奮闘その四:大切なことは事前に確認しよう!!
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連日のトレーニングの傍ら、昼食マッチに毎日参加する杭奈は、ジョンの意表を突いた攻撃に対しても動じる事がなくなっていた。
あらゆるタイプ、そして生態のポケモンを相手にする内に、敵が仕掛けられる技というのがなんとなく読めるようになり、その経験もジョンとの戦いで活かせるようになって行く。
今まで軽くあしらうだけだったジョンも、今となっては杭奈を本気で戦うべき相手だと認めている。
それでもまだ、ただの一回すら勝ちを拾えない杭奈だが、敵の攻撃が見える、分かる。為すすべなくやられる事が無くなった。
それに、ジョンに負けはしたが格闘タイプが弱点である静流と戦うのならあるいは、そう希望を持てる戦いも何度かあったのだ。
他にも、昼食マッチで負ける相手が随分少なくなったと、徐々に感じる成長の実感は、彼のやる気を奮い立てていた。
相変わらず喜ぶ時は全力で、へこむ時も全力という無防備な感情表現は健在であるが、漂い始めた風格は育て屋に来た頃には無かったものだ。
しかし、嬉しい事ばかり訪れてくれるほど人生は甘くない。
別れの時も近づいて、ジョンはマッサージを終えた後だというのに解散せずに木の幹に背を預けて座りこむ。
「どうしたの?」
中腰の姿勢で話しかける杭奈に、ジョンはまぁ座れやとばかりに手招きする。
「今日、スバルさん……この育て屋の経営者が俺の事を呼んだんだがな。俺が教えられるのも後8日。主人から、あと一週間とちょっとで引き取りに来る……って連絡が来たんだそうだ。だからそろそろ、お別れだなってさ」
「あぁ、そう言えば……もうそんな時間だよね。静流もそろそろお別れじゃないかって言っていたけれど……本人の口から言われると、何だかお別れだって実感がわいちゃうなぁ」
手招きされるがままに杭奈はジョンの隣に座り込み、木の幹にもたれかかる。
「色々あったなぁ……ここまで強くなれたのは、ジョンのおかげだよ。ありがとう……」
「気にするなや。俺のは暇つぶしさね。本来の目的は整体師としての腕前を上げることだったんだから」
赤裸々な杭奈のお礼への照れ隠しに、ジョンは本来の目的を口にしてみせる。杭奈は照れ隠しなんて事は考えすらしていないようだが。
「ここに来た頃もすでにうまかったけれど、ジョンのマッサージも整体も上達したよね。今はもう、気持ち良くって眠っちゃいそうな……」
そこで言葉を切って杭奈はうつむいた。
「ジョンは、この育て屋を抜けたらもう戦いから身を引いちゃうの?」
「どうかね? まだ戦いたい気もするんだが……戦いは爺さんになるまでは続けたいものだね。戦うってのはやっぱり面白いものさ」
「そっか……」
寂しい、と口にしたいが、それを口にすればジョンが困ってしまうと感じて杭奈は口を噤む。
だから、せめてもの抵抗として、自分を絶対に忘れられないように印象付けたい。前々から決めていたことだが、杭奈は今ここで言うことに決める。
「ねぇ……ジョン。僕、ジョンがここを去る前にまた静流と戦う……その立会人になって欲しいんだ」
「あぁ、良いぜ」
最初からそのつもりだったジョンは、今更な頼みに笑って即答する。
「多分勝てないだろうけれど、今のお前なら無様な戦い方はしないはずだ」
そして、余計な一言を付けくわえながらも杭奈を激励して心臓近くを小突いた。
「ちょちょ、負けるだろうってちょっと酷いなぁ……僕かなり強くなったつもりなのに」
「かなり強くなっても、すごく強いやつにゃ勝てんさ。俺然り、あの姉さんしかり、教官たち然り、洞窟エリアの大将や然り……
だがまぁ、運ってものがある。読みあいに勝てれば、あの姉さんにだって勝てるはずさ。頑張れよ」
「それはもちろん……。うん、今の僕なら出来るよ」
「よし、その意気だよ杭奈。戦いの日にちが決まったら教えてくれ」
「分かった。今日、静流に申し込んでくるよ」
「あぁ……」
満足そうに笑ってジョンは溜め息をつき、のっそりと立ち上がる。
「それじゃ、俺はお疲れのポケモン達にマッサージをして回ってくるよ。明日また会おう」
「うん、いつもの場所でね」
杭奈とジョンは手を振って別れる。
杭奈は最高のお別れにしようと意気込みながら、住処として与えられた岩穴を目指した。
「あら、遅かったのね。彼氏とは上手くいってる?」
「彼氏じゃなくって師匠!! 全く、僕達そういう関係じゃないってば」
「あらあら、だって貴方達甘い関係なんだもの。お別れも近くなってキスの一つでも交わしているのかと思っていた所よ」
「そーいうのは無いから……はぁ」
茶化すのが好きな静流の言葉に杭奈は溜め息をつく。相変わらず相手にされていない感が酷いのだが、今に度肝抜いてやると杭奈は気を取り直す。
「そうそう、さっきご主人から電話があったそうなんだけれどね。アタイ3日後の昼ごろに引き取られるって」
「え?」
「あぁん?」
間抜けな声で聞き返す杭奈に、1世代前の不良を彷彿とさせる凄味を利かせて静流は聞き返す。
「あの、3日後ってどういうこと?」
「どういうことも何もアタイは3ヶ月契約よ……あれ、杭奈もしかして自分の契約期間知らなかったの?」
「え、いや……僕は半年契約……」
「へぇ、なんだ知っているんじゃない。ちなみに袴君も半年契約よ。私が行った後も二人で仲良くやりなさいよ」
さらりと酷い事を言って静流の笑顔が崩れない。
「ちょちょ、ちょっと待ってよ静流……それじゃ、明後日の夜に勝負を挑むよ。絶対負かせてやるんだからね」
「杭奈……少しは強くなったつもりのようだけれど、それでもアタイにはちょっとねぇ。でもま、万が一ってこともあるでしょうし、頑張りなさい」
あくまで、静流は杭奈より上という態度を崩さない。負けるとしても本当に万が一だと思っているようだ。
予定は色々狂ってしまったが、やる事は変わらない。杭奈はこれまでになく気持ちを奮い立たせて、決戦の日に備えるのであった。
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「馬鹿だな、お前は」
静流が3日後に主人に引き取られると聞いてジョンは足首に口付けしながら溜め息を漏らす。
「う……てっきり静流も契約期間が同じだと思っていたんだよ」
「全く……それならもう……明日は軽く調整だけして休んだ方がいいな。本格的な練習は今日で最後にしよう」
「あぁ……もう最後かぁ」
最後宣言は杭奈の心に突き刺さる。寂しいと口に出してはいないが、ここまであからさまな態度では言葉にする必要もない。
「いや、な……静流が帰ってからも最後の日までは練習に付き合ってやらんでもないが……まぁ、静流に挑むまで、では最後の日だな」
「あ、そっか」
「でもどの道、お前と一緒にいられるのがあと一週間なのは変わらんからな……俺も半年契約なら、ダークライ・ビリジオン感謝祭までお前を鍛えてやれたのに……もったいない。どちらにせよ悔いが残らないようにやれよな」
「うん、分かってる……」
杭奈は柔軟運動をしながら力強く頷く。相変わらず気合いの入った声を聞いて、ジョンは安心して次のステップに進む事が出来そうだ。
「よし、それじゃあ今日も組み手をやるか……今日で最後だからな、勝つつもりでやれよ?」
「もちろん……そのつもりさ」
柔軟運動を終えた杭奈は深呼吸して気分を落ち着かせる。敵はジョン、戦って勝つのは難しい相手だ。
しかし、死ぬ事はないから思い切りやれる。思い切りやる。それだけを考えるよう、吐く息で余計は思考を全てい払う。
互いに向き合って構えを取り合う。開始の音頭はとらず、この体勢になればどちらが始めても構わない。
まずは杭奈が先手を取り、右足の上段蹴りがジョンの首を狙う。ジョンは身を屈めてそれを避けて、左貫き手を脇腹に見舞う。
杭奈はそれを右肘で弾いて、左肩からジョンへ体当たりにかかる。ジョンは上半身を後ろに仰け反らせつつ、右肘を杭奈の肩に合わせて押し返した。
杭奈お得意の超近距離に持ち込まれればジョンとて長くは持たない。今となっては勝つためには自分のやり方を通さねば不可能な域まで杭奈は達しているのだ。
体当たりを弾き返したジョンは、真っ直ぐに左拳を突き出す。左、右と払い除けられながら、ジョンは杭奈の太もも狙いで左足で後ろ回し蹴り。
ジョンの踵(カカト)を、杭奈は膝(ひざ)を上げて防ぐ。
体の固い場所同士がぶつかり合って、2人は骨に響く痛みに顔をしかめるが、痛みに強い精神力の特性を持つ杭奈が一瞬速く動いてジョンの胸に右肘を当てる。
肺ごと砕くような打撃にジョンは息をつまらせるが、その痛みをこらえながらジョンは杭奈の右肩を掴み、脇の下の肋骨の側面へ向かって跳び膝蹴り。
効果は抜群だった。無視できない激痛で右わき腹が砕けるような感覚で右腕が患部を押さえるために反射的に下がってしまう。
そのガードが下がった杭奈の顔に、ジョンの右掌底が迫る。身を屈めて避けると、今度は腕を取られて後ろ手に回される。
後ろ手を取られた杭奈はこれ以上不利な体勢にされる前にジョンへ肘打ちをしかける。
脇腹に当たった杭奈の肘打ちは確かにジョンの握力を弱まらせはしたが、手を離させるには至らない。
ジョンは杭奈を脱臼させないよう注意しながら地面へ押し倒し、うつ伏せの杭奈に草結びを掛ける。
トドメとばかりに、チャージ次第で拳ではどうあがいても出せない威力を叩きだす必殺技、気合い玉を杭奈の前方にある地面へ向かって放つ。
地表が砕け弾け飛ぶ威力を目の当たりにして、まともに当たった時のダメージを想像した杭奈は全身の毛を逆立ててぞっとした。
情けで外されたが、相手が本気なレア絶対に避けられない。そして実際に喰らっていたら大怪我していた事だろう。
「勝負あり……だな」
色々危ない所があったと感じながら、ジョンはほっと息をついて杭奈の上から退く。
「やっぱり僕の負けか……」
寝返りをうって仰向けになった杭奈は大きくため息をついた。
「俺も何度も危ない場面はあった。確実に成長はしている……まぁ、本音を言えば勝って欲しくもあるし欲しくなくもある。
俺が爺さんだったら『年のせいだ』っていいわけも出来るし、純粋に勝って欲しいって思えるんだけれどな……
今はまだ、俺の勝ちたいっていう欲求が強いから勝ちは譲れんさね。でも、いつかはお前が俺に勝つと思う……それが、予想の域を出なくなるのは残念だが……うん、湿っぽくなっても仕方ない。
呼吸を整えたら早速パンチの練習から始めよう。本格的な修行は今日で最後だ……悔いの残らないようにやろうじゃないか」
「うん……頑張ろう」
そうして、2人は夜遅くまで鍛錬を続ける。育て屋に来た当初よりはるかに鋭くなった突きを打ち崩し、遥かに固くなった防御を掻い潜ろうとするジョンも今となっては必死である。
不覚を貰い、綺麗な当たりを見るたびに、ジョンは痛みと共に満足感を感じて笑みが浮かびそうになるのを抑えるのに苦労する。
全く、俺はこいつの事が好きなんだなぁと自覚しながら、だからこそジョンは杭奈の熱意にこたえるために本気で彼の相手をする。
倒れても倒れても向かって来る杭奈を、自分の体力の限界が来るまで付き合って、修行の後にはマッサージ。
明日、万全な体調で臨めるように、特に念入りにマッサージを行った。