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そうして数ヶ月が経った。オーリンさんからの話を聞いたその日は一人で泣き続け、翌日にはアンジェラに事の次第を告げ、俺もしばらくは魂が抜けたように生活していた。デボラだけでなく俺まで心配されるようになって、二人の仲を取り持つ計画が立ちあがったとアンジェラから聞いたことで、結局デボラ自身が皆に婚約を解消したということを伝えて回っていた。
それを、同級生から励まされると、自分がもうデボラとは結婚できないのだということを自覚させられてよけい惨めな気持ちになってしまう。俺も似たような状況で、誰に話しかけられるのも嫌になって生気のない日々を過ごさざるを得なかった。
九月を過ぎて学年が上がると、季節も徐々に冬に近づき、太陽を拝める時間も少なくなっていく。この島は暖流が近くを流れているおかげで気候は非常に穏やかだが、それでも太陽の短さは深刻で、休日でさえも外で遊ぶ時間がないくらいだ。島にいるモココやゴーゴートの体毛も、そのままベッドに出来そうなくらいに毛深くなっており、秋の間にたくさんの草を食んで肥え太ったおかげでミルクも美味しい季節である。正直、それを味わう気力もあまりないが。
そんな日々の中で、聞こえたうわさ話なのだが、デボラの新しい婚約者だというパルムという男は、何でもデボラの二十も年上で今は三十二歳なのだという。これまでも縁談はあったのだが、その縁談がことごとく失敗していたのは、彼の性格によるものだという。彼は女性に対して高圧的な態度で接し、一時的に取り繕うことが出来てもすぐにボロを出すのだとか。昔、ポケモンを連れて旅をしていた頃は、少しでも気に入らないことがあるとポケモン達に当たり散らすらしく、そのための強力なスタンガンを常に携帯していた危ない奴なのだという。
パルムとの婚約はデボラだけの問題じゃなく、村全体に関わる問題だと言われて納得していたが、そんな情報まで聞かされると、俺も気が気ではない。どうにか、彼女を守ってあげられる方法があればいいのだけれど、いっそのことそんなクズにも負けないだけのポケモンを育ててプレゼントすればよいのだろうか?
いまさらそんな物を渡されても迷惑かもしれないけれど、例えば地面タイプのポケモンならば俺の家でもホルードやドリュウズを育てている。もちろん、あいつの攻撃手段がスタンガンだけなんてことはないだろうが、力持ちの特性を持ったホルビーと勝気なニャオニクスがいれば、きちんと育てていれば勝てなくはないはず。そんなことを漠然と考えながら、俺は極上のポケモンでも育てようかと計画していた。
「え、嘘!? デボラちゃん、この村から引っ越すの?」
そんなおり、聞き捨てならない彼女の情報を聞いた。
「何それ、どういう事?」
普段話すことのない女子、アンジェラとシビルに、俺は身を乗り出して尋ねる。俺が突然やって来たことに、その女子は大層驚いたようだが、俺の鬼気迫るような迫力に、黙っていることは出来なかったらしい。
「えっとね……デボラちゃん、何だかこの街にいるのは辛いからって、引っ越すことになったんだって。なんでも、今はその……貴方に。ランパート君に会うのが辛いんだって……許嫁、なくなったんでしょ?」
「うん……」
アンジェラに言われて、俺はまた辛い事を思いだしてしまう。もうため息も涙も出なくなってしまったのがまた悲しい。
「それで、デボラちゃんは親戚のところに引っ越して、島を出て別の中学で一八歳((リテン地方では中学校が一八歳までである。ただし、義務教育が一六歳までで終わりであり、義務教育修了の資格を得るためには試験が必要である))まで勉強するんだって。それが終わったら、大学には進学せずに結婚するって……本人が不安そうに話してたの」
アンジェラは、そんな運命にあるデボラの身を案じており、デボラを心配するその表情がこちらまで辛い気分になる。
「そんなことになったら、なんというかショックだよねー。デボラ、ランパート君とはあんなに仲が良かったのに」
シビルは言う。文字通り他人事とは言え、当事者を目の前にして他人事のような物言いに、怒りを感じてしまう自分が情けない。
「それにさ、婚約者の名前をデボラから聞いたことがあるんだけれどさ……パルムだっけ? 私んちの従業員からうわさで聞いた程度なんだけれど、その人は評判があんまりよくないんだよね。なんだっけ、そのパルムって奴は女性と無理やり……体の関係を持ったとかでさ。被害者との問題はお金で解決したけれど、本当なら今頃犯罪者だったとかって……外国を渡り歩いて仕事をしていた時も、そう言うことをしていたんじゃないかって噂があるよ。『日本人は白人男性とみれば簡単に股を開く』だとかどうとかって、そんなことを口走っていたんだって。
三〇にもなって縁談が成功しないのも、そういう性格の悪さがにじみ出てるのよ、きっと」
「マジかよ……」
そんなの初耳だった。確かに語学とかが優れているというのは本当なのだろうけれど。でも、そんな人が行き遅れているというのは、やはりそれなりの理由があっての事なのか。
「くっそ……そんなの、放っておけるかよ」
そうだ。そいつが幸せにしてくれるならって思っていたけれど、俺はパルムの事を何も知らなかった
「気持ちは分かるけれど、だからと言って実際どうするの? デボラの事を今更どうにかすることも出来ないでしょ?」
シビルが言う。シビルの言う事は正論だ。まさか直接的な手段に訴えるわけにもいかないし……。でも、だからと言って黙ってみていていいわけがない。
「だけど、このまま何もかも親たちの言いなりじゃ、あまりにもデボラが……かわいそうだろうが。そうだよ、俺は何も出来ないかもしれないけれど、何もしようとしないのはダメだ。何かをしなきゃならないんだ。それを考えなきゃ」
「でも、具体的にそれってどうすればいいの?」
シビルが問う。そこまで考えていなかったので、俺は少し唸りながら考えた。アンジェラが俺のことを真剣なまなざしで見ていて、少し焦りながらも俺は答えを出す。
「……要はさ。デボラの父さん。オーリンさんが言っていたことは正論なんだ。デボラのお兄さんが将来この村の経済をしょって立つ人材だったってこと、確かに間違っていない。オーリンさんがそうだったのだから、きちんと英才教育を施されたジョセフさんならそれも出来たはず。だけれど、それが死んでしまった以上……代わりを立てないといけない。デボラは、その……正直言って頭はあんまりよくないから、ジョセフさんの代わりにはならないし、ジョセフさんの代わりにはパルムがふさわしい……学歴を考えれば、確かにそうかも知れない。そこまではいい。
でもね、デボラはそういう教育をしてこなかったから、今更無理だ……なんて、デボラの父さんに言われたんだけれど。だからって、俺は納得できないし、したくない。デボラが諦めるなら、俺も諦めるけれど……でも、もしもデボラが父親に抗いたいのなら……俺は、俺もそれに協力したいんだ」
「いや、だから具体的にどうするのかってことを……」
「まずは、デボラの父さんが、『デボラがいろんな国を飛び回るのは危険だ』って言っていたけれど、そこの認識から改めなきゃいけない……デボラに、このリテン地方を旅をさせるんだ」
「ポケモン連れて?」
「うん、ポケモンを連れて……そうだよ、俺だって腐ってられない。そのためにも、デボラにいいポケモンを譲れるように、ポケモンを鍛えなきゃ。俺がポケモンをプレゼントする」
「まだデボラがどうするかすら決めていないのに……」
アンジェラは呆れたように肩を落とす。
「じゃあ、決めなきゃ。アンジェラ、シビル……協力してくれない?」
「仕方ないね。デボラのためだもの」
アンジェラは即答した。なんてありがたい。
「ねぇアンジェラ……仕方ないとか言ってる割に若干嬉しそうじゃない?」
アンジェラの顔はシビルの言う通り、幽かな笑みを浮かべているように見える。
「だって、友達や同級生がやる気を出してくれるのって、嬉しいじゃない? まだデボラがやる気を出してくれるかどうかは分からないけれど……でも、もしかしたらっていう希望があるのはいい事でしょ? シビル、そういう事だから協力してよ。ただデボラとランパート君の話し合いの場を設けるだけでいいの」
「私、あんまり口は上手くないから、あんまり期待しないでね?」
シビルはそう予防線を張って期待するなと言いたげだけれど。しかし、学校が終わってその結果を見る限りでは、仕事はきちんとしてくれたようだ。