ロズレイド編
挑戦の時


「ところでだ、カノン」
「はい、何ですか?」
 仲間たちではしゃぐのもひと段落したところで、ミルがカノンに尋ねる。カノンはようやく落ち着いてはいたが、それでもまだ顔に生気がない。
「アンチハートを体の中に取り込むというのは一体どんな感じなのか、出来るだけ詳しく聞かせてはくれないか?」
「あぁ、あの時の感覚……ですか。なんというかですね。取り込んだ時は、もうすっごく悲しくって……意味もなく涙があふれて来るって感じでしたけれど、時間が経ってみると、鮮明な記憶を埋め込まれたような、人格を乗っ取られたような、そんな感覚なんです。なので、私は全く知らないはずの人の名前とか、死んだ時の映像とか、そういうのが浮かんできてしまって……ヘンドリクス。それが、ゲッコウガの親のが子供につけようとしていた名前で……子供は、頭から落ちて、脳みそをぶちまけて死んでて……そういうのが、分かってしまうんです。知ってしまったんです」
「そりゃ、なんというかきついわな……」
 カノンの言葉に、ユージンが言う。
「うん。多分、あのダンジョンを形作ったポケモンの、死んだ時の残留思念がダンジョンの中でそのまま保管されていたんだ。目に焼き付いて離れないくらいに鮮明な記憶で、ニギヤカタウンだった頃の街の住人に言われた言葉もまだ覚えている。そのせいで、今更になって怒りもこみあげてきて……でも、こうやって街を苦しめ続けていてもだめなことは何となくわかってる。だから、子供を殺されたことについては考えないように努めているよ」
「そうか……」
「こんなんで何か参考になりましたか?」
「うーむ……まだどうとも言えないな。ところで、カノン。お前は、どうやってその怒りを克服したんだ?」
 ミルに尋ねられ、カノンは考える。
「うーん……悲しみの感情が強くって、憎しみの感情は後からやって来たから何とも言えないけれど。でも、私は……許さないと、終わらない気がしたから。自分のためにも、ギスギスタウンに住む人達を赦して、赤い川を元の澄んだ水にしないとどうにもならないし……『だから許せ、ゲッコウガ!』みたいな気持ちでひたすら怒りを抑えようとしてて。
 そうだなぁ、私も一人だったらきっと許すことは出来なかったでしょうね。悲しみが収まったら、憎しみが湧き上がってきて、そのままぶち殺しに行っちゃったかも。でも、皆がいたから……殺しに行ったりなんかしたら迷惑もかかるし。それに何より私の目的が達成できないし。
 許すって、一人でする行為だけれど……でも、皆に支えられないと絶対に出来ないことだと思う。ゲッコウガの中には許せないくらい酷い記憶もあったけれど、でも私の中にはそれ以上に素敵な記憶があって、そしてそれを失いたくないという思いがあったから、私は怒りを堪えることが出来た。ゲッコウガには失うものが何もなかったし、私も同じように失うものがなかったり、目標がなければゲッコウガに負けていたと思う。
 ゲッコウガの代わりにギスギスタウンの住民を殺して回っていたかもね。なんだか、大変なものを託されちゃったな……シャムロックに出会えなかったら、私もこんな風になっていたのかな……なんだか、怖いな」

「許すという行為は一人ではできない……か。なるほど」
「それにもう、ギスギスタウンの連中はもう十分報いを受けているからね。一人じゃ許すことが出来ないっていうのは、許される相手の償いや受けた罰も必要なんだと思う。だから、本当に……ゲッコウガが復讐しようとしていたことは、否定できないよ。あれは復讐したくなっても仕方ない、彼には何も残されていないもん復讐以外にすることがないから」
「要は、俺達がいなかったらギスギスタウンの連中が殺されていたかもしれないってことか」
 パチキに尋ねられて、カノンはうんと頷いた。
「本当は今でも殺したいくらいに憎い。自分の事じゃないはずなのに、亡き妻の面影だとか、そういうのが頭に浮かんできて……他人の痛みを代わりに背負うって、すごく覚悟が必要なんだなって思った。昔、パチキが尻を叩かれそうになった時に、二回分肩代わりしたことがあったけれど……その時はきっちり二回分尻を叩かれたっけ。それとおんなじ。
 誰かの痛みを肩代わりするっていうのは、同じだけ痛い思いをしなければいけない。大切な人が死ぬような映像が頭に浮かんで……そしてそれを強要したニギヤカタウンの住民の顔が浮かんで……今もやばいくらいいらついていますもん……もっとうまい表現の一つでも思い浮かべばいいんですけれどね、詩人じゃないと難しいものですね」
「そうか……アンチハートを取り込んだ者は君以外にもいるが、それらは心を壊して牢に閉じ込められたり、正気を失って殺すしかなくなったりと、ろくな結果をむかえていない。しかも、そういった時には呪われたダンジョンが及ぼす悪影響は解消されていない……仲間を失うだけなのだ。
 アンチハートを取り込むなど、誰にでも出来る仕事じゃないというよりは、誰にも出来ないとすら私は思っていたが……いるものだな、不可能を可能にする者が。もしかしたらアンチハートを取り込むことは、カノン……君にしか出来ない仕事かもしれん」
 ミルはカノンがした行為をそう評して笑む。
「だけれど、どうせやるなら私じゃなく、色違いを憎んでいるギスギスタウンの連中にも同じだけの憎しみを知って欲しいと思います。私が他人の痛みを知るよりも、加害者の方に知って欲しいですし」
「確かにな……ああ、言われて気付いたが、今回はカノン以外に影響がないからよかったが……さっきも言ったように、アンチハートを取り込んだ者は気が触れたような行動をとることもある。それでもここにいる者達の気が触れたくらいならば何とかなるが、最悪の場合街一つ壊滅させかねないようなシャムロックは連れて行かないほうがいいかもしれない。あいつは、怒ると手が付けられないからな」
 ミルはため息をつきつついう。
「た、確かに……そうか。母さんを連れてこなかったのは正解だったね……」
 カノン他、ニコニコハウスの面々はミルの言葉に納得して苦笑した。
「本当に、カノンのような他人ではなく、当事者に背負わせることが出来れば苦労しないのだがな。他人の苦しみを想像し、皆が仲良くなれれば……理想的な世界だが、絵空事だ」
 ミルはそう言って俯いた。
「だから誰かが我慢するしかない。その後に、報われるならばそれも良いが……私の言葉すら届かぬような根の深い問題に、果たして解決の手段などあるのかどうか」
「報われるくらいに頑張ればいいんですよ」
 ミルの言葉に、カノンは笑顔で返す。ミルはその表情に期待を込めて笑みを返す。
「その覚悟があるなら、私も協力を惜しまぬよ。いつかこちらから、解決困難な仕事を頼むかもしれないが……受ける気はあるか?」
「私の目的に近づけるのであれば、是非とも」
 ミルに仕事を頼まれると聞いて、カノンは一も二もなく頷いた。
「了解した。色違いが報われるように努力するお前の姿を、皆の記憶に残るようにせねばな」
 ミルは、嬉しそうに言う。その後も、勲章の一つでも作らせようかだとか、そんな事を話しながら、カノンという新しい期待の星を評価するのであった。


 ダンジョンから外に出て一日ほど様子を見ると、ギスギスタウンの近くを流れる川は、赤い色から透明な澄んだ色へと変わっていった。街の住人はその奇跡のような光景を大いに喜んだが、当然のことだがどうしてそんな奇跡が起こったかについては理解していなかった。
 そのため、カノン達はミルと共に街へ赴き、今回の事のあらましを説明する。ダンジョンエクスプローラー達が身分を証明するバッジには、裏と表にミルの姿が描かれており、今のヘルガー体型のミルは裏面に描かれていて、ダンジョンエクスプローラーについて一般的な知識がある者は、その見た目を知っている。彼がジガルデという伝説のポケモンであることは周知の事実であるため、ミルのような姿をした者は世界全体を見回してもそう多くないことは誰もが理解するところだ。
 そのため、ミルの言葉を疑う者はいなかった。神の近い、尊い伝説のポケモンが嘘をつくことなどないだろう、と。

 そんなミルの事はともかくとして、カノンの存在を街の住民は許せなかった。街の住民としては、彼女は色違い故に追い出してしまいたいのに、ミルの近くにいては手を出すことも出来ず、歯を食いしばることしか出来ない。ミルから聞かされた内容も、色違いのロズレイドであるカノンが街を救ったという説明には、はらわたが煮えくり返るような思いだった。
 彼らは色違いが活躍することを認めることすら出来ないのだと思うとカノンはため息が出たが、そのあまりのノリの悪さに腹を立てたのはカノン達だけではない、ミルもであった。
「ふむ、お前達は街を救ったダンジョンエクスプローラーにすら敬意が払えないようだな。仕方ない、ダンジョンエクスプローラーに敬意を払えないような街には、私もこの街そのものを冷遇せざるを得んな……お前達、ダンエク協会は私の組織だという事を忘れてはいないだろうな? 私の一存で、この街の仲介料を二倍にも三倍にもすることが出来る事を忘れてやいないか? ダンジョンエクスプローラーへの敬意も払えず、拍手の一つも無いようでは、そうするしかないようだな」
 彼は、自分が組織の長であるのをいい事に、仲介料を釣り上げて住民を脅す。ダンジョンエクスプローラーの仕事の仲介料が値上がりすれば、同じ値段で発注しても、受注する側の食いつきも悪くなり、発注する側は多くの報酬を払わなければならない。そんな事になっては、ただでさえ経済的に危機的状況なこの街が何か問題を抱えても仕事を頼むことが出来ず、この街の経済がさらに危なくなることは明白である。
 当然、そうなってしまうくらいならば、拍手の一つでもした方がましだ。彼らには色違いのポケモンを憎むよりも、生活の方が大事という、その程度の覚悟しかないのだ。結局、嫌々ながら拍手をさせられ、ギスギスタウンの住人は大人も子供も不機嫌そうで、ミルが行ったこの発表も、反感を煽っただけに終わったが、ミルは最後にこうも付け加える。
「色違いのポケモンが災厄を引き寄せるなどというのは迷信だと、お前達はまだ気づかないのか? 私も昔は、色違いのノコッチだったというのに……それでも色違いが災厄だというのならば、私を殺してみろ。全力で相手をしよう」
 呆れたようにそう言った彼の言葉には、頑固な大人も、純粋な子供も、少しは考えるところがあったようで。感情論では理解したくなくとも、頭では認めざるを得なかった。そんなギスギスタウンの住民の反応を見て、ミルは自分なりに筋を通せたと満足している。


「なんだか、さっきの演説じゃ、逆にさらに色違いのポケモンが嫌われそうな感じだけれど……あれで大丈夫なんですか?」
 街を出て、開口一番にカノンは言う。したくもない拍手をする際の街の住民たちの顔と言えば、まるで道端に打ち捨てられた汚物でも見るかのような目であった。
「なに、あれだけ言っても理解できない奴はいないさ。今すぐには無理かもしれんが……徐々に変わって行くだろう」
「本当かねぇ? 生理的に無理ってものはあるぜ?」
 ユージンはそう言って、肩をすくめる。
「色違いのポケモンが生理的に無理なわけではないからな。大半が『皆が嫌いと言っているから嫌い』という理由ではないか? 私は、奴らが色違いを毛嫌いする理由などその程度の認識だと思っている」
 と、ミルはユージンに反論する。
「だなー。俺達だって、母さんから普通に付き合うように言われたからこそ、カノンとこうして付き合っているけれど……きっと、シャムロックじゃない、別の母さんの下に生まれていたら、カノンを嫌っていた気もするし」
「僕もそう思う。そうじゃないって……別の場所で育っていてもカノンの事は好きだったって信じたいけれど、それはけっこう非現実的な考えだからね。言いたくはないけれど、僕達の両親が健在だったら僕はカノンを嫌っていたかもしれない……その点に関していえば、両親が死んでいてよかったと思うよ。カノンを嫌いになるだなんて、今更考えられないもん」
 パチキとテラーが言う。その言葉にカノンも少し胸が抉られる気分だが、彼らが言うこともまぎれもない事実だというのは理解出来る。
「うーん、難しい問題ね。確かに、外の大陸では色違いを嫌う人なんていないっていうし、確かに生理的にいやってわけではないわけね。だから、意識を変えさえすれば色違いを嫌いになる理由なんてないわけだけれど、問題はさっきのやり取りで意識を変えられるかって話なわけで……」
 イレーヌが言って、ううんと唸る。
「どうかなー。今は反感を買っていたかもしれないけれど、時間が経ってそれがどう転ぶかだよね。まだ親の考えに染まり切っていない子供ならあるいは、話を理解してくれるかもしれないし……でも、まずは水の色が元に戻ったことで、街に活気が出るかどうかだよね。不気味な水の色はもちろんだけれど、ダンジョンが交易の邪魔になっていることが活気を無くした要因の一つだし……そっちの問題は残念ながら解決していないんだよね」
 テラーが言う。
「それについては、水の色が変われば少しは活気も戻ると思うよ。そうだねぇ、そしたら少しは色違いのことも見直してもらえるかなぁ?」
 イレーヌが首を傾げた。
「誰もがそういうわけじゃないとは思うけれど……でも、きっとできる」
 カノンはアルトとポルトの例を思い起こし、言葉通りの事を確信する。
「でも、今回のだけじゃまだ足りないんだ。小さな人助けからでいい、色違いでもいい事は出来るんだって。みんなに知らしめなきゃ」
「私達の戦いはまだ始まったばかりってわけね!」
「そりゃいいじゃん。僕達、ニコニコハウスを卒業しても、ずっと一緒だね!」
「おうおう、めでたい事じゃないか! 俺達で世界を変えようぜ!」
 盛り上がった四人が、誰ともなしにハイタッチをする。パァン、と乾いた音が、澄んだ青空に高らかに鳴り響く。若いってのは羨ましいなと、ユージンは羨ましそうに苦笑した。


 しばらくして、カノン達はミルと別れて、ニコニコハウスへの帰路を急いだ。みんなの母親に、自分達の成果を伝えたくて、出来る限りの速さで家まで駆け抜けたのだが、その結果は酷いものだった。
「あら、お帰りなさい。ミルさんから聞いたわ」
 テレパシーの存在をすっかり忘れていた四人は、サプライズをしようという目論見が脆くも崩されて、四人は意気消沈する。
「私は強くって無敵だけれど、それでも人の悲しみを癒すことは、そう簡単にできることじゃない。なんていうのか、貴方達は、ついに私では出来ないことを成し遂げたってわけね」
 言い終えたシャムロックは、上機嫌で鼻から息を吸い込んだ。
「本当は、今すぐにでも町中の皆に自慢して回りたいくらいなんだけれど、そんな事をしても迷惑だからね……だから、今はこれだけにする」
 言うなり、シャムロックはメガシンカして、巨体を誇るメガミュウツーXとなる。どうしてこの形態になったかは、すぐにわかる。
「愛しているよ、みんな」
 皆を抱きしめるためだ。カノン、イレーヌ、テラーはサイコキネシスで引き寄せられて腕に抱かれ、パチキはハブられたが腕で抱きしめてもらう代わりに尻尾で抱きしめてもらう。パチキは、尻尾に抱かれるのが何か違うような気はしたが、これはこれで幸せなので、パチキは何も言わずにシャムロックの抱擁に甘えるのであった。
 あたたかなシャムロックの腕に抱かれて、母親から褒められる至福に浸っているひと時もおわり、四人は解放される。
「今日は皆のために、とびっきりの料理を……と言いたいところだけれど、ちょっと前に誕生日パーティーやっちゃったしなぁ。どうしようかしら」
「いいんじゃないですか? なんならニコニコハウスじゃなくって、俺の家でパーティーしませんか?」
 嬉しそうに悩むシャムロックにユージンが提案する。
「うん、たまにはそういうのもありかしら。それじゃあ、ユージンは料理の用意頼むわね」
「え、俺? いいけれど、料理そんなにうまくないんだけれどな……ホリィさんに頼むか」
 シャムロックに役目を押し付けられたユージンはどうするべきかとううんと唸る。
「よーし、ユージンさんのおごりなら、俺はガンガン食っちまうぞ!」
「そうね、お腹いっぱい食べましょう」
 パチキと、イレーヌがクスクス笑う。
「あら、それならお母さんも本気を出しちゃおうかしら」
「ちょっと、母さんとパチキは本気を出すのは勘弁してくれ。俺は体が小さいから食費なんて少ないのに、二人が本気だしたら、俺の何百倍になるかも見当が付かないじゃないか。特に母さん、食べる量もすさまじそうだし」
「あら、食べる量はお察しの通りすさまじいつもりよ。そんなこと言われるとますます頑張りたくなっちゃうわ。足りなかったら暴れちゃうわよー? どうしましょ、どれくらい食べちゃおうかしら」
「勘弁してくれ、母さん」」
 不敵な笑みを浮かべるシャムロックに、ユージンは頭を抱えてため息をついた。

 結局、その日はユージンが財布をひっくり返す勢いで金を使い、ホリィおばさんの弁当屋に大量の仕出しを頼むこととなった。そうして出された料理の数々は、カノンがギスギスタウンの水の色を元に戻したという、小さいけれど多くの人を救った偉業を称える宴を大いに彩ってくれた。
 卒業できる年齢に達している者は、無茶しない程度に酒を飲み、テラーもシャムロックに言われて少しだけ酒を口にした。まだ酒の味に慣れていないカノンとテラーはアルコールの匂いに少しだけ顔をしかめたが、酔いが回ってくると気分も良くなってまさに夢見心地になるのであった。そうして酒の酔いが回りながらも、彼女は思う。
 自分は色違いに生まれてよかったと。自分にしか出来ないことがあるのは素敵だと。


 そうして翌日。カノンはシャムロックと、ランランタウンの原っぱにて向かい合っていた。進化してから向かい合うのは初めてで、シャムロックも大きくなったカノンがどれほど強くなったか、早く確かめたくてうずうずしている様子。いつも仏頂面の彼女の顔が、少し緩んでしまいそうだ。
 向かい合っている理由は、当然のごとく、カノンがユージンと結婚するための条件を満たすためである。すなわち、首のバンドを外したシャムロックを相手に、戦って勝利をするという事。ここ数年、連日戦い合っていたため二人にとってはいつもの事ではあるが、やはりあれだけ大きく見えたシャムロックが、今は少しだけ小さく見えるというカノンの心理的な作用は大きかった。
 先日は、完全に力を解放したシャムロックよりも強いゲッコウガと戦い、仲間の助けがあったとはいえ見事勝利を収めることが出来たのだ。首のバンドを外しただけのシャムロックが相手ならば、今の自分が勝てる自信は十分にあった。
「母さん、行くよ」
 悠然と棒立ちするシャムロックの前で、カノンは深呼吸の後、宣言する。
「いつでも来い」
 シャムロックは棒立ちの構えを解かなかった。この距離ならば十分に反応できると踏んでいるのだろう。カノンはそれを舐めた態度とは思わなかった。今までロゼリアだったころは、シャムロックもそれでも何とかなっていたから。だが今はロズレイドに進化している。だから負ける気はしない。立会人を務めてくれるイレーヌにアイコンタクトを送ると、彼女は笑顔で頷いた。
「はぁぅっ!」
 カノンが掛け声とともに駆け出すと、同時にシャムロックのサイコキネシスに足を取られ、転ぶと同時に体を掴みあげられる。
「甘いぞカノン! このまま……」
 ふわりと持ち上げられたカノンは回転させられてどこが天地すらも見失う。シャムロックはすっかり素を出しており、不自然な女声ではなく低い男性的な声でカノンを威圧する。
「叩き付ける!」
 シャムロックの宣言通り、カノンそのまま地面に叩き付けられるが、カノンは両手の蔓を伸ばしてそれをクッションにして受け身を取る。
「甘いのはどっちが!?」
 蔓を伸ばして、それによって衝撃を和らげるなど、ロゼリアのころには出来なかった動作である。それを目の当たりにしたシャムロックは、ほうと感嘆の声を上げて笑みをこぼした。
「今度は私! 今まで通りじゃない!」
 サイコキネシスの攻撃を受けて体中が痛かったが、まだ戦いは始まったばかり。カノンはシャムロックめがけて、毒液がにじみ出る蔓を投げかける。音速を超えて空気すら破裂させるその蔓は、いかにシャムロックと言えど避けることは敵わず。左手から伸ばした三本ある蔓のうち、サイコキネシスで止められたのは一本のみ。二本の鞭がしたたかに体を打った。
「相変わらず、毒が好きか!」
 棘によって右腕から毒液を体内に注入され、シャムロックは毒に侵される。集団戦ならば弱らせるよりも攻撃した方が速いが、一対一ならばこうやって徐々に弱らせるのがカノンの基本的な戦術だが、今はそれだけではない。棘の付いた蔓は相手の肉に食い込み、絡み付いたら中々離れはしない。シャムロックは手痛い棘付きの鞭を切り離すため、サイコカッターで蔓を切り裂いた。念の刃は蔓を切り裂いたまま、一息の動作で軌跡を変えてカノンの方へと刃を飛ばしていく。
 文字通りひやりとするようなその一撃を、カノンは上体を伏せて避けると、蔓を伸ばしたままシャムロックの横を駆け抜ける。てっきり正面から何かの攻撃を仕掛けてくるものかと思っていたシャムロックは肩透かしを食らい、振り向いてサイコキネシスを加えようとするも、もう遅い。怪我をしていない右腕に棘付きの蔓が絡み付き、サイコキネシスで吹き飛ばしてやろうにも、今のカノンはシャムロックと蔓で繋がっているため、浮かすことは出来ない。蔓を巻き取ろうとするカノンの抵抗のせいで十分に高度を稼げず、地面に叩き付けたところで威力は低い。
 すぐさまサイコカッターで左手に絡み付いた蔓を切り裂こうにも、傷と毒のせいで感覚が鈍くなった右腕では、僅かな隙を与えてしまう。カノンにはその隙で十分で、彼女はさらにシャムロックにエナジーボールを叩きつけた。それをまともに喰らったシャムロックはバランスを崩しながらも体勢を立て直してカノンを睨みつけ、いつでも技を出せる準備をする。
「カノン……その若さで大した奴だお前は……」
「お母さんが言うと、皮肉にしか聞こえない」
 褒めるシャムロックにカノンは苦笑しながら言う。イレーヌも、本当にそうよねと苦笑せざるを得なかった。戦況であるが、まだこちらのダメージは軽微、しかし毒に侵されている為シャムロックは時間をかければかけるほど不利になる。もはや、カノンは攻撃を避けているだけでも勝てるような今の状態だが、シャムロックはいったい何を仕掛けてくるのやらわからないため、油断は一瞬たりとも出来ない。
「そんな事はない、楽しいぞ!」
 シャムロックが声を上げながら、雷光のような青白い光を纏う、黒い弾を投げつける。巨大なサイコブレイクだ。これはイレーヌ曰く、カスタムしがいのある技である((スマブラ、本編、トレッタなどで、技の見た目が全く違う。この場合前者がスマブラ、後者がトレッタ))。例えば、直線状にいる相手をなぎ倒しながら攻撃する、集団を相手にするのに適したタイプもあれば、何かに着弾した時点でその場にとどまり続け、例え『守って』いても技の効果が切れるころに相手の体をねじ切ってしまう。
 他にも色々なカスタムが出来るとイレーヌは言っていた。
 今、個人を相手にしているのだから、このサイコブレイクは何かに着弾した時点でその場にとどまり続けるタイプであろう。放たれたサイコブレイクは巨大、故に避けることは敵わない。ならばと、カノンは蔓を伸ばした。それに着弾したサイコブレイクは、蔓だけをねじ切って破壊していく、危うく蔓に引き込まれて自分も巻き込まれるところであったが、何とか蔓を切り離してカノンは事なきを得る。
 一番の大技をすかされ、シャムロックが次の技に転じるまでの隙にカノンはシャムロックを飛び越えて後ろに回る。もはや短くなってしまった残りの蔓を首に巻き付け、カノンはシャムロックの背中に張り付いた。
「く、貴様……小癪な真似を」
 いかにシャムロックと言えど、背後に張り付いた敵に対する有用な攻撃手段は少ない。カノンがギガドレインで攻撃を始めると、シャムロックも対抗して自分ごと包み込むように吹雪を発するが、カノンの体は大きなシャムロックの体に密着したおかげで吹雪によるダメージは軽微、その上にギガドレインで回復している為、毒による体力減少も相まって、さきに音をあげたのはシャムロックであった。
 降参を宣言することも出来ずにがっくりとうなだれ、吹雪も収まってしまい、首から頭に毒が回っているのだろう、苦しそうに息をついていた。

「母さん、毒……治すよ?」
 シャムロックは口では答えず、無言でうなずきカノンのアロマセラピーに身を任せる。
「ほら、カノン。あなたの体も結構傷ついているわけだし、治すよ?」
「うん」
 自分の傷を放ってシャムロックを治すカノンに、イレーヌは癒しの波導を掛けてあげる。カノンのアロマセラピーのおかげでシャムロックの呼吸が安定してきたところで、シャムロックは手足に付けていた制御用のバンドを外し、仰向けになりながらフルパワーで自己再生を始めた。
「思えばカノン……お前がやって来た時は、お前は本当に体の弱いもやしっ子だったな。親に背負ってもらわなければ、まともに移動することも出来ない弱い子だった」
 満足そうな表情をしてシャムロックは空を見上げて語る。
「そりゃもう、それまで家から一歩も出たことがなかったからね。弱いのも当たり前だよ」
 カノンはシャムロックに言って、はにかみ笑う。
「昨日、お前が家に帰って来た時な。お前の表情を一目見ただけで分かったよ。お前が心も体も強くなったという事。お前は負けず嫌いで、その上体を鍛えることにストレスを感じない性格で。その上気丈で、聡明で……全く、面白みがないくらいに非の打ち所がない」
 やれやれと、シャムロックは言う。
「でも、それだけじゃない。私には仲間がいて、お母さんも居たから何とかなった。そうじゃなかったら、私は色違いを嫌う人達と仲良くしたいなんて思わなかっただろうし……きっと、一昨日のように、誰かを救うような真似もしなかった。全部、導いてくれた人がいる。私だけが強いわけじゃない。皆がいるから強くなれたんだ」
「そうね。私達もカノンのためにたくさん頑張ったわけだし」
 カノンに褒められてイレーヌは胸を張る。
「うん、イレーヌ……本当にありがとう。お母さんも」
 カノンはイレーヌにお礼を言ってから、自信に満ちた笑みでシャムロックを見る。シャムロックは黙ってうなずいた。
「本当に、良い顔になった。特に、誕生日を迎えてからのお前は、目を見張るほどだ」
「うん、そう言ってもらえると嬉しい。なんというか、ついに認められたって感じで……すっごく嬉しくって、言葉に出来ないほど。まだ、ギスギスタウンの住民から感謝の言葉の一つもないけれど、でも、大きな一歩だと思う」
「だから何だろうな。今日のお前は強かった。進化した直後と今のお前では、まるで別人のようじゃないか……今回の戦いも結構余裕をもって勝てたようだし、この調子ならば首と足のバンドを外した状態でも勝てるようになるのはそう遠くないかな? そんなに育ってくれて、母さんは嬉しいよ……」
 仰向けに倒れながらそう言っているうちに、シャムロックは口調をいつもの調子に戻し、深くため息をついてから起き上がる。
「早速、また特訓ね」
 そう言って、シャムロックは微笑んだ。
「いやいやいや、お母さんは気が早いから……でも、いつかは次の段階もクリアできるように頑張るよ」
 カノンが苦笑しながら言うと、シャムロックはそうかもね、と笑った。
「よし、とりあえずはこれで、ユージンとお前が結婚するための条件は果たしたわけね? みんなを集めて、結婚式の準備をしないといけないわけだ……これから忙しくなりそうね」
「そっかぁ。ポップコーンも作らなきゃ。食べても美味しいし」
「結婚式なら、私がとびっきりの絵を一枚描いてあげなきゃ!」
 シャムロックが今後の話を始めると、カノンも、イレーヌも気分が盛り上がって嬉しそうに声をあげる、
「そうだ、カノン。お前の両親も結婚式に招待してみるか? 今まで手紙のやり取りだけじゃ寂しかったろう?」
「本当? いいの?」
「もちろんだ。金の事は気にするな、アウリーに送り迎えを頼んでおく」
 シャムロックの言葉に、カノンは胸に厚い物がこみ上げる。
「お母さんやお父さん……それに、兄弟とも……会えるんだ、久しぶりに」
 人生の半分をニコニコハウスで過ごし、もう母親の顔もおぼろげであった。そんな家族に会えるチャンスと聞いて心が躍る反面で、何を話せばいいのかわからず、胸の高鳴りは中々押さえられそうになかった。



Ring ( 2015/12/31(木) 21:37 )