怪しいパッチ
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 私は、1週間の缶詰*1から、久しぶりに外の空気を味わっていた。時間は日も暮れて数時間たった夜。本当はこんな時間に外に出るつもりはなかったのだが、気がつけば家の食料が尽きたのだから仕方がない。
 今日は空腹に耐えて、明日の朝に買い物をするという手段もあるのだが、この手段は生憎昨日の夜から何も食べていないのだから使えない。なぜなら、今の時間は20時……実に28時間の断食だ。
 もう、こんな僻地のスーパーマーケットは閉まっているかもしれんから、久々に外へ出たはいい物の、栄養補給は出来るかどうか怪しいかもしれない。
 備蓄してある米で炭水化物の補給だけで我慢するしかないのだろうかそれともコンビニでサラダでも買うか。
 全く、私の脳の空腹を訴える機構のぐうたらぶりを疑うな。

 アスファルトの道路がそれと分からないほどに深々と降りつもった雪は、月明かりを反射して周囲を幻想的に照らす。
 隣を歩くキュウコンの足跡だって100m先まで鮮明に見えるのだ、こんなに明るいのならばライトを点けなくともよさそうなのだが、道路交通法と言うのはうるさいもので、たまに通り過ぎる車の眩しいライトが目にしみる。
 車の免許を持っておらず、徒歩で街に向かう私には迷惑なことだ。だが、両脇を針葉樹の森に囲まれたこの夜の道を車のようなもので高速で駆けるのはさぞ気持ちよかろう。
 もし免許を持っているのならば一度はやってみたいものだ。

 時折横を通るチェーンを巻いて走る車の音だけがひたすらうるさく不快だが、それを紛らわすための音楽をかける媒体はポケッチもCDもレコーダーもカセットすらも持っていないし、買うのも面倒だ。なんだ、結局私の脳が怠け者なのは私自身が怠け者だからに他ならないという事か。
 いいや、脳が怠け者だからこそ、私も怠け者と言う可能性もあるぞ。いや、卵が先かバシャーモが先かなど不毛な議論か。
 仕方がないから退屈しないようにこの地方に住む国一番の大きさを誇るヨルノズクの声を聞きながら考え事でもして先を急ごう。

 しかし寒い。いつの間にやら夜はこんなにも寒くなっていた。パソコンと人の脳を研究し続けて二十余年。街の喧騒も人間づきあいも嫌いで、こんなところにスーパーコンピュータを持ちこんだのはいいが、住処はもう少し街が近いところにしておけばよかったか。
 四十路を迎えてからは冷え症で冬の移動時間が厳しい。

 分厚い毛皮のコートを羽織り、フードをかぶり、マスクをしてゴーグルも付けたし雪も止んでいる。それでも、露出した顔に吹きつける風は痛いくらいで、気道を通る空気は胃の中から縮み上がる気分だ。タバコでも吸えば、胃が縮み上がる思いはしなくてもよいのであろうか?
 しかし、それもまたそんなことのためだけに肺を侵すのは野暮と言うものだ。ニコチンで血管が縮み上がっては費用対効果が悪すぎる。
 全く、やはり私の家は街から遠すぎだな。だが引越しも面倒だ。食料からこっちに来てくれればよいのにな……そんな都合のよい事は起こりえようはずもない。生活協同組合という手もあるが、記帳するのが面倒な私には少々相性が悪そうだ。

 いや、しかし。本当に食料がこちらにやってきたかもしれない。血の跡が遠くに見える気がする……そこらへんにミミロルやヒメグマあたりが車にひかれたりでもして、命からがら安全な場所に逃げようとした森の中で冷凍肉として保存されている……というシチュエーションならば楽なのだが。
 ミミロルやヒメグマは料理したことはないが、料理してみるのも悪くなさそうだ。なぁに、きちんと焼けば寄生虫も病原菌もなんのそのだ。まぁ、キュウコンに寄生するエキノコークスは炎タイプの寄生虫だから焼いてもどうにもならんが……。
 しかし、焼いてしまうとビタミンの補給は限られそうだな……いや、炭水化物と脂肪が取れるだけありがたく思おう。毛皮や角はどうしようか……用途も無いし、皮をなめす時間も無い。いくら使う用途がないからと言って流石にスタリのエサにするわけにはいかなかろう。

 そんな取らぬ狸の皮算用をしながら森の中に来てみれば、これは面白い。昏睡状態のニューラの隣に、居てはならないポケモンがいた。このぬいぐるみのような小さな体にメロンパンのような頭。まさしくこれはあのポケモンではないか。エイチ湖から抜け出してきたか?
 なんにせよ、この散弾銃のようなもので撃たれた傷はよくない。弾丸に使われている素材によっては金属中毒を起こすであろうからな。
 とにもかくにも、冷たくなっているから暖めてやらねば。よく物臭して石油を切らす私のために、暖房代わりとしてキュウコンを飼っていてよかった。

「スタリ……お前の尻尾は温かい。尻尾に包んでポケモンセンターまで温めてやれ……いや、ここはヒッチハイクと言うのもよかろう」
「クゥ?」
 あぁ、なるほど。ヒッチハイクなどと言う言葉を使ったのは初めてか。スタリは餌の入ったバケツを神通力で簡単に開閉する割には、食べ過ぎて太りすぎたりせず自己管理が出来たり、自由に出入りできる扉を設けても迷子になったり逃走したり警察のお世話になったりもしない。
 さらに、餌が尽き手も自力で狩りそして食いつなぐと言う、私に似て賢い子であると自負しているが流石に本を読んだりテレビを見るような賢さは持ち合わせてはいない。
「ヒッチハイクと言うのはな。他人の車に頼んで乗せてもらうことだ。まぁ、スタリよ。お前に言って意味が正確に伝わる期待はしていない……
 とにかく、これで歩く必要無く街まで車で行ける口実が出来たというわけだ。あぁ、だがその子の体を温めることを止める必要はない、思う存分に尻尾に包んでやれ」
 これでなんとなく気が引けるヒッチハイクも気兼ねなく行う事が出来る。血まみれのポケモンを抱えている者が車への相乗りを求めていたら、これは止まらざるをえまい。
 しかも、血まみれのポケモンがこの地で伝説とされる存在ならば文句なしだ。うむ、実によいものを拾った。しかし、帰りは帰りで歩きとなるのだろうか……ふむ、贅沢をいうのはよそう。今日はもう遅いからともかく、明日の朝には運動不足の解消にはちょうどいいからな。

―――
*1 部屋にこもる事



Ring ( 2011/06/15(水) 01:22 )