奮闘その一:師匠を探そう!!
1
田舎に設けられただだっ広い土地は、池沼に森林、砂地に草地に洞窟と、数種の環境を人工的に作られた育て屋だ。
その中、生え放題の雑草が生えるそばから食い荒らされる草地のエリアでは、広い見通しを好むポケモン達がたむろしている。
抜けるような晴天も、肺を圧迫するような曇天も関係無しとばかりに、その平地のエリアで見つめ合う二人。
春を迎え、徐々に暖かさを増していき、冬毛が用を為さなくなってゆくこの季節。まだまだ肌寒いけれど、熱くなるにはちょうどいい。
とあるトレーナーに一緒に預けられた二匹も、もう準備万端とばかりに熱々だ。
『今日こそ、仕留めて見せる』。まだ経験の浅いルカリオは、緊張した様子で相手に向きあう。
震える足は、まさしくその緊張を体現しており、元から青い体毛も弱気になっているおかげか、より青みをましているようにさえ思えてしまう。
対して、彼女は冷静だった。誘うような目つきに、挑発的な態度。
腰まで上げられた山吹色の抜け殻を着た脚をこれ見よがしにくねらせながら、深紅のモヒカンを掻き上げ笑む。
ルカリオは意を決した。
まずは右腰に手を合わせ、波導弾を放つ構え。
ルカリオがチャージを始めた瞬間、目にもとまらぬ速さでズルズキンは接近、前後に頭を振る動作と合わせて口から酸を吐く。
顔面を狙ったそれを、身をかがめてルカリオが避けた。しかし、その一瞬ズルズキンから眼を離してしまう。
ズルズキンは隙を見逃さず、鞭のように撓(しな)らせたミドルキックで、波導弾の構えをとるルカリオの腕を襲い、チャージしていた波導弾を潰しにかかった。
ルカリオは咄嗟の防御。右腕をクッションにしてその蹴りを防いでなお鳩尾まで響いた痛みを、ルカリオは気合いと精神力で耐え抜き左手の裏拳を相手の顔面めがけて放つ。
重い金属質の棘が付いた裏拳は、一発で戦意を失いかねない威力を持つが、ズルズキンは後方倒立回転跳びを行い、脚による威嚇で追撃を避けつつ安全圏へ離脱した。
ズルズキン優勢の攻防から一旦膠着状態へと移行して、ズルズキンは吸う息でヒュッと音を鳴らす。呼吸の音に反応してルカリオの体がビクリと震えた。
音によるフェイントから生まれた一瞬の隙を狙って、ズルズキンは左ジャブで先手を取る。
予備動作を排した鋭いジャブをなんとか肘でいなして、ルカリオは相手の隙が生まれるのを待つ。
ルカリオが大きくズルズキンの手を弾き飛ばした瞬間、彼はそれを好機とみた。
一気にズルズキンの懐に潜り込み、間合いを詰めての左肘打ち。
相手が左半身を前に出す形で半身になって肘打ちを避けた所を、ルカリオはさらに右掌底で顎を狙う。が、それも避けられた。
ガラあきになったルカリオの腋(わき)に、闘気を纏ったズルズキンの拳が叩きつけられる。
二度にわたる右脇腹への打撃で今すぐに崩れ落ちそうな痛みをこらえて、ルカリオは脚に炎を纏いつつズルズキンの脛をめがけて斜め下にえぐり込むような、踏みつけるような軌道で爪先を当てる。
いわゆる斧刃脚(ふじんきゃく)と呼ばれるルカリオの一撃を、ズルズキンは素早くバックステップでかわす。
視線を体勢を立て直しながら二人は向きあう。再びの膠着、仕切り直しだが、大ぶりの動作を多く取り入れたルカリオはスタミナが削られ、それに加えて二度も右上半身へと打撃を喰らっている。彼の劣勢は明らかだ。
ルカリオは前に大きく腕を伸ばした防御の構え、ゆったりとリラックスした膝を前にも後ろにも自在に動かせるよう、重心は両足の真ん中に。
大して、ズルズキンの重心は低く、かなり前のめりの攻撃的な重心。
あと少し傾ければ、よろけて立ち膝にならざるを得ないギリギリの所で重心を保っており、そのバランス感覚の良さを伺わせる。
タックル狙いがバレバレじゃないかと、ルカリオは半ば油断しながら彼女の脚元に注視していた。
戦いの最中はむしろ相手の目を見るのが基本であり、これはルカリオの経験の浅さが生んでしまった致命的な間違いである。
静流が、相手を転ばせる技、テイクダウンで来るとわかっていれば、彼女に膝を掴まれる前に上から叩き潰すなり、ひざ蹴りを顔面に叩きこむなりしてやろう。
と、高をくくったのが甘かった。
走り出したズルズキンはしかし、ルカリオの間合いに入る直前で地面に左手をつき、左手足を軸に後ろ回し蹴り。
完全に下に向いていルカリオの視線は、その攻撃を視認することなく、文字通り見えない打撃となった彼女の右踵は彼の側頭部から頭蓋を貫かんと狙う。
住んでの所で気づいたルカリオは、鼻先を掠め風圧で顔の体毛が揺れるのを感じながら、のけぞってそれを避ける。
しかし、ズルズキンは回転の勢いを弱めないまま、今度は手をつかずに左足のみを軸にもう一回転。
ルカリオは体勢が崩れかけていてそれ以上後ろへ下がる事が出来ず、腕を上げて顔面をカバーしたがそのガードの上から見舞われた重い蹴りが彼のマズルを振り抜き顔面を揺らす。
綺麗にガードを打ち破られたルカリオは激しい脳震盪できっちりその場に崩れ落ちた。
驚いたまま止まっているルカリオの顔を確認しながらズルズキンは立ちあがり、うつ伏せに倒れたルカリオへ馬乗りの体勢。
後頭部に垂れさがる房をひっつかんで顔を浮かし、地面にたたきつける真似をするところで『トドメを刺した』、と満足した。
「……結局アタイにダメージ与えられないでやんの。ダサい」
勝者であるズルズキンは、唾と一緒に言葉を吐き捨てた。
2
(ご主人……僕、育て屋よりもあなたの元で修業したいのに……)
ルカリオはそんな気持ちを言葉にしたくて、しかし人間の言葉を操る術を知らない彼は、口を噤むのであった。
「それじゃ杭奈(くいな)、元気でな。ハカマと一緒に半年間頑張れよ。静流(しずる)も、二人をよろしく頼むからな」
静流と呼ばれたズルズキンは笑顔で手を振るが、杭奈と呼ばれたルカリオはせめてもの抵抗に主人の体に抱きついた。
よく鍛えられた主人の体は、大木のようにごつごつとしていて、間違っても喧嘩を売ってはいけない相手である事を分からせてくれる。
そんな主人の肉体を感じながら甘えて見せるのだが、主人はルカリオの頭を撫でて、「行って来い」と少し名残惜しそうにしながら微笑むだけだった。
修行の岩屋で暮らしていた杭奈は、ポケモンバトルではなくこの主人のローキックと寝技のみで捕獲された。
各地の四天王やジムリーダーと同じく、主人も格闘家とポケモントレーナーの二足の草鞋をはいており、それらのご多分にもれずそこいらのポケモンよりずっと強い。
ゲットされてからの杭奈はというと、強い主人に憧れ必死で好きになろうと努力して、早い段階でルカリオになった。
ルカリオになれば本格的な指導をしてくれる、強くなれる信じていたのだが、あろうことか主人はもう体も完成されたろうと考え、杭奈を育て屋に預けることになってしまったのだ。
何でも、彼はポケモンリーグの試験を受け合格したそうで、晴れて格闘タイプのジムを開こうという彼らの主人は、輸入規制が解禁された地方の片っ端から格闘タイプを集めたそうだ。
一人じゃ育てきれないからと、助手や育成の才覚のある近所の子供にに育成を手伝ってもらったりはしているのだが、それでも育てきれない分を育て屋で補うのだと。
せっかく進化したというのに、これでは杭奈も意気消沈であった。
それでも、与えられた試練は越えるしかないと、杭奈は甘んじて育て屋生活に踏み出すのだ。
杭奈達が預けられるシラモリ育て屋本舗は、ポケモン同士の対戦をいつでも自由に行えるという解放的な(一部ただの放任主義との批判あり)の育て屋として有名である。
預けられるのは静流と杭奈他、幼い雄のラルトスの袴(ハカマ)一匹。
静流は主人と旅を共にしてきたメンバーで、教育・監督役という名目だ。
「おうおう、新人さんのお出ましだな」
三匹が育て屋の広場に入ると、早速以って先客達からの歓迎を受けることになる。
「見ろよこの女。バカラ教官と同じズルズキンだぜ!」
「へぇ、強いのかなぁ」
と、三匹にの中でも特に静流に注目が集まって数分。まずは拳で語り合おうとばかりに、先客達と対戦と相成った。
静流が先程の質問に対して『強いわよ』と、にこやかに答えたせいだろうか。
なんの間違いか相性の悪い飛行タイプのポケモン、ウォーグルと戦うことになってしまったのだが――
静流は敵の足爪による掴み攻撃、フリーフォールを仰向けになってやり過ごし、強酸性の液体を吐きかける。
その液体は酷い火傷を負いかねないので、浴びたらすぐに地面なり水なりで拭う必要があるのだが、鳥ポケモンが不用意に地面に降り立つというのは多くのアドバンテージを失う自殺行為だ。
羽根休めで急速なスタミナの回復を図るとしても、格闘タイプが相手では弱点を増やす要因だ。
しかも、『地面に降りたらその瞬間格闘技でぶっ殺す』とばかりに、指をバキバキと鳴らす彼女から受ける印象など恐怖以外のなにものでもなく、そのウォーグルは空中であえなく降参してしまう。
拳での会話が終わると、雑魚に興味が無くなったのか、静流は自分と同じズルズキンだというバカラ教官の元へ。
モチベーションの下がっている杭奈は、静流がそうしたように先客と戯れながらぬるい訓練を行う事で日中を終える。
ちなみにハカマは、森林エリアの下草刈りの用務員であるハハコモリの着せ替え人形にされたままお持ち帰りされてしまったそうな。
問題が起こったのはその夜だ。困ったことに、静流は杭奈の異性である。
育て屋に来て初日はいつも通り可も無く不可も無くなつきあいを続けていくつもりだった杭奈だが――。
主人の厳しい訓練から解放されて気が楽だと思う反面、さびしい思いをしながら迎えたその日の夜。
二匹で広大な育て屋を見て回っている最中のことだ。ありがちな話だが、二匹は預けられたポケモンの情事を見てしまう。
戯れるエモンガとチラーミィをガン見して、非常に微妙な雰囲気になった所を敏感な嗅覚の杭奈は漂って来る匂いに便乗して欲情。
「元気ねぇ……これだから男は」
興奮する杭奈をよそに、元気な下半身をマジマジと見て静流は溜め息をつくばかり。
呆れられているとわかっていても抑えきれない衝動に負けて、杭奈が思わず本能的に静流の肩を掴んで抱き寄せたところ……
「調子に乗るな、狗(いぬ)が」
足払いから地面にたたきつけられ。一蹴されてしまった。否、倒れたところを実際に蹴られた。しかも2回だから二蹴か。やっぱりこの女は悪タイプだ。
「アタイ、トサカの無い男には魅力を感じないのよねー。その点、バカラ教官は素敵だったわー」
このままハカマがエルレイドに進化したりもすれば卵グループを無視してそっち側になびいてしまうのではないかといらぬ心配を杭奈はしつつ、なんとか抑えきれない欲求を解消する術を模索する。
「じゃ、じゃあ……僕はどうすれば静流にあのエモンガと同じ事できる?」
その方法が、恥知らずの質問をやってのける事であったので、静流は純粋で可愛いと思う反面純粋すぎるのも考えものだと溜め息一つ。
「トサカ作ってこれないならアタイを倒せるくらい強くなってきなさいな。所詮、バカラ教官とはお・あ・そ・び・だ・し……
育て屋を抜けても、長いこと一緒に付き合って行く貴方となら遊びじゃなくって本気で付き合ってあげる」
「や、約束だからな」
喰らいつくように念を入れる杭奈を、静流は笑う。
「いいわよ。私は雌だけれど、格闘タイプの漢(おとこ)として二言はないわ」
こうして、杭奈は1日でじゃれ合いのようなぬるいトレーニングを卒業することになる。
雨降って地固まるとはこのことで、杭奈もこれによりやる気は出したのだ。
……やる気は。
しかし、それから先は大変だ。まず、杭奈と静流の圧倒的な実力差を覆すための望みが足りない。希望が無ければ頑張り続けることは難しい。
そしてもう一つは違う意味での絶望として、お遊びとは思えない静流の態度である。
血のように紅く、大きく形もよいのトサカに大いなる魅力を感じたのか、静流は気がつけば育て屋の教官であるズルズキンのバカラと一緒にいるのであった。
静流は名目上、杭奈とハカマの教育・監督役として一緒に預けられたのだが、教育役と言うのは名ばかりでバカラ教官に指導してもらうために主人は静流を預けた節があるのかもしれない。
しかし、バカラ教官と静流の関係は教官として普通に指導しているだけではない。
昼食時は楽しそうに同じ木の実を食しているわ、しょっちゅう組み手をしているわ。
さらにはトサカの手入れまでするほど仲睦まじく同じトレーナーの元で育った杭奈の立場が無いのだ。
それでも彼女曰く、バカラとは『所詮お遊び』らしいのだから、やっぱりこの女は悪タイプだ。
絶望的なまでの腕の差と魅力の差。杭奈の特性は精神力寄りだが、もう片方の不屈の心も片鱗ながら備えている。
もしそれが無かったら、やっぱりやる気を失っていたかもしれない。
今はなけなしの希望を逆境にして、杭奈は『自分だって、棘の手入れをしてほしい!!』と叫びたい衝動を押し殺ながら修業している。
そのやる気がいつまでもつ事やら……。杭奈は自分自身でやる気が持つかどうかを危ぶんでいた。
「うぅ……ん」
気絶したまま、預けられた当初の夢を見ている杭奈を背負い、静流は住処として与えられた岩穴へと帰る。
静流はこんこんと湧き続ける水を手で掬い、杭奈の顔にぶっかける。さすがは悪タイプ、乱暴だ。
跳び起きた杭奈の額を軽くデコピンで弾き飛ばして、静流は嘲笑した。
「相変わらず弱いな、杭奈」
「あ、あんな足技初めて見たんだよ……避けられるわけないじゃん」
腫れた頬を冷凍パンチの要領で冷やしながら、杭奈と呼ばれたルカリオは不平を漏らす。
「なーに言ってるのかしらね。彼から習った技を見よう見まねで使ってみただけだってのに、かわせないものかしらねぇ?」
「そっちはマスターの古参メンバーじゃないか……戦い慣れてるってのにハンデも無しじゃ勝てるわけないよ……」
ウダウダとうるさい杭奈と話しているのは億劫なのか、ズルズキンは組んだ腕を枕にして仰向けに寝転がった。
「たしかにまぁ、勝てないかもだけど、ここに預けられてもう三日。今まで積み上げられた経験はともかくとしたって、あんた、何か得るものがあったっていいはずじゃない? それを、特に何の変化も無しってのはどうしたものかしらね」
「みんな、すごい技術だから何しているのかわかんないんだもの……静流みたいに強くなれば分かるのかもしれないけれど……コレでもきちんと練習しているんだからね」
「なるほどね。あんた見る目ないもんねー」
ふふんと、得意げに笑いながら、静流は憎まれ口を叩く。仰向けのまま脚まで組んで見せるあられもない姿は、女性としてはいかがなものか。
「ま、こういうものは壁を乗り越えれば突然伸びるって時があるものよ。それまで地道に目を鍛えりゃいいじゃないのさ」
「目……?」
笑い飛ばされて不満げに口を尖らせる杭奈が、しかめっ面のまま静流に尋ね返す。
「そうさね。攻撃も防御も、動きを真似するのには眼と反復練習さ。あんた、反復練習は上手いくせに、動きを真似すんのは苦手だからなぁ。そんならいっそのことリオルから進化しなきゃ良かったんじゃないの?」
「む……これでもルカリオになって強くなったんだよ」
静流は起き上がり、杭奈に接近。
「はは、どうかしら。こんな可愛い顔しちゃってさ。強がりたいならもっと風格の一つでも出しなさいな」
ムキになって反論する杭奈の腫れていない方の左頬を突っつき、静流は笑う。
「急がば回れたぁよく言うじゃないの。リオルの時のような純粋無垢な目で周りを見てみなさいよ。アタイは今でも心は少女だから、見て真似するのは得意なのよ」
調子に乗った静流は杭奈の頬をつねったままぶんぶんと指を振る。頭を揺らされ何も言えない杭奈を尻目に、静流は頬から離した右手で強烈に背中に張り手を喰らわせる。眼前に閃光が走るような衝撃。
「ぃったぁぁぁぁ……」
案の定、背中に張り付いた熱を帯びた痛みに杭奈は悶絶。開いた大口からかすれた声を漏らして、目には涙が浮かんでいる。
「約束どおり勝つまでは、お楽しみもお預け……育て屋ライフを半分以上損してるよあんた。無理だろうけれど、さっさとアタイより強くなりなさいな」
「……ふぁい」
歯を食いしばったままの杭奈は震える声で気の無い返事を返すのが精一杯であった。
「全く、見る力を鍛えろっていうけれど、どうすりゃいいって言うんだよ……」
岩穴に寝転がりながら、杭奈は静流に聞こえないように愚痴を漏らす。
杭奈だって、自分が強くなるためにアドバイスの一つや二つ欲しいものだ。しかし、肝心の静流は教えるのが苦手だと、杭奈のことは構ってくれない。
自分より強そうな格闘タイプも育て屋の先客に居るには居るのだが、それがナゲキやチャオブーではあまりにも戦闘スタイルが違いすぎて参考にならない。
更なる問題は、静流が言った通り目が鍛えられていないために、上手い動き方の真似が出来ず、それゆえ反復練習も出来ない。
教育役がいないことによる弊害をもろに被っている、と言うわけだ。
静流曰く、彼女の2連蹴りはこの育て屋の教官の動きを昨日の戦闘に生かしていたらしいのだが、そんな風に見て真似するなんて器用な事は杭奈には出来ない。
原因は、狩りの記憶はいくらかあってもバトルの記憶があまりないことによる。
元野性だけに、杭奈の戦闘技術はバトルよりも狩りに特化しているのだ。とにかく突っ込み、相手に被害を与えればいい。
返り討ちにあっても、自分を攻撃している間に獲物は仲間に攻撃されている。後先考えない攻撃こそが、野性ではもてはやされるのである。
そんな風にリオル時代を生きて来た杭奈に、そもそもバトルをしろというのも無理な話。
一匹で伸び悩む杭奈は途方に暮れていた。
3
数日経っても勝てない自分に嫌気がさしながら、寝床として与えられた岩穴に帰って見ると、麗しきトサカップルは戯れていた。
しかし、戯れてはいるものの愛しあいではなく殺し合いと見まがう勢いの組み手によってだ。
静流が間合いを離そうとすれば指をそろえて鉈のような抜き手が襲い、接近すれば膝蹴りや頭突き。
強酸性の液体を吐きかける勢い、フォーム共にそつがなく、攻撃の合間に的確に織り込んでくるバカラの強さは本物だ。元四天王、ギーマの手持ちだったというのも頷ける。
静流の言うトサカが魅力的というのは確かにそうなのかもしれないが、動きの鋭さは杭奈のそれを遥かに凌駕していた。
バカラは強さの面でも十分魅力的だということだ。杭奈は遊びの関係だなんてもったいないとは思いつつも、遊びの関係でよかったと安堵している。
「いつ見ても速いな……」
どうやら意図的に格闘タイプの技を使わないようにしているらしいバカラがだが、それでもシズルは襲いかかるバカラの攻撃を凌ぐのにも精いっぱいだ。
静流がバカラの手首を弾いていなしても、斧の重さと鞭の撓りを合わせたバカラの足技は非常に重い。
互いに格闘タイプの波導、闘気を使って攻撃していないだけあって、致命傷は与え難いようだが、徐々に腕が上がらなくなっているのは静流の方だ。
バカラは弱点である顔を狙うよりもガードしている腕にダメージを与えるように、顔狙いのパンチと腕狙いのパンチを使い分け、上手く静流を翻弄している……なんてことは、杭奈には分かるはずもなく。
未熟な彼に分かるのは、ただバカラが静流を圧倒していると言うことだけ。
徐々に蓄積した腕のダメージに耐え切れなくなったのか、静流が勝負にでて、接近からの右ストレート。
彼女の右腕が突き出されると同時に、バカラはそれを弾くのではなく自身は左に動き、相手の伸びきった腕が畳まれる前に掴みにかかる。
体の外側から静流の腕を抱くと、バカラは膝の裏に踵蹴りを叩き込んで、無様なうつ伏せの姿勢に倒した。
静流は腕を後ろに回されたままうつぶせの姿勢。こうなってしまえばバカラの心ひとつで肩を外すも、地面に叩きつけて頭蓋を砕くも自由だ。もちろん、勝負ありだ。
「か、敵いっこない……」
杭奈は静流の強さにすら足元にすら及んでいないのに、バカラは真っ向から攻めきって勝利してしまった。
ため息が出るような美しい強さには、強くなることが馬鹿らしく思えるほどの差が見えた。
まさしく、月とすっぽんというのが正しい表現だ。
盗み見していた事が何だかバツが悪いので、杭奈は逃げるようにその場を去り、数十分。
「単純な攻撃じゃ、絶対に攻めきれない……でも、トリッキーったってどうすりゃいいのさ」
先程の試合内容を反芻しながら、杭奈は木陰の下でたたずんでいた。
あの後も何度か二人は組み手を行い、そして例外なくバカラが勝っていた。
大きく踏み込んでからの爪による引っ掻き攻撃。岩を砕くが如くの強烈な蹴り。
静流の攻撃全てを冷静に見切ってはその隙をつき、押し倒すなり打ち崩すなりして敵に致命傷を与えるお手本のような格闘技だ。
悪党ポケモンなんて呼ばれているけれど、正統派な格闘技でもとんでもなく強かった。
どちらかと言うと悪闘ポケモンと文字通り読んだほうがしっくりくる。
弱いほうのズルズキンである静流が当面の目標とはいえ、それにさえどうすれば勝てるのか見当も付かない。
杭奈はそのまま何事も無かったように岩穴に帰っても良かったのだが、静流の蹴りでも喰らって記憶が飛んでしまったり、頭痛で修行に集中できなくなっては具合が悪い。
客観的に見て、改めて実力差を理解した杭奈は、今日は徹底的にシャドーをするために静流に挑まないと決め込んだ。
今は全力であの場から離脱して乱れた息を整えていたが、そろそろ肩で息をする必要も無くなってきた杭奈は、立ちあがってシャドーを始める。
相手の懐に入り込んでのゼロ距離体当たり、肘打ち、斧刃脚、そして必殺技の裏拳。
ルカリオは、紙のような防御力を補うために相手の攻撃がしづらい位置から有効な打撃を一方的に与えるというのが理想の闘い方だ。
杭奈は強くなるためにそれに関わる動作を幾度となく繰り返す。しかし、相手の動きを予見して同じ動作が出来るかといえば難しい。
その勘を養うためにも、動く標的が欲しいのだが、生憎持って適当な相手が見つけられない。
二足歩行で、出来れば身長が近い攻撃よりのポケモン。そんなのが都合よくこの育て屋に来てくれればいいのだが。
4
さらに数日。杭奈は本日の新入りの中に理想のポケモンを見つけた。身長は杭奈よりも少し高いくらい。
仮想敵をズルズキンとする杭奈にとっては背の低いポケモンの方がありがたかったのだが、贅沢は言っていられない。
強いのか? 仲良くなれるだろうか? そんな心配を抱きながらも、そのポケモンを練習相手と決め込んで杭奈は勝負を挑んでみた。
「挨拶代わりにバトル……ねぇ。俺バトルしに来たわけじゃないんだけれどなー……いやいや、手が早いのね……みなさん」
苦言を呈す新入りの言葉に、杭奈がしょんぼり沈んだ表情をする。
「いや、別に戦いが嫌って言ったわけじゃないからさ……いいよ、そこの青いお兄さん……戦おう。俺、コジョンドのジョン。
飼い主のネーミングセンスが安易なのが欠点さね。今日預けられたばっかりだから、色々粗相もあるだろうけれどよろしくな」
杭奈の表情を見て少々焦りながら彼は戦いを承諾。微笑みながら無難な自己紹介をした。
「えっと、僕はルカリオの杭奈。その……一緒に預けられた奴との喧嘩に勝ちたいんだけれど……相手がトレーニングの相手にならないから付き合ってくれると嬉しいんだけれどさ……」
「へ〜……ここは育て屋だって言われたけれど、いっつもこんな風にバトルをするものなのか?」
「ま、まぁ……教官とバトルするなり、他の客と戦うなり自由だね」
「なるほど、血気盛んな若者がよく育ちそうだ」
肩をすくめて、皮肉めいた口調でジョンは言う。
「やっぱり、漢たるもの拳で語れってことなのかな?」
「いや、そういうわけじゃないんだけれど……ま、いっか」
ちょっと馴れ馴れしいが人懐っこいジョンの態度に、杭奈は親近感を覚えて笑う。
「んで、トレーナー同士は審判が必要だったり、コインが落ちたと同時にスタートとか、開始の合図も色々だけれど、ここじゃどんな感じなんだい?」
体毛で口元を隠しながら尋ねるジョンの質問に杭奈は戸惑ってしまう。
今までそんなことを考えもせずに育て屋ライフを送ってきただけに、改めて聞かれるとなんと答えればいいのやら。
他のギャラリーからは、気があったら勝負だよとか、闘いたい奴が闘えばいいんじゃね? など、無責任な声が飛び交っている。
「あぁ……え〜と、じゃあ……好きに攻めてきても良いよ」
思えば適当に向かい合って、構えたらどちらともなく始めるのが普通だった。そういう意味では『好きに』というのは間違っていないと杭奈は判断する。
「う〜ん……好きに、か。でも、そんなこと言われるとなぁ……」
ここで、ジョンは祈るように手を合わせ目を瞑ると、おもむろに息を吐き始める。
じっと観察していると腹も胸も見て分かるほど縮んでいて、どうやら深呼吸を始めたようだ。
「あ」
気づいて声を上げた頃にはもう遅い。こいつは瞑想を積んでいる、つまるところ特殊型もしくは物理と特殊両方を扱える両刀型だと杭奈は気付く。
瞑想で先手を取ったのはジョン。杭奈は攻撃の方では堅実に先手を取る。
まずは、電光石火の左ジャブ。瞬きの間にとどかせたその一撃を鼻先に見舞うと、ジョンは杭奈の拳を弾いていなすと同時に離れろとばかりのサマーソルト。
虫タイプの技だ。ルカリオは虫タイプの技に対して耐性はかなり高い水準で、杭奈もあまり痛くはなかったが、互いを後方へと飛ばす事が出来るこの技は綺麗に決まれば咄嗟の反撃が出来ない。
吹っ飛ばされたついでにバックステップでさらに距離をとってから波導弾で反撃しようとして、杭奈は躊躇した。
敵は瞑想を積んでいるから特防も上がっているはず。あまり鍛えていない杭奈の特殊技は、すでに出る幕ではないのだ。
そうなると、まずは距離を積めない事にはどうしようもなく、杭奈は電光石火で距離を詰める。
これでは、先程杭奈がしたバックステップは悪戯に敵へ時間を与えてしまっただけだ。
杭奈の次の攻撃は、ジャブではなくリーチの稼げる左前蹴り。それを股間に見舞うと、ジョンは左足を半歩下げて杭奈の脚を払いのける。
蹴り足を弾かれて杭奈の体勢が崩れたと見るや、杭奈の外側を取ったジョンは杭奈の右腕を右腕で。
後頭部の房を左腕で一息の間に掴み取り、耳元で大声で歌い始めた。
まだ粗削りなエコーボイスの技。単体ではとても使える威力ではないうが、耳元でやられれば常に急所に当たるのとなんの相違もない威力だ。
杭奈を拘束するために腕を使えない以上、声による攻撃しかないと判断したジョンのエコーボイスだが、抵抗できない杭奈にとってみれば嬲り殺しでしかない。
瞑想で威力が上がっているともなればなおさら被害は甚大だ。
鋼タイプの杭奈には効果はいま一つだというのに杭奈は大した抵抗も出来ないまま数秒で負けを認めた。
その場は、勝者であるジョンへの質問で終始し、質問攻めに疲れたジョンはちょっと休ませてくれと苦笑してその場を去る。
負けた自分はジョンにどう映ったのかどうしても訪ねたかった杭奈は、房を逆立て波導を感知してジョンを探し、居場所を突き止めた。
この田舎町の特産品である、摩天楼が霞んで見えるほどの天を貫く白い巨木群。
育て屋を管理する職員と、経営者の所有するキリキザンとコマタナたちの手によりよく手入れされた森林エリアは、いかなる庭園にも無い魅力を持っている。
高層ビル顔負けの巨木の足元にも陰を避けるようにして息づく背の低い広葉樹があり(巨木と比べなければ十分高いが)、草食のポケモン達がおやつ代わりに食す草やドングリなども豊富である。
ジョンは、その枝に座り込んで優雅に毛繕いに興じていた。
腕から伸びた振り袖状の体毛を、薄く唾液をまぶした舌先で撫で、毛羽立った体毛を梳(す)いて光沢を蘇らせる。
白と薄紫が美しい模様を織り成す毛皮は、境界が曖昧なくらいに太陽光を照り返してはその美しさをアピールしている。
育て屋に来てから、飼い主の手入れをされていない杭奈は、近くで見れば鮮やかな青も土ぼこりにくすんでいる。
一応この育て屋には職員による毛繕いタイムもあるにはあるのだが、それよりやるべき事がある!! と、杭奈は招集に応じないのであった。
「こんなことなら……休憩がてらやっておけばよかったなぁ」
と、自分の汚らしさを再認識した杭奈は、何だか住む世界やが違うのではないかと思って苦笑する。
先程ジョンは戦いに来たわけではないと言っていたし戦いよりもミュージカルが好きだとでも言われてしまえば目も当てられない。
そんな相手にこれでは失礼かもしれないなぁと杭奈は悩んだが、とにもかくにもせめて毛づくろいが終わるまでは待とうと樹の影で座って休むことにした。
毛づくろいの邪魔をしないように、とは言っても相手はポケモン。樹の影もじもじとしていれば敏感な嗅覚が杭奈を捉えるのは造作もないこと。
「……つーかまーえた!!」
樹の枝から膝でぶら下がった彼に後頭部の房を掴まれて杭奈は跳び上がって驚いた。
「ななな……なんだよ!!」
「あ〜れぇ? ルカリオって気配を察知する力は鋭いと思ったんだけれど、何だか拍子抜けだなぁ」
けらけらと天真爛漫に笑う彼は、勢いを付けて枝から飛び降りる。
「いいから、何のつもりだってさ……」
「ん〜……何だか俺と相当戦いたがっていたし、質問したそうにしていたけれど出来なかったからね。
俺にどんな用があるのかと気になったから話しかけようと思ったのだけれど……ただ話しかけても面白くないから脅かしてみただけさね。
そんな所で休んでて、なにしてたんだ? 勝手に俺とかくれんぼでも始めてたのか?」
「い、いや……そうじゃなくってその……そうそう、毛繕いが終わるまで話しかけるのを待っていたんだよ」
「ん、そう」
ニコッ。と、音を出さんばかりに彼は笑った。
「で、なんの用だったの?」
「あの、その……僕が強かったかどうかを聞きたくって……」
恐ろしく簡単に負けてしまったから、良い評価ではないだろうと考え、杭奈は聞くのを躊躇いたくもなっていた。
勇気を出して聞いた問いに対する杭奈の答えは、ある程度予想通りのものである。