奮闘その十三:強くなるために強くなろう!!
30
ペテンと共に、昼食マッチのダブルバトルに挑戦し始めてから5日。
杭奈はスバルの教えた足捌きに加えて、袴がバオップとの戦いで見せた相手の動きを読む秘訣を探るべく、袴にやり方を聞いたのだが……
「僕の場合……角で感情の動きを察知するのですけれど。ほら、杭奈兄さんがさんざんやっているように、近づかれた時の対処って難しいのですよね。
だから、兄さんみたくインファイトが使えるとか有効な対処法があるポケモンならばともかく、そうでないポケモンは選択肢が狭まるのです。
そうなると……角で行動を読むのもた容易いというわけです。杭奈兄さんも、その房を上手く使えば出来ない事ではないと思いますよ?」
「……房。どうやって鍛えればいいのかな?」
「さ、さぁ……僕は進化と同時に力が強くなりましたので、鍛えた覚えが無いのです……う〜ん……ちょっと待っててください」
と言って、袴は小石を拾って杭奈に手渡す。
「感情を読むっていうのは、こうやってコツを掴むことが何より大事だと思いますので……その小石、左右どちらかの手に掴んで下さい」
言われるがままに、杭奈は手の中に小石を隠し、袴は的確に左右どちらの手に小石が握られているかを当て続ける。
同じ事を杭奈にやらせて見ると……
「もう、無理……」
「まだ3回目ですよ杭奈兄さん……」
一応、正解を当てる事が出来るのだが、とてもじゃないが房の集中力が持たない有様であった。
「ともかく、続けていればいずれは慣れると思いますので……僕にはルカリオの事なんてわからないので何とも言えませんが、頑張ってくださいね……」
「うん……とりあえず、今日は色々ありがとう」
集中力が切れて焦点の定まらない目のまま、杭奈は気の無い声で感謝の言葉を贈る。
これが夕方頃の出来事。
そういったいきさつで、杭奈は房をもっと積極的に戦闘に取り込もうとしたいところなのだが、アレはかなりの集中力を要する技術だ。
長い時間使っていると確実に頭が疲労を起こして、集中力が長くは持たない。と、夜になってスバルに話してみたところ、帰って来た答えはこう言うものであった。
「そうですか……それについては、比較的簡単に房を強化する方法がありますよ」
にこりとスバルは笑う。それはなんだと言いたげな杭奈に対して、スバルは言う。
「子供を産ませる事ですねー。自分と少し似た匂いの赤ん坊の匂いを嗅ぐと、房の力は大きく強化されるのですよ。
子供を守るために、房が感知できる範囲が広くなるそうです。ふふ、子供が出来れば強くなるだなんて、いい事ではないですか」
そう言って、スバルは杭奈の頭を撫でまわし、てスバルは笑う。
「後は……まぁ、気の持ちようですね。懐く事で進化するルカリオは、愛する者がいればそれだけで力を強く出来ます……
まぁ、数値で実証された変化があるのは房の感知能力のみですが、今それを所望している貴方にはもってこいですね。
そうですね……では、今日は課外授業と行きましょうか。
具体的な技術を得るための修行ではなく、精神的な修行ではありますが……房の力を高めることは可能なはずです」
何をやるんだとばかりに首をかしげる杭奈の頭を撫でて、スバルは笑う。
「なに、貴方にとっては簡単な仕事ですよ。野性では、殺し合いなど当たり前のことだったのでしょう?」
ん? と、杭奈は頭をかしげる。
「人間の世界ではですね。誰かに残業を頼む時は追加給金を出すものなのですよ……でも、思えば私は毎日残業していると言うのに杭奈君からはまだ何も貰っていないと気付きましてね。
ですから、杭奈君には修行ついでに体で払ってもらおうと。そういうわけなのですよ。まさしく一石二鳥という奴ですね」
キョトンとする杭奈に、スバルは笑って見せた。
「ですから、私と一緒にブラックシティに出張しましょう。場末のクラブハウスに行けば、賭け試合の一つや二つ当たり前のように行われておりますよ。
そこで勝てば、それなりの賞金がもらえます故、そこで課外授業といたしましょう……」
流石にこれはやばい雰囲気がぷんぷんしたのか、杭奈は手を振って嫌だとアピールする。
「強くなりたくないのですか? 大丈夫です……私はそこまで鬼じゃありませんので、嫌というのであれば無理強いはしませんが……
しかしながら、強くなるためと割り切って騙されたと思って付いて来てみませんか? きっと、貴方にはよい経験になると思うのです。
大丈夫ですよ。あなたの大ファンである私が、あなたを危険な目に合わせると思いますか? そんなことありえませんよ」
単純な思考の杭奈でも、この提案には首をひねっていた。だが、『騙されたと思って』というフレーズに押されて、スバルの提案に従う事を選んだ。
スバルは杭奈との修行を終えた後、厚化粧のあばずれ風の女性に変身していた。何でも、その方がブラックシティを歩きやすいとのことで。
そんな理由でまるで別人になって、杭奈は変化に戸惑いながらの課外授業の舞台へ向かう空の旅へと赴く。
スバルは化粧の匂いを振りまきながらスバルはトリニティを駆り、彼女は風を浴びながら唐突に口を開いた。
「杭奈君……強くなるためには、目的が必要という事は前にもお話いたしましたね?」
ん? と顔を上げるとスバルは神妙な顔をしている。
「強くなるための目的というのは当然のことながら食欲や性欲・睡眠欲の他にもまだまだあるんです……それは、以前にもお話した通り、大切なものに対しての感情です。
先日は、自分の子供が生まれたら、その子に対して愛情を注いで上げろと言いましたが……それ以外にも感謝という形で誰かに報いると言うのも大事なことです」
首をかしげる杭奈に、スバルは続ける。
「以前も言いましたよう、貴方は食事も住処も十分に与えられております。それはとても幸福なことなのですよ。
そうしてもらえる自分の運命と、自分の主人に感謝しませんといけませんよ」
よくわからずに頷く杭奈をスバルは指でつつく。
「こう言った理由はですね。昔は私、ポケモンは道具って思っている時期がありましてね……
健康管理のためにも、ぞんざいな扱いこそしてはいませんでしたが、ポケモンとの繋がりは絆ではなく完全にギブアンドテイクの関係だったのです。
いつだったか、プラズマ団……と言っても貴方には分からないですか。とりあえず、とある集団にポケモンとの関係のあり方を問われた時……
私は自身のあり方を見直し、ポケモンに感謝しながら生きることを心がけたのですよ。
その時から、ポケモンの士気も自分の士気も上がって勝率が上がりましてね。
ですから、貴方もこれから御主人や自分たちの周りにあまねく多数の人間やポケモン達へ向けて感謝できるようになって欲しいのです。
私は、感謝することが強くなる秘訣の一つだと思っておりますから。
貴方がもしルカリオでなくとも、感謝の力はきっと役立つはずです。ですから、今日の課外授業は真面目にやってくださいね」
やっぱり杭奈はピンとこない。
「今は分からなくっても、いつか分かります。自分のために頑張るだけでも強い貴方が、誰かのためにも頑張れる。それこそ、強さの秘訣だという事ですよ」
そう言って微笑みながら、スバルは杭奈の肩を抱きよせ乱暴に横顔を撫でる。武骨な男性のような可愛がり方で杭奈に嫌そうな顔をさせるが、スバルはむしろそれを楽しんでいる風であった。
「ブラックシティが見えてきましたね……降りましょうか」
そう言って、スバルは短い空の旅を終える。
降り立った場所は、ブラックシティではありふれた退廃的な歓楽街である。
大きなお店はないものの、所々にあるクラブ店では他では手に入らないモノが手に入るともっぱらの評判である。
警察も、この街ではそう言った小さな犯罪の取り締まりなどバカらしくてやっていられず、人身売買などもっと大きな犯罪にかかりっきりである。
また、この界隈のクラブでは、ポケモン同士を戦わせて賭けを行う店が多く、表に出るような綺麗なバトルではなく死者も出るような凄惨な戦闘が行われる。
悪く言えば残酷。よく言えば刺激的だと言われている。
「とまぁ、貴方にこれから出て貰うのはそういう試合なわけで……でも、貴方より強い子なんて、こんな酒場でドサ周りをするような輩ではありませんから」
そう言ってスバルはクラブの安酒を煽り始める。ホワイトフォレストのそれと比べると、炭酸もアルコールも匂いもきつい刺激的な酒の匂いに杭奈は眉を潜めた。
その様子に気づいたのかスバルは杭奈をボールの中に入れ匂いで不快にならないように、出番を待つ。場が盛り上がってきた酒場では、深夜0時を過ぎたところで例の試合が始まる。
表の試合よりかはレベルが低いものの、流血沙汰が日常茶飯事のこの試合では刺激が違うとかで、ブラックシティの裏の名物として不動の地位を占めている。
だが、それはポケモンの意思をないがしろにした戦いに他ならない。
「杭奈、ようく見てみろ? 野性のポケモンの生活の厳しさも大概だが、ここの奴らもそう良いものじゃない……
なぜなら、野性では勝てないと分かったら逃げることも降参することもできる。なのに、ここで戦う事を義務付けられた者は……ああなる。
結構大差の付いた試合ならば、優しく終わらせてもらえるが……泥仕合となると酷いものだからな」
金網で仕切られた空間で戦い合っている二人は、いつの間にかブラックシティモードとなっているスバルの言うとおり凄惨な光景を繰り広げていた。
普通は相手が立てなくなれば終了だが、対戦者は立てなくなってもはいつくばってでも噛みつきに行っている。
「ああでもして戦わないと、賭けに負けた観客や飼い主からさらにひどいリンチの憂き目にあうものでね。言い訳のために傷つかなきゃならないんだよ……
まったく、酷いものさ杭奈。お前はああいう風に生まれなくて良かったなぁ、おい?」
スバルは杭奈の首筋を軽く叩いて力なく笑う。スバルは、酒を飲みつつ昔はあんなふうに戦わせたりしたものだとうそぶきながら幾つかの試合が消化される様を見る。
「さて、お前の他の試合も終わった。私たちの番のようだよ……優しく終わらせてやれ……」
相手は、酷く酒に酔った人間の手持ちで、ムシャーナ。相手とは相性としてはどちらも悪くないはずだが、ムシャーナなは今までの戦いを見て酷く怯えていた。
「杭奈。誰かから指示を受けて戦うことには慣れていないだろうが、今日は私の指示に従ってくれ。お前がどれくらい動けるのか、確認したいんだ」
そう言われて、杭奈は戸惑ったような複雑な表情をする。
「私の指示に従っていては負けそうだと思ったら、自分のやりたいようにやれ。大丈夫、相手は格下だ……私が保証する」
格下とかそんなの関係無しに杭奈は気が進まなかった。あんなに怯えている相手を甚振るのは、杭奈の趣味ではない。
野性時代に母親達が弱らせた獲物を嬲った時は、腹が減っていたせいか気分が高揚していたが、同じ弱い者いじめでも必要に駆られていない今と昔では事情が違う。
そんな事を思い出し、もやもやした想いを抱えながらあれよあれよという間に杭奈は金網のケージの中へ、これが閉じられたら試合開始だ。
「難しく考えるなよ杭奈。とにかく、特殊型のポケモンには暇を与えずに突っかかるしかない。特に、サイコキネシス使いには後手に回ればやられるぞ。
試合を開始したらとりあえず何でもいい、適当にやり易い攻撃をしてみろ!!」
スバルが下した指示は、具体的なモノではなかった。杭奈にとってはむしろこちらの方がやり易くて助かるが。
杭奈に命令が下された後に、金網はすぐに閉じられた。具体性の無い杭奈への指示に対して、敵の指示と言えば――
「ジャック!! サイコキネシスだ」
と、分かり易いもの。まず、杭奈が接近しようとして、サイコキネシスの見えない手に飛ばされた。
杭奈はそれを気合いで振り払って、吹っ飛ばされた先にある金網に対して受け身をとる。サイコキネシスは一度振り払ってしまえば数瞬再発動する事が出来ない。
その僅かな間を、エスパータイプは逃げ回るなり出来るだけ遠くに吹っ飛ばすなりで時間を稼ぐのが主流だ。
だが、この狭い金網の中ではどちらも難しく、哀れムシャーナは杭奈の攻撃は真っ向から受けて立つしかない。
杭奈はまず金網を蹴って摩擦を無視した神速のスタートダッシュ。サイコキネシスの再発動に向けて集中力を高めているムシャーナに抱きついた。
浮力では支えきれずにムシャーナが落ちる。杭奈の胸の棘がムシャーナの首に刺さり、声にならない悲鳴を上げた。
「ほう……あのしがみつく攻撃はコマタナの技じゃないか。杭奈め、いつの間に覚えた?」
呑気にスバルは独り言。下草刈りに雇っていたキリキザンと、その部下のコマタナ辺りから習った技だろうと推測する。
杭奈に攻撃された相手のトレーナーは、それどころではなさそうな気配だが。
「おい、振り払えジャック!!」
ムシャーナのトレーナーが言うが、杭奈は気にすることない。そのまま抱きしめる力を緩めないで噛みつき、更なる苦痛を相手に与えた。
普通に戦っても勝てるのだが、サイコキネシスで戦うエスパータイプには、この抱きつきというのは非常に効果が高い。
サイコキネシスで四肢を引きちぎるような桁外れの力を持っているポケモンならばともかくとして。
普通のポケモンがサイコキネシスを使う場合は、相手を飛ばして何かに衝突させてダメージを与える必要がある。
その攻撃方法の都合上、今杭奈がそうしたように抱きつかれると自重も加わって加速度が半減されてしまうのだ。
如何に対象との距離が近ければ近いほどサイコキネシスは強くなるとは言え、スピードが無ければ何かに当てる前にサイコキネシスを振り払われてしまう。
「いいぞ、杭奈。そのまま首を振れ!! 女犯す時腰を振るように、だ!!」
何やら酔って興奮しているスバルは相変わらずのブラックシティモードで杭奈を応援する。
「そうすれば痛みで相手は集中できないはずだ。その状態でサイコキネシスを放っても威力はたかが知れている。
敵は密着されても使える電気技なんかを持っているわけでもないからな。そのまま振り払われるまで、離す必要はない」
と、スバルの言う通りムシャーナは杭奈を振り払おうとする事に夢中で、まるで攻撃をする気配が無い。
抱きつかれては催眠術もまともに使えず、恐らく持っているであろうシャドーボールも暴発して自分自身もダメージを食らうだろう。
タイプ相性の関係で杭奈の方はダメージ少ないだろうし、技を放った後の隙に何をされるのか分かったものではない。
体をぶんぶんと振りまわして、やっとムシャーナが杭奈を引き剥がした時にはスタミナの差は歴然であった。棘が食い込んだ傷も痛々しい。
「杭奈、ムシャーナの血は呑み込んでないか? その血で眼潰しをしてやれ」
痛みと疲れで集中力が切れかけのムシャーナは、念を実体化させて金網の中で念の飛礫を降らせる。
不覚にも背後から来たそれを喰らってしまった杭奈だが、房を逆立て前後左右に注意を配ればそう難しいものではないし、数秒ならば房の集中力も持つ。
空中に飛礫が形成され、向かって来るまでの間に杭奈はきっちりと避け、飛礫の雨が止んだと同時に杭奈は口の中の血を手に塗して投げる。
惜しくも眼には当たらなかったが、眼を瞑って出来たムシャーナの隙を突き、杭奈はムシャーナの腹にアッパーカット。
最後の一発で、ムシャーナは綺麗に沈んだ。杭奈、余裕の勝利である。
勝利した後も半ば放心状態のまま、杭奈はそのクラブを出た。
金が手に入った瞬間は嬉しそうであったスバルも、店を抜けると憂いげな表情で溜め息をついている。
「勝っても楽しくなかっただろ? お前が育て屋で戦う時は勝っても負けても楽しそうだってのに今日の浮かない顔といったらないな」
訪ねるスバルに、杭奈は短く答える。ふじこを外に出していないため、通訳は出来ていないが、スバルはあぁと頷いた。
「楽しめるわけがないって顔をしているな……いいんだよ。楽しまなくって。ああいう環境に生まれずに済んだこと。
自分を強く育ててくれたこと。そういった事をしてくれた者達に感謝し報いらせるために、あの光景を見せたんだ。
今回の経験が感謝に繋がり、強くなるきっかけとなってくれれば……。
例えば杭奈、もしもお前がジョンに出会っていなかったら多分あのムシャーナには負けていたぞ」
ハッとして、杭奈は自分の手を見た。
「ジョンがどうしてお前に強さを与えたかよく考えてみろよ……そして、そのありがたみを再認識するんだ」
しみじみとスバルは連ねて微笑む。
「ジョンがお前に強くなって欲しかったからだろうな。お前は、ジョンの気持ちを感じて理解して、感謝するんだ。
そして、感謝するジョンのためにも更に強くなってやれ。もちろん、お前を野性からこちら側の世界に引き込んだ主人に対してもな」
せっかく杭奈はスバルのあり難いお言葉を賜ったというのに、言われた言葉の意味を考えるよりも、戦わされていた悲惨な境遇のポケモンについての事へ考えを張り巡らせながら、帰り道を行くこととなる。
空の旅の最中、ボールに入れられて中で眠ろうにも、その事ばかりが脳裏に浮かんで中々離れないのであった。
次の日の昼前、あのポケモン達の事をなんとなく考えながら、杭奈はペテンと合流する。
昼食マッチの時以外は、お互い別の教官やライバルの元で修行していた二人は昼前の時間は貴重である。
「どしたの? なんか元気ないね」
しかし、少々浮かない顔の杭奈は、ペテンにいともたやすく浮かない気分を見抜かれてしまう。
「あ、いや……」
昨日の個人的な課外授業の内容を話すのも少々面倒なので、杭奈はこう尋ねる。
「ねぇ、ペテンは戦う事って楽しい?」
「うん」
ペテンは笑って即答した。
「野性の頃は殺伐としていて、戦いを楽しむ余裕はなかったんだけれどね……うん、でも今のように競い合う戦いは好きよ」
「だよね、僕も大好きだ……」
結局は、そういうことなのだ。自分よりも遥かに酷い状況に生きるポケモンを見せつけられ、深く考えてしまった杭奈だがペテンの言葉で吹っ切れた。
こんな楽しい状況に居られる自分の運命は貴重なものなのだ。そのために導いてくれたモノにはひたすら感謝するべきなんだと。
「で、それがどうしたの?」
杭奈の気も知らずにペテンは首をかしげる。
「いや、ありがたいことだなってさ」
主人が野性からこうして生きられる道を示してくれた。手持ちの生活も、あんなブラックシティの底辺じゃなくまともな立ち位置だ。
そうしてくれた主人が自分に強くなる事を望んでいるというのなら……頑張ろう。
今までおぼろげながらに思っていた感情が、杭奈の中で確かなものとなる。
その想いがまた、杭奈の房の感知能力を高めるのだ。
杭奈が頑張ろうと思ったところで、ペテンはにこやかに話しを切りだす。
「あのねぇ、杭奈君」
31
「あのねぇ、杭奈君。今日から、負けても良いから強い相手に挑んでみないかしら?」
ペテンが進化してから、8日目。まだ袴は催眠術を習得しきれておらず、10数回に1回相手がウトウトしてくれるくらいである。
それでも、成果があった方なわけで、早く進化できる日を心待ちにしている袴には日ごとに成長する感覚が嬉しかった。
杭奈とペテンの二人はというと、これまでの戦績は5勝2敗であった。
杭奈と比較して僅かに実力が劣るペテンが微妙に足を引っ張ってしまう事はあったが、杭奈は常にペテンを護るように意識した立ち回り。
それでいて、ペテンを過小評価したりせず、出来る事はさせてくれる気遣い。
ペテンによる杭奈の評価は、リスクの高い戦法を有効利用できる技術と経験と、それを振るう雄姿に改めて感心しているといったふうである。
元々嫌いではなかった杭奈を無理矢理好きになろうとしていたペテンの気持ちも、今では無理が無くなっていた。
気がつけば、身長差を気にしながらも、二人は手をつないで歩く事が多くなる。
朝夕で個別の教官の元で修行していても、昼食の時間だけは絶対にそばにいて共に闘うのが随分前からの当たり前のような感覚だ。
しかし、杭奈がブラックシティのクラブで課外授業を終えた翌日の6日目からペテンは酔狂な事を言い出した。負けても良いから強い相手に挑もう――と。
杭奈に対してかなり気を許しているペテンだが、杭奈の強さがどれほどのものかを見極めたくなって、ついつい無茶な戦いを挑むことを提案したのだ。
負けても良いから頑張ろうと。そんな試合でも、杭奈はいつものように動けるのかと、杭奈を見極めるかのように強引に対戦相手を決める。
そして、瞬く間に5勝0敗から5勝2敗に。
今日もまた、なんの間違いか、ウルガモスとオノノクスの二人組。モヌラとゴヅラというこの育て屋でも最強クラスのペアに、池沼エリアで勝負を挑んでしまった。
二人は当然苦戦を強いられる事になるが、今日の戦いがペテンにとってはトドメというべきか。ペテンの恋心を完全に射止める結果となる。
開始早々、泥を浴びる事で炎を防ぐ二人。しかし、杭奈はそれで弱点をカバーできるからともかく、ペテンはモヌラから弱点タイプの攻撃を見舞われる。
モヌラは池の上に大きく飛び上がって蟲のさざめき、直接攻撃に秀でたオノノクスことゴヅラが後ろに下がるという奇妙なフォーメーションから繰り出された攻撃は音。
音は攻撃力は低く、連続で当て続けなければ多くのダメージは期待できないが、音速で進む『波』である音はどうにも防ぎようがないし、しかもタイプ的にペテンの弱点だ。
開始早々幻影が剥がれて正体がばれてしまい、杭奈は最早正攻法で倒すしかないと察する。
蟲のさざめきの大きな音に顔をしかめながら、杭奈はモヌラへ向かてストーンエッジを投げるが、距離が遠くて避けられる。
接近すれば、恐らくゴヅラの地震が放たれる。
なかなかにムカつくフォーメーションであった。耳を塞いで防御一辺倒のペテンはかろうじて口から炎を吐き出す。
意識をもうろうとさせながらモヌラへ向かって吐いた火炎放射は、さざめきながらさっと避けるのも簡単だ。優れた複眼ゆえの視野の広さで、同時に杭奈が放ったストーンエッジもかわした。
体重が重い上に尻尾が巨大なゴヅラは、この沼地の中でも安定した立ち姿。地震を使われれば恐らく下手な地面タイプよりも的確に放ってくるだろう。
近づくのは非常に危険だが、杭奈は接近戦に賭けた。
「地震なんて知った事か!!」
と叫び、モヌラに突進する。タイプの構成上、蟲タイプに対しては非常に強い杭奈は、モヌラのさざめき攻撃は難なく突破できる。
ゴヅラの地震が怖いが、行くっきゃなかった。
手にはストーンエッジを構え、足でメタルクローをスパイク代わりにして、足元が不確かな場所でも早い走行を可能にする。
杭奈は飛び上がり、手に持った小さなストーンエッジを投げる。当たって出来た隙に翅に掴みかかった。モヌラも翅を掴めば蟲のさざめきは使えない。
着地の際、地震を使われる恐れがあった。だが杭奈はモヌラを下にして落下。地震を使えるモノなら使ってみろとばかりに沼に沈める。
高温の体温によってして沼の水が沸騰してはぜる音が響いた。
絶好の地震のチャンスだったが、仲間想いのゴヅラにモヌラごと巻き込む地震を使うなんて事は出来なかった。
作戦というには単純だが、一か八かの杭奈の賭けは成功であった。怯ませること重視であったストーンエッジは、サイズも小さく威力には乏しい。
出来そこないの威力のためにやられてこそいないモヌラだが、泥で重くなった翅はもうさざめく音を奏でてくれないだろう。
モヌラにトドメを刺したかったが、それよりも先に、今は襲ってきたゴヅラをなんとかしなければ。
ゴヅラはよくしならせた尻尾を振り抜く反動で、首をギロチンの如く時計回りに振り抜いて、トマホークのような牙を用いた瓦割り。
杭奈の脇腹を狙ったそれは、タイプの関係もあって杭奈にとっては文句無しの一撃必殺級の破壊力で。
杭奈はモヌラの体の上に伏せ、それを避ける。ゴヅラは回転の威力を殺さないままドラゴンテールを続けて繰り出す。
横たわったモヌラの隣に寝がえりをうつように転がって、杭奈は避けた。
沼に顔を浸しながらドラゴンテールをやり過ごすと、ようやく杭奈は立ち上がれた。モヌラを掴んだ拳は少々火傷している。
一連の動きの最中に、翅が泥で汚れて炎も虫も、ついでに飛行技も使えなくなったモヌラは残された攻撃手段として、四つん這いになって杭奈へサイコキネシスを見舞う。
そのサイコキネシスで杭奈を拘束。更なる一撃を見舞わんとするゴヅラの補助に入った。
これまで乱戦の様相を呈し、誤射を恐れて攻撃をためらっていたペテンとて、何もしていなかったわけがない。
悪の波導かナイトバーストが使えれば、杭奈に多少のダメージへ目をつぶってらって誤射も恐れず攻撃出来たのが歯がゆかった。
だが、ようやく攻撃のチャンスを見つけてペテンの心は小躍りしている。小走りで接近していたペテンは、ゴヅラをサポート中のモヌラの背中を踏みつぶす。
沼に四つん這いだったモヌラは再び顔を沼に沈められ、サイコキネシスが途切れた。泥で体温が落ちていたおかげか、踏みつぶした足は火傷はしない。
サイコキネシスを解かれた杭奈はしかし、遅すぎた。空中に浮かされた杭奈は、すでに自由落下ではかわしきれない間合いまでゴヅラの牙が迫り来ていた。
杭奈の脚がゴヅラの下顎を掠める。ずるりと僅かに滑るゴヅラ。杭奈の脚も滑ってゴヅラの顎から離れた。
ゴヅラは尻尾の慣性で回転を続け、転びながら杭奈に技を見舞った。これが、平地エリアでなければ勝負は決していただろう。
もっとも、池沼エリアは重量と飛行で足場の影響を少なくできるゴヅラ側に有利に働いていたので、それに負けずに戦いぬいた杭奈の起こした偶然は運の良さよりもむしろ称賛に値した。
足で突き離し、沼で滑り、それによって殺された瓦割りの威力を、杭奈はなんとか手の甲に生えた鉄の棘で防御する。
杭奈とゴヅラの巨体が同時に沼へと沈み、派手に飛び散る泥飛沫。転んだゴヅラの脇腹には、ペテンのシャドーボールが突き刺さる。
泥の中でグハァッと息を吐いたゴヅラは、誤って泥水を大量に飲みこんで大きくせき込んでしまう。
せき込んでいる間に、杭奈は泥から躍り出て、モヌラにストーンエッジを突き付ける。ペテンはゴヅラにのしかかってシャドーボールを構えた。
「俺達の負けだな。まさかこの場所で負けるとは……」
「あちゃー……こんな調子じゃ地下鉄で勝ち抜けないよ」
モヌラとゴヅラは素直に負けを認める。まさかまさかの杭奈とペテンの勝利であった。
当然、その時の二人はハイタッチで互いを称えあいながら喜び合った。
戦利品はたかが木の実一個だが、強敵から勝ちを拾えたというのは何物にも勝る美酒なのだ。
そしてペテンは、この戦いは無茶な要求を叶えてくれた杭奈の評価を大幅に高めることになる。
今まで、『頼りがいのあるポケモンかもしれない……』程度であったペテンの杭奈に対する評価は、『この人になら体を委ねても良い』と思えるようになる。
その心情の変化を伝えようと、昼食の最中も、『子供が出来たら名前はどうしようかね?』とか『今日は貴方の穴倉に泊まっても良い?』とかそれとなくそれらしい事を言ってみたのだが、杭奈は鈍い。
更に続けて『素敵だったわ』とか言っても無駄。『貴方に子供が出来たら強くなりそうね』でも、駄目。
『私のわがままに付き合ってもらった分、貴方のわがままも聞いてあげなくっちゃ』でも効果は無いようだ。
ペラップのお喋りがゴーストタイプに効かない事はあるが、ペテンの言葉は毒タイプではないはずなのだが。
杭奈の方はと言えば、『焦ったら失敗する』と言う神の声と、『良いから犯っちゃえよ』という獣の声の板挟みにあっていた。
どうすればいいのかとやきもきしていてたまらない。そして、ペテンの言葉が耳に入りにくくなったせいで、言葉の裏に含まれた意味に気付く事が出来ない。
そんな風に、微妙な温度差のある二人だが、その温度差は互いの心ひとつでどうにでも覆る微笑ましい温度差で。
もじもじしている杭奈を可愛いと思える心さえあれば、しばらくはこのままというのも面白そうな関係であった。
しかし、それではこの夏の季節、バニリッチが溶けてしまう。攻撃が効かなくなる前に、殴って砕かなければなるまい。
夜になると空は暗かった。月齢は新月だ。思えば、静流が去ってからもう一ヶ月半も経っているというわけだ。
ジョンなしでの物足りない修行を続けていると、突然育て屋が襲撃されたかと思えば、全く意味の分からないままにイッシュ地方を救ってしまったと告げられた。
そして、そのお礼にとお見合いの場をとり持ってもらったら、よく知っているペテンを紹介される。
少し強引なところもあったけれど、結局は良い関係に収まる事が出来た。ペテンと全く会話をせずに、空を見上げながら杭奈はそんな事を考えていた。
「今日は月が出ていないわね……」
「ん……あぁ、そうだね。そう言えば僕は波導で周囲の状況が分かるから大丈夫だけれど、ペテンは前見えてる?」
「ちょっときついけれど……走らなければ大丈夫」
「そう、でも……転ばないように気をつけてよね」
そんな事を言った杭奈に、気にするなとばかりにペテンはちょっかいを出す。
「ふにゃぁ」
そんな風に情けない声を出してしまったちょっかいとは、後頭部の房を揉みほぐすこと。
「転んだ程度じゃ問題ないでしょ? 私は、それなりに強いんだから……貴方には、勝てないけれど」
「……ごめん、気に障ったなら謝るよ」
「気に障ったけれど、気遣われている事がそれ以上に嬉しかったからいい」
ペテンはツン、とつつくように言って鼻で笑う。やがて洞窟エリアにある、寝床として与えられた岩屋へ2人はたどり着いた。
7月の始め。昼間は暑いが、夜は流石に涼しい。それでも、風通しの良いところが恋しくはなるもので、2人は寝床に入らずひんやりとした岩に肩を並べて腰掛けた。
「新月はね」
「ん?」
「ダークライが活動をする時間帯……」
「うん……それで?」
「ホワイトフォレストに流れる、黒い夢の気というかパワーというか、そういうものからダークライが守ってくれるの。
逆にブラックシティは、ビリジオンがブラックシティに流れる白い力から守ってくれるんだけれどね……」
唐突に、とりとめのない事をペテンは話し始める。
「そんなの、誰から聞いたの?」
「主人から」
最低限の応答をして、ペテンは言葉を切った。
「貴方はダークライを救ったわけだし……今宵、新月の日。お礼代わりに素敵な夢が見られると思わないかしら?」
「例えば?」
「……素敵な夢を見るには、素敵な経験をしなきゃ」
ペテンはそっと杭奈の顔を寄せて口付けを交わす。
「これが?」
ふわりとした、まるで池沼エリアの沼に脚を置いたような頼りないキスの感触。
杭奈の言う『これが?』とはあんまりな言い草だが、ペテンも実際そう思っている。
「そうよね。物足りないわね」
物足りないから、もっと素敵な事をしようよ、と流し眼でペテンは誘う。
「その経験って、せっかく涼しいのが台無しになるような事?」
「うん、私はそれがいいと思う」
しばしの無言。ひねった表現というには少し安直過ぎるが、杭奈の言葉はペテンにがっついているとは思われなかった。
興奮しちゃダメだなんて思いながらも、激しくなろうと呼吸が急かす。気を抜いてしまえば、呼吸はきっとハァハァとパンティングと変わらない様相を呈す。
杭奈は繋いでいた手を離し、ペテンの腕を首の後ろに回す。自身はペテンの腋に挟まれる形となってそのぬくもりを享受する。
腋に挟まれたら、ペテンの心音が聞こえてくる。興奮しているのだと丸わかりのリズムを刻むその心音は、杭奈を後押ししてくれた。
「僕のこと、魅力的だと思ってくれてる?」
「えぇ、もちろん」
その言葉に促されるように、杭奈はペテンに口付けを求める。
先ほどとは打って変わって、ゆっくりとマズルが動き、重なり合うまでには時間がかかった。