第二一話:またあした
「嘘、ティーダが……人間の世界に帰っちゃうの?」
その日、めでたい日だったというのに、クロースから聞かされた事実のおかげで、状況は一変した。私は、呆然と尋ね返すしかできなかった。
「いえ、残念ながら……嘘はついていません」
冗談であってほしかった言葉に、しかしクロースは首を振る。ご丁寧に三つの首すべてを。
「な、なんで!? いや、ニンゲンの世界に帰るだけならまだ納得できる……でも、どうして記憶まで消されなくっちゃならないの?」
「世界に、影響が出るからです……これまでも、特殊とひとくくりにされていた力が、特攻と特防に分かれたり、そのおかげで三色パンチフーディンが姿を消したり……あと、ファイヤーが睨みつけるを覚えなくなったりとか、本当にいろいろな弊害が起こるんです。ティーダさんがこの世界に居る事、この世界にティーダさんたちの記憶があることで世界にひずみが生じ、そういった世界の理が書き換えられてしまうのです」
「本当は、ティーダさんには言わないで欲しいと言われたのですが……」
「なんで? 見送らなきゃ……私達は絶対後悔するのに……」
そこまで言って、エーフィさんは何かに気付いたようです。
「そっか、私達は後悔も出来ないのね。それでも、ティーダが後悔するんじゃ?」
エーフィが言う。確かにそうだ……普通なら、後悔するはず。
「はい、ですから……本当は、見送ってほしいんです。私、命の声ですから、心の声だって聴けるのでわかりますが……でも、見送るその時、きっと皆さんは泣いてしまうでしょう? それでも、ティーダさんは自分の事を覚えていてくれるのならば、いつかは笑顔を取り戻すことにつながるだろうとは思っているのですが……
皆さんが記憶に残らないのならば、無駄に……無駄に悲しい顔を見ることにしかならないんじゃないかって……悲しい顔を見たくないんです、ティーダさんは。私の顔を見ただけでも、苦しそうでしたから……エーフィさんの言う通りなんです。後悔すらできないなら、必要ないって」
「あぁ……そう……よね」
エーフィが頭で納得して、目を伏せた。心は、納得していないようだ。
「じゃ、じゃあアレだぜ! 忘れないように頑張ればいいんじゃないか?」
「無理です」
ドテッコツの言葉に、クロースはきっぱりと否定する。
「他の3人が、そうでしたから。ティーダさんよりも先に消えていった彼らにも……その存在を忘れたくないと思っている親しい人はいたんです……だけれど、その人達も、その3人を忘れてしまっているんです」
「それは、どういう状況で? ティーダが言っていたわ。実験というのは全ての条件が同じなら同じ結果が出るって。逆に、環境が常に変わるから、どれだけやっても同じ結果が出るとは限らない農業は難しいって……その、その人たちが忘れた……忘れられた状況っていうのはどういう状況?
私達みたいに何の準備もなしに忘れてしまったんじゃなくって?」
「……それは」
ビリジオンに問われ、クロースが戸惑う。
「1人目、ポカブの男性はボーマンダに頭から喰われました。2人目、ツタージャの女性はシャンデラに焼き殺されました。3人目のピカチュウの男性は……ドリュウズに胸を貫かれて……それに、光になって登って行くまで、周囲の人に私が記憶が消えてしまう事を教える間もありませんでした」
「なるほど……まぁ、状況が違うのは確実ってわけね。だからと言って『出来る』というわけではないけれど……やってみる価値はあるわけだ」
「だな! やって見る価値はあるんじゃねーの? 俺達は、キュレムの予言を覆したんだろ? だったら俺達だって、予言くらい覆してやるさ」
ビリジオン、エモンガ共に、前向きに微笑んでいる。別れが悲しくないわけはないだろうに。
「困難なものほど、それを打ち破る楽しみがあるのよね」
エーフィは、得意げだった。
「……だな。アイリスの奴らは不可能を可能にするやつらだ。俺らだってできるはずだぜ! ドゥワッハッハ!!」
鉄骨を振り回して、ドテッコツが笑っている。
「決まりね……と、言いたいところだけれど。アメヒメ……貴方が最も、ティーダの近くにいるんだから。だから、貴方が選びなさい。どうするのか。どうすればティーダが幸せになるのか……貴方が考えて、決断して。身の振り方を考えなさい。見送らないほうがいいとあなたが思うなら、私達はそれに従うわ」
「……やっぱり、私達が直接見送ることはできない。ティーダが、きっと嫌がるから。だから、私としては……ティーダの自由にしてあげようと思う」
一度、深呼吸を挟む。
「でも、もしも。私達が不可能を可能にしたなら……私達がティーダを忘れずにいたなら。それなら、ティーダだってきっと見送ってほしいと思うはず。だからその時は、クロース……貴方に、伝言を頼みたいの。いいかな? ちょうど、今回の祝勝パーティーに合わせてフリズムも持ってきたから。これに、私達の声を封じ込めるから、渡して欲しいの。みんなも、それでいいよね?」
私が尋ねると、皆一様にうなずいた。
「いいでしょう、皆さん。しかし、それは生半可なことではありません……どうするつもりですか?」
「そりゃ……ティーダの絵でも名前でも、紙に書いて絶対に忘れないって……いうのはダメかな?」
「紙に書いたくらいじゃ、世界のひずみを正すために、世界の理に従って消されちゃいますよ?」
私の発想にしかし、クロースは即座に否定した。
「そりゃあれだ! 俺は頭が悪いからな! 石像でも作らなければ忘れちまう! 紙じゃ、俺は書いても捨てちまうもんな」
「お、親方……一晩で石像作る気ですか? いくら何でも無茶っすよ」
「あぁ、話がまとまったらすぐにな! 石材ならあるからな! 伝説級の、貴重な石がな。全体が完成できなくとも、顔だけでも作るさ!!」
ドテッコツは、馬鹿みたいなアイデアを。けれど、それしかない、馬鹿に出来ない発想を口にする。
「そうねぇ。紙で消えちゃうなら、石版にでも書くしかないじゃない。ケルディオ、せいなるのつるぎで石版でも彫りましょう? 手伝ってね」
「え、僕に出来るかな……!? 石に文字を刻むとかやったことないよ?」
「いざとなったら、協力してもらうわよ……ブラッキーにね。攻撃力を上げれば石に文字を刻むのも楽でしょ?」
「え、俺? あー……うん、俺がリアさんの尻を叩けばいいんだね。悪タイプの攻撃で……」
「あらブラッキー……リアさんにお触りだなんて、はしたない」
リアに突然指名されて、ブラッキーは苦笑しながら理解した。正義の心の特性を発動させる手伝いをさせられるようだ。エーフィはその状況を茶化して笑う。
「僕達は……どうしよっか」
「歌でも作る? と言っても……作る事なんて出来ないからこの際替え歌でもいいでしょ。夜明けが近づいたら、歌うんだ……歌い続けるんだ。歌詞もきちんとカードに書いてさ。そうすればきっと忘れないでしょ!」
ヨーテリーとクルマユは、顔を見合わせてそんな話をしている。歌を歌い続けるか、そういうのもアリなのか。
「ふむ……このお店、お客様が残した傷や汚れがあるのよね。元ある汚れや傷に更に汚れや傷を継ぎ足して、ティーダの名前にしちゃおうかしら。これなら、記憶を消されても汚れと一緒に消えるから嬉しいわ」
スワンナママさんが、まさかの方法を編み出して、不敵に笑う。確かに、あのお店の床は傷だらけだ。その傷を利用して文字を刻むとは、なんて発想だ。
「では、私はティーダさんをリボンで作ってみますかね。リボンアートは得意なんです。本当は、簡単にほどけるようにしておくべきなんですけれど、糊でがっちり固めておきましょう。そうすればきっと忘れません」
チラチーノは、自分自身に言い聞かせるように、自分の言葉にうなずいた。
「あー……俺は、どうするか」
「ヒェッヒェッヒェ! おぉう、ジーザス。ラムパルドさんもやれることが見つからないというのは大変ですねぇ。私も、ありきたりですがリアさんと同じようなことをさせてもらいましょう。純金は柔らかいので、変形も楽々。秘蔵の純金に文字を刻んでゆきましょう!」
ラムパルドが何をどうすればいいかを悩んでいる横で、いつになく嬉しそうにデスカーンが言っていた。
「私は……どうしよう」
私は皆と違って、何をするべきかもわからず、ぽつりとつぶやいた。
「アメヒメ……お前は、ティーダの傍にいてやれ」
「そうだよ。僕も、ティーダと同じ立場だったら、君と一緒に居たいと思う」
そう言ったのは、エモンガとノコッチであった。
「はー……アメヒメに格好よく言ったはいいが、俺も何かやらないわけにはいかないなこりゃ。どうしようか……」
「木彫りなんてどうかな? 金属、石ときたら、木にも彫らないと不公平でしょ?」
「それだな。あ、でも俺は親方に頼んでティーダの形の鉄器でも作るかな。今から鍛冶屋を稼働しよう」
私にアドバイスをしてすぐに、2人は2人の話を始めてしまった。
「ねぇ、ビリジオン。エーフィ……私は、あの2人の言う通り……そばにいてあげたほうがいいのかな?」
自分が何も出来ないので、本当にそれでいいのかとわたしは問う。
「うん、いてあげなさい」
「そうよ、それが出来るのは貴方しかいないわ」
ビリジオンも、エーフィも同じことを言った。
「ティーダは男なんだから、男の意見を聞いてやれよ……アメヒメ。俺も、ティーダの傍にいてやれるのはお前しかいないと思うぜ」
ブラッキーも、便乗してそう言った。
「わかった。私は……ティーダと一緒に居る」
「それにね、アメヒメ」
ビリジオンが私を見下ろして言う。
「貴方の家には、石版よりも、石像よりも……ティーダの存在を伝えるものがあるじゃない」
「それは……何?」
「これよ」
ビリジオンは微笑んで、私の鼻を蹄でチョンと触る。
「匂いが残っているでしょう? それがあれば忘れられないわ。忘れられるわけがないじゃない? そのおかげで……こいつに苦しめられたんだからね」
「痛っ!!」
と言って、ビリジオンはケルディオを後ろ足で小突く
「もう、何するのさビリジオン……」
「あんたが書いてよこした酷い内容の手紙に、あんたの匂いがこびりついていたのよ。そのせいで私、随分と苦しんだんだからね、責任取りなさいよ?」
ビリジオンはまだ根に持っているのだろうか。
「ぬお……ワシは……ワシも、絶対に忘れないように……他の事を忘れるように努力するだぬ……それでいいのかぬ?」
「いや、ヌオー……そこは、もう少しましな方法を思いつこうよ……でも、みんなの思いは伝わったよ。とにかく、総意は、ティーダのためにみんなで頑張る事。だからまずは、記憶を保持するとか、それよりも先に……私達で、お別れの言葉を贈らなくっちゃ。
ティーダが……生きていてよかったって、誇れるように。そのために……みんな、笑顔で。声だけでも、笑顔で……送ってあげられるように」
皆が、分かっているとばかりにうなずいた。ティーダは早々にパーティを抜け出し、自室にこもっているようだ。最後の悪あがきのように、畑に関する記述を残そうとしているらしい。その間に、出来ることはすべてやってしまわないといけないのだ。フリズムを用いた録音は、困難を極めた。何度やっても、声が上ずってしまったり、鼻をすする声が聞こえてしまったり、声が震えたり。
一度ミスすると、最初から撮り直しなので途中で泣き出してしまいそうになって、何度も何度も撮り直すことに。そんな中、一度もミスせずに終えられたのは、意外にも私だったり、ヨーテリーやクルマユだったり。スワンナママさんがミスをしないのは何となく予想がついていたけれど、一番泣きそうだと言われていた私や、子供たちが一番に成功したことに、皆が驚いていた。
悲しくないのか? と聞かれれば、悲しくないわけはない。けれど、私は確信しているんだ。私達の努力はきっと、悲しい結果にはならないと。それに、あの時……氷触体と戦ったとき、ティーダは私の願いに応えてくれたのだ。だから私も、ティーダの『悲しい顔は見たくない』という彼の願いを、絶対に叶えてあげたかったのだ。だから、声だけでも笑顔に……そう、心に決めているんだ。
ようやく録音が終わるころには、子供達もとうに眠気で弱音を吐いている時間帯。夜明けが近づいたら、『水の中にぶち込んででも起こして』と頼んで、ヨーテリーもクルマユも、1分と経たずに寝入ってしまった。替え歌の歌詞は、録音の最中にきっちりと作っている。そこから先は皆の戦いが正念場であった。ドテッコツは石材を持ち出して石像を作り出し、ビリジオンとケルディオも石材を譲り受ける形で石に文字を刻み始める。エモンガとノコッチは木材に文字を刻み、スワンナママは本当に新たな汚れを追加するという。
ハハコモリは、朝に息子たちを起こすために徹夜をする覚悟で、葉っぱに刺繍をするつもりだとか。みんながみんな、忘れないように必死で動いていた。そんな中、私は帰らされた。私なら、何もしないでも覚えているという根拠のない確信がみんなの中にはあるのだろう。私も、不思議と忘れる気はしなかった。
世界の法則だろうと何だろうと、塗りつぶしてやる。キュレムだって、言ったじゃないか。変えられない未来を乗り越えたなら、それもまた真理なのだと。私達が、新しい真理になるんだ。
「あ、ティーダ。どうしたの、ノートなんて持ち出して?」
薄明かりの中、ティーダがノートを広げていた。この世界から消える前に、出来るだけ多くの知識を残していこうという事だろう。
「キュレムにいろいろ説教しているうちに、思い出したことがあってな……人間の世界で、人間達がいろいろ間違った記録さ。間違って。それを乗り越える方法もいろいろ考えられた……人間世界の常識が、こちらで通用するとは限らないけれどな。でも、必要になることだよ」
要するに、ティーダはこの期に及んで、知識を広めたいという事だ。どこまで……私達のために頑張るつもりなんだか。
「ふぅん……でも、忘れないうちにっていうのは大事なことだけれど、疲れているでしょ? 今日くらいは、忘れてもいいんじゃないかな、ティーダ」
もう、いいんだよ。ティーダ……私達はきっと、どんなことでも乗り越えて行けるから。私は、ティーダを後ろからそっと抱きしめる。もう、休もうよ。
「めでたい日とか、そういうの抜きにでも。疲れているときにそんなことをやったって、集中力は続かないよ?」
「放っておいてくれ。こんな日だからこそ、忘れてしまいそうで」
「何それ」
私は、彼の真意を知っているからすごくつらいけれど、無理して笑う。
「変なの。明日からも、仕事があるんだから……体を壊したら元も子もないんだから、今日は早い所眠ろうよ」
「……わかった」
ここは、もう退けない。今日だけは、ティーダの傍にいるんだ……絶対に。居てあげなきゃ、いけないんだ。
「寝よっか」
観念したティーダがそう言った。
「もしかして、ティーダは私を待っていてくれたの?」
涙がどうしても堪え切れなくって、目が潤む。かろうじて涙が出ていないのが幸いだった。くらいから、ばれていなければいいけれど……。
「そんなんじゃないよ。疲れているけれど、眠れなかっただけ……」
ティーダはやせ我慢と強がりを言う。
「ふふ、そっか。でも、私がいるだけで眠れるようになるかな?」
「どうだろうね……」
ティーダが、藁のベッドの上に横たわった。私も、それに倣うように藁のベッドに横になった。
静かに、目を閉じる。ここから……どうすればいいのかな? そうだ、思い出話でもしよう……。
「ねぇ、ティーダ」
「なんだ?」
「私達、本当に奇跡のような出会いだったよね」
「まぁな……俺が空から落ちてきて、そこにアメヒメが慌てて駆け寄ってきたんだっけ」
「うん。そこから、私たち2人の生活が始まった……最初の日なんかは、まだ家がなかったから、寒くって……2人で、体を寄せ合って眠ったよね」
その時、ティーダが温かかったのを、今でも覚えている。
「俺はそんなに寒くなかったよ。俺、ミジュマルだから……その気になれば、冬の海でも海草に体を巻き付けてぷかぷか浮いていられる種族だし、この体毛がピカチュウよりもよっぽど多くの空気を抱き込んでくれるからね」
そうだったんだ。抱き合って眠るのは迷惑じゃなかったのかな……。
「そっか……寒いのは、私だけだったんだね」
少しだけ、ショックだった。
「でも、お前が寒かったのなら、いつでも寄り添って、添い寝でも何でもしてよかったんだぜ? 俺は女を抱くのは好きだ」
けれど、次のティーダの言葉で救われた。迷惑じゃなかったみたいだ。
「本当? 実は、冬になってから少しだけ寒かったんだよね……今日は。いや、今日から一緒に寝てもいいかな?」
あくまで、ティーダが去ってしまう事を知らないふりをして私は言った。ばれていなければいいけれど……
「いいけれど、それが毎日になるなら、きちんと何か被るものを用意したほうがいいんじゃないか?」
そんな事……言わないでよ。私が、ティーダの隣で寝たいのは……君が、好きだから。毛布じゃ嫌だよ……それを分かっていないなら……わからせてやろうじゃん。
「いらないよ。ティーダが温かいから」
ティーダにキスをした。唇が軽く触れ合うような、軽いキスだった。本当は、もっと深くしたいと思ったけれど、拒否されるのが怖かった。ティーダは、少しだけ驚いていたが、すぐに表情は戻ってしまった。
「ティーダ……雨には、太陽が必要なんだ。私には、太陽が必要なんだよ……ティーダ」
私にとっては、貴方が太陽なの。
「そうかい。勝手にしろよ……俺は拒まないからさ」
拒まないじゃない……求めて欲しいの、ティーダ。貴方は、どうしてそんなに平気そうに……気丈に振る舞うの? 最後の日くらい泣いても、いいのに……別れを惜しんでも、いいのに。甘えたっていいのに。意地を張らないでほしい。
「ティーダ。好きだよ」
「知ってる」
たまらず、告白した。意地でも泣きつかせたくなった。頬ずりまでして、アタックをかける。
「アメヒメ……酔ってる?」
でも、帰ってくるのはそんな反応。冷静じゃなくって、もっと感情的になってほしいのに。
「うん、少し……でも、狂ってはいないよ」
それに対して、平然と返す私も私だけれど……もう、演技も疲れたよ。
「だろうな。いつもより積極的なくらいだろう……」
「それでさ、ティーダは……」
ティーダの……君の本心は、どこにあるの? 声と表情が嘘をつくなら心臓に、聞けば分かるのだろうか? 私は胸に耳を当てる。
「私の事、どう思っているの?」
嘘なんて、つかせてやらない。
「それは……」
数秒の内に、心拍音が強くなった。ティーダも私が好きなんだって、そう思っていいのかな?
「アメヒメは最高の仲間だと思っている。パートナーだと思ってる」
なのに、ティーダは逃げた。
「ふぅん……女としては?」
「女は、1日限りの方が後腐れなくっていいからな。俺は絶対に浮気をするから、俺みたいな男は、女を不幸にしないためにも、妻なんて持たないほうがいいのさ。ま、一夫多妻制でいいっていうんなら別だけれどさ。側室なんてのはここの文化じゃないだろう?」
ある意味でこの選択肢は、私を汚さないための、選択肢だったのかもしれない。
「やーっぱりそれかぁ……ティーダはぶれないなぁ」
でも、たまには自分の幸せのために生きたって、いいじゃないか。もう数時間しかないんだ。ティーダのために何でもしてあげたいのに。すれ違うんだなぁ……こんなにも。
「私も、素敵な人を見つけなきゃね……でも、そうなったら家はどうしようか?」
素敵な人なんて、ティーダ以外に居ないと思っていたんだけれどね。
「先に結婚したほうが出ていった方がいいんじゃないのか? この家、子供も一緒に住むには少し狭い」
「そうだね……またドテッコツに頼まなきゃ。増築できるかなぁ?」
結局、私は……ティーダに何一つしてあげられなかった。
「ティーダ」
「何?」
「君の心臓、ドキドキいってる」
「お前が変な質問するからさ……」
「つまり、私が特別な存在ってことだよね?」
「……あぁ」
これだけは、聞きたかった。この答えを聞けただけでも、幸せと思うべき……なのかな?
「俺は太陽……横糸だ。確かに、太陽は命を育む力がある。けれど、水なしでは命を育むことはできない……アメヒメ。お前が雨、縦糸だったから。だから俺は、お前とともに皆を導く存在になれた。人々の希望、虹になれた。俺1人じゃ、無理だった。誰よりも特別な存在だよ。
でもそういうのは、男とか女とか、そんなこととは関係ないだろ? だからまぁ、俺はアメヒメに誘惑されても困っちゃうな」
ティーダは、優しいんだね。本当なら、困らなかったくせに。私の誘惑を受け止めることだって出来たくせに。
「じゃあ、それでいいや。特別な……ティーダにとって特別でいられるなら……私に女としての魅力がないみたいで、ちょっと寂しいけれど……」
「うん、ごめんな。特定の女と付き合わないのは、俺なりに女性を傷つけない方法なんだ……」
馬鹿……どうせ記憶が消えるんならって、気軽に抱いてくれればいいのに。
「やせ我慢しちゃって……男の子なのに」
本当、ティーダも馬鹿みたい。私は、とっくに汚れているんだ、もしも私を抱くことで私が汚れると思っているんなら……そんな心配する必要もないのに。そんなことを思いながら、本心を隠すために私は笑った。
「それじゃあ、そろそろお休み、ティーダ。またあしたも……一緒に、頑張ろうね……お休みなさい」
訪れる事のないまたあした。けれど、ティーダが帰ってしまう事を知らないふりをするためには、言わざるを得なかった。
「お休み、アメヒメ」
私は、もうティーダに対して何も言葉をかける事が出来なかった。ただ、一緒に居て、ぬくもりだけでも彼に与えられればいい。それだけを考えて、寝心地が良くなるように彼を抱きしめていた。
「アメヒメ……寝てるか」
翌日、むくりと起き上がったティーダは、私の頬を撫でてから、軽くキスをした。
「アメヒメ。黙って出て行ってごめん……約束、守れなくって本当にごめん。でも……ありがとう。……さようなら」
そう言って、ティーダは遠ざかってゆく。十分に距離が離れるまで、私は涙で藁のベッドを濡らしていた。声を押し殺して泣いて、馬鹿みたいに歯を食いしばる。
「馬鹿……ティーダの馬鹿!! 最後くらい自分に素直になれよ……ありがとうっていうのは……伝えるためにあるんだ。寝ている私に、そんなことを言って……どうするのさ」
立ち上がり、涙をぬぐう。顔を洗って、気合を入れ直す。ここで、このまま記憶が消えてしまうと、今までの行為が本当に無駄になってしまう。せっかく作ったフリズムも無駄になる。私達の思い出が無駄になる。そんなこと絶対にさせない……絶対に、忘れたりなんてしないんだから。