2:アンジェラとの二人旅
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 ノースリテンは爪でひっかいたように海が入り組んでいる為、半島の対岸にはフェリーやラプラス便を使えばすぐにたどり着くことも出来るのだが、私達は旅を満喫するために敢えて徒歩で遠回りしてポケモンを鍛え上げ、国立公園を数日かけて散策したりなどを繰り返し、一ヶ月かけてノースリテンの首都、グレイスシティまでたどり着いた。ようやく、ここには二つ目のジムがある。
 このジムのリーダーは毒タイプを愛する女、トリカ。
 毒々しい赤と黒色のドレスを身にまとい、赤紫色の液体(ブドウジュース)を片手に戦う風変わりな人物で、巨乳、くびれた腰、安産体型、その上ウェーブのかかった髪は非常につややかと、見た目に関してはモデル級と言ってよい(顔は正直普通なんだけれど)。しかし、戦闘スタイルは陰湿そのもの。初心者相手にも容赦なく、攻撃力を下げたり壁を張ったりなどして耐久し、悠々と毒を投げつけ勝利をむさぼるという、初心者泣かせのジムだとか。
 その反面、神秘の守りのような毒を防ぐ方法があったり、鋼タイプで挑むなどすれば途端に弱くなってしまう……のだが、そういう小賢しい真似をすると、地震や火炎放射などが飛んできたり、すり抜けの特性を持ったクロバットで攻撃してくるなど、対策の対策はばっちりである。

 とはいえ、二つ目で挑む分にはそれほど強敵ではなく、対策をしていれば何とかなる程度である。対策の対策が必要になるのはバッジ5つ目に挑戦するところからだというから、今のところはエリンがいれば問題なさそうだ。旅に出る前に育てていただけあって二つ目のバッジなど余裕でクリアしたわけだが、彼女の本気には遠く及ばないから、トリカさんの値踏みするような余裕の表情は最後まで崩せなかった。
 大抵の人はバッジを八つ集めることが出来ずに挫折していく者も多いというのだから、彼女の本気はまだまだ先、今の状態では彼女の表情を崩すなどということは到底できないだろう。
 ジムを制覇するのをあきらめたくなるような壁が出来て来るのはいつぐらいになるだろうか、この旅の間にそこまで歩いていけるだろうか。私はそんなことを漠然と考えていた。
 ジムバトルが終わった後、私達は少しだけトリカさんと話をした。
「ところで、貴方達の旅の目的は何かしら? バッジ二つにしては強いポケモンをお持ちのようだけれど、もしかしてポケモンバトルをサークル活動か何かでやっていたとか、ジム生だとか?」
「えっと……私はですね……特にサークルだとかジムに所属とかそういうのはやっていません。観光客に話しかけまくって、日本語の勉強したいので、その……旅に出ながらいろんな人の話を聞けたらなって。ウチ、地元が観光地なもので、ポケモンバトルを仕掛けることで会話のきっかけをつかんだりとかして、それでこんなに強くなったのです」
「へぇ、あの極東の国の言葉、ねぇ。私もあの国の製品は好きだけれど……なに、いつか旅行したいのかしら?」
 トリカさんは日本という国がどんなものか、少なくとも高い技術を持っているとか、安全性が高いとか、そういう面では一応知っているらしい。これなら話がしやすい。
「その、今は外国に行くほどの度胸はないんですけれど……あとは、父さんが私が世界を旅するような仕事をするなんて無理だっていう感じの人なので、女だけでも旅を出来るって証明する……みたいな。いつかは、そうですね……外国に行って、そこで現地の人に話をしてみたいです」
 私がそう答えると、トリカさんは興味深げに頷いて微笑む。
「へぇ、旅を出来るって証明する……か。それならジムバッジは一つの目安になるね。バッジ五つからが一つの壁よ、頑張りなさい」
「あ、はい。頑張ります」
 激励されて、なんと返すべきか分からず、私はいい加減な返答をしてしまって、少し気まずい。
「それで、貴方は……」
「あ、私は特に目的もなく思い出作りで……別にチャンピオンとかは全然目指していないんですけれど。でも、旅をしているうちに、何か価値観が変わったりとかして、すこし大人になれたらいいなとかって、希望的観測をしているんです……」
「そう。いい事じゃないの。自分は何も知らないということを貴方は知っていて、だからなんでもいいから旅に出てがむしゃらに見て回る。そんな経験が若い頃にあってもいいものよ。思い出作りも頑張りなさいな」
 トリカさんはそう言ってアンジェラにも微笑みを向けた。ジムリーダーだけあって、愛想は良くないと務まらないのだろう。
「ところで、デボラさん。貴方は世界を回る危険な仕事をしたいらしいけれど、それって具体的に何かしら?」
「え、えっと……実を言うと、父の仕事を継ぐことなんです。その、私の村って、結構父親のおかげで裕福になったところがありまして……」
 私はジムリーダーに、この旅に出た目的の、そもそもの原因を話す。兄が死んだこと、父親がいなくなると村に入るお金が少なくなること、そしてその仕事に私はつかせてもらえないことを。そのためにどんな努力をしているかを、アンジェラが補足してくれた。
「ふむ……それで、もしもこの旅で貴方がきちんと旅をやり遂げても、父親が認めてくれなかった場合、貴方はどうするべきか、何かプランはあるの?」
 トリカさんが私に尋ねる。そんなことを言われても、私はこの旅でなんとしてでも認めさせてやるんだって気持ちでいたから、そういえば父さんには何を言っても無駄かもしれないという可能性は考えていなかった。
「え? いや……そういうのは……特にない、のですが」
「そうでしょうね。世の中ね、正攻法で、理詰めで話していっても、どうしても話が通じない人間がいるものでね。そう、いわゆるー……話にならない人間というのがいるのよ。そういう相手には、真正面から戦っちゃだめ、ちょっとくらい卑怯な手を使いなさい」
「あー、ウチの父さんは若干、そういう面がある。母さんや私に対しては話を全然聞かないし。そういう相手になら……トリカさんは卑怯な手を使ってもいいと思っているのですか?」
 私が問うと、トリカさんはうんと頷いた。
「例えばそれってどんな感じですか?」
 アンジェラが尋ねると、トリカさんはフフフ、と妖し気な笑みを浮かべた。
「暴力、とか」
 およそ、ジムリーダーが口にするにふさわしくない原始的手段を口にして、トリカは微笑んだ。
「暴力といっても、別に殴ったり蹴ったりじゃなくてもいいの。そう、例えば毒を盛ってもいい。貴方の決意の強さを、心ではなく肉体に響かせるの」
「なんだカス的なことを言っているように思えますが……それって違法な手段じゃ」
「なあに、親はよっぽどのことじゃなきゃ、娘を警察に送りだしたりなんてしないから、ほどほどな暴力ならば大丈夫よ」
 確かに、体面を重視するうちの親は、家の恥を外にさらしたりはしないだろう。そう言う意味では彼女の言う通りだけれど、だからといって父に暴力を振るうのは勇気がいる。
あぁ、そうねぇ……ちなみに、暴力の他にも、写真や音声の録音という手もあるのよ? いや、ね……ジムリーダーになる時、多くの候補者からの選考のために多くの人の前でアピールをするのだけれど……その時、『一晩私に付き合ってあげたら貴方を推薦してもいい』って、一番のお偉いさんが言ってきたのよ。
 私、その男の人から『個別に話がある』って呼ばれた際に、胸のポケットにスマートフォンを録画状態で忍ばせておいて、むしろその時の動画を材料に脅し返したのよ。そのおかげかしら? ジムリーダーになれたの」
「……それは、また。すごい思い出ですね」
「そもそも、私とデートしたいという欲望、それをその男が持っていようと、私は構わない。けれど、その欲望を満たす方法は、正攻法であり、道理にのっとったものであるべきだと、私は思っている。
 でも、ジムリーダーになりたいという夢をちらつかせて、私とデートしたいだなんて、そんなのは正攻法じゃないでしょう? 卑怯ものには、卑怯で返す。それくらいのことをしてもいいと、私は思っている。もしも、貴方の周りの人が、貴方との話し合いを拒否する卑怯ものであるというのなら、躊躇うことなんてない。貴方は、卑怯でありなさい」
「私の父親は、卑怯……なんですかね?」
「話合いを拒否するというのは、一方的に要求を押し付けるということ。そして、まともな話し合いをすれば言い負ける事を知っている。それを卑怯と呼ばずになんと呼ぶのか? いいかしら? 貴方の人生なんだから、貴方が道を切り開きなさい。その過程で、卑怯な手でその道を阻む者がいるなら、同じく卑怯な手でやり返せばいい。
 でも、やりすぎない程度にね。毒は少量ならば薬だけれど、薬も多量で毒になるものだから。自分の行いを正義と信じてやりすぎないようにすることだけは、覚えておいて」
「そ、それは……肝に命じます」
 トリカさんは、何回か正攻法ではどうにも行かないような出来事にぶち当たったのかもしれない。話が通じない相手、話をしようとしない相手を解き伏せなければいけない状況があったのだろう。
 それがどんな状況かはわからないが……
「ちなみに、最初にこんな風に考えたのは、むかーしスクールカーストで最下位だったからなの、毒タイプって、陰気な人とか、陰湿なイメージとかがあるらしくって、トレーナーズスクールじゃいじめられていたの。でも、色んな音声や動画を撮りためたり、集団で苛めているときばかり威勢の良い奴らが無様に負けて命乞いする際、恥ずかしい格好をさせたり。
 そうやって脅して、スクールカーストの上位にこびへつらう同級生を寝返らせてしまえばあとは可愛らしいものよ。リーダー格は私よりも強かったけれど……倍の戦力で戦えば私が勝つから」
 この人がどうして毒タイプなのか、何となくわかったような気がする。
「貴方も、強くたくましくありなさい。腕力ではなく、心で。心が強ければ、今の時代、知力も暴力も金で買える時代だから。暴力はポケモンで、知力は弁護士、貴方のお好きなように料理しなさい」
「トリカさんは、悲境に対して卑怯で返して、後悔したことはありませんか?」
 私が尋ねると、トリカさんは素敵な笑顔を私に向ける。
「全っ然。後悔なんて、九牛の一毛ほどにもなく、誇らしさだけが私の胸にある。貴方も、夢があるならそれを叶えなさい。そのために、邪魔な障害を跳ねのけることは罪じゃないわ」
「は、はい」
 彼女の話すことは色々と強烈で。その場で飲み込むことは出来なかったけれど。でも、彼女が私の夢を応援してくれていることは分かった。アンジェラが私の努力を認めてくれていたからこそ、私が夢に対して本気であるということを理解してくれたのかもしれない。
 貴重な話が聞けたお礼を言って、私達はジムを出る。自分の要求を通すために卑怯なことをしてもいいのかと考えると、私の中にはぼんやりと、未来に取るべき選択肢が広がったような気がした。


Ring ( 2016/07/15(金) 22:52 )