奮闘その六:気を取りなおそう!!
15
「杭奈、修行始めるぞー」
結局泣き疲れて眠るという赤ん坊のような醜態を晒していた杭奈は惰眠を貪っている。
「くいなー……起きないな」
死んだように起きない杭奈を可哀想とは思いつつも、早く立ち直らせてやろうという親心で、ジョンは少々おせっかいなくらいに世話を焼くことに決めていた。
の、だが……ここまで無気力に惰眠を貪られていては埒があかない。
意地悪だとは思いながらも、ジョンは腕から垂れ下がる体毛に水を吸わせて、杭奈の目の近くにポタポタと垂らす。
めんどくさそうに目を開けた杭奈に向かって、ジョンは朗らかに言ってみせる。
「おはよう、杭奈」
「おはよ……」
寝むそうな杭奈は、起きたはいいがうつむいたまま前を見ようとはしていない。
「くーいーな。どうしたよ、ものすごく無気力だが……ぼやぼやしてると朝の配給終わっちまうぞ?」
「食欲がない……」
こんな調子で、杭奈は話にならなかった。
「杭奈……お前、どれだけ下心で生きていたんだよ? 女も大事だが、もう静流についてはあきらめようぜ? 諦めが肝心だって」
「だ、だってさぁ……もう初体験済ましちゃったジョンには僕の気持ちはわからないってばぁ……愛しい人とやれば相当気持ちいいんでしょ?」
「う、うん……まぁな」
痛いところを突かれてジョンは少々あせって応答する。初恋が成就してしまったジョンには確かに失恋の気持ちは分からないことであった。
『諦めが肝心』という言葉に説得力がないといわれれば反論できない。
「つっても、お前に夢を持たせるためにかなり脚色したからなぁ……お互いが気遣わなかったり下手だったりすると女だけじゃなく男だって痛いし……」
「は、はぁ……」
「そもそも、自分の体ってのは自分が一番知っているんだ。マッサージは、自分では揉み難い場所を揉んで貰えるからともかくとして、さ。
俺ら人型の卵グループのポケモンは自分でもあそこはさわり易いだろ?
他人にしてもらうよりも自分でしたほうが気持ちいいなんて事は往々にしてあるものさ」
「そ、そうなの? じゃあ、ジョンはその……整体院に居るって言う彼女とはやりたくないの?」
「いや」
首をかしげる杭奈に、ジョンは否定する。
「そういうわけではない。なんと言うか、気分の問題だな」
「つまり、どういうこと?」
「ふむ……例えば、俺たちに配給される食事は肉や内臓が多いけれど、デンチュラのおやっさんとか、エモンガの兄さんとか、あいつら虫を食うだろう?
あの虫がな……肉や木の実のようにおいしい味だったとして、食べたいと思う?」
「ちょ、ちょっと気持ち悪いかな……なんていうか、肉の赤い色合いとか、僕にはそういうのが目にあうというかなんと言うか……」
「ま、そういうことだ。腹が膨れて味がよくっても、見た目が悪かったら気分が悪いだろ?
自慰ってのはまぁ、あれだ……茶色い固形飼料(市販のポケフーズ)のように味は無難だが、見た目は良くも悪くもない感じさね。
セックスもそれと同じ……って言って良いのかは分からないけれどさ、下手な女とやればダストダスに与えられる餌を食べる気分になっちまう。
味も悪ければ腹も膨れずしかも腐ってる……っていう最悪な感じのな。
ダストダスはアレが好きみたいだし、現実問題変わった趣味を持ったポケモンも居ることは居るが、俺達は違うだろ? いや、多分ね。
静流は……うん、多分真剣に付き合っている奴にはともかくお前には冷たそうだな。
セックスをしたとしても、期待を持たせておいて悪かったが……多分、あの女とじゃロクな経験にならんさね」
「はぁ……じゃあ、僕が頑張ってきたのはなんだったんだろ?」
「そ、それはアレさね。静流じゃなくって、他の女の子をゲットするための強さを手に入れたって事さ。
ほら、静流もなんだかんだで強い奴が好みって言っていたし、強いってのは一種のステータスさ。
なんなら、今日の昼に主人が迎えに来るまでの間にもう一度静流に挑んでみたらどうだ? 勝ってみれば一応約束は守ってくれると思うぞ」
「いや……静流、ここに来る前よりもずっと強くなっていたし、今の僕じゃきっと本当に万が一でしか勝てないよ」
ここに来た当初の静流と昨夜の静流の違いを思い起こし、ジョンは『あぁ』と頷く。
「確かにあの女、強くなってたな……俺ももう年だからなぁ……ピークを維持するのは出来ても強くはなれねぇや」
「強いものに挑むのも経験かもしれないけれど、わざわざ無駄に痛い思いをすることもないでしょ……」
深くため息をついた杭奈は、酷く精神的に疲弊していた。
「あぁらら……これは酷い燃え尽き方だなぁ……」
元々杭奈には才能はあるのだし、どうにかしてやる気を出してもらいたいとジョンは思う。しかし、こうまでやる気が無くてはどうにもならなかった。
何かあたらしくやる気を出せるようなものを何か与えてやれればいいのだが。
静流への未練をふっ切るためとはいえ、セックスへの夢を見せてから現実を教えて突き落としてしまったのはまずかったかもしれない……と、ジョンは反省した。
結局、下心だけでがんばろうと奮起していた杭奈だ。他人に与えられる快感の味をしってしまえば、また燃料となるかもしれない。
ならば、とジョンは考える。少しばかり脚色した自分の性体験を事細かに語ってやろう。
「なぁ、杭奈」
と、切りだしてジョンは甘い官能の物語を杭奈へと囁いた。
「いいか、雌と子作りをするって言うのはだな……ごにょごにょ」
杭奈は人間で言えば15程の年齢である。ここから更に3ヶ月ほどで18ほどまで成長するという、現在は多感な時期だ。
多くの脚色が施されたジョンの言葉は、杭奈の曖昧な性へのイメージをそれとなく増大させ、そして再び欲求を燃え上がらせるのであった。『ジョン、お前子供になんて事を教えているんだ』とか言ってはいけない。
「女を勝ち取れば、こう言う事も出来る……でも、今のままじゃ駄目だぞ? 例え静流がダメだって、この育て屋にはお前と相性のいいポケモンだっているはずだ。その女を手に入れるためには強さは必ず武器になる……分かったな?」
「分かった……」
少しためらいがちに、しかししっかりと頷いて杭奈は言う。
「よし」
と、ジョンは短く簡潔にその様を褒めた。
「僕も、ジョンの気持ちを無駄に出来ないし……何より、やっぱり女の子とやってみたくなっちゃった。
……静流は、まぁ、うん。無理かなって……でも、こんな僕だってまだまだできる事はあるよね」
「よし、その意気だ」
やる気を取り戻してくれた杭奈を見て、ジョンは安心して溜め息をつく。
「今日、静流は主人の元に帰るんだろう? じゃあ、見送りまでの間、軽く修業をしようか?」
「うん、やろう……」
17
子作りのイロハを教えたその後、午前中は組み手や軽い防御・攻撃の訓練を行い、程良く汗を流した。
そうして時間を潰した午前も終わり、昼食マッチも終わりの時間になった頃、静流と杭奈、ついでに袴とその友達は一足先に静流とお別れになる。
ポケモン受け渡しの受付に訪れた主人は相も変わらず岩か大木のような逞しい体躯の持ち主で、その高身長から見下ろせるのはポケモンだけでない。
このシラモリ育て屋本舗の経営者兼管理人である、スバルも女性にしてはかなりの高身長だが、それすらも見下ろしている。
この主人、大体2m前後はあるだろう。
「よう、皆久しぶり」
ただ、そうやって見下ろしているのは歩いている時だけで、ポケモンに話しかける時は子供に対してそうするようにしゃがんで視線を合わせている。
それでも相当な威圧感には変わらないのだが、体操のお兄さんの如く爽やかな笑顔の前には警戒心も薄れるというもの。
そんな主人は、抱擁というストレートな愛情表現をするあたり、本当は主人もさびしかった事が伺える。
ごつごつとした筋肉の塊に抱かると、静流もなんだかんだで嬉しそうに抱き返す。
『年上で、しかも強いって意味ではご主人もその条件に当てはまるけれど……』
『はは、人間に取られるとはまた傑作だな』
人間にはわからない言葉で呟いてしょげる杭奈をジョンは笑う。
『大丈夫よ。主人は好きだけれど、愛人程度にしか見てないわ』
『あぁ、ズルズキンって悪タイプだったな』
なんのフォローにもなっていないフォローをして笑う静流に、呆れてジョンは苦笑する。
「静流も杭奈もここに来る前よりたくましくなったし……袴はキルリアに進化したか。
みんな随分成長してまぁ……こりゃ、育て屋に預けて正解だったな」
言いながら主人は杭奈の首の後ろを撫でながら鼻に杭奈の額を擦り寄せる愛情表現。袴に対しては自分の胸に顔をうずめさせていた。
「それに、友達もできたみたいだが、この子達は?」
主人はちらりと顔を上げてスバルを見ると、彼女は哺乳瓶の装飾がついたUSBポートを咥えて浮遊しているふじこに通訳の指示を下す。
手もとのライブキャスタ―を覗きながら、表示された文字を読みあげる。
「この子は、特訓で疲れたポケモン達に対してマッサージをして、整体師の修行に来た子なんです。
けれどどうやら、初日から杭奈君に戦いのノウハウを教えていたそうで……ふじこによりますと……」
スバルは手もとのライブキャスタ―を覗き、そこに記された文面を覗く。
「『こいつはマジでマブダチってゆーの? 親友だから、マジそこんところよろしくよご主人! いや、マジで(笑)
てゆーか、こいつ無しのこの3ヶ月間とか考えられねーしwww
もしこの育て屋抜けた後にこいつと二度と会えないとかなったらくぁwせdrftgyふじこlp』だそうです。この子達、随分といい友達のようですね」
読み上げてスバルは主人へ向かって微笑んだ。肝心の主人は戸惑っているが。
「あの、そのポリゴンZはもう少しまともな通訳してくれないのか?」
「ポリゴンZに進化させなければもう少しまともだったのですがね。育て屋のポケモンが弱いと示しがつかないので、強くしようとしたらこうなってしまいました。
こればっかりは進化させない方が良かったようですね……申し訳ありません、オリザさん」
そう言ってスバルはオリザと呼ばれた杭奈達の主人に向かって苦笑する。
「文面は分かりますし、ポケモンの言葉がおぼろげながらに分かるだけでも贅沢は言えませんよ……さて」
と、言ってスバルはポケットからアルミのケースを取り出す。
「そういうわけで、このコジョンド……ジョン君っていうのですが、この子の主人から名刺を預かっておりましてね。
よろしければ、お互いのためにも訪ねてあげて下さいな」
指でつまんで渡されたそれを主人は受け取り、記された情報を一通り眼を通してから名刺ケースへと放り込む。
「色々俺の子によくしてくれたんだな……ありがとう。ジョン君」
膝立ちの姿勢で頭を下げる主人に、こちらこそとばかりにジョンが頭を下げる。
「杭奈君は、優秀な子ですね」
スバルはジョンと杭奈を見てしみじみと呟く。
「ん? あぁ、確かにこの短期間で随分と強くなったな……」
「ブラックシティにいた頃の私を思い出します。あの頃は私、食欲のために強くなろうとしておりました……この子は、お嫁さんを勝ち取るために。
つまるところ、性欲のために強くなろうとしたようです……でも、頑張り続ける事はなかなか出来ることではありません。
ジョン君がいたからというのもあるでしょうが……優秀な子ですよ」
「ふ、不純な目的だな……男は強くなりたいから強くなるもんだ。本能的なものさ」
主人のオリザは、鋼のような力瘤を見せてそんな事をのたまった。
「その強くなるための本能は――かつて、群れの中で一番強い者だけが雌とまぐわる事が許された時代の名残ですよ。
今は、強くなくても生存能力の高さは測れますから、賢いとか、場合によっては歌が上手いとか。
そういった時代の流れのおかげで強さの意味が薄くなるだけで……強くなる目的というのは、本来不純であるべきですよ」
「ふむ……そうか。まぁ、そう言われるとそうかもしれないな……うぅん」
「何が言いたいかと申しますと、もしも機会があればこの子にお嫁さんを宛がってやってくださいという事です。
そうしてあげればきっと、杭奈君は今まで以上に強くなりますよ……女を手に入れるために頑張る意味を失ったら、次は女を守るためという風に」
お嫁さん、という言葉に杭奈は目を輝かせる。
「そうしたいところなのだが」
杭奈が俯き顔を横に振った。
「ジムの開設のために予算がな……この子達を預けたせいでしばらくは結構カツカツなんだ。なるたけ、節約したくってな……
教え子たちの月謝はともかく、リーグからの補助金が降りるまではトレーニング用の機材のローンがきついものでな……これ以上借金もしたくないのだ」
「そうですか。お見合いサービスは最低2万。子育てについては、育て屋孵化で2万から。
卵は自宅孵化でしたら無料から取り扱っておりますので、詳しくこちらのパンフレットかホームページをご参照くださいませ……と、すみません。
この子を褒めるだけのつもりが、ついつい商売に目がいってしまいました……」
恥ずかしそうに苦笑しながら、スバルは頭を下げる。
「いや、構わないよ。この子を育てる参考にしてみる……さて」
オリザはさらに視点を下げて雄のキルリア、袴を見る。
「袴の友達はゾロアか。この子の名前はなんて言うんだ?」
「ペテンちゃんですよ。最近になって、よく昼食マッチ・ダブルバトルを荒らしているようで、やるたびにかなり面白い試合をしているのですよ……
二人はとっても仲がよくって……そのせいか、お見合いしようとしても割って入る隙が無いくらいで、いつもお流れになっちゃうんです。
それについての詳しくは、ホームページにも名勝負として、昼食マッチダブルの部に載せておりますのでご参照くださいませ。
ちなみに、袴君にとってのペテンちゃんの評価は……『最高のパートナーって奴だぜ!! ペテンは俺の嫁!!』だそうです……
どこまでふじこの翻訳を信用してよろしいのか分かりませんが、信頼し合っている事は確かなようです。
そのことを報告したくてわざわざこうして管理棟に呼んでくるくらいですからね」
「そうか……俺の袴と一緒に存分に強くなってくれよな」
ゾロアの頭を優しく撫でると、主人は立ちあがる。
「静流。それじゃ、俺達の家に帰ろう」
主人は静流のモヒカンを指で梳くようにしながら彼女をモンスターボールの中にしまい、スバルと眼を合わせる。
「静流がお世話になりました。引き続き、杭奈と袴をよろしくお願いします」
「えぇ、シラモリ育て屋本舗の名に掛けて、責任を以って預からせていただきます」
「それでは、元気でな。杭奈、袴。もう少し経営実績があれば、公式ジムに認定されてジムバッジ検定も行えるようになる……そうすりゃ補助金も手に入る。
その頃までにはお前はもっと一人前になっているんだぞ……杭奈。期待しているからな」
杭奈は主人へ向かってくぅんと切なげに鳴いて手を振った。主人は振り向かずに手を振って、背中で『強くなれよと』杭奈へ語っていた。
「ご利用ありがとうございました、オリザ様。これからも、我がシラモリ育て屋本舗のご利用をお願いします」
丁寧に頭を下げて、スバルは杭奈達の主人、オリザを見送る。
両開きのドアを抜けて静流と共に主人の姿が消えると、スバルは杭奈の肩を叩いて優しく語りかける。
「オリザさんの言うとおり、この育て屋に入った時よりも格段に強くなっておりましたね。
昨日はボロ負けでしたが、私はきちんと貴方の成長を感じましたよ……」
杭奈は首を振って否定し、鳴き声を上げる。
「『負けたら意味ねーしww』……ふふん、そういうな。両生動物のクソをかき集めて出来た聳(そび)え建つクソの塔ほどの価値もなかったお前が、
寄生して生きるしか能がない害悪の権化たる卑しいダニを卒業するくらいには成長したものだと私は思ったぞ」
杭奈はスバルの口調が豹変したことに驚き絶句する。
「何せ、アレだ。もしも静流があの時、跳び膝蹴りではなく頭突きを放っていたら……君は頭突きを防御しつつ、静流ちゃんの胸にまで攻撃を与えたことになる。
しかも、頭から出る血の量は半端ではない。持久戦に持ち込めば恐らくは視界に影響を及ぼし、君は隙を見つけて勝ちをもぎ取っていただろう……
まぁ、確かに頭突きやもろ刃の頭突きは君には効果が今一つだけに、それを放ってくる可能性は極端に低いと言えたろう。
もしも、格闘タイプで頭突きを放てる技があったらな。あのビッチに鉛の弾丸ぶち込んで公衆の面前で股開かせることくらいは……と、すまん。地が出ていた……
ここはホワイトフォレストだというのにブラックシティの私になってどうしますのやら……」
コホンッと咳払いをしてスバルは続ける。
「ようするに、貴方も全く勝つ可能性が無かったわけではないというわけですよ……読みあいにさえ勝てれば、きっと杭奈君も……
ですから、めげることなくこれからもがんばってください。昨日の夜から、私は貴方を応援しておりますよ」
そう言い残して、スバルは杭奈の返答も聞かずにデスクワークへと戻って行った。
◇
「ふぅ……」
スバルも去って、この場に人間がいなくなると、何だか虚無感がこみ上げて杭奈は深くため息をついて肩を落とす。
まだ燃え尽き症状の残っている杭奈に対し、ジョンはおもむろに彼の肩を叩き、微笑みかける。
「杭奈。修行を再開しようぜ。俺がいられる時間も、あと僅かなんだ……悔いの残らないように、寸暇を惜しんで修行に励もう……
スバルさんだって……何だか物凄い一面を垣間見た気がするけれど、応援してくれたじゃないか」
杭奈の手を取り、ジョンは外へと歩いて行く。残された数日も充実したものにするため、ジョンはまだ教えていない技術を少しでも杭奈に伝えようと。
杭奈は教えられていない技術をモノにしようと、それぞれ奮闘するのであった。
数日後に訪れた別れは、いつでも会える距離だからと、互いに涙を流す事もなくそれなりにあっさりと終わったのである。
次に会う時は、ダークライ・ビリジオン感謝祭だと約束して。ジョンの育て屋での3ヶ月は幕を閉じた。