1:甘んてはいけない
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 とにかく、アンジェラに言ってしまった以上、俺も腹を決めなければならない。本当はずっとこうしなければいけないと思っていたのだけれど、誰かに後押ししてもらわなければ勇気が出なかったのかもしれない。俺はゴーゴートと共にスコット家に立ち寄り、ドアについたノック用の振り子でドアを叩いて家主を呼ぶ。
「はい、どちら様でしょうか?」
 ドア越しに声が聞こえる。デボラの父親、オーリンさんである。
「ウィリアムです。デボラさんの事で話があって参りました」
「君か……気持ちは分かるがいい加減にしないかね?」
「はい? もしかして、デボラさんは迷惑でしたか? せめて励ましてあげようと思いまして……」
「迷惑に決まっているだろう! もう君は許嫁ではないんだ」
「はい? なんですか、そんなの初耳です」
「……何だって?」
 どういう事なのだろう。許嫁ではないというのは、そんな話を聞いたこともない。このままドア越しに話すのも何なのでと、オーリンさんはドアから顔を出し、少し離れたところで話しることになる。
「本来ならば、ジョセフがうちの家業。つまりウイスキーの出荷に関わる事業を統括するつもりだった」
 オーリンさんは非常に語学が堪能で、母国語である英語に加えカロス語((フランス語の事))と日本語もペラペラと口にすることが可能である。その語学を用いて世界中を飛び回ることで、この国の企業としか契約を結んでこなかったうちの村は、直接世界中の店や企業を相手に商売する村となったのだ。その後を継ぐジョセフさんは、この村を担う非常に重要な役目を担っていたのは言うまでもない。
「だが、先日の事故でそれも不可能になってしまった……そうすると、家を継ぐのは必然的にデボラということになるが、私の仕事は女性には難しい。だから、別の婚約者を立てることになった……のだが。もう君の家族にも伝えているし、私も君に伝えようとしたのだが、デボラが自分で伝えたいと言いだしていたので、それに任せていたのだが……まだ、言いだせなかったんだな」
 頭が真っ白になってしまい、俺は何も言えなかった。
「娘も、伝えるのは辛かったのだろうが、そこまで思いつめていたのであれば私の口から伝えたのに……すまなかったな。私も娘の意思を尊重してあげられなくって、そして君にも申し訳ない」
 違う、俺が欲しいのはそんな言葉じゃなくって。
「待ってよ、女性には難しいって何!? そんなの、やってみなきゃわからないじゃないですか」
「女性は家を守るべきだろう? 海外に飛び回るのは男の役割じゃないか」
「そんな……ポケモントレーナーとかだって女性も多いですし、それに海外じゃ女性が仕事をするのだって珍しくないって聞いてます」
「海外ではそうだろう。だが私の娘はそう言うふうには育てていない。私は小さい頃から国外を夢見て外国語をいくつも勉強してきたし、外国語の映画のビデオもたくさん借りた。ポケモントレーナーとして旅に出た時は、積極的に外国人と話をしたもんだ。だから、私はこうして仕事をしている……ジョセフもそうして育てた。
 だが、娘は……将来はお嫁さんになるだなんて甘い考えで、のほほんと生きてきた出来の悪い娘だ。あまり勉強させなかった自分も悪いが、成績はあまり良く無いだろう? 確かに、女には無理という言い方はまずかったかもしれないが。だが、私は娘をそう言うふうには育てていなかったんだ……ジョセフのようにはなれぬよ」
「今から育てれば……」
 俺が反論をする前に、オーリンさんは俺を睨みつける。無駄だとでも言いたげだ。
「じゃあ、そのデボラの新しい許嫁って誰なんですか? デボラさんを幸せに出来るんですか?」
「……君程、気立ては良くないが、パルムという男だ。この村の大麦の大きな農場を持っているアルトマン家の当代の弟、先代の三男坊だ。彼もポケモントレーナーとしていろんな国を渡り歩いて、語学も悪くない。海を越えてすぐそこのカロスや、極東の国やフィオレ((フィオレというのはイタリア語で『花』を意味するためイタリアに当たる地域だと思われる。))の言葉も喋られる。きっと仕事は上手くやってくれることだろう」
「確かに、優秀そうなその人なら、この家もお金……儲けられるでしょうね。でも、それだけですか? 仲がいい私達を引き裂くほどの価値があるんですか?」
 苛立たし気にそう問うと、オーリンさんは仕方ないなとばかりにため息をつく。
「分かっているのかいないのかは知らないが。確かに、幸せがお金だけではないというのは君の言う通り正論かもしれないが。私も、妻とは喧嘩こそ少ないが、息子が生まれるまではあまり会話もせずぎこちない夫婦生活だった。君達ならばそんなことはないだろうし、子供が生まれればより一層仲睦まじくなるだろう。
 だが、うちの家業は村全体の経済に関わっているということを忘れてはいないか? 私はだね、ウイスキーのみならず、チーズの交渉も頼まれているんだ。ゴーゴートの乳で作ったチーズの美味しさは世界に伝えていくべきだと前々から考えていてね。私の家業が潰れてしまったら、そのしわ寄せは村全体に及ぶのだよ?
 私の家だけの問題であれば、君の言いたいことも分かるが。だが事は村全体に影響が及ぶということを忘れないで欲しい」
 家柄だとか、そんな見栄の問題が関わっているのかと思い頭に血が上ってしまったが。この村全体に影響が及ぶと聞いて、俺は血の気が引いた。大人の正論を聞かされて、子供ではどうしようもない現実を見せつけられては、俺はどうしようもなかった。
「すまんな。うちの息子を呪いたくもなるかもしれないが、あいつも死にたくて死んだわけじゃない。相手方の責任が百パーセントで死んだのだから、責めないでやってくれ。代わりとなれるような後継者をきちんと用意できなかった私が悪いのだ」
「……デボラは。デボラは、本当に世界を飛び回るのは無理だって、言っているんですか?」
「今更、無理だ。それに今度こそ娘が事故にあっても困るだろう」
 親の気持ちは分からないけれど、今度こそ子供を失いたくないという気持ちは理解するしかないし、そんな事を言われると俺も何も言えなくなってしまう。
「分かりました」
 こうまで言われては俺も引き下がるしかなかった。挨拶も忘れ、ふらふらとゴーゴートを繰り出し、俺は自宅へと帰って行った。デボラに話しかけるのはもう諦めるしかなかった。


Ring ( 2016/06/28(火) 22:25 )