ポケモン不思議のダンジョン:ミュウツー母さんと、みんなのニコニコハウス - ロゼリア編
引っ越しと恋


 カノンがニコニコハウスに訪れてから二年半ほど経ち、カノンはその後も順調に成長していった。彼女は夏を迎える前にロゼリアに進化し、その後はそれまでにも増して積極的にダンジョンに挑むようになる。年上、年下関わらず兄弟姉妹を誘いながら、無難な難易度のダンジョンから、少し背伸びのダンジョンまで幅広く挑戦した。先輩の言う事はよく聞くし、決して無理はせずに的確なサポートをする。言われずともそれが出来た彼女は、少々実力に不相応なダンジョンに赴く際にも誘われるなど、その才能は高く評価されていた。
 実際、彼女の攻撃力は心もとないものの、草タイプゆえの補助技の豊富さと、不思議枝を自作して的確に使いこなす彼女の器用さ、先輩はどちらも評価していた。

 一方、イレーヌとパチキは、9歳を迎えてから生活をする広間を移して、別の部屋で寝起き、勉強をしながらマイペースに修行を続けている。二人はダンジョンに行くのみならず、ニコニコハウスの蔵書室で本を借り、イレーヌは技の本を片手にさまざまな技を自己流で覚え、使える技の種類を二年前とは比べ物にならないほどに増やしていた。時には背中に翼をはやして空を飛び回り、時には相手の爪や牙を折る王の盾を出現させたりなど、その器用さは非常に高い。
 パチキの方はと言えば、彼はダンジョンに潜って小遣い稼ぎをするだけでなく、街の大人の仕事を見ながら、その手伝いをさせてくれといろんな場所を回っていた。その固い頭を活かし、頭突きで何でも破壊するのが得意な彼の種族だが、仕事の中で彼がとりわけ興味を示したのは。大工仕事であった。
 今ではレンガの作り方、積み方。基礎工事の仕方、屋根の作り方。あらゆることをを貪欲に学びながら、それをメモに取りまとめる毎日だ。親方以外は文字を読めない者も多く、そんなメモが何の役に立つんだという声もあったが、そんな言葉を彼は気にしなかった。シャムロックがまずは勉強するために文字を教えてくれたことは正しいのだと証明するべく、彼は自分なりのやり方で仕事を覚えようと必死である。

 テラーはと言えば、マイペースに工作に励んでいる。彼は、多目的な広間の片隅に机と工作道具を広げ、熱心にモノづくりに取り組むことを覚え、毎日失敗しながらも少しずつ上達していっている。高額な工作道具と机は、みんなと一緒にお金を稼いで買ってもらった自品で、援助してもらった分は出世払いとなっている。
 その出世払いの恩恵を最も受けるのは、きっとカノンだろう。
「ねぇ、カノン。新しいリングルを作ってみたよ」
 リングルとは、使用者の体の大きさに合わせて不思議に伸び縮みする未解明の物質で構成された、不思議な腕輪である。それ単体でも様々な効果があるが、ダンジョンにのみ存在できるラピスという装飾品をリングルのくぼみにはめ込むことで、強力な効果を発揮できるものだ。テラーなりの出世払いは、カノンに無料で新作を譲ること。このおかげで、カノンは変わったリングルをいくつも所有しているのだ。
「どれどれ、今回はどんな感じかな?」
 テラーが新しいリングルを作る度に、その実験台は決まってカノンであった。要するに、出世払いというのは建前である。
「今回のリングルはねー。ゴツゴツリングルっていうの。ほら、シュリンお姉さんはサメ肌って特性だけれど、あれと似たような効果を持ったリングル。直接攻撃を受けるたびに、これで相手の手足が傷ついたりするの」
「へー、すごいじゃん。結構優秀な効果だけれど……でも、くぼみが一つしかないねー。これじゃくぼみの珠を使わないとまともに使えないよ」
 ラピスを嵌めるくぼみは、くぼみの珠と呼ばれるもので増やすことが出来るが、しかしいつでも手に入るものではないため、あまり頼ることは出来ない。トゲトゲリングルが優秀な効果であることは分かるが、流石にくぼみが一つしかない状態では、あまり役に立ちそうにない。
「あはは……それについては頑張るよ。もっとくぼみを増やせるようにして、いつかは僕のリングルがないと冒険に行く気にならないって言わせるからね。でも、今はとりあえずくぼみの数は気にしないで! このリングルに利用価値があるかどうかを見て欲しいの」
「分かった。じゃあ……くぼみの数については後々改善してもらうとして……棘の効果がどれくらいかを見たいから、私がそれ付けるから、君が攻撃して」
「えー。僕痛いのやだなぁ……そのゴツゴツリングルは自信作だから、尚更そんなのに攻撃するのは嫌だよ」
「もう……なら分かったわ、ダンジョンの中に持って行くよ」
「今日はダンジョンに行く予定あったの?」
「いやぁ。先輩たち、ダンジョンを越えた先にある街まで依頼を頼まれたとかで……私はこの街から出れないし、だからこの街でお留守番。シュリンさんもナオさんも、近頃は有名になって来ちゃったから、近隣の街からも依頼が舞い込んでくるのよね。ペリッパーのエアメール便とか、テレパシー通信局とか、いろんなところから。ユージンさんも村の困りごとを解消するためにダンジョンに行くことはあるけれど、今日は特に困りごともないみたいだし。
 お手伝いでも出来れば楽しかったんだけれどなぁ。平和なのは喜ばしい事なんだけれど……はぁ。退屈だから不思議枝でも作ろうかと思ったけれど、せっかく新作のリングル貰っちゃったし……ダンジョンに潜ってお小遣い稼ぎと、珠もついでに取ってくるよ」
「そっかぁ……先輩が遠くの依頼を受けちゃうと、やることなしなんだね」
「全く、やんなっちゃうよね……ランランタウンはいいところだけれど、それが全てじゃない。そう思うと、なおさらにやるせない。家から一歩も出られない頃の事を思えば、ぜいたくな悩みかも知れないけれど……」
「仕方ないさ。この街のヒメリ農家だって、外に出ることは出来ても、そのまま何処かへ行ってしまう事なんて出来る人はそういないんでしょ? みんな、何らかの理由でこの街に留まるものだよ。生まれ育った町を出て生活するなんて、一割いればいい方なんだから。人生の中で一番遠くまで言った経験が隣町くらいだとか、そんな人だって珍しくないんだ……」
「うん……そうだよね。私だって、恵まれているわけじゃないけれど、かといって最悪でもないんだよね」
 テラーの正論を聞いて、カノンは落ち込み気味に自分の手を見る。進化したあの日、その美しいしろと黒と紫のバラを皆が美しいと褒め称えてくれた。きっとそれは全く悪意のない褒め言葉だったのだろうけれど、今では少し恨めしい。
 これが普通の色であれば、きっと今頃色んな街に出かけていたのかもしれないと。ただ、その反面でニコニコハウスのみんなに出会うこともなく、文字を教わることもなく、ダンジョンに小遣い稼ぎに行くこともなく、アルトやポルトのように、故郷のシンゲツタウンで色違いを馬鹿にしていたかもしれない。
 そんな人生とどっちがいいのだろうかなんて、二回の人生を生きてみなければわからないことだ。だから、やっぱりぜいたくな悩みなのだとカノンは自分で納得する。これ以上答えのでない考え事をするのも嫌なのでカノンは自分の花弁を見るのを止めて、自分の荷物置き場から空っぽのバッグを取り出した。
「それじゃ、行ってくる。善は急げね」
「そのバッグ空っぽだけれど、荷物持たないでいいの?」
「軽い方がいいもん。今はもう、ラグラージだって余裕な私だよ?」
 カノンは得意げに胸を張る。
「だよねー。あの時にそれぐらいの強さがあれば、パチキもお尻を腫らさないで済んだのに」
 そう言ってテラーは苦笑する。
「あれはパチキが焦るからいけないんだよー。正直に大人に頼ればよかったのに。しかし、あの時の尻叩きは本当に痛かったな。あれを六〇回喰らった奴は今でも怯えちゃっているし……いったいどれくらい痛かったのやら」
 想像したくないよねと、カノンは苦笑する。
「あいつら大人しくなっちゃったよねー。将来はヒメリ農家でひっそりと暮らすのかな」
「きっとね、もう私に突っかかることもしないんじゃないかな? 一年前に私が結局一人で毒々だけで倒れるまで鬼ごっこしてあげたら、それ以降同級生にすら相手にされていないんだもん。もう、誰も手を差し伸べてはくれないだろうね……女の子も寄り付かなそう」
 カノンがあきらめ気味にそう言った。
「あの二人は親もいるし、色違いじゃないしで、恵まれて生まれてきたのにねー……どうしてそういう子がそんなに落ちぶれちゃうのか。あの二人の妹のスカンプーはイレーヌと仲がいいけれど、その子はまともに育ってほしいよね……」
 憐れみと疑問の声で、テラーはため息をついた。
「思えばカノン……君は、本当に強い子でよかったよ。なんというか、僕は臆病でダンジョンでもあんまり前に出来ないから、ちょっと情けなくって。僕だったら、きっとあいつらに泣かされちゃってたと思うと、本当にカノンが強くって良かった」
「そりゃもう、私だってあいつらに初めて会った時は、泣きたいくらいにショックを受けたよ。でも、イレーヌやパチキが全力で守ってくれたから、何とか泣かずに済んだ。臆病かどうかは関係ないと思うな……それにさ、別にテラーが臆病だっていいんだよ。人には向き不向きがあるわけだし。テラーはテラーが出来る事を探せばいい話じゃない。私も、私にしか出来ないことをやる……お母さんはそれでいいって言ってたよ」
「うん。僕はリングル職人をがんばって目指すよ。カノンは強くなって、みんなの役に立つんだよね? なーんか、志も立派なのが少し嫉妬しちゃうよ」
「大丈夫大丈夫。君のリングルが私が強くなるのを助けてくれるかもしれないわけだし。そしたら君も間接的にみんなの役に立てるわけでしょ?」
「そうだね。じゃあ、僕は君の助けになるように頑張るから、カノンも頑張って行ってらっしゃい」
「はーい」
 カノンは二年の間、親とは一度も会うことなく過ごしてきた。手紙のやり取りはしているが、母親は文字を読めないため、手紙は別の誰かに読んでもらっているのだろうし、自分の下に届く手紙も、明らからに母親が書いたものではないのが分かっていた。ただ、兄弟の様子を教えてくれたりなどしてくれる内容も多く、日々成長していく兄弟の近況を聞いていると、自分も頑張ろうという気持ちになれる。
 幸せになって欲しいという母親の想いをかなえるため、カノンは毎日を一生懸命に生き抜いていた。

 そんなある日のことである。
「カノン、少しお話をしたいのだけれど、時間はどうかな?」
 不思議枝を作るべく、部屋の隅で机を広げ、彫刻刀と木の枝を弄るカノンに、不意にシャムロックが話しかけて来る。
「どうしたの? 珍しいね。話したいことがあるなら構わないよ。よいしょっと」
 と、カノンは立ち上がり、シャムロックを見上げる。
「いつもの蔵書室?」
「いや、いまはあそこは使用している人がいるからね。別のところで話そう。そうだなぁ、少し散歩でもしながらでどうかしら?」
「いいよ。行こう行こう」
 ずっと枝を弄り続けていて、少しくらいは体を動かしたいと思っていたところだ。ちょうどいいしと、二人は外に出る。

 そうして二人は外を練り歩く。季節は秋を迎えており、街は寒く食料に乏しい冬を前に、保存の利く穀物の収穫に追われ、またそれらを加工する仕事には子供も総動員である。こういう季節はダンジョンを練り歩く者達にとっても商売の時期である。低レベルのダンジョンのポケモンは死体を持ち帰ってもドロドロに崩れ去ってしまうが、ある程度高難易度のダンジョンであれば形や質感を保ったまま持ち帰ることも出来、その肉は冬を越すための食料となる。
 そのため、何も依頼が無い日でも、とりあえずは高難易度のダンジョンに行けばお金がもらえる。ダンジョンを旅する者にとって、秋とはそんな季節である。だから、カノンも近場にある強めのダンジョンに行けば仕事が取れないこともないのだが、まだ一人で赴くには心もとなく、シャムロックには止められているし、自分でも今の強さでは無理だという事は自覚している。
 先輩のシュリンとナオは、今日も少し遠くの街まで依頼に駆けつけている。シャムロックが話しかけてきたのも、それで暇なのが伝わって来たからなのだろう。
「周囲の環境はすっかり秋めいてきたね。外の世界に出て三回目の秋はどんな気持ちかな?」
「えー……よくわからないなぁ。外の世界に出てからは、一年くらいは新しい発見の連続だったけれど、今はそんなでもないって感じるかな。この街が悪いってわけじゃないし、私が贅沢なのは分かっているけれど……たまに、遠くの街の事とかを嬉しそうに話す先輩の事が羨ましくなる。
 私にだって、遠くに行くだけの足がある。力もある。けれど、この体が……憎いくらいに私をこの街につなぎとめるから。でも、私はこの体に感謝もしている。お母さんと離れてここで暮らすのは寂しいけれど、でも悪い事ばかりじゃなかった。ここで勉強できたし、パチキやイレーヌ、テラーはもちろん、ミックやメラ、ユージンや、何よりお母さんに出会えたことが、すっごく嬉しいんだ。
 それに、どうせ通常の色の子供に生まれていたら、平凡に生きていればあのシンゲツタウンからも特に出る用事もなく、せいぜい隣町に行く程度で終わっていただろうし。通常の色で生まれたほうが恵まれていたのか、そうでないかは、正直わからない。兄弟やシンゲツタウンのみんなと比べれば何となくは分かるのかもしれないけれど……そういうのって、比べられるものじゃないからね」
「やっぱり、カノンもそういう事に悩むんだね。みんなそうだった」
 シャムロックが力のない笑みを浮かべて言う。
「メラやミックも、同じことに悩んだの?」
「そうだね」
 と、シャムロックはカノンの問いを肯定する。
「そして、私が最初に育てた子供、ロディも同じことで悩んだよ。だから、彼女は……『色違い生まれて不幸だなんて思いたくない。私はこの体で生まれて幸運だった』と言うために、旅に出たんだ……新しくニコニコハウスのような孤児院を立てるために。でも、その途中で行方不明になってしまった。誰かに殺されたのかは分からないけれど、酷い話だよ」
 言いながらシャムロックがぐずっと鼻をすする。その時カノンから目を逸らし、指を目に当てていた。高い場所にある彼女の目を見ることは叶わなかったが、きっとそれは泣いていたのだろう。
「全く、飛んだバカ娘だったよ。恩返しの一つも出来やしないで……私が首と足の拘束具を外しても、それに打ち勝つだけの強さを持っていたのに、それでもあの様だ。まったく、面白くない」
 精一杯の呆れたようなシャムロックの口調。カノンはそれを強がりと解釈しながら聞く。
「でも、ロディさんは努力はしようとしたんじゃ……それは考えないの?」
「結果だけが全てじゃないけれど、あの結果じゃどんな過程でも、志でもダメなものはダメさ。全く、馬鹿は馬鹿らしく、無難に生きればいいってのに、背伸びどころかジャンプして、着地に盛大に失敗するだなんて……情けない」
「そうか……ロディさんは情けないのか」
「カノンはそうならないで欲しい。だから、今から話すの」
 そう前置きをして、シャムロックは言う。

「あと一か月で、メラはこのニコニコハウスを卒業できる年齢になる。知っての通り、このニコニコハウスは一三歳から一五歳の間に卒業をすることを義務付けている。ミックなんかは貴方達に勉強を教えるのに便利だし、私と一緒に勉強したいからという理由でギリギリまでニコニコハウスに暮らしていたし……シュリンはナオと一緒に火に卒業するために、なんだかんだで一五歳までこのニコニコハウスにいたな。ミックはニコニコハウスの近くに家を建てたし、ナオとシュリンは今はランランタウンの外れにある家で同居中。
 それでね、ミックは本当はコウゴウシティの学院に進学して、学者になりたかったと言っていた。けれどあの子は色違いで、コウゴウシティなんかに行けば……」
「絶対に、何か嫌がらせをされる?」
「そうよ。コウゴウシティ学園兼、ダンジョンエクスローラー連盟の長、ミル・オホスは人格者で……色違いのポケモンが災厄をもたらすなどという伝説は、眉唾物と思っているのだけれど。それは彼自身が昔は……そう、ホウオウの事件があるより昔の話だけれど、彼が元々は色違いのノコッチで、色々あって成長してみたら実はジガルデだったという経緯があったからでもあるんだけれどね。
 そんな学園長の下にいれば、色違いを差別しない者が大半だろうけれど……そう言う分別のある者ばかりでもないでしょうから。だから、ミックは進学を諦めて、子供達のために塾を開くことにしたんだ」
「ミックさん、夢をあきらめたのか……そうするしかなかったんだ」
 カノンは自分のことのように残念そうにつぶやいた。
「うん、諦めたの。諦めたけれど、私はそれを間違いだとは思わないの。だって、どうにもならないこともあるもの」
「お母さんや、その学園長は何も出来なかったの? ジガルデって伝説のポケモンだよね? そんなに強いポケモンでもどうにもならないの?」
「その気になれば、出来るかもね。だけれど……怖いのよ」
「怖い? ないない、嘘でしょ? 母さんが怖いとかありえないし」
 無敵のシャムロックの弱気な言葉を聞いてカノンは首をかしげるが、シャムロックはそれを首を振って否定する。
「確かに私は強いよ? 強いから、大抵のことは力でどうとでもなるけれど……色違いのファイアロー事、ホウオウは街を焼き払った際に影踏みで縛られ、ストーンエッジの集中砲火を受けて死んだのよ? 伝説のポケモンで、何百人で挑まないと勝てないような力を持っていようとも、負けるときは負けるの。
 ましてや、ランランタウンならともかく、コウゴウシティは大都市だもの。恐怖で人を支配するとなれば、それはこのランランタウンよりもはるかに大変なのは火を見るよりも明らか。正直、私でもあの街を相手にするのは流石に怖いのよ」
「そっか……」
「だから、好き勝手するのも私はこの街の中でだけね。近隣の町にも睨みは聞かせているけれど……せいぜいそれくらいしかどうにも出来ないの。人を縛るのが恐怖ならば、この国では色違いのポケモンもまた恐怖だもの。私の強大な力のように見える恐怖ではなくとも、人は恐れているの。眼に見えない可能性を……。
 だから、ミックはそういった者に疎まれることを恐れて、この街に住み続ける事を選んだ。でもね、道は他にもあるの。メラは、誕生日と同時にこの大陸を去ろうとしているのよ」
「この大陸を? それってどういう事?」
 シャムロックの言葉にカノンはオウム返しに尋ねる。
「色違いが恐れられているのはこの大陸だけだから。だから、他の大陸に行けば、色違いであることに悩む必要はないってわけ。知り合いのラティアスが送ってくれるから……。珍しがられはするだろうけれど、それほど厄介なものでもないんだって。むしろ、他の大陸から来たってことの方が、いろいろ聞かれて厄介だと思うくらいだわ」
「そっか……寂しくなるなぁ」
 カノンはうつむき、そう呟いた。
「そういうものよ。この場所が生きづらい場所ならば、どこか遠くに引っ越せばいいの。ミックはそれを選ばずに、ここで生きる事を選んだけれど、別にあの子がどこへ行こうとも、私はあの子が幸せならばそれでよかったんだけれどね。みんな、妥協や我慢をしながらも、今を生きている。
 メラも、本当はここを去りたくないけれど、自由な場所で生きたいって言ってて……寂しがっていたけれど、自由には勝てないみたい」
「それでも、メラは外の大陸に行きたいんだね。そんなに嫌な目にあったのか、それとも私みたいに冒険をしたいのか……」
 シャムロックが首をかしげると、シャムロックは少しためらいがちに口を開く。
「うん……貴方には、子供がどうやってできるかもう学んだわね?」
「学んだけれど……それがどうかしたの? まさか、男の子のあれにそんな意味があったなんてねぇ……ミックとか、二足歩行だから、たまにチラチラ見えちゃうことがあるから、何だかたまに恥ずかしくなるよ」
 授業の内容を振り返りながらカノンは苦笑する。
「メラはね、それを強要されそうになったの」
「えー……それっていけない事だよね? 私あんなのを誰とも分からない奴とするのは……ちょっとやだな」
「だから下半身を燃やしたのよ。嫌なことをされそうになったから」
 シャムロックは細かくは説明しなかったが、それだけでカノンも理解してしまった。
「あぁ……あぁ、うん」
「そしてそれは、色違いである彼女を前々から目の敵にしていたコジョンドだった。押し倒され、首を絞められ殴られて、半狂乱になったメラは、全身を赤く燃え上がらせて相手を火傷させて……それで相手が怯んだ隙に、相手の股間を蹴りあげた。そして、相手が痛みに耐えかねて倒れたところを、彼女は……二度と使用不可能になるように、黒焦げになるまで焼き尽くしたというわけよ」
 シャムロックはその惨状を思い出して、どんな表情をすればいいかもわからず苦笑う。
「想像したくありませんね」
「手の施しようもなくって、体の中に管を突っ込んで排尿するしかなかったからな。そんな事があってから、メラはこの街、ではなく大陸を離れたいとすら思うようになった。北国に引っ越したいと言っていたよ」
「北国かぁ……北はここよりもあったかいんでしょ? 炎タイプには良さそうなところだねー。私もちょっと行ってみたいかも」
「そうだね。ちょっと、で行ける距離ではないけれど。それでね、カノン。貴方は強い。強いからメラのような目には合わないかもしれない。けれど、それでも嫌な目にあうことは多いと思うの。この街には、私が怖いから表面上は普通に付き合っているだけで、内心では色違いを疎んでいる輩なんていくらでもいる。だから、色違いという理由だけで結婚を反対されたりするかもしれないし、そもそも恋人になろうとすらしたがらないかもしれない」
「うん」
「だからね。貴方には、この街に留まること以外にも、いくらでも道があるという事。それをきちんと意識しておいてほしいの。貴方が本当にしたいことが、ここでは達成できないと感じたのならば、迷う事はないわ。外の大陸に行きなさい」
「逆に、メラさんは何がしたかったの?」
「ロディと同じ。あの子も誰かを助け、育てられるだけの力が欲しかった。孤児院のお手伝いをしたいって」
「そのための資金はどうするつもりなんだろう……先立つものがないと。ロディさんは、凄腕のダンジョンエクスプローラーだったわけだし、納得だけれど」
「そのお手伝いこそが、彼女の目的。要するに、寄付とお手伝い出来ればそれでいいって。メラは料理の腕は一流だから、その気になればどこに行っても受け入れてもらえると思う。そのために、料理が不味くって有名な大陸に行くんですって言っていたよ。料理の楽しさをその国に伝えたいんだってさ」
「あはは、それは確かにもてはやされそうだね」
「でも、孤児院のお手伝いだなんて、この大陸ではランランタウンを出られない彼女には無理な話だから。だから、彼女は外の大陸に出る事を選んだ。そういう話よ……」
「そっかぁ……寂しいけれど、でも夢をかなえるためなら仕方ないよね」
 カノンが言うと、シャムロックは少し寂し気にえぇ7と頷いた。
「カノン……あなたは何をしたいのかしら? 以前、ユージンに憧れていると言ったわね? それはまだ変わっていないかしら?」
「うん、変わっていないよ。ユージンさんみたく、人助けのために迷わず飛び出せる人になりたい。シュリンさんやナオさんも、そういうところがあるから憧れだよ。それは……もしかしたら、街の外の遠くまで行かないといけない依頼だったら今と同じように、その仕事を受けられないかもしれないことが残念だけれど。それでもできることはたくさんあるはず」
 カノンは、そう言って自分を鼓舞するように頷いた。
「そっか。じゃあカノンは努力してもっと強くならなきゃね。強くなれば出来ることは増えるから」
「うん、頑張る」
 シャムロックの言葉にカノンは頷いた。そうして、二人は景色を見ながら歩いていく。歩幅の小さなカノンに合わせるようにシャムロックはゆっくり歩いていたが、そんな彼女の足を、カノンは恥ずかし気に突っついた。
「どうした、カノン?」
「あのさ、お母さん。何だか、こんな話をしていたら少し本当のお母さんのことが恋しくなっちゃった……」
「あぁ、そうか。今なら誰も見ていないが、抱いてあげようか?」
「うん」
 シャムロックに言われるがまま、カノンは嬉しそうに頷いた。シャムロックはサイコキネシスで拾い上げられ、大きなシャムロックの胸に収まる。シャムロックの胸の呼吸と、温かみに抱かれ、カノンはそれに夢中で縋りつく。シャムロックもまた小さい彼女のすべすべな身体を感じながら、その小ささと儚さを感じてため息をつく。
「きっとお前は、私よりも先に死んでしまうだろうな……なんとも寂しい事だ」
「お母さんは長生きだもんね。何歳だっけ?」
「うーん……あと少しで三三〇歳。ロゼリアがそんなに長く生きた記録はない……だから、子供達には精一杯生きて欲しいの。貴方は私が出来ないことをして、生きた時間のながさではなく、何を成し遂げたかで生きた証を残してほしいの。だからこそ、私は貴方達に私を超えて欲しいのよ」
「それなんだけれど……人を守ることくらい、お母さんなら簡単に出来そうな気がするから、お母さんに出来ない事とかあんまり自信がないんだよね」
「そうでもないって。比較的簡単にできることだってあるよ?」
「例えば?」
「子供を産むとか。それが一番簡単に達成できそうな、私には出来なかったことね。卒業生の中には既にそれを達成した子もいて、孫が出来たみたいでなんだかうれしかったわ」
「うーん、あんまりイメージ湧かないなぁ。お母さんみたいに上手く子供を育てられるかな……」
「分からない。けれど、大人になったらやってみるといいわ。その時は、貴方がこうやって子供を抱きしめてあげるのよ?」
「抱きしめる……」
 まだ、遠い未来のように思えて実感の湧かない事を言われて、カノンは漠然とした未来を想像する。ユージンのように街を守る未来を想像することはあっても、自分が母親のようになることは一切想像していなかった。
「ま、焦る必要はないわ。貴方は皆と仲良くすることが出来るし、仲良くした者を大切にすることが出来る。その心があれば貴方はきっと子供が生まれても愛することが出来るはずよ。だから難しく考える必要はないの。努力して、その後大切な人を見つければ、貴方ならきっと幸せな家庭を築けるから」
 シャムロックにそんな事を言われても、カノンにはまだよくわからない。ただ、褒められていることや、期待されている事はよくわかる。
「ねぇ、お母さん」
「なあに?」
「ありがとう。色々と」
「えぇ、こちらこそありがとう」
 何についてお礼を言ったのかお互いよくわかっていなかった。言った本人も、色んな事を総括してお礼を言ったため、何に対していったのかはよくわかっていないのだから当然とも言える。ただ、このありがとうという言葉のおかげで、お互いの心は満たされるのであった。抱きしめられる事で体がポカポカと温まってきたあたりで、シャムロックは額に口付けをして彼女を降ろした。
「それでね、外の大陸の事なんだけれど……私やラティアスが紹介できる街がいくつかある。もしよければ聞かせてあげるが、どうだ?」
「参考までに、お願いします」
 シャムロックの言葉に、カノンは頷いた。自分はこのままこの街にいていいのか、それを自分自身に問うためにも、カノンは改めて外の世界や自分の未来について考えることにした。


 数日後、ニコニコハウスでミックの授業を終えたカノンは、ミックに呼ばれて彼の家に招かれた。中にはメラが待ち構えており、オレンなどの誰でも食べられるような無難な果実の天日干しを出されて、スパイスの利いた甘いお茶と一緒にそれを頂くこととなった。
「母さんから、色々話してもらったと思う」
 ミックがそう話を切り出す。
「はい。外の世界の事についていろいろと教えてもらいました。いい事も悪い事も色々あって、どこが一番いいのかとか、そういうのは全然わかりませんが……でも、外の国に興味は出ました」
「そうだろうな。俺も、同じような話を母さんから聞いて、いろいろ考えたよ。たくさん学んで、将来は学者をやりながら子供達を育てて行きたいだとか夢を見ていて……でも、壁がありすぎた。夢を目指すには、分厚い壁がね。俺は外の世界に出たかったけれど、やっぱりこの街で暮らすのが一番だって悟るくらいには、分厚い壁だった」
「あの、外の大陸に行こうというのは考えられなかったのですか?」
「どうだろうね。俺は考えようとしなかった。異国の地が怖いって言うのもあるし、ここから離れるのも嫌だった。俺は皆に勉強を教えてあげたかったから……そっちの方を優先したかったって言うのもある」
「そうですか。それで、今の生活には満足していますか?」
「してないけれど、そんなの誰もからもおんなじさ。みんな、何か不満を抱えながら生きているんだし。だから、満足できなくったって、悪い人生とは思わない。不満だけれど妥協できる範囲だし、学院に進学したいだなんてぜいたくな悩みなのさ」
 ミックはそう言って力なく笑う。
「贅沢な悩み、ですよねぇ。私も同じような悩みを抱えています。みんな同じ悩みを抱えちゃうんですね、きっと」
 ミックの言葉に、カノンはそう言って頷いた。そんなカノンを、メラは寂しそうな顔で見ている。

「カノン、私は、この街が嫌になったの」
 メラはそう言ってカノンの目を見る。
「はい、そう聞いていました……そんなに、辛い事があったのですか?」
「好きな人が居たけれど、でもね、相手は、その、ね。私が接していた時はなんだかまんざらでもなかったような感じではあったんだけれど、でもダメだった。『シャムロックが怖いからお前とはそこそこの付き合いをしているし、君がが悪い子じゃないのは知っているけれど、でもやっぱり色違いは怖いし、関わり合いにはなりたくない』って。そんなのありかって、本当に辛かった。
 女として、人間としての魅力はあっても、でも色違いじゃダメなんだろうね。それを聞いた瞬間に、私はなんというか心が冷めちゃったの。ここにいたらいけないんだって。私に偏見を持たない誰かを好きになればいいだけの話かもしれないけれど、でもきっとそれって、例えば私に子供が生まれて、その子が通常の色だったとしても……きっと言われるでしょ? 『君の親が色違いだから、僕は君の事は好きになれない』って。どうせ言われるんだ」
 言い終えて、メラはため息をつく。
「あぁ、確かに言いそう。昔、私に絡んできた悪ガキは、色違いの私だけじゃなく、ニコニコハウスのみんなも罵倒していたから……きっと、そういう事になるかもね」
 自分で言いながら、カノンは惨めな気持ちになってため息をつく。
「私ね、皆に祝福されながらポップコーンの道を歩んでみたかったのになぁ……ポップコーンを踏みしめながら、永遠の愛を誓ってさ。でも、この街でなら出来るかと思ったけれど、色違いの私には無理な話だったのかも……諦めないことは大事だけれど、いつまでも同じ方法に執着するのは愚かな事ね」
 メラは俯き、目を潤ませる。
「ま、そういうこった。俺はこの街に好きな子を見つけたし、いつかは子供も生まれてそれなりに暮らす未来もあると思うけれど……でも、その時子供に恨み言の一つでも言われることは覚悟しなきゃな。『なんで色違いのくせに僕を産んだんだ!』みたいな事を言われる覚悟を……な。ま、そんときゃ息子にランランタウンを出る事をお勧めするわ、それが一番だと思う。こんな小さい世界以外にも、良い場所なんていくらでもあるわけだからな」
 と、ミックは言う。
「カノンは誰か好きな人は居るかしら? そういうのがないならば、この街を思い切って出て行って、どこか遠い場所に行くのも手だと思うわ」
「え、好きな人ならいますよ」
 カノンは少しだけうつむいて、顔を赤くする。
「お、いるのか? いいねぇ、そいつとの恋が実るならこの街にいろよ。ダメそうならばメラみたいに吹っ切れるのもいいと思うし。差支えなければ誰だか教えてくれよ」
「ユージンさん。今もたまにお手伝いしてる」
「え……?」
「あぁ……」
 恥ずかし気に語るカノンの言葉に、二人は一瞬言葉を失ってしまう。
「おいおい、結構年の差があるなぁ」
「いや、でもそんなに悪いもんじゃないんじゃない? ほら、モコシの実を栽培してるフラエッテの女の子は一三歳だけれど、財産と進化道具を貰って三五歳のマリルリのところに嫁いだって言うし。それに比べればカノンが一三歳の時はユージンは、えぇと……」
「それって親が決めた結婚だろ……」
 カノンが正直に告白するものだから、メラは少し下世話な事を言う。そんなメラの発言に、ミックはそれはちょっと違うんじゃないかと苦笑する。
「私とユージンさんは九歳差だから、二二歳です。ちょっと差はありますけれど……今だあの人は独身ですし、チャンスあるかなって……子供すぎますかね、私?」
「そうなんだよなぁ。ユージンの奴なぜかずっと独り身だからな。まぁ、本当に好きならちゃんとその気持ちを伝えればいいさ。その恋が実るならば、俺は応援するよ」
 ミックはそう言って笑顔になる。それを見てカノンは安心して笑みを漏らす。
「実るのかな……だといいな」
「いいじゃないか、積極的にアプローチをしていけよ。ユージンくらいに気のいい奴なら、俺はいいと思うぞ。問題は奴の好みにお前さんが合うかどうかだが……」
「ユージンさんの好みって何ですか?」
「強い女。パチリスのタマゴグループって、妖精と陸上を併せ持っているんだが、妖精のタマゴグループの奴は平和主義者が多いからな……なら陸上の方をと言いたいところだけれど、何分平和な街だもんでな。あんまりお眼鏡にかなう女がいないんだと」
「なら、私でいいじゃん。それなら……私強い女になるし。絶対に振り向かせる」
 ミックに好みのタイプについて聞かされると、カノンはそれならばと奮起する
「そっかぁ……そうなんだ。カノンは、この街に残ることになるかもしれないのか……」
 メラが寂しげに微笑む。心なしか、彼女の全身を覆う炎も少し弱くなっている。
「それが、何か?」
「うん。少し羨ましいなって。私は、一回失恋しただけで外の大陸に行きたいなんて思っちゃって……」
「でも、私もユージンさんに失恋したら、どうなるかわからないから、まだメラに羨ましがられるような感じじゃないって」
 悔し気に羨ましがるメラに、カノンは謙遜する。
「そう。じゃあ、私みたいにならないように。応援するよ。きっと恋をかなえてね」
「カノンの恋が叶うといいな。俺も応援してるぜ」
 メラとミックがカノンに言う。
「うん、頑張るよ」
 メラとミックの話を聞いて、確かにこの街に執着する理由はそれほど多くない事に気付く。ならば、ユージンに思いを告げてみない事には始まらない。今はまだ子供すぎて相手にしてもらえないかもしれないが、さきに恋人でも作られたらたまらない。応援してくれる人達のためにも、少しずつアプローチを仕掛けていくのもいいのではなかろうか。
 年下には興味がないかもしれないが、それでも。
「でも、どうやって切りだせばいいのかな? パチキやイレーヌみたいに年が近い子ならよく話すから、どういえばいいか分かるけれど……ユージンさんみたいな大人と話すのって少し具合が違うからなぁ」
「確かに、年が離れている分、少し心配なところはあるなぁ。まあでも、あいつは気取った奴じゃないから、変に考えるよりもユージンへ思いを率直に告げればいいんじゃないかな。シンプルでいいんだよ。だからって、いきなりがっついてもいけないから、一応塩梅は考えるんだぞ?」
「分かった、頑張ります」
 ミックからアドバイスをもらい、カノンは奮起する。その日から、彼女は積極的になっていく。



Ring ( 2015/12/23(水) 22:53 )