エピローグ:ミュウツー母さん
夫婦生活を続けていれば、悩みの一つや二つも出るもので。この日、カノンは家族計画をどうするかの悩みをシャムロックに相談するため、ニコニコハウスへと赴いていた。
ユージンはもう二二歳といい年だ。それだけにタマゴが欲しいと思っているのだが、カノンはまだ一三歳。ミルに頼まれた仕事のこともあり、まだまだタマゴを作るのは早いと思っている。
母親となれば子育てに忙殺されてダンジョンへ赴くことも難しくなるだろう、タマゴが出来ても妻に子育てを任せればいい男性とは重みが違うのだ。ユージンはカノンの意見を尊重すると言って妥協はしたものの、本当にこれでいいのかと、カノンは心配であった。
そんな時、両性具有のために夫としての経験も、妻としての経験もあるシャムロックに何かアドバイスを貰えればと思い、カノンは尋ねたわけだが、シャムロック曰く自分じゃ参考にならないかもしれないがと前置きをして言う。
「私は三百年以上生きていてもタマゴなんて出来たことがなかったから、私が家族計画についてとやかく言うことは出来ないわ……ただ、経験則として、夫婦円満の秘訣は自分の話をよく聞いてもらうこと。そして、相手の話もよく聞いてあげること。お互いの気持ちは、言わなければ気付けないこともある。それをきちんとさらけ出して、認識にズレを出さないこと。
『カノンが何も言わないから大丈夫だと思った』なんて、ユージンに言われたら百年の恋も冷めちゃうでしょう? だから、その……カノン、貴方がきちんと『まだタマゴは欲しくない』って意見出来たことは、評価するわ。そうやって、口に出してあげなさい。女の子の気持ちは、男の子にはわからないのが普通だから」
「なるほど……そうだね、とにかく正直に何もかも話さないとね……」
結局、具体的な解決案は出なかったが、シャムロックの意見を聞いて、カノンは若干気分が楽になった気がした。
そうして気分が落ち着いてみると、どうでもいい事を考える余裕も少しは出来て来るのだろう。
「しかし、なんで母さんはタマゴが出来ないんだろうね? ヌケニンやフィオネみたいな特殊なポケモンならばタマゴが生まれないのも納得だけれど……」
カノンは不意にそんなことを口にする。すると、シャムロックは苦笑しながら答える。
「私は十分特殊だから。私は、あらゆるポケモンの破壊衝動だけを抜き出して作られた生き物だから、生殖という要素を欠いて生まれたのかもしれないわね」
「……よくわからないけれど、それってタマゴを作らず、破壊するためだけに生まれた作られたの生物ってこと? 確か、ポリゴンやゲノセクトが作られた生物だって聞いたけれど……でもそっちは生殖能力があるよね?」
「私にもよくわからないわ。だけれど、私も……昔は確かに破壊衝動というか、人を支配し、屈服させることが快感だったこともある。恥ずかしい過去だけれどね……あるいは、そんな私が生殖によって数を増やしてしまえば問題が出ると、私を創った者が考えたのかもしれないわ……私を創ったニンゲンが滅びた今となっては、分からないけれどね」
シャムロックはそう言ってため息をつく。
「でも、それならばどうして母さんは、母さんになれたのかな? どうして、男と女の両方の性質を持っていたのかなって、ちょっと思うな。なんというか、基本的に男の方がちょっと乱暴というか、喧嘩っ早いイメージがあるけれどな……ほら、パチキとかみたいな。私によく喧嘩を売ってくるアルトとポルトも男だし。こう言っちゃなんだけれど、そんなに破壊衝動を持たせたいなら、もっとバンギラスやサザンドラみたいな、狂暴なポケモンの男! って感じの性格で良かったと思うし、女の性質を持たせる必要もなかったと思う」
カノンにそんな事を言われて、シャムロックは思わず笑ってしまう。
「ふふふ……うーん、カノンの言う通り、確かに男の方が戦いを好むというのはあるわね。ニドクインやラティアスのように、女性が明確に穏やかな種もいることだし、そう言う考えは間違っていないわ。でも、私は、破壊衝動のためには女性的な部分も破壊衝動を持たせるには必要だと思うわ」
「それはどうして?」
シャムロックの言葉を聞いて、カノンは疑問を感じて問う。
「太古の昔は、強さこそ男の全てだったから、女を得るためには戦って勝たなければいけない。それが男の闘争本能で、破壊衝動なの。だけれど、女でも肉食ならば子供のために食料を取らねばならないわね? それに関してはグラエナやニャオニクスなどには顕著に見られる特徴で、女性の方が好戦的な珍しい種だわ。つまり、雌には雌の闘争本能があり、破壊衝動があるの。
それに……憎しみや怒りと言った、社会的に高度な感情を含めなければ……そう、本能的な感情で、最も強い攻撃衝動は何から生まれると思う?」
「え?」
シャムロックに問われて、カノンは思わず考える。
「それはね、母性本能よ。我々は性欲のためや、縄張りを得るために命までは掛けない……ミツハニーのように女王のために死ぬことを運命づけられたポケモンでもなければ、死ぬくらいなら縄張りを奪われることを選ぶでしょう。飢えた時に食料のため、無謀な敵に挑むことはあっても、絶対に勝てない敵には挑まないでしょう。でもね、母性本能……それさえあれば、女性は絶対に倒せないような相手にも立ち向かえる。
現に、伝説のポケモンを除いて、私に唯一、一対一で戦って勝てたポケモンは……戦闘訓練も積んでいない母親だったわ」
「え、それ本当? その頃、例のバンドはしてたの?」
「いやぁ、当時はそんな物付ける必要はなかったから、最初っから本気状態よ? あの頃はよく体を動かしていたから、貴方達が戦ったゲッコウガよりは弱いかもしれないけれど」
「母さん根に持ってるね……」
じろりと睨むシャムロックの目を見て、カノンは苦笑する。
「勝ったと言っても、反則勝ちだけれど、それでもあの時の敗北は……衝撃的だったわ。とある街を、たった一人で占領していた私はね……ある日、料理を運んでいるカゲボウズが粗相をして、私の料理を床にぶちまけちゃって、だから私はカゲボウズを殺そうとしたの」
「それだけで殺しちゃうの?」
カノンが尋ねると、シャムロックは暗い顔をしながらうんと頷いた。
「そしたら、母親のジュペッタが大声を上げて『やめろー!!!』って叫んだの。カゲボウズを殺す予定を変更してその母親を殺そうとしたら、そのジュペッタは自分の腕にナイフを刺して私に呪いをかけ、その上で腹や心臓にナイフを刺して痛み分け、さらに首をナイフで掻っ捌いて道連れをしたから……私は、テレポートで遠くに逃げるしかなくって、しばらく熱に魘されながら自己再生で傷を治す間、地獄のような苦しみを味わったわ。一人を相手にして、本気で逃げたのは、あれが唯一だったわ。
相手は死んじゃって、その結果だけ見れば私の勝ちに見えるかも知れないけれど……あれは、生涯で唯一の、恐らく後にも先にも唯一の一対一での完全な敗北。私はそう思っている」
「恐ろしい母親がいたもんだね……でも、そうか。以前助けたニダンギルのアイロンさんも似たような感じで子供を守っていたし……母親っていうのは、時にそういう行動もするのか」
「そういう事よ。それだけの破壊衝動をのある母性を、私を作った者達は組み込まないわけにはいかなかったわけね。私がこうして落ち着いていられるのも、その母性を出来る限り高めた結果……だから母性を組み込んでもらえて本当に良かったと思ってる」
言いながら、自分に言い聞かせるようにシャムロックは頷く。
「ジュペッタに負けてからは私も反省して、私も人に迷惑をかけないように生きたんだけれど……罪を償うために、色んな所を旅して人助けもした。その過程で、私にも母性があることが、なんとなくわかったの。弱い者を守りたいっていう気持ちが、きっとそれ……それがあるからこそ、私も許してもらえて、罪を償ことが出来たの。後々に色違いのポケモンを引き取ったのも、その母性本能がどれほどのものかを試したかったっていう側面があるわ。
要するに、私が破壊衝動を抑えて貴方達のお母さんでいられるのは、最も強い破壊衝動である母性が貴方達に向けられているからよ。それが母性本能、素晴らしい感情だと思うわ。だから、私としてはカノンも母親になってみて、母性というものを堪能してみるのもいいと思うんだけれど……でも、貴方達がやることを応援したいとも思う。
ダンジョンの中で燻っている苦しみの感情。アンチハートを浄化するお仕事は、きっと心身に負担がかかるものだと思う。だから、夫婦で支え合って、苦しい事は分け合って歩んでいくのよ。そのためには、眠る、食べる、交尾する。それらの生活の足並みがそろっていないことには、難しいことも多いと思う。もしも夫婦の間で問題が出たなら、その時は遠慮せずに相談しなさいね。みんなのお母さんは、いつでも貴方達の味方よ」
「うん、ありがとう……お母さん」
優しい笑みを投げかけるシャムロックに、カノンは少し恥ずかしそうにお礼を言う。いつか母親になったとして、自分はこんな素晴らしい母親のようになれるだろうか不安は尽きない。ただ、ここまでとはいかなくとも、いつでもニコニコしていられるような家庭でいるためにと、カノンはシャムロックに言われた言葉を噛み締めるように、何度も心の中で反芻するのであった。