本編
第二話:失われた防人のつるぎ
防人の務め

 青い草原を擬獣化したような美しい体躯。と言えば、その森に住む者は誰もが連想するほど美しい体をしていた。
 曰く、薔薇の茎のように細い首はよくしなり、鞭のように素早く動いてはVの字に開いた角を剣にして敵をすれ違いざまに切り刻む。
 曰く、肩にある翼のごとき風切りの飾り毛を鳴らし、地面を蹴って進むさまは一陣の風のよう。
 曰く、流れるような毛並みの良い毛皮は、同じ草タイプでありながらいかなるメブキジカの毛皮をもってしても比べ物にならない輝きだと。
 その美しさに比例した強さを体の内に秘め、いつもは決して弱みなど見せない彼であったが、その日ばかりは柘榴石色の瞳が不安に揺れていた。

「モエギおじさん。私はみんなと一緒に避難してくるね……だから負けないでよ」
 徐々に強くなる風におびえ、不安な眼をする者達を代表するように、小さなコバルオンは目を潤ませて訴える。
「我は負けぬ……だから、だからレンガの指示に従えよ。ミドリも」
 精悍な顔を頼もしい笑顔で飾り、モエギという名のビリジオンは風の来る方向をじっと見る。背後からの気配が徐々に遠ざかるのを感じながらごくりと唾を飲んで、すらりと伸びた喉を鳴らす。敵は、飛行タイプ。
 風の化身にして、暴風の化身。すさまじい風と雨を伴い、木々をへし折り大地を荒らす、トルネロスもしくはボルトロスと呼ばれる超獣であった。今のところ、地平線のかなたにいるそれは、そのどちらかはわからない。
 この森にいた先代の防人達は、その襲来の予感をはるか前より感知していたのか立て続けに後継ぎとなる子供を残し、教育役の一人としてモエギを残すと、コバルオンとテラキオンの大人二人はこの地を去った。子供達は、3歳を迎えたテラキオンのレンガと、1歳を迎えて間もないアオとミドリ。今日まで、その子らの教育役をきっちりと全うしてきた彼は、たった一人で強敵を前にして、死を覚悟する。
 自分は、だれよりも飛行タイプの超獣に弱いというのに、自分と同じ伝説とも称される超獣を相手にせねばならないのだ。
 間違いなく自分は負けるであろうが、どうにかこうにか手傷を負わせ退かせることが出来ればいい。

「我も貧乏くじを引いたものだ……」
 つぶやいてから深呼吸をしている間に風が強くなる。木々はなびき、木の葉は舞い、木くずや枯葉が刃物のように毛皮を切り裂かんと向かってくる。強靭でしなやかな毛皮を持ったモエギの前に、この程度の礫は普通ならば大した傷も負わせられない。
 だが、この風はトルネロスかボルトロスか。悪戯気分で土地を荒らす超獣が引き起こす、超広範囲の暴風と呼ばれる技。範囲が広い分威力は乏しいが、それでもモエギの肌を切り裂いて余りある威力が、礫に、木片に、飛沫に込められている。

 相手がそこいらの超獣ならば、ここに悪タイプの超獣を連れてくることも出来たのだが、こうまで激しい暴風雨を引き起こす超獣が相手では、『正義の心』の特性の発動のために待機させるのも簡単なことではない。
 それでも、命を捨ててついてきてくれる者も森にはたくさんいるだろうが、よしんば正義の心を発動させても、溢れ出る覇気に自身の存在を気付かれてしまう可能性がある。敵は素早く、モエギが全速力で追いかけても追いつけるものではない。全力で逃げながら森を荒らされてはたまったものではなく、だからこそ不意打ちで仕留める必要がある。
 勘の鈍い人間ならばともかく、敏感なポケモン相手ではせっかくの隠密作戦も台無しだ。
(こんな時、クガネやゲンブが居ればな……)
 モエギは、防人の掟でこの森を去ってしまった同世代の防人のことを思う。鋼と格闘を併せ持つコバルオンや、岩と格闘のテラキオンならば、こんな暴風なんて物ともしないというのに。
 今回の敵は飛行タイプにすこぶる弱い自分が出るような相手ではなく、まさしく貧乏くじを引いたようなものである。

 彼は背の高い草むらの中で座り、草を盾にして礫を防ぐ。そのまま風の吹く方向を見守り、彼はタイミングを万が一にも逃さないよう、柘榴石色の目を見開きじっと見守る。
 草を薙ぐ風が強くなることで、周りを取り囲む草が倒れてゆく。モエギは自身のひざを折り、身を守るだけでなく草に紛れてじっと息をひそめる。
 そうして、チャンスを待ち続けている間に、それは現れた。敵は、トルネロス。当然だが、こっちへまっすぐに向かってくるわけではない。モエギは敵の視線、飛び方や風向きを、目を凝らして覗きつつ、自身の動きを悟られないよう、なるべく身を草丈と同じにして、彼奴の侵攻ルートの真下に来られるよう自身の位置を移動する。
 草に紛れ、身をひそめてじっとモエギは敵を待つ。トルネロスは地上に近い位置にいて、樹齢十年の木よりも少々高いくらいか。ビリジオンのしなやかな足ならば届かない距離ではないが、普通に角で攻撃するには少々勢いが心配な位置である。
 加えて、草と格闘を併せ持ったモエギにとっては、飛行タイプであるトルネロスの攻撃はすべてが致命傷になりかねない上に、空中をテリトリーとするトルネロスに対して、逐一ジャンプからの攻撃を挑むのは無謀である。勝ち目は本当に薄い。
 唯一勝ち目があるとすれば彼はストーンエッジと呼ばれる遠距離技を使えることであろうか。勝ち目の薄い戦いではあるが、不意打ちのストーンエッジさえ決まれば何とか相手を撃退して生き残ることは出来ると踏んで、彼はじっと息をひそめその時を待つ。

<貧乏くじ/big>

「大丈夫さ……この背の高い草原の中にいれば我の体は見えない。不意打ちを決めてやれば……」
 不安に押しつぶされないよう、ぽつりと口にした独り言を信じて、モエギは敵を睨む。台風を起こしているとはいえ、彼奴の周りが本物の台風と同じように台風の目となっているわけではなく、風に包まれ風を鎧としてあらゆる攻撃を拒絶している。
 タイプ相性の問題もあるが、ついに強靭なビリジオンの肌すら容赦なく切り裂くようになった風の中、モエギは身をひそめたままトルネロスを真上に据える数秒前。当然、ここから先に行かせてしまえば、避難させた防人の子供らや、森の民はどうなるかも分からない。攻撃どころか、目を開けることすらつらいこの状態で、モエギはすくっと立ち上がり、自らを奮い立たせて渾身の一撃を敵に放つ。
 全身から放たれた力は、岩の波導として放出され岩の形をとり、モエギの周りに岩の刃を形成させる。エネルギーだけで作られた仮想の岩は、モエギが念じながら首を振ることで、首の振りの勢いに合わせて慣性を得て、上空へと放たれる。
 目にも止まらない勢いでもって射出されたそれは、この豪風の中でも空気を切り裂き、獲物を見失わずにトルネロスへと飛ぶ。
「当たれ!!」
 思わずつぶやいたその言葉。祈りは届いて当たるのだが、距離も遠く風の中ではうまく狙いも定まらず、敵の肩をかすめただけに終わる。
「くっそ……外したか」
 モエギが毒づきながら光の壁を貼っている間に向こうはこちらに気づく。
「何者だ?」
「こっちが聞きたい!! 娯楽感覚で我らの居住を荒らすのならば帰れ!! 今のは外しておいた……今度は当てるぞ」
 完全に戦闘態勢を取りながらモエギはありったけの怒気とハッタリで威嚇する。相手が自分のタイプ構成を知っているのか、もしくは初見で見切られているのかは分からないが、互いに自分が怪我をしないで相手を葬るのが最も理想だ。先ほどの攻撃はわざと外したふりをして、少しでも自分を強く見せ何とか戦いを回避出来ればと、虚勢を張ってみるのだが――
「そうか。次は、避けるぞ」
 にんまりと、いやらしい笑みを浮かべてそのトルネロスは言った。どうやら、こちらのタイプ構成も(そもそも緑色をしているだけで草タイプと分かりやすいが)、実はさっきの攻撃を当てるつもりで放ったこともすでにばれているらしい。相手がこちらの実力を分かってしまった以上戦うしかないわけだが、状況の不利はいかんともしがたい。
「ほざけ!!」
 と、吠えてモエギは岩の波導を体の周りに形成する。それによって作り出された岩の刃は一度に全部放つことなく、順番に放って右へ左へトルネロスをゆする。しかし相手は軽くかわすばかりで全くこちらの攻撃を苦にする様子もなく、雨が降るという環境の中ですさまじい範囲を誇る暴風と呼ばれる技を発動した。
 とたん、モエギの巨体が浮く。踏ん張ることすら許さないすさまじい風の中、トルネロスは射撃を楽しむようにモエギに向かってエアスラッシュを射出する。半月型に視認出来るほど分厚い空気の刃が、右も左も分からず雨粒にすら皮膚を削られていく最中のモエギの体をかすめては、冷たい血を空中に散らす。
 空中で文字通り浮足立ったモエギは草の波導を大地に投げつけ、地面より伸ばした草の蔓を四肢に絡めてくさび代わりに地面に体を固定する。一回、二回、と四肢を結んでいた草が地面ごと引き抜からながらも、三回目の草結びで何とかモエギは地面に降り立つ。
 暴風で吹き飛ばされることを防ぐと、今度は風で巻き上げられた礫が、木くずが、土くれが水を吸った凶器となって襲い掛かってくる。それらを身を伏せ背の高い草を盾にして避け、草の中に紛れながらモエギはチャンスをうかがう。モエギが強引に地上に降り立った時点でトルネロスは暴風の技を終了しているが、まだ彼奴の周囲を取り巻く、雨乞いと追い風の合わせ技である暴風雨はやんでいない。
 モエギが草をかきわけ動いても、風によってがさつく音と比べれば大した音ではなく、上空から保護色のモエギの姿をとらえることは困難だ。トルネロスはと言えば、草の中に紛れて擬態したモエギを、少しでも怪しいと思った場所へ向かって闇雲にエアスラッシュで狙っている。
 そんなものにみすみす当たるほどモエギは馬鹿ではないし、トルネロスもこれで仕留められるとは思っていない。このエアスラッシュはトルネロスにとっては徐々に地上近くまでにじり寄るためのけん制程度で、当たる軌道で飛んでモエギが飛びのいた瞬間にその居場所があらわになればよいという程度の認識の当てずっぽうだ。
 そして7発目のエアスラッシュで、明らかに草むらが大きく動いた。あそこだ、とトルネロスは認識して、そこからストーンエッジが飛んでこないよう、凝視して地上すれすれまで降りる――が、その時。

 思いもよらぬ方向から打ち出されるストーンエッジに、トルネロスの背中はひどい裂傷を負う。
「な……どこから飛んできやがった」
 トルネロスは驚いて声を上げる。思いもよらない方向からストーンエッジが飛んできたのは、モエギは草結びを用いて、自分とは全く無関係な場所の草を揺らすことで、敵に見当はずれの場所を注視させたためだ。
 そして、モエギはトルネロスが自分から目をそらして地上に降りた瞬間を好機とみて、ストーンエッジを放っていた。モエギにとっては不幸なことに、トルネロスは向かい風に守られストーンエッジの威力は減退しており、何とかそれを耐え抜いたトルネロスは地上すれすれのこの場所で暴風の技を発動する。
 モエギは自身の体を飛ばされまいと、草で四肢を縛って身を伏せてみるが、地上すれすれから吹き上げるように放たれた上昇気流は、周りにある草を地面ごと引っぺがす。次々と襲い掛かる土くれ付きの草は、モエギの体を汚すにとどまらず、目を潰すにとどまらず、飛行の波導を併せ持った刃となって彼の体を切り裂いた。
 光の壁も、風自体の威力や飛ばされた物体が纏う飛行の波導は弱められるが、飛んでくる礫の勢いそのものは和らげないし、泥が目を潰すこともどうにもならない。やがて、完全に目が開けられなくなったモエギの集中が途切れ、光の壁が壊れる。それとともに相対的に増した暴風の威力は、ぬかるんだ地面ではモエギの体を支えることすら出来なくなり、ビリジオンの巨体が宙を舞う。
 しかも、上昇気流は高く高くその巨体を巻き上げ、このままでは落ちるだけでも相当なダメージを受けかけねない、絶望的な自由落下(フリーフォール)。トルネロスが、胸元に構えた腕を死刑宣告のごとく振り、腕を伸ばす。キリキザンが子分のコマタナに命令を下すときにも似たその動作で、まるで風が子分と言わんばかりにモエギの周りに纏う風。
 モエギは風の掌に包まれて、落ちる速度はフリーフォールですらなくなる。重力加速度をはるかに超えた加速度で地面が迫ると、数秒を待たずしてモエギの体は草の上に叩きつけられた。モエギが纏わされた飛行の波導が、地面と自身、両方に流れ込み全身の骨が砕かれんばかりの衝撃を与えた。

敵討ち

 全身とまではいかないものの、左肩の骨は粉々に砕け、肋骨にもひびが入り、モエギはもはや二度と歩けない体となっていた。追い風と雨乞いの効果も切れかけ弱まってきた暴風雨を再び強めることもせず、トルネロスは悠々とモエギに近づいた。
「ちょっくら遊んで帰るつもりだったが……ずいぶんと俺様に手酷い傷を負わせてくれたなぁ、おい?」
「そのちょっくらのせいで、いくつの木々が倒れ食料が減ると思っているんだ? そのせいでどれだけの超獣が死ぬと思っているんだ? 森を荒らすなら容赦――……」
 その先は、トルネロスのエアスラッシュに阻まれ言葉に出来なかった。全く動けない状態でエアスラッシュを食らったモエギは、足が千切れ飛んで前足二本の蹄を失う。
「森を荒らすならなんだ? そうやって、食料が足りずに醜く争うのが面白いんじゃないか……お前達正義ぶった奴らには分からないかなー。美しいものを醜く汚すこの快感……」
 言うなり、トルネロスは唾を吐く。言霊に悪意を存分に乗せた、怒髪天を突くような挑発だ。今すぐにでも殴りかかってやりたいが、敵は警戒しているのか近づいてこない。
「まぁ、いいか。泥で目も見えないわけだし、今のお前で楽しませてもらおうか。喜べ、お前が守ろうとしたものは無事だ」
 モエギにはすでに何も見えていないが、泥をぬぐった先に下卑た笑顔があると思うと我慢出来ない。声のした方向に向かってストーンエッジを放ってみるが、無駄だった。どう避けたのか、惜しくはただ単に外してしまっただけなのか。
 分からないが、ともかくモエギは木の実を焼き尽くす炎で傷口を焼かれて止血された。足が、切り裂かれた痛みと焼かれた痛みで、どうせ生き残っても防人の役目は果たせないわけだし、このまま死んでしまえばいいのにと思うほどの激痛がモエギを苛む。
 そのまま、トルネロスは長い時間、モエギをなぶり殺しにした。死にたいと思っても殺してもらうことすら出来ないまま、長い時間苦痛を与えられ続けて、モエギの時間の感覚はすでにない。ざわざわと、風が草を撫でる音と、自分に危害を与える者の声だけが周囲に響く。それだけのはずだったのに、地面で振動を感じているモエギには一つの奇妙な音を感じ取った。なにか、小さな者が近づいてくる。
 その小さなものはここにある程度近づくと、忍び足となって風の動きに紛れて歩みを進める。

 ザク

 その小さな者が牙を剥いた。
「ぐぁぁぁぁ!!」
 遅れて、トルネロスの声が聞こえた。
「な、なんだ、この餓鬼!!」
 やはり、小さいものと思った誰かは子供であった。モエギはもう目が見えなくて、状況がよく分からない。
「殺す……死ね、消えろ、消滅しろ、許しを請え!」
 その声は、シルトとクガネの子供、アオという名のコバルオン。どんな快晴も敵わないほど鮮やかな蒼い体と黄金色の捻じれた角を血液で染め抜くように放った技は聖なる剣。
 傷口をぐちゃぐちゃに掻き乱し、二度と治らない傷を負わせる捻じれた角による渾身の突きで傷つけられたトルネロスの傷は、おそらく一生跡が残るであろう。
「ふざけっ……くっ」
 いくらタイプ相性がモエギと比べればまともとはいえ、まだ1歳を迎えて間もない子供の身でありながらこんな相手に挑むのは危険極まりない。制止したいが、大声も出せないし、すでにトルネロスから見つかってしまった以上どうにもならない。
 アオは螺旋状に捻じれた角を叩きつけて、アイアンヘッド。肉を抉り取る角の形状で、皮膚をそぎ落とされてトルネロスは怯み、うめく。
 しかし、アオの快進撃もそこまでで、トルネロスはエアスラッシュでアオの体を切り裂きにかかる。アオは不動、反応出来ないのではない。浅くない手傷を負ったところで、アオはメタルバーストを発動する。
 トルネロスが大人の力で思いっきり攻撃した分、それを跳ね返された威力はすさまじく、彼奴は吹っ飛んで地面を転がる。
「こ、この餓鬼……」
「死ね……」
 血まみれのまま、アオは病んだ笑みを浮かべてトルネロスに近寄り、その鋭く研ぎ澄まされた鋼鉄の蹄をトルネロスに振り下ろす。すんでのところで避けたトルネロスは、さらにとんでもないものを見つける。まだ成熟していないようだが自分が苦手とする岩タイプの技を得意とするテラキオンと呼ばれる超獣が。

防人の最期

「まて、アオ!! 危ないから下がれ!! 私に任せるんだ」
 成獣と比べれば幾分か小柄なものの、ふくよかな体系をした偶蹄の獣、レンガ。普段ならトルネロスなどとても勝てる相手ではないが、アオのおかげで彼でも何とかなりそうではあった。
「遅いよ……レンガ」
 モエギが出陣している間の保護者代わりのテラキオンが現れ、安心したのか気力も萎えてアオは前足をガクリと折る。ちらりとモエギを見れば、どれだけ甚振られたのかも分からない姿で横たわっている。
「なんてひどい……」
 と、つぶやきながらレンガは滾らせた殺気をトルネロスに向かって放つ。トルネロスは手をかざし、差し出した手を切り裂かれるが、何とか致命傷を避けると、そのまま脱兎のごとく逃げ出した。アオがモエギの言いつけを無視して飛び出したのは叱るべきことだけれど、今回ばかりは怪我の功名と言わざるを得ない。
「くっ……逃がしたか……と、それよりモエギ父さん!! 大丈夫なの、その怪我!!」
「ダメだ……」
 掠れた声でモエギは口にする。
「ですよね、どう見ても……」
 前足も後ろ足ももぎとられたモエギは、二度と歩くことは出来やしないだろう。もう、死を待つだけの人形となってしまった。
「父さん……とりあえず、アオの傷は深いけれど命に別状はなさそうです……えと、その……森の仲間にもう安全だって伝えてきますから、ミドリが来るまで……何とか生きていてください」
 このままモエギを放っておくことが酷く申し訳ない気がしたが、父の死に目に子供が立ち会えないのは非常にかわいそうだ。出産の最中に死んでしまった見知らぬ雌のメブキジカでさえも看取り、慈しんだ看取り(ミドリ)のことだ。
 名前も付けられないうちから死者を慈しむ気質を持っていた彼が、父親がこんなになっているのにその死に目に立ち会えないとあればどれだけのショックを受けるかも分からない。
「アオ……怪我、痛いだろうけれど、とにかく……父さんを見守っていてくれ!! 私はミドリを……」
 実の父親が酷い有様になっているのをいまさらながらに実感して、レンガの声は震えていた。


 ミドリを連れてくるまでの間、アオは痛みも忘れて怒りに打ち震えていた。今すぐにでも死んでしまいたくなるような苦痛を、教育役のモエギは感じていることだろう。そんな苦痛を。彼奴は笑顔でモエギに与え続けていたのだ。許せない、許せない、あんな奴生かしておいちゃいけない。絶対に殺してやる、それが正義だと、凶暴な正義感がアオの中に目覚めるのにそう時間はかからなった。
 やがて、レンガがミドリを連れてくるとまず最初にミドリが泣き崩れて父親に縋り付いた。
「おい、アオ……お前その傷は大丈夫なのか?」
 レンガはその次に、モエギを見下ろしながら立ち尽くしているアオの傷を見て驚きながら問いかけた。
「痛いよ……でも、痛いけれどモエギおじさんに比べたら……」
 嵐がやんでから、様子を見ようとしに行くのが遅かったせいで、こんなになるまで甚振らせてしまった自分が許せないようで、自分の無力を憎むようにアオは歯を食いしばる。
「分かった、分かったから傷口に力を入れるな……治らなくなるから……私が舐めるからじっとしていろよ? な、アオ?」
「ごめん……レンガ。手間、かけさせちゃって」
「いいから……お前も、育ての親がこんなで……辛いんだもんな」
 言い終えて、レンガはぺろぺろと肉厚でざらついた舌をアオの体に這わせる。子供特有の若々しい香りは、鋼タイプゆえか血の味の鉄臭さにかき消されてる。血に染まった胸を守る白い体毛の裂傷は、肉が見せそうなほど深い傷。無理に動いて傷が開きでもすれば、この先一生の間、走りに支障が出てしまうかもしれない。
「それを言うならレンガ兄さんも辛そうだよ。だ、だって父親がこんな状態なんだし……本当は辛いんじゃない?」
 傷口を舐めている間に、アオはかろうじてレンガを気遣った言葉を口にするが、レンガは力なく笑って首を振る。
「俺のことはいい……今は自分の怪我を治すことを優先しろ……な? おかげで、勝てたけれど……もうこんな無茶はするなよ、アオ? メタルバースト……痛いんだろ?」
「今は痛いけれど、戦っている時は……ムカついててそれどころじゃなった」
「そっか……だからって無茶するな」
 二人がそんな会話をしている最中、ミドリはと言えばずっと父親のモエギに寄り添っていた。徐々に父親に似てきているとはいえ、角もまだ未熟な体を寄り添わせ、酷く甚振られた父親の体を顎や鼻先、舌で撫でる。やがて、台風一過の風のないよどんだ空気の中で、森と草原の超獣に見守られながら、防人のモエギは死んだ。
 それまでの間に、苦痛に耐えかね喋る事も出来なくなったたモエギが『もう我を殺してくれ』とばかりに弱気な視線を向けたのを見て、アオはとどめを刺そうとする。しかしミドリとレンガはそれを全力で止めた。レンガはアオを咎めることこそしなかったが、その一件からアオとミドリ、二人の心は時折すれ違うようになっていった。

決別の旅

 一夜明けて、悲しみに暮れる間もないままレンガはモエギの仕事を引き継ぐことに決まる。子供達の教育、人間達の監視など、とにかく森の超獣達を守るために立派に戦ったモエギの代わりとなれるようにならなければならない。本来ならば、それは彼が5歳になってからの仕事であったが、あいにく今の彼は3歳で、モエギによる教育も十分ではない。
 これからの生活に不安がよぎるが、レンガはそれを押し殺して、今はモエギの死を受けてその事後処理のために隣の山まで旅立つ最中だ。レンガはアオを連れ、山間の獣道を抜けて遠出に赴いている。
 ミドリはいまだに死体を安置した大樹のふもとで項垂れているが、アオとレンガはすでに気分だけでも日常へ戻ろうとしており、そのために掃除屋と呼ばれる超獣の群れへと会いに行く。これからの生活が不安だからこそ、早いところこれまでの生活に決別しなければならない。二人がそう思ったために、決別のための儀式を行う準備だ。

 その道中、アオはモエギにそうしたようにレンガの尻を追いかけて、彼の行動をじっと見ていた。モエギが死ぬ前は、いつもレンガとともに付き従って気になることを質問したり、索敵や人間が来た痕跡を探るなどの方法を教わったりしていたもので、レンガがモエギの代わりを務めるというのであれば、レンガに――と。
 経験の薄いレンガにはアオへ教えられることが大してないせいか、道なき道を歩く間にすぐに話題が尽きてしまう。そのためアオが話題を振るために質問の声がいつもよりうるさい。少しうっとおしいが、質問に答えている間はほんの少し悲しみを忘れられるので、傷心したレンガにはアオの存在がうれしかった。

「ねえ、レンガ兄さん。そういえばさ、最近メブキジカのお兄さん達、やたら喧嘩しているけれどどうしてなの?」
「あぁ、あれは喧嘩っていうよりも力試しとか、組み手とか鍛錬って言ったほうが正しいかな?」
 そういえば、今年も夏の季節が近づいて来たなと思いながら、レンガは笑う。去年のこのころは、アオもミドリも幼かったから、覚えていないのも無理はない。
「組手って……」
「あれで強いと女の子にもてるんだよ。組み手に強いとね。今はその練習みたいなもので、秋になったらもっともっと激しくなるよ」
「兄さんと、モエギおじさんみたいに?」
「……メブキジカの中でも、トップに位置する実力ならあの組み手も激しいだろうね。でも、モエギおじさんより強いってことはないんじゃないかな」
 親の名前を出されて、思わず口ごもったが、強がりを交えてレンガは答えた。
「ねぇ、私達は強くならなきゃいけないんだよね。モエギさんがいなくなったら、私達は誰と組手して鍛えればいいの?」
「お前の両親……俺の母親も、春に旅立って行方知れずだからなぁ……」
 アオ達、防人と呼ばれる者達は、子供の世代に3つの剣が揃うと、親達は末子が1歳になると同時に森を残して旅立ってしまう。
 通常ならばその頃には第一子が、今回の場合で言えばレンガが成獣になっているのだが、今回は運良く矢継ぎ早に子供が生まれてしまったために、レンガが成獣になる前に、コバルオンのクガネとテラキオンのゲンブは一足先に旅立ってしまった。しかし、ほうっておくわけにも行かないため、特例としてレンガが成獣となるまでモエギが教育役として残ったのだ。しかし、そのモエギも先の戦いで殉職。アオ達には教育役がいなくなってしまったわけだ。

「私じゃダメ? 組手の相手」
 うるんだ瞳を向けて、アオはレンガを見上げる。
「ダメだよ。アオはまだ体が出来ていない……私だって、おじさんとの組手は二歳半まで待ったんだ」
「でも、さ……」
 アオは微笑みながら、レンガの岩塊の様な体を角で小突く。
「レンガ……怒らないで聞いてよ? レンガ兄さんってモエギおじさんより弱いじゃん……だから、私とレンガならちょうどおじさんと兄さんくらいの力の差になるんじゃないかなー……って」
「おいおい……お前は突拍子もないことを言うなぁ」
 肩をすくめてレンガは苦笑する。
「そんなに組手がしたいなら、シキジカとでもして来いよ……進化する前から元気にドツキ合っている奴はたくさんいるから」
 今のこの子が相手じゃ同年代のシキジカが勝てる相手ではないが、と心の中で付け加えてレンガは続ける。
「ま、同年代とじゃ実力が違いすぎて気が引けるなら、メブキジカでも相手にすればいい。俺と同い年の連中に勝てるのなら、俺が相手してやる」
 それで手ひどいやられ方でもして諦めてくれればいいなんて、そんな気楽な思いでレンガは言った。
「……うん、分かった」
「でも、傷が治ってからだぞ? それと、聖なる剣は相手が大けがするから使っちゃだめだからな? 角で攻撃するときは、格闘の波導を纏わせちゃだめだからな」
「分かっているよ。でも、約束だからね? 組手をするって」
「ああ、分かってる。それじゃ、つるぎを合わせて約束だ」
 レンガは無理に笑顔を取り繕って、アオの角と自身の角を叩き合わせる。コツン、コツン、と音を鳴らして誓い合った二人は、外面こそ昨日のことなど忘れ去ってるようで、心の中ではモエギの死を必死で受け入れようと悲しみを抑え込んでいる。
 この旅路は、モエギの死を自覚するための旅路だ。

 二人は草原を駈け抜け半日、目的の場所はもうすぐだ。

掃除屋

「この人達が、掃除屋?」
 桃色の肌をさらした黒い鳥。羽毛に守られていない無防備な首をさらしているが、胴体は強固な骨で堅固に固めてあり、並大抵の攻撃では崩せそうにない。
 骨の鎧の分、余計な重量を支えるために、胸筋は非常に逞しい鳩胸。翼も広げれば片翼でさえ身長をゆうに超えそうだ。
「あぁ、バルジーナという種族だ……これから、お世話になるかもしれない方々だから……よく覚えておけ」
「骨を、飾る人達……」
 彼女達の巣の周りには、夥しい数の骨。白く脱色された骨が、風雨にさらされ朽ち果てながら縄張りを誇示している。
 しかし、明らかに縄張りの主ではない者もたくさん勢揃いしているこの光景、どうやら周囲からたくさんのバルジーナが集められているらしい。
「急な頼みを聞いていただきありがとうございます、掃除屋の皆さん……」
 レンガが周りに佇むバルジーナ達を見回し、頭を下げた。

 ◇

 モエギ達のような防人に仕えるケンホロウに周囲の様子を聞いてみると、あちらこちらでボルトロスに森を荒らされ大変なことになっているらしい。こちらに攻めてきたトルネロスとは違って、そちらは防人と争うこともなく悠々と高空から雷を落とし、実のなる木の枝葉を落としていったそうだ。
 アオ達が住む森がそういう被害にあわなかったことを鑑みれば、モエギは立派に森を守ったようである。


 ミドリは、モエギの死体の前から中々離れられなかった。二日たって、死体にハエがたかり始めると、死体の周りでぶんぶんと首を振ってそれを追い払うが。疲れ果ててバテたところを蟲達は容赦なくモエギの体に卵を産み付け始める。
 フラフラになりながらもなんとか蟲を追い払おうとしてみるが、それも無駄だった。モエギの死体を傷つけないように控えめに暴れている子供なんて、たとえ伝説の超獣といえど物言わぬ虫達にとっては恐怖の対象ではないらしい。相手がいくら首を振って追い払おうとしても、我が物顔で死体を貪っている。
 疲れ果てたミドリは、追い払うことをやめ、父親の死体を土に埋めて蟲から守って眠っていた。
 泣きながら暴れ疲れて気絶するように眠っている間に、後ろから聞こえたのは重厚な体躯を持つ超獣が大地を踏み鳴らす音。テラキオンのレンガである。
「兄さん……」
 ゆっくりと起き上がり。泣き腫らした目で、ミドリがレンガを見る。
「ミドリ、お前、ここに安置していた父さんの死体は?」
「う、うん。それは……このままじゃ、羽虫に父さんの死体がみんな食べられちゃうって思ったから、地面に埋めておいたんだ……」
 いまだ父親の死を受け入れられないミドリに対して、レンガは突き放すように首を振る。
「ミドリ、馬鹿なことをするもんじゃない。死は防人であろうとなんだろうと平等に訪れるもんだ……」
 レンガは寂しげにため息をついた。
「と言っても、森のみんなも畏れ多いとか言って誰も死体を片付けようとしていないからね……防人だからって遠慮しすぎだよ」
 馬鹿みたい、とばかりに強がってアオもため息をつく。
「特別扱いされるのは慣れているが、死体まで特別扱いだとな……」
 そう言ってレンガは空を見る。
「だから、わざわざ遠くまで行って呼んできたんだけれど……」
「呼んで、来た?」
 オウム返しに聞き返すミドリに対してレンガは頷く。
「もう見えてるよ、ミドリ」
 後ろをちらりと見てアオは言う。つられてアオの視線の先を見てみると、空の向こうには巨大な黒い鳥がいた。
「あれは……?」
「私もよく知らない。バルジーナって超獣なんだけれどね。掃除屋って呼ばれているんだって」
 肩をすくめてアオは言う。
「彼女らが食べた死体は骨も残らないからね……人間からそう呼ばれているだけなんだけれさ。ともかく、遠くに住んでいる超獣だからね。ここのみんなの体裁を気にせず、父さんを弔ってくれるかなって思ったんだ。ほんとは、この森にすむ超獣達に弔ってもらいたかったんだけれどね……私達の祖父にあたるコバルオンが病気で死んだ時も、外部から超獣を呼んだんだって」
 
「そ、そ……それってつまり、父さんを食べさせるってこと?」
「それがどうかしたのか……? メブキジカだって、死んだら森のレパルダスやムーランドが喰うだろ? 森のやつらは防人だからって妙に遠慮しちゃっているけれどさ」
 ミドリの心情を理解しようとしないアオは、何が問題なんだとばかりに悪気なく尋ねる。
「で、でも……」
 それでも父さんは特別だよ、なんて言いたくてもミドリは言えなかった。

鳥葬

「分かってる。別れるのがつらいんだろ……ミドリ?」
 アオにまくしたてられ答えに困っているミドリに助け舟を出す形でレンガは語りかけ、慰めるように顎でミドリの頭を撫でる。
「人一倍誰かの死に敏感なお前だ……その気持ちは分かる。でもね、死体がなくなったからと言ってそれが父さんと別れるってことじゃないから」
 レンガはミドリに優しく諭す。
「要はお前、うじうじしすぎなんだ。死んだ者は生き返らないんだ、諦めろよ」
 アオがその言葉を口にした瞬間、ミドリは目に涙をいっぱいに溜めて歯を食いしばり始める。
「アオ、そんな言い方はないだろ?」
 さすがにこれは黙っていられないと、アオを小突きながら注意を促すと、アオはバツが悪そうに肩をすくめた。心配になってミドリを見てみれば、小さく縮こまって震えているばかり。
 待っていても、しばらくは立ち直れる様子でもなかった。このままずっと待たせても悪いと思い、レンガはバルジーナのほうを見上げて目で合図する。
「みなさん、誇り高き防人の魂が大地に還れるように……どうか、お願いします」
 そう言ってから、埋められた跡の地面を掘り起こし、すでに蛆の湧いている死体を持ち上げて地面に置く。
「防人であり……何より私の父でもあるこの方を、どうか弔ってやってください」
 レンガが恭しく頭を下げると、バルジーナは困惑した表情を見せる。
「頭を上げてくださいレンガさん。防人は偉大な超獣と聞きましたので、もう少し肩肘を張っているほうが似合いますよ」
「どんな生まれであろうと、人にものを頼むときの態度は変えてはいけませんと教わりましたから」
 バルジーナも、いかに外部の者と言えどレンガ達が相当格調の高い超獣であることは何となく理解しているし、そういったものに対する敬意だって持ち合わせている。
 レンガにとってみれば、死んだ時くらい普通の死体と同じように扱って欲しいというのが望みなので、その敬意はむしろ邪魔なのだが、自分より弱い立場の者にとっては無礼講というのはえてして難しいものである。
「まぁ、いいか」
 そんなことよりも、今はともかく弔ってもらうことが優先事項だと、レンガは頭を上げて軽くうなずく。
「はじめちゃってください。私達は見守っていますから」
 バルジーナは仲間内で互いの顔を窺い合う。
「気張ることはありませんよ。私達が食べていいって言っているのですから……」
 力ない愛想笑いを浮かべてレンガが告げると、やがて一番体格の大きい個体がモエギの死体の前に降り立ち、薄汚れた白い腹にくちばしを突き立てる。
「あ、あぁ……」
 ミドリが声を上げる。
「ミドリ。もうモエギおじさんは痛みを感じないから大丈夫だよ」
 アオがまるで大人のように知った風に諭すが、ミドリはそんなことよりも父親の死体がなくなってしまうことが恐ろしい。
 死体がなくなってしまえば、もう本当に二度と会えなくなるような気がして、それはどうしても耐えられない。
「や、やめて!! やめてよ!!」
 ミドリが走り出して、バルジーナに頭突きをする。しかして、彼の頭突きは難なく見切られ、軽く跳躍したバルジーナの鎧である尖った骨に当たる。被害者のはずのバルジーナは涼しい顔で頭突きを受け止め、逆にミドリが傷を負ってしまった。
「お前は、何を思ってこの者に敬意を払うことも出来ないのか?」
 ミドリが痛みで呻いている間に、体当たりを受け止めたバルジーナは蔑むようにミドリへ訪ねる。
「死者の体を腐らせることがお前の望みか? この美しい毛皮を、病を振りまく穢れた羽虫の苗床にするのがお前の望みか?」
「そうだぞ、ミドリ。喰うことは、弔うだけじゃなく羽虫を増やさないため、悪臭を振りまかないためでもあるんだ……それに、逆に考えてみろよ。お前なら、体を腐らせるくらいなら、最後まで森の仲間を、命を生かすために堂々と体をささげたほうが誇らしいとは思わないのか?」
「それでも、嫌なものは嫌だよ……」
 レンガの言葉に、理屈じゃないんだとミドリは反論する。
「子供だな、お前は」
 必死で声の抑揚を抑えた声でアオが言う。
「お前以外も悲しんでいるんだ。自分だけ悲しいような顔してるんじゃない」
 見れば、アオの目には涙がたまっていて、瞬きもせずにそれを頬に伝わらせている。声一つ上げずに気丈な振る舞いをしているアオだが、悲しみの感情はどうやっても隠せなかった。

 そんな、泣き言一つ言わないアオを見て、ようやくミドリも黙ることに決めた。
 向き直ってみればモエギの死体は、徐々に内臓が食い荒らされ、白い骨があらわになっていく。頭蓋にはめ込まれていた眼球も、木の実のように咥えられて、繋がっていた紐ごと丸呑みにされる。
 ミドリはところどころ目をそらしていたが、レンガとアオは目をそらすことなくじっと見つめ続ける。先に食べ始めていた体の大きな個体はすでに満腹になるまで食べ終え、上質な骨を選んで口の中で磨き、足爪で削り、鎧への加工を始めている者もいる。そんな中、真っ先に頭骨を戦利品とした若いバルジーナは、食事も戦利品の頭蓋骨の加工もそこそこにミドリのもとに歩み寄る。
「なに……?」
 まだ成体の半分も身長のないミドリは、バルジーナに見下ろされて戸惑う。
「この頭蓋骨の持ち主は、貴方の父親だったって聞いたけれど……というか、どう見ても貴方よね」
「うん……」
「お別れはつらいよね……」
 バルジーナは翼でミドリを包み込むように抱きしめる。
「でも、お別れなんて、みんなが体験するものなの。生まれたばかりの自分の子供や、長年連れ添ったつがいとも……それを悲しんじゃいけないとは言わないけれどね、受け入れることも大事よ」
 翼に抱かれながら、ミドリはうんと頷く。
「命は、受け継がれていくものよ。物言わぬ骨だって、こうして私達を守る鎧にもなってくれる。あなたの父親は死んでも、防人としてだれかを守り続けるのよ。だから、一口に『死んだ』って言葉で片付けるものじゃない。死体が残っているから大丈夫なわけでもないし、死体が綺麗さっぱりなくなればお別れってわけでもないのよ」
 たとえ別れというのが大切だということは理解出来ても、草食の超獣にとって知り合いが喰われていく光景を見ることは気分のいいものでないことをバルジーナは理解しているのだろう。父親が喰われる光景を覆い隠すように抱きしめられて、ミドリはそのぬくもりにしがみつくように顔をうずめる。
 先ほど頭突きで返り討ちを食らった額がズキリと痛んだが、柔らかな胸の羽毛に包まれていると、その痛みも徐々に溶けるようであった。
「今はまだ分からないかもしれないけれどね。別れというのは終わりではないの。永久(とこしえ)に想い合うためのきっかけなのよ。そして、想い合うことは……過去に縋り付くことじゃないの。過去を大切にしつつも、未来の糧に出来るようじゃないとね」
 聞こえたのか聞こえていないのか、ミドリは何も答えない。声を押し殺して泣いている間に、ミドリはこれまでの疲れのせいで再び眠りについた。いつの間にかアオもまた、別のバルジーナの胸に顔をうずめて涙を流し、悲しみを全て吐き出す。
 泣き疲れてその場で眠るようなことはしなかったが、誰かの胸に抱かれて泣きじゃくる姿は年相応の反応だ。アオが無理しているんじゃないかと不安視していたレンガにとっては、その涙は無理しないでいい場面をわきまえているだけなのだと、逆に安心させてくれるものだった。

生きるということ


 いつものようにダゲキのおじさんに頼んで、鋭くとがって捻じれた角に草を巻いてもらい、いらない怪我をさせないように注意したうえで、準備運動代わりにシキジカ達と勝負を始めたアオだが、ウォーミングアップにすらなりはしない。
 実際、タイプ相性的にも鋼と格闘を併せ持つアオに、草とノーマルのシキジカが勝てる道理はないが、そんな些末な問題ではない。アオが技を封印して体の各部に波導を纏わせることをやめても、シキジカは自分からは触れることすら出来ず、気持ちの良い秋の快晴の中で葉緑素の恩恵を得た二人がかりでも勝負にならない。
 やはり防人の血を継いで生まれた彼女に勝てる者などそうそうそうおらず、『アオは才能だけで強い』だの、『防人に生まれれば自分だって』と勝手な言葉が多く飛び交っていた。
 しかし、シキジカの悪餓鬼が悪戯気分でミドリに勝負を挑んでみれば、彼は無様に逃げ回っては後ろから小突かれるありさまだから、アオの強さは伝説の超獣に生まれたが故の才能が全てでもないだろう。

 自分よりもはるかに強いはずのトルネロスの攻撃すら真っ向から受け止める度胸。モエギが教える、超獣を守るための様々な術をすぐに吸収する熱心さ。それを支えているのはいつだってアオ自身の努力の積み重ねであった。
 空を飛ぶ鳥と競争してみたり、『この森ならば目を瞑っても歩ける』なんてモエギの言葉を真に受けて、本当に目を瞑ったまま一日中生活したり。子供の遊びと一笑に付されるようなバカげた行為でさえ、彼女はいつだって真剣に取り組んでいる。
 その結果は、メブキジカに進化している者がほとんどである、アオの一個上の世代を下す程度の実力である。相手はまだメブキジカの体を持て余している者もいるが、大半はもうそつなく大きくなった体を制御しているというのに、アオははるかに大きな体躯を持ったそれらを相手に奮闘するのだ。
 その一個上の世代の中でもひときわ大きな大将格には体格差で不覚を取っているものの、やはりアオの戦闘センスは並ではなかった。
 何しろ――
「アオは聖なる剣どころかメタルクローすら使っていないのな……負けるはずだよ」
 何を遠慮しているのか、アオは自身のタイプ相性をとても気にしているらしい。格闘タイプの技はメブキジカにとって効果抜群で、メブキジカが得意とする草やノーマルの技はアオにとっては効果が今一つ。
 そこに引け目を感じて、アオはメブキジカが相手だとどうにも本気を出し切れていないし、出そうともしない。組手ぐらい行ってやるのもいいかもしれないが、まだ2歳年上のメブキジカを倒していないというのに組手を行うのも面白くはなかった。
「なら、別の超獣に相手をさせればいいかな。ちょうど出かける用もあることだし」
 レンガは組手に興じているアオを呼び出し、草原に誘った。


「なあ、アオ。お前、メブキジカ相手だと本気出せないのか?」
「う……そ、それは……まぁ……」
 森を出て、湿原を越え、その先にあるアリ塚の岩場まで遠出している最中、レンガの質問に痛いところを突かれてアオは言葉を詰まらせる。
「何、問題ないさ。相性の有利不利を気にしているんだろ?」
「うん……卑怯だって言われちゃって、勝ってもいい気分しないんだよね……」
「そっか……そうだよなぁ」
 一人納得して、レンガは微笑む。
「今日、人間の集落への見回りついでに通る草原に行けばゼブライカがいる。相性を気にせず思いっきり戦える相手だ。私は人間のほうを見てくるから、お前はそいつらで力を試してみろ」
「そっか、電気タイプなら鋼も格闘も気兼ねなく使えるな……いいな、それやってみよう」
「おう、やっぱり全力で戦うことにきちんと慣れておかないとな。防人の道はまだまだ遠いぞぉ!!」
 久々に本気を出せるということで、俄然やる気を出したアオを囃し立てるようにレンガは言った。しかし、盛り上げたと思った会話は案外続くことなく、そこで冷めた空気を伴って途切れる。

「なぁ、レンガ」
「なんだ、アオ?」
「なんとなく思ったんだけれどさ……私達ってどうして生きているんだろう?」
 お互いが会話出来る程度の速さで走っている最中、突拍子もなくそんな質問をされて、レンガは答えに詰まる。
「どうしてというのは……」
「生き物なんて、存在する意味があるのかってたまに思うんだ……」
「ふむ……私は、生きていると楽しいからな。子供が生まれたとか、仲のいい男連中から聞くと結構嬉しいものだぞ……」
「確かに、そういうのはあるよね……でも……」
「でも、『悲しいこともある』か?」
 目を伏せながら言おうとしたことをあらかじめレンガに言われて、アオは驚いて顔を上げた。
「なんで私の言いたいことが分かったの?」
「なぁに、分かるさ。私も同じ気持ちだからな。モエギ父さん……父親が死んで悲しくないわけもなかろうに。うん、でもそれ以上に嬉しいことも楽しいこともあったから。だから、これからもあるだろうって信じて、生きるのさ。
 生きる意味、生きていく目的なんてそれで十分さ……防人に生まれたからって気負うことはない。アオは、みんなの笑顔が見たいんだろ?」
「うん……みんながみんな、笑っているほうが嬉しい」
「でも、人生は得てして上手くいかないものだ。私みたいに人生経験の薄いものでもそれはよく分かる。友達が喰われたり、死産をしたり……そんなことがあるたびに胸が張り裂けそうな気持になる。そして、父さん達はそれを私達の何倍も経験して、それでも生きようと思っていたし、そのためにあの森を守ろうとしてくれたんだ」
「うん……」
 レンガが語る言葉に、ただアオは頷く。

生きた意味と死んだ意味

「もちろん、防人として生まれたが故の責任感もあったのかもしれない……自分が守らなければいけないからって、そのために負けると分かったうえで挑んだのかもしれない。アオも、別れる前に『負けないよね?』って聞いたけれど、本当は負けること……大体分かっていたんだろ?」
「うん……モエギおじさんは飛行タイプにはすごく弱いから……」
「それでも、守りたくなるくらい、この森が守りたいと思える場所だったんだ」
 すごいだろ? とでも言いたげにモエギは笑う。
「この森に生まれて幸せだったと、伝えたんだよ。モエギ父さんは……私も、そうありたいものさ。幸せだから、生きようと思えるんだってさ」
「うん……そうだね」
 アオは頷いて、また涙を流した。平気なふりをしているけれど、まだまだ育ての親の死によって出来た傷は深い。
「じゃあさ、思ったんだけれど……なんで、レンガ兄さんはあの時私を止めたの?」
「あの時って?」
「モエギおじさんが、『もう殺してくれ』って言ったとき……生きる意味ってなんなの? あの時、もうおじさんは何も出来なかった、何も喋る気力すらなかった……殺しておいたほうが、おじさんのためだったじゃない?」
 アオは悪気のない言葉で疑問を口にする。
「なんでだろうね……弱気になっちゃいけないって、父さんに言ってやりたかったのかもしれないけれど……今思えば、アオの言うとおりだったのかもしれない」
「私も、実は分からない。今になって冷静になってみると、モエギおじさんはそれでよくっても、ミドリが可哀想だったかもって……でも、それが分からないおじさんでもないと思うの。じゃあ、ミドリが可哀想って気持ちよりも、痛いから楽になりたいって思いを優先させるっていうのは……どんなにか痛かったんだろう?
 生きる意味があるから生きろだなんて言って、無理にその痛みを強要してしまったんじゃないかな?」
 アオの言葉にレンガは頷く。
「難しい問題だね……そう言われると、止めたこっちとしてはぐぅの音も出ないよ」
「ミドリは、まだ私と話すときによそよそしいの……私がやろうとしたことは間違っているのかな?」
 答えを求めるアオに対し、レンガは微笑む。
「アオ、その疑問に関しては正直分からない……けれど、人には人の数だけ正義というものがある。その正義がすれ違うのであれば、じっくり話してみればいいさ。アオが親切心でやろうとしたことなら、ミドリもいつか分かってくれると思う。
 落ち着いたらでいい、3人そろって話そう。私も一緒に考えるからさ」
「分かった。頼むよ、レンガ……」
「あぁ、こちらからも頼むよ。その時は有益な話をしよう」
 さわやかな笑みを浮かべて、レンガは前へと向き直る。そのまま、湿原に足を踏み入れると、妹分のアオが沼に足を取られて転ばないよう、レンガは駆け足をやめて歩きに切り替えた。


「なあ。アオが、人はなぜ生きるのかについて考えてみたところで……」
 歩きながら一度互いの角を叩き合わせて、レンガは思わせぶりに言う。頭上に疑問符を掲げるように首を傾げる。
「どうして人は死ぬんだろうか、考えてみたことはあるか?」
「私は……ない、かなぁ……」
 だろうな、と微笑んでからレンガは続ける。
「結論から言うとな、死ぬこと自体に正直なところ意味はないと思っている……死ぬことも命の一部。息をするのとなんら変わらずに、死は一度だけやってくるのだ」
 何か口を挟んでくるかと思ったレンガだが、アオは存外におとなしく聞いていた。
「最後まで私の話を聞こうというわけか……感心だな。死ぬこと自体に意味がないっていうのはな、起ちあがること、息をすること、それ自体に意味がないのと同じだ。
 死んだ結果、何を残したのか、どんな影響が出たのか? そんなところまで考えて、ようやく意味があったのだと考えている」
「じゃあ、モエギおじさんが死んだことで、どんなことがあったのかな……」
「お前とこういう会話が出来た。それだけでも、意味があるし、掃除屋のみんなの鎧となった。そして、さっきの話にあったように、この森は命がけで守るに値する場所だってみんなに教えてくれたんだ……」
「それが、死んだ意味なのかな?」
「考えてみればいいさ。そして、死ぬことに意味なんてなかったと思うのならば、思い出せばいいさ。死んだことに意味がないのなら、生きていたころに意味を見出せばいいしな」
「結局、それじゃあ生きていたほうが……良いってことじゃない」
「かもな。でもそれを言ってしまうと身も蓋もない」
 レンガは苦笑する。
「どちらにせよ、死んだことに何も意味を付属出来なければ、父さんも報われない。私は、防人の役目を一足早く受け継ぐことになった……そうやって、何かを受け継ぎ、譲り渡す。それも、死ぬことの意味の一つだ……
 縄張りでもいい、雌でもいい、食料でもいい、群れのリーダーの役目でもいい、そして私達が受け継いだのは防人の役目だったんだ。それを譲ってもらった以上は……その誇りも、その責任も、全部背負わなければいけない」
「そっか……私達、大切な役目を譲ってもらったんだよね……」
「そう、それがどういうことなのかについては……これからゆっくりと考えよう。すぐには結論は出ないだろうけれどな」
「やることは一杯だね……大変そう」

「だな。けれど、これからやらなければいけないことで、何をすればいいか分からないなら……ともかく出来ることから始めてみればいい。アオなら出来るはずだよ」
「なら、私強くなる!! 自分が死んだおかげでアオは強くなったんだって……モエギおじさんが誇りに思えるように」
「そりゃいい考えだ……私も頑張らないとな」
 そして、ミドリにもいつか――と、レンガが考えたところで、
「モエギさんの分も、一緒にミドリにも強くなってもらわなきゃ」
 アオに先に言われてしまって、レンガは微笑む。
「あぁ、そうだな」
 レンガは前方を見る。湿原を抜けると地平線のちょうど境目あたりにゼブライカの群れがいた。
「じゃあ、元気な姿を率先して見せられるように。今日はあいつらと思いっきり戦ってこい。きっと得られるものはあるはずだ」
「しっかり見ててよね、レンガ」
「分かっているって」
 駆け足程度だった二人の足取りは、滑るように軽快な足取りとなって、ゼブライカの群れを目指す。まだまだ燻る悲しみを断ち切るように明るくふるまう二人は、新たな生活へ向けて確実に歩み続ける。






Ring ( 2013/06/30(日) 22:32 )