1:甘んてはいけない
 ここはウイスキーとチーズの名産地、海に囲まれたライズ島にある村、ミクトヴィレッジ。自然がたくさん残る風光明媚なこの島は、のどかな自然と、渡り鳥の到来、グラシデアの花畑、そして草タイプのジムが見どころの観光名所だ。

 俺はこの村で、生まれた時から嫁がいた。いわゆる許嫁という奴だ。この許嫁という風習について自分が思うことは、世界では幼い少女が年を重ねた男性の妻として『売られ』るような問題などあるようで、必ずしもプラスに働くものではないと思うし、ウチの村でもそのような問題はある。まだ若い二十歳過ぎの女性が白髪だらけの男性の妻をしている光景は、子供心にもすこしばかり哀れに思えた。
 けれど、自分に関して言えば、許嫁という制度の恩恵にあずかれたといえるだろう。将来自分の妻となる女性は二日違いに生まれた女の子で、家はゴーゴートに乗って行けば三分もかからない。彼女とは家こそ別々なものの、親同士も仲が良く、兄弟のように遊んで育った、自慢の彼女だった。
 そんな彼女の家なのだけれど、この村のウイスキーの取引を一手に引き受ける貿易商。この街に置いては家族の名を知らぬものはない、スコット家の長女である。ウチのランパート家は村の住民の足となるゴーゴートやギャロップ。機械の入れない場所や機械を使うには大袈裟な作業に使うカイリキーや、牧羊犬のヘルガーやトリミアンなどのポケモンの育成をしているくらいで、小さな育て屋兼ゴーゴート牧場であるウチが本来結婚出来るような家柄ではないのだが、彼女には兄がいる。家は兄が継ぐのだからと、気楽な立場であると彼女の母親は告げていた。
 俺と彼女は、一〇歳の誕生日に雌雄のニャスパーを送られ、それが婚約の証となって、二人で可愛がって育てている。ポケモンの育て屋の俺は強いポケモンを持っていないと格好がつかないので、手っ取り早く育ててすぐにニャオニクスにしてしまったが、彼女はゆっくり育てていくようで、戦いとは無縁に生きた雌のニャスパーは未だに進化せずに灰色の体のままだ。
 けれど、ニャスパー同士も俺達と同じくらいに仲が良く、一方だけが進化していてもじゃれ合うことは止めず、顔を合わせれば並んで歩き、別れるときは名残惜しそうな顔をしていつも俺達を困らせている。

 世の中、嫁が見つからないだとか、彼女いない歴が年齢と同じだとか、そんな人間も少なくないらしいが、俺は彼女いる歴が年齢と同じである。誇らしいわけではないが、許嫁の恩恵にあずかれなかった同級生を見ると、この上ない優越感があった。
 何もない街だから、遊びらしい遊びは何も出来ないけれど、二人で野山を散歩しているだけでも楽しいものだ。俺の家で育てられたゴーゴートの助けを借りて、険しい丘を登って見晴らしの良い場所へ。
 吹き付けるそよ風を浴びながら肩を並べて会話をするだけでも、二人の時間は心が満たされていく。
「ねぇ、ウィル。今年のウイスキーなんだけれどさ……今年のって言っても三年前に樽に詰めた奴だけれど。なんだかすごくいい出来だってみんな喜んでいてさ。こんどウィルのお父さんも呼んで飲み会しようかって計画しているんだって」
「不味くても普通の味でも飲み会はするくせに、好きだねぇ。俺は飲めるまであと五年かぁ……一六歳、待ち遠しいなぁ」
 世間話をしながら、雲が足早に流れる空を見上げて、俺は大人の生活への憧れを騙る。
「隠れて飲んでみたら?」
「無茶言うなよ。顔でも赤くなったりしたらばれるだろ? あれでデボラの父さん厳しいんだから。げんこつでもされたら涙が出るほど痛いんだから」
「ポケモンに突撃されても平然としてるウィルがその程度でまいるわけないじゃん」
「全然大丈夫じゃないから。ゴーゴートの頭突きを受けて前歯吹っ飛んだし。それにさ、デボラの父さんに怒られるだけならばまだいいよ? でも、俺はその後親父に怒られるからな。家族の付き合いのおかげで寛容な父さんも怒らざるを得なくなるってのが怖いところだよ」
「いつかは正式に家族になるんだもんねー。それも五年後。お酒を少し飲みながら結婚式……はぁ、憧れちゃうなぁ」
「憧れる必要なんてないでしょ? 事故でも起こらなきゃ、俺達はいずれその晴れ舞台に立てるだろうし。だから健康と安全に気を付けるのが最優先だってことで」
「そうだね。あんまり危ないところに行くのは良そうね……なんて、こんなところにいるとちょっと説得力がないけれど」
 見下ろした丘からの景色は、登るのがきつそうな壁のような斜面にある。高原に生きるゴーゴートは壁のような斜面だろうと平然と登れるし、野生の勘という奴なのだろうか、足元が崩れるような場所は絶対に踏みつけたりしない賢い奴である。だからと言って、この斜面を転げ落ちれば、俺はともかくデボラの命の保証はないから、危ない橋を渡っていると言えばそうなのかもしれない。
 ただ、誰にも邪魔のされない空間で、気持ちの良い風邪を浴びながらこの景色。ゴーゴートを我が子のように乗りこなしてきた俺達だからこそ気軽に堪能できるこの高揚感は何物にも代えがたい。

 休日はこうして景色が良いところでおしゃべりでもしながら、たまに筋トレをしたりゴーゴートと乗馬の稽古をしたり。そうして家族の手伝いや、勉強の時間が来たら、デボラをゴーゴートに乗せて彼女の家まで送って、自分もまた家に帰る。娯楽らしい娯楽は、ビリヤードやダーツが出来る酒場くらいしかないこの街だけれど、何よりの娯楽が二人でいる時間であった。


 それだけでよかったのに。

Ring ( 2016/06/27(月) 23:18 )