第二話:私の農場の管理人がヤブクロンだった件について
抜けるように青く、そしてさわやかな空から落ちてきたミジュマル、ティーダと出会って、もう1ヶ月は経とうとしている。ヌオーのヌマンナさんの家で雨風を凌がせてもらいながら、作りかけの自身の家に通い続けて、ここまで長かった。
昨日ようやく私達の家が完成して、宿場町で買いそろえた家具を運び込んで、その翌日。
「おはよう、ティーダ」
1ヶ月前と同じ場所。けれど今日は冷たい空気ではなく、鳥達の鳴き声で目が覚めた。
「夕べは良く眠れた?」
「ん……っあー……」
ティーダは、大きく伸びをして、寝ぼけ眼を擦りながら私を見る。
「うん、よく眠れたよ。アメヒメは……」
ティーダは私のほうへと近寄り、そして。
「うん、毛の艶もばっちり、よく眠れたみたいだね」
私の赤いほっぺたをぷにぷにと触って、彼は微笑んだ。いつか電気ショックかましてやろうか、こいつ。
「やめてよ、ティーダ……そんな確認なんてしないでも分かるって、私はもうぐっすりだったよ」
そう言って私は、念願のマイホームを見回す。
「寝ている間も寒くなかったし……やっぱり、家っていいよね。最高だよ」
「だよなー。初めのころは野宿だったから、寒かったもんなー……お前は水タイプや炎タイプじゃないから特にきつかったろ? でも、俺としてはあれだね、寒くないのも重要だけれど、お前の寝息が風の音でかき消されないのが良かったよ。甘い寝息を立てていてさ、こう……落ち着くって言うか?」
「な、な、何言っているのよ……」
ティーダは歯が浮くような気雑多らしいセリフを言って私を困惑させる。
「あぁ、でも残念なところがあったなぁ。お前と添い寝できない!」
そう言ったティーダの顔は、例えようもなくニヤついていて、いやらしい。なのに、不快感を感じないから照れくさくって性質が悪い。
「そ、そんなこと言っても何も出ないんだからね!」
「何言ってんだアメヒメ? お前の可愛い顔が出たぞ。何も出ないなんて嘘だろう?」
「こいつ……」
ティーダは、歯の浮くような台詞を恥ずかしげもなく私に投げかけてくる。
「アメヒメ。そんな怖い顔するなー? 可愛い顔が台無しだぞ?」
「もう……からかうのはやめてよ。例えそれがお世辞でも、言われる方はドキドキしちゃうんだから」
「いいじゃん。俺様、アメヒメをドキドキさせたいし。胸触って、心音調べちゃうぞ?」
「私はしたくないの! ドキドキなんて!」
こいつは、私にたいしてだけからかいやがる。それは親しまれていると言うことなのだろうけれど、どうにもこいつのペースは苦手だよ。いつか雨の日にでも雷撃ってやりたいもんだ。
「ともかく……マイホームが完成して当面の目標の一つは達成したわけだけれど……次は、パラダイスを発展させるために色々作りたいな」
そう、ペースを乱されてしまったけれど、私はこの話がしたかったのだ。
「色々と言うと、例えば?」
「まず、宿場町がこの近くにあるわけだけれど……ここの街はまだ、旅人にとって通過点……休憩地でしかないわ。だけれど、私はここを通過点じゃなくて目的地に出来るようにしたいの」
そう。どんなポケモンでも笑顔で暮らせるパラダイスを作るには……まず、どんなポケモンでも暮らせる仕事がなければいけない。だからこそ、川の近くで魚を取って暮らせるポケモンがいて、商売で生計を立てるポケモンがいて、娯楽で生計を立てるポケモンがいて……何より、ある程度の自給自足が出来なければいけない。だから、畑を作って作物を育てられるようにしなきゃならないのだけれど……。
「けれど、お金が足りないのよね。開墾するにも、人手が必要だし……まずあの痩せた土もどうするべきなのか……。水路はドテッコツに手伝ってもらって引っ張るとしても、他にもやることはいろいろよ……宿場町にはお医者さんがいないから医者も欲しいし、出来れば皆が文字を学べるように教育者も欲しいし」
「いずれにせよ、人手を集めるにはお金が必要、か……」
結局、私達はそのあと更に1ヶ月、資金集めに苦労する事になるのである。
家が出来てから1ヶ月。
「家が出来たこともそうだけれど、ここ最近依頼をたくさん受けてきたから資金集めもやっと区切りがついてきたわけだ。だからそろそろ私達も畑作りに着手しようよ」
結局、家が出来てからさらに1ヶ月ほど。私達は資金稼ぎに苦労の連続であった。この1ヶ月の間、近所にある保存食にもなる焼き菓子の工房で働いていたノコッチの少年タイラーや、その兄貴分であり、鍛冶屋の雑用係であるエモンガの好青年、ヒエンなどが仲間に入り、私達は探検隊としてチームを組むことが可能となった。
そして、さらには……
「なるほど……農作業なんて、子供の時以来だわ。懐かしいわね」
苦笑して私達を見つめるのは、その美しさと強さから名の知れ渡る探検隊、ビリジオンのリア。紆余曲折あって仲間になったのだが、どうにもエモンガからは第一印象が最悪だったらしく、二人の関係は上手くいっていない。今の彼女は、エモンガから一緒に歩くのも嫌だし、『ウチの店に来てもお前のための蹄鉄なんて見繕ってやらねーからな!!』 と言われる始末。
当のビリジオンは、好き嫌いなくなんでも食べ、また過酷な旅を続けているため蹄も強靭であるそうだ。だから、そんなお店の商品に頼る必要もなく、涼しい顔で『どうぞ、お構いなく』と言ってのけたのだが。その態度がまたエモンガを怒らせて、今もまともに口を利いていないのが現状だ。
そういうわけで、私達でチームを分裂させないように頑張っている状態が続いてはいるが、特にトラブルらしいトラブルはないために、最近の生活は概ね良好である。
「あれぇ……? ビリジオンさんは元々希族の出身じゃなかったの? 希族でも農作業するんだ」
「ふふ、希族といっても貧乏希族も少なくないのよ。自分達も農作業をやらないと、領民が飢えて死んじゃうようなところの出身だったのよ。大変でしょう、下手に税金をむしり取れないのよ」
こんな風に、今でこそ親しげに話しているが、これでもビリジオンは出会った当初は誰も信用しようとしないし、寄せ付けないような雰囲気をまとっていたものだ。過去に何があったかは知らないし、誰もそこに触れたりはしないが、今は少しだけ考えを改めたようである。ビリジオンが大人らしく心を入れ替えたところを見せた分、ビリジオンの変化を認めないエモンガの子供っぽさが引き立つと言うものだ。
「ところで、あんな荒地でティーダはどんな作物を育てようっていうの? あんな所じゃ、ムギもトウモロコシも育たないわよ? 出来るとしたら、お芋やカボチャかしらそれとも、マメ?」
パラダイスのほうへ向かって歩きながら、ビリジオンさんが尋ねる。
「うーん……そこらへんは、私もよくわからないのよね。こうやってビリジオンさんに手伝いを頼みに来たってことは、ティーダは把握しているんだよね?」
正直なところ、私自身自給自足とはいっても、厳しいことは重々承知していた。
「当然さ。張本人が把握していなくってどうする」
と、ティーダは自信満々に口にした。
私も、本当はもっと栄養豊かな土地を購入したかったのだけれど、私はお金をそこまで稼げるほど経済的に豊かではなく、購入出来た土地は乾燥して土も痩せ、草もまばらにしか生えない荒野だけ。
だから、まずは荒れた土地でも育つようなイモ類を育てようと思ったのだが、ティーダはそんなんじゃダメだという。土木工事や大工仕事を生業とするドテッコツ組の皆がならしてくれた土地だけれど、イモを育てるのがダメならば一体どうすればいいのやら。
「ビリジオンさんがいった通り、アメヒメのパラダイスは見ての通りの荒地なわけで……ドテッコツ組の皆が開拓するついでに耕してくれたけれど、正直あのままじゃ草なんて生えるわけが無いんだ」
「うん、それはわかるよ……」
「ま、それでも芋や豆ならば育つだろうけれど……それでも収穫がいまいちじゃ意味がないからな。だからまずは、土を作らなきゃいけないんだ。それで、ビリジオンさんに手伝って欲しいのは……」
「うん、何かしら?」
「あそこに、森の土を集めるんだ」
「はぁ……森の土。また、なんで?」
「ここの土で育たなくても、森の土でなら作物は育つでしょう」
「……確かに。でも、土を運ぶとなるとものすごい重労働よね?」
「だからこそのビリジオンさんですよ。俺やアメヒメが出来ない事を平然とやってのける。そこに痺れる憧れる」
なるほど、重い物を運ぶのであれば、確かにビリジオンさんが適任だ。行商達が雇う種族には、ゼブライカのように逞しい四足のポケモンが多いように、似たような体型のビリジオンならば……というわけだ。ティーダはミジュマルで、私はピカチュウだもの、そんな小粒な私達では力を発揮するのは難しいので、ビリジオンさんがいてくれれば心強い。
「なるほど。でも、それだけで正直作物は育つのかしら?」
「不十分だね。だから、宿場町とか、そういう近いところからも、土の材料を集められるだけ集めた方がいいということになる……」
「はぁ……ね、ねぇアメヒメ?」
「なんでしょう?」
「ティーダって、農民の出身? 発言が不自然なくらいによどみないわ」
「いえ……それが、記憶が無いらしくって……」
ビリジオンさんの質問は私も気になっているところではあるのだけれど、ティーダは覚えていないの一点張り。何か隠し事をしているような雰囲気もないし、本当にそうなのだろう。
「そうなんだよ。俺は記憶が無いんだ……だからさ、ビリジオンさんみたいに自分を語ることが出来なくって。きっと、少年時代は才色兼備で神童って呼ばれていたんだろうけれど、記憶がなくって残念無念って感じだよ」
「なるほど……どうにも畑のことに詳しいから、農家の出身かと思ってしまったわ」
ティーダの戯言はうるさい。それをさりげなくスルー出来るビリジオンさんはすごいと思うんだ。
「出身ねぇ……それがわかればいいんだけれどね……」
取り留めのない会話を続けて、私達はビリジオンが泊まっていた宿から、パラダイスにあるドテッコツ組の事務所小屋へ場所を移す。
「おはよう、ドテッコツ」
「おはようございます」
と、ドテッコツのカークさんに私達は挨拶し、返ってくるのは威勢のいい『おう、おはよう』の声。そして、ビリジオンさんに対しては……
「そしてビリジオンさん。今日もいい毛並みですね」
「貴方の筋肉も太陽に照らされて鈍く輝いているわ。お互い健康でいいことね」
くどき文句のようなドテッコツの言葉をさらりと流してビリジオンは微笑んだ。その微笑み一つで、ドテッコツからは感嘆のため息が漏れるあたり単純だよね、ドテッコツさんも。
「よう、ティーダ。今日は力仕事を頼みたいって聞いたが、何をするんだ」
「うん、それなんだけれどね……このパラダイス、倒木がそこらじゅうに横たわっているでしょ? この前の開拓でも、結構な数の木を切り倒したけれど……あれ、特に何にも使わないよね?」
ティーダ、また何か変なことたくらんでいないかな。
「ふむ……確かに使う予定はないが、アレは朽ちているから建材にも木材にも使えないぜ? 弟子達の角材にもなりゃしないから、焚き木くらいにゃなるだろうけれど……」
「うん、全部燃やして灰にして、それを保管して欲しいんだ」
「え、あ、あぁ……?」
ドテッコツさんは呆然としていた。そりゃ、そうよね……倒木を灰なんかにして、ティーダは何をするというのか。
「てぃ、ティーダさん。あ、あの……」
溜まらず、弟子の1人のドッコラーが口を開く
「灰にして、どうするつもりなんですか?」
「土にするんだ。エモンガにも、自分の鍛冶屋で出た灰を貰える様に頼んでいるし、座んな亭のママさんにも灰を貰える様に頼んでいるし……」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよティーダ。そんなにたくさん灰を集めて何をしようって言うのさ!?」
「土を作る。それ以外に目的はないよ」
私が尋ねても、ティーダは澄ました顔、澄んだ瞳で私のほうを見るばかり。自分のやることには絶対の自信があるようだけれど……一体その自信はどこから来るのか。
「うーん……アメヒメちゃんが心配するのもわかるなぁ。なんか知らないけれど、農場の管理人として、こいつヤブクロンを選んだからなぁ。俺は昔、仕事の関係で知り合った奴らがいくらでもいるから、農作業に適してる地面とか水とか草タイプのやつらの方がいいんじゃないかって言ったんだが……」
「へ? ヤブクロンって毒タイプでしょう? 何故、そんな作物をダメにしそうな種族を……」
やっぱり、この奇行にはビリジオンさんも首を傾げるらしい。
「ビリジオンさん。そりゃもちろん、土を作るために必要なんですよ。ここでは、まだ俺が知っている習慣も無いようですし……」
耐えかねて尋ねたビリジオンさんに対しても、ティーダの答えは変わらない。
「俺らドテッコツ組も金を貰って仕事している以上は、役に立たない仕事でも文句は言わないけれどよ、ティーダ……本当にそれで大丈夫なのか?」
ティーダは少しだけ考える。
「俺の記憶が確かなら」
少しだけ考えて、けれどティーダの答えは変わらなかった。
「一つ確認をしてみようか。あの荒地を農地にするには、ただ耕すだけじゃダメなのは皆もわかると思う」
ティーダがそう言って皆を見渡すと、その場の全員が頷いた。
「だから、森にある木が育つ土を持ってきたり、木が燃えた後に残る、植物が生きるために必要なものが燃え残った灰。それらが必要なわけ」
「うーん、でも、それだけの作業なら燃やすことも出来て重い物も運べるバクーダとかギャロップで人員は事足りるよな? ヤブクロンは何に使うんだ?」
「生ゴミとか、排泄物を集めて、それを土にする……のだけれど、わかるかな……」
ドテッコツさんの質問に対するティーダの返答に訳がわからなくって、みんな絶句していた。
「排泄物って、つまりうんこやおしっこのことだよな……?」
女性にそういう台詞を言わせるわけにも行かないのか、ここはドッコラーの弟子が上手いこと質問を先取りしてくれた。
「そうだよ。ここでは、土にそのまま埋めちゃってるみたいね。俺としちゃ、もったいないことこの上ない」
「当然だよぉ。あんなのを外に放置していたら、そこらじゅう臭くなっちゃうし、ハエが沸いて周りの人が病気になっちゃうし……植物だって……そうなんじゃないの?」
私がそう反論するも、ティーダは首を横に振る。
「そうならない方法を、俺は知っているから……だから安心して。むしろ、そうやって埋められた場所の土は、何年も経てばこなれていくから、いい土になっているはず。俺の方法で土を作るのは数ヶ月かかるから、明日からはそれを掘り起こしてもらってくる作業をするよ」
「なー、アメヒメちゃん。なんだかとんでもない奴を拾っちまったなぁ、お前さん」
「うん……私もそう思う。自信満々だから、なんというか任せてみる気になっちゃうんだけれど……本当に大丈夫なのかちょっと不安」
私も、そんなティーダの振る舞いにはため息をつくしかない。けれど、ティーダはどこにも行く宛てもないから、私が信じてあげなきゃ路頭に迷っちゃうし……甘やかしているわけじゃない、信じてあげるんだ。
その日は近所にある小さな林と、私達のパラダイスとを行ったり来たりを繰り返すことに。集めたお金で購入した荷車を引く際は、微力ながら私達も力を貸したけれど、やはり絶望的なほどの体格差のせいもあってか、ビリジオンさんにはほとんど何の足しにもならないようだ。
だから、私達二人は土運びを諦めて、その作業は倒木を集め終えて手があいたドテッコツさんとビリジオンさんの共同作業ということに。見送ったドテッコツさんの表情は鼻の下を伸ばしてみっともなかった。
そして、私達は畑を耕し先程運んできた森の土(腐葉土と言うらしい)を畑の予定地に梳きこんでゆく作業をする事に。ドッコラー達と4人で泥まみれになりながらの作業は、夜になって手元が見えなくなるまで続いた。
作業を終えると、私達は食事を取るために座んな亭へと足を運ぶ。
「行商人ってすごいのね……ああやって荷物を運んでいく作業を毎日やっているんだもの。荷物少なめでも何とかなる探検家でよかったわ」
土を目一杯に積んだ荷車を抱えて何往復もしたビリジオンは、今日の作業を振り返ってそう語る。
「いやいや、なんというか……安い賃金でこき使っちゃってゴメン。希族相手に気が引けるよ」
「あらあら、気にしなくっても、私は希族の爵位はとっくに捨てたから。今の私はもうただの希少種。他のポケモンと同じ働きなら、同じ賃金で雇っても何の文句もいわないわ。そうでしょ?」
みな、少量ながら酒が入っていて気分は良さげ。なんだかんだで、いい汗を流したぶん、今日は充実した一日だったと感じているらしい。
「そっか……取りあえず、明日も作業内容こそ違うけれど、またお仕事を頼むことになると思うから……その時は、よろしくね」
酒を一口含み、ティーダが頭を下げる。
「ふふ、頑張りなさいよ、二人とも。私も、探検隊アイリスの一員として、どこまでだって付き合うわ。一緒にパラダイスを作って行きましょう」
やっていることは訳がわからなくとも、今日の作業を誰よりも頑張っていたティーダを見て、ビリジオンはティーダを疑う事をやめたようで、作業の折にも愚痴をもらすことはなくなったそうな。私達も、ティーダに対して何か疑うような言動をする事をやめた。
疑っても、仕方が無いと気付いたのだ。ティーダは、仕事をすることでなくした記憶を必死にかき集めようと頑張っている。それでいて、私に協力してくれているのだもの、邪魔しちゃいけない。
次の日からティーダは、座んな亭が何年もかけて生ゴミや排泄物を埋めていったという、崖下の空き地の土に目をつける。ドテッコツ組には、昨日エモンガとノコッチが訪ねて回り、集めてもらった灰の回収に向かわせており、何より座んな亭を始めとする食事処や、エモンガが勤める鍛冶屋などがその主な供給源であった。
「ゴミを埋めた土がねぇ……いい土になるのかしら?」
土を集める途中、ビリジオンは疑いを含めて呟いた。ここ、座んな亭は旅で疲れた行商達に、まず『まぁ、座んなよ』と声を掛けることから、誰が呼ぶでもなくそう呼ばれるようになった場所。正式名称は普通にシラトリ亭なのだが、その名前も呼ばれなくなって久しいのだそうだ。
当然、この場所は何年も営業しているため、埋められたゴミの量も途方もないくらいだ。
「へぇ……いい土じゃないか。いや、でもきちんと発酵させていないから寄生虫が……いや、ポケモンの体なら大丈夫かな? うーん、熱湯ぶっかけるか」
崖下の空き地は、草がぼうぼうに生え放題であった。それでも、現在ゴミを埋めている最中の場所の周辺は草も生えておらず、そこらへんの土はまだ掘り返すまでもなく、私の敏感な鼻が異臭を感じ取ってしまう。
ただ、埋めてから2ヶ月ほど経った土は、分解しにくいような物以外はほとんど土に還っており、悪臭もほとんどなくなっている。骨はさすがに原型をとどめていたが、風化しているおかげもあってか力を入れればバリバリと砕けていった。
「魚の骨や貝殻、卵の殻もある、野菜も肉もきちんと分解されている……ふむ」
もちろん、汲み取り式のトイレの内容物も地面に埋められていたが、きちんと土に還っていて悪臭もない。草刈りをして、それらの土を掘り起こしたティーダは、嬉々として荷車に積み込み、パラダイスへと運んでもらう。もちろん、座んな亭以外の食事処や、一般家庭がそういった悪臭を醸し出す物を埋めて言った土も順次回収し、それを畑に梳きこんでゆく。
「疲れた……」
終わったころに、暗くなってきた空を見上げてティーダはそう呟いた。ドテッコツ組は、今日は『男の料理をご馳走する』と言って、先に帰って食事の準備をしている。まだ作り終えるまでは時間がかかるだろうから、私達はもう少しここで休んでいよう。
「それにしても……」
もとは悪臭を放つものであったものも、こうやって掘り起こしてみると他の土とあまり大差がなく……臭いものにはふたをしておくべきだと思っていた私には、それが衝撃的で、土に梳きこむ間もずっと不思議な気分である。
「このまま土を消毒してから灰も梳き込んで2週間くらい土に馴染ませて、そしたらイモを植えよう」
「結局イモ、なの?」
「あぁ、別にアメヒメが言うように、イモを最初に育てるのが間違いだった訳じゃないんだ。悪いね……何も考えずにイモを育てようとしたのが間違いだったって事」
「そっか……でも、いい土なのよね、あそこ? いい土なら、育てるべきはムギとかじゃなくて?」
私が訪ねると、ティーダは笑う。
「ダメダメ。俺も自信をもってどんな植物だって育てられるぜとか言ってみたいところだけれど……いくら俺でも全滅したら笑えない。自然を相手にするってのは、そういう事があるから本当に怖いよ。だから、最初はそうだね。ジャガイモとサツマイモ、カボチャ、後はマメとかを育てるべきかな。いい土になったといっても、まだ俺もきちんと出来るか不安だから……当初の予定通りイモから育てるよ」
「は、はぁ……。なるほど」
私は、ティーダの言葉に納得して頷く。
「誤解させちゃって悪いね。荒れた土地でも育つイモを植えようって言うアメヒメの言葉自体は間違っていないんだ。でさ、せっかく持ってきた灰や土だけれど、このままじゃ病気や寄生虫も怖いし、そうなると熱湯で消毒した方がいいからね……灰を混ぜるのもそのあとだね」
「あら、ティーダは熱湯の技……使えるの?」
ここで、ビリジオンさんが笑みを崩さないままにティーダへと尋ねる。そういえば、ティーダが熱湯なんて使っているところは見たことが無いなぁ。私が見た事無いのだからきっと、ビリジオンさんもないのだろう。
「まだ戦闘中に使うことは出来ないから……覚えていると言えるかどうかは微妙だけれど、一応撃てるよ。でも、量があると厳しいからなぁ……宿場町にダンジョンへよく潜っているヒヤップがいるから、コツが無いか教わってくるよ」
ビリジオンが訪ねたことに対し、ティーダは熱湯なんてまだ使ったことが無いため苦笑せざるを得ない。まぁ、ミジュマルであるティーダなら、自然と覚えられるし問題なかろう。
「でも、どうして熱湯なんて掛けるの? そんなことしても疲れるだけだと思うんだけれど……」
私は首をかしげてティーダに尋ねる。
「それが色々あってねぇ……アメヒメ。そうしないと、草達はともかく、俺達が病気になる可能性があるからね。俺達の体の中に、小さな虫が入り込んで悪さをするからさ……その虫達と上手く付き合っていける種族ならいいけれど、中にはそういうのに弱い種族もいるだろうし。ミミズみたいな小さい蟲が、頭の中や内臓の中でうねうねしていたら嫌だろう?」
「うへぇ……」
ティーダの説明に、私は思わず声を上げた。体の中に小さな虫……それは怖いな。
「大丈夫、そのための熱湯なんだから。とはいえ、熱湯を掛けると……土から活力の1つ((ここでは窒素を指している))が大量に流れちゃう。から、それについても考えないと……マメならその問題についてはそこまで問題ないかな」
「ひ、1つ……?」
「うん、1つだよ。重要な活力は主に3つあるんだけれどね、そのうちの1つが」
ティーダはしれっと言い放つ。その3つがなんであるか、どういう名前なのか尋ねても、彼は説明するのが難しいと言うばかり。
「ティーダってば。本当に貴方、何者なの? 私、気になっちゃうわね」
一緒に作業をしてくれたビリジオンは、苦笑して呟いた。
「何者ねぇ……それがわかったら……苦労しないんだよね、俺も」
投げやりに言って、ティーダはため息をついた。
それからというもの、資金稼ぎのためにダンジョンを探索する必要のある依頼を受けつつ、土作りの作業も少しずつ行っていると、あっという間に1週間が過ぎていった。依頼を受けつつ農作業をこなしていると、昔ドテッコツさんに仕事の関係でお世話になったというヤブクロンのジャックが、このパラダイスにたどり着いた。風の噂でドテッコツさんがやさぐれていたのは聞いていたようなのだが、今また仕事をやる気になったと聞いて、大喜びでこのパラダイスに来てくれたらしい。
「よし、それじゃあヤブクロンさん。早速だけれど仕事の説明を始めるよ」
お茶を酌み交わしつつの挨拶と自己紹介を終えると、ティーダは早速仕事の説明に入る。で、その仕事というのが……し尿、つまり排泄物の回収であった。この日のために購入した大量の水瓶の中にそれらし尿をいれ、回収して回る。
もちろん瓶に蓋をしていても半端じゃない悪臭が発生するため、あまり大きな道を通ると皆が顔をしかめてしまうし、そんな物を集めるだなんて物好きな奴だと口を揃えて言う。ただ、それでもティーダの人格を認めている人は、彼を悪くいう事もせず、ビリジオンもドテッコツさんも、悪臭に顔をしかめつつもきっちり車を引く手伝いを申し出てくれた。
私も、かなり臭かったけれど、頑張ってそれに加わった。
集め終えると、次はそれを土と混ぜ合わせ、空気を含ませている。集まったハエ達がぶんぶんとやかましく、そんなところで涼しい顔でいられるのはヤブクロンのジャックさんだけ。なるほど、ティーダがヤブクロンを求めるわけである。ティーダは作業の終わりに、森の土を投げ込み……そうして1日終わった。
次の日には、早速忙しくなった。まぜ込んだ土は触れたらあったかいを通り越して熱くなるくらいの温度になっており、湯気がもうもうと立ち上っている。その温度を確かめるためにティーダは一瞬だが触っているようだ、けれど私は触りたくない。材料が材料だというのに、平気で触ってしまうティーダは、何というかすごいと思う。
その日からは、私達はヤブクロンさんに土の管理を任せて依頼に出かけるようになった。温度が高くなりすぎる前に土を混ぜて切り返し、水分が少なくなったら水を撒いてみたり。いわれたとおりにそれを行うのは大変そうだったが、ヤブクロンさんはまじめに、そして的確にこなしているようで、ティーダは私達二人きりの時でも、何度も褒めているといった具合だ。
そんな日々がゆっくりと過ぎて、数ヶ月も経つと、パラダイスの様子は大きく様変わりしていた。
娯楽施設として、ツンベアーがホッケー会場を作ったり、木の実や種を取り扱う商店や、不思議玉を扱う商店が出来たり。驚いたのは、どこの学園から引っ張ってきたのか、学校のない宿場町に住む子供に勉強を教える教師をドテッコツさんが連れてきたりしたことだ。
これによって、宿場町からもお金が入るようになり、パラダイスの発展にも寄与してくれることだろう。
そして、何より驚きなのが、自給自足をするためにと、ティーダが散々苦労を続けてきた畑である、痩せた土地でも育つようにと植えられたイモやマメは元気に育ち、オレンの苗やピーピーマックスの原料となるヒメリの苗木も、植えたころとは見違えるほどに元気に育っている。
そして、彼が周囲を黙らせたのは、何の手も加えていない、耕しただけの土であった。あんなやせた土地に、どんな作物も生えるわけが無い……と、思われていたけれど、それはまさしくその通りであった。イモは痩せた土地でも育つと言う触れ込みどおり多少育ったが、その他の作物は雑草と見分けがつかないくらいにやせ細ったものも少なくない。比べてみればそれは一目瞭然であった。
ティーダ曰く、対照実験をすれば人は理解してくれるとのことで、そのためにわざわざ土以外の条件をすべて同じにした畑を作ったのだとか。
そんなパラダイスの中でも整地されていない場所にある、まだ残っているコブ状の山から、私達2人はパラダイスを見下ろしている。季節が2つ過ぎて、春から秋になった移ろいやすい空に抱かれて、ティーダは私の肩に手を置いて言う。
「なぁ、アメヒメ」
「なあに、ティーダ?」
私が訪ねると、ティーダは鼻で大きく息を吸って、口から吐き出す。空気が美味しいのだろうか。
「俺様が育てた畑、立派になったろう?」
ティーダは、これでもかというくらいの得意げな顔で私に笑いかけた。なんとまぁ、自信に溢れた表情だこと。
「うん……あの痩せた土地がこんなになるなんて……思わなかった」
「そうだろうよ。ここら辺は、使えなくなったら捨てるって考えが根付いてる……聞けば、たまに行商人が売ってくるホエルオーの脂だってさぁ、脂以外の場所は捨てちまうとかなんだとか。本来ならホエルオーはヒゲも骨も肉も内臓も、捨てるところなんてないはずなのに……もったいないことだよ。そういう考えはなくして、使えるものはどこまでだって使ってやるべきだ。
それがこの世界の真実だろうよ。だから、俺様は捨てないぞ。この土地も、ゴミも、糞尿も、人も。ヤブクロンなんて、不衛生だからって煙たがる奴が多いけれど、肥料を作る役目ならば喜んで買って出てくれる。ゴミだって糞尿だって灰だって、きちんと処理すりゃいい土になる。そうすりゃ、こんな痩せた土地だって、見ての通り再生出来るんだ。
どんなに悪いものでもよ、手を加えれば蘇るもんさ、捨てちゃったらもったいないぜ? もっと大事に使ってやるべきさ。俺はね、まずはそれをここの住人に教えてやりたかったんだ」
「うん、そうだね……」
ティーダの言葉を聞いて、私はとある人を思い出す。
私がパラダイスを作るきっかけであり、また死に掛けていた私を生かしてくれたあの人。入道雲のように大きな黒い体を持ったあの人は、瀕死だった私に電気を分け与え、弱気になっていた私に『理想』を目指す勇気を与えてくれた。そして、ティーダと同じ様な事も言っていた。
あの人に言われた『泥で汚れているのならば、むしろその汚れで化粧してみるがいい』その言葉を私は何度も何度も反芻する。そうやって出来たのがあの畑であり、この土地なんだ。
「ティーダ」
そよ風に吹かれながら、私はティーダを見つめる。
「何、アメヒメ? 雰囲気いいから、俺様にキスの1つでもサービスしてくれるとか?」
半年経っても、ティーダのこの軽口は治る様子が無い。今ではもう、私のほうがすっかり慣れてしまった。
「うん、いいねそれ」
「ちょ……」
冗談半分に口にしたティーダの言葉を、あえて真に受け私は顔を寄せる。相手が身構える前に唇を押し付けると、彼は驚いて目を見開いていた。
「ん……」
口を離した時に甘ったるい声を漏らし、私は微笑む。
「私も、貴方も、捨てられないでよかった。生きていて良かった……私は真剣に、そう思うよ。ティーダ」
「何だアメヒメ? 『生きていて良かった』ってお前、死に掛けたことでもあるのか?」
「うん、昔ちょっとね……行き倒れたことがあって」
「なるほど……それで、誰かに助けてもらえたのか」
「うん、自力じゃ死んでいた。物好きな人が、助けてくれたの」
こういう事を話して、具体的な事を何一つとして言わないのは、少し意地悪というか卑怯だと思う。ただ、ティーダは、私が全てを話す気分ではないのを察してか、それ以上の事を突っ込んで聞こうとはしなかった。
「しかし、アメヒメが倒れていたら、助けるのなんて当たり前だよなぁ。こんな美人、放っておいたら雨雲が嫉妬して覆いかぶさってくらぁ」
「何それ、ティーダ」
実際に、そんな感じだったのを思い出して私は笑う。あの人は地平線の先まで大雨にしていくほど、すさまじい力の持ち主で、そうやって私のために雨水を飲ませてくれたし、衰弱した体に電気も流してくれた。
「アメヒメは水も滴るいい女ってこった。ま、俺があのまま行き倒れてアメヒメに拾われなかったら、太陽が落っこちて俺にキスしに来ただろうよ」
「何それ、大惨事じゃない。世界が滅びちゃう」
途方もないティーダのジョークに、私は笑った。
「そうだよ。だからアメヒメは世界を救ったんだ。太陽が落ちるのを食い止めたってね。いやぁ、いい女だ」
「へへ、それじゃあ私、世界を救った英雄だね」
おどけて笑ってみながら、私は物思いに浸る。
私は、死ぬはずだった者だ。けれど、あの大きな体の黒い竜に助けられ、ここまで来たんだ。探検隊、アイリス……どんな色も受け入れ、調和する虹のように、どんなポケモンだって受け入れて調和するパラダイスを作る。そんな願いを込めて名付けられたものだ。
まだ、人口は少ないけれど、着実に増えている。そして、今はまだ自給自足が出来るほどの収穫は得られないだろうけれど、いずれはそうなるようにしていくつもりだ。
この土地が旅の通過点ではなく目的地となる日が来るように。そんな私の『理想』を実現するために。
「ねぇ、ティーダ。久しぶりにあれ、叫ぼうよ」
私はティーダの手を握って頼み込む。
「いいよ、アメヒメ。一緒にやろう」
ティーダが握り返すのを感じながら、私は息を吸った。
「せーの……『雨よ、太陽よ、虹となって輝け!! チームアイリス、ここにあり!!』」
腹の底から力いっぱい叫び、腕を振り上げると、パラダイスにいる人達は、皆こっちの方を見ていた。皆が皆、笑顔でこちらに手を振ってくれているのが、言葉に出来ないくらい嬉しかった。