
「あぁ、ムーランドに冷凍保存させている。問題ない……それをどこかに隠し持って祭りに参加して……」
ミドリの問いに答えて、アオは祭りに参加する際の準備を語る。
「だが、搦め手に対しては効果もあるが、ラムの実は物理攻撃には効果がないぞ?」
「何、その時は殺せばいい、あっちから手を出したなら、こちらがどんな手段に出たとしても文句は言えないはずだし……」
過激な言葉をさも当然のようにアオは口にする。
「人間の出方によっては
鏖だ。そうでないなら行為に甘えて純粋に祭りを楽しんでやればいい……」
言いながら、アオは自分の腹を見る。膨れ始めてきたアオの腹は、命を宿した女の身体。いずれ乳も張って、子を育てる準備を徐々に進めていく時期である。
「無茶しないでいいようにしてほしいものだな」
「アオ、お前は参加しないほうがいいんじゃないのか?」
そのアオの仕草を見て、レンガは優しくアオに諭す。
「そうしておく」
そんなレンガの気遣いが嬉しくて、アオはレンガに向かってウインクを交えて微笑んだ。
ともかく、祭りに対しては素直に従うという事で3人は同意する。しかし、警戒は絶対に怠る事は無いようにと。春先というのがどの程度春なのかはわからないが、とりあえずアオは出産するまでは参加は控えるようにとレンガからもミドリからもレードからも念を押されて、アオは参加が出来ない方向に話は進んでいった。
そうこうしているうちに月日は過ぎ、飢えた末の凍死によっていくつかの命が失われた冬が終わる。雪解けとともに露わになった地表から生える待ちわびた草と、日々高くなっていく日差しに歓喜しながらメブキジカもシキジカもミドリも光合成と食事を楽しんでいる。
アオとレンガも久々に若草を食む事が出来、その美味しさに舌鼓。シキジカが辛かった冬を乗り越えて久しぶりに口にする草の味をかみしめる様をほほえましく見守りながら森を歩いていると、件の村の使者を名乗る男が、鉈という申し訳程度の武器を持って3人の前に現れた。この山には人間を襲えるほど強い超獣もそう多くはないから、鉈なんて粗末な武器でも大丈夫なのだろう。
ミドリの話を聞いてみれば、この男はミドリに危ないところを助けてもらった男だそうだ。治ったばかりの足を得意げに見せて気さくに話すその若者の様子は好感が持てるが、疑ってかかっているアオ達からすればなんだか嫌な印象ばかりが感じられる。
(人間を信じられないとは、私達も心が醜いのかな……)
アオはそう思いながらもやっぱり人間は信用できないのだ。いろんな宗教を信じる者がいて、それらをそれぞれ尊重しあった時代は終わり、神に対する信仰が感謝ではなくなった人間は信用できない。
神への信仰が感謝ではなくなったとき、信仰は道具となってしまった。権力を語る道具、戦争への大義名分を語る道具に。人間は自然とともにあり、自然の一部であるという自覚を亡くした人間達に毒され、このイッシュの原住民達も防人達への感謝を忘れている。
(だが、ミドリのアイデアが本当に我々防人への感謝をよみがえらせてくれるというのならばそれに越した事はない)
「それで、4日後の満月の日の昼ごろから祭りを行い、ビリジオンのあなたへの感謝の意を示そうと計画しているのです……主賓としてどうかお越しいただけないでしょうか?」
『主賓か……』
どこか不満そうにつぶやきながらミドリはレンガに視線をやる。
「あぁ、もちろんお仲間のお2人さんも読んでくれて構いませんよ。むしろ、来ていただけた方が……こちらとしてもにぎやかで楽しくお酒も飲めると思います。どうですか、そこのコバルオンの……ご婦人様?」
防人は男だけだとでも思っていたのか、大きく張ったアオの腹を見て言葉に詰まりながらも男はアオを女性と認める。人間は超獣の性別を見分ける能力に乏しいという事を思いだしてアオは笑う。笑いながら、アオは首を振って男の要求を断った。見ての通り妊娠中なのだから、と。
「そうですか……すみません、カザルさんが春先に行うと言って聞かなかったものですから」
アオは顎をしゃくりあげて、気にするなとすまし顔をしてみせる。
「わかりました。では、参加するのはそちらのビリジオンの……」
『ミドリだ』
「ミドリさんと、テラキオンの……」
『レンガだ。ちなみにあちらのコバルオンはアオという』
「レンガさんですね。アオさんも、今回はいけないようですが、もし機会がありましたら参加をお待ちしておりますよ」
男は笑っていた。超獣の顔がよくわからない人間とは逆に、防人達には人間の顔がよくわからないが、その笑顔は偽りのようには見えない。とは言っても、人間の表情は超獣にはよくわからないが。
警戒「演技がうまいのか、本当に何も企んでいないのか……」
もっとも疑い深いアオはそう言ってため息をつく。
「警戒はしよう。だが、厚意はきちんと受取ろう。それでいいじゃないか?」
「警戒はするのだぞ、ミドリ?」
言葉通りの警戒が期待できないミドリに対して、レンガは念を押す。
「わかってるって、レンガもアオも……警戒はする、警戒はするから2人でまくし立てないでくれ」
ミドリは肩をすくめて押された念に、念を押し返す。
「だから大丈夫だって信じてくれよ」
な、とばかりに笑うミドリに、レンガは呆れ気味にため息をつく。
「頼んだぞ?」
ミドリはやっぱりまだ信用されていなくて、それが何だか面白くってアオは笑う。この平和な気分がいつまでも続いてくれればいいのにと、アオは祈って満月の日を待った。
◇
「よし、毛づくろいは終わったぞ」
祭りに行かないアオは、2人の体毛を丁寧に繕う。ミドリの美しい毛皮は繕うまでもなく青々となびいていたが、細かい汚れも見逃さないように念入りにやって、ミドリはさらに美しく。
レンガはこびりついた土ぼこりをとり、毛羽立った体毛を滑らかに梳いていく。普段ガサツなアオだが、こうして他人の毛をつくろう際には驚くほど細やかな舌使いでレンガを愛撫している。よどみないアオの唾液が梳いていくと、レンガの体毛は一流の職人が仕上げた漆喰のように鈍い光沢を放つような立派ないでたちへ。
「おぉ……いい男になったじゃないか」
そんな毛づくろいの出来栄えにミドリは感嘆して声を漏らす。
「そうかな? なんだか、自分が自分じゃないみたいで……照れるな」
アオやミドリに比べると曲がらない首を曲げて、レンガは精一杯自分の体を見る。良く見えない自分の身体だが、それでも艶やかとわかるぐらいに手入れされた自分の体は、普段アオと同じくガサツな自分とは思えなかった。
「お前らの視線が痛いな……自分がどうなっているかわからなくてもどかしい。人間のもつ鏡というものが欲しくなるな」
なんとなく発したレンガの言葉に、アオは気分を良くして微笑んで。
「大丈夫だ、格好いいから。これで人間の前に出ても恥ではないぞ」
コツン、と角を叩き合わせてアオは気分よくレンガに気合を入れる。
「ミドリも、その美しさで人間も合わせて魅了してやれよな」
言うなり、アオはミドリと角を叩き合わせて音を鳴らす。
「気を付けて行きなよ。ラムの実の場所はきちんと覚えているか?」
「腋に隠してあるよ」
と言って、これ見よがしに腋を強調する。前足を上げて見せても、豊かな体毛に隠れて、見せ付けても半分くらいしか姿の見せないそれなら、人間が発見するのも難しかろう。位置が位置だけに自分で自分のラムの実を食べるのは困難だが、せっかく2人で行くのだから、と互いのものを食べあう算段だ。
これが人間との共存の道となるのか、それとも人間との決別のきっかけとなるのか。3人にはわからなかったが、前者であればいいなと全員が祈って、1人は居残り、2人は祭りへと向かう。
「……気を付けて行ってね」
最後に2人を見送るときに、アオはそっとつぶやいた。
「心配するな」と、2人は言って、その後ろ姿を見送る。アオはレードとともに、人間の良心を祈る他なかった。
祭りは、まず主賓であるミドリに杯を飲ませる事から始まる。レンガは警戒されている事がばれないようにそれに従い、何の警戒も抱いていないかのようにそのまま食べる。
出される料理のなかには魚や肉もあり、さすがにそれは断るのだが、干されて香りも良くなった草はとてもおいしく、なおかつ自分達しか食べない料理。
毒を入れられるとしたらこれだろうと、腐ったものでも見るような眼でアオはそれを遠くから見る。ミドリとレンガも警戒を共有して、その草を胃袋に叩きこんでからは自身の体内の変化に細心の注意を払っていた。
そうして、感じるのは不穏な気配。
たとえばアオは、自分の身ぐらいは自分で守られるという自信はあるが、それでもプライドを無視した厳重な警戒は怠ってない。基本は臆病で、人間に立ち向かおうなどとは思わないような超獣も、例えば物陰に潜んで人間にはわからない言葉で意志を伝え合うくらいならば合意してくれる超獣も多い。
今回物陰に潜ませたのはバチュルであった。人間が使う武器の中でも最も長い射程距離を誇るクロスボウでさえ避けられるようにと広範囲かつ大量に配置するため、思えば蟲肉食の超獣に対してバチュルを食べないようにとどれほど頭を下げた事か。
それが無駄な事だとは思えなかったのが、アオは残念でならない。感じた物は不穏な気配であった。伝令役のエモンガとアイアントのカップルによれば武器を持った人間が、かなり大回りしてアオの死角から忍び寄っているとの事。
(おそらく、ミドリとレンガもその毒牙にかけるつもりでいるのだろうな……)
そう思いながら、アオは後ろに警戒する。遠すぎて殺気のようなものも薄すぎるのか、元からないのかわからないが感じられない。ただ、奴らが自分に向かって武器を構えたら何を置いても電気技を放って、それから逃げろと頼んである。
小さいバチュルが動き回れば弓矢だろうとクロスボウだろうとそうそう当たるものではないから、少なくともバチュルは無駄に命を散らす事もなかろう。
逆襲 いつ仕掛けてくるだろうかと思いながらミドリ達の様子を探っていると、後方からは電撃音が。あぁ、人間がバチュルに仕掛けられたのだなと思いながら、後ろを振り向き人間を始末しようと思った折、聞いてはいけない音を聞いた。
ドン、という音。めったに聞かないが、母親ギガイアスが自分の子供を守るときに使用する大爆発の音に似ている。ものすごい音だった。レンガはともかく、ミドリは本気で危ないのではないかという予感が頭によぎるがアオは後ろに振り返りたい衝動を振り切って、まずはバチュルの電撃を食らったであろう人間達のとどめを刺しに行く。
前方から2発矢が飛んできたが、アオは身重の体にもかかわらずそれを余裕を持って避ける。すぐに逃げろと言ったにもかかわらず、健気なバチュルはさらに電撃を食らわせており、その忠義に感謝している間に間合いを詰めたアオは、矢がなくなったクロスボウを痺れた体でもてあます敵に頭突きを仕掛ける。
おそらくは肋骨を砕かれ死んだであろうその男には目もくれず、痺れて尻餅をつきながら怯える人間に向かって蹄を振り下ろしての必殺のメタルクロー、立て続けに7人殺して最後の1人は腕の骨を折って、そこを踏みにじりながらテレパシーで語りかける。
『最初から罠に嵌めるつもりだったのか?』
「や、やめてくれ」
『私の質問に答えろ。私に殺されたくなければな』
さらに踏みにじる力を強くしてアオは義眼のように冷たい瞳で人間を見下ろす。
「そ、村長が……邪魔者を排除しようって……」
『そうか』
と言って、アオは足を離す。
『ところで、私は広い心でお前を許すが……すまんな、森の超獣達がお前を許さないかもしれない。しかし、私はお前を守ってもいられないからな……仕方あるまいな? 私に殺されたくなければ、口を割れと頼んだのだからな』
わざとらしく言ってからアオは踵を返して仲間の元に向かう。レンガとミドリは無事なのだろうかと、それだけが心配であった。後ろでは、バチュルがボトボトと木の上から落ち、ヤナッキーやヒヤッキーが群がり、さながら公開処刑の様相を呈す。
助けてくれと叫び声が聞こえたが、気にしない。
踵を返して走り出す際に、あらかじめ待機を頼んでいたバオッキーがチイラの実を持ってアオの前に立つ。
「やってくれ」
と促すと、バオッキーはアオの胸の豊かな体毛に向かって悪の力を込めた木の実を3つ投げつける。正義の心の特性で余すところなくその悪の力を自身の力に変え、チイラの実の力を肌から吸収して瞬発力に変える。
そうして蒼い風と化したアオは、リフレクターを張りながら走り抜け、ミドリですらまっすぐに下りずにジグザグに下りざるをえないような急斜面、壁にすら思えるそこを、正義の心の特性で以って得たすさまじい脚力を生かして直進する。走る最中にも砂嵐を纏い、大きく跳びあがって見下ろしたそこには、人間の子供を口に咥えて人質にとって、息も絶え絶えにミドリを守っているレンガの姿。
「コァァァァァァッ!!」
空中で自身を奮い立てるように声高に甲高い怒りの咆哮を上げ、気合いが最も籠った瞬間にアオは空中で雨あられとストーンエッジを放つ。当たれば御の字と放たれたその刃は、老若男女分け隔てなく体を貫く。無尽蔵に強化された岩の刃は、紙のごとく人間の体を穿ち風穴からは臓物と砕けた骨と鮮血があふれかえる。
叫び声の中で着地したアオは腹の重さをまるで感じさせずに、怯えと激しい砂嵐のせいで伏せている女も子供も男も老人も鋭い蹄で踏みつぶし、角で蹴散らしながら血路を開いて進む。
カザルと名乗った男の前まで神速の勢いで間合いを詰めたかと思えば、深く沈んだアオの頭が起き上がる拍子にカザルの胸を深々と穿つ。カザルと名乗った男の死体は
百舌の
早贄のように突き刺さり、疑いようも無い致命傷。
それを放り捨てたアオは、安全装置を外したクロスボウを構えた敵に向かっていく。砂嵐のせいでまともに目も開けられない敵は、まともに狙いも付けられないまま当てずっぽうに矢を放つ。
しかし、まっすぐに飛んでこない矢の軌道は逆に性質が悪い。砂嵐による視界の悪さも手伝ってアオの肩には、金色の飾り毛の防衛網を貫いて矢が突きたてられた。痛みと衝撃で、アオは横倒しになり、地面を滑って転がって、倒れる。
倒れながらも後出しでメタルバーストしたアオは、自身が負ったダメージを全て敵に跳ね返す。クロスボウを持っていた手が粉々に砕かれながらあげた叫び声を聞き流し、アオはレンガの補助を受けて何とか起き上がる。
痛みで意識が朦朧とし、フラフラになりながらも自分の体に鞭を打って立ち上がると、レードをはじめとするケンホロウの集団が人間の追撃を断ち切るように人間へ攻撃。防人の退路を確保し、防人の後ろを守る。
先ほど腹を強かに打ち付けたアオは、羊水と血液を産道から垂れ流しに、来た道を引き返して山に紛れた。