奮闘そのニ:勝ちの味を覚えよう!!
5
「強かったか弱かったかで聞かれると……弱かったな」
早速自分の評価を聞いてみて包み隠さずに言われて、杭奈は言葉を失う。
「うぅ……野性から上がってまだ日が浅いんだよぉ……」
泣き言のような言い訳もジョンの同情は誘えない。
「へぇ、どおりで防御がお粗末……というか、後先考えずに突っ込む打撃が多いわけだ。なに、野性時代は集団で狩りでもしてたの?」
全くその通りだった。野性時代は集団で狩りをするから、相手が何が起こったか分からないうちに仕留めればいいだけで、防御の事なんて全く考えていなかったのだ。
雄同士の喧嘩も、当時はリオルだったものであまり考えていなかったし、メンバー入りしてからはあまり直接指導はしてもらえない。
彼が強くなれないわけである。
それなのに、一緒に預けられた静流は卵グループが同じだというのに自分に勝てない相手に体は渡せないと言う。
逆に勝ったなら格闘タイプの漢として約束は守ると言ってくれたが、それも勝てる気がしない。
「なるほど。それで修行したいと……」
今必死で鍛えている理由から、未だ弱いままである事情を話してみるとため息交じりにジョンは納得する。
「いま、必死に鍛えているのか?」
「も、もちろん」
唐突に熱意の確認をされて、杭奈は咄嗟に肯定する。
「よし、その言葉嘘じゃないな? 修行熱心なら、俺もやりがいがあるし付き合ってやるよ。
杭奈の……というかルカリオの武術ってのをもっと見てみたいしね」
「え、ホント? ありがとう……あ、で、でさ……正直なところ僕はどうだった? もっと詳しく聞きたいんだけれど……」
修行に付き合ってくれると言われて歓喜する杭奈は、お礼もおざなりに逸る気持ちを態度でぶつける。
「ん〜……人間と付き合うなら礼説も大事だと思うんだけれどねぇ。そういう風にがっつくもんじゃないよ?」
そっちの教育は主人とやらに任せておくかと溜め息をつき、ジョンは脳裏に焼きついた杭奈の動きを言葉にする。
「とりあえず、個人的な評価としてはあれだね。フェイントよりも、不意打ちで敵を仕留めることに向いている素早く直線的な打撃。
本当に、狩りに特化されてるよ。恐らくだけれど、君は波導弾を撃たれて弱った獲物に追撃する係だったんじゃない? いわゆるトドメ担当」
「あ、あう……その通り……」
「しかも、前蹴りで男の弱点を一直線に狙って来やがって……練習試合だってのに殺す気満々じゃいつか嫌われるよ?」
「ご、ごめん」
「ついでに言えば、パンチを打ったらすぐに引かなきゃ、そうしないと威力も出ないし相手に掴まれるよ。脇を締めて、素早く引く。これが基本さね。
相手が動かない彫像なら力任せのほうが強いけれど、動き回る相手には力より技術でダメージを与えなきゃ。
力任せの格闘なんてローブシンにでも任せていればいいんだよ。
キックも同じで、体ごとぶつかって行くような打撃の良さと悪さを理解してない。個人的に言わせてもらえば圧倒的に悪さが目立ってる。
うん、こんなとこ……要約すると、攻撃自体は一撃必殺の威力はあるけれど、動く相手には通じないし、防御がゴミ」
「ご、ごめんなさい……」
何だか酷い言われようの杭奈は、自分が情けなく思えて反射的に謝ってしまう。
「いいよ、別に。最初は弱い方が教えがいあるし」
対面するジョンは陽気にそんな事を言いながら杭奈の肩を掴んで笑う。
「俺なら、今から2日で、今の倍強くしてあげる」
あっさりとすごい事を豪語して、ジョンは笑う。
「そ、そうすれば君に勝てる?」
「最低でも5倍は強くならなきゃ無理かなぁ。で、5倍強くなる期間は保障できないなぁ……」
歯に衣着せない物言いでジョンは笑う。
「でも、ま……なんとかなるでしょ。俺もなんだかんだで預けられる期間は長いし……」
「う、うん。とりあえず頑張ってみるよ」
「よし、その意気だ」
ひょんな出会いから始まった師弟生活。なんだかんだでまともな指導にありつけたのはこれが初めてな杭奈は、内心飛び上がりそうになりながら初の個人指導を迎えるのであった。
杭奈とジョンは戦いのスタイルに違いはあるものの、どう攻撃すれば反撃を受けられないかを熟知したジョンの指導は、向こう見ずな杭奈の戦い方を改める。
臆病にならないよう、反撃はしつつもあまり痛くないように優しい攻撃で返したりと、ジョンは気遣いもばっちりだ。
見て真似するのが不得意な杭奈に気遣うように、動きを丁寧に指導する腕も大したもので、まさに理想の師匠と言えた。
ジムリーダーのポケモンにも匹敵しそうな実力を持ったこのコジョンドが、番(つがい)もなしにいまさら預けられたりして何故だろうとの疑問も浮かんだ。
バカラのように教官として預けられた様子もないので、ジョンが目的を話さない以上は見当も付かないのだ。
ジョンは、夜になったら目的を話すよと秘密にしていたので、待っていれば分かることだと杭奈はわざわざ尋ねる事はしなかった。
そもそも、トレーニングをしていると起きあがっては倒されの連続で、そんなことを考えている余裕も無くなってしまうので聞く意味もなかった。
疑問を払拭された夜の事であった。
「こういうの初めて? 力を抜いてリラックスしなよ……その方が気持ちいいよ」
引き抜いた草を集めてベッド代わりにした地面の上、横たわった杭奈の上で、ジョンは固くなった杭奈の緊張を解くように、杭奈の肢体に手の平を押し付ける。
「や、そこくすぐったい」
くすぐったさから杭奈は気の抜けるような奇声を発してしまい、まだ慣れていない行為に戸惑う。
「ん〜……まだ子供だな。大丈夫、もうちょっと続けてりゃ気持ちよくなるって」
そんな杭奈のことを笑いながら、ジョンは手を徐々に下の方へと伸ばしていく。
「ほら、ここなんかこんなにカッチコチになってるし……」
何百回とパンチを打ち込んだ腕は、すっかり緊張して固くなっている上に、酷くむくんでいる。
その筋肉を両手で揉みほぐされると、痛みとも重みともつかない疲れが解けるような感触を得て、杭奈は初めてマッサージの気持ち良さを知った。
「それにしても、どうして修行中のマッサージ師があんなに強いの? あれ、マッサージ師にあるまじき強さでしょ?」
ありがちな質問をされてジョンは笑う。
「マッサージ師じゃない、整体師……まぁ、なんだかんだでマッサージもしているわけだけれどさ。
前の主人がレンジャーでね、新米のポケモン鍛えていたから……一緒に教えるのは慣れてんだ。
今は元の主人もレンジャーを引退してね、故郷のここでポケモンの整体師をやってる今の御主人に引き取られたんだけれど……
どんなポケモンにも満足できるを提供するように、ってここで修行の最終段階さね。のびのびと技術を磨けってことさね。
目的を秘密にしてたのは、ただ最初の客を驚かせたかっただけ。他意はないよ」
ここに至るまでの間、暗くて攻撃が見えなくなるまでトレーニングは続けられていた。
大きな力をことごとくつぶされてきた杭奈と、小さな力で大きな力をいなしてきたジョンでは、スタミナの減り具合に明らかな違いが生じており、ジョンの方は若干息が上がっている程度で、まだまだ矢でも鉄砲でも持ってこいとばかりの元気さだった。
杭奈は『練習終わり』の言葉を聞いてからは立ちあがろうとしないほど疲れていて、それぐらい疲れていればマッサージも効果が高いだろうとわざと修行を厳しくしたジョンはちょっとばかし性格が悪い。
とはいえ、そんな理由で厳しくされても、強い精神力と不屈の心で必要以上に修行についていけたという事実には、ジョン自身も驚くほどの根性であった。
本来の目的である整体師の修行も、大抵のポケモンがトレーニングを終える薄暗くなってきたころ始めるつもりだったが、真っ暗になるまで行えなかったのは予想外だったが、育てがいのある奴だと考えれば悪い気分ではなかった。
だが、とりあえず本来の目的を果たそうとばかりのジョンの手で杭奈は強引に寝かされ、今に至る。
「整体師の修行ばっかりやらされててね、戦いはしばらくやって無かったけれど……まぁ、あんまりブランクが無いようで良かったよ」
杭奈の筋肉をほぐしながら、ジョンは微笑みかける。といっても、ジョンの顔は杭奈の死角にあったので見えなかったであろうが。
「というか、それだったら僕に構っている時間なんて無いんじゃ……」
「あぁ、いいのいいの。俺はやっぱり戦いの方が性に合ってるわ。後輩のレンジャーに引き取ってもらえなかったのは、今思うと残念なものさね。
主人はレンジャーの仕事でポケモンが死んだのを何度も見てるから、そうなって欲しくないんだとさ……」
「でも、君は戦い……好きなんだ」
「まぁな。悪の組織との殺し合いは好きじゃないが、訓練の最中はまぁ楽しくやれたよ……だから野蛮だとか誤解しないでくれよな?」
「そっか……」
強さを極めるのに恵まれた環境にいたのだなぁ、と思いながら杭奈は気になった事を尋ねてみる。
「いつまでここに居られるの?」
「ん〜……俺はどうやら3ヶ月契約みたいだから……お前とのトレーニングも、整体師のトレーニングもゆっくりやらせてもらうわ。
お前に付き合うのも、退屈しのぎにはちょうどよさそうだわ」
などと、今の安定した生活を嫌うような物言いをするジョンではあるが、もともと発勁を使える以上、力の発生・移動・作用の流れは非常に優れたポケモンであるといえる。
体の奥深くまできちんと力を届かせるテクニックは、マッサージに応用すれば悪くはなかった。骨や関節の歪みを治すという整体においても、もちろんそれは発揮されている。
「僕は6ヶ月契約……だし、寂しくなるなぁ」
「そうしょげるな。主人は隣町のブラックシティでゴギョウ整体院って店開いてっから、それなりに遊びに来ればいいさ」
陽気に笑いながらジョンはマッサージを続ける。恐らく、戦い以外ではこういう職業が天職なのだろう。
気を抜けば眠ってしまいそうな心地よいマッサージだが、ジョンは夢見心地に浸っている杭奈をよそに早々に切り上げて立ちあがる。
「それじゃ、大分血行もよくなっただろうし、今日はもうゆっくり休みなよ。明日の朝も同じ場所で会おうな」
「え、ちょっとどこ行くのジョン?」
「俺は、こっちの修行にいって来る」
と、言いながらジョンは腕から伸びる体毛を裏返してから手をワキワキと動かし、アピールした。
「あ。もうちょ……行ってらっしゃい」
樹の枝に飛び移ってから、足跡を残してはいけない呪いでもかかっているかのように木の上をゆくジョンは、そのまま杭奈の視界から消えていった。
最後に言った『行ってらっしゃい』の一言は、恐らく聞こえてはいないだろう。
こうして、少々マイペースな所はあるが、なんだかんだで面倒見の良いジョンに出会えて、杭奈は成長する希望と切っ掛けを持つ事が出来るにいたった。
6
「ただいま!!」
夜遅く、寝床として与えられた岩穴に帰還した杭奈は、声だけで宇宙に行けそうなほど弾んでいた。
静流は感心したような、驚いたような顔で杭奈に近づく。今日だけで酷く汚れている上に、疲れているのが目に見えて分かる。
その上、匂いを嗅いでみれば明らかに杭奈以外の匂いが混ざっている。
「ふぅん……嬉しそうな顔。随分と濃いめの男の匂いだね。アタイを諦めてついに男色にでも走ったかな。お尻の穴は大丈夫?」
「ちちちち違うよ!! これはあれ、ようやく僕の師匠に出会えたってこと。よく意味分からないけれどお尻の穴は大丈夫だから。
2日で2倍強くしてくれるって言われたんだからね。そりゃ、嬉しくもなるさ」
「ふぅん……2日で2倍ねぇ。本当なら楽しみにしてるわ」
静流は杭奈の頬を両手で包み込み、鼻に息を吹きかける。
「そんときゃ、アタイに男を感じさせてくれよな」
そして、杭奈の下あごにチョロリと出した舌を這わせて静流は笑う。
「で、出来れば僕……今感じたいんだけ」
減らず口をたたく杭奈へ向かって頭突きがゴツン。
「ったぁぁぁぁ……」
強烈な思念を纏った頭突きが杭奈の鼻面を叩いた。これでは杭奈も悶絶せざるを得ない。
「この技、彼に見てもらってちょっとだけ鋭くなったんだ。
あんたのように2日で2倍の成長なんて出来なくなっちまったがね。伸びしろってのはまだまだあるものだよ。
アタイはゆっくり成長するから追いつくのは頑張んな。調子に乗るのはそれから。いいね、杭奈?」
「ふぁい……」
涙目で痛みをこらえる杭奈に向かって、静流は『若いっていいわね』と笑う。
鍛えればそれだけ強くなれ、やればやるほど上達していった若いころを想いながら、静流は眠りにつくのであった。
次の日、ジョンが行う最初の修行は、準備体操から始まる。体が温まったところで昨日初めて会った時と同じように組み手を開始、という流れだ。
基本的な屈伸運動から、足の甲とキスするような柔軟運動。180度股を開いて地面とキスしろだの、格闘タイプの中でもテクニックタイプのポケモン特有の柔軟さが無ければ到底不可能な要求をされる。
幸い杭奈は、主人の指導のたまものかジョンの要求ほどハードではないが柔軟運動はやり慣れていて、ある程度無茶な体勢からの蹴りも難なく放つ事は出来る。
つつがなく柔軟運動を終え、修行は組み手へと移るのであった。
昨日は意地悪で瞑想を先に積んでいたジョンだが、今日は強気に杭奈へ先攻を譲る。まず最初に左足を前に、それに合わせて左腕を前方に伸ばして腕から垂れ下がる優雅な体毛を見せつけるような構えをとる。
昨日、杭奈は体毛を掴みにかかった時に、掴まれても意外に問題にしない数多くの対処法に舌を巻いた覚えがある。
これ見よがしに掴んで下さいとばかりのジョンの腕から伸びる体毛だが、傍から見れば優雅なそれも突き付けられた方は本当に鬱陶しく、槍の穂先を突き付けられた気分である。
杭奈はまず半身になりながら重心を下げ、上半身を鉄壁の守りで固めながら接近戦を挑む。体の側面を敵に向け、急所を守った構えから顔面めがけて左裏拳。
流石に隙が大きく、ジョンの手で右手で軽くいなされてしまったが後ろはとられておらず、超接近戦の間合いを取れた。続けて斧刃脚、かわされる。そして近距離での肩口からの体当たり。
ダメージ狙いではなく体勢を崩すための技ではあるが、きちんとヒットの感触を杭奈は得る。
追撃として顔を狙って打った杭奈の棘の裏拳は手首を抑えられて止められた。
杭奈の間合いを嫌ったジョンは大きくバックステップで回避した。得意のアウトレンジからの特殊技とけん制技に持ちこむ算段のようだ。
負けてなるものかと、遅れて距離を縮める杭奈に、片足で踏ん張ったジョンの強烈な前蹴りが喉元を狙う。
美しいY字の姿勢で突き出された中足、足指の付け根の部分による前蹴りの威圧感に負けて、杭奈はのけぞりながら止まった。
ジョンに何かされる前に接近して戦況を立て直そうと、杭奈が脚を動かせば、足元に生えた蔦草が絡まって杭奈は前のめりにつんのめった。
無防備に晒された杭奈の後頭部には、そっとジョンの足の裏が触れる。そのまま鼻と顎の骨ごと叩き潰す術もジョンは知っていようが、ジョンは敢えてそうはしない。
「立てよ、杭奈。まだ動けるんだろ?」
「……うん」
不覚にも草結びによってやられてしまった杭奈は、ジョンに足で肩を掬いあげるように起こされ、またも先手を譲られる。
体力が回復すれば一撃を当てるくらいなんとかなると思っていたが、結局まともにヒットする事は一度も無い。
このままでは終われないと、杭奈は躍起になるが、冷静さを失わないよう努める事は忘れない。
今度は鍛え抜いた左ジャブに、鋼の力を付与して鋼鉄の爪での一閃。と、したいところだが、左ジャブでは速すぎて爪が形成されるまでに間に合わない。
結果、半端な鋼タイプが付与されただけの微妙な威力だが、ある意味では杭奈の攻撃が初めてクリーンヒットした瞬間である。
しかし、ジョンは杭奈から決して目を離さなかった。
すぐに左腕を引く反動で右肘をジョンの胸にぶつけてやろうと接近した杭奈を、カウンターの掌底フックで顎を打ち、沈める。
ふらりとよろけた杭奈に対して、ジョンは腕の体毛を鞭のように唸らせ、鼓膜、眼球、股間と、急所をひたすら狙った。骨を破壊する心配の少ない体毛による打撃は、効果音がビュオン、パシンッ! と、ひたすら風を切る音と乾いた打撃音のみで、聞くからに痛そうだ。
扱いの難しそうな二刀流の鞭だが、体の一部であるジョンには慣れた物なのだろう、腕同士がぶつかり合う事も絡み合う事も無しに、中空をブレながら優雅に舞い、本能的な恐怖を誘うその音が響く。
鞭に打たれたような強烈な痛みに負けて、杭奈はついに虐待を受ける子供のように体を丸めて無様な防御の姿勢を取った。
その隙にジョンは突き離すためのとんぼ返りで大きく距離を取り。杭奈がこちらに追いつく体制になる前にチャージされた特大の波導弾を見せつけ、勝負を決めた。
「……う〜ん。昨日よりはだいぶ良くなっているけれど、まだ引きも遅いし動作の連続性がぎこちないかな。コンボを決めるためには結構きついかも。
ジャブから肘打ちに繋ぐまでの動作……足運びから腋の締め方、足元から頭まで改善の余地があるね」
動作が早い事は褒められたが、やはり杭奈は最初の一発限りだ。ジョンはコンボに重点を置く必要があると杭奈にアドバイスをする。
「わ、分かった……」
「それとね。一番最初に見せた防御しながら攻撃ってアイデア。一番最初に見せてくれたあれは結構面白かったよ。超近距離攻撃の基本さね。
でも、あの裏拳……ホントは掴み取ってブン投げるなり、後ろを取って関節外すなりしたかったんだよね。
動く標的相手に攻撃してみたいだろうから放って置いたけれど……せっかく棘が付いているんだから、顔だけじゃなくって別の場所狙ってみたらどう?
あの裏拳はルカリオの専売特許だし、上手く当たれば何処を狙っても痛いだろ?」
ズバズバとジョンは杭奈の弱点を解剖しては突き付ける。ここまで弱点が多いと気がつかされると、杭奈はもはや言葉が出なかった。
「……はい」
「そうしょげるな……弱点は一つずつ潰して行けばいいさ。明日にはもっと強くなっている。1日だけでここまで強くなったしな」
そんな杭奈の気分を察してか、最後に励ましてジョンは笑う。
「やっぱり、基礎を抑えた分昨日よりもずっと強くなってたし、今日から息抜きがてら俺以外とも戦おう。
お前のご友人が何をやってくるか分からない、というのなら何をやってくるか分からない相手との経験を積んでおいた方が絶対にいいから。
なんだっけ、昼食を賭けて闘うあの……」
「昼食マッチだね……そう言えば静流は毎日洞窟エリアでそれを頑張ってるとか」
「そうそう、それ。お前が負けた相手に対しては、俺が戦いのお手本見せてやるからさ、一緒に昼飯たくさん食べてやろうぜ」
フォローもアドバイスも忘れないジョンの教えに、杭奈は悔しさと達成感を同時に感じて奮い立つ。
当面は、静流に勝つ事は諦めて昼食マッチに勝つ事が目標となりそうだ。
7
昼食マッチは、食料を賭けて戦う。それだけだ。もちろん、ダブルバトルや、時にはトリプル・ローテーションといったルールはあるが、基本は昼食を賭けて戦う。それだけである。
なんでも、ブラックシティ出身というこの育て屋の経営者は、『この世界に生きる事は誰も許されていない』という座右の銘を持っている。
本当なら負けた者には食料を半分しか出さないくらいの厳しいやり方にしたかったそうだが、それではトレーナーからも抗議が出そうなので、昼食を賭ける程度が関の山だそうなのだが。
昼食には草食、肉食、鉱食、腐食、全てのポケモンが美味しく食べられる木の実をあてがうために、食費は結果的に高くなったが、ポケモン達は美味しい食料を得るために強くなる理由が一つ増えた。
そのため、ポケモン達は傾向的に育ちがよくなり、なんだかんだでこの育て屋の評判が上がるきっかけともなった独自の育成文化でもある。
ポケモン達は住処の位置に合わせて別々の場所で餌とそれを入れる専用のカゴを持たされ、それをお好みの場所に持ち寄って賭けなり戦いを繰り広げた。
あえて不利な場所に挑む事で賭けの条件を良くする者もいれば、自分が慣れた場所で堅実に戦いに興じる者もいるというわけだ。
「じゃ、お前の対戦相手は……やっぱり何やってくるか分からない相手がいいよなー……」
大小様々なポケモンが入り乱れる草地エリアと森林エリアの境界。癖の無いフィールドゆえに、普段は別の環境を好むポケモンなどもちらほらと集まって織りなす昼食会は、野性の時ほどではないがスリルに満ちた場所となっている。
池沼エリアや洞窟エリアでの開催もあるにはあり、参加資格に制限はないのだが、人気は少ないし杭奈に不利なフィールドも少なくない。
それらは後回しという事で、無難に選ばれたのがこの場所であった。
「あ、あいつなんてどう? 賭けの対象は鉄板だってよ」
ジョンが指さした先にはギギギアル。中心に顔の無い歯車、その隣に顔のある歯車と赤い丸印の歯車。
二つの歯車の後ろに巨大な歯車と、赤い歯車に噛みあわせて回る鋸のように鋭い棘の生えた輪っか。
いきなり形状がもはやわけのわからないポケモンである。
「……鉄板、ねぇ」
杭奈は自分の手の平に包んである薄い板状の鉄、3枚。言うなればチューイングガムのような形に延ばされた副菜を眺め、ギギギアルを眺める。
「奴の特徴は円の動きだ。気をつけろ」
愉快そうに笑いながらジョンは役に立たないアドバイスをする。
「それ、見れば誰でもわかるし、僕ら格闘タイプの使う円の動きとは全く異質な気がするんだけれど……というか、闘う前提で話してない?」
「いいだろ、鋼タイプ同士仲良くやって来い」
そんな無茶な、と苦笑して杭奈は背中を押されるがままにギギギアルに話しかけなければ収まりのつかなそうな雰囲気の渦中に放り込まれる。
ギギギアルにぶつかりかねない距離まで近づいて、杭奈とギギギアルは一気に注目の的に。
「あ、えっと……こっちは鉄板3枚。そっちは1枚でひと試合どうでしょうか……?」
杭奈は自分の方が不利な条件を提示するが、これは相手を舐めているわけではないし、自分を追い込んで力を出すという高尚な考えを持っているわけでもない。
早い話が、格闘タイプを持っている杭奈の方がタイプ的に杭奈有利なために、自分からハンデを申し出た。ここではそれが暗黙の了解だ。
「格闘タイプ……か。なら、それくらいが相場かな。いいよ、やろうじゃん」
「お、お願いします」
ジョンには一応の礼説を知っておくべきだろうという事で、戦う前に礼をさせられる。ただし、いきなり相手がかかってくることも考慮に入れて、礼の前後も目を離さない事は基本である。
ギギギアルは一応、杭奈が構えをとるまで待ってくれた。しかしながら、ギギギアルは四肢が無いためいつ仕掛けてくるか分からず、気味が悪い。
確かに、外見の面でも面白いポケモンだが、何をやってくるか分からないという点ではこれほど相応しいポケモンもなさそうだ。
杭奈もセオリー通りの戦い方が出来る気がせず、どう攻めるか少々迷う。
何より怖いのは、相手は攻撃しながら移動できるということ。
頭突きや体当たりといった攻撃も、もちろん攻撃しながら移動と言えばそうなのだが。
ギギギアルの場合は常に正面を向いたままの回転という方法での攻撃で、必然的によそ見が多くなるジャイロボールとも高速スピンとも違う。
まさに異質としか表現しようが無い攻撃だ。
怖いのは鋭い棘の生えた輪っかだ。回転する事で本体を守っており、不用意にしかければ太ももの筋肉を切り裂かれかねない。
本体に攻撃を届かせるには、あの輪っかを如何に掻い潜るか、である。
杭奈は難しい事を考えなかった。構えてから一息の間に彼が選んだ技はボーンラッシュ。
ガラガラのように媒体となっている骨を持っていないために、武器として使用可能な長さまで波導を高め成形・実体化するには最低でも1秒ほどの時間がかかる。
しかし、武器ではなく防具として使用するならその限りではなく、この時杭奈が出した骨は長さにして約20cm。
接近の瞬間に伸ばし、防御に使用できるギリギリの長さである。
杭奈はギギギアルの回転する棘の輪っかに対し、波導で成形した骨を回転方向とは逆向きに打ちつけ、バランスを崩すと同時に回転の勢いを弱める。
ギギギアルの巨体が前のめりになったところで杭奈は輪っかを踏みつけ、地面にたたき落とす。
重心の外を踏みつける事で前のめりに襲いかかったギギギアルの本体には、棘の生えた裏拳を見舞って凌いだ。
回転し続ける事で尋常じゃない威圧感を与える歯車の動きを止めるため、杭奈は赤い歯車と鋸状の輪の間に骨を挟み、小さく跳躍して本体を蹴り飛ばして距離を取った。
「さて、まだ続ける?」
波導弾をフルチャージした構えのまま、杭奈は尋ねてみる。杭奈自身は知る由もないのだが、ギギギアルにとって回転は呼吸にも等しい行為である。
それを封じられた今、首に縄を掛けられたまま戦うようなもの。ギギギアルが選んだ答えはもちろんこと、
「参りました」
思えば、ここ数日負け続きだった杭奈だが、久しぶりに勝ちを拾えた満足と安心感で、安堵のため息をついて彼は座りこんだ。
「よっし、上出来だ。明日はもっと手ごわい奴と戦おうな」
そして、その勝利を祝ってくれる相手がいる事で、その喜びも一塩だ。杭奈は戦利品として放られた小さな鉄板を受け取り、余った右手でハイタッチを交わして喜びを分かち合う。
とにかく今は、おやつ代わりの鉄板の味を噛みしめて喜びに浸るのが優先とばかりに、杭奈の食事の様子は馬鹿みたいに幸福な顔に終始していた。
8
「今日は勝っていたらしいわね」
夜遅くに帰って見ると、ニコニコした顔で静流が待ち構えていた。どうやらご機嫌な様子。
「ちゅ、昼食マッチのお話?」
「当たり前よ。だって、あんた弱いからあのジョンのお兄さんに全く勝てないし、昼食マッチ以外で貴方が勝ってたりしたの?」
「う……」
見下ろされるのは気に食わないが、反論しようにもできず杭奈は身をすくめる。
「あのジョンもなかなかの者よねー、あの子ぐらい強くなれば私を倒せるから、頑張りなさいよ。じゃないと私他の男に犯されちゃうかもよ?」
「あぁもう……わかったよ。絶対、僕と交尾させてやるからな!! 覚悟しろよ!!」
「はいはい、覚悟覚悟。待ってるわよ。静流お姉さん、貴方が強くなるのは嬉しいからね」
クスクスと笑って、静流はあしらう。
「うう……絶対覚悟してないでしょ……」
「さぁ、どうでしょうね?」
結局自分が相手にされていないことに、杭奈はむくれる。
むすっとして拗ねてしまった杭奈を見つめる静流の視線は、可愛いと感じているのか、おこちゃまと見下しているのか定かではない。
後頭部の房を立てれば少しぐらいは感情も伺い知れるが、それに気づかれてしまうと、他人は心の内を探られないようにしてしまうので、それは出来なかった。
結局、悶々としたまま杭奈は眠くない目を強引に閉じて寝たふりを始めるのであった。
そして、寝たふりを始めてから少し時間がたつと、岩穴前の草むらからなにがしかの来訪者が訪れ、静流はその来訪者と共に杭奈の付近から消えていた。
洞窟エリアのすぐそばにある広葉樹に腰掛けて、春一番によって揺れる木の葉ずれの音に邪魔されながらも静流とジョンは仲良く語り合っていた。
「あら、約束は守るわよ。あの子の純粋な気持ちを踏みにじるほどアタイもワルじゃないもの」
静流はジョンの強烈な突っ込みを笑い飛ばして、眼前で手を振りながら否定する。
「その割にはお前、さっき……」
静流はジョンの首元にそっと抜き手を添えると、ジョンは黙ってしまった。
無論、殺す気などはないだろうが、深く詮索するならば何らかの危害を加える事は間違いない。
「レディにみなまで言わせないの。いいかしら? 私は強い人にしか興味が無いのよ……今も昔もね」
すまん、と謝ってジョンはその手を払いのけて苦笑する。
「男狩りのために強さを磨くか……こりゃまた、立派な目標だこと」
「でも、流石に本気で付き合うには強いだけじゃ不安……落ち着いた雰囲気の年上が良いのよ。私より遥かに弱い事はもちろん、童貞の杭奈なんて対象外だわ」
「へいへい……分かりましたよ。とりあえず悪女なんさね……」
「だって、私悪タイプだし、良いじゃない。それに、約束は守るわ……"勝ったら"やらせてあげるわよ」
「勝たせる気がないわけね。はは、こりゃ杭奈には酷かもな……勝たせられる気がしない」
悪びれることなく言ってのける静流の言葉に、ジョンはおどけて笑って見せた。
「そう言いなさんな、ジョンさん。貴方は立派よ……杭奈を本当に2日でかなり強くしちゃって……貴方すごいわ」
「身体能力が高い割に基礎が出来ていなかっただけさね。主人が相当あの子の教育をさぼっていたと見える」
「私の主人……忙しかったものね。半年契約じゃなくて良かったわ。半年なら杭奈が勝つってこともあったもの。
でも……3ヶ月あれば杭奈も少しは美味しくなっているかもね。生焼けの肉をつまみ食いするのは好きよ」
「あ…ああ、そう……さな」
なんとコメントすれば良いのか分からず、ジョンは生返事からため息へつないで気を取り直す。
「そうさね。半年あれば、あいつはここに来た時よりも5倍強くなるだろうさ……でも、お前さんに勝つには、杭奈が5倍強くなるだけで足りるのかどうか……正直分からんな」
「5倍ってのがどれくらいを意味するのかは分からないけれど……私に勝つには少し足りないでしょうね。
ま、読みあいに勝って私に綺麗に技を決められるならあるいは……あのピヨピヨ可愛らしいアチャモのようなあの子でも」
静流は目を閉じて、そんな風に杭奈を評価する。
「ところで、貴方は強そうでいい男ね。私と遊ばないかしら?」
静流は眼を閉じたまま上体を傾け、右肩をジョンに預ける。
穿いている抜け殻も少しずらして、大事なところが見えるか見えないかの位置まで下ろした。
冗談めいた口調で語る静流の言葉は、ジョンとの関係も遊びであると明言しているようなものだった。
「バカラ教官と『遊びで付き合ってる』って明言しているお前とは嫌。っていうか、杭奈に嫌われちまう。
それに、俺は整体院に戻れば彼女がいるのさね。こんな状況で浮気なんてナンセンスさ。ま、俺に勝ったら遊んであげても良いよ」
自信満々にジョンは言ってのける。静流は体つき一つで相当鍛え抜かれている事は分かるが、タイプの関係を思えば負ける気はしない。
「んもう……遊びで付き合うって分かられていると辛いわ。杭奈ったら余計な事を言うんだから」
「なら、俺をモノにするのは諦める?」
ジョンが苦笑して切り返す。
「ジョーダン……私の誘いを断るのなら、お望み通り・・・・・力づくで」
言いながら、静流の肘打ちがジョンの脇腹を打ち貫――
「冗談なんて、言っていないよ」
――かなかった。軽く肘鉄を食らわせるだけのつもりだったが、きっちりそれはガードされて、静流は眼を皿にしてジョンを見る。
「まぁ、驚いた。そんなに強いと本気になってしまうわ……」
ふん、と鼻息を吐いて静流は尋ねる。
「それじゃ、質問。格闘タイプの漢として、二言は無いかしら? 貴方のことちょっと気に入っちゃったわ」
「勝ったら付き合うってお話の事かい? 失言だけれど……言っちゃったものは仕方ないね。いいよ、お前も闘うのが好きなんだろ? 格闘タイプはみんなそうだ」
溜め息をつきながら、さりげなく静流の右腕を掴もうとしたジョンだが、その手は逆に静流に掴まれる。
「おっと、付き合ってもいない女性の手を握るのはマナー違反じゃないかしら」
「やべっ」
不意打ちをしようとして逆に不利な状況に追い込まれたジョンは反射的に声を上げた。
「それに、私は闘うのが好きなんじゃなくって……勝つのが好きなの。とびっきりね」
静流は、ジョンを掴む手にぐっと力を込める。
「知ったことかよ!」
ジョンは自身の左手首を強引に手繰り寄せ、それを掴んでいる静流の右手首に、揃えた指先で貫き手を喰らわせた。
手首の腱を強かに打たれて緩んだ静流の手を、彼女の体ごと打ち払って、ジョンは木の上から飛び降りる。
静流は葉がついた木の枝を折りつつ、ジョンへの跳び蹴りも兼ねて跳び下りた。
半歩下がって空中からの飛び蹴りをかわしたジョンはバックステップで距離を取るも、静流が投げた樹の枝が襲いかかる。
視界が塞がれたジョンは、樹の枝を払いのけて視界を確保するが、その瞬間に強酸を含んだ体液が彼の胸にヒットする。
胸が濡れた感覚に気付いたジョンは、すぐさま腕から伸びる体毛でそれを拭い去った。
自慢の美しい体毛が、拭いた右腕からはらりと溶け落ちるのを感じてぞっとする暇も無しに、静流の右ローキックがジョンの左脚を狙う。
膝を上げて、彼女の足の甲を脛(すね)で受けると、足の甲が堅い骨に当たった痛みで僅かに静流の動きが鈍った。
ジョンは上げた足を戻さず、前に押し出すようにして間合いを詰め、左手で静流の顎先を右から左へ張り手の形ではたく。
ジャブ代わりの逆張り手を軽く振り抜いて静流の顎先を揺らし、余った右手でダメ押しの発勁。
顔を狙った重く響く打撃で一発御退場願おうとしたジョンの一撃は、静流が勢いよく地面に倒れる事で避けられた。
「なっ……」
しかし、それは倒れたのではなく受け身を取って地面を転がるというトリッキーな動作であった。静流は尻尾を器用に扱って、肩辺りから柔らかく地面に着地。
自慢のトサカを少々汚しながらも勢いを付けて静流は立ちあがると、双方ともに左足を前にしたスタンダードな構えで仕切り直して膠着する。
「ジョンさん。貴方随分、素敵な攻撃をしてくれるわね? 年のせいかバカラ教官にも劣らない魅力だわ」
「年長者の魅力って奴ですかい。そりゃどーも……こちらこそ、何をしてくるか分からないって杭奈が言っていたけれど、本当さな。
レンジャーでも整体師でも、今までお前みたいな女見たことねぇ…初体験だぜ」
「お褒めに預かり……」
と、静流が笑いながらその笑顔の奥に殺意を隠して精神を集中する。
その様子に本能的な危険を感じたジョンは、ひとまず飛びはねて樹の枝につかまった。
「光栄よ」
その刹那、ジャブより早く体当たりよりも重い、渾身のパンチが静流から放たれた。
その威力のほどは拳にヒットした固形物が無いために分からなかったが、踏み込み一つで地面がえぐれ、踏み込む時に足をひっかけた木の根っこが途中で千切れている。
まともに拳へ当たっていたらその威力は計り知れない物となっていただろう。
「気合いパンチ……お見事」
「避けられちゃあ、世話はないわよ」
静流は軽く開いた手の平の中に石を作りだし、飛礫(つぶて)を投げてジョンを撃ち落としにかかる。
素手で受けては危険なそれを、ジョンは柔らかな体毛でくるみ込むようにキャッチする。
石の飛礫の結果がどうなったかを見ずして、静流はジョンが石で遊んでいる隙に周囲の木々に身を隠していた。
だが、逃げたような気配ではない。
「物陰に隠れて……ビルドアップ……もしくは龍の舞いか?」
もしビルドアップで打撃力を上げられるだけであれば、まだ対処は出来る。しかし、もしも相手が龍の舞いを覚えていれば?
普通なら龍の舞いなんて行えば確実に居場所がばれる――が、今日は風がやたらとうるさい。
この闇と音に紛れて龍の舞を積む事は難しくない。恐ろしい想像がめぐって、ジョンの身の毛がよだつ。
すぐさま、ジョンは精神を研ぎすまし、波導弾を放つ準備をする。瞑想からの波導弾と言えば彼の十八番だ。
悪タイプは夜目が効く種族が多く、静流が属するズルズキンもまたその例に漏れない。いつでも仕掛けられる静流と、いつ仕掛けられるかもわからないジョン。
静流が心理的にも状況的にも有利な勝負だ。だが、ジョンには勝算があった。
彼には、杭奈ほどではないが波導を駆使し気配を感知する技術がある。俗に言う心眼というものだ。
ジョンはフルチャージした波導弾を構えつつ、周囲の気配に気を払う。
数秒の沈黙。春一番だけが鳴いているこの場所に、ガサリと異物が紛れ込んだ音。
背後から繰り出されたズルズキンの跳び蹴り――は、ただの陽動だった。
わざとらしいまでにガサリと音がした方向から来たそのズルズキンは、いわゆる身代わりの技。
ぬいぐるみのようにふわりとした質量しか持ちえないその身代わりの跳び蹴りを棒立ちのまま受けとめたジョンは、同じ方向から遅れて迫ってきた静流に向かって特大の波導弾を放つ。
「きゃっ!!」
龍の舞を積んで対艦巨砲のような圧力を帯びて気合いパンチを放つ静流は、ジョンの攻撃を受けてただダメージを受けるにとどまらない。
体勢を崩して派手にすっ転び、木の根に四肢が引っかかりながら小さくバウンド。積もった腐葉土で衝撃を吸収しながらブレーキして止まった。
全く無防備のまま受け身も取れていないという事は、すでに彼女は空中で気絶していたのだろう。
「身代わりからの……気合いパンチ。恐ろしい女だな……」
もしも最初の身代わりに波導弾を当てていれば、ジョンは無防備になったところに静流の気合いパンチを打ちこまれていたであろう。
そうなれば、一発KOである事は容易に想像できる。多くの悪党と戦ってきたジョンの経験の差が勝負を分けたと言っていいだろう。
「こいつに3ヶ月で杭奈を勝たせるとか……やっぱり無茶さね……これ」
勝てたことにほっと息をつきつつ、ジョンは疲れて座りこんだ。