ロゼリア編
強い女が好きだから


 ユージンは、交番兼自宅に暮らしていて、基本的に昼は見回りか、家に待機して街の治安を守っている。とはいえ、街はとても平和で、正直彼が居る意味があるかどうかと言えば疑わしい。平和な理由というのも、食料が豊富な田舎町だからというのがあるが、一番の理由はシャムロックのせいだろう。
 シャムロックは、目の前で犯罪行為を見つけると、それが老若男女のいずれであろうとも尻叩きで処罰をする。時にそれは公衆の面前での公開処刑じみた処罰になることもあり、その痛みのみならず周囲の目にさらされることも含めて恐ろしい。かつて遠方から現れては女性や子供、食料などを略奪して回る部族が数十人で攻めてきたときも、シャムロックがほとんど一人で何とかしてしまったのだから、彼女のいるこの街で犯罪を起こすものなどいるはずもない。
 もしも何か犯罪が起きても、シャムロックが山へ行って、木の枝葉や下草の手入れをしていない限りは街の住人はシャムロックを頼るはずだ。年寄りはシャムロックを嫌っている者も多いからともかくとして、若い者はシャムロックが最も頼りになることを分かっている為、大抵が意地を張ることなく彼女に頼るであろう。
 そのため、ユージンの警備団という仕事は、本来の目的である治安を守る仕事よりも、街のみんなの困りごとを解決する仕事の方が多めである。例えばそれは、腰痛の薬や風邪薬に使えるような薬草を摘んできてくれという依頼だったり、畑にうろつく虫対策のために農薬の材料になる毒虫を採集したり、夜の生活に便利な夜光虫を元気にするための餌の採集をお願いされたりもする。ダンジョンで行方不明になったものの捜索とか、無くしたものがダンジョンの崩壊に合わせて消える前に取りに行ってほしいという依頼もある。
 そういったものはダンジョンエクスプローラーが取ってくる物であるが、あいにくこの街にはダンジョンエクスプローラーが少なく、いたとしても割高で取引される肉や骨を採集してくる者の方が多く、ニコニコハウスの子供(教育方針ゆえか、同年代の子供よりもやたら鍛えられている)がお小遣い稼ぎに採集してくる方が圧倒的に多いくらいだ。
 それで、ユージンは結局供給の少ないダンジョンエクスプローラーとして生計を立てているような状況になっている。近くに強盗やら危険人物が潜伏しているとか、そういった理由で出動することも少ない。そのせいもあって町長から頂いている警備団の給金は、僅かな分を除いて断っている状態である。個人的に頼まれたお仕事はきちんと報酬をもらっている為、本業である警備団の給料は要らないくらいなのだ。
 だが、本業に関わればその強さ、街で二番目の強さと言われている。シャムロックが盗賊の部族を相手にしていた時は、八人からなる別働体の攻撃を『この指とまれ』を用いてすべて一人で一手に引き受け、他の力自慢たちに攻撃を任せて全滅させたという功績を持っているなど、体の小ささを活かしてちょこまかと相手の攻撃をかわす腕に関しては右に出る者はいない。
 その分単体としての攻撃能力は正直な話微妙なところがあるが、相手の股をすり抜ける間にも頬をこすりつけて麻痺をさせるほっぺスリスリ、頸動脈をはじめとする急所を噛みちぎる怒りの前歯、どうしても攻撃が避けられない時は『守る』で誤魔化しつつ、体を丸めて慣性で飛んで行って安全圏に離脱するなど、器用さを語れば枚挙にいとまがない。

 そんなユージンは、カノンがこの街に来て初めて会話した母親以外の相手であり、そしてダンジョンで行き倒れたパチキを救ってくれた人物として、カノンの中ではユージンの存在は非常に大きなものとなっている。一目ぼれではないが、パチキを助けに走るあの後ろ姿に惚れこんだカノンにとっては、この二年半の間ずっと思い続けた相手である。今までは胸に秘めてきた想いであったが、この街を離れようとしていたメラの言葉を聞いて、少しだけ積極的になってみようという気持ちも出た。
 やらない後悔よりも、やって後悔しようと、カノンは次の日には行動を始める。ミックの家で午前中の勉強を終えたカノンは、開け放たれている交番の引き戸に入り、細く丈夫な植物の茎を束ねて作られた御座の上で本を読みながらくつろいでいるユージンの下へと参る。
「こんにちは、ユージンさん。今日は困りごとやお手伝いはありますか?」
 まずは、シュリンとナオが遠出で不在の際の常套文句を使う。
「あぁ、今日は悪いけれど暇だね。その、緊急の用事はないから、適当にどこかダンジョンにでも潜ってくるといいよ」
 平和な街ではいつもの答えだ。そもそもユージン自信があまり手伝いを必要としないほどの強さを持つため、そっけない返事は毎度のことである。
「そうですか……それでしたらユージンさん、今日はちょっと一緒に居てもいいですか?」
「いいけれど、なんだ? 世間話でもしたいのか? 珍しいな、いつもはじっとしてられない感じの子なのに」
 ユージンがそっけない返事をした時、普段のカノンは『ならば別の作業をしています』と素直に引き下がるのだが、今日は違う。カノンも御座の上に座り込むと、ユージンの隣に座って、距離を縮めた。
「いえ、世間話……ではないですね。なんというか、年下な私ですけれど……私、ユージンさんの事が好きなんです」
「えっと、それは……」
 カノンが直球で告白をすると、ユージンは平静を装いつつも言葉に詰まる。
「それは、俺を恋人にしたいってこと?」
「はい。私が来て間もない事の話ですけれど……無謀にもダンジョンに突っ込んでいったパチキのために、私が助けを呼びに行ったことがあるじゃないですか。その時、パチキを助けに走って言ったあなたの後ろ姿に惚れてしまいまして……すっごく、格好良かったんです」
「あぁ、そんなこともあったなぁ。あの時が、パチキの最後だったっけ……いい奴だったよ。それがあんなことになっちまうだなんて」
「パチキが死んだみたいな言い方は止めてくださいな! いやまぁ、確かにあれ以降パチキは尻叩きされていませんけれど……そういう意味では最後ですけれど」
「ははは。で、その時の俺の後ろ姿に惚れたって?」
 ツッコミを軽く流しつつユージンが言う。
「はい。助けを求めている人の声に応じて、一も二もなく飛び出していくのが、なんというか……頼もしいなって思いまして。だって、すごく格好いいじゃないですか。皆が必要としてくれるし、憧れるし、それにすごく優しい人なんだなって……お母さんに、どんな大人になりたいかをきちんと決めておけって言われて、それで一番最初になりたいと思った大人が、貴方なんです。ユージンさん」
「なるほど。確かにあの時の俺は格好良かったかもしれないな。だけれど、その……カノンは、年齢差とか大丈夫なのか?」
「はい」
 ユージンに問われて、カノンは即答する。
「そうか……別に、俺としては年下の子は嬉しい限りだけれど、カノンがそういうのなら……まぁ、悪くはないかな。良い子だし、要領もいいし、申し分はないが……」
「それじゃ、私が恋人になってもいいのですか?」
 カノンに問われ、ユージンはうんと頷いた。
「だけれど、お前さんは……俺に憧れるのはいいけれど、でも大丈夫か? 俺に憧れて、それで……お前は……なんていうかな。強いのか?」
 唐突なユージンの質問にカノンは言葉に詰まる。
「同年代の子供よりはずっと、強いと思います。今では、パチキやイレーヌとも並ぶくらいに強いですし、もっともっと強くなります」
「そっかぁ。確かにそうだな。お前はいっつもダンジョンに潜ってるような奴だし、初めてのダンジョンでも冷静に動けるような奴だからな……なら、強さに関しては大丈夫か……これから強くなれるかどうかは別かもしれないが」
 独り言ちてユージンは納得する。ミックからあらかじめ、ユージンは強い女が好みだというのを聞いていたが、何故こだわるのかカノンには疑問である。
「ユージンさんは、強い女性が好きなんですか?」
「あぁ、そうだよ。でも強い男も好きだぞ」
 カノンに問われて、ユージンはにっこり笑う。
「なんでですか? パチキは、なんというか競い合える相手が好きだから、強い男が好きとかそういう感じのところがありますけれど、ユージンさんは競い合うのが好きとかそんな感じではないですし……」
「あぁ、それなんだけれどなぁ……俺はお前と違って通常色だろ? なのに、どうしてお前みたいにニコニコハウスに預けられたかって話になる。この地方には、盗賊で生計を立てている部族が居るのは知っているな?」
 ユージンに問われて、カノンはうんと頷く。
「母さんが、それを撃退してからというもの、その部族はすっかり大人しくなったと聞きました。今はひっそり山奥で暮らしてるとか」
 カノンの答えを聞いて、ユージンはその通りだと頷く。
「そう、俺が六歳のころの話なんだが……俺の両親はそいつらに立ち向かって殺されたんだ。奴ら、物を奪っていくだけじゃなく、逆らうものは家や果樹園に火を放ったり、毒を撒いたりやりたい放題で、場合によっては女もさらって行ってしまう。そいつらにさらわれた女性はどうなるかなんてのは、想像もしたくない……」
 ユージンの言葉に、カノンは嫌な想像をする。きっとメラがされたようなことを、際限なくやられるのであろう。
「だから、俺の親父は奴らを赦そうとせずに戦ったんだ。街や、ニコニコハウスも守るために。とはいえ、敵はこれまで討伐隊を出しても返り討ちにあわされた手練れたちだ。勝ち目はあるはずもなく、親は敵を数人殺したが……そう、殺したところで自分も死んだよ」
「その時、ユージンの母さんは?」
「『いのちがけ』を使って、子供を守って死んだよ。どちらも、立派な死に様だった……言いたくはないけれど今はそう思うよ」
 ふぅ、とため息をついてユージンは暗い顔をする。
「それで、シャムロックさん。みんなの母さんは、その時行方不明になったロディさんを捜索していたんだ。そのせいで運悪く不在でな、テレパシーすらも届かない場所で、何かしていたみたいなんだ。で、両親が死んで俺は一人になっちまったわけだ……思えばニコニコハウスが武闘派になったのも、そのせいだったな。母さんは、俺の父親っていう親友と、ロディという大事な娘を同時に失ったわけだから、これ以上失わないためにきちんと鍛えておけってな。
 俺も、復讐も兼ねて、強くなろうとがむしゃらに鍛えたわけだよ。母さんから直々に手ほどきを受けて、無茶な特訓もやらかした。今でも夜は毎日ダンジョンに行ってる」
「それじゃいつ寝ているんですか? 仕事とダンジョンじゃ寝る時間ないじゃないですか」
「母さんが持っていた私物の一つに、何やら別の大陸で発見したぐっすりリングルとかいう一点もののリングルがあるんだ、眠ることで回復する技があるけれど、その効果を数倍にまで引き上げるもので……ま、要するに睡眠時間が短くって済むってわけだ。すさまじい効果の分、やたらくぼみが少ないのが弱点だけれど、ダンジョン内で使わない分には非常に役に立つものだよ」
「そっか、なるほど……壮絶な生活をしているんですね」
「まあね。ともかく、そうやって鍛えた俺は、四年前……俺が一三歳の時にまたこの街を襲撃してきたんだ。大半は母さんに任せてしまったが、それでも八人は俺が引き受けたよ。今は卒業してしまっている喧嘩自慢とかに攻撃を任せて、自分はこの指とまれをしながらひたすら攻撃を引き受けて、隙だらけな敵の背中に攻撃をぶち込んでもらうだけの簡単な仕事さ。
 三対八で人数は倍以上の差があったけれど、見事に俺の勝利。ちなみに、母さんは流石に五〇人を相手にするのは厳しかったのか、メガシンカして戦ったそうだ。そうなってしまったら、相手が人質を取ったところで何もかも無駄で、まぁ……本来なら俺も必要ないくらいだったんだけれどな。わがまま言って復讐させてもらったんだ
 その時、母さんさんはそいつらを殺したりはしなかったが、ある意味それ以上にえげつない事をやってのけたおかげで、俺も復讐が何だか馬鹿らしくなっちまったよ」
「えげつない? お尻叩きよりも怖い処罰があるの?」
「催眠術さ。ただ、眠らせるとか好き勝手に行動を操るとか、そんなレベルじゃない。奴らが人からものを奪ったり、暴力を振るおうとするだけで、立っていられないくらいのめまいと吐き気を催す呪いのような催眠術で、奴らはシャムロックを殺そうとしても、立ち上がることすら出来なくなっちまったんだ。当然、他の奴らからものを奪う事も暴力を振るうことも出来なくなったおかげで、奴らの人生をそのものが破壊された。
 母さん曰く、『ただ殺すだけじゃ面白くないから、農耕でもして健全に暮らせ』ってさ。復讐は一番されたくない事をするのが一番だって。奴らは死なんて恐れていないから、ならば今までの暮らしを捨てることの方が恐ろしいのではないかって。それにさ、母さんは『殺したら面白くない』って言って、無暗に殺すことを嫌うんだ」
 そう言って、ユージンは誇らしげに笑う。
「母さんは、そういうところがあってさ。面白いかどうかを重要視して、変わった人だよ。ニコニコハウスを建てたのも、子供が野垂れ死ぬのはもったいないって感じで……面白くないから孤児院を建てたらしい。本当、尊敬する」
「そのおかげで、私もユージンさんも救われたんですもんね」
「あぁ。だから俺は、母さんが喜ぶことなら、何でもやってやりたいって思う……」
 そう言ってユージンは微笑むが、そこでようやく彼は話題がそれてしまった事に気付く。
「で、話がそれちまったんだが、ともかく俺は復讐のために鍛えたわけだけれど、もうその必要もなくなっちまったからな。だから、今はこう……誰かを守るために使いたいとか思っているんだけれどね。でも、幸か不幸か、鍛えた力は役に立ちそうにないんだよなこれが。母さんがこの街にいるだけで、悪い事なんて出来る奴はいないから。
 でも、俺達が強くなると母さん喜ぶから、だから今も鍛えているんだ。母さんは、自分の子供がいつかメガシンカした自分を叩き潰してくれるのを楽しみにしてるとか、訳の分からない事を言っていてさ……まぁ、大した戦闘狂だよ。だから今の俺が体を鍛えているのは、愛する人に死んでほしくないからって言うのもあるけれど……母さんに恩返しするために、メガシンカした母さんぶっ飛ばすという目標のため。
 カノンちゃんはどう思う? 母さんに挑んでみたいと思わないかい? あの人、いっつも首と手足に革のバンドをつけているけれど、あれを外せば外すほど強くなるからさ、全部のバンドを外した姿と戦ってみたくはないかな?」
「あ、ちょっと興味あるかも。母さんはお尻叩きをするときはバンドを外すから、あのバンドが力を封じ込めているのは何となくわかっていたけれど……ちなみに、ユージンさんはどれくらいまで行けたんですか?」
「母さんが首のバンドを外したところまでは勝てたよ。でも、次の段階……首と両足のバンドを外した状態で戦っても、まだ勝利できていない。そうだな、カノン……俺のことが本当に好きで、そんでもって結婚したいって思っているのなら、まずは首のバンドを外させるところを目標にしてみよう。二人で、いつか母さんを乗り越えるために、一緒に頑張ってみないか? いつかさ、メガシンカしたお母さんを夫婦でぶっ飛ばすって素敵じゃないか?」 
 ユージンに言われて、カノンは目を見開いた。
「それは、私の告白を、受け取ってくれるってことですか?」
 カノンはもじもじと恐れながら尋ねる。
「うん。なんかさ……強くないからって理由で女性の誘いを断り続けてたら、俺によりついてくる女も少なくなっちまったしな。だから、妥協ってわけじゃないけれど……カノンなら強いし、文句なしだなって思うから。だから、一緒に強くなろうぜ。俺も手伝うし、母さんだって、稽古なら付き合ってくれるだろうし。シュリンやナオと一緒にダンジョンに出かけるのもいいだろ? 俺の好みの女を目指すっていうのなら、何でもやってみるといい。俺も協力を惜しまないからな」
「うん、そうと決まれば私も強くなるためにもっと頑張るよ」
 年の差があるから断られると思っていた告白は、案外にもすんなりと成功してしまう。こうして告白する前は、初恋というのは成功しにくいものだとメラから散々脅されたものだが、そのあまりに拍子抜けな結果に、カノンはほっと胸をなでおろした。
「でも、結婚するのはどうあがいても卒業してからだからな? 例え、卒業するまでに母さんに勝てたとしても卒業までは結婚を我慢しろよ」
「うん、我慢する」
 ユージンに念を押されたが、そんな事はどうでもよかった。憧れのユージンのお嫁さんだなんて、素敵な夢をかなえられるのならば、少しくらい待つことなど惜しくはなかった。


 その日はユージンと世間話をしながら一緒に街の見回りをして夕方までを過ごした。鍛えると宣言した日に、いきなり鍛錬を休んでしまったため、少々消化不良な気分になったカノンは、ニコニコハウスに帰りついてから、真っ先にシャムロックの元に頼み込む。
「お母さん! 私に修行をつけて欲しいの」
「ん? いきなりどうしたの?」
 唐突にやる気を出したカノンの態度に、シャムロックは訳も分からず素っ頓狂な顔をする。
「私ね、強くなりたいの。お母さんに勝てるくらいに強くなりたい」
 強くなりたいのは分かるのだが、『なぜ』かはカノンの言葉だけでは分からない。要領を得ない彼女の言葉に、シャムロックは苦笑する。
「あぁ、それは嬉しいんけれど、今は夕食の準備の最中だから……修行をするのはいいけれど、全員でごちそうさまをしてお皿を洗い終えるまでは待ってくれるかな?」
「う、うん……」
 カノンの修行はいきなりこんな感じで、やる気も削げるような形で始まる。仕方がないので、カノンは夕食の時間まで毒針を飛ばす練習をして時間を潰し、全員が食べ終えたら皿洗いを手伝って、早いところ修行をつけてもらおうと張り切っていた。
 結局、カノンのお手伝いのおかげで少しだけ皿洗いの終了も早まったとはいえ、シャムロックはきちんと食休みをしてからだとカノンを落ち着かせて、少しだけ二人で話をした。話し合いの内容を要約すると、どうして急に張り切りだしたのかというシャムロックの質問に対して、カノンは昼にユージンと会話した内容を語るというものである。
「そっか。けれど、いきなり首のバンドを外して戦うというのは無理だからね? まず最初は、足のバンドを外して戦うくらいから始めないと、大怪我させちゃうから」
「そのバンドって、力を封じているそうですが、重いんですか?」
「いや、軽いわよ。だけれど、これを装着しているとサイコパワーを練るのが難しくなるから、私のように体を動かすのに、筋肉ではなくサイコパワーを使っているような種族は、下手すると立ち上がることすら難しくなるのよ。例えばフーディンとか、サーナイトは、立ち上がるのにも苦労するでしょうね。
 だから、必然的に動きも悪くなるし、言うまでもなく攻撃力は落ちるというわけ。あんまり強い力を使いすぎると、皆が怖がってしまうから……普段は自制のためにも、こうやって力を抑え込んでいるのよ」
「自制って?」
「我慢をするってところかな。不便な状況に慣れていないと、いざという時に困ってしまう。だから、私はわざと不便な状況にするために、こうして自分の力を押さえているんだ。それに、そうでもしないと日々の仕事がすぐに終わってしまうから……そうなると退屈なのよね。
 木こりの仕事もね、木を育てて切ればいいだけではなく、枝を切り落としたり下草の処理をしたり、間伐といって……まぁ、元気のない木を切り倒して元気な木を育ちやすくしたりとか、そういう仕事があるんだけれど、すべての力を解放して行うと、すぐに終わっちゃうから、のんびり時間を過ごすために、力を抑えているのよ」
「でも、ガンガン木を切っちゃえば孤児院の経営も楽になるんじゃないの? なんだか、毎日の食事を安く済ませるのが大変だって……いっつも愚痴をこぼしていたような」
 カノンが問うと、シャムロックは空間に穴をあけて、滝のように銀貨と金貨を垂れ流す。
「毎日のやりくりを大変にしないと、面白くないからよ。質素な暮らしを皆に覚えさせるのも教育のうちよ」
 しれっと言い放つシャムロックに、カノンはその言葉の意味を考える。
「……縛りプレイって奴だね。大人が子供とボードゲームするとき、駒を減らしてハンデをつけるような?」
 問うと、シャムロックは頷いた。
「まぁ、そんなところね。私は最強すぎて、縛りプレイでもしないと考える事を忘れてしまうもの。そうなると、日々毎日ナマケロのように暮らすことになってしまうから。そういう事を防ぐためにも、私は日々考えて生きるために、自らに制限を課しているのよ。それに、私が戦う時も、本気で戦うとみんな誰も戦ってくれないから。だからね、私は皆が私に挑んでくれるように、こうやって自分の力を押さえているのよ。
 私に子供でも生まれれば、子供も同じくらいの力を持っているかもしれないし、子供と大岩でキャッチボールしたり、音速の数倍で追いかけっこしたりとか、そういうのはあこがれだったんだけれど……」
「そりゃ、母さんにしか出来ないよ……」
 あまりにぶっ飛んだシャムロックの願望を聞いて、カノンは苦笑する。
「そう、私にしか出来ないの。子供が出来なかったから、子供とそういうことも出来なくってねぇ。子供が親を超える瞬間とか、そういうのがあればよかったんだけれど……ないのよねぇ、これが。
 だからね、私は貴方達に私を越えて欲しいと思っているの。これは、以前にもあなたに言ったと思うけれど、私を超えるのなら何でもいい。私以上の功績を残してくれるなら何でも。別に音速の何倍で飛べとか、大岩でキャッチボールとかそういうのじゃなくって、絵が上手いとか、歌が上手いとかそういうのでいい」
「ミックとか、そういう点ではお母さんよりも勉強を教えるのは上手いよね。頭はお母さんの方がいいって言っていたけれど」
 カノンが言えば、シャムロックもうんと頷いた。
「そうなのよ。私は、なぜ子供が簡単な数式を理解できないのかとか、そういうのが分からないから……だから、勉強が分からない子の気持ちが分からないの。勉強が出来過ぎるってのも考えものね」
「なるほど、出来る人には出来ない人がどうしてできないのか理解できないと……」
「そう。ミックは、昔っから利口で何を教えてもすぐに吸収しちゃうけれど、その割には理解できない子に、物を教えるのも上手かった。そうやって、私には出来なかったことを出来るような子を見ていると、こうして孤児院を経営してよかったって、私は思えるの。でも、本音を言うと、私に強さで打ち勝ってほしいとか、そういう目に見えて分かるようなことで越えて欲しいというのもあるわ……
 だから、私は……本当ならば今すぐにでもすべてのバンドを放り棄てて、本気の状態で戦いたい気分だけれど……でも、ダメね。ゆっくりとあなたのいいところを伸ばさないと」
「多分、いきなり母さんに本気出されたら私死んじゃうと思うの。ははは……」
 平静を装ってはいても、少々興奮気味のシャムロックの態度にカノンは苦笑する。
「分かっているわ。食休みを終えて、準備体操をしたら、相手をしてあげる。逃げるんじゃないわよ?」
「逃げないよ。まだ逃げるようなことになっていないもん」
「ふふふ。それは楽しみね」
 胸を張るカノンに、シャムロックは笑う。

 二人で生姜湯を飲み、食休みを終えて準備運動もして体が温まったところで、小さな庭では狭すぎるので、二人は外に出る。夜は静かなランランタウン、綺麗な星空の下二人は原っぱの上で並び合った。
「さて、カノン。お前が一人でクリアできるダンジョンはどんなところだ?」
 しかし、第一声ですでにシャムロックの声がいつもより低く、そして口調も違う。
「えー? 一人でクリアとなると、ぽっかり洞窟あたりかなぁ。もっと強いところにも行けるとは思うけれど、無理して倒れてみんなに面倒をかけるのも嫌だし……だから、そこそこに無難なぽっかり洞窟で我慢してる」
「なるほど……ぽっかり洞窟、か。少々見くびっていたかもな」
 カノンの言葉を聞いて、シャムロックは考える。
「やめた。両足外しで行こうかと思ったが、それでは失礼なようだな。まずは両手のバンドから外そう」
「両手と両足で違いがあるの?」
「このバンド、脳に近い部分程効果が高いんだ。だから、足の部分を外すよりも、手の部分を外したほうがよっぽど効果が高い。故に、だ……両手のそれを外すというのはお前の事をきちんと評価している証だよ」
 言いながらシャムロックは手に付けていた革のバンドを外す。それまで彼女のプレッシャーなど大したことがないと思っていたカノンだが、両の手からそれが放り棄てられた瞬間、空間が歪んだかと思うような錯覚と共に、全身に緊張が走る。
「さぁ、いつでも来い。来ないなら私から行くぞ」
 いつもとは口調が全く違い、声もやたらと低いシャムロックの雰囲気に気おされて、カノンは一歩前に踏み出すことが出来ない。それに痺れを切らしたシャムロックがまず最初に、小手調べとばかりにサイコキネシスを使う。棒立ちのまま放たれたサイコキネシスに、カノンは一瞬だけ迷いを見せたものの、念によって作られた見えざる手からすんでのところで逃れる。一瞬だけ足に糊が絡みつくような嫌な感覚を覚えて、カノンは思わず安堵の息をつく。
「やはり、これを避けるだけの実力があるか」
 シャムロックが得意とするエスパータイプの技は、カノンには弱点であるため相性は悪い。けれど、どんなに相性が悪くとも、技は当たらなければ問題ない。今だってそうだ、サイコキネシスの見えざる手に捕まれ、壁や地面に叩き付けられさえしなければ、ダメージはない。無論、それをさせ続けてくれる相手ではないことは本能的に悟っているが。
「ならば、これでどうだ?」
 シャムロックがわざとらしく胸の前で腕を組む。なにをしてくるかはわからないが、攻めねばやられる。それだけは間違いないと、カノンは攻める。まずは駆けだしながら毒針を投げる。紫色の毒に塗れた針がシャムロックの下に飛ぶが、彼女はそれをサイコキネシスで受け流す。毛先をかすめる程度にいなされた毒針が虚しく空を切り、それとほぼ同時に、周囲へ重力の技が発動する。
 ぐん、と体が重くなる感触。重い荷物を背負った時のような重圧が足にかかり、思わずカノンは転びそうになるも、なんとかバランスを立て直してシャムロックに肉薄、カノンは腕を振るってシャムロックに攻撃せんとするが、シャムロックが後ろに体を逸らすと、攻撃は虚しく空を切る。力の弱いロゼリアが意味もなく直接攻撃をするとは思えないが、いったい何をするつもりかと考えていたら、シャムロックは一瞬で理解させられた。
 ふと呼吸をしてみれば、そこに混ざる甘い香りに気付いて、シャムロックは焦って呼吸を止める。むせ返るような甘い香りの中で、その心地よさに心を奪われてしまう。
「小癪な!」
 と、シャムロックがカノンを蹴り飛ばす。ふわふわの花弁でその蹴りを受け止めたカノンは、大きくふっ飛ばされたものの、体重の軽さゆえかダメージは少ない。逆に、吹っ飛ばされて受け身を取りながら、空中で不可避の毒々を放ちシャムロックに猛毒を見舞った。
「貴様は持久戦が好きか……ならば速攻で仕留める!」
 シャムロックは地面に倒れているカノンにサイコキネシスをかけて攻撃する。寝転がった体勢から、重力を増した状態ではかわすことは難しく、カノンは容易にサイコキネシスに捕らわれてしまう。所詮は軽く小さなロゼリア、重力下でもサイコキネシスで持ち上げることは楽々行え、十分な高度まで持ち上げたところで、シャムロックは重力の力も借りてカノンを地面に叩きつける。
「ぎゃん!」
 と悲鳴を上げながらカノンは倒れる。しかし、受け身はきちんととれたのだろう、フラフラになりながらも立ちあがって見せた。
「ほう、良い根性だ」
 二度目のサイコキネシスをしようにも、カノンは流石に警戒してか近寄ってこようとしない。サイコキネシスは距離が離れれば急速に威力も落ち、発動までに時間がかかるので、遠くにいては容易に裂けられてしまうだろう。しかし、このまま待っていては毒に侵されたシャムロックはジリ貧になるばかり、毒が回りきる前にシャムロックは距離を詰めながらサイコブレイクを放つ準備をする。だがここにシャムロックの誤算があった。シャムロックはまだ甘い香りのせいで頭はぼんやりしている。そのおかげか、カノンが口に自らの花弁を咥える動作の意味に気付くのが遅れてしまう。
 ぴゅうい、と綺麗な音。夜の空気に良く響くその音は、心地よく脳を眠りに導く草笛の音色。一瞬だけ眠気で意識が遠のいたその隙に、サイコブレイクは見当違いの方向に飛んでしまい、地面を抉って消えていく。そのサイコブレイクのすさまじい威力を横目に、カノンが間合いを詰めて至近距離でシャドーボールを放つ。紫色の爆風と共にシャムロックは吹っ飛び、自身が増させた重力の影響で地面に急降下して受け身も取れずに叩きつけられる。
 肺が叩き付けられて息が詰まる感覚でシャムロックが起き上がると、カノンが手に持った鋭く尖る毒びしをシャムロックの喉元につきつけていた。カノンが殺す気であるならば、毒びしで喉を貫かれて殺されていたであろうことは、想像に難くない。
「はははは……ふふふ。これはいい、これはいいぞ!」
 カノンは体の所々から擦り傷の血を流していたが、それでもなお恐れずに向かってくるその意気を感じて、シャムロックは思わず笑いが漏れてしまう。
「私の負けだ、カノン。だが、次の難易度に挑戦した際はこんなに簡単にはいかないからな? 次は両手両足のバンドを外してお相手する。その時、せいぜい怪我をしないように鍛えておくんだな。くくく……楽しみだ」
「両手両足のバンドを外すって、やっぱりそれ……強いの?」
「強いさ。今のお前ではさすがに勝てぬだろうな……コホン」
 カノンの質問に答えている間に、思わず口調が変わってしまった事に気付いてシャムロックは咳払いをする。
「でも、努力すればきっと勝てるようになるから、頑張りましょう」
「お母さん、何か戦っている時口調が違うね……」
「ごめんねー。私って興奮すると少しだけ地が出ちゃうの。それで、えっとね……ちょっと毒が回ってくらくらするから、カノンはアロマセラピーをお願い出来るかしら?」
「は、はい! どうぞ」
 シャムロックに言われて、カノンは手の平の花弁から香しい芳香を醸し出す。それを鼻から吸い込んで鼻腔を満たすと、それだけで全身の解毒機能が活性化してシャムロックの全身をめぐる毒が癒される。
「ふぅ……さて、と。毒も癒されたことだし……本来の稽古に戻ろっか? 稽古をつけてあげると言いつつ実戦稽古になってしまって、なんだか申し訳なかったわ。それで、技の切れだとか、敵の攻撃に対応した受け方、避け方、いなし方などの勉強をしようと思うのだけれど、まだまだ大丈夫よね?」
「もっちろん!」
 やる気も十分にカノンは答える。夜の修行は皆が寝静まるまで続き、一歩も動けなくなるくらいになってようやく音をあげた彼女は、そのまま地面に倒れ伏して、もう動きたくないといった雰囲気である。
「ふむ……まぁ、今日はこんなところね」
 仰向けになって天を仰ぐカノンを見下ろし、シャムロックは笑う。
「あの、お母さん……」
「あら、何かしら?」
「明日もお願いします」
「あらあら、やる気十分ね。いいけれど、ちゃんと疲れを取らなきゃだめよ。明日はきちんと光合成もしなさいね」
「はーい」
 焦点の定まらない目でカノンが答える。
「よし、いい子ね」
 そういってほほ笑み、シャムロックはカノンをサイコキネシスで拾い上げ、怪しく光る眼でカノンを強制的に眠らせる。土まみれの体を拭いて、同級生が用意していた藁のベッドの上にそっと置いた。カノンが静かに寝息を立てているのを見て、シャムロックは空間に穴をあけて不格好なリングルを一つ取り出した。
「ぐっすりリングルのレプリカよ。私は不器用だから、効果も低いしラピスをつけることすら出来ない不良品だけれど、日常で使う分には問題ないわ。疲れもきっといつもより癒されるはずよ」
 彼女の耳元に囁き、頬にキスをしてシャムロックはその場を立ち去る。その口元には、カノンの成長に期待して笑みが浮かんでいた。



Ring ( 2015/12/29(火) 22:35 )