ロズレイド編
結婚式と、その後に


 二日後の夜、結婚式の話し合いのためにニコニコハウスの一室に、カノン達や卒業生を集めての話し合いの最中。もう幼い子供は寝静まって、ある程度大人のメンバーだけが起きている時間帯。話し合いもだいぶ進んで、今日はお開きというところで、シャムロックが不意に口を開く。
「ところで、皆……ちょっとミルさんから小耳に挟んだのだけれど……あなたたちが戦ったゲッコウガっていうのは、私より強いらしいわね?」
 シャムロックが問うと、ユージンが口を開く。
「あぁ、まぁ……そうだと思う。メガシンカした時の母さんよりかは弱いと思うけれど、あのゲッコウガは、かなりの強さだった。それこそ、首と手足のバンドをすべて外した時の母さんよりも……」
「ふうむ、貴方が言う私というのは、この状態の事かしら?」
 言うなり、シャムロックは自らの力を制御するバンドをすべて外す。
「そ、そうだけれど……ここで暴れるのはよせよ、母さん?」
「分かっているし、暴れるつもりはないが……お前達は一つ勘違いしている」
 いつもと口調が違う。その場にいる全員が、嫌な予感しかしなかった。
「私は、じっと動かずに力を溜めることで、最高のポテンシャルで戦闘をすることが可能になる((『たたかいで ちからを さいだいげんに だせるように ふだんは すこしも うごかず エネルギーをためている』 ソウルシルバーの図鑑より))。そこでだ、私は明日一日休んでじっとしている。本当は数日休むのが一番調子が良くなるのだが、そういうわけにもいかないしな……ユージン、ぐっすりリングルを返してもらうぞ。明日は一日中それを使う」
「母さん……街を滅ぼす気ですか?」
「さあな。滅ぼしたくなければお前達が止めろ」
 低い、素の状態の彼女の声でシャムロックは言う。それとも、この状態の時は彼と呼ぶべきだろうか、それはニコニコハウスの子供達が父さんと呼ぶべきかどうかで迷っていることからも、いまだ答えは出ていない。

 そして、二日後に十分に休憩を取り、すべての戒めを解いた状態のシャムロックが戦った結果なのだが、カノン、イレーヌ、パチキ、テラー、ユージン、ナオ、シュリン、ミックと、ニコニコハウスの中でも手練れである面々が揃ってシャムロックを囲い、ようやく勝てるというレベルでの戦いとなった。久しぶりに本気を出せたシャムロックは、負けておきながらも満足そうに笑みを浮かべ、久しぶりに本気で運動を出来たことで高笑いするほど上機嫌であった。
「母さん、鬼か……」
 と、ミック。
「もう二度と戦いたくない……」
 と、ナオ。他の面々も大体同じような意見で、半死半生のニコニコハウスの仲間たちは、改めてシャムロックが化け物であると認識しなおすのであった。


 そんな事がありつつも、時間は過ぎてゆく。カノンの家族を呼ぶ日が決まり、皆その日に予定を合わせて休みを取る。結婚式の日に合わせて、ポップコーン用の固い品種のモコシの実を大量に購入し、血糊代わりの真っ赤なマトマの実も用意した。
 当日は、料理は当然食べ切れないくらいに大量に用意しており、盛大に祝う準備は万端だ。ニコニコハウスの庭には、所狭しと料理が並べられ、入りきらない分は室内にも置かれている。
「すごく立派になったね、カノン」
 控室では、カノンとその母親、エブリスが久しぶりの対話をしていた。このニコニコハウスに来た時は、母親におぶってもらいながらこのランランタウンにたどり着いたが、今はもう進化してしまった事もあり、すっかりカノンが見下ろす立場だ。
そのため、カノンは床に座り、母親は立ち上がっての会話である。それでもカノンが見下ろす立場なのはご愛嬌だ。
「うん、立派にしてもらえた。このニコニコハウスで、たくさんの人から大事にされて、ゆがんだり曲がったりしないように、導いてもらってきたから。なんか、こういう事を言うと親不孝に思われちゃうかもしれないけれど、きっとお母さんの下で育つよりも、ずっと幸せに生きてきた気がする。進化できたからってわけじゃないけれど、進化石を使って進化できたのは経済的に豊かだからなのは間違いないし、勉強も教えてもらえたし、強くもなれた。
 兄弟みたいに平凡な暮らしでもないし……ニコニコハウスにいられて、本当によかった。それでもって、色違いに生まれることが出来て、本当に幸せだったよ」
「カノン。私、普通の色に産んであげられなくって、ごめんなさいって何度も思ってたけれど……あなたが書いてくれた手紙、最初は不安そうで、寂しそうで、私も悲しくなっていたけれど、いつしか貴方はニコニコハウスの兄弟の事を自慢したり、嬉しかったことや楽しかったことばかりを、書くようになって。少し寂しいけれど、もう大丈夫なんだって安心できたこと、今でも覚えている。
 貴方の事、諦めずにダークライに相談して、こうして立派に成長して、何もかもが最高に嬉しい。それに、許嫁とかそういうのじゃなくって、恋を経て夫婦になるなんて、どこまでも羨ましいくらい」
「努力したからね。毎日ダンジョンに潜って、皆のお母さんとも戦って」
 母親に褒められて、カノンは照れながらはにかんだ。
「母さん。私はこれまで幸せだったけれど、これからはもっと幸せになるから。だから、今はもう安心して弟たちの事に集中して欲しいな。これからも手紙は送るし、元気で暮らすって約束する。だから、私以外の人も幸せにするために頑張って、お母さん」
「もちろん、そのつもり。みんな幸せにするのが母親の務めだからね」
 母親はそう言ってカノンを抱きしめようとする。しかし、彼女の腕では長さが足りず、逆に抱き返したカノンの腕の中にすっぽり収まってしまい、お互い何だか妙な恥ずかしさを覚え合った。
「お父さんや兄弟とも話さなきゃね」
 カノンが言うと、エブリスは行ってらっしゃいとカノンを促した。

 その後、懐かしい面々と話して、カノンは大いに満足をした。マラカッチの兄や、スボミーだった弟と、そしてマラカッチの父親。それぞれと積もる話をした。何度か涙ぐみそうになりながらも、潤む目を堪えるようにしてカノンはたくさんの話をする。父親と母親は涙ぐんでいたが、そういう風に大っぴらに泣くには、まだまだ若いカノンには恥ずかしかった。
 家族との団欒の時間も終わり、ついに結婚式の宴が始まる。進行、司会役はシャムロックが務め、まずは参加者に祝いのための特別なリンゴ、セカイイチを配らせる。それらを皆で分け合って食べたあと、カノンとユージンが並んで入場する。化粧の必要すらなく美しいカノンの隣には、体毛の手入れをされていつもよりも毛並みが艶やかなユージン。
 ロズレイドの方が圧倒的に身長が大きなこともあり、中々歩幅を合わせるのも辛そうで、カノンは出来るだけ小股で。ユージンは出来るだけ大股で歩みを進める。そうして無難なあいさつを終え、家族やニコニコハウスの兄弟、シャムロックへの感謝の言葉を述べて、いよいよ結婚式は佳境に入る。
「いままでは、この二人は別々の家族として生きてきました。しかし、これから先は、家族として、夫婦として、新しい人生を過ごすことになります。それは今までの自分と決別し、新たな自分に生まれ変わるに等しい事です。故に、新たな門出を行く二人には、一度死に至り、そして新たな自分へと生まれ変わる必要があります。それでは、二人に命を象徴する赤の水を吐きだしてもらいましょう」
 シャムロックはすました顔で言う。その赤の水というのは、血のように赤いマトマの実のジュースなのだがこれが『死ぬほど辛い』のだと経験者から教えられて、カノンもユージンもその味に恐怖しながら、コップになみなみと注がれた液体を覗く。立ち上る匂いだけで目が痛くなり、くしゃみも止まらなくなるその液体。辛さを緩和するために、バターを口に含み、口の中に脂の膜を作ることを進められてその通りにしたが、それでも辛いと経験者は言う。
「二人には、ひと時の死の後に、永き再生のあらんことを。さぁ、赤き水をお飲みください! コップに注がれた水がすべてなくなったら、皆さんは盛大に解けない雪をばらまき、二人に祝福を!!」
 シャムロックの力が篭ったこの合図で、二人は意を決して口の中にマトマの実を流し込んだ。一瞬口に入れただけでは、まだ辛味は回ってこない。
「よーし、皆! 雪を降らせるぞ!!」
「おー!!」
 イレーヌの言葉に、たくさんの参列者が声を上げて、ポップコーンを投げつける。ある者は手づかみで、ある者はサイコキネシスを使い、またある者は籠ごとポップコーンを投げつけて、マトマのジュースを口に含んだ二人の周りに溶けない雪を作る。やがて、辛味によって口の中にマグマがあふれている二人が、こらえきれずにジュースを吐き出すと、二人はその雪に向かってばたりと倒れ込む。
 服毒自殺をした際には溶けない雪を浴びながら『常夏の永久凍土』と呼ばれる不思議のダンジョンとなって、誰にも邪魔されることなく永遠の命を得た二人の男女のように。カノンとユージンは誰にも邪魔されることのない夫婦としての人生を歩むのである。
 が、その前に。
「うぐぅぅぅぅ……」
「うあぁぁぁ……」
 二人とも、悶絶するようなその辛さに、しばらく死んだように苦しめられるのが、この地方の結婚式の定番だ。苦しんでいる間も、ポップコーンで出来た雪が降り続け、新しい生活へと生まれ変わる二人への祝福は止まない。ただし、二人は口の中の火事でそれどころではない状況で、それでも容赦なく解けない雪が叩きつけるのであった。
 幸福と苦痛がないまぜになる最中、どちらのせいかも分からない涙が二人の目元を濡らす。泣いても恥ずかしくないのはいいのだが、利点の割に苦痛があまりに強すぎるのは言うまでもない。

 結婚式も、その後の食事会も終わり、カノンとユージンは二人の家となる場所へと帰り、皆から貰ったお祝いの品を眺めていた。リンゴを乾燥させた保存食やジャム、お酒など日持ちのするリンゴの食品や、大量のポップコーン。そして、ダンジョン内では使えない、お祝いのための不思議枝や不思議珠など、様々だ。
 その中には、ミルからの贈り物もある。一つは、千の眼リングルという、ダンジョン内の敵、罠、アイテム、それらすべてを見通すという、オーダーメイドの秘宝だという究極の装飾品。ミル曰く。これだけでも豪邸が建つほどの価値を持つと自信満々に書かれている。そしてもう一つのプレゼントは、呪われたダンジョンの情報が書き連ねられたリストであった。
「ねえ、ユージンこれ……」
「どれどれ」
 気になる中身は、呪われたダンジョンの名前、そのダンジョンにまつわる伝説、そしてダンジョンが周囲に及ぼす被害について書かれている。
「『砂晒しの村』。砂嵐の力が制御できず、村の外れで暮らしていたバンギラスと、肌の病気で醜い顔になり、街の外に生きるしかなかったサンドパンが、街のために盗賊と戦って、その傷が下で死んだ後に出来たダンジョン。傷は治療すればなんてことはないのに、医者が断固として治療を拒否ししたために、死んでしまったため、その悲しみがダンジョンを生み出したって。そのダンジョンは、周囲に砂嵐を振りまいて、数年で森を砂漠に変えてしまったって」
 言い終えて、カノンはページをめくる。
「『毒煙の沼』。卵を抱えていたゴルダックの女性が、種族が同じという理由で、強盗と勘違いされて攻撃を受け、卵を破壊されてしまい自身も背骨を折られて動けなくなってしまい、死を選んだ場所。毒ガスが湧き出て、周囲には人が住めなくなってしまったそうだね。
 なんか、そんな感じの恐ろし気なダンジョンがたーくさんリストアップされてるの。あの日、ダンジョンで見たようなアンチハートは、何回処理してもダンジョンが存在する限り次から次へと生まれるから、何年かに一回はそれらを処理できるポケモンに頼むしかないんだけれど、今はとにかくアンチハートが生まれるダンジョンが多すぎて人手が足りないしし、処理できるポケモンがその仕事から解放されるにはダンジョン自体が消滅するのを待つしかないんだって。
 でもダンジョンが消滅するのは何百年もかかるから、途方もなく手間のかかる作業になるし、伝説のポケモンでもあのレベルのダンジョンはきついみたい。だから、私がアンチハートを消滅させたり処理するんじゃなく、悲しみを癒すことで浄化することが出来たから……『そうして周囲に害を振りまく呪われた不思議のダンジョンのを浄化できれば、きっと皆が君の事を。ひいては色違いのポケモンの事を見直すかもしれない』ってさ。
 気に入らないならリストは捨てても構わないが。その時は『眼』に話しかけて連絡してくれって……」
「『眼』、ってなんだ?」
「一緒に送られてきたこの、ミルさんの体の一部の事だと思う……この眼と本体は繋がっているから、眼に話しかければ本体と会話できるんだって。用があるなら話しかければすぐに飛んでくるっていうから、貰っておこうよ」
 そう言って、カノンは緑色した半透明の物体を指さす。確かに、血塗られた川に赴く際に見せてくれた分体と同じもののようだ。
「まぁ、ジガルデなんて伝説のポケモンが力を貸してくれるなんて夢のようだし……『眼』は貰っておくとしてだ。それはそれとして、アンチハートを消滅させる仕事、カノンは受けてみようと思うか?」
 ミルから送られたリストに目を通しながら、ユージンが尋ねる。
「うーん……色違いのポケモンっていう、同じ境遇だったからゲッコウガの件は何とかなったけれど、他のケースは私で何とかなるのかどうか……ちょっと不安だな。興味はあるけれど、失敗したら大変なことになりそうだし」
「なんとかなるんじゃないのか? 八つ当たりを受け止めてやるだけの力と、人を赦すことが出来る愛があれば」
 心配して顔が曇るカノンに、ユージンは言う。
「でも、私が赦してもダンジョンに潜むあのあれ……アンチハートの主が皆を赦さなきゃいけないわけだし。それは……私がどうにかできるのかどうか」
「出来ないなら出来ないで、放っておけばいい。出来る奴だけでもやって行けばいい話だ。全部をやることが出来なくったって、評価はされる。それに、このダンジョンの主が何かを恨んだり憎んだりしているとして……その憎む対象も恨む対象も、もうとっくに死んでるような奴だって多いだろう? なら、もう誰かを恨む必要はないって、悲しむ必要はないって教えてやればいいんじゃないかな。真摯に訴えれば、きっと聞いてくれるさ。
 お前が無理なら俺も頑張る。きっと、イレーヌやパチキやテラー、ナオやシュリンだって、協力してくれるはずだ。やってみればいいんじゃないか? 俺達で、色違いのポケモンを見る目を変えるんだ。そのための、足がかりなんだよ、このリストは」
 ユージンが興奮気味に言う。カノンは彼の言葉を自分の中で反芻し、その心地よい言葉の響きを気に入って頷いた。
「分かった、やろう! 眼だとか千の眼リングルだとか、こんなものを貰ったんじゃ断るのも悪いし、何よりユージンの言葉でやる気が出てきた。私が小さい頃に憧れた人助けにもなる。それに何より、みんなと一緒に頑張れる! みんなと一緒に居られる!」
「みんなと一緒、か。なんか年下ばっかりなのがちょっと気が退けちゃうけれど……そういうのも悪くない。せっかく夫婦になったことだ、どこまでだって付き合うぜ。一緒に幸せになろう、そんでもって皆を幸せにしよう!」
 希望に満ちた二人の弾む声が、二人の家に流れて行く。
「うん、ありがとうユージン! 大好きだよ」
 ありきたりな言葉と共にカノンはユージンを抱きしめ、その幸福がいつまでも続くことを願った。


Ring ( 2015/12/31(木) 21:38 )