2:アンジェラとの二人旅
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「エリンもせっかく進化したのに、中々エリオットと会わせてあげられなくってごめんね」
 今も学校では時折顔を合わせているものの、二人とも忙しいために、長い時間を遊ばせられることはないし、休日に一緒に遊ぶようなことは、婚約の破棄を宣言されてからというものまったくしていない。そのおかげで毎日のように遊んでいたエリオットとエリンの距離は近くて遠い。私がこうして部屋に戻った時も、エリンは寂しげでいつも窓の外を覗いては、エリオットが尋ねてこないかと待っているかのようなそぶりを見せている。
 去年まではしたことがなかったこんな仕草を見ると、自分のせいではないのになんだか申し訳なく、そしてもどかしく思えてしまう。そうやって見つめても何の成果もないとわかると、エリンは決まって私の下へ甘えに来る。勉強机に座る私の膝に乗り、膝の温かみに縋りつく。いつもジト目なニャオニクスだけれど、慣れればその表情の変化も何となくわかってくる。エリオットと共に生活できないのは寂しくてたまらないので、甘えさせてほしい。人間の言葉に直せばこんなところだろうか。
 観光客のポケモンと戦ってみたりなんかして遊ばせているおかげでレベルは上がっているものの、愛しい相方と会えないようでは心の隙間は埋められないようだ。ギャロップのトワイライトも時折兄を思いだしているのか、悲し気にいななくことは少なくない。思えば、たった一人死んだだけでも、多くの人間や、多くのポケモンが影響を受けるものだ。父親が私の身にも何かあったらと考えるのも無理はない。
 勉強が成功して、旅に出ることになったとして。ウィル君がプレゼントしてくれる約束のアブソルならば災害は跳ねのけられるかもしれないが、逆に言えば災害以外の災難には弱い。事故とか、事件とか。兄さんが死んだ交通事故なんてのは、悪意もなく起こるのだから、例え心を読めるポケモンでも防ぐことが出来ないのだ。
 そう言った危険から身を守るにはもっと別なポケモンが必要だろう。それは例えば未来予知が使えるポケモンになるわけだが……きっと、それは未来予知も出来るこの子なのだろう。
「……いつになるかはわからないけれど、きっとウィル君と添い遂げるからね、エリン。そのためにも、一緒に頑張ろう」
 彼女の喉を撫でてあげると、気持ちよさそうにゴロゴロと音を立てる。エリンが甘えて来るおかげで自分も少し癒されたが、そればっかりにかまけてはいられない。自分は前に進み続けなければいけないのだ。
「よし」
 目の前のノートと教科書を見つめ、気合を入れる。ただ学んで、必修科目を取れる程度では父親も納得するはずはない。提示された条件以上の自分を見せてやるんだ。それこそが、私が取るべき行動だ。

 そうやって勉強に取り組むこと半年ほど。カロス語の勉強も一応は進めているが、それはやはり独学よりも学校などで教えてくれる人がいるところで勉強したほうがいいだろう。だから、今は変なくせがついてしまわないように、あまり勉強せずにいた。
 代わりに今は日本語を優先的に覚えたかった。カロス語は中学で学ぶとして、独学では限界のある日本語は基礎だけでも覚えておかなければ、後々学ぶ際に付いていけなくなるかもしれない。私は図書館に赴き入門書を漁り、日本のアニメやゲームを辞書片手に見て回る。家にインターネットがあるのは本当に良かった、こういうものを自由に閲覧できるのは、この田舎街じゃ貴重だ。
 日本で使われている子供の知育用ビデオを少しだけ理解できるようにはなったが、この程度の耳ではまだまだ二歳児以下だろうし、発音なども人と話したことは皆無なので、どれだけ話せるか全くわからない。ともかく、父親に認めてもらうためにもがむしゃらにやってみるしかない。
 しかし、日本はパンやライスボールが空を飛んだり闘ったり、中々カオスな国だな……ネズミの国のあいつは日本でも知育に使われているあたり、やっぱり人気があるのだなぁ。


 そうして月日は経ち、私達は小学校を卒業して、9月の新年度をむかえて中学校へ入学する。予定通り、ウィルは中学校へ入学し、私とアンジェラは8月の、まだ学校が始まらないうちに旅に出る。この日は気温も一九度と非常に暖かな日で、絶好の旅立ち日和だ。
 島にある草タイプのジムはアンジェラも私もすでに制覇している為、二人ともジムバッジ一個からの旅のスタートだ。島と本土の物資輸送も兼ねた定期便へと乗り込む前の見送りで、私はウィル君からポケモンを貰う約束を取り付けている。
「全く、ウィリアム君。もう君は婚約者ではないというのに……なんというか、厚かましいとは思わないのか? こちらとしても不本意な結果ではあるが、今でも諦めていないように見えてあさましくはないか?」
 ただ、見送りにくるウィリアム君に対して父はあまり良い顔をしていない。実際、まだウィル君は諦めていないし、あさましいかもしれない。けれど、相思相愛なんだ。大だ、新しい婚約者のパルムは、こうして旅に出ようとする私に対して、興味もなさげで、怪我だけはしないでくれと電話を一つ寄こしただけ。もう少し安全を祈るとか、お節介なくらいに世話を焼いてくれた方がまだ好感が持てる。それをしないという事は恐らく、私を愛してるとか、そんな感情はないのだろう。
「友達の無事を祈るのが、何か問題でもありますか?」
 そんなパルムとは対照的にウィルは私の安全をきちんと祈ってくれるし、祈りなんて抽象的なものばかりではなく、こうしてポケモンも送ってくれる。
「……本当に友人としてみているのかね?」
「はい、大切な友人です。当然でしょう、今までは家族のように過ごしていたのですから」
 父親に睨みつけられても、ウィル君は睨み返すことはせず、かといって眼を逸らすような真似もせず、堂々と言ってのけた。これで嘘をついているのだから、ウィル君は強かなものである。
「じゃあ、デボラにはこの子を……アブソルの女の子だよ。この一年で必死に育てたから、受け取って」
 言うなり、ウィルはモンスターボールの中からアブソルの女の子を繰り出し、アブソルの頭を撫でる。この子はすでに学校で何度も会っているため、慣れた顔であるが。
「六二レベル……何かの間違いじゃないの!? しかも、何かレンズのアイテムまで付けてくれてるし」
 今日初めて手渡されたライブキャスターを手にしてレベルをスキャンしてみると、そのレベルの高さには驚いた。強く育てていると自信満々に言っていたウィルの言葉は嘘ではないのだとよくわかる。
「いや、一昨日ポケモンセンターで健康診断のついでに計った時もそんなもんだったけれど……売れば200万を超えるからね。婚約破棄の慰謝料がそれくらいだったでしょ? 付き返すつもりで育てたから、これで貸し借りはゼロだからね。そのピンとレンズはサービス、攻撃が急所に当たりやすくなる道具だよ」
 と、誇らしげに言ってウィルはウインクをする。つまり、婚約は破棄されていないとでも言いたげな彼の顔に、アンジェラも感心して頷いている。


Ring ( 2016/07/06(水) 22:57 )