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「ねぇ、父さん。一年は旅をさせるって約束してくれたよね? なのにどうして、旅を止めなければならないの?」
「お前がウィルと会っていたからだ」
俺はデボラの発言の真意がわからなかった。オーリンさんが言う通り、俺と会うために計画した旅だなんて、止められて当然じゃないか。
「ウィルと会ったら、旅を止めさせるとか、そういう約束を取り交わした覚えはないけれど?」
「そんなものは屁理屈だ! お前も子供じゃないなら分かるだろ!?」
いくら約束をした覚えが無いからと言って……そりゃこればっかりはオーリンさんが正論じゃないかな? 俺と会っていたら、そりゃ駆け落ちでもされるんじゃないかって心配するさ……
「へぇ、私は子供じゃないんだ? 私は子供じゃないのね?」
「……だからと言って大人でも無い!!!」
なんだか、デボラにアンジェラの幽霊でも乗り移ったかのように、デボラの雰囲気がおかしい。まるで父親を馬鹿にしているかのような態度、今まで見たことがない。
「私は、『ウィル君とはもう、婚約者ではない。それを理解して付き合え』とは言われたけれど、会うなとも話すなとも言われていないのに、納得いかないわね」
「だからそれが屁理屈だと言っている」
「黙れ!」
と、言いながらデボラの右フックがオーリンの頬を抉るように薙ぐ。突然のことで何も理解できないままに椅子ごと倒れたオーリンの胸ぐらをつかみ上げ、デボラは父親を片手で持ちあげて壁に叩きつける。
「ねぇ、父さん? 約束を一方的に反故にするのは悪い事だよね?」
「な、何のつもりだ……手を離せ!」
「質問に質問で返すんじゃねーよ!」
デボラがドスの効いた声と共に、股間に膝蹴りを放つ。あれは想像したくない痛みが走るだろう。
そのまま跪くようにくずおれるオーリンの喉を掴み、再度デボラはオーリンを壁に叩きつける。
「約束を一方的に反故にするのは悪い事だよね?」
そうして、同じ質問。目の前にいるのは、本当にデボラなのだろうか、疑わしいくらいだ。
「そ、そうだ……だがそれがどうした!?」
「悪いと思ってるんなら約束を反故にするんじゃねーよ!」
デボラがオーリンさんの顔を平手で滅多打ちにする。オーリンさんがいくらインドア派だったとしても、まだ成熟しきっていない女性の力なんてたかが知れているから、抵抗は容易なはず。
だというのに、オーリンさんがデボラに対して何も抵抗を出来ないのは、この場の雰囲気をデボラが喰っているから、だろうか。
「ちょっとデボラちゃん、やりすぎだ!」
そう言って、父さんがデボラを止めようとするが……
「子供の婚約を一方的に破棄されても何も言えないヘタレが口出すんじゃねぇ!! てめぇもガキの幸せぐらい考えやがれ!!」
と、デボラが一喝。父さんは非常にバツが悪そうな顔をして、伸ばした手をデボラの肩までたどり着かせることは出来なかった。
俺の父さん、喧嘩じゃ負けなし、ガルーラとの相撲に勝ち、ゴーゴートの体当たりを真正面から受け止める父さんが。小娘のたった一言の言葉に負けた……!? ただ、さすがにデボラもやりすぎだというのは理解していたのだろうか、俺の父さんに止められてからは一発も殴ることなく、ようやく手を離す。
激しく息切れをしているところを見ると、デボラは相当興奮しているらしいことが分かる。けれど、デボラは今までの興奮が嘘だったかのように深呼吸をすると、落ち着き払った様子で言う。
「……と、父さんは今までこのように、私が正しい意見を言おうとしても大声を出し、時には暴力まで繰り出して私やお母さんを従わせようとしていましたね? それを再現するとこのような感じになります」
憑いていた悪魔が剥がれ落ちたかのような口調でデボラが言う。オーリンさん、デボラに対していつもこんなことをやっていたのか? いくらなんでもここまでひどくはないと思うけれど。
「それを自分がやられるってどんな気分? 自分がやられて、その理不尽さが分かった?」
悪びれることもなくしれっと言い放つデボラに、『女は怖い』という恐怖が俺の中に湧き上がった。