色違いは災厄を連れる存在だ
カノンがランランタウンに訪れてから、一か月の時間が過ぎた。カノンはきっちりと読み書きを覚えて、今は皆の授業に追いつくべく、ミックからマンツーマンでの授業を受けて必死で追いかけている。足し算引き算から始まり、ものの数え方、単位の置き換え、掛け算割り算。本を読み音読し、その意味を正しく理解する。
そうやって、最低限自分だけで勉強できるような土台作りをするのだ。まだまだ学ぶことは数え切れず、ミックの授業は足早に進むことになるだろうが、カノンは物覚えが良く、予習や復習もイレーヌが教えてくれるため、ミックも遠慮なく授業を進めていけた。
ところで、最近のカノンはニコニコハウスの外の子供。街の子供達ともわけ隔てなく遊ぶようになっていた。色違いという事で偏見を持つ者はまだまだ街に多く、その思考に染まった子供も少なくない。そのため、いきなり町の子と遊ばせてトラブルを起こしては、カノンが委縮してしまうかもしれないという事で最初はニコニコハウスの子供だけで遊んでいたのだ。
しかし、カノンはイレーヌ達同年代の子供とその日のうちに打ち解けてしまい、ドッジボールもすぐに覚えて、ダンジョンにも恐れず付いて行き、それどころか孤立無援でも自力で脱出する度胸など、カノンの図太さは相当なものだ。それを日々感じ取っているイレーヌとパチキは、これならば大丈夫だろうと、シャムロックにも話を通して街の子供達との遊びを解禁した。
ヒメリ農家やモコシ農家の多いこの街では、子供は家の手伝いに駆り出されることも多いが、仕事に空きが出れば遊ぶことも許される。カノンが来たのは特に仕事が忙しい剪定という邪魔な枝を落としていく作業を行う時期で、こればっかりはスピードでどうにかなるものではなく、きちんと切るべき枝を見極めてやらないといけない重要な仕事だ。
それは言葉で言ってどうにかなるものではないので、親は子供に自分が働く姿を見せながら、どういう枝を切ればいいのかを逐一教え、そして子供が大体理解できるようになってからは、一緒に木に登って仕事をするのだ。一人前になるには一年や二年では難しく、そのため子供達は突きっきりで親の仕事を見なければいけない。
そう言うこともあって、この時期の町の子供達の大半が親元で働いていたこともあり、お互い遊ばずに過ごしていたわけだ。しかしながら、遊び始めてからはカノンもすぐに打ち解けてしまい、一日ですっかり仲良しだ。すっかり上手くなったドッジボールは、同年代の子供達も受け止めるのに苦労している。カノンはまだまだ伸びる余地はいくらでもあるため、これからさらに強くなるだろうと、パチキもイレーヌも自慢げに言う。
それを聞いた弱い子達は戦慄し、ドッジボールが強い子はそりゃ楽しみだとばかりにワクワクしている。カノンは二人の褒め言葉を聞いて、やってやるぞと向上心に燃えていた。カノンは街の子供と遊ぶ時間も大いに満喫し、その顔は終始笑顔に染まっている。家に閉じこもっていた頃には想像もつかないくらいに楽しい日々を過ごして、カノンは大満足である。
ただ、こうやって外に出て、楽しい事ばかりではない。
「おいおい、色違いがいるじゃねーか」
「うわ、くっさいくっさい。毒タイプだから色違いはさらに臭いねぇ」
どんな時でも、こういう奴は湧いてくる。イレーヌやパチキよりも二つ年上の、エーフィのアルトとニンフィアのポルト、二人組の悪ガキだ。こいつは以前ニコニコハウスの孤児たちを馬鹿にして、イレーヌ達にボコボコにされた集団を主導していた二人である。その時あまりにもやりすぎてしまったため、シャムロックに尻叩きをされた恨みを二人は忘れていない。
「そうかな? もしかして自分の匂いを勘違いしてるだけじゃね? ウンコみたいな匂いするし」
「何言ってるの、パチキ! ウンコに失礼だって」
一言でカノンを馬鹿にしているのだとわかったイレーヌとパチキは、カノンを守るために自分達に怒りの矛先を向けさせようと挑発する。うっぷんを晴らすためという意味合いもあるが、はカノンが心に傷を負わないよう、こういう輩からは全力で守るようにと、イレーヌとパチキはシャムロックに命じられているのである。そんな二人の挑発に苛立ったのか、悪ガキは二人に詰め寄っていく。
「あぁん? お前ら何か言ったか?」
「言ったよ。ウンコと貴方達を比べたら失礼だって。ごめんなさい、パチキが貴方達を褒めてるって期待を持たせてしまって……私達、、貴方達を褒めたつもりはないんです。パチキが貴方達がウンコと同レベルだなんて褒められたと期待させてしまったらごめんなさい」
「あぁ、すまねぇイレーヌ。俺からも謝るよ。お前達を褒めるつもりはなかったんだ。そうだよな、お前達はフンコロガシの糞を喰う蠅の糞ぐらいの存在だもんな」
年上の二人に凄まれても、二人は一切怯むことなく煽る煽る。それに怒りを覚えて二人が殴りかかってこようとも、イレーヌとパチキには問題ない。。アルトやポルトが日常的に行っている農作業も、基礎体力はつくだろうが、ダンジョン内での運動は基礎体力の上昇が著しく、その上戦闘経験も文句なしに積める。お小遣い稼ぎのために日常的にダンジョンに行っている二人が、農作業の手伝いばかりしているアルトとポルトに負けるはずはないのである。
そもそも、イレーヌとパチキが以前、アルトとポルトを含む五人と戦った結果が、シャムロックに怒られるほどに圧倒的な勝利であるため、今にも挑みかからんばかりの悪ガキの態度は無謀である。
それを分かって、イレーヌとパチキは恐れのない目で悪がきを睨む。悪ガキ二人はいら立ち、二人を叩きのめしてしまいたくて仕方ないようだが、そんな事をすれば返り討ちになるのは分かっているはず。何か策があるのだろうかと二人は警戒しながら相手の出方を伺っている。
「ち、せっかくそこのスボミーの色違いをからかいに来たってのによぉ、なんだか拍子抜けだぜ」
「あらぁ、負け惜しみ? 自分がゲスであるという自己紹介をして、その上で負け惜しみとか、本当に惨めね」
イレーヌは前々から考えていたセリフを噛まないように言って、満足げにフフフんと笑う。
「ねぇ、二人とも。この二人は何なの? 皆に嫌われてるの?」
カノンが二人を見て尋ねると、パチキは悪ガキ二人を見ながら言う。
「そりゃもう、嫌われてるさ。あいつは俺達ニコニコハウスの子供を、全員親に捨てられたかわいそうな奴らだとか、そんな風に罵ったんだ。そんな事はないって私も怒鳴りつけてやったけれど、結局奴らは訂正もせずに、『捨て子、捨て子』って連呼しやがって……ま、叩きのめしてやったけれど」
「あの時ばかりは、私もパチキの単純さを笑えなかったわ。私もパチキに続いて殴り飛ばしたし」
イレーヌが自嘲気味に笑う。二人とも、奴らに聞かれないようになどと言う殊勝な心がけはなく、過去の汚点を余すことなくカノンに伝えている。それも挑発の一環だ。そうして、カノンに向ける言葉の刃を、自分達に向けさせることでカノンを守ろうというのが、二人で決めたことであった。
「お前ら……俺達を舐めてるのかよ?」
「いや、舐めるとか無理無理。俺らはお前らの匂いを嗅ぐだけでも無理ですわ」
パチキが言う。
「私達を馬鹿にするために来たのなら、帰ってくれない? 私達はねぇ、どうにもならないことで馬鹿にされるのが嫌いなの。例えば、貴方達も自分の耐えがたい悪臭とかを馬鹿にされたらいやでしょう?」
イレーヌもパチキに負けじと相手を罵った。
「ふん、せいぜいほざいてろ。行くぞアルト」
「分かった」
二人の悪ガキがイレーヌとパチキの前で身構える。それに応じて二人も構えを取る。なにを仕掛けて来るのかと、二人はしっかり見据えて反撃を行おうとするのだが、どうも様子がおかしい。二人とも、口の中で舌をもごもごと動かし……
「危ない!!」
それが爆裂の種と呼ばれる、種を噛み砕くことで前方への攻撃を可能とする道具を使用しているのだと気付いてイレーヌは声を上げながら顔の前で腕を交差させて後ろに飛び退る。パチキは頭を伏せて顔を守るが、どちらも口の中から吐き出される強力な衝撃波にやられ、そのまま地面に倒れ、そこに追撃の念力と妖精の風で二人はさらなるダメージを負う。
「おー、飛んだ飛んだ」
エーフィのアルトがせせら笑う。
「俺達を舐めた罰だ、バーカ」
ひねりのない罵倒の文句を発して、ポルトも同じように笑った。
「それで、そっちのスボミーのお嬢ちゃん。おめーさ、なんで色違いのくせに生きているわけ?」
アルトがカノンの方にずかずかと近づきながら汚い言葉を投げかける。
「え、え?」
カノンはそれに戸惑いながら後ずさる。この街の皆には色違いでも仲良くしてくれた。自分を怖い目で睨んだりしなかった。だから、この街はそういうものだと思っていた。なのに、いきなりこんな心無い言葉を投げかけてくるだなんて、予想も出来ないし、それに対する答えも持ち合わせていない。なんで生きていちゃいけないのかなんて、答えられるはずもない。
「くっさいくっさい。色違いの奴はくっさくてたまらないね」
ポルトもあるとと並びながらカノンに近づいてゆく。
「そんな、みんな甘くっていい匂いだって、みんな言ってるもん」
「こいつらの鼻が腐ってるだけだつーの」
言い返すカノンに、ポルトはさらに詰め寄りながら酷い言葉を投げかける。二人の乱暴者な悪ガキの襲来に、他の子供達はテラーも含めて怯えてしまい、全く動けないでいる。
「みんなの事を悪く言うな! みんないい人達なんだ!!」
カノンが悪ガキ二人のあまりの言い草に怒り、声をあげる。
「うるせえよ、汚い色違い。災厄を連れて来る迷惑野郎が」
ポルトがそう言って、カノンの体を自身の体のリボンで縛る。
「お前みたいな汚い奴が街を我が物顔で歩くんじゃねえ、迷惑なんだよ!」
唾がかかるような距離で暴言を吐かれ、カノンは恐れをなして痺れ粉をばらまいた。それを思いっきり吸ってしまったポルトは、思わず相手を巻いていたリボンを離してしまい、随分と吸い込んでしまって即効性の粉の力で麻痺をする。
「てめぇ、ポルトに何しやがる!」
と、アルトが怒りながらカノンの体を浮かせる。
「おら、さっさと謝りやがっ!?」
そうして、脅しかけるアルトを攻撃したのはイレーヌのサイコブレイクであった。巨大な念の塊の球体を放ち、触れたものには体の内部に尋常ならざる衝撃を与えられ、全身を四方八方から打ちのめされたような感覚と共に倒れ伏す。本来はミュウツーであるシャムロック以外に使い手のいない技ではあるが、威力さえ度外視すればイレーヌならば十分に真似は可能だ。
不意打ちという事も相まって、効果はいまひとつであるアルトに対してもダメージはそれなり。しかし、後輩を怖がらせ、罵倒した罪があるのは一人だけではない。麻痺してしまったポルトにも、パチキの諸刃の頭突きがクリーンヒットする。そうして、二人が転がったところで、体のいたるところから血を流しながらもパチキが言う。
「俺達の後輩に、突っかかるんじゃねえ! 色違いが何だっていうんだ!」
「そんな事で馬鹿にするような奴らに、カノンの良さは分からないわ。色違いが嫌いなら、あんたも嫌いな色違いにでもなってなさい」
言いながら、イレーヌは尻尾から真っ青な体液を飛ばしてアルトとポルトの体を染め上げる。そんな二人を見下す彼女らの眼は酷く冷ややかで、カノンにはあまり見られたくない表情だ。
「私達は、あんたみたいなやつには屈しない。絶対に、屈しないし、あんたの言った言葉を許さないからね!」
「お前みたいに性格の悪い奴がチンコ焼かれて使い物にならなくなった奴だっているんだ。そうならないだけありがたいと思えよな。優しい俺達で感謝しろよ」
イレーヌもパチキも脚は震えていたが、しかし防御も出来ずに攻撃をまともに喰らった二人に比べれば、まだ立っているだけ余裕がある。
「カノンはあんたなんかよりも、ずっといい子で、可愛い子なんだから! それを馬鹿にするなら、いくらでも相手になってやるからね! 絶対に、絶対に、馬鹿になんてさせないんだから!!」
言っているうちに感情が高ぶり、イレーヌの眼もとには涙すら浮かんでいた。なんのことだか事情がよくわからないカノンはおろおろするばかりで、パチキとイレーヌの方を見て、助けを求めるように困った顔をしている。
「カノン……行くぞ。今日は皆と遊ぶのは止めだ! ごめん、みんな……俺達ニコニコハウスで遊んでくるわ」
そのカノンの不安げな表情を見て、パチキはそう言ってカノンについてこいと促した。カノンは訳も分からず、パチキとイレーヌを交互に見たが、イレーヌはカノンを黙って抱きかかえて連れて行く。テラーも少し困って、街の子供達と別れるのを名残惜しそうにしていたが、やがて彼も空気を読んでその場からは退散した。
「さっきのは何だったの? あの二人はなに?」
塀に囲まれたニコニコハウスの庭に戻り、落ち着いたところでカノンが尋ねる。彼女の表情は明らかに動揺しており、呼吸は落ち着いていても、心はまだざわついている。
「あいつら、俺達ニコニコハウスの奴らを目の敵にしてやがるんだ。色違いの子供をかこっている迷惑な奴らだって」
「色違いのポケモンは……カノンみたいな子は、災厄を呼ぶって言われているの。つまり、大きな厄介ごとを連れて来るってね。だから、皆色違いのポケモンを毛嫌いする……この街はそういう風潮は薄いけれど、それでも嫌っている人は少なくないから……」
「どうして? 私、悪い事しようなんて思っていないよ?」
パチキとイレーヌに言われて、カノンは悲しそうに問いかける。
「なんだっけかなぁ……色違いのファイアローだっけ? ヤヤコマのころに、王都のお祈り施設の前にタマゴのまま捨てられていたヤヤコマが……普通は頭が朱色でそれ以外は灰色の翼って言う色合いなんだけれど、そのヤヤコマはうっすら金色の混じった白い翼のヤヤコマだったんだ。要するに、色違い。それでもって、当時の王様がゴウカザルだったんだけれど、その後継ぎとなる長男が色違いのヒコザルだったんだ。たしか、そんな感じだよな、イレーヌ?」
「そうよ。っていうか、パチキはこういうのの語り部になるのは苦手だろうし、私が話すわね。それで、色違いの王には色違いの手下がふさわしいって、そのヤヤコマは王族に引き取られて、ヒコザル……のちのゴウカザルの従者として育てられたの。それで、ある程度年がいったら、ヤヤコマはファイアローに進化してゴウカザルの下でお世話役、護衛の手伝い、高速で送迎するとか、そういう役割を持たせられて……まぁ、仕事は大変だけれど、王様の従者だけ待遇は良かったそうね。
でも、そのヤヤコマは進化して大人になると、王よりもよっぽど市勢の見回りなんかを積極的にするようになって、それで……色々と政治に口出しをするようになったんだ。もっと民のための政治をするべきですって。王は、自分の権力を確かなものにするために、兵隊さんばっかりに給料を増やして、その分農民とか、猟師とかに苦しい生活をさせたんだ。それをどれだけファイアローがとがめても態度を改めなくってね。
一部の貴族や豪商……ま、お金持やお偉いさんばっかりが得するようにしたの。もちろん、得する人達からは支持を得て、お金もそれなりに流れてきたから贅沢を出来るようになったけれど……それで民はますます飢えるばかり」
「そんなのダメだよ、もっと分け合わないと」
「そうよ、ファイアローはそう言ったの。もっと分け合わないといけないって。我儘な王も、ファイアローの言葉だけは一応聞くんだけれど、でも王の周りの従者はそれを糾弾し、政治に口を出すなと言って彼を幽閉したの。ゴウカザルは戸惑った……幼い頃からずっと一緒に居た兄弟のような存在のファイアローと会えなくなったわけだもの。
そうして、王は暴走した。従者の言うままに金を散財して……その有様をファイアローが牢獄で聞いたことがきっかけとなって、そのファイアローは牢屋の中で自身の真の姿に気付いてしまったの。進化って知ってるよね? ファイアローがホウオウに進化したの」
「へー、ファイアローってホウオウに進化できるんだぁ」
イレーヌの説明を聞いて、カノンは呑気に感心する。
「いや、出来ないから。出来ないはずなのに、しちゃったから問題なんだって。そして、ホウオウに進化した彼は、王都で民から搾取する貴族や豪商たちの家を一斉に焼き払い、民に対して横暴なふるまいをする兵士を、すべて体の内側から湧き出る炎で焼き殺したと言われているの。
だから、無能なゴウカザルの王、そしてホウオウ。その二人ともに色違いだったことから、色違いのポケモンは災厄を引き起こすって言われているの」
「何それ!? 私関係ないじゃん、というか、色違いだってことすら関係ないじゃん。王様が、ファイアローの言葉をちゃんと聞いてあげればよかっただけじゃん。大体、もしも私がホウオウだったら逆にどうするの? そんなひどい扱いをする奴をひどい目にあわせたいって思ったらどうするの?」
カノンが不満げに言う。
「そうなんだよ。お前も、メラさんも、何も関係ないのに……そもそも、防げた災厄だったのに、色違いだったことがいけないと言う事にするんだ。そんな奴ら、何も分かっちゃいない、色違いなのがいけないんじゃないんだ、そんなの昔の奴らが譲り合いをしないことがいけなかっただけじゃないか。災厄は自分が招いたことじゃないかってんだ。
そんな事も分からない奴らのせいで、お前みたいに馬鹿にされる奴が出てきちまう。全く、腹立つぜ。それでメラ先輩も酷い目にあったんだ。というかさ……あいつら、アルトやポルトのような奴らは、色違いが災厄を呼ぶ存在だとかどうでもいいんだ。それを口実に馬鹿に出来る奴を探しているだけで、何でもいいんだよ。だからむかつくんだ」
吐き捨てるようにパチキが言う。
「そう言えば、さっきチンコ焼かれて使い物にならなくなったって言っていたけれど、それってもしかしてメラ先輩の?」
「あぁ。去年の話なんだけれど、なにされたか知らないけれど、メラが一人でいるときに、いっつも目の敵にしている奴に襲われて、反撃した時にそうなっていたらしいぜ。シャムロックさんが助けに来た頃には、もう手の施しようもなかったみたいだ。お母さんが言うには、それが最悪の状況なんだってやりすぎだって……」
「でも、いじめる人がやり返されただけでしょ? みんなのお母さんは、それがダメだって言いたいの?」
パチキの言葉にカノンが反論する
「そうね、やり返しただけ。そうだとしても、そうは思わない奴がいるのよ。例え、最初に手を出したほうが悪くても、反撃したメラが悪いみたいに責める人がいる……ほら、まえ私達が尻叩きをされた時のことを話したじゃない? 私達ニコニコハウスの子供を馬鹿にした奴らを叩きのめした時に、やりすぎだってお母さんに怒られたこと……それも、おんなじ理由。やりすぎると、最初に手を出したほうが向こう側でも、こちらが悪い事にされる口実を作られてしまうんだって。
だから、私達はやりすぎるなって、お母さんに釘を刺されているし、それに……あなたに手出しをさせるなって、言われている。今日貴方に突っかかろうとした奴らに、私達が積極的に前に出たのもそのせいよ。あなたを守るため」
「私は手を出しちゃいけないの?」
イレーヌの言葉を聞いてカノンは問う。イレーヌは静かに頷き、その言葉を肯定した。
「どうしてもと言うのならば、毒々や痺れ粉ならいいわ。街の中でなら猛毒になっても誰かしらがアロマセラピーとか、癒しの鈴も使えるからね」
イレーヌがそう言った横で、パチキも頷いている。
「面倒だけれど、それがカノンを守るためなら、俺もそうするぜ。あんな奴らにカノンが馬鹿にされるのは我慢ならねぇ」
「僕も……今はまだ弱いけれど、いつか頑張るよ」
ここで乗り遅れてはいけないと空気を読んだのか、テラーもそう言って、パチキに続く。
「そうね。私達の妹だもの、テラーにとっては姉でもあるし、私達が全力で守らなくっちゃね」
カノンが不満そうな顔をするので、それにフォローするようにパチキ、テラー、イレーヌが言う。
「わかった……私は手を出さないように頑張る。でも、皆に心配をかけないように、攻撃を喰らわないように頑張るよ」
まだあまり納得がいかない様子ではあるが、カノンも自分が置かれている状況は何となく理解したらしく、ぶすっとした調子で彼女は言う。
「けれど、そのメラ先輩に因縁つけた奴ってのはちんこなくってどうやってションベンするんだろうなー?」
話題が重くなったので、パチキは話題を変えようと、変な話題を持ち出した。
「ねー。チンチンなかったらおしっこできないよ」
「えーでも、私そんな物なくっても出来るよ?」
その話題の転換にテラーもカノンも乗るものだから、イレーヌは一人恥ずかしそうにしている。
「知らないわよそんなの。私達だってそんなものなくても出来るんだから何とかなるでしょ! アウリー先輩もないはずだし……っていうか、ちんちんちんちん五月蠅いのよ! もう少し遠慮しなさいな!」
「あはは、ごめんごめんイレーヌ。お前にゃ無縁の話しだったな」
「無縁とかそういう問題じゃない。、まったく、女子の前でそんな話しないでよね」
「あ、分かったお前羨ましいんだろ?」
「羨ましくなんてなぁい!!」
毛皮じゃなければ、顔が真っ赤になっていたことだろう。イレーヌはパチキのからかう言葉に、ムキになって反論をしてみなに笑われるのであった。
そうして数日後。ランランタウンでは、買い物中にいつの間にかテラーがいなくなっており、カノン、イレーヌ、パチキは心配して街を探索していた。そんな時、イレーヌの頭にくしゃくしゃに丸められた紙が投げつけられる。匂いを嗅いでみればそれはテラーと、アルト、ポルトの匂いがする。文字は明らかにテラーの文字で、つたないながらに頑張って書かれている。
恐らく、文字を書けない二人はテラーに書かせたのだろう。
「で、なんて書いてあるんだ」
イレーヌがカノン、パチキと合流したところで、パチキが問う。
「要約すると、テラーを誘拐したから。指定した場所まで来いってさ。そこで決闘するから、もしも来なかったらテラーをひどい目にあわせるんだって。場所はザワザワ草原の入り口近くだね……あいつら、ダンジョンの奥地とかで待つもんじゃないのかしら、こういうのって」
全く、どこまでも相手のし甲斐がない奴だとイレーヌがため息をつく。
「弱いからダンジョンを抜けるのも無理だろ、あいつらじゃ。確かに、なんというかダンジョンの奥地で待っていてほしいよなぁ……こう、強者の風格を出すなりしてさぁ。なんというか、そういうお約束を無視するって、少し情けなくないのかな……」
パチキも、これでは戦う前から意気消沈だとため息をついた。
「そんな事より、テラーが危ないんでしょ!? 早く助けに行かなきゃ!」
焦るカノン。
「あー、まぁ、適当にね」
それに対してイレーヌは、ため息交じりに面倒くさそうに言うのであった。
一方、アルトとポルトは、ザワザワ草原の入り口近くで、多数の罠を作りながら待っていた。パチキに対して効果が高い、足を引っかけるとロープが絡まり木の上に釣り下げられる罠や、足を踏み入れるとネットが降ってくる罠などをわざわざ自作して待っていた。
「あいつら、来るかな?」
「こっちはテラーを人質に取ってるんだぜ? 来なかったらひどい目にあわせるって書かせたんだ、絶対来るさ」
などと、ニンフィアのポルトとエーフィのアルトは呑気な会話をしている。
「ほう、誰が誰を酷い目にあわせるというのだ?」
が、呑気な気分は低いその声で遮られる。
「え?」
と声を上げて振り返れば、そこには両腕を組みながら仁王立ちをしているミュウツー。要するにシャムロックの姿がそこにある。彼女……いや、いまは彼というべきか。彼はすでに手足の革のバンドを外しており、臨戦態勢である。
「あ、お母さん! 助けに来てくれたんだね!?」
悪ガキ二人に捕まってしまい、怯えていたテラーは嬉しそうに声をあげる。
「あぁ、すまないなぁこんな目に逢わせてしまって。もう安心だから、ちょっとそこで待っててくれ。浮いていれば罠にはかからないと思うけれど、気をつけてな」
「うん」
シャムロックに優しく言われ、テラーは嬉しそうにその場を離脱し、シャムロックのやり取りを遠巻きに見守る。それを見届け、シャムロックは振り返る。
「さぁ、繰り返し言ってみろ。誰が、誰を酷い目にあわせるというのだ?」
「な、なんでここにあなたが居るのですか……?」
シャムロックの質問に答えられず、アルトが怯えながら質問をする。彼の尻は下がり、自然とお座りの姿勢を取っていた。
「うーん……それについてなんだが、イレーヌから伝言だ。『このザワザワ草原に来いとは書かれていますが、誰が来るべきかについては書かれていなかったから、とりあえずお母さん、シャムロックさんを向かわせます。心行くまで決闘してください』だそうだ。だから私が来た」
シャムロックが告げるイレーヌの言い分を聞いて、悪ガキ二人が思ったことは『しまった、きちんと人を指定するべきだった』という的外れなものである。だが、問題の本質はそんな事ではなく、そもそもニコニコハウスの子供達を敵に回すという事は、このシャムロックを敵に回すという事なのだと、気付くべきだったのだ。
「で、今度は私の質問に答えてもらおうか。お前は、誰が、誰を酷い目に合わせるつもりだったのだ?」
普段のシャムロックは、小さな子供と話す際はきちんと娑婆むなりして視線を合わせるのだが、今回アルトとポルトと話す際は、むしろ足が相手の首の位置に来るくらいまで浮かせて全力で見下ろしながらの対話である。その威圧感は並大抵ではない。
「ぼ、僕達が、テラーを」
ポルトが言う。
「ほほう。それはそれは物騒な。しかし、ウチのテラーが何か悪い事をしたのか? そうであれば、こちらとしても謝罪をせねばならんが……」
「何も、してないです」
目を逸らしてポルトは言う。
「ふむふむ、何もしていないのか。ではなぜ、テラーがひどい目にあわねばならないのだ? 私のも分かりやすく教えてはくれないか?」
「そ、それは……人質のために……決闘のために……以前、人質を取らなかったら、イレーヌ達にすっぽかされて夜まで待ちぼうけで……そうならないように人質を取ったわけで……」
「それは一方的に約束するからだろう? ウチの子供は、お互いに交わした約束を一方的に破棄するような子ではないと思ったが、もしかしてその時はそんな悪い事をしたのか? ならば叱ってやらなければいけないなぁ。約束をしておいて破ったなら、な」
そう言って、シャムロックの鋭い眼光が二人の悪ガキを射抜く。二人はもはやお座りの体勢すら出来ずに伏せの体勢を取るしかない。
「で、実際のところはどうなんだ?」
「パチキ達に一方的に約束を押しつけました……なので、あっちは悪くないです」
アルトがうつむきながら答える。
「そうかそうか、ならば私は可愛い子供達を叱る必要もないというわけだ、それは良かった」
そう言って、シャムロックは微笑み、コホンと咳払い。
「で、お前達にお尻叩きをする回数だが……私はお前達に決めてもらおうと思う。まず、お前達は今回のもめごとが自分のせいなのか、それとも双子の兄弟のせいなのかを選ぶことが出来る。
自分が悪いと思うのであれば、この一〇〇と書かれた百ポケ硬貨を上にしてくれ。そして、相手が悪いと思うのであれば、何も書かれていない方を上にして地面に置くんだ。
それで、もしもどちらか一方が悪いというのであれば……一方の尻を百回叩く。つまり一人だけが死ぬほど痛い思いをするというわけだ。そして、お互いがお互いを悪いと罵り合うのであれば、その時はお前達の尻を六〇回ずつ叩く。とても痛い。しかし、お互いが自分を悪いと反省するのであれば、その時は仕方ない、お互いの絆に免じて二人を四〇回叩くだけで許してやろう。
さて、一切の相談は不可能だ、声も出させない、表情も伺わせない」
シャムロックは空間に穴をあけ、体一枚を拭くことが出来そうな大きな布きれを取り出した。それでお互いの表情を伺えないようにして、シャムロックは再度の説明を始める。
「さて、一〇秒以内に地面の上に百ポケ硬貨を置いてもらおうか。自分が悪いと思うのであれば、数字が書いてある方を上にすればいい。ちなみに、尻を叩く回数が総合的に一番多いのが、二人が悪いと罵り合った時。次が、一方が悪いと思った時だ。だけれど、一方が一方を庇うというのもいいものだぞ? なんせ、一方が百回尻を叩かれるだけで、もう一方は無傷でいられるのだからな。
ちなみに、総合的に尻が叩かれる回数が一番少ないのはお互いが自分が悪いと言って相手をかばい合った時だ。これを選ぶのが最適というのは言うまでもなくわかるな? だが、もしも一方が自分は悪くないと主張し、もう一方が自分が悪いと認めた場合、一人が一方的に尻を叩かれることになってしまうわけだなぁ。まぁ、だが自分が悪いと自覚しているのであれば、それも致し方なし、という事だ。どうするのが自分にとって、そしてお互いにとって得か、きちんと考えるといい。
そして、もう一つ。そろそろ決めてもらうために、カウントダウンを始める。カウントダウン終了までに、どちらも決められなかった場合は、二人の尻を百回ずつ叩く。どちらかを決めたほうがお得であることは言うまでもないな?」
にやりと笑って、シャムロックがカウントを開始すると、二人は慌ててコインを確認し、地面に置く。
「十、九、八、七、六、五、四、三、二、一、ゼロ……」
カウントを終えて、シャムロックは二人を仕切っていた布を持ち上げ、空間に穴をあけて布きれをしまう。
「二人とも数字を書いていないほうが上になっている。つまり、二人に六十回ずつ尻叩きと言うわけだな?」
シャムロックが二人を見下ろしながら、口元をゆがめる。悪ガキ達は恐怖で顔をゆがめ、恐れおののくその顔は、今にも泣きだしてしまいそうだ。
「なぁ、分かるかお前ら? 確かに、災厄と言うものはどこからともなくやってくるかもしれない。だがな、そう言う時に自分だけ得をしたい、自分だけ助かりたい、そういう思いで他人の足を引っ張り合う事で、結果的に己の首を絞め合うこともあるし、災厄の被害は悪化していくのだ。そうだろう? お互い、自分だけでも助かりたいと思う心を持つから、四〇回で済むところを、六〇回になってしまったのだ。
それに、今回お前らの尻が大変なことになるのは、天災のせいでも何でもない……まぎれもなく、お前らが無用なことをしてしでかした人災だ。どうして、色違いだなんだとくだらない事でわめいて、こんな事態を引き寄せようと思うのか、私は理解に苦しむよ」
「ごめんなさい……その、勘弁してください」
ポルトがリボンで自分の体を隠すようにして言うが、シャムロックはそれを鼻で笑う。
「そんな言葉を出すくらいならば、最初から人に危害を加えようなどと思わなければいいのだ。分かるか? こうして私に尻を叩かれる災厄は、お前が引き起こしたものだ。断じて、あの色違いのスボミー……カノンが引き起こしたものではないぞ? いや、色違いを疎ましく思うお前らの心こそが災厄を連れてきたというべきか。理解出来るか?」
「分かりました! ごめんなさい! ごめんなさい! 俺達が悪かったです! もう二度と色違いを馬鹿にしたりしません!」
「そうか、ならば六〇回黙って叩かれようか。そうすれば、二度と間違いを起こすこともなかろう」
アルトの必死の謝罪に、シャムロックは笑みを浮かべてそう言った。シャムロックは悪ガキ二人を無理やり、前足を地面に固定して尻を突き上げた体勢にすると、手を近づけて一思いに……叩かない。
「そうだ、せっかくだしどんなリズムで叩くか決めるか。『パパパン パパパン パパパン パン』ならちょうど十回。『パパパンパン パパパンパン パパパン パパパン パンパパパンパパパンパパパン』でもいいな。これなら一ループで二四回だから、十二回ずつ叩けば丁度六〇で割り切れる。よし、後者のリズムで行くか」
独り言ちて、シャムロックは手を近づけて一思いに……叩かない。
「あぁ、そうだ。叩く前に、数えるときは一から数えて行くか、それとも六〇から減らしていくかを決めておかねば」
「あの……お母さん。もう早いところ済ませて帰ろうよ」
テラーもさすがにかわいそうになってきてそう言うが、シャムロックは今の状況を楽しんでいる。
「いや、しかしこれは重要な事だと思うのだがな……まあいい、今度こそ叩こう……と思ったが、先にどっちを叩くべきか考えよう」
「……母さんって、ものすごい意地悪」
こうやって、何度も何度も焦らしながらシャムロックはその反応を楽しむ。掛け声はどうしようかとか、どちらの方角を向いて叩こうかとか、どうでもいい事を考えて何度も寸止めを繰り返して煽り続け、飽きてきたところで突然叩いて、悪ガキ二人を悶絶させるのであった
「ただいまー」
数分後、テラーはシャムロックに連れられて帰宅する。
「あ、お帰りテラー。心配したけれど、あいつらが馬鹿でよかったよ。お母さんも、迷惑かけてごめんなさい」
パチキはテラーを温かく迎え入れ、シャムロックに頭を下げる。
「いいのよ、皆。迷惑をかけたのはあいつらであって、カノンでもパチキでも、イレーヌでもないから」
「そうそう、パチキ。こういうときはごめんなさいじゃなくってありがとうって言うのよ。ありがとう、お母さん」
シャムロックの言葉に補足するようにイレーヌが言う。
「みんなのお母さん、ありがとう」
イレーヌの言葉に促されるようにカノンも言う。
「えぇ、どうも。それにしても、今日は皆カノンをきっちり守ってくれたみたいで偉いわね。カノンがあいつらに暴力を振るわれても、逆にこちらから暴力を振るってもまずいことになると思ったから釘を刺しておいたけれど、皆が聞き分け良くってお母さん助かるわ」
「俺達は奴らに好き勝手言われるのが我慢なんねーんだ。別にカノンのためじゃねーぜ」
「あら、私はカノンのためにやってるわよ? パチキは照れ屋さんね」
テレを誤魔化すように強がるパチキと、カノンのためだと公言するイレーヌ。そんな二人を見て、シャムロックは可愛い子達だと笑みを浮かべ、カノンは二人に守られるだなんて嬉しいなとはにかみ、テラーはいつか自分もあんな風にカノンを守れるようになりたいと思っていた。
「今日はご褒美だ。夜にちょっとした空の散歩でもしようか。行きたい奴は手を挙げてくれ」
いい子を拾えたものだと思い、シャムロックは言う。すぐさま全員が手を挙げるのを見て、シャムロックの気持ちは穏やかに満たされていくのであった。
一方その頃、アルトとポルトは尻を真っ赤に腫らして歩くことも辛い状態で、ノロノロと家路についている最中である。その後さらにスカタンクの母親に怒られるという踏んだり蹴ったりな結果になり、酷い目にあった二人は以後しばらく大人しくなるのであった。