怪しいパッチ
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「やっぱり……ユクシーなんかに生まれなければ良かったですね。生まれ変わるなら他のポケモンになりたい……」
 気の抜けた声色で、私はそんな事を呟いていた。エミナは黙ってキーボードを叩いている。

「ねぇ、エミナ。貴方は生まれ変われるなら何になりたくないですか?」
「……そうだな。まぁ、生まれた喜びを感じられるものなら何でもいいから、特に要望は無いかな。ミツハニーは女王に仕える事が喜びで、男全般は女に種付けをする事が喜びで……女は子供を産み、育てる事が喜びだ。
 そうだな、ニドクインにはなりたくないかもしれないが、その他であればユクシーになろうとキュウコンになろうと構わないと思うぞ。もちろん、人間でもな。私からは以上だ。ところでラマッコロクルよ。君がポケモンに生まれ変わるなら決してなりたくないポケモン……そう思った理由はなぜだ?」
 エミナ……貴方の答えは、とても納得しやすい答えでした。だから、私も納得しやすい答えを用意しておきました。

「胎内で殺し合いをしてから生まれてくるキバニアや、自分以外の生まれ遅れた王台の女王候補を殺さねばならないミツハニーの雌はなりたくありませんね。そういう風に、分かりやすい理由で生まれ変わりたくないポケモンは数あれど……私が一番生まれ変わりたくないポケモンと、その理由なんて決まっているじゃないですか。
 愛する家族の記憶を消して、別れなければいけない人生を歩むことになるかもしれないからです」
「そうだな。確かにユクシーは私達のようなシチュエーションでは辛そうだ……ふむ、生まれ変わりというものが、もしあるのならば、参考にしてみよう」
 投げやりになったわけではないのに、なんだか私の心はひどく落ち着いていて……もっとエミナと会話を楽しみたいとか、そんな風に思うばかりだ。でも、そう……気分が乗っているうちに色々楽しんでおいたほうがいい。きっとそうに違いありません。

「なんだ、生まれ変わりとか……以外とロマンチストなのですね。生き物の感情を数値にしたり、あまつさえそれを再現しようとか言う蛮勇振りを誇っているのに」
 エミナは鼻で笑う。まぁ、そんな反応だと思っていました。

「そうでもないぞぉ。例えば、人間は空を飛べないがポケモンは空を飛べる。それが覆される日をだれが想像した? 外に出てみろ、顔をあげれば飛行機が飛んでいる。身近な例でもそうだ……例えば野球で一試合全打席ホームランなんて記録を打ち立てるのは不可能だと思わないか? しかし、それを成功させる事が出来ると言うのはロマンなのだよ。
 私のやる事だってそうだ。今まで生物にしか持ち得なかった感情をバーチャルポケモンのポリゴンに持たせる……それがどれほどのロマンなのか。『夢は夢のままのがいい』という意見は否定はしない。感情を数値に表すなんてなんだか幻滅という意見も否定しない。
 だがな……不可能を可能にする事をロマンじゃないとは思えない。故に私は、ロマンチストなのだ。生まれ変わりについては否定も肯定もしないよ。存在する・しない……どちらの結果においても、それを証明する論文が発表されたなら見てみたいとも思う」
 何と言うか、こういう他愛のない語り合いは……本当に貴重なものだったのですね。知識ばかり知っていて、私が知らなかった大事な大事な嬉しいという感情を……愛という感情を貴方は与えてくれた。
 また、恩返ししなければいけない内容が増えてしまったではありませんか。ですから……その……その恩を返すためには、私は私の能力を駆使しなければならないと思うのです。
 どれほど、語り明かしたでしょうか。キーボードを叩きながらでも会話を続けれらるはずのエミナが、いつの間にか画面から目を離して椅子をこちらに向けて喋っている。それだけで不思議な感覚だ。
 寒くて、手がかじかんできた様子でエミナは袖の中に手をひっこめ体育座りをし始める。それを見計らったかのようにスタリが現れて熱風で部屋を暖める。スタリはそのままひとしきり眠ったかと思うと、お腹がすいたのか防音の扉を開けて出て行った。その時一瞬見えた空は……話し始めた時が夕方だったというのにもう朝だ。
 意外と時間がたっていた事に気がつくと、私は眠くなってきてしまいました。……そのまま起きて、また他愛もない話をして……なんて惰性でこの生活を続けるなんてことはしてはいけない。
 ですから、そろそろ終止符を打ちましょう。これ以上この家に居ても、きっと辛くなるだけですから

「はは、それにはあと百年はかかるんじゃないか? ……おや、どうした。急に俯いたりなどして?」
 豚型ロボットアニメでがよく使われる何処へでもドアの実用化についての談義をしている時に、私は決心した。
「エミナさん……単刀直入に言います。私の目を見てもらえますか?」
 エミナは少し寂しそうに。そして嬉しそうに笑う。どうやら覚悟は決まっていたようですね。

「あぁ、もう終りなのか? ふむ、以外とつれないのだな、ラマッコロクルは……」
「そうかもしれませんね……でも、これくらいがちょうどいいと思うのです……長くいたって、別れがつらいだけですから」
「ふふ……もう少し話していたかったが、記憶は消し去られてしまうのだったな。では、私はこれ以上話しても私は意味がない事になる……が、お前はそれでも満足なのだな? いいのだぞ、もう少し話していても……」
「えぇ……」
 迷いなく私は頷いた。私も寂しくないわけでは無いけれど……それでも、この人は嬉しいと感じてくれました。
 エミナが嬉しいという感情を感じている事が分かったのは、肌で実感できたのもあるけれど……さりげなく感情メーターを作動させて、その感情の揺れ方を調べていました。いつもはポリゴン2に使われるそれで感知した感情は、嬉しい。
 だからきっと信用できるデータです。エミナ曰く、『あれは、エルレイドレベルの感知能力しかない』と言っていたのに……それでもあれだけ揺れてくれたのです。トイレに行った時にそれを見て、私はそれがたまらなく嬉しかった。勿論『寂しい』という感情もきちんと機械は感知していましたけれど……それはきっと私の目を見れば寂しさは忘れてもらえるから大丈夫。
 そして、ポリゴンの新バージョンを作れれば、きっとエミナはもっと満たされてくれるはずだから。私などいなくても、彼女は満足してくれるでしょう。

「ふむ……それなら、まぁ、いいか。目を開けてくれ。ラマッコロクル」
 だから、私は貴方に能力を行使して、その後を全て貴方に託します。二度と会うこともないでしょうが、ありがとう。エミナの姿が涙ににじむ。私の眼を見て倒れたエミナの周りを飛んで、私は彼女に閃きを与えた。
 さよなら

         ◇

 私達に家族が4人増えた。

「シネ(1)・トゥプ(2)・レプ(3)・イネプ(4)・アシク(5)……全員健康状態も精神状態も良好。感情メーターも元気いっぱいに稼働しているな」
 本当は、もう一人いるはずだったのだけどその家族とはお別れしてしまったのが残念でならないね。私の記憶を消していかなかったのも何故なんだか……まぁ、良いわ。
 今でもラマッコロクルの事は思い出しちゃうけれど……今の家族は形こそポリゴン2のまま変わってはいないけれど……確かな感情を備えた生命体だから結構楽しいし。
 思えば、この5人が感情を持ち始めてから御主人は自己管理もある程度出来るようになり、寝食の時間帯はある程度規則的になっていったからいいこと尽くめだ。

「だが……やはり現状のポリゴン2ではナノマシンも量子コンピューターも処理能力不足だな……まだ感情はひどく不完全だ。まだ改良の余地がある……が、一人では難しい。と、なればここであれを使わない手はないな。そうは思わないか、スタリよ。そして息子達もな」
 相変わらず、御主人は何を言っているのかよくわからないけれど、何か迷案を思いついているような気がするのはなんとなくわかる。

「お前らに使った、まだ誰にも公開していないナノマシンの新技術の特許を無料で引き渡す代わりに、色々な条件を飲んでもらうというカードを切るのだよ。かつての同僚及び、その会社のお偉いさんを相手にな。
 あれの特許を取れば、私は一生遊んでいられるだろうがな。だが、私はお前達息子のためにそれを投げ捨てて、金よりも大切なものを手に入れようと思っているのだよ。どうだ、スタリは関係ないから喜ばなくても構わんが、他の5人は喜んでも構わんぞ」
 ふふ、前半は何を言っているのかは全く分からなかったけれど、お金よりも大切なものを手に入れるために色々やると言うのは分かったわ。それって、家族の心がもっともっと本格的になるってことなんだから、私も喜んじゃうよ。
 ポリゴン達も「すげー」とか「俺達パワーアップゥ!!」とか言いながら、皆が皆それぞれ思い思いの反応を見せていてかわいらしい。
 こんなの……今までなかったことだ。これがパワーアップなんてしちゃったら、もっと騒がしくなるんだろうなぁ……ホント、喜ばしい限りね。

「クオゥ♪」
 だから、私は御主人に肯定の意を示すために上機嫌で鳴いた。
「なんだ、スタリ? お前も喜ぶとは意外だな……ふむ、まぁいい。そのためには、この街を離れてカントーという地方に行かねばならない。しかも、キタキュウコンはエキノコークスだとか言う炎タイプの寄生虫がいるとかで検疫を受けねばならぬからな、今日はポケモンセンターに付き合ってもらうぞ。
 ふむ、そういえば自分自身の検診は久しく受けていなかったな……ガンが再発していなければよいが」
 げぇ、ポケモンセンター? それはちょっと嫌なんだけれどな……
「ふむ、そう嫌そうな顔をするなスタリよ。滞在中は家を空ける事が多く世話もろくにしてやれない上に、シネ達は大学へ同行せねばならんからな、その間は育て屋に預けるから嫁探しでもするとよい。なぁに、心配はいらん。この世にはベルクマンの法則というものがあってだな、カントーのキュウコンは皆お前より小さいから、きっと育て屋で大威張り出来るぞ。雌にもモテるのではないのか? 他にもアレンの法則というのもあるが……まぁ、いいか。
 ふむ、まだ不満そうな顔だな……あぁ、そうだ。良い事を考えたぞぉ」
 大威張りや雌にモテるのは美味しい思いが出来るからいいとして……育て屋って何かな? それよりも、また何か迷案?

「インスタントのホイコーロやドゥルセ・デ・レチェ(ミルクジャム)を買って、エイチ湖にお参りに行こうではないか。私が去年の冬に思いっきり閃いた時は知識の神の御加護の一つや二つもあったような気がするからな。実際にユクシーの夢まで見てしまったものだぞ……そういえば、ミシンは穴の開いた槍に襲われた夢を見て完成形を見出し、ベンゼンの構造は尻尾を咥えてグルグル回るハブネークを見て思いついたのだと言うな。後者は真疑われているが。
 私が買っていくのは、同じように夢を見た時、夢の中でユクシーが好物であると宣言したものだ。そんな夢まで見せられた以上、お供え物の一つくらいしないと罰が当たる。どうだ、スタリよ? 久々に私と遠出しようではないか」
 御主人にとってはあれで遠出なのかぁ……まぁバスを利用しても2時間かかるからねぇ。うん、それにしてもユクシーの記憶を消す技はすごい技だけれど、完全じゃないのか、それともユクシーが見せた人為的な夢なのかは知らないけれど……記憶がそのままの私には、こうやって出会えるチャンスが巡ってきたのはすごく嬉しい。
 ポケモンセンターでの健康診断だか何だかという負のおまけつきではあるけれど、負のおまけがその程度ならお釣りがくるくらい嬉しい。

「クオゥ、ウォウ♪」
 だから、私は御主人の提案に嬉しいと意思表示するために上機嫌で鳴いた。
 そうして、私はポケモンセンターでの検疫……とか言うのを終えて、その次の日にはエイチ湖へ。春先のエイチ湖は来年の受験に備えての願掛けをする者や、受かった事の報告のために来た者が多い。
 受験など関係のない私には、景色を楽しむ場所でしかないけれど、私の心は景色に向けられてはいなかった。

 ユクシーが魂を湖の底から飛ばして姿を見せる事は今までも何度かあったことらしい。けれど、ユクシーの本体が出ると言うのは本当に珍しい事らしい。ならば、ユクシーが私のもとに翔けてきて、一介のポケモンに話しかけると言うのはどれだけ珍しい事なのかしら?
「なんだ、このメロンパン。随分と人懐っこいではないか?」
『御主人は幸せかしら?』
 ポケモンにしか分からない上に、かなりの小声でラマッコロクルは私に尋ねた。私が黙って頷くと、ラマッコロクルは目を閉じていても微笑んでいると分かる表情をして、おまけにエミナのバッグに入っていた二つの好物を奪い、それを抱いて湖の底へ潜って行った。
 あっけにとられる観光客の横で、主人は冷静であった。
「む、なぜバッグの中にこれが入っているのがバレたのだ? しかし、まさかお供え物を盗んだ相手が供えるべき相手だったとはな……これは供える手間が省けて助かるという、稀有な強盗の例だな。それに、お供えを渡すべき相手に直接渡せた事で、エテボースや神社の従業員のエサにならずに済んだのだから好都合この上ない」
 まぁその通りなんですが、面白い解釈をするよね……御主人は。でも、不機嫌じゃないみたいだしまぁ、いいか。

「ところで、スタリよ……あのユクシーと何か話していたような気もするが……知り合いか?」
 うん、その通りよ。だから私は、その言葉の意思表示のために鳴こうと思う。今のラマッコロクルと私達のやり取りで騒然とした民衆にも負けない声で……
「クオゥ!!」
 と鳴く。
「なんだ、知り合いか。有名人とコネを作っているとは流石スタリ、飼い主に似て優秀だな」
 そう言って笑った主人の顔が、私は何よりも嬉しかった。




Ring ( 2011/06/21(火) 21:00 )