私を超えて欲しいのよ
ユージンが世間話をしている一方でカノンは戸惑っていた。広い家に、たくさんの子供がひしめいているというこの状況。みんながみんな珍しがって自分の事を見ていて、気味が悪いのだ、とはいっても、今までの旅路で見てきたような、さげすむような、苛立つような、そんな怖い目ではなく、興味津々の好奇の目なのがまだ救いだ。
まずは、家の中の案内をしてもらえた。トイレが二つ、広間が三つ、そして台所、蔵書室、倉庫など。自分の家と違って広い家で、部屋数も多い。広間は勉強部屋や食事部屋、寝室も兼ねていて、大抵のことはここで済ませられるようになっている。蔵書室はシャムロックの私室も兼ねていて、また家に住んでいる子供達が個人的に勉強したい場合もここを使うらしい。
庭は運動場になっていて、そこでは普段は子供達が遊んでいるらしいが、今は皆が広間に集まっていて、どんな遊びをしているのかはうかがい知れなかった。
「皆、集まってくれてありがとう。この子が、今日からみんなと一緒に暮らすカノンちゃんよ。仲良くして、イジメなんてしないようにね」
シャムロックが皆に呼びかけると、元気な声が広間に響き渡る。ぎゅうぎゅう詰めの広間には、大きい子、小さい子、同年代も土地上も年下もいる。まだ言葉もしゃべれないような子もいて、今の大声で泣き出してしまい、その子を抱いていたブーバーは慌てて他の部屋へと避難していた。
「それでは、皆自己紹介をしてあげましょう。一回じゃ覚えられないかもしれないから、しばらくは名札をつけて……と、言っても文字は読めないかしら」
シャムロックが皆に呼びかけると、皆我先にと手をあげるので、ならば端っこから順番にしろとシャムロックは苦笑する。
「とりあえず、最初の自己紹介はカノンちゃんから、練習した通り、元気にやるのよ」
「えっと、あの……私はスボミーのカノン、六歳です。今までずっと家に中にいたので何もわかりませんけれど、よろしく……おねがい……します」
緊張してはいたが、すべてを間違うことなく言い終えて、カノンはほっと息をつく。
「んじゃあ、俺から。俺はチョロネコのミック。見ての通り色違いで……年齢は一四歳だ。俺はここで皆に勉強を教えているんだ。よろしくな。来年には卒業して、街の子供のために学習塾を開くんだけれど、俺はこれからもここで勉強を教えに来るから、長い付き合いになるぜ。ちなみに進化するかどうか迷っている最中なんだ、進化すると二足歩行できなくなるからなぁ……まぁ、どっちの道を選んでも、俺の事はよろしくな!」
チョロネコの男性ミックは、元気いっぱいに自己紹介を終える。
「次、私ね。私はダンジョンエクスプローラーやってるクリムガンのシュリン。一三歳です。ちょっと近寄りがたい肌してるけれど、正面からぶつかれば痛くないから、抱きしめてあげてもいいのよ?」
クリムガンの女の子は、大きな口元を手で隠しながらそう言った。
「次は僕かな? 僕は……えっと、ホーホーのアウリー、九歳だ。今は特に働いていないけれど、将来は夜間高速便をやるつもり。どこか行きたい場所があったら、軽い子なら運んでいけるから何でも言ってね」
ホーホーの男の子がはぺこりと頭を下げる。
「次は私か。私は、マッスグマのナオ。シュリンの二つ下で、一緒にダンジョンエクスプローラーをやっている。小さい頃に隣町で両親が強盗に殺されてしまい、ここに引き取られたが……なんとかやってるよ。腹太鼓と早食いが自慢なんだ。曲がったことは大嫌いだから、何か理不尽なことがあったら教えてくれ、すぐに駆けつけるぞ」
マッスグマの女の子は、自信満々に自己紹介する。その後も、そんな調子で自己紹介が行われ、そのうちに同年代が固まっているところに行きつく。
「私、ドーブルのイレーヌ、七歳です。お絵かきが大好きなので、将来は技を教える道場を開きたいです」
それがお絵かきに繋がるかどうかは不明だが、とりあえずそう言って彼女は笑う。
「俺はズガイドスのパチキ。頭突きが得意だ、よろしくな。ちなみに七歳だ」
見るからに頭突きの得意そうな見た目の彼は、言わなくても分かることを自慢げに言って自己紹介を終える。
「僕はムウマのテラー。手先が器用だから、将来はいろいろ物を作る仕事をしたいな。五歳なんだ」
今のところ、この部屋で一番低年齢なのは彼だろうか。あと一人の子はブーバーの女の子が連れて行ってしまった。
「そうそう、さっき出て行ったピンク色のブーバーの女の子だけれど、あの子はメラって名前で今は一〇歳。ピーピーマックスやピーピーエイダ―を作るのが上手で私達も毎日飲ませてもらっている。普通の料理も得意だし、子供をあやすのも得意というお母さん気質なお姉さんだ。
それで、あの子が抱いていたコロボーシだけれど、名前はボックル。あの子は君と同じ色違いでね……生まれてすぐにここに預けられた男の子なんだ。歌を歌う……と、言っても今はただ音を奏でてるだけだけれど、歌うのが好きなかわいい子だよ」
先程出て行った二人の事は、ナオが代わりに紹介をする。カノンはそれに頷いてシャムロックを見る。
「さて、これで全員の紹介が済んだわね? 本当なら、カノンちゃんも勉強をするべき年なんけれど……文字が読めなくってそういうわけにもいかないよね。だから、しばらくみんなの勉強の時間は、テラーと一緒に遊んで見るのはどうかな?」
全員が紹介し終えたところで、シャムロックは床に座ってカノンを抱き上げ、目線を合わせながら話をする。
「遊んでいていいの?」
「子供は遊ぶのも仕事だからね。それに……君は家からほとんど出たことがないんでしょ? それだったら、多分外で遊んだこともないと思うけれど……多分、この街に来るまでの間も、お母さんにおんぶしてもらっていたんじゃないかな?」
「うん。ずっと家にいて……だから、すぐに疲れちゃって、ずっとお母さんにおんぶしてもらってた」
「そっかー……やっぱり。だったら、まずは思いっきり体を動かすことを覚えないとね。いっぱい遊んでいっぱい疲れたら、いっぱい食べていっぱい眠りなさい、すごく楽しくって気持ちいはずよ」
シャムロックは、精一杯の微笑みをカノンに投げかける……が、眉間の縦ジワのせいか、笑顔が下手なのか、あまりに怖いのでカノンは目を逸らした。
「は、はい」
「あの、目をそらさないでね。私、ちょっと傷つくから……これでも私だってみんなのお母さんとして親しみを持てる自分であろうと頑張っているんだからね?」
「ご、ごめんなさい」
「まだ目が逸らされてるし……まぁ、いいわ。とりあえず、今日は皆と仲良くなってもらうためにも、美味しい食事を皆で囲むから、これから台所に籠るわね。いい子にしていない子にはお夕飯あげないから、ちゃんと席についておくのよ?」
シャムロックの視線は、まっすぐにパチキの方を向いている。この家では彼が最も落ち着きがなくて、勉強中もじっとしてられないのだが、その視線の意味はまだカノンにはわからなかった。
カノンと同年代の子は、基本的に勉強の時間は午前中である。そのため、昼を過ぎている今の時間は、子供達は自由時間である。そんなわけで、早速遊ぶことになったカノンたちだが、いきなりバトルをするわけにもいかないし、身体能力が種族の差によって大きいためかけっこなどもこの組み合わせでは出来ない。
そんな時、使われるのがドッジボールだ。ダンジョンに潜るに当たり、基本の動作である道具を投げる、攻撃を避ける、受け止めるといった動作を学ぶことが出来、戦いとなった時にも相手の攻撃を冷静に避けたり受け止めたりといった力を培うのにはもってこいだ。将来戦いを生業にすることがなくとも、基礎体力をつけるには悪くない。そして何よりもこの孤児院は、とある理由により武闘派だ。
シャムロック自身が戦闘狂な一面があるというのもそうだが、基本的に自分の実を自分で守れるようになるために、強さを高めようというのがこのニコニコハウスの教育方針である。
さて、ドッジボールのルールだが、基本的には外野と内野に分かれ、相手は内野のポケモンに向けてボールを投げ、当たったら内野の者は外野に移る。外野から内野のポケモンにボールを当てた場合は投げた者が内野に戻ることが出来、内野がいなくなったチームが勝ち、というルールである。とはいえ、今は四人しかいないため、今回のルールは少し改変され、ボールが当たったら味方の内野と外野を入れ替えるというルールで、頻繁に内野と外野が入れ替わるようになっている。
全員がまんべんなく遊ぶためには、このルールが一番いいのだ。
最初は仕方ないと言えば仕方ないのだが、カノンはキャッチどころかまともにボールを避けることも出来なかった。一番攻撃能力が高く、手加減という言葉を知らないパチキは味方につけることでカノンへのあたりを弱くする。そしてある程度手加減の出来るイレーヌとテラーが相手をしてくれるのだけれど、それでも怖くて目を瞑ってしまい、適当に避けようとするも逆に顔面へクリーンヒットしてしまうこともしばしば。投げ方もお粗末で、簡単に言ってしまえば話にならなかった。
これでは、遊びにならないので、早々にドッジボールは止め、となり、まずは投げたり受け止めたりの練習から始めるという事になった。
さて、こういう時に活躍するのがドーブルのイレーヌであった。彼女は将来道場を開きたいと言うだけあって、動作を教えることについてはこれ以上ないほどに上手なようだ。スボミーとドーブルでは体型は全く違うのだが、絵を描いて、分かりやすく動きを説明することで、カノンもどのように動けばいいかはわかって来たらしく、彼女がボールを投げる動作は何とか形になって行く。
そして受け取る動作だが、これについては投げてもらって、それを受け止めることから始まった。最初は、ふわりとした軌道でやっと届く程度のスピードで。それに慣れてきたら、どんどんと速度を速めて行くといった調子で、少しずつスピードに慣れてもらう。
驚いたことに、カノンはボールを見ることが出来るようになってからは、ボールを当てられてしまっても、弱音を一つ吐かなかった。イレーヌも手加減はしたものの、ボールに当たれば痛いのは変わらないはず。それでも、皆で遊ぶという行為がよほど面白いのだろうか、少し強めに投げられて、受け止めきれずに顔面にぶつかってもなんだか楽しそうにしている。
「カノンちゃん……大丈夫? 痛くないの?」
さすがに、テラーも心配になってそう尋ねるが、カノンは首を横に振った。
「ちょっと痛いけれど、大丈夫。私、楽しいから」
彼女の目は一点の曇りもなく、朗らかに笑んでいる。家の中で、お手玉やおはじきのような体を動かさない遊びしかしてこなかった彼女には、こうして体を動かすのが例えようもなく楽しい。確かにボールが当たるのは痛かった。家の中では体験しない痛みだったかもしれない。でも、それが気にならないくらいに、彼女の中では楽しいのだ。
「そっかー、なら安心だね」
テラーは彼女の返答を聞いて、安心して喜んだ。
「そ、そう……それならいいけれど……」
イレーヌも心配していて、彼女の言葉には少しほっとしたが、それでも本当に大丈夫なのかという心配は尽きず、素直には喜べなかった。
「だったら、俺のボールも早く受け止められるようにならねーとな」
パチキの方はと言うと、心配する二人と違って、彼女の体の心配など微塵もしておらず大事なのはこれからもっと遊びが楽しくなるか否かである。手加減知らずなところも相まって、厄介な性格である。
結局、皆はお菓子タイムを挟みつつ暗くなるまでお庭で遊び、シャムロックが食事の準備で皆を呼び寄せるまで、ドッジボールの練習を続けるのであった。
そのころには、転んだり転がったりでカノンは泥だらけになってしまい、食事の前に軽く体を布で拭けと、シャムロックに呆れられるのであった。
体を拭くために広間に行くと、生まれて初めて見るような豪華な食事が並んでいる。それを大人数で食べるなどと言うのはもちろん初めての経験で。その料理を見てから体を拭くように言われたカノンは、気持ちが急いてしまって仕方がない。夕食は逃げないのだから焦るなと、年上の皆から諌められるが、そんなの聞こえちゃいなかった。
草タイプ向け、肉食向け、草食向け、鉱物食向け、精神食向けと、様々な食べ物を用意した食卓が目の前に待っているのだ、はしゃぐ気持ちを抑えられるはずもない。動き回ってお腹もすいた分、食欲はこれまでにないほど高まっている。シャムロックや先輩から待てとたしなめられなかったら、空気を読まずに飛び出してしまいそうだった。
「さぁ、皆。お腹もすいていることでしょう。今日はカノンちゃんが私達のニコニコハウスに入ってくれた記念として、私とホリィおばさんが腕によりをかけて作ったから、皆存分に味わって食べるのよ。今日の食材、いつもの三倍の値段なんだから、三倍味わって食べるのよー」
我ながら自信作だと思って、シャムロックは皆の反応を楽しみにしながら前振りを言う。
「それじゃあみんな、土と水、そして太陽の恵みに感謝して……いただきます」
皆の顔を見まわし、そしてシャムロックがいただきますの合図をする。皆、一斉にかぶりつこうとするのを見て、これならば作った回もあるとシャムロックは笑顔になった。食事会はビュッフェ形式で、皆は取り皿に隙なだけ料理を盛って食べることになる。背が低いポケモン達には大きな先輩が代わりに取って上げたり、持ち上げてくれたりと、フォローはきちんと行われる。
そうして食べた料理の感想は……
「美味しい……」
カノンは、思わずそんな言葉を口にする。
「どうよ、俺達のお母さんは料理の腕も一流なんだぜ?」
まるで自分の事のように、チョロネコのミックが言う。彼は魚がお気に入りらしく、焼いて塩を振りかけられた川魚を夢中で頬張っている。
「皆のお母さんなんでも食べるからねー。鉱物とか、草タイプ用の土入りとか、恐怖やら悲しみやら得体のしれないものまで何でも食べるから、皆にとって何が美味しいかもわかっているんだって。私も料理の腕を見習わなくっちゃ」
ブーバーの女の子、メラは上品にグラタンをよそっている。まだ熱々ゆえ、他の子はまだふーふーと息を吹きかけ冷ましている最中だが、彼女は炎タイプなだけあって全く問題ないのだろうか、臆することなく食べている。
ムウマのテラーは恐怖の感情を封じ込めたという(よくわからない)サクサクの砂糖菓子を食べ、クリムガンのシュリンは肉も野菜も区別なく豪快に食べている。みな、思い思いに好きなものを食べ、楽しんでいる。体が大きいポケモンは小さいポケモンのために取り分けてあげるなどして、和気あいあいとした食事風景が広がっている。
肝心のシャムロックは、メラの言う通り本当に色々なものを食べている。錆びた鉄の塊やら、栄養たっぷりのふかふかの土やら、野菜サラダやワカシャモのから揚げなど、何を食べても美味しそうにしている。無理して作る笑顔よりも、美味しい物を食べて自然に緩む顔の方がはるかに穏やかなのは、なんとも残念なことである。
この食事会の間、カノンは色々なことを尋ねられるが、しかしずっと家にこもることしか出来なかった時彼女には、ろくに答えることは出来なかった。カノンは母親の手伝いで、杖を向けた相手に様々な効果を付加する不思議枝職人の手伝いをしていたくらいしか話すことがなく、話の引き出しは非常に少ない。
ならばと、代わりに経験豊富な先輩たちがいろいろな話をしてくれるのだが、例えば綺麗な虹も、満開の花畑も、山の斜面に作られた青い棚田も、そう言った色々なことを見たことのない彼女にとっては、いろんな話がぴんと来ない。彼女の中にある、あらゆるものが不足しすぎて、先輩の話の大半が想像すらできなかった。
そうして、理解できずに困っているところを察してか、メラはカノンのために優しく先輩たちの会話を遮った。彼女も小さい頃は外に出ることが出来なかった色違いであるため、会話の引き出しが非常に少ないという事については覚えがあるし、今でもランランタウンを離れることが出来ないため、メラは未だに人一倍会話の引き出しが少ない。
「ねぇ、カノン? いっぱいお話して疲れない?」
「うーん……よくわからない。少し眠いけれど、でもすっごく楽しい……皆が言っていることはよくわからないけれど、すごく楽しそうで、聞いているだけで楽しいの」
「そっか。じゃあ私が話を遮ったのは、なんていうか……邪魔だったかな?」
「ううん、楽しいけれど、皆の話が難しすぎて、最後の方はよくわからなくって……だから、休むのにはちょうど良かったかも」
メラの気遣いはカノンにとってはありがたかったらしく、カノンの言葉を聞いて、メラも思わず顔がほころんだ。
「最初はやっぱり疲れるよね。私もそうだった。今まで、見たこともないくらいにたくさんの人とお話して、そんなの初めての事だったから、すっごく疲れた。あなたを見ていると、その頃の自分を思い出しちゃったな」
「お姉さんも、ずっと家を出られなかったの?」
「うん。家族と並ぶと一目で色が違うのは分かるからね。だから、ずっと家から出してもらえなかった。そんな中で、私の家族はこのニコニコハウスの事を噂で知って……ペリッパーに手紙を託して、こうやってここに住むまでこぎつけたの。初めは、外の広さに驚いて、歩くのに疲れて……遊ぶことすらロクに出来なくってさ。なにをするにも苦労と驚きの連続だったよ」
「そっかぁ……私もメラさんとおんなじ感じだね。じゃあ、私も将来はメラさんみたいになるのかなぁ?」
「そうだね、きっと苦労もするし驚きもすると思う。でも、その驚きは、嫌な驚きじゃないはずだよ。だから、一杯楽しんで、一杯勉強しよう。そうやって、立派な大人になりましょう?」
「大人、かぁ……」
大人と言うのは何なのか。母親と父親しか知らなかった自分には考えたこともない事だ。シャムロックも大人なのだろうが、しかし彼女が何をしているのかを、カノンは知らない。皆が素晴らしい人だとか、あの人に助けてもらったとか、そういう言葉を口々に言うので、シャムロックはすごい人という認識ならあるが、それが具体的にどういうことなのかはわからない。
大人って何だろう? ささやかな疑問がカノンの中に生まれるのであった。
食事会が終わると、子供達は消灯時間まで室内で出来る遊びをする。主に行われるのはトランプのようなカードゲームやリバーシのようなボードゲームなのだが、その他勉強に時間を使う者もいるし、積み木などで一人遊びをしたり、お絵かきや工作など、時間の使い方は様々だ。
ただ、今日はその前にカノンはシャムロックの私室兼蔵書室に呼ばれ、二人っきりでの会話をする。シャムロックはカノンと比べると非常に大きいため、彼は椅子に座り、カノンは机の上にちょこんと座る。それでもカノンはシャムロックを見上げなければならない。スボミーとミュウツーの身長の差は、それくらいに極端だ。
「一日目の活動、お疲れ様でした。今日は楽しかったかな?」
「うん、楽しかった。いっぱい遊んだし、一杯話したよ。それでさ、皆すごく物知りで、お母さんが知らないことをたくさん知っててね、それでみんなの言っていることはよくわからないんだけれど、すごく、すごくって……本当にすごいんだから」
興奮して話すカノンを見て、シャムロックは自然と頬が緩む。どうやら、初対面の時に怖いと思っていた恐怖心はすっかり消え去っているようで、カノンの顔にシャムロックに対する恐れはもうない。
「よかった。みんな君を歓迎してくれたんだね」
「うん、してくれたよ。だからすごく楽しくって、嬉しくって……お母さんがいないのは寂しくって怖いけれど、顔も見たいし、でも、皆がいるから怖くないよ。それでね、私今日ドッジボールっていう遊びを教えてもらってさ。ボールの投げ方とか受け取り方を覚えて、すっごく楽しくって、皆と一緒に遊んだの」
「うんうん。今までお外で全然遊べなかったもんね。だから、何をやっても楽しいんだね」
「そうだよ。ありがとう、シャムロックさん!」
「どういたしまして。でもね、カノンちゃん。私の事は……その、お母さんって呼んでくれると嬉しいな」
たくさんの卒業生を見送ってきた今になっても、こうやって呼んでもらうのは少し照れくさい。けれど、ニコニコハウスの孤児たちにこうやって呼ばれるだけで、シャムロックは幸せな気分になれるため、今ではこう呼んでもらわないことには、気が済まないくらいだ。
「えー? でも、それだと私のお母さんと、シャムロックさんと、どっちがどっちだかわからなくなるからやだ」
「なら、『みんなのお母さん』って、呼んでくれるかな? それなら、どっちだかわかるでしょ?」
「うーん……そうだね! みんなのお母さん、だね」
カノンが屈託のない笑顔でそう呼ぶと、シャムロックの胸は幸福感に包まれる。我ながら単純なものだと、シャムロックはちょっとおかしかった。
「それでね、カノンちゃん。これからもニコニコハウスで暮らす貴方に、私から一つお願いがあるの」
「お願い? なあに?」
「そうだねぇ。貴方は、これからどんどん大きくなって、そして大人になって行く。今はどんな大人になるかは分からないけれど、貴方は……素敵な大人になれるかな?」
「うーん……わからない」
「そうだよね。今は分からないね。でもね、もしよかったら……いや、出来る限り、貴方は私よりも素敵な大人になって欲しいの」
「皆のお母さんよりうも素敵な大人になるの?」
首をかしげるカノンに、シャムロックはうんと頷いた。
「そう、素敵な大人。私は、こうやって、普通に親と暮らせない子供達を助ける仕事をしている。そして皆も、人を助けたり、喜ばせたりする仕事が出来るはず。出来ることなら、そうやってみんなに必要とされる存在となって欲しいの」
「うーん……なれるかなぁ? 皆に必要とされるって、よくわからないし」
「そうだね。今はまだわからないのは仕方がないね。でも、貴方もこの街で暮らすうちに、きっとみんなを喜ばせる方法、楽しませる方法、そして、ありがとうって言われる方法が見つかるはず。そして、憧れるような大人に出会えるはず。憧れるのは、私かもしれないし、このニコニコハウスの卒業生かもしれない。そして、また違った誰かかもしれない」
「誰なの?」
答えを急ぐカノンに、シャムロックは微笑み返す。
「ふふ、先の事なんて私にもわからないわ。だけれど、意識することは出来る」
「意識する……?」
「うん、意識する。つまりね……考える事。例えば、お家の中で何かを無くした時に、探そうと思わないと気付けない事ってあるでしょ?」
「あぁ、確かに。たまに、棘のお手入れに使うやすりを無くしたりして、お父さん困ってた……」
「そういう時に、やすりを探さなきゃって思わなかったら、そこら辺にやすりが落ちていても何も気にしないでしょう? それと同じ、カノンちゃんはね、どんな大人になりたいかを探して、考えながら生きて欲しいの。そして、なりたい大人の形が決まったら、それを目指して頑張って欲しいの」
「なりたい大人かぁ……」
「何でもいいの。今からならば、なんにでもなれるよ。だからがんばって。焦らないでいいから」
いきなり難しい事を言われたカノンは、何のイメージもわくことなく、難しい顔をする。シャムロックは急かすことはせずに、ゆっくりやればいいと諭し、彼女の頬を撫でた。
「私は、子供達に、私に出来ないことをして欲しい。そうやって、素敵な大人になって欲しい。この家に来たからには、子供達はお母さんを超える大人になること! それがお母さんからのお願いよ、カノンちゃん」
シャムロックの言っている事はよくわからなかった。だけれど、お願いをされ頼まれるようなことは、今までちょっとした手伝いくらいでしかなかったため、こうして改まった態度で何かを頼まれると、何だか誇らしい気分になる。
「よくわからないけれど、分かった。考えればいいんだね?」
「大丈夫、今はきっとわからないけれど、きっとそのうちわかるから」
ともかく、シャムロックにいい格好をしたいカノンはむやみに頼もしい言葉を使う。そんなカノンの気持ちを汲んで、シャムロックは苦笑いしつつも、彼女を肯定してあげた。
「それじゃあ、カノンちゃん。もうお話は終わり。今日は皆と遊んで、ぐっすり眠りなさい。若いうちの時間は貴重だから時間を無駄にしちゃだめよ」
「はい、みんなのお母さん。いってらっしゃい」
「行ってらっしゃい」
またみんなと遊べるとなって、はしゃぐカノンをシャムロックは手を振って見送る。彼女のニコニコハウス生活一日目は、こうして終わって行く。