短編
第一九話:探検隊アイリス、ここにあり
大結晶の塔、奥の間

 そこに、敵がいた。グレッシャーパレス最上階。大結晶の塔の奥の間。まるで台風の渦中にあるような暗雲が紫色を呈して渦巻く空間。そこは、まるでこの世の光景には見えない、というか室内であることが信じられない。
 下には底が見えない奈落の底が広がっており、地面はガラスのように不可視の地面があるだけ。はた目には宙に浮いているようにしか見えないその光景は、一歩踏み出すと落っこちてしまいそうで共振が煽られる。正面にて静かに座する氷触体は、禍々しい風を放ちながら彫像のように動かない。周囲にも、氷触体の子供のような小さな氷塊が、流氷のように周囲を漂っていて、そこからも微小ながら風の流れがあるようだ。
 氷触体は、それは透き通る氷の塊である。中心から6つの腕を伸ばす形状は、雪の結晶を巨大化させたようにも見えるが、ところどころに生える醜悪な棘や、中心にはめ込まれている病んだ肉塊のような色のコアは、氷触体という物体が神聖なものではなく、何かもっと別な災いを呼ぶものであることを表しているようだ。
 心の熱を奪うもの。そして、ひとたび猛威を振るえばこの世界に存在する感情と呼ばれる類の物の一切を消し去ってしまうもの。それが浮かび上がるその部屋は、そこにいるだけで死にたくなるような気分に襲われてしまう。
「アレが……氷触体」
 ティーダが呟く。

 アメヒメは、心の中で『こんなに息苦しい状況であんなものと戦うのか』と考える。すると、その一瞬の隙を突かれ、彼女の心は体ごと氷触体に蝕まれる。
「く……苦しい!」
 少しでもネガティブなことを考えただけで、アメヒメは突然首を絞められたかのような感覚に陥って、どさりと倒れ込む。
「アメヒメ! 大丈夫か?」
 心配して駆け寄るティーダに、キュレムのテレパシーが届いた。
「氷触体から吹き荒れる風は……ただの風ではない」
「キュレムの声……」
 頭の中に響いた声に、ティーダが驚く。
「この風は、人間たちの負の意識。失望の風だ」
「失望の風?」
 キュレムの言葉に、ティーダがオウム返しに訪ねる。
「そうだ。不信感や絶望、猜疑心、諦め、嫌悪感。そんな人間たちのあらゆる負の意識を、氷触体は風として吸収している。そしてそれがまた大きな渦となり、多方向に吹き荒れている。氷触体は失望の風をエネルギーに変え、成長しているのだ。お前の想像通り、精神状態がネガティブになっている者ほど、その影響を受けやすい」
「そうか。失望の風は負の意識そのもの……アメヒメは失望の風の影響を受けて、息苦しさが増しているのか……」
「ごめん……ティーダ。少し、あんなのに勝てるのかって、考えちゃったから……」
 途切れそうな声でアメヒメが謝罪を口にする。
「いいさ、お前が倒れたのはお前のせいじゃない。俺が特別なだけだ。それに、俺だって壊せるのだろうかとか、それくらい考えた」
 アメヒメの背中をさする。
「ティーダ……私はいいから、早く……早く、氷触体を壊すんだ……」
「うん、分かってる。ごめんな……」
 ティーダは、立ち上がる。立ち上がって、氷触体へと向かって歩き出す。一歩ずつ、一歩ずつ。歩いているうちに、違和感ばかりが足にまとわりついていく。沼だ。沼に足を踏み入れたような、不快な感触だ。それも、沼の中には蛆虫が満杯になって蠢いているかのような、耐え難い不快感が全身にまとわりついている。
 しまいには(のり)の中を泳いでいるような気分になる。当然それは足取りが阻害されるだけにとどまることなく、呼吸まで蝕み、ティーダの体を容赦なく苛んでゆく。
 苦しい。急に息が……なぜ自分も? ニンゲンでも影響を受けるのか? これが、負の意識の苦しさ……でも、それでも。アメヒメよりはましなはずだ。行くしかない!
 ティーダの心の声が、そう言っている。ティーダは何があっても氷触体を倒すと思い直し、突き進む。だが、彼の息切れは加速する。ティーダは息苦しくって、力が入らない。これ以上、前に踏み出せない。なんだよ、ここまで来て……ここまで来て、俺は何にもできないのか!? ティーダの心の声がそう叫んでいる。
 皆の……皆の希望を背負っているのに! この世界を救う事を、託されているのに。何も……出来ないのか?ティーダの心の声が、苦しそうに毒づく。なんとか歩き出そうと、体に力を入れようと頑張っているがしかし、一度倒れてしまったら、体はピクリとすら動かない。金縛りどころか、まるで魂が抜けてしまったように、体の重さだけが。ティーダを支配している。


 でも、大丈夫ですよ。ティーダさんの声は、毒づきながらも前を向いてます。アメヒメさんも、前を向いています。
 ほら、聞こえるでしょう?
『頑張れ!』って。
「今のは!? 何だろう、今のは」
 ティーダさんの体がピクリと動きます。まだ顔を上げる事すらできないけれど、前を向いている心の声は、ティーダさんだけではないという事ですよ。
『頑張れ!』
「空耳、じゃない?」
 ティーダさんの指に力が入るようになったようですね。まだいけます……スウィング様の呪縛が解けたので、少しずつ私の力も戻ってきたようです。
『頑張れ!』
「私にも……聞こえる……」
 うん、アメヒメさんにも声が聞こえるようですね。まだ私が実体化するのは難しいですが……もっと、もっと。多くの人の声を、多くの人に届けられれば、きっとティーダさんをもっと奮い立たせることも出来るでしょう。
 頑張れ!
「聞こえる……これが、我が子達が生み出した命の声の力なのか?」
 そうなんですよ、スウィング様。貴方の子供、ウォープとウェフト……私はゼクロムとレシラムが生み出した私の力なのですよ! つまり私は孫です!
『頑張れ! 頑張れ!』
 ティーダさんの体に、力が入ります。まだ戦うには厳しいですが、もう少しで立ち上がれるようになることでしょう。
『頑張れ! 頑張れ!』
「声が……増えている」
『頑張れ! 頑張れ!
 頑張れ! 頑張れ!』
「風が……苦しくなくなってきた」
『頑張れ! 頑張れ! 頑張れ!
 頑張れ! 頑張れ! 頑張れ!』
「こ……これは……一体なんだ?」
 またまた、ティーダさんってば分かっている癖にとぼけちゃって、憎いですねぇ。貴方のよく知っている人達の声ではないですか。この声は、パラダイスの住人達ですよ。
 貴方と出会って成長したノコッチさん。貴方達を出会ってから今まで、サポートし続けてくれたヌオーさん。貴方を慕い、文字を教えてもらったことを誇りに思っているヨーテリーさん。そんな孫を持ち、幸せ者なハーデリアさん。
 美味しい料理を作ってくれるスワンナママさん。貴方達が最初に救った、ドテッコツ組の皆さん。ウザったいと思いながらも、勝利のヒントをくれたビクティニさん。ヨーテリーさんと同じく貴方を尊敬している心優しいクルマユさん。そして、その子のための未来を君に託したハハコモリさん。
 重傷を負いながら、君に未来を託したエモンガさん。ビリジオンさんとエモンガさんの治療のために残ったエーフィさんとブラッキーさん。ムンナさん達を救い、君に未来を託したビリジオンさんとケルディオさん。そして、君達に救われたムンナさんも。

 皆、貴方の勝利を願っています。世界が終わらないことを祈っているのです。
「これは……皆の……」
「励ましの声だ」
 ようやく、声の主に気付いたティーダさんに、スウィング様が言います。
「ここに向かって、人間たちが念を送っているのだ。すべての者ではないが……それでも、お前の仲間や、アイカやメロエッタなど、多くの者の呼びかけで前を向く者達が……勇気を持つ者達が増えたことで、失望の風が弱まったのだ」
「失望の風が?」
「そうだ……人間たちの前向きな気持ちが、氷触体の動きを妨げているのだ」
 キュレムの言葉に、倒れていたアメヒメさんがティーダさんの方を見ながら目を輝かせます。
「やっぱり……皆の気持ちが前を向けば、世界は……未来は、変えられるんだ」
 アメヒメさんの言葉にティーダさんも頷きます。
「力が戻ってる。今なら、叩ける……アメヒメ、俺の事を見ていてくれ。俺は、今から英雄になって見せるからさ!」
「うん、頑張って」
 アメヒメさんがうなずきつつ、ティーダさんを見送ります。
「あぁ、生きて帰ろう」
 ティーダさんがホタチを構えます。
「白陽の申し子、ティーダ! 未来を切り開く!!」
 構えたホタチを手に、ティーダさんが駆け出します。ですが、振りかぶったシェルブレードをどれだけ強く打ち付けても、傷一つつくことはありません。
「な……」
 あまりの丈夫さに驚いているティーダさんですが、そこは冷静に氷触体を蹴って、一度宙返りして体勢を立て直します。ティーダさんは、今度は全力で駆けて、体ごとホタチの刃を突き入れますが、それもあえなく弾かれ、ホタチが空しく飛んで地面に転がりました。
 慌ててそれを拾うと、今度は物理攻撃がいけないのかと考えたのでしょう。
「コイツを喰らえ!」
 と、彼の十八番、熱湯を吐き出します。ですが、それも氷触体へ一切のダメージを与えることはありません。でも、続けるしかないでしょう。
「うっそだろ……ヌケニンかよこいつは! なら、毒なら」
 ティーダさんがやけになって、あらゆる手段を講じます。しかし、もともと生物ではない氷触体に毒など通じる筈もありません。そうこうしているうちに、ティーダさんの存在が鬱陶しくなったのでしょうか?
 氷触体は周囲から『怒り』をその身に集め、赤い奔流をティーダに向けて血飛沫のごとく放ちます。怒りの力は、正しくものを見る力を失わせる力です。その感情の力は、ティーダさんの視覚を歪ませました。周囲の光景がゆがみ、目は焦点すら見失い、距離感も、方向感覚もなくしてしまい、耐え難い吐き気に襲われます。いわゆる混乱状態という奴です、はい。
 その状態で、頭がはっきりしない状況でも、なんとかティーダさんは立ち上がり、攻撃を仕掛けます。
「こなくそ!!」
 虫タイプならどうだろうと、振り上げた連続切り。振り上げたホタチが振り下ろされた時、ティーダさんのホタチは空を切って盛大に転んでしまいます。まだ、さっきの攻撃の影響が残っているようで、足回りはフラフラです。
「こんなふらふらの状態じゃ……棒立ちの壁みたいなやつにさえ攻撃が届かないのかよ! くそ!」
 毒づきながら、ティーダさんは炎のタイプの目覚めるパワーで攻撃します。ですが、通じません。今度の氷触体は、周囲から煌めく星のような絶望を集めて、ティーダに放ちます。その力は、ティーダさんの呼吸を奪います。もう、体を動かしたくなくなるような、そんな息苦しさが。全身を貫く激痛とともに襲ってきます。とてもつらいです。
 外傷は全くないのに、尋常ではない痛みと苦しみに苛まれますが、しかしティーダさんは諦めません。彼の瞳孔がぎゅっと狭まり、全身の体毛がざわざわと逆立つ感覚。さっきまで体中を走っていた痛みも嘘のように消えて行きます。
「激流の特性か……」
 そう、激流の特性が発動したようですね。それでもまだ、先ほどの『怒り』の効果は残っていたのでしょう。ティーダさんは平衡感覚がやられてまっすぐ立ち上がることが難しいようでしたが、これならいけるとハイドロポンプを放ちます。しかし、通じません。それでも攻撃を続けるしかありません。
「な……そんなんありかよ」
 などと、喋っている間に氷触体は『悲しみ』を集めて放ちます。汚い埃を途方もない高速で打ち出すような不快感の伴う攻撃によって、ティーダさんは力を奪われます。力を奪われたティーダさんは、全身に走る痛み、吐き気、息苦しさに加えて、気怠さまで加わってしまいます。
「なんだよ……こんなの、ありかよ」
 嘆いている間にも、氷触体は攻撃してきます。ティーダさんが攻撃を中断してもとにかく攻撃します。不思議と、死ぬことも、意識を失う事もしないで。ただ、常識を超えた痛みと、吐き気と、息苦しさと、気怠さが、際限なくティーダさんにのしかかってゆきます。
 よく見れば、怪我すらありません。ダンジョンで傷つけられた傷が残っていたり、先ほど転んだ時についた傷はありますが、氷触体が新たにつけた傷は一つとしてありません。たまらず、ティーダさんは後ずさりしました。
「攻撃が……俺の、攻撃が効かない……ただの、一つも。どんな攻撃をしても、氷触体は傷一つつかない……一体、一体どうしろっていうんだよ!?」
 とうとう、ティーダさんが弱音を口にしてしまいました。いけない、このままじゃ……私の声が届かなくなります。まずいです。

「うあっ……なんだ、体が……しまった、弱気になったら……」
 ティーダが倒れる。
「え……ティーダ。ティーダ! くじけたらダメだ! 気持ちを強く……気持ちを強く持つんだ」
 でもそれは無駄だ。風はさらに強さを増していく。もう何をやっても無駄だと、だんだんとティーダの中で希望がついえていく。

 そして、それだけじゃない。ティーダの他にも、多くの者が絶望している。
「おじいちゃん……グレッシャーパレスの上に、何か見えるよ!?」
「なんじゃ、あの紫色の渦は!?」
 宿場町に目を向ければ、ヨーテリーとハーデリアが不安がっている。光景は見えなくともその声は、届くだろう? 外からグレッシャーパレスを見上げれば、空を覆い隠しそうなほどの、暗雲が渦巻いているのだ。人々の不安は底知れないはずだ。
「何が起こっとるんだかぬぅ……あまり、良くないことのような気はするだぬが」
 いつもお気楽そうなヌオーでさえこう思う始末だ。
「確かに不吉な感じがするな……あれは」
 ズルッグもこう言っている。しかもそれは、不吉なんてレベルではない。
「皆で気持ちを一つにして向かってみたが……さっきからよくなっている気もしないし……なかなか難しいな」
「前向きな気持ちを持っても……ダメなんでしょうかね? 現実は厳しいんでしょうか?」
 町の住人のコアルヒーとミネズミもこんな調子だ。
「な、何言っているんだよ皆! 諦めちゃだめだよ! 宿場町に出入りしている皆の呼びかけで、他の街でも声を送っている人達はたくさんいるだろうし……何より、広場にいるみんなは、グレッシャーパレスの様子が見えなくっても、今必死に声を送っているんだよ!? 様子が分かる僕たちがい弱気になって、どうするの!?」
 ノコッチが必死に皆をさとしているが、無駄だ。
「もっと、ティーダさんを……グレッシャーパレスに言っている皆を――」
「おい見ろよ!」
 ノコッチの声なんて誰も聞いちゃいない、何もかも無駄なのだ。
「紫色の渦が、さらに大きくなっているぞ!!」
 ノコッチの声など、ワシボン1人の絶望の声にかき消されてしまうような、か弱い声だ。
「本当だ……」
 恐怖に震えた声で、ズルッグが叫ぶ。
「やっぱり、やばいのかよ!?」
 コアルヒーが戦いている。
「皆の気持ちを一つにしても、もはや手遅れって事なんでしょうか……」
 ミネズミが涙目、涙声になっている。
「おじいちゃん」
 不安に駆られ、ヨーテリーが祖父であるハーデリアに抱き着いた。
「ヨーテリー……」
 ハーデリアは、ヨーテリーの頭を顎で撫でる。
「皆、くじけるな! 頑張るんじゃ!」
 この爺さんは、みんなを励まそうと気丈だ。だが、それも本心ではない。
「がんば……」
 本心では、頑張っても無駄だという事を気づいている。頑張れないという事に、もう気付いている。心の声は、こうだ。
『ワシ自身の声が、言ってて何故かむなしく聞こえる。心からの声に、聞こえない!? なぜじゃ、なぜそう聞こえるんじゃ? もしかして、ワシ自身も……気持ちが折れかかっているという事なのか……やっと、みんなの心を一つにして立ち向かおうとしたのに……どんなに、みんなで立ち向かってみても、どんなに頑張ってみても……結局、運命というものは変えられんものなのか……』
 聞こえているだろう? ティーダを誰よりも信頼していた者達でさえも、こうなのだ。他の所では、もっともっと絶望している。

「くそ……なんだよ、この声。頭に響いてくる、ネガティブな声は……やる気が、削げるじゃねーか」
 倒れながら、ティーダさんが毒づきます。はい、確かにやる気が削げるでしょうね、ティーダさん。でも、それでも――

「皆、聞いて!」
 そんな声に負けない者はいるものです。ティーダさんには、さっきまで悪い声ばかり聞えていたようですが、もう大丈夫。そんな声に負けないように……私が、貴方を全力で氷触体の声から守ります。人に、希望の声がある限り、私はその声を届けるのです。
「僕のプリティーな声を聞くんだ」
「これは……ビクティニ……ヴィクリオの声?」
「僕もたった今気づいたんだけれど。グレッシャーパレスに、ただ『頑張れ頑張れ』って、祈っていてもだめだよ」
 そうです、ティーダさん。貴方の言う通り、勝利ポケモンのビクティニの声ですよー。どんな声にも負けない強い気持ちで、貴方達を勝利に導いてくれるはずです。
「君達は、ティーダに頑張らせて……何がしたいの? この世界が生き残ったとして、その時君達は何をするの? 何のために生きるんだい? 何のために祈るんだい? ティーダのため? いいや、それは違うよ……もちろん、ティーダが死んでもいいってわけじゃないけれど、自分の幸せを考えてみなよ。自分の声を、聞かせてあげるんだ。『やりたいことがあるんだ、だから死にたくない!』ってさ。
 自分の中にある希望を思い描くんだ……生き残った自分が、どんな風に生きているか! どんな幸せの中を生きているのか! それこそ、生きたいと思うための、前向きな力だ!」
 ほら、ビクティニさんがいいことを言いましたよ。みんなの声が聞こえてくるはずです。
「私は……」
「僕は……」
 クルマユさんとハハコモリさんの声です。ティーダ、聞いてあげてください!
「子供の成長を見守っていきたい。子供のために、良い世界を残したい」
「皆と一緒に、幸せになりたい! みんなで一緒に、大人になりたいんだ!」
 どうです、聞こえましたか? ティーダさん。
「うぐぐ……ティーダ、諦めちゃいけない」
 アメヒメさんには、聞こえたようですね。そのおかげでしょうか、アメヒメさんはこの失望の風の中でも、僅かにですが動けている。ティーダさんも聞こえますでしょう?

「くっそ……世界が滅びるのって……痛かったり苦しかったりするのかな……? それならいっそ……ここで死んだ方が……」
 だが、まだまだネガティブな思考の者がいる。例えばこのコアルヒーさんのような者がいる限り、ティーダに力は戻らない。
「みんな、聞いて!」
 確かにネガティブな言葉にも一理ありますけれど、希望を与える者というのは、どこにでもいるものです。絶望を振りまく者よりも、少ないし、弱いかもしれません。けれど、その一言がみんなの心を動かすことだって、あるでしょう。
 ほら、聞いてあげてください、ティーダさん。
「僕ね……ティーダさんに文字を教えてもらったおかげで、父さんと母さんからもらった手紙を読む事が出来るようになったんだ。今まで、郵便配達のペリッパーたちに読んでもらっていた手紙をだよ! そしたらね、今までペリッパー達は、嘘をついていないことが分かった。読み上げてくれた文章と、同じことが書いてあったんだ。
 僕のお父さんとお母さんはね。海の向こうでお仕事しているんだ。たくさんのものを売ったり買ったりして、商売しているんだ。それで、帰ってきたら文字の書き方を教えてくれるって……おじいちゃんは、文字の書き方知らないから。きっと誰にも教わっていないって思っているんだ」
「す、すまんのう……わしが文字の読み書きも知らないばかりに」
 ヨーテリーさんの話は、今の状況とは何にも関係のない話のようですが、その必死さに、みんなが耳を傾けています。ほら、まだお話は続きますよ!
「大丈夫、おじいちゃん。僕は。文字の書き方を習ったから……ティーダさんから。だから、皆……聞いて! 僕、お父さん達に会いたい! まだ、ほとんど顔も覚えていない父さんと母さんだけれど……でも、会ってびっくりさせたい。『文字の読み書きが出来るよ』って!」
「ヨーテリー……お前……立派じゃな。わかった、絶対に諦めんぞ!」
 聞きましたか、ティーダさん。君を慕っているヨーテリーさんの声です。子供は、素直ですから、こういうことを恥ずかしげもなく言えるんですね。そして素直だからこそ、大人の心にだって突き刺さるんです。祖父のハーデリアさんだけじゃない、周りにいる人たちも皆。ヨーテリーの事を応援する気持ちになっています。
「ビクティニさんに言われた理由を考えてみたけれど……考えるまでもなかった。僕には生きたい理由があるんだ。だから、お願い……ティーダさん。僕、ティーダさんみたいに、誰かに何かを教えられるような人になりたい! みんなも、僕のために祈ってよ!」

 聞えましたか、ティーダさん?
「この声……ヨーテリー」
 どうやら届いたようですね。痛みやけだるさが少し引きましたか? 氷触体の力は、少しだけ和らぎましたか? でも、まだまだみんなの心は一つになったとは言えません。
 ですから、私がもう少し頑張って声を届けます。

「俺、そういえば……君には恩返しをしているけれど、まだリアさんに恩返ししていなかったな。生きなきゃいけない理由は、やっぱそれかな」
 ゾロアークのカーネリアンさんです。リアさんも信頼されているんですねー。
「おやまぁ、あんた私に恩返ししているつもりだったの? まだまだこき使わなきゃ、私の気が済まないから、あんたにゃもっと生きてもらわないといけないわ」
「うん。好きなだけこき使ってよ」
 そのパートナーであるコジョフーのジャノメさんは、彼を尻に敷く気満々なようですね。でも、これは彼の事を応援しているというべきでしょう。生きる理由があるんです。

「今の声、ゾロアークとコジョフーかぁ……」
 ティーダさん。少しずつ、体が軽くなっていくのを確認できるでしょう? まだまだ、声を送ります!

「謝らなくっちゃ……皆に。僕と、リアの領の皆に……それに、何よりも。ムンナ達に、生きてることの素晴らしさを、今度こそ教えてあげたいんだ。生きたい理由っていうのは、これでいいんだよね?」
「大丈夫よレイク。私も、生きたい理由なら山ほどある。その中に、貴方と生きたいというのもあるわ」
 これは、レイクさんとリアさんの声です。もう怪我の方は峠を越えているようですが、まだまだ立つのは辛そうです。それでも懸命に立ち上がり、貴方へ祈っていますよ。
「まだいい女の一人も抱いてねぇ。童貞のまま死ねるかって話だぜ……」
 エモンガのヒエンさんも、欲望全開で祈っています。むしろ、余裕を見せるためにあえてこんなことを言っているだけですけれどね。本当は、この中で誰よりもボロボロなのに、頑張っているんです。

「まだ……もうちょっと、力が足りない。もう少し……」
 そうですか、それはいけない。ですが、少しだけでも前向きになれば、これだけの力があるんです。その、ちょっとの力を与えられそうな人は近くに居るので安心してください。では、もう一人……誰よりも、声を送りたい人の言葉を聞いてあげてください。彼女は氷触体が近すぎて、激しすぎて……もう声も出ないですが、それでも心は生きています。ですから、心の声を聞いてあげてください。
「ティーダ……私は、最後まで信じている! だから、ティーダも……それに応えて欲しいんだ。まだ、依頼の仕事とか、パラダイスの開拓とか、冒険とか……いろいろ頑張っていきたい一緒に楽しみたいんだ……ティーダ!」
 聞こえましたね、ティーダさん。アメヒメさんの心の声が……。
「あぁ、聞こえた……」
 ならば、今の貴方ならば立てる筈です。指先に、四肢に、力を込めて、立ちあがってください。
「ごめんな、アメヒメ。俺の事、幻滅させちゃった?」
 立ちましたね? しっかりと、地面を踏みしめておりますね? そうです、それでいいんです。アメヒメさんはティーダさんの言葉を否定するように、笑みを浮かべて首を横に振ります。
「心配させてすまない。俺はお前を信じてくれたんだ……だから何よりも、誰よりも、俺はお前のために諦めないし、諦めたくない。やってやる……これが俺の、全力全開だ!」
 ティーダさんが、咆哮をあげ、体ごとホタチをぶつけていきます。全体重が乗った激流のシェルブレード。その威力はすさまじく、そしてみんなの声がまとまりつつある今ならば!! 行けます!! 少しだけですが、ヒビが入りました。
「いける!」
 さらにもう一発! 少しずつ、ヒビが大きくなっています。
「もう一発!!」
 三回目の攻撃。コアを覆っていた被(クロース)が禿げ、コアが露わになりました。その一瞬、氷触体が断末魔の叫びをあげるように、バチリと放電するような音が辺りに響きます。

 その瞬間、この大陸、この国を覆っていた失望の風が一瞬だけ晴れ渡ります。
「皆! 見てよ、あれ!!」
 貴方が起こしたその行動の結果を、皆が見ています。ノコッチさんが声をかけて、皆が一斉に目を向けた先に、何があると思います?
「あれは、虹?」
 聞こえましたか? ワシボンさんの声が。
「本当だ、虹だ! グレッシャーパレスの後ろに、虹が見える!」
 聞こえましたね、今度はミネズミさんの声でした。
「まさか……まさか、あの虹は……」
 映像は伝えられませんが、今のハーデリアさんの反応を聞いて、それがただの虹ではないことは伝わりますね?
「あぁ、虹が……」
 ですが、長くはもたなかったようで、ハーデリアさんも苦虫をかみつぶしたような表情をしています。貴方が晴らした空に出た虹も、すぐに消えてしまいましたが……しかし。
「虹が消えていく……」
 そう言ったワシボンさんは残念そうな顔をしていますが、その顔にはもはや恐れはありません。
「なんか……少しの間だったが……でも、皆も見たよな?」
「えぇ、見ましたよ」
 ほら、コアルヒーさんとミネズミさんもこう言っています。
「とても……きれいな虹だったね」
 ヨーテリーさんなんて、目を輝かせていますよ。
「もう長い間、見ておらんから、記憶からも忘れかけておったが……間違いない。あれは希望の虹。希望の虹じゃ」
 分かりますか、ティーダさん? 貴方の執念が呼び寄せたのは、希望の虹なんですよ。
「やっぱり! やっぱりそうだよな! また、掛かったんだ、希望の虹が。見てるだけでも皆に希望が湧いてくるあの虹が!!」
 貴方には見えていないかもしれません。ですが、ワシボンがここまで言うほど美しいものなのですよ。希望の虹は。
「もう一度見たいよね!?」
 ノコッチさんが問いかけます。それを、否定するものなんていないでしょう。
「そうだぬ! かかっているところを見たいだぬ!」
 ほら、ヌオーもこう言っています。
「私、広場の皆さんにも伝えてきます! きっと、虹も見えなかったと思うので」
「おいおい、空も飛べない奴が無理すんな!」
 ミネズミが広場へ行こうとしたのを、コアルヒーが止めて、自分で飛んでゆきます。ヨーテリーの先ほどの言葉は、確かに人の心を動かしました。
 ですが、それ以上に、あなたの起こした奇跡が皆の心を動かしましたよ。
「希望は……希望はまだあるんじゃ!」
 今のは、ハーデリアの声ですよ。グレッシャーパレスを見守るあらゆる人々の心を動かし、揺さぶりました。この街だけじゃないんです。
「頼む、もう一度見せてくれ!」
 ワシボンが叫びました。
「僕にも見せて! 希望の虹を! 僕、生れて初めて見たんだ……おじいちゃんに話しだけ聞いて、ずっと見たいって思っていたんだ。お母さんとお父さんにも自慢したい。だから……」
 子供の無邪気な願いですよ、ティーダさん。叶えないわけにはいきませんね。ところで、覚えていますか、先ほどのビクティニの言葉……生きて、何をしたいか。それを思い描けと。
「お願い! 僕たちに、もう一度!! ティーダさん」
 ノコッチも、貴方を見ています。皆、貴方のおかげで、未来を思い描けましたよ。虹が見たい。あの、希望の虹を見たいと。
 パラダイスのみんなも、宿場町の仲間も、ダンジョニストの仲間も、アイカさんもみんな願っております。


「皆の……皆の声が聞こえる」
 えぇ、ティーダさん。宿場町だけでなく、パラダイスの皆も、声を上げています。
「今一瞬だけ、見えた虹……この眼にしかと焼き付けましたよ。足が武者震いするほど興奮しました!」
 プラチナさんの声です。ところであのひと、眼と足はどこにあるんでしょうかね?

「皆の気持ちが……一つになっている」
 ゾロアークのカーネリアンさんもです。
「そうだね……虹が一瞬見えただけなのに。あ、いいこと考えた。ねぇ、カーネリアン。一瞬でこれだけ盛り上がるなら、幻影でいいから、皆を騙してでも気分を盛り上げない? 貴方の幻影で、長い時間虹を作り出してよ」
「よしてくれ……あんな綺麗な虹、幻影じゃ無理だ……俺には、無理だ」
 ほら、カーネリアンさんと、ジャノメさんです。案外仲いいですよね、この2人。

 はい、ティーダさん。聞こえましたか? 聞こえないとは言わせませんよ。
「皆の心が……俺の背中を押してくれる……体が軽い。力が入る……今なら、一日中だって戦えそうだ」
 それはいいことです。ほら、まだ声を届けたい人がいるんです。
「ティーダさん。貴方はやっぱり、私には真似できません……でも、すごいです」
 アイカさんの声ですよ。届きましたね?
「私も頑張ってますよ。みんなと一緒に、貴方がいるグレッシャーパレスを見守っています!」

「あぁ、届いているよ……アイカ」
 ティーダさんが頷きます。
「なぁ、お前なんだろ? 命の声、(クロース)。ずっと、見守っていてくれたんだな」
 えぇ、そうです。ともかく、みんな貴方に期待しているんです。今ここにいるあなただけが希望の星なんです。ですから、負けたら嫌ですよ。
「分かってるさ、クロース。それでもってアメヒメ……今度は、俺達が世界に向けて声を届けたい。その役目を頼んでいいか?」
 おやおや、かまいませんよ。何を伝えたいのですか?
「なに、ただ名乗るだけさ。さぁ、アメヒメ!」
 ティーダが促すと、アメヒメさんは生まれたてのシキジカのようにおぼつかない足取りで立ち上がる。
「雨よ!」
 アメヒメさんが宣言します。
「太陽よ!」
 ティーダさんが声を張り上げます。
「「虹となって輝け! 探検隊チームアイリス、ここにあり!!」」
 二人が大きな声を上げると、ティーダさんの体から光が放たれ、それが収束すると光り輝く(クロース)となりました。ニンゲンとは、(クロース)を纏う者であり、そして希望を齎すものの象徴です。さぁ、ティーダさん。今貴方は光り輝く(クロース)をまとい、希望の象徴となりました。
 もう何も憂う事はありません。恐れるものもありません。貴方達が(きぼう)そのものとなって、世界を救ってください!
「行っけぇぇぇぇぇぇティーダ!」
 アメヒメさんの声よりも早く、ティーダさんが駆け出し、氷触体へとホタチを投げつけます。水タイプを伴った斬撃、シェルブレードは氷触体に弾かれて戻ってきます。ティーダさんはそれを空中で受け取り、ホタチを両手で持って、全体重を込めた兜割り。氷触体にはじかれ、ティーダさんが後退するも、さっきとは違い相手には確かにダメージが。氷触体が、苦悶の声をあげながら悲しみの感情を攻撃にして放ちます。
 それだけで、体中の力が抜けるような虚脱感を味わっていたティーダさんですが、今はそんなこと……ほとんど効果はありません。走って再度攻撃した時に、氷触体の攻撃を喰らって、少しは怯みはしましたが、ですが大丈夫。貴方が纏うその光の(クロース)が、攻撃を跳ね返して貴方を守っていますから。
「氷触体……気持ちは分かる」
 ティーダさんが、走りながら氷触体へとシェルブレードを叩きつけます。
「俺だって、今の生活がすべてだとは思えないよ」
 何度弾かれようと、かたくなに攻撃をやめずに、ティーダさんは太鼓でも打つかのように叩き付けます。
「死ぬことや感情を亡くすが救いになる事だって、あるだろうよ!」
 そのうち、利き腕が疲れてしまったのでしょうか、ティーダさんは左手にホタチを持ち替え、攻撃を再開します。
「でも、それに他人を巻き込むんじゃねぇ! 迷惑だ」
 ガツンガツンと、鈍い音が響きます。氷触体があげるのは、ただひたすらに失望の風が渦巻く苦悶の声。
「世界に、お前の救いなんていらねぇんだよ! 氷触体……アカギの亡霊! とっとと壊れて楽になっちまえ!!」
 そうこうしているうちにティーダさんは左手にも限界が来たのでしょうか? 持っていたホタチが弾き飛ばされ、苦い顔をします。
「こんだけ叩いても壊れないか……それなら!」
 それでも、体が動く部分が残っているなら、攻撃するつもりのようです。得意技の熱湯で、氷触体の攻撃を始めました。ですが、それも早いうちに限界が来ます。ここまで連戦に次ぐ連戦、すでに疲労も限界に達していたことでしょう。仕方がありませんね。
「くっそ……もう、水が出せねぇ……氷触体は大分砕いたし、ここは一度退いて……」
 まだです、今退けば、士気も持ちません!
「よぉ、ティーダ。届いているかよ?」
 ですから、私ももう少し踏ん張ってもらいますよ。
「この声、エモンガ!?」
 聞こえましたね、ティーダさん。今、貴方の元に、皆さんの『手助け』を送りました。
「力が……握力が……戻ってきた」
 まだまだ、行きますよ!
「ティーダ。私はこんなことしかできないけれど……」
「俺たちの願い事、受け止めてくれ!」
 エーフィとブラッキーの願い事です。その治療効果は、折り紙付きですよ。
「手の痛みも……痺れも消えたな……」
「ティーダ。まだ、ケルディオと会えたことに、お礼もしていないの。お礼をさせて」
「僕からもだ!」
 聖剣士2人からの手助けですよ。とてもありがたい贈り物です。
「あぁ、感じるよ……二人とも。あったかい。温かい力だ」
 さて、次は遠い所からも届いてますよ。
「皆の思いは……僕が必ず届けてみせるよ。勝利ポケモンの名にかけて!」
 宿場町では、ビクティニがみんなの『手助け』や『願い事』を届けています。遠いですが、私が責任をもって『手助け』を届きますよ。

 そして気づいていますか? 今あなたに、誰よりも強く勝利を願うものの存在が、すぐ後ろにいる事。
「アメヒメの願い事か……?」
 そうですよ。それがなければ、貴方はとっくにホタチを握ることも出来なかったはず。ですが、アメヒメ以外は距離が遠すぎてほとんど届かないのも事実。しかし、質でダメなら量で攻めろと、昔から相場は決まっています。皆さん、一瞬でいいんです。タイミングを合わせて力を送り、ティーダさんに手を貸してください。
「はいはーい! それならこの、スペシャルプリチーでキュートで、それでいてストロングなこの僕。ビクティニが音頭をとるよ! きっと、君を勝利に届かせてみせるよ!」
 だ、そうですよ。ティーダさん。ビクティニに任せてみますか?
「……信じるぜ! 勝利ポケモンさんよ!」
 さぁ、皆さん。心を一つに合わせるのです。貴方達が今この瞬間に望むことを、ティーダさんと一緒に、祈るんです。今まで私に声を拾って貰えた者も、そうでない者も。傍観しているだけだった皆さんも一緒に、心のあらん限り、力いっぱい叫んでください!! その声、私が責任を持って届けましょう。
「わかったね、みんな? じゃあ、行くよ! いっせーのっせ!」
 虹を見せて!
 虹を見せてくれ!
 虹を見せて欲しい!
 希望の虹を!
 もう一度、虹を!!
 言い方は違えど、ビクティニの温度に合わせて一斉に声が集まりました。これだけの数を届けるのは大変ですが、でもどうです? ティーダさんの体には、力が漲っているはずですよ。
「行くぜ、みんな」
 光を背負いながらつぶやいたティーダさんが、シェルブレードを伸ばしました。シェルブレードから伸びる水は、鮮やかな七色の光と白い光を纏い、身の丈を優に超える長さとなります。その巨大な水の刃は、まるで霞か雲を斬るかのごとく、抵抗なく氷触体を切り裂きます。
「これが……これが、みんなの力か……まるでケーキを切り裂いているかのように、氷触体が切れるぞ」
 光り輝く刃で似て氷触体を切り裂きながら、ティーダさんはそんなことを口にする余裕まであるようです。あとはウイニングランだけです、ティーダさんは氷触体を切り刻み塊に分けて分断します。それでも、氷触体は切り裂かれてもなお、塊同士が集まってくっつこうと抵抗をします。しかし、それは無駄でした。ティーダさんの斬撃が、しつこいほどに氷触体を切り裂いていたその時――氷触体はひときわ大きな放電音を鳴らすと、どどめ色のコアを中心に、崩壊、砕け散りました。
「やったか……?」
 ティーダの疑問に答えるように、氷触体に変化が訪れます。氷触体からは無限大の感情エネルギーが溶け出し、揮発し、広がって放電し疲れて座り込んだティーダさんも慌てて逃げようとしますが、それよりも早く――爆発、四散しました。


 危ない……と思いましたが、どうやら無事だったようです。ティーダさんも、意識は失っていますが、命に別条はないでしょう。
「や、やった……ティーダ。ついに、氷触体を……」
 目立った外傷もないティーダさんを見て、アメヒメさんは安堵の息をつきます。今すぐにでも駆け寄りたいところでしょうが、まだまだ疲れて体が動かないようです。なので、仰向けになって寝ころびました。すると、見えるのは、氷触体が消え去って、青く澄み渡ってゆく空。そして、天空をまたぐように架けられた――虹です。
「虹……虹だぜ!」
 誰のものかもわからない声が一番乗りでした。そこから後、もはや声の数は多すぎて計り知れません。空には七色のアーチが天をまたぎ、その虹に寄り添うように、三つの輪のような虹が重なっています。理想と、絆と、真実をあらわす小さな虹、それらすべて合わさって希望となるように、調和の取れた姿で地上を見下ろしています。それが希望の虹なのです。
 さぁ、ティーダさん、聞いてくださいな。世界中から、その美しさに心躍らせる声が届いていますよ。そしてそれに反比例するように、ネガティブな声は消失しています。
 本来ならばそれは喜ばしい事ですが、それは――氷触体の力で成り立っている、グレッシャーパレスの崩壊も意味していました。やばいです、ここが崩れたら最悪死にます。
「……起きてよ、ティーダ?」
 次第に地響きが増してゆくグレッシャーパレスの中、アメヒメは寝返りを打って、ティーダの元へ這っていました。彼は、気絶したまま起きませんでした。

Ring ( 2015/07/26(日) 21:43 )