奮闘その五:雌を勝ち取ろう!!
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「杭奈……ここ2ヶ月半。私に全然挑んでこなかったけれど……どれくらい成長したのかしらね?」
「……一応、強くなったつもりだよ」
戦いを前にして、杭奈と静流は二人きりでの会話をする。岩穴の奥にある、オレンジ色の電球がともす頼りない光の元で、2人は岩肌に肩を預けていた。
この2ヶ月半、互いに自分の師を見つけてそちらとの交流に専念していたせいか、改めて戦うとなると思うところも多いようだ。
そのせいだろうか、ここで交わされる会話の雰囲気は少々しんみりとしている。
字面だけ見れば変わっていない静流のセリフも、今は見下しているような視線や嘲りを含む口調は身を潜め、それなりに杭奈を認めている事が伺える憎まれ口に変わっている。
「2ヶ月間、みっちり練習したから」
「アタイもよ。結構強くなったわよ」
杭奈も、負ける事は覚悟の上。百も承知といった風だが、勝てるかもしれないという希望を含んだ、覇気のある声。
ジョン曰く『静流も強くなって入るだろうけれど、お前ほどの変化はしていないはずだ。しかし、お前の変化はもはや別人レベル……その変化に戸惑っているうちに度肝抜いてやれ』とのこと。
もちろん、静流も杭奈も互いの練習風景を覗く事はあったから成長は知っている。
だが、遠くから見守ることと実際に対面することの違いは著しく、本当の所どれほど成長したかは互いに分かっていない。
その未知数を、杭奈は恐れている風に肩をすくめ、静流は楽しみにしている風に微笑んでいる。
「この2ヶ月半……楽しかった?」
「いや、辛いことばっかりだったけれど……楽しくはないけれど、嬉しかったね」
「なるほど、良い答えじゃない……確かに、男遊びは楽しいけれど、褒められたりして嬉しい事の方が印象に残ってるわぁ……アタイも」
ふー、と溜め息をついて静流は微笑む。
「言われてみて気付くなんてね……アタイの方が、育て屋ライフを無駄にしてきちゃったかな。もう少し嬉しい出来事を堪能すれば良かったな」
「……こっちはもっと無駄にしてるんだけれど」
むすっとした口調で杭奈は不平を漏らす。まだ、無邪気さゆえの性欲はきちんと尾を引いている。
「いいじゃないの。野性だって同じ、弱い奴は雌を手に入れられないのよ……この育て屋では、『強い』のハードルが少し上がっただけじゃない? 漢なら黙って、女をかっさらって行くぐらいの意気込み見せなきゃ」
「……約束、覚えてるよね」
「うん、貴方が勝ったらっていうね。アタイはもちろん、格闘タイプの血に誓って約束は守るわよ」
「僕、頑張るから……」
「頑張りなさいよ。ま、どうせ無駄だろうけれど」
「まだそういう事言う!!」
「あのコジョンド……ジョン君ね」
静流は思わせぶりにそこで言葉を切る。杭奈が小さく『何?』と、尋ねると静流は笑う。
「一回だけ闘ったけれど、ほとんど互角。格闘タイプの攻撃に弱い私だけれど、技術の面ではきっと負けていなかったわ。つまりそういうこと……
ジョン君に一度も勝てないようじゃ、まだまだ……」
「それでも……可能性はある」
「うん、万が一ってことはあるから、全力でやらせてもらう。油断も慢心も一切しないから、そのつもりで挑んできなさい」
今まで挑発するだけであった静流の激励に内心驚きつつも、ルカリオはそれを素直に受け取りうんと頷く。
「そう言えば、勢いで夜に戦闘を開始って言っちゃったけれどどうする? 今も外は結構薄暗いから夜と言えば夜だけれど……」
「ん〜……そうね。ハンデって事で、準備が出来たら、いつでも始めて頂戴。ジョンを立会人にでも呼んでくるなりしてさ」
杭奈は考える。夜になった方が有利に戦えるのか、それとも不利なのか? しかし、空を見てみれば結局はどちらも同じことだった。
月明かりが明るい。これでは今まで培ってきたすべてを繰り出すのに、小細工は考える必要が無いし、弄しようもない。
「じゃあ、すぐ始めよう」
「分かったわ。平地エリアの昼食マッチの場所でいいのよね?」
「う、うん……」
「アタイは其処で先に待っているわ。もう夏も近いから、凍えさせて体が動かないうちに叩くなんて戦法は使えないからね?」
「……そ、そんなのを考えるのは君だけだから。僕は正々堂々やらせてもらうからね」
「うん、そうして。貴方とは長い事顔合わせるのでしょうし、お互い納得のいくようにしましょう」
言いながら静流は立ちあがり、上半身だけ振り向かせながらヒラヒラと手を振る。
遅れて立ちあがった杭奈は、外で毛づくろいをしながら待機しているジョンを呼びに行った。
その頃、ジョンはというと一人で月を見上げていた。
「今日は月が綺麗ですね」
静流と杭奈の会話の最中、一人木の枝に座りながら脚を揺らしていたジョンに話しかける人間の声。
「誰かと思えばジョン君でしたか。どうしました、こんなところに一人佇んで?」
ジョンが振り向いて見ると、そこにいたのはスバルであった。
この育て屋の経営者兼管理人長であるスバルは、結んだ長髪に黒眼鏡という敏腕秘書的な見た目をしていてデスクワークがよく似合う。
その割には、ホームページやメールマガジン用の写真撮影のため外にもよく出るのか、浅黒い小麦色の肌をしていて、とても健康的な見た目である。
暗いために肌の色は伺い知れないが、声色と匂いでスバルだと判断したジョンは、警戒心を解いてキュンキュンと鳴く。
スバルははちらりと顔を上げ、薔薇の装飾がついたUSBポートを咥えて浮遊しているポリゴンZをこつんと指で叩いて指示をする。
「おい、ふじこ。今の訳してくれ」
ふじこと呼ばれたポリゴンZが入力し、USBポートを経由して文字が出力された手もとのライブキャスタ―を覗く。
表示された文字を読みあげて、スバルは笑った。
「ふむ……『マブダチの杭奈が今夜静流とガチバトルんだぜ!! マジ楽しみで全裸待機中(笑)』……元から全裸じゃないですか、ふじこ」
どうでもいい突っ込みをしながらスバルは続きを読みあげる。
「『ま、勝てる気しねーけれどな、今の杭奈なら公開処刑にゃならんだろうね、だもんで激しく期待』か……
なるほど、静流ちゃんとのお別れを前に一勝負しようというのですね。よろしければ、私も観戦させてもらってよろしいでしょうか?」
スバルが尋ねてみると、ジョンは頷きながらキュンと鳴く。
「『俺は鎌わねーけどよ邪魔すんなよ。フラッシュ焚いて集中力乱したら、逆に俺がバルスッ!! してやるからな』……
えぇ、ジョン君。問題ありませんよ。邪魔にならないように赤外線カメラで録画させてもらいます」
こうして、観戦する者が一人増えた状態で杭奈と静流の決戦は始まるのであった。
日も長くなり、なかなか訪れない夜を間近に控えた平地エリアの一角で、杭奈と静流は向かい合う。
下心から始まった猛トレーニングだが、効果は上々。呼吸を整えて気合いを入れる杭奈の風格は、この育て屋に入る以前の物とは比べ物にならない。
しばらく相手をしていなかった静流はその変化に息を飲んで、驚くと同時に歓喜の笑いがこみ上げる。
「随分と美味しそうな獲物になったわね」
下半身の抜け殻を引き上げながら静流は挑発した。
「獲物じゃないやい! 真面目に戦ってよ!!」
「……アンタにとっては私が真面目に戦わない方が、勝てる確率が上がって得なのに。全く、熱血馬鹿は損するわよ」
ヒュッ、と息を吐いて静流は一瞬で気合いを込める。深呼吸で気合いを込める杭奈とは違って、発する気合いの差が急激に上昇して杭奈はどきりと心臓を高鳴らせた。
「二人とも気合い十分さね。いつでも始めろよ……俺はここで見てるからさ」
ジョンは平地エリアに僅かに生える広葉樹に、スバルと一緒に腰掛ける。スバルはどちらを応援するでもなく黙々とビデオ撮影に没頭していた。
「うん、見てて……ジョン」
振り向かずに杭奈は頷き、ジョンの激励に応える。
「男の友情っていいわね……でも、無駄よ。スバルさんのビデオには、貴方の無様な姿しか映らないわ」
静流は頷きを最後まで見送ってから静流が仕掛けた。静流の第一手は杭奈の顎に向かって突き上げるように掌底のアッパーカット。
単純だが、脳を揺らして一発KOを狙うには最適のえげつない技だ。
静流の掌底は顔に当たる手前で弾かれたが、それで終わりではない。静流は戦闘前に、下半身の抜け殻の中に仕込んでいた砂を握りしめていた。
開戦一番、掌底アッパーをフェイクに行われた砂掛け眼つぶしが杭奈の眼を襲う。
14
杭奈は咄嗟に腕で顎を守り、房を立てて波導を感知し始めた。
だが、静流は波導で周囲を感じる体制が整う前に杭奈の肩を掴み、腹に向かって渾身の跳び膝蹴りを放つ。
もちろん、防御する暇は無かった。体内を鉛が駆け抜けるように重く鈍い感覚。効果は抜群だ。
その感覚が耐えがたい苦痛へと転じる前に、杭奈の意識は途切れ落ちる。
思わず、ジョンがなにがしかの言葉を呟いた。
「『\(^o^)/(オワタ)』……か。しかし、約2.5秒とは短い戦いだ……」
ライブキャスタ―に表示された文字を見て、スバルはそんな風に呟いた。
「終わっちゃった……」
傍らで『オワタ』と呟くスバルの横、仰向けに空を仰ぐ杭奈を見てジョンはあっけに取られていた。
「雑魚……相変わらず甘いな。私は本気でやるって言ったのに……」
前のめりに崩れ落ちた杭奈の体を拾い上げ、静流はお暇様抱っこをする。
死んだようにだらんと垂れさがった杭奈の頭は、確認するまでもなく勝負ありと理解させた。
「……正々堂々って言ってなかったっけ?」
これからも伸びて欲しいという親心のために、ジョンは向上心を失わないよう杭奈に負けて欲しかったという本音もある。
そういう本音もあるが、ここまであっさり文字通り秒殺されると言葉も出ない。むしろこれでは向上心を失わないか心配になってきた。
「砂掛けるのって公式技だし……卑怯って人質とるとか弱みを握るとかそういうことじゃなくって? そんなに言うなら、公式に認められていない技、使っちゃっても良いのよ?」
振り向きもせずに静流は言った。
「いや、ごめんなさい……」
「ジョン、貴方の言いたい事はわかってるわ。もう少し、いい試合した方がいいんじゃないかって言いたいのでしょ? でも、アタイの匂い嗅いでみなよ」
「おま……暗くてよく見えなかったけれど」
鼻を動かしてみれば、風向きのせいか今まで分からなかった血の匂いが漂って来る。
静流の攻撃は跳び膝蹴りしか当たっていないから、杭奈が流血することはない。
可能性があるとすれば、杭奈の攻撃が当たったという事しかあり得ない。それも、とびっきり鋭利な攻撃が。
「肩を掴んだ瞬間に、胸と額に綺麗な裏拳が飛んできてね。ジョン、あまりレディが流血している見るものじゃない……
悪いけれど、医者に見せるまで顔は見ないでくれるかしら?」
「ひとりで行けるのか?」
「うん、血は派手だけれどなんとかね……そうね、杭奈が心配なら少し経ったら医務室に来てくれればいいから」
声だけでにこやかに言って、静流は杭奈を運んで闇に消えてゆく。彼女のあるいた場所は、例外なく血が滴って道しるべを形成していた。
途中でスバルが手を貸そうとしても、彼女は断った。変なところでプライドのある女性である。
…
……
………
「で、跳び膝蹴りをまともに喰らってお前は負けたのさ……これ、プリントアウトしてもらった写真さね」
ベッドで眼を覚ました杭奈に、勝敗の様子を聞かせてジョンは溜め息をついた。
「……結局、手も足も出なかったか」
まだ痛む腹の鈍い痛みを気にしながら、無様な写真を見て杭奈は肩を落とす。
「でも、お前は中々よくやったと思うぞ。なんせ、静流の額と胸に裏拳を当てて、静流に流血させやがった……まだ残っている血の匂いはそれだよ」
「いや……結局負けたことには変わらない。僕は……」
「杭奈!!」
と、その先を言いかけた杭奈の元に、静流が病室のドアを開けて訪れる。額と胸にまかれた僅かに血がにじんだ彼女の包帯が痛々しかった。
「静流……? 何、負けた僕を笑いにでも来たの」
卑屈になる杭奈の言葉に、静流は首を振って否定する。
「ちがうわよ」
微笑んで、静流は杭奈の頬を撫でる。
「頑張ったわね……」
杭奈は眼を背ける。
「どうせ……ダメなんでしょ?」
「うん、約束は約束。どうせ勝たせる気はなかったからね」
あちゃー……とばかりにジョンは頭を押さえて溜め息をつく。
「それに、ごめんね。私本当は主人の古参にすでに私の帰りを待っている彼氏がいるの」
杭奈は絶句した。
「で、育て屋で会って終わりの関係ならまだしも、ずっと生活を共にする貴方とは変な関係になると非常に気まずいのよね……だから、ごめんね。
あんな決着になっちゃったけれど、貴方が強くなっていたから万が一の確率も勘弁して欲しくて……」
「つ、つまり約束守る気はなかったってわけ?」
「そうじゃなくって、約束を守る必要を無くすことに全力を尽くさざるを得なかっただけ。魅力的な男性と言えば、年上でたくましい人一択なのよね」
ここでくるりとジョンを見据えて静流は笑う。
「例えばジョンみたいな……」
「いや、俺に振られても反応に困る……いや、杭奈。静流とは何も無かったからな。本当だぞ」
静流の物言いは何かいらぬ誤解をかけられそうな物言いなので、ジョンは必死で否定する。
「……そ、そこまで僕は眼中になかったのか」
「本音言うとね。貴方は、可愛らしい弟としてしか見る事が出来ないの。子供のような、弟のような……私は、貴方を可愛がる事や愛する事は出来ても、恋する事は出来ないし、ときめけない。
衝動的な性欲で私に固執するよりもね、きっといいお嫁さんが見つかるわよ、あんたなら」
あれ、静流がまともな事を言っているぞ、とジョンは僅かに感心する。
「それだけ強くなれば、きっとあなたを評価してくれる人はいるわよ。だから頑張りなさい……私との約束よ?」
傍から見ているジョンにとっては酷い茶番のような気がしたが、なぜだか杭奈は催眠術にでもかかったようにコクリと頷いてしまう。
「わかった……」
それでいいのかとジョンは杭奈がいきなり哀れになってしまったが、哀れさはともかく色んな疑問は次の瞬間に吹き飛んだ。
静流が私は寝るから、と病室を出る。房を立てて静流の気配が消えるのを待っていたのだろう、そのまま杭奈はしばらく沈黙していた。
「ジョン……」
杭奈がジョンにしがみ付いて泣き出した。
「僕、結局相手にされてなかったよ……」
あらら、と思わずジョンから同情の声が漏れた。
「初恋ってな、叶わない物さね……でも、静流は酷い奴だけれど一理あるよ。お前はお前の相応しい相手を見つければいいさ……」
「そんな事言っても……うぅ……」
あぁ、ダメだこりゃとジョンはため息をつく。ここは黙って抱きしめてうんうん頷きながら慰めてやるしか効果がなさそうだ。
「僕は真剣だったって言うのにさぁ……その気持ちを簡単に踏みにじるとか酷すぎるよぉ」
「まぁな。ロクな女じゃなかったんだよ、あいつは」
やがて、ジョンは立って歩けるようになった杭奈を寝床へ送ろうとしたが、今日は静流と顔をあわせたくないとの事。
結局、その日の夜、杭奈はジョンの寝床で眠ることになるのであった。