第三話:雨の子のヒメ
私が明確に語ることが出来る最初の記憶は、自宅でなるべくお腹を減らさないようにじっといているところであった。その頃はまだ言葉も覚えて間もないような時期だったと思う。日中いつも私を放っておいて、夜になって帰ってきたら、無造作に食料だけを置いて済ませてしまう。そんな無責任な母親の手で育っていた時期の話である。
何時しか親は私を外に出して、物乞いや芸をして稼ぐように言いつけて外出するようになり、尻尾だけでバランスを取って跳んだり跳ねたりの芸を覚えて、必死で食べ物を得ていた。
この地域では、親に愛されず、養っても笑えずに生きている子を、雨の子と呼ぶ。そう呼ばれる理由は、雨に打たれてでも物乞いをするほど困窮する子と言う意味で、空が泣いても物乞いする子には、自分達も涙を流してやれという教えがこの街にはある。要は、そういう子供にはお金を渡してやれと言う事だ。
私もその雨の子なのだが、その意味を知ったのは、5歳くらいだろうか。いや、それまで私は言葉の意味すらまともに分からなかったんだ。母さんが言葉をまるで教えてくれなかったから。
ある時知ったのだが、母親だと思っていたその女性は、母親ですらなかった。何か理由があって子供を預かった。一日だけという約束だったのを、どこかで逃げられてしまったらしい。なるほど、確かに今思い返せばあの女性は陸上グループも妖精グループも持っておらず、あの人からは決して私がうまれることはない種族である。
もう幼いころの、最初の最初の記憶。怖い女性であったことは今でも漠然とした姿で夢に出るのだ。
気付けば私は町の雑踏に捨てられて、行けども行けども自宅はなく(そもそも自宅がどんな外観だったのかすら知らなかったが)泣きじゃくっていた。物乞いのために、食べ物を下さいとアピールしながら必死で芸をして見せて、何とか食いつないだ。
親代わりの女性と一緒に暮らしていたころは、ゴミ漁りと物乞いで得た食料が5割ほどで、物乞いで得たお金を渡して母親代わりの女性が買ってくれて得られるものが5割ほどであった。実際は、私が親に預けたお金は少しピンはねされていたらしく、ゴミ漁りの食料の倍くらいは食べることが出来たのだが。ただ、物乞いで手に入れたお金で食事を購入しても、体の成長に伴ってどんどんと不足し、常に空腹に苛まれるようになっていた。
大きくなった私には、それまでの食料では足りなくなり気付けばどんどんと私の体は痩せ細り、元々みすぼらしかった体はいまや見るも無残なあばら骨が浮き上がった状態に
それで、手を差し伸べてくれる者もいたけれど……まぁ、その時は、そのロゼリアの男性に食事を一杯食べさせてもらったものだ。けれど、その時……いや、実際にその時には何もされなかった。ただ、仰向けに寝かされて、体を弄り回されただけだ。少しだけ怖かったけれど、食事をさせてもらった事を考えれば悪いとは思えなかった。
その時、私はその人と一杯話をした。言葉が上手く使えずあまり話すのが得意でなかった私はうまく伝わっているか物凄く不安だったけれど、誰かとまともに話すことができるのはとても貴重な時間だった。その人は仕事があるようで、話している時間も終わってしまうのだが、その一時は、多分幸せな時間だったのだと思う。
その数日後。いくら腹いっぱい食べたとしてもそれは一時的なものであって、永遠に満腹感が続くものではなく。次にその男とであった時には、また飢えに苦しんでいる最中であった。その時持ちかけられたのは、あの時と同じ食料がほしいなら、自分の命令に従えと言うものである。
◇
「とまぁ、こんな感じだったわけ。みんなと同じ、酷い過去よ」
私の名前は、いつしかヒメリの実のようなかわいらしい色合いという理由で、ヒメと呼ばれるようになった。あの日、ロゼリアにされたことは今でも覚えている。一回り大きなロゼリアに私は体を押さえつけられ、彼の生殖器を咥えさせられたり、また私の大切なところを弄られたり。
あぁでも、処女を破ろうとしなかったあたり、あの人はまだ善人だったのかもしれない。幼い子が好きで好きで仕方なくて、だから傷つけようとは思わない。思わないけれど、暴れる欲求を抑えきれない。その欲求と理性のせめぎあいの果ての結論として行われたのが、あの行為だったのだろう。
もっと酷い客はいくらでもいる。首を絞めたり、縄で縛ったり、薬を盛られたり、痛めつけるのが好きだったり、汚すのが好きだったり。客でさえなかった者にも狙われた。そういう輩から身を守るために、私はたくさん食べて力をつけ、不届き者を制裁した。不届き者に制裁をした際には財布を奪って豪遊したりもしたもので、いつしか赤い電撃のピカチュウとして名を馳せるようになっていた。
お客が取れない日でもきちんと食べられるように、そして多少お金を盗まれても大丈夫なようにと、金は色んなところに隠して、少量しか持ち歩かない事にした。知り合った毒タイプの客や友達から毒を得て、ガラスの破片にや角材に打ちつけた釘へ塗って武器も作った。
そうこうしているうちに仲間も出来た。そしてその仲間と、不幸自慢大会の真っ最中である。
「その仲間というのがまぁ、貴方達なわけなんだけれど……」
この街では、私達以外にも似たような事をしている子供、ストリートチルドレンがいた。『子供』がいた、というのは男でも同じような事をやっている人がいるということだ。男なのにどんな風にやっているかについても教えてもらったりしたが、そういう世界もあるのだと乾いた笑いが出てしまった。
「はー……貴方も大変だったのね、ヒメ」
「大変だったよー。今では生活も楽になってきたけれどさ」
雨の子である私に、親は名前をつけていなかった。だから、私はひたすらピカチュウと呼ばれていた。まともな名前がついていなくても、ピカチュウ自体がその地域では珍しい種だから、それで事足りたが、それではいけないと客の一人が名前を付けてくれた。それが有難い事なのかどうかは分からないが。同じように、種族名で事足りるからと名前を持っていない仲間も多いから、何だか抜け駆けのようで心苦しいのだ。
「それじゃ、次はゴマゾウの番ね」
「あぁ、私はね……」
私の言葉に応じて、ゴマゾウが話し始める。回りの皆もはやしたて始めた。
この街では、私たちのような雨の子達には縄張りがあった。とは言っても明確な決まりがあるわけではなく、この地域を越えて客を呼び込むような事をしてはいけないという暗黙の了解のようなもので、緩く、しかし確かに縄張りは守られていた。
ある日のこと、私達の住処に戻ると、仲間達が何かを蹴っていた。
「何をやっているの?」
「こいつ、俺達の縄張りを侵しやがったんだ。少しならともかく、かなり深いところまでな」
私が尋ねると、ワンリキーがそう答える。なるほど、詳しく話を聞いてみれば『間違えました』では済まないくらいには深いところまで進入されてきたようである。それも、ここら辺に流れ着いてきて始めて見かけたのであればともかく、この街の市場でたまに見かけるよく見知った顔。商売敵の所にいる、スカンプーの女の子だ。
まぁ、なんと言うか。常に悪臭を出しているわけではない彼女だが、その印象が根付いていたり、見た目が残念なせいもあるのだろう。彼女は客が取れないのだ。だから、言ってしまえば私たちの縄張りに入り込まれてもあまり商売に影響はないのだけれど……みんな冬という事で景気も悪く、鬱憤がたまっていたのだろう。
懲らしめることが目的ではなく、痛めつけることそのものを楽しんでる様子だった。
「……ねぇ、制裁だったらもう十分でしょ? もう十分反省しただろうし、開放してあげたら?」
と、私は注意するも。
「だめだ、奴らには見せしめが必要だ」
と、ワンリキーは言う。
「いーじゃん、こいつ面白いように泣くし、ピカチュウもやってみたら?」
ロコンが火の粉で炙りながら私に言う。
「遠慮しとく」
こちらとしてはあまり気分のいいものでもないし、それにわざわざそんな事に体力を使いたくもない。
さっさと寝てしまうのが得策だった。
翌日、散々痛めつけられた挙句に、例のスカンプーは開放されたらしい事を、彼らの会話で知った。仲間も下らない事をしたもんだと思いながら、私は次の客を求めて通りを歩く。何も荷物を持たないことが娼婦である証。手をぶらぶらとさせながら歩いていれば客は見つかる。
常連が一番多いのは私だった。常連のお客様であるロゼリアが言うには、一番丁寧で気持ちよくしてくれるという。なんとも意外なものである。私は、いつか誰かから聞いた『本番行為をすると子供が出来、子供が出来れば娼婦としての価値が下がる』という言葉を信じていた。私の身の上を話したら、きっとお前の母親もそうやって女としての価値を下げたからお前を捨てたのだろうと。
恐らく、私に長く働いて欲しかったのだろうロゼリアの言いつけ通り、私は本番行為を決して行わない(ゴロツキに無理矢理させられたこともあったが)かわりに、精一杯満足してもらおうと頑張っただけなのに、それが帰って好かれたようである。
それが、ただ事務的に絶頂へ導くだけの商売敵よりもずっと価値を見出してもらったらしい。丁寧で献身的、それが私の価値であった。そうして得たお金を手にした帰り道。今日は何を買って食べようかななんて暢気に考えていた。
私達は、仲間とは言うものの、本当のところは縄張りを共有して縄張りが侵された時のみ協力し、寒い夜は寄り集まって眠る。それだけの関係だから、基本的にその日の実入りを山分けするとかそういうこともないし、だから何を食べても基本的に自由である。
要らない分のお金を隠す場所へ向かう途中のこと、私は――
ゴツン
その音の後に、意識を失った。
夜、頭の痛みを感じながら目が覚めた。体が動かなくて、もがきながら眼を覚まそうとすると、目隠しをされているし口もふさがれている。一切状況が把握できず、暴れようとすると、頬を叩かれる鋭い痛みの後、目隠しがはずされた。
「大人しくしろよ」
それは、よく見知った顔。商売敵で、例のスカンプーが所属する縄張りの奴らであった。眼を見開いて驚いていると、この縄張りのリーダーと思しきワカシャモがこちらを睨んでいる
「お前らはよくもまぁ、やってくれたなぁ。おい?」
私はやっていない、と声を上げようとしたが、生憎口が塞がっている。
「あ、あの……兄貴。こいつはやっていないってば……」
「関係ない、連帯責任だ」
そんな、横暴な。
「まぁ、でも確かにスカンプーの言うとおり、お前はやっていないな。だから、お前の仲間がきちんと誠意を見せて謝るのならば、お前は解放してやる。要するに人質だ」
なんて……こと。私、関係ないのに……。
「おら、説明したぞ。奥にしまっとけ」
そういわれて、私は奥の部屋に監禁され、放置される事になる。そのまま、誰にも……スカンプーにすら話しかけられることなく、私は数時間不安で一杯なまま放置されることとなる。粗末なぼろ布で作られた暖簾の奥、日の当たらないその場所で、すでに眠っている奴らの寝息を聞きながら。
どうやら、兄貴と呼ばれたワカシャモとスカンプーは私たちの縄張りへ話をつけに出かけているらしく、私はその結果をひたすら待つしかない。長い長い時間であった。
「おい、出ろピカチュウ」
引きずり出された時、ワカシャモの表情は怒りでゆがんでいた。私は乱暴に首の皮をつかまれて引きずり出される。
「お前の仲間はな」
『私が一番人気であるせいで、自分たちの取り分が減ると考えていた』。聞きたくない言葉がワカシャモから漏れる。『俺達にとってもお前たちにとってもあいつが一番有害なんじゃないか?』『確かに、あいつ腕っ節も強いから1人で縄張り守れるような奴だし』『ピカチュウを殺す? いらねーいらねー。あんな奴死んでくれたほうがせいせいする』
「だとよ……くそ、どうにもあっちの奴らを誰も殴れる状況じゃねーや、胸糞悪い。ちょっと付き合ってもらうぜ」
そのちょっとのために、私は街の外まで連れて行かれた。草がまばらに生えるでこぼこ道で、私はワカシャモのストレス解消に付き合わされて、幾度となく蹴り飛ばされた。途中、私も抵抗のためにと電気を放とうとするも、頬から電撃をだそうとしても、目隠しに加えて頬に絶縁体を巻かれていて体外に電気を放出することも出来なかった。
目隠しをされていたから、ここが街の西なのか東なのか、北なのか南なのか。それすらもわからないまま、ぽつんと取り残されて1人きり。雑草を口にして、何とか水だけでも飲みたいと思いながら歩くのだが、どうやら傷口から悪い物が入り込んだらしい。
私は、歩くことも、立ち上がることすら出来ないような高熱に襲われて、1人野原に倒れ付した。
「死にたくない……」
悔し涙と一緒に声が漏れる。そして、死の間際になって声にならない気持ちがあふれ出した。こんなの間違ってる。誰かに意地悪をしたわけでもないのに、こんな不条理な仕打ちを受けるだなんて。
それに、信頼していた仲間が、本心では私を疎んでいただなんて思いもしなかった。私が捕まったとき、誰も助け来ないで裏切られたことが非常に悔しかった。
何で本音で話さなかったんだ? 嫌いなら嫌いって言えばいいだろう? 仲間だと思っていないなら、そう言ってくれ。
恨み言や泣き言が脳内で何度も再生されるが、やがて私の思考はゆっくりと閉じていく。
最後の最後で死にたくない、まだ生きていたい。そして、本音で話し合える友達が欲しかったと、そんな事を考えながら。
そのあと、頬袋に電気が溜まって行く感覚で目が覚めた。
「ん、起きたか?」
真っ黒な、巨大な影。それしかわからないまま、私の意識は再び落ちていった。
「ここは……?」
もう一度目覚めた時は、さすがに意識もはっきりしていた。
私の体には全身に薬草が貼られ、衰弱し切っていたはずの体には、きちんと十分な量の電気が蓄えられている。そして、となりには入道雲のように巨大な黒い龍が、うつ伏せのまま体を伏せて眠っていた。私の周りには、木の実が積まれていた。
お腹は減っているのだか、それとも減っていないのだか、感覚が定かではないので分かりにくい。ただ、本能の赴くままに、私はオレンの実を口にしていた。普通に食べても吐いてしまいそうな気がするので、ゆっくりゆっくりと、溶かすように口の中で噛み解して。
一つ食べ終えるだけでも気が遠くなるような時間を掛けて、一房一房を体に染み渡らせていく。全部食べ終える頃には、夜も明けていた。
「起きていたか」
声のほうに目を向けると、黒い龍がこちらを覗き込んでいた。
「あ、はい……貴方が、助けてくれたのですか?」
「ああ。デートの帰りにたまたま見かけたのでな。お前が電気タイプでよかった……電気を分け与えれば元気になる奴も多いからな。ピカチュウの小さな体に電気を流し込んで大丈夫なものかとも思ったが、どこにも異常が無いようで安心だ」
巨体に見合った低い声で、黒い龍は言う。円錐状の巨大な尻尾は青く放電しながら輝いており、それが彼(彼女だろうか?)を電気タイプであると教えてくれる。
「取り合えずは、体をゆっくり休めておけ。話はそれからだ」
言うなり、彼はただ空を眺めていた。飽きもせずに空を眺めて、ただ時間を過ごしている。私は、与えられたオレンの実を食べ続ける。少しずつ少しずつ、吐かないようにゆっくりとであったが。
黒い龍は話しかけないとほとんど何も喋ることなく、寡黙であった。ここは何もない……何もないから人と話すことは慣れていないのかもしれないし、逆に話さないことに慣れているのかもしれない。
寝る時になって、初めて彼は『寝るぞ。何かあったら起こしてくれ』とだけ口を開いた。
仕方が無いから私も一緒に寝て、起きる。昨日オレンを食べ続けたおかげだろう。自分の体に随分と力が戻っているのを感じる。どこから持ってきたのかわからないが、ヒメリの実もあったのでそれを口にしつつ、まだ戻りきらない体の力を蘇らせるべく、眠くなくとも目を閉じて眠った。
そうして再び夜が訪れたところで、私は思い切って黒い龍に声を掛ける。
「あの……すみません」
「なんだ?」
「少しだけ、電気を分けては貰えませんか?」
「いいだろう」
彼は、見ただけでも膨大な量を溜め込んでいるとわかる尻尾を差し出す。それに恐る恐る触れてみると、体外に漏れ出している微弱な電気ですらこの巨体だと相当な量になるらしく、それが一気に体に流れ込んでくる感覚は、強い酒を飲み込む感覚にも似ていた。その衝撃を経てから間も無く、龍は少しずつ放電する。
尻尾からはバチリバチリと火花が爆ぜ、指を通じて頬の電気袋に電気が蓄えられてゆく。これ以上は危険だと思うまでに要した時間は、多分息をしなくても大丈夫なくらいの時間しか経っていない。だがそれは、むしろ彼に蓄えられた電力から考えれば長い方で、小出しにする調節をよく頑張ったと龍を褒めてあげるべきなのだろう。
龍はあの巨体に見合わない繊細さも持ち合わせているようだ。
「もう良いのか?」
「えぇ……その、助けていただきありがとうございます……」
「ああ。気持ちは受け取っておく……それでだ」
「はい」
黒い龍は、変に気取ることなく私の言葉を受け取り、別の話に切り替える
「お前は、死の淵にいた時、何を思っていた? 死の間際に、何を考えていた?」
「死にたく、ないって……」
そう、私はそんな事を考えながら、どうにか人のいる場所を目指していたと思う。
「それ以外には何か?」
私は考える。考えている間、黒い龍は微動だにせずに私を見つめる。血のように赤い瞳で、空を見つめる時のように、ずっと。待つことには慣れているのだろう、私が答えを渋っていても、いらだたしげな様子は感じなかった。
「本音で話し合える友達がほしいなって」
幾何学模様のタイルが敷き詰められた床に映る影を見つめていると、すでに陰の傾きで少しだけ時間が経っているのがわかる。それぐらいの時間を考え抜いて、私はあの時の気持ちを思い出した。
「私は……仲間だと、友達だと信じていた人がいるのですが……それに裏切られました。私は、ただ頑張って商売をしていただけなんですけれど……仲間には、それが商売敵と映っていたみたいで……」
そこから、詳しく話してみると、黒い龍はうんうんと頷きながら納得する。
「なるほど……それで、あれほどの強い絶望があったのか。そして、その分理想を望む心も……」
話を聞いてみれば、この龍は強い理想を求める者を好むらしく、あの時強い絶望を感じていた私の中に、確かに輝く理想のようなものを見出したらしい。それがなければ、わざわざ私を拾う事はなかったと。
「嫌いならば嫌いって言ってくれれば、私だって一緒に居るのは願い下げ。あんな奴らと一緒には居なかったのに。なんていうかさ、縄張り争いってものがあったの、私の商売はさ。私は腕っ節が強いから、商売敵との縄張り争いのために用心棒的な役割で利用されていただけみたい。
けれど、私自身が商売敵になってたみたいで……疎まれていたみたい。誰も、私が好きで一緒に居てくれた人は……私と一緒にいたいという理由で一緒にいてくれた人はいなかったみたいです」
あぁ、そうだよな。私だって、お客様に『愛してます』とか心にもない事を言う。それはお客様がお金をくれるからだ。私は強いから、不意打ちさえ受けなければ縄張りを一人で守ることも出来るくらいだから……だから仲間は私をうまく利用するために、心にもないような仲の良いフリをしていたんだな。
気付けば、私は自分の惨めさに自嘲して、初対面の黒い龍に向かって愚痴をもらしていた。龍が何も文句を言われないものだから、それに甘えていた。
「では聞こう。死ぬ間際にそんな事を考えていたお前は、命を拾った今どうしたい?」
「殴りたい。取りあえず、私を売ったやつらと、敵対する縄張りの奴らを」
「ふ、そうか」
私の答えに、黒い龍は笑った。
「では、それが終わったら何をしたい?」
「……さぁ、ねぇ。殴ったら、もうあの街にもいられないだろうし……どこか別の場所に行くとして……何やろっかな。同じ事をやっても空しいだけかもしれないし」
そこまで言って、私はじっと考え始めた。口が止まってしまった私に、黒い龍はあくまで急かさず、私の答えをずっと待った。
「そうだな……どうしたい、か」
復唱してから考える。
「考えてみれば、ずっと羨ましかったんだよね、家族ってやつが。家族がいる奴は恵まれていて、黙っていても飯が食えるような奴だっている。それに、家族なら信頼しあえる……信頼しあえるからこそ、パパとママが子供を作ったんだろうしね」
もちろん、家庭が上手く言っていないとかそういう理由で、家族がいるにもかかわらず私たちにお世話になる男もいないわけじゃないけれど。
「そうね。信頼できる友達や仲間がほしいかな……家族のようになりたい。異性でも同性でも、もちろん貴方みたいなデカブツでも。私だけがそれでも空しいから、他の皆も同じようにつなげたら……いいかな。それでもって、出来れば……言いたいことを言い合える仲が欲しい。本音で語り合っても、喧嘩になっても、すぐに仲直りできるような人が欲しい」
「私をデカブツ呼ばわりか……」
黒い龍が苦笑する。
「体格差のあるお客様の事、私達は裏でそういう風に呼んでいたんだ。だって、口にも下にも入らないし」
「失礼な奴らだなそれは」
「本音なんて、ほとんど言えない客商売でしたので。だから、せめて仲間内くらいでは本音を言い合おうと思ってたのですが……はぁ。仲間と思っていた人達と語っていた言葉は、本音じゃなかったんだな」
ため息をつく私に、黒い龍は笑う。
「まあ、客商売なんてそういうものだ。詳しくは詮索しないが、辛い事だけは伝わる。お前ら下界の者は大変だな」
「大変ですよ……子作りの、真似事をする職業なので」
「売春婦か。詮索しなかったのに、わざわざばらすとはまた面妖な」
「売春婦……か。まぁ、そんなところですね。貴方は、命の恩人ですので、望むならいくらでもいいですよ? 私はなにも出来ないので……お礼は体でしか出来ないんです。これを言いたいがために、どんな商売だったかを明かしたんです」
「ふふ、自慰の手伝いなどいらぬわ。これでも、そういうことが出来る友人ならいるのだ。こう、白くてふさふさした体毛が活かしたやつでな。温かくって抱き心地もよくって、素敵な奴なんだ。今は、妙な氷を溶かそうとして無茶をしたせいで、療養中だがな」
「そうですか……すみません」
「何、良いって事よ。無礼な態度の1つや2つで腹を立てていたら、長い人生を生きてはおれん」
その黒い竜の言葉から、少々沈黙が挟まった。
「さて、お前は信頼できる友達や仲間がほしいといったな。そして、それを共有したいと言ったな? そのために、お前はどんなことが出来る?」
「いやぁ? まだ、何が出来るかなんてわかりませんよ。なにぶん、世間知らずなものでして。何をやればいいのか、どうやればいいのか、わからないけれど……いや、わからない。革命でも起こせって言うの……? 『私達貧乏人が発生するのはお前ら希族の政治がいい加減なせいだー!』って」
「はは、乱暴者め」
黒い龍は、鼻息を荒げて笑う。
「貧困が原因だと思うのならば、お前の手で商売でも始めて雇用を増やせばよい。場所が原因だと思うのならば、新しく土地を拓けばよい。政治が原因だと思うのならば、革命を起こすのもいいだろう。お前がそれなりの力と『理想』を携えてこの場所に戻るのであれば手を貸してやらんでもないぞ? 神の力を借りれば、大抵の事は思うが儘だ」
「商売を始めるか、街を拓くか……革命を起こす……」
「どうするにせよ、かなりの金が必要だろうな」
「どうやって稼げば……」
「傭兵になるなり、必死で勉強するなり、方法はいくらでもある。今は、ゆっくりと考えればよい。この場所なら喰うには困らないから、時間はいくらでもあるのだ……お前の理想、付き合ってみるのも面白そうだ。ゆっくりしていけ」
「はい……」
私は力なく頷いた。しばらく沈黙が流れた。
「そうだ、そういえば我ら互いに、名乗っていなかったな……我はゼクロム。ただの種族名だが、これがなんと言うか、ゼクロムが少なすぎて固有名詞の必要が無いのだ。万一同種族がいて呼び分ける必要があるときは地名でほぼ十分だから、別の場所で別個体のゼクロムと出会った時は『黒の果てのゼクロム』とでも呼んでくれ。
あぁ、もしくは『
縦糸』と呼んでくれ」
「ここは、黒の果てという場所なのですか……?」
「あぁ、そうだ。それで、お前の名前は?」
尋ねられて私は戸惑う。
「いえ、私……雨の子のヒメって呼ばれてます。この名前、あんまり好きな名前じゃないんですけれどね」
「雨の子だなんて、良い名ではないか。我ら、互いに電気タイプだ……我は雷はあまり使わんが、お前はピカチュウ。雨の日は雷がよく当たるぞ? つなぎ合わせれば雨の姫ときたものだ。なんとも美しく、凛とした名前ではないか」
「いや、雨の子貴方が想像するような美しい名前では……この『雨の子』って言うのはひどい意味でしてね……雨に打たれても物乞いをしなきゃならない子供っていう意味なんです。名前じゃないし、それどころか蔑称ですけれど、酷いお客さんはそんな呼び方をするんですよ。雨の子が俺に意見するのかぁ? みたいな感じで、威圧的に蔑称として使うんで……」
「はっはっは、何を言うか。理想とは、何から生まれる? それは、苦痛、苦悩、苦労からだ。そんな醜いものから生まれたものこそ、世の中を生まれ変わらせる力となるのだ」
自信満々に、ウォープは続ける。
「綺麗で不満のない世界から理想など生まれぬ。その汚れがさらに大きな汚れを引き起こすこともあるが……泥で汚れているのならば、むしろその汚れで化粧してみるがいい。言ってみろ、アメヒメ。お前の理想はなんだ? 我が電気を喰らい、生き永らえたお前が、死の寸前に望んだ世界はなんだ? もう一度言ってみろ」
「私は……私は信頼できる友達や仲間がほしい……家族のようになりたい。そういうことが出来る場所を作りたい……」
私の答えを聞いて、ウォープはゆっくりと頷いた。
「出来る、というかやれ。神のイカズチを受け取ったお前ならば、出来るはずだ」
力強く、有無を言わせない口調でウォープが言う。
「やる……やる、のか……」
私は頬の電気袋に触れる。私は、つい先程もここに電気を貰ったばかりだ。
「わかった、やります」
大きく頷き、私は入道雲のように大きく、いかなる雷雲よりも黒い龍、ゼクロムのウォープを見上げる。
「いいだろう。だが、何をやるにしたって先立つものは必要だ」
「え、あ、はい……」
私が要領を得ない返事を返すと、ゼクロムはにやりと笑う。
「この遺跡には行き倒れた旅人の荷物、盗賊が埋めた金。そういった物を掘り返したり持ち帰ったりで、いくつか保管している。ここを出て行けるくらいに回復した日が来たならば、好きに持って行くが良い。今のうちに、何をもっていくか選んでおけ」
「……はい!!」
何も尋ねることなく自然と受け入れていたが、私がその時話していたポケモンは、神であった。聖剣士を始めとする希少種で構成された希族連中よりも、さらに希少な存在。黒陰ポケモンのゼクロム。あの方が神だからこそ、私は救われたのだろう。
もしもウォープが私を助けてくれず、例えば偶然旅人が通りかかるなどして助かっていても。私はきっと、ふて腐れた挙句に荒んだ生活を送っていたであろう。だけれど、死の間際に思った事を思い出させ、私に進むべき道を示してくれたウォープに、私は一人感謝する。
気合を入れるため、なまっていた体を叩き起こすため、私は一発フルパワーで放電する。赤かった私の電気は、その時からあの人のような青色の電気となっていた。
しばらくして、体力を回復した私が黒の果てを出て行くとき、私はあまり目立ちすぎないように、少量の金貨だけを持って、元住んでいた街へと一旦戻った。
そして、お世話になった別の縄張りのワカシャモやら、
「やぁ、こんばんは。ワカシャモのお兄さん」
「お前はこの前の……生きていたのか!?」
相手は死人でも見たような、明らかに動揺した声であった。
「うん……突然で悪いのですが、一発で良いから殴られてくださいな。動かなければ一発で終わりますから」
相手は避けようとしたので、私は数発殴らせてもらった。
もちろん、その後に自分の縄張りの裏切り者やらも殴った。
「や、やめて……私、貴方を見捨てること、最後まで反対していたの……」
「ふーん……じゃあ、一発で勘弁してあげる。避けないでね?」
ボコボコに叩きのめしたかつての仲間に眼をやりながら、私は血まみれの顔で微笑む。
「や、やめギャッ!!」
そういった輩に落とし前をつける。殺すような真似はしないけれど、全員を気が済むまで殴ったら、気持ちもすっきりとした。
拳に残るジーンとした痺れるような人を殴る感触。その余韻を味わいながら、私は育った街を離れる前に、隠しておいたお金を回収した。すべての場所を回ったら、財布が随分とずっしり重く、それが嬉しかった。
そうして別の街に移った私は、旅をしながら農作業の手伝いで体を鍛え、夜は男を誘って金を受け取り、時には自信のある腕っ節を振るって、喧嘩自慢から賞金を受け取ったりもした。他にも、その腕を生かして商人や巡礼者のダンジョン越えの護衛をして、ひたすらお金を稼いでいった。何かのきっかけで識字者と一緒になれる機会があるときは、貪欲に教えを乞うた。
ゼクロムから受け取った電気がくれた勇気が、私を動かしてくれるような、そんな気分をいつも抱けるような毎日であったと思う。
そして、それは今も同じ。あの電気は、今でも私の原動力となってくれているのだ。
◇
今日は、宿場町から少し離れたところにある色彩の森にて、1人で出かけに行ったクルマユの男の子を迎えに行って1日が終わった。どうも、誕生日の母親へのプレゼントを探すために無茶をしたらしく、いくら簡単なダンジョンとはいえ無傷で発見できたのは奇跡に近かった。
クルマユは皆に心配を掛けた事を注意されはしたものの、母親想いなその行動を、皆が温かい眼で見守っていた。その光景を見て、私は家族や友達のよさというものを再確認して、昔の事を思い出していた
「ねぇ、ティーダ。泥でお化粧って出来るたりする?」
「ん、なんだ……突然? 出来るには出来るが……」
「本当? 出来るの?」
「あ、あぁ……ただ、出来るといっても、そうだな……肌の余分な脂を吸い取って、ニキビとかを出来にくくする感じで……そうだな、ゴチミルあたりでもなければ使わないんじゃないかな? ニキビのできるというか、ニキビが目立つ種族ってあんまり多くないし。あとは、体毛の通夜を会えて消すために泥を使うというのもありかもなぁ……
しかも、それが出来る土は農業にも使いやすいんだけれどなぁ……アメヒメに使うと、毛の艶がなくなるだけじゃないかな? 俺は艶のあるアメヒメの毛皮の方が好きだから、使わない方が良いぜ?」
「そっか、ありがとう」
そうだ。泥でお化粧は出来るのだ。使い方さえ間違わなければ、どす黒い物からだって、美しい物を作ることは出来るのだ。だから、子供のころに体を汚され尽くした私でも、きっと何か生み出せるはずだろう。
「ねえ、ティーダ 。まだ起きてる……? 今夜は少しむしむしして、寝苦しいね……。ティーダ、今日……ハハコモリ達を見てて思ったんだけど……ティーダの世界。つまり人間の世界にいる……ティーダの両親や友達って……どんな感じなの?
皆で仲良く暮らしているの?」
答えを待っていたが、ティーダから返答は返ってこなかった。
「私は……私には……親はいないんだ。兄弟も」
少しだけ、ティーダが動いたような気がした。気のせいか、それとも本当に起きているのか。
「物心ついた時から ずっと1人だった。友達も ずっといなかった。欲しかったけど出来なかったんだ……出来たと思っても、何か違った。ここでは、ポケモン同士の関係があまり良くないよね。もっとみんな仲良くすればいいのに、いがみ合うポケモン達がいる。
見た目は仲良さそうでも、実は違っていたり……本音を言い合わなかったり。そういうのが私は嫌だった。だから、今まで友達がいなかったんだ」
結局、ああしてあの街を去ってからもそうだった。ちょっとしたお世辞程度ならばともかく、心にもない事を言わなければ、とても繋げていられるような関係じゃなかった。
「結局は私もビリジオンと一緒なのかもしれない」
それは違う、とかってティーダに言ってほしかった。けれども、ティーダは答えなかった。少しだけ呼吸が乱れたような気もするけれど、もしかしたら答えないことが優しさなのかな。
「でもね……ずっと欲しいと思っていたんだよ。上っ面の付き合いじゃなく、心から信頼しあえる……本当の友達を。そして、そんな友達といっしょに何かやりたい! と思いついたのが……この楽園作りだったんだ……。
だから……今は毎日が楽しいんだよ。ありがとう、ティーダ……これからも……よろしくね」
そう言って、私は深くため息をつく。
「ふあぁ……眠くなってきちゃった……。ティーダはもう、寝ちゃったのかな……?」
返答はなかった。もう寝てしまったのだろう。
「私も寝よう……じゃあね、ティーダ。 おやすみなさい」
パラダイスの夜は、ゆっくりとすぎていった。